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仏教思想のゼロポイント、魚川裕司を読んで。
/ 勘太郎
筆者は仏教の出発・着地点は悟りだと言っています。で悟りとは?のおいらの疑問にはやっぱり答えてくれませんでした。ハウツーの様に軽く読めるのですけれども、読んでスカッとはしませんでした。
おいらはラマナ・マハリシ、二サルダッタ・マハラジ・エックハルト・トールを読むとスカッとします。それで解かったわけではないのですが。
覚醒を読むと涙がでたり、ほっこりしたりします。
しかし仏教に博学の著者ですから、明快な著述も多い。仏教はなぜ因果を強調するか? 「因果で動く現世は依って在るものだから、実在ではない。無我なるものは実在だから、現世は私ではないし、私のものでもないし、私の我(本体・実体)ではない」を強調するためと書いています。納得できました。
植えて3年、やっと梅が咲きました。平地のソメイヨシノは散り始めています。梅は他品種の花粉が無いと実らないと書いてありましたので隣に小梅を植えました。小梅はまだ花芽ができていません。それでも梅の花は嬉しいです。
No.5849 - 2017/05/04(Thu) 20:00:00
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(No Subject)
/ brahma
人は純粋さを獲得するために「慈善」(無私の精神)を培わなければいけません。人は「ハートの清らかさ」によって「一体性」を獲得し、一体性によって「神性」へと到ります。人生という館は、これら4つの土台の上に建てられるべきものです。この4つの基本的性質を育む上で、女性の役割は極めて重要です。献身的な母親だけが、国家の大きな未来のために力を尽くす子供たちを国に提供できます。真実〔真理、サティヤ〕、犠牲、平安は、女性に顕著な性質です。
女性たちは清らかさと社会の幸福を懸念しています。アルジュナは、クルクシェートラの戦いで息子のアビマンニュ〔アルジュナとスバドラーの子〕が死んだとき、「この戦いは無駄だった。王国を引き継ぐ者が誰もいなくなってしまったのだから」と嘆きました。一方、スバドラーは、「息子が親よりも先に逝くのはカリユガ〔末世、最悪の時代〕の前兆です」と嘆き悲しみました。ラーマの時代には息子を失くして悲しんだ母親などいなかったということを、スバドラーは思い出しました。父〔アルジュナ〕の愛は世俗的な欲望と結び付いていましたが、母〔スバドラー〕の愛は霊的な関心事と結び付いていました。
今日必要とされているのは、このような心の大きな母親です。善良な妻よりも善良な母のほうがより必要です。善良な妻は夫にとって価値があるだけですが、善良な母親は国の財産です。古代より、インドの聖典は、マイトレーイー、シーター、サーヴィトリーといった立派な女性の鑑を称えてきました。彼女たちの生涯は、今日でもインスピレーションの泉であり続けています。彼女たちを忘れるわけにはいきません
No.5848 - 2017/05/04(Thu) 11:08:54
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(No Subject)
/ brahma
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/vahnih
世俗的な生活の中で、愛は、母と息子の間の愛、夫婦間の愛、肉親同士の愛など、さまざまな形で現れています。これらの愛は、利己的な動機や私利から生じる身体的な関係を基盤としています。けれども、神の愛には私利私欲の片鱗(へんりん)さえありません。それは愛のためのみの愛です。これはバクティ(信愛)と呼ばれます。この愛の第一の特徴は、与えて受け取らないことです。第二に、恐れを知らないことです。第三に、利己的な動機のためにではなく、愛のためにのみ在るということです。これら三つの愛のアングルがすべて合わさるとプラパッティ(全託)の姿勢を意味するものとなります。このプラパッティの姿勢をおおいに楽しむとき、人は神の至福を体験します。そのためには、まずクシャマ(許し)が必要です。
No.5846 - 2017/05/02(Tue) 20:12:47
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(No Subject)
/ brahma
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31133763
ブッダのメッセージ
