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(No Subject) / brahma
自我と個性は違う。

自我とは傷であり、個性とは永遠性だ。

矛盾にきえるかもしれないが、真に協調的で愛ある人は結晶化した個性をもっている。

No.5924 - 2017/06/02(Fri) 22:48:48
人が生まれて死ぬという出来事は些細な出来事 / 勘太郎
産まれる前においらは無く、死んだらおいらはいない。実に人は公平であり完全にフラット。格差が広がっていると報道されますけれども、それはそれで瞬間の有様。
 おいらの心に、いくら引っ掛かる出来事が在ろうとCENSOREDば消えます。
 心の拠り所は、否定的なCENSOREDばおわりではなく、CENSOREDばおいらの夢は覚めるです。生の夢から覚めた後、夢を自覚する知性があるものかどうか?それはおいらには感知できない(残念ながら)。
 人生は夢と同じだと云う理性による解釈でいることができれば世界は面白い映画です。この理性的解釈心境で居られる時ばかりではないのが哀しいですけれども。

 今日は午後に車軸を流す雨が降るそうです。畑の雨は足りているので、しとしと雨位でよろしいのですけれども、うまくいきません。それとも苗たちに付いたアブラムシを洗い流してくれる慈雨になるのかなあ??、今は雨より暖かい強い日差しが欲しいのですけれども、望ましい天気ばかりではありません。それでも秋には大体同じような収穫ができるのですから不思議なんです。

 老年期は責任が無くて、よい時間です。背に荷物が無く、明日におおきな希望が無く、今日の時間はたくさんあります。
 政治家・経営者ははらはらドキドキの老年期で楽しいでしょうからそれはそれでまた良しです。

No.5921 - 2017/06/01(Thu) 07:38:48

Re: 人が生まれて死ぬという出来事は些細な出来事 / ubik0101
そいえば。おもちゃ会社のゲーム担当が、生まれ変わりゲーム、を開発。社内の説明会で発表しました。かすかな記憶ですが、微生物から始めて、昆虫や人間になり、神様になれば上がり、という、双六のようなものだったと思います。そのゲーム担当は、言います。

・・・というわけで、このゲームというか、世界はこんなものですが・・・生まれ変わるためには当然、死ななければならないのです・・・するとそれを聞いてた、おもちゃ問屋とか広告会社の人達は、どっと笑いました。そのゲームが発売されたかどうかは記憶にないです。

No.5923 - 2017/06/02(Fri) 07:36:05
キツネの子供 / 勘太郎
 帰りの山道で、道路わきをころころに太った子犬の様な動物が歩いてました。車を降りて写真を撮ろうとしたら草に中に隠れて、こちらを覗いていました。
 顔が長いのでキツネ。寄生虫をもっているのであまり歓迎はしないのですけれども、可愛い。

 山は春セミとたぶん蛙の声と鳥の鳴き声でにぎやかです。
 身体を動かすことがどうしてこれほど楽しいのか?不思議です。あちこち虫に刺されるのが不快ですが、それよりも身体を動かす快の方が上回ります。
 犬の散歩も楽しいです。

No.5914 - 2017/05/29(Mon) 22:20:29

Re: キツネの子供 / ubik0101
キツネ、見たことないです。イタチとかはまれにいます。それにしても始めて見ても、イタチ、て判るのは何故、とか思います。

これは、グミです。というと、お菓子のグミとの関係を考える人がいますが・・・この渋くて甘い赤い実、けっこう気に入っています。

No.5917 - 2017/05/30(Tue) 20:15:02
(No Subject) / brahma


ああ、かえろう

無限の母性よ

母なるリアリティと至福のヴァイブレーション

No.5906 - 2017/05/25(Thu) 22:01:24
日常 / ubik0101
もしかしてですが、おおく人は、この世界の訳の判らなさに困ってる・・・弱肉強食、優劣、性別、生死・・・納得できない、それで世界とか自分とかを理解したいのかもしれません。そうですね、しかし、

