ゆらぎさん
>ある・ないは一度定義しておいた方が良いかもしれません。 >今、パソコンのモニターに掲示板が映っています。目というセンサーがあり、脳というプロセッサーで認識が起こっているので、「ある」と感じます。しかし、モニターのスイッチをOFFにすれば、掲示板は消えてしまいます。 >つまり、感覚器官で捉えられるものは、「感覚的にはある」が「実体としてはない」ということだと思います。 >夢も同じですが、この現実そのものも同じではないでしょうか?
この世界、あるいは世界の構成要素は、夢もそうですが、それがそれ事態の原因・・・実在・・・ではない、ということですね。そうだとしても、この世界と実在の関係の認識は、その構成が自我の姿ということもあって、ちょっと困る場合がありはします。
ここで思考は、その人の状態を現さない、単なる思考なら、たとえば《「感覚的にはある」が「実体としてはない」》とかも単なる思考なので、問題にする意味を失います。また思考は事実、状態を現すなら、そうならそうなんだ、ということで、これも問題にする必要はないようです。思考することの効果を話してみます。
>月の喩えは全て解釈にすぎませんが、「実体としてはない」ということです。 >人間も存在しているように思えますが、少し焦点をずらせば、たちまちその存在は消えます。 >臓器、細胞、分子、原子、素粒子、エネルギー・・・それぞれのレベルでは「そのもの」は認識できますが、人間は認識できません。 >拡大方向も同じで、家、町、国、地球、太陽系、銀河系、宇宙・・・。
>「知覚されるからと言って、知覚されないないからと言って・・・それは、あるとかないとかとも言えない」というよりは、あるレベルを認識するためのセンサーとプロセッサーが与えられているだけで、「実体としてはない」ということだと思います。
ふつう日常で、ある、とは、それが機能してて知覚される、という意味です。たとえば時計が、ある、です。素粒子がある。宇宙がある。これは簡単です。そして使い古されて電気を発生しなくなった電池は、ない(なんか説明しようとしたら、あるけどない)とか呼ばれます。
ない、は複雑です。使えない電池のように、機能してなくて知覚されること。どこか行方不明になった携帯電話のように・・・機能してて知覚されないこと。機能してなくて知覚されないこと。とかあります。ここにはないけど銀行にある貯金、見えない電波などは全体が知覚されないけど、あるとも呼べるようです。
またひとつには、ある、とは・・・それがそれ自身の原因であることをそう呼びます。それは一般的に、神、実在、第一原因、とか呼ばれます。そして、この、機能してるのだけど、その自分を自分を自覚でき得ない自分を、ない、と呼びます。
それはなんであれ、それ、でも、これ、でも、自分でも、それがそれと差がなくて知覚され、ない、ということです。知覚とは差の認識です。それがそれにありきっても、あるがあるにありきっても、ないがないでないきっても・・・ない・・・です。ところで、
「それは在る」、そして知覚されることは、実態としてはない・・・そう聞くと、あくまで勝手な印象ですが・・・それ、と知覚されること世界、が離れてる気がします。自分とは経緯が違うので何とも言えないですが、そんな構造が自我を構成することもありそうなので・・・
というのは、悟り体験後、真我や、それ、を対象にしてしまうと、その構造として自我が再起動してしまうことがあるので・・・だからって何?と言えば言えるのですが・・・極端を言えば、それ、こそ自我の根源・・・ということもあります。
>一般的にはそうだということは理解しているのですが、自我も主体ではなくそういう機能を持ったアプリケーションであり、認識される対象だと思っています。自我を認識している何らかの主体があるわけですが、それを自分としてしまうと違います。自分とは既に意味づけされていますが、その範疇に入らない可能性が高いので、「それ」と言っています。 >ですから、「自分は在る」ではなく「それは在る」なのです。
その自我が知覚されるなら、それは悟り体験です。それは自我の完成でもあり・・・自我は虚構であり、ない・・・と認識されることでもあります。それを知覚するのは、ここでは自己と呼びますが、真我です。これは、ある、の直系です。
この、あるもないも、それでありきって、ない、です。認識され得ない、ということです。そこの関係から、認識できない自分を、認識できる気がしてる自我の状態を自分があるとも、呼ぶようです。
それ、は認識されないのに、ある、と呼ぶなら、それは何故。と自分なら探査します。そこは、自分、ではなく、それ、という言い方をしてるとするのかもしれませんが、
その背景にこちらの勝手ですけど、そうであって欲しいというような信念のようなことを感じて気になります。たとえば世界と実在の、迷いと悟りの、自我と無我と真我の区別を失った。と言ってもこちらの勝手で、それぞれの人はそれぞれに任されているので、なんとも言えないところはあります。
かなり大雑把ですが、あるとかないとか、ということも思考し尽くすと・・・あるとかないとかも、いつでも使えるようにはなりますが・・・消えてしまいます。なにもない、普通の日常です。ここが世界の、探求の、始まりです。
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No.5895 - 2017/05/23(Tue) 06:26:53
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