宇宙の霊的基盤を忘れ、世俗的なものに執着することによって、人は苦悩に陥っています。それはブッダが宣言した真理、「あらゆるところに苦しみがある。すべては束の間であり、すべては滅び去るものである」ということを認識していないことによります。この世のものを永遠のものと考えることが苦しみの原因です。もし、絶対の至福であるブラフマンが世界中に浸透していると気づくなら、苦しみの原因から解放されることでしょう。人は、プラクリティ(自然または現象宇宙)のすべてを抱合している神性に気づくことができないでいます。代わりに人は神を自然現象とみなし、自然の中に神の御業が見られるにもかかわらず、愚かにも神に気づくことができないでいるのです。無数の姿をとっている自然は「結果」です。神が「原因」です。全宇宙は原因と結果の現れです。それゆえ宇宙は神の顕れです。
人は、宇宙の基本的な物質を構成している五大元素が全人類に共有のものであり、そのように享受されるべきものであるということに気づかなければなりません。すべての人の中に神を見なければなりません。これが祈り(三帰依文/さんきえもん)の目的でした。
ブッダム シャラナム ガッチャーミ(仏に帰依し奉る)
サンガム シャラナム ガッチャーミ(僧に帰依し奉る)
この祈りには、「悟りを得た後、人は(社会への奉仕を行うために)社会(サンガ)に入らなければならない」という意味が含まれています。そして
ダルマム シャラナム ガッチャーミ(法に帰依し奉る)
です。この祈り全体としての意味は、「ダルマ(正義)を守るために、人はブッディ(目覚めた知性)を使わなければならない。そして、社会活動に携わらなければならない」というものです。知性を所有していても、社会への奉仕を行わないのであれば、人はどうしてダルマを守ることができるでしょう? 人に肉体が与えられたのは本来、ダルマを遂行するためであると伝えられています。
No.5839 - 2017/05/01(Mon) 23:54:28
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何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
hatoさん
>こんばんは。またとても遅い返信になりまして、ごめんなさい。新しい仕事もまだ、2人で慌てたり、軌道に乗るのはこれからですが、今日もいい日でした。
お気になさらず、マイペースでお願いしますね。
新しい仕事、大変でしょうが楽しみですね!
>これまで、幾年もかけて構築されてきた、宗教や探求、真理、と呼ばれることを調べて、それが単に、それでしかないことが腑に落ちる、ということが、あると思います。それはまさに、腑に落ちる感じ、ではないでしょうか。
「それが単にそれでしかない」まさにその通りです。でもそれは腑に落ちるというよりも、否定も肯定もせず、放置しておけばよいといった感じです。
私が腑に落ちたのは、弱肉強食や戦争、暴力、病気や貧困などのあらゆる問題が発生している理由です。
また、既に救われている、救われる自分はいない、既に悟っている、悟りはないといったものです。
>それより先は、この自分、というところでいくしかない、どこかで構築された事柄に基づいた、なにか風呂敷を抱えていくわけにいかない、故に、ハラに落ちるわけもない。これは、一体、なんだ。というところ。ある意味崖っぷち、ある意味絶体絶命、の清々しさ、ではないでしょうか。
「この自分、というところでいくしかない」こちらも、まさにその通りです。
でも、私の場合は崖っぷちにいて絶体絶命に思えても、春の里山で日向ぼっこをしているような、ほっこり感があります。
No.5791 - 2017/04/21(Fri) 07:17:44
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
>日本の新宗教や新新宗教、スピリチュアリズム、神智学、キリスト教、禅、浄土宗、真言密教、手当たり次第なんでも首を突っ込み、やがて非二元にたどり着き、いろんなことが腑に落ちてひとつにつながり、探求が止みました。
>私は技術系なので科学にも非常に興味があり、素粒子論とか量子論も読み漁っていましたが、それが非常に役立ちました。
>これまで、幾年もかけて構築されてきた、宗教や探求、真理、と呼ばれることを調べて、それが単に、それでしかないことが腑に落ちる、ということが、あると思います。それはまさに、腑に落ちる感じ、ではないでしょうか。
>「それが単にそれでしかない」まさにその通りです。でもそれは腑に落ちるというよりも、否定も肯定もせず、放置しておけばよいといった感じです。
ありがとうございます。そうしますと、ゆらぎさんは、世界の様々な宗教や思想、学問を深く学ばれて、修行もして、その様々なところを俯瞰してみるかたちで辻褄を合わせた、というと、表現がわるいかも知れませんが、その上での理解にて、世界を隈なく調べたところでの探求が止んだ、ということでよかったでしょうか。
そうしますと、この自身の探求、というところはまだ余地がある、かも知れませんか?
