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キツネの子供 / 勘太郎
 帰りの山道で、道路わきをころころに太った子犬の様な動物が歩いてました。車を降りて写真を撮ろうとしたら草に中に隠れて、こちらを覗いていました。
 顔が長いのでキツネ。寄生虫をもっているのであまり歓迎はしないのですけれども、可愛い。

 山は春セミとたぶん蛙の声と鳥の鳴き声でにぎやかです。
 身体を動かすことがどうしてこれほど楽しいのか?不思議です。あちこち虫に刺されるのが不快ですが、それよりも身体を動かす快の方が上回ります。
 犬の散歩も楽しいです。

No.5914 - 2017/05/29(Mon) 22:20:29

Re: キツネの子供 / ubik0101
キツネ、見たことないです。イタチとかはまれにいます。それにしても始めて見ても、イタチ、て判るのは何故、とか思います。

これは、グミです。というと、お菓子のグミとの関係を考える人がいますが・・・この渋くて甘い赤い実、けっこう気に入っています。

No.5917 - 2017/05/30(Tue) 20:15:02
(No Subject) / brahma


ああ、かえろう

無限の母性よ

母なるリアリティと至福のヴァイブレーション

No.5906 - 2017/05/25(Thu) 22:01:24
日常 / ubik0101
もしかしてですが、おおく人は、この世界の訳の判らなさに困ってる・・・弱肉強食、優劣、性別、生死・・・納得できない、それで世界とか自分とかを理解したいのかもしれません。そうですね、しかし、

この訳の判らなさ・・・それゆえ、人は解脱します。なにか、完全なアプリケーションのような・・・完全無欠の構築された世界なら・・・それでは悟りは起こりえない、と睨んでいます。

まあ、自分は、この訳の判らない世界で、その訳の判らないまま、それからはみだすこともままならず、それ以外のことを何もかも顧みず・・・けれどそれで1人あって静かで幸せで・・・探求を続けていました。

こんなことを話してると、いろんなことを思い出します。FMラジオで聞く朝のテレマン、小さな木造アパートの一室・・・通り過ぎてから互いに振り返った名前も知らない

誰かのこと・・・徹夜仕事・・・社員旅行・・・失恋・・・知人の死・・・こんなこと、あんなこと、どいうことなんでしょう。なんなんでしょう。でも、辛いということは、たしかに、

そのまま辛いということ。悲しいということは、そのまま悲しいということ。嬉しいということは。そのまま嬉しいということ・・・これは、なんなんでしょう。そして探求は、その結果、

No.5885 - 2017/05/19(Fri) 19:42:32

Re: 日常 / ubik0101
なにか体験が起きるとかさえ知りもしなかった。この自分を探求するんだ、というテーマで探求したわけでもなく、努力も、怠惰も、楽しいことも、仕事も、結果、どんなことでも、自分は何?でしかなかった。これだけなのです。

とくに世界とか自分とかの不整合を暴くとか、整合性を求めるとかしなくていいのじゃないのかな・・・たとえば社会や、弱肉強食が嫌なら・・・完全にお勧めできませんが・・・この世界から去ることもできる世界だし、

ここで生きるのだから、問題は、そいうことにあるのだろうか。なんだかの主義、思想のこと、政治、貧富、性別・・・そんなことがほんとに問題なのだろうか?

なんでもない・・・日常・・・そこから始められないだろうか?たとえば国籍年齢性別名前意識無意識知覚、それがなぜそうなのか?誰が知ってるでしょう。

この何も知らないところから始めて、なにもない自分から始めて・・・たとえば問題がなければいいとか、苦がなければいいとか目標を持たず、コンパスも地図も持たない探求を始められないだろうか?

ことさら・・・なぜ、なぜ、なぜ・・・を捕まえることもなく、ただ・・・こう、である自分を、こう、と認識する、この最も簡単な、これだけで充分な、自然の道を歩かないのだろうか?

No.5886 - 2017/05/19(Fri) 19:43:04

Re: 世界に対して自分は責任を果たさなければならない。 / 勘太郎
> なにか体験が起きるとかさえ知りもしなかった。この自分を探求するんだ、というテーマで探求したわけでもなく、努力も、怠惰も、楽しいことも、仕事も、結果、どんなことでも、自分は何?でしかなかった。これだけなのです。
>
> とくに世界とか自分とかの不整合を暴くとか、整合性を求めるとかしなくていいのじゃないのかな・・・たとえば社会や、弱肉強食が嫌なら・・・完全にお勧めできませんが・・・この世界から去ることもできる世界だし、
>
> ここで生きるのだから、問題は、そいうことにあるのだろうか。なんだかの主義、思想のこと、政治、貧富、性別・・・そんなことがほんとに問題なのだろうか?
>
> なんでもない・・・日常・・・そこから始められないだろうか?たとえば国籍年齢性別名前意識無意識知覚、それがなぜそうなのか?誰が知ってるでしょう。
>
> この何も知らないところから始めて、なにもない自分から始めて・・・たとえば問題がなければいいとか、苦がなければいいとか目標を持たず、コンパスも地図も持たない探求を始められないだろうか?
>
> ことさら・・・なぜ、なぜ、なぜ・・・を捕まえることもなく、ただ・・・こう、である自分を、こう、と認識する、この最も簡単な、これだけで充分な、自然の道を歩かないのだろうか?


