産まれる前においらは無く、死んだらおいらはいない。実に人は公平であり完全にフラット。格差が広がっていると報道されますけれども、それはそれで瞬間の有様。 おいらの心に、いくら引っ掛かる出来事が在ろうとCENSOREDば消えます。 心の拠り所は、否定的なCENSOREDばおわりではなく、CENSOREDばおいらの夢は覚めるです。生の夢から覚めた後、夢を自覚する知性があるものかどうか?それはおいらには感知できない(残念ながら)。 人生は夢と同じだと云う理性による解釈でいることができれば世界は面白い映画です。この理性的解釈心境で居られる時ばかりではないのが哀しいですけれども。
今日は午後に車軸を流す雨が降るそうです。畑の雨は足りているので、しとしと雨位でよろしいのですけれども、うまくいきません。それとも苗たちに付いたアブラムシを洗い流してくれる慈雨になるのかなあ??、今は雨より暖かい強い日差しが欲しいのですけれども、望ましい天気ばかりではありません。それでも秋には大体同じような収穫ができるのですから不思議なんです。
老年期は責任が無くて、よい時間です。背に荷物が無く、明日におおきな希望が無く、今日の時間はたくさんあります。 政治家・経営者ははらはらドキドキの老年期で楽しいでしょうからそれはそれでまた良しです。
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No.5921 - 2017/06/01(Thu) 07:38:48
| ☆ Re: 人が生まれて死ぬという出来事は些細な出来事 / ubik0101 | | | そいえば。おもちゃ会社のゲーム担当が、生まれ変わりゲーム、を開発。社内の説明会で発表しました。かすかな記憶ですが、微生物から始めて、昆虫や人間になり、神様になれば上がり、という、双六のようなものだったと思います。そのゲーム担当は、言います。
・・・というわけで、このゲームというか、世界はこんなものですが・・・生まれ変わるためには当然、死ななければならないのです・・・するとそれを聞いてた、おもちゃ問屋とか広告会社の人達は、どっと笑いました。そのゲームが発売されたかどうかは記憶にないです。
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No.5923 - 2017/06/02(Fri) 07:36:05 |
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