>私が腑に落ちたのは、弱肉強食や戦争、暴力、病気や貧困などのあらゆる問題が発生している理由です。また、既に救われている、救われる自分はいない、既に悟っている、悟りはないといったものです。
理由、というところはubik0101さんと共に興味深いです。それはなんでしょう。
>それより先は、この自分、というところでいくしかない、どこかで構築された事柄に基づいた、なにか風呂敷を抱えていくわけにいかない、故に、ハラに落ちるわけもない。これは、一体、なんだ。というところ。ある意味崖っぷち、ある意味絶体絶命、の清々しさ、ではないでしょうか。
>「この自分、というところでいくしかない」こちらも、まさにその通りです。でも、私の場合は崖っぷちにいて絶体絶命に思えても、春の里山で日向ぼっこをしているような、ほっこり感があります。
素敵ですね。ゆらぎさんには、深い、安堵感があるのでしょうね。
ここで、ふと思い出しました。この掲示板の、何年もむかしに書いたことですが、そしてもう、忘れて久しかったのですが、思い出したので書きます。実際、大したことではないのですが
ubik0101さんと出会い、共に生きて学ぶことになる、ある意味での状態ができた、できてしまった、・・・というのが近いのかも知れませんが、
自分は、とてもむかしのとある日、絶体絶命、を経験しました。
それは、幸い意識に起きたことで、命に別状はありませんでしたが、この自分、というところが、とある瞬間、非常な勢いと瞬時の予知を持って、消失したのです。半端でなく消失。です。経過は瞬間的でしたが、非常な恐怖、を感じる間もないのに失われることが自らわかり、殆ど驚愕と共に、それが経験されました。
失われた。それは完全に起きましたが、次の瞬間が出現しました。そのなにかは、いうところの意識、ではなかったとしか、言えないのです。
そしてまた、いつもどおり、日常がやってきて、そのことを忘れることはありませんでしたが、表だって思い出すことは、とくにありませんでした。
この経験は、自分が好むかどうかに依らず起きてしまい、その後の人生の紆余曲折に無関係に、理解を要求されざるを得なかった、というところです。
そうですね、
自分にとって、絶対絶命のときは、ただ絶対絶命、の状態です。
画像は、とても可憐で気に入ってる、マツバウンランです。いま、仕事場の周りにいっぱい咲いていて、出会うとうれしくなります。
仕事はささやかに大変。ですが、楽しみでもあります。一体全体、だいじょうぶかーっ!??なあたりが、私たちらしい〜、ところですすす。
No.5799 - 2017/04/22(Sat) 23:19:27
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> >日本の新宗教や新新宗教、スピリチュアリズム、神智学、キリスト教、禅、浄土宗、真言密教、手当たり次第なんでも首を突っ込み、やがて非二元にたどり着き、いろんなことが腑に落ちてひとつにつながり、探求が止みました。
>
> >私は技術系なので科学にも非常に興味があり、素粒子論とか量子論も読み漁っていましたが、それが非常に役立ちました。
>
> >これまで、幾年もかけて構築されてきた、宗教や探求、真理、と呼ばれることを調べて、それが単に、それでしかないことが腑に落ちる、ということが、あると思います。それはまさに、腑に落ちる感じ、ではないでしょうか。
>
> >「それが単にそれでしかない」まさにその通りです。でもそれは腑に落ちるというよりも、否定も肯定もせず、放置しておけばよいといった感じです。
>
>
> ありがとうございます。そうしますと、ゆらぎさんは、世界の様々な宗教や思想、学問を深く学ばれて、修行もして、その様々なところを俯瞰してみるかたちで辻褄を合わせた、というと、表現がわるいかも知れませんが、その上での理解にて、世界を隈なく調べたところでの探求が止んだ、ということでよかったでしょうか。
うーん、全く違います ^^;)
説明が下手で、申し訳ありません。
各々の宗教は合理性も無ければ辻褄が合わないところもてんこ盛りであり、それらを詳細に調べても時間の無駄ですので、否定も肯定もせず、放置するしかないということです。
> そうしますと、この自身の探求、というところはまだ余地がある、かも知れませんか?