 と感じてしまうのです。営業利益目標を私の営業努力で達成しなければならないとか。町内会役員の仕事をやらなければならない。夫・父親・親にたいして子供として行うべき行いをしないとならない。束縛とも云う、この責任を放棄するようなきがしてしまうのです。理性ではそんな能力はおいらには無いとも思うけれども、できる限りの恰好をつけなければならないと感じてしまうのです。

 これが自然の道に従えないおいらの気分の様な気がします。在るがままとか言いますが難しいです。爺になってこの責任が少なくなったので、自然の道を歩き易くなっていると感じます。そこではおいらの欲が責任の代わりとなって束縛します。

No.5892 - 2017/05/22(Mon) 20:43:18

Re: よく考えてみたら、他人からどう見えるか? / 勘太郎
 これを生きる指針としているように思います。
責任も欲もすべての基準ものさしは他人の目。

 この他人からどう見らるかという視点から生きていて、ただ今をそのまま認識していることが難しいようなきがします。

No.5893 - 2017/05/22(Mon) 21:08:34

Re: 日常 / ubik0101
なんであれ・・・政治、道徳、仕事、誰かの眼、世界の仕組み、戦争、平和、弱肉強食、好き嫌い、書・・・それは自分から眼を逸らすこと。としても機能します。

その自分から眼をそらすことは、楽しく苦しい、娯楽なのかもしれません。

そんなこと、人は最初から組み込まれているというわけではないです。自分から眼を背けて自分を疎かにするのは、その自分しかできないです。

ずーと昔。はるかに昔、このように考えました。

たとえば社会とか、道徳とか、それは何?そーだ、それは、ここに実際にあるのではなくて、どこかにあると仮定されてるだけだ。

みんながそれを仮定してそれに束縛されてるだけだ。と思ったものです。社会とか、道徳とかは、実態がない、空想だ。実際、母さんや父さんや、隣りの山田さんは、社会ではない、

じゃ、どうするんだ。たとえば社会に反抗するのも、ひとつのスタイルでしかない。そんなことできれば、なんか自分の姿勢があって、それは楽ではあるだろう。

でも、なんでもないんだ。自分・・・どうとかこうとかいうものではない。どんなことも出来ない。この、

この、なんでもない、自分、を守るのは、とても根性が必要でした。ある日、学校に行ってみると、校門にバリケードが張ってあった。これはなに?と誰かに聞いたら、なんか誇らしそうにロックアウトだと言った。それは何?学生運動が激しかった頃。

そんなことに無関心というわけでさえない、ない、を守るのは、とても困難でした。ほんとうに、馬鹿です。でも、そのように生きた。そんな生活でした。

もいっかいこれをやれといわれても出来ない・・・でも、こんな滅茶苦茶は必要ない・・・ただ、なんでもない自分・・・そこから始めればいい、

たとえ妻子があってもなくても、地位や役目や車や家があってもなくても・・・自分は自分にあって、なんでもない・・・これだけなのです。この何もなさから逃げない、

たとえば何か思考して、それを心理的な優劣とか、これまでの人間関係の経緯とか、あれこれで思考を変調するとそれは自分から眼を逸らし逃げ続ける連続・・・

そうでなく実際、なにを、どうするか?だけを思考する。

なんの社会的な、あるいは人類の一員としての役目なんてなくていい。こんな些細なことのような気がします。

繰り返しますが・・・たとえば1人で山で畑を整備してて、そこには、とくに何もないでしょう。煩わしい人間関係から離れた対比の気分とかもないでしょう。そのなにもなさ・・・それは会社にいても家族といても、違うとか違わないとかでもなく、なにもなさ、そこから逃げない。それを受け止める、そんなことのよな気がします。

No.5896 - 2017/05/23(Tue) 07:21:58

Re: 日常 / brahma
普通のひとはそこまで無執着になれないんだなぁ。

解脱した阿羅漢のみが無執着を達成する。

No.5898 - 2017/05/23(Tue) 12:05:53
(No Subject) / brahma


愛は愛を愛してる

No.5897 - 2017/05/23(Tue) 12:04:39
Re.思考 / ubik0101
ゆらぎさん


>ある・ないは一度定義しておいた方が良いかもしれません。
>今、パソコンのモニターに掲示板が映っています。目というセンサーがあり、脳というプロセッサーで認識が起こっているので、「ある」と感じます。しかし、モニターのスイッチをOFFにすれば、掲示板は消えてしまいます。
>つまり、感覚器官で捉えられるものは、「感覚的にはある」が「実体としてはない」ということだと思います。
>夢も同じですが、この現実そのものも同じではないでしょうか?