この訳の判らなさ・・・それゆえ、人は解脱します。なにか、完全なアプリケーションのような・・・完全無欠の構築された世界なら・・・それでは悟りは起こりえない、と睨んでいます。

まあ、自分は、この訳の判らない世界で、その訳の判らないまま、それからはみだすこともままならず、それ以外のことを何もかも顧みず・・・けれどそれで1人あって静かで幸せで・・・探求を続けていました。

こんなことを話してると、いろんなことを思い出します。FMラジオで聞く朝のテレマン、小さな木造アパートの一室・・・通り過ぎてから互いに振り返った名前も知らない

誰かのこと・・・徹夜仕事・・・社員旅行・・・失恋・・・知人の死・・・こんなこと、あんなこと、どいうことなんでしょう。なんなんでしょう。でも、辛いということは、たしかに、

そのまま辛いということ。悲しいということは、そのまま悲しいということ。嬉しいということは。そのまま嬉しいということ・・・これは、なんなんでしょう。そして探求は、その結果、

No.5885 - 2017/05/19(Fri) 19:42:32

Re: 日常 / ubik0101
なにか体験が起きるとかさえ知りもしなかった。この自分を探求するんだ、というテーマで探求したわけでもなく、努力も、怠惰も、楽しいことも、仕事も、結果、どんなことでも、自分は何?でしかなかった。これだけなのです。

とくに世界とか自分とかの不整合を暴くとか、整合性を求めるとかしなくていいのじゃないのかな・・・たとえば社会や、弱肉強食が嫌なら・・・完全にお勧めできませんが・・・この世界から去ることもできる世界だし、

ここで生きるのだから、問題は、そいうことにあるのだろうか。なんだかの主義、思想のこと、政治、貧富、性別・・・そんなことがほんとに問題なのだろうか?

なんでもない・・・日常・・・そこから始められないだろうか?たとえば国籍年齢性別名前意識無意識知覚、それがなぜそうなのか?誰が知ってるでしょう。

この何も知らないところから始めて、なにもない自分から始めて・・・たとえば問題がなければいいとか、苦がなければいいとか目標を持たず、コンパスも地図も持たない探求を始められないだろうか?

ことさら・・・なぜ、なぜ、なぜ・・・を捕まえることもなく、ただ・・・こう、である自分を、こう、と認識する、この最も簡単な、これだけで充分な、自然の道を歩かないのだろうか?

No.5886 - 2017/05/19(Fri) 19:43:04

Re: 世界に対して自分は責任を果たさなければならない。 / 勘太郎
> なにか体験が起きるとかさえ知りもしなかった。この自分を探求するんだ、というテーマで探求したわけでもなく、努力も、怠惰も、楽しいことも、仕事も、結果、どんなことでも、自分は何?でしかなかった。これだけなのです。
>
> とくに世界とか自分とかの不整合を暴くとか、整合性を求めるとかしなくていいのじゃないのかな・・・たとえば社会や、弱肉強食が嫌なら・・・完全にお勧めできませんが・・・この世界から去ることもできる世界だし、
>
> ここで生きるのだから、問題は、そいうことにあるのだろうか。なんだかの主義、思想のこと、政治、貧富、性別・・・そんなことがほんとに問題なのだろうか?
>
> なんでもない・・・日常・・・そこから始められないだろうか?たとえば国籍年齢性別名前意識無意識知覚、それがなぜそうなのか?誰が知ってるでしょう。
>
> この何も知らないところから始めて、なにもない自分から始めて・・・たとえば問題がなければいいとか、苦がなければいいとか目標を持たず、コンパスも地図も持たない探求を始められないだろうか?
>
> ことさら・・・なぜ、なぜ、なぜ・・・を捕まえることもなく、ただ・・・こう、である自分を、こう、と認識する、この最も簡単な、これだけで充分な、自然の道を歩かないのだろうか?


 と感じてしまうのです。営業利益目標を私の営業努力で達成しなければならないとか。町内会役員の仕事をやらなければならない。夫・父親・親にたいして子供として行うべき行いをしないとならない。束縛とも云う、この責任を放棄するようなきがしてしまうのです。理性ではそんな能力はおいらには無いとも思うけれども、できる限りの恰好をつけなければならないと感じてしまうのです。

 これが自然の道に従えないおいらの気分の様な気がします。在るがままとか言いますが難しいです。爺になってこの責任が少なくなったので、自然の道を歩き易くなっていると感じます。そこではおいらの欲が責任の代わりとなって束縛します。

No.5892 - 2017/05/22(Mon) 20:43:18

Re: よく考えてみたら、他人からどう見えるか? / 勘太郎
 これを生きる指針としているように思います。
責任も欲もすべての基準ものさしは他人の目。

 この他人からどう見らるかという視点から生きていて、ただ今をそのまま認識していることが難しいようなきがします。

No.5893 - 2017/05/22(Mon) 21:08:34

Re: 日常 / ubik0101
なんであれ・・・政治、道徳、仕事、誰かの眼、世界の仕組み、戦争、平和、弱肉強食、好き嫌い、書・・・それは自分から眼を逸らすこと。としても機能します。

その自分から眼をそらすことは、楽しく苦しい、娯楽なのかもしれません。

そんなこと、人は最初から組み込まれているというわけではないです。自分から眼を背けて自分を疎かにするのは、その自分しかできないです。

ずーと昔。はるかに昔、このように考えました。

たとえば社会とか、道徳とか、それは何?そーだ、それは、ここに実際にあるのではなくて、どこかにあると仮定されてるだけだ。

みんながそれを仮定してそれに束縛されてるだけだ。と思ったものです。社会とか、道徳とかは、実態がない、空想だ。実際、母さんや父さんや、隣りの山田さんは、社会ではない、

じゃ、どうするんだ。たとえば社会に反抗するのも、ひとつのスタイルでしかない。そんなことできれば、なんか自分の姿勢があって、それは楽ではあるだろう。

でも、なんでもないんだ。自分・・・どうとかこうとかいうものではない。どんなことも出来ない。この、

この、なんでもない、自分、を守るのは、とても根性が必要でした。ある日、学校に行ってみると、校門にバリケードが張ってあった。これはなに?と誰かに聞いたら、なんか誇らしそうにロックアウトだと言った。それは何?学生運動が激しかった頃。

そんなことに無関心というわけでさえない、ない、を守るのは、とても困難でした。ほんとうに、馬鹿です。でも、そのように生きた。そんな生活でした。

もいっかいこれをやれといわれても出来ない・・・でも、こんな滅茶苦茶は必要ない・・・ただ、なんでもない自分・・・そこから始めればいい、

たとえ妻子があってもなくても、地位や役目や車や家があってもなくても・・・自分は自分にあって、なんでもない・・・これだけなのです。この何もなさから逃げない、

たとえば何か思考して、それを心理的な優劣とか、これまでの人間関係の経緯とか、あれこれで思考を変調するとそれは自分から眼を逸らし逃げ続ける連続・・・

そうでなく実際、なにを、どうするか?だけを思考する。

なんの社会的な、あるいは人類の一員としての役目なんてなくていい。こんな些細なことのような気がします。

繰り返しますが・・・たとえば1人で山で畑を整備してて、そこには、とくに何もないでしょう。煩わしい人間関係から離れた対比の気分とかもないでしょう。そのなにもなさ・・・それは会社にいても家族といても、違うとか違わないとかでもなく、なにもなさ、そこから逃げない。それを受け止める、そんなことのよな気がします。

No.5896 - 2017/05/23(Tue) 07:21:58

Re: 日常 / brahma
普通のひとはそこまで無執着になれないんだなぁ。

解脱した阿羅漢のみが無執着を達成する。

No.5898 - 2017/05/23(Tue) 12:05:53
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