この世界、あるいは世界の構成要素は、夢もそうですが、それがそれ事態の原因・・・実在・・・ではない、ということですね。そうだとしても、この世界と実在の関係の認識は、その構成が自我の姿ということもあって、ちょっと困る場合がありはします。

ここで思考は、その人の状態を現さない、単なる思考なら、たとえば《「感覚的にはある」が「実体としてはない」》とかも単なる思考なので、問題にする意味を失います。また思考は事実、状態を現すなら、そうならそうなんだ、ということで、これも問題にする必要はないようです。思考することの効果を話してみます。

>月の喩えは全て解釈にすぎませんが、「実体としてはない」ということです。
>人間も存在しているように思えますが、少し焦点をずらせば、たちまちその存在は消えます。
>臓器、細胞、分子、原子、素粒子、エネルギー・・・それぞれのレベルでは「そのもの」は認識できますが、人間は認識できません。
>拡大方向も同じで、家、町、国、地球、太陽系、銀河系、宇宙・・・。


>「知覚されるからと言って、知覚されないないからと言って・・・それは、あるとかないとかとも言えない」というよりは、あるレベルを認識するためのセンサーとプロセッサーが与えられているだけで、「実体としてはない」ということだと思います。

ふつう日常で、ある、とは、それが機能してて知覚される、という意味です。たとえば時計が、ある、です。素粒子がある。宇宙がある。これは簡単です。そして使い古されて電気を発生しなくなった電池は、ない(なんか説明しようとしたら、あるけどない)とか呼ばれます。

ない、は複雑です。使えない電池のように、機能してなくて知覚されること。どこか行方不明になった携帯電話のように・・・機能してて知覚されないこと。機能してなくて知覚されないこと。とかあります。ここにはないけど銀行にある貯金、見えない電波などは全体が知覚されないけど、あるとも呼べるようです。

またひとつには、ある、とは・・・それがそれ自身の原因であることをそう呼びます。それは一般的に、神、実在、第一原因、とか呼ばれます。そして、この、機能してるのだけど、その自分を自分を自覚でき得ない自分を、ない、と呼びます。

それはなんであれ、それ、でも、これ、でも、自分でも、それがそれと差がなくて知覚され、ない、ということです。知覚とは差の認識です。それがそれにありきっても、あるがあるにありきっても、ないがないでないきっても・・・ない・・・です。ところで、

「それは在る」、そして知覚されることは、実態としてはない・・・そう聞くと、あくまで勝手な印象ですが・・・それ、と知覚されること世界、が離れてる気がします。自分とは経緯が違うので何とも言えないですが、そんな構造が自我を構成することもありそうなので・・・

というのは、悟り体験後、真我や、それ、を対象にしてしまうと、その構造として自我が再起動してしまうことがあるので・・・だからって何?と言えば言えるのですが・・・極端を言えば、それ、こそ自我の根源・・・ということもあります。

>一般的にはそうだということは理解しているのですが、自我も主体ではなくそういう機能を持ったアプリケーションであり、認識される対象だと思っています。自我を認識している何らかの主体があるわけですが、それを自分としてしまうと違います。自分とは既に意味づけされていますが、その範疇に入らない可能性が高いので、「それ」と言っています。
>ですから、「自分は在る」ではなく「それは在る」なのです。


その自我が知覚されるなら、それは悟り体験です。それは自我の完成でもあり・・・自我は虚構であり、ない・・・と認識されることでもあります。それを知覚するのは、ここでは自己と呼びますが、真我です。これは、ある、の直系です。

この、あるもないも、それでありきって、ない、です。認識され得ない、ということです。そこの関係から、認識できない自分を、認識できる気がしてる自我の状態を自分があるとも、呼ぶようです。

それ、は認識されないのに、ある、と呼ぶなら、それは何故。と自分なら探査します。そこは、自分、ではなく、それ、という言い方をしてるとするのかもしれませんが、

その背景にこちらの勝手ですけど、そうであって欲しいというような信念のようなことを感じて気になります。たとえば世界と実在の、迷いと悟りの、自我と無我と真我の区別を失った。と言ってもこちらの勝手で、それぞれの人はそれぞれに任されているので、なんとも言えないところはあります。

かなり大雑把ですが、あるとかないとか、ということも思考し尽くすと・・・あるとかないとかも、いつでも使えるようにはなりますが・・・消えてしまいます。なにもない、普通の日常です。ここが世界の、探求の、始まりです。

No.5895 - 2017/05/23(Tue) 06:26:53
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