まさに、マハルシの「自分とは何か」をずっと探求してきて腑に落ちたのであり、今のところ余地はないと感じています。
そのうち、余地だらけだということに気が付くかもしれませんが。(笑)
> >私が腑に落ちたのは、弱肉強食や戦争、暴力、病気や貧困などのあらゆる問題が発生している理由です。また、既に救われている、救われる自分はいない、既に悟っている、悟りはないといったものです。
>
> 理由、というところはubik0101さんと共に興味深いです。それはなんでしょう。
ここは、ずばり書くか否か迷っています。
hatoさんは、理由をどうお考えでしょうか?
他の皆さまにもお伺いしたいところです。
> >それより先は、この自分、というところでいくしかない、どこかで構築された事柄に基づいた、なにか風呂敷を抱えていくわけにいかない、故に、ハラに落ちるわけもない。これは、一体、なんだ。というところ。ある意味崖っぷち、ある意味絶体絶命、の清々しさ、ではないでしょうか。
>
> >「この自分、というところでいくしかない」こちらも、まさにその通りです。でも、私の場合は崖っぷちにいて絶体絶命に思えても、春の里山で日向ぼっこをしているような、ほっこり感があります。
>
> 素敵ですね。ゆらぎさんには、深い、安堵感があるのでしょうね。
そうです。
ただ、日常生活は、悲喜こもごもですが。(笑)
> ここで、ふと思い出しました。この掲示板の、何年もむかしに書いたことですが、そしてもう、忘れて久しかったのですが、思い出したので書きます。実際、大したことではないのですが
> ubik0101さんと出会い、共に生きて学ぶことになる、ある意味での状態ができた、できてしまった、・・・というのが近いのかも知れませんが、
>
> 自分は、とてもむかしのとある日、絶体絶命、を経験しました。
>
> それは、幸い意識に起きたことで、命に別状はありませんでしたが、この自分、というところが、とある瞬間、非常な勢いと瞬時の予知を持って、消失したのです。半端でなく消失。です。経過は瞬間的でしたが、非常な恐怖、を感じる間もないのに失われることが自らわかり、殆ど驚愕と共に、それが経験されました。
>
> 失われた。それは完全に起きましたが、次の瞬間が出現しました。そのなにかは、いうところの意識、ではなかったとしか、言えないのです。
>
> そしてまた、いつもどおり、日常がやってきて、そのことを忘れることはありませんでしたが、表だって思い出すことは、とくにありませんでした。
>
> この経験は、自分が好むかどうかに依らず起きてしまい、その後の人生の紆余曲折に無関係に、理解を要求されざるを得なかった、というところです。
hatoさんのこの経験を数年間にわたってされたのが、バーナデット・ロバーツさんです。
「自己喪失の体験」「無我の体験」「神はいずこに」という三冊の本が出版されていますが、中身は殆ど同じです。
興味がおありであれば、検索してみて下さい。
ちなみに、私は経験ありません。
> そうですね、
>
> 自分にとって、絶対絶命のときは、ただ絶対絶命、の状態です。
それは私も同じです。
しかし、絶体絶命に降参しているので、深いところではほっこりしていられるのかもしれません。
> 仕事はささやかに大変。ですが、楽しみでもあります。一体全体、だいじょうぶかーっ!??なあたりが、私たちらしい〜、ところですすす。
この表現が好きなんです。
ほっこりします。(笑)
No.5801 - 2017/04/23(Sun) 06:53:28
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ubik0101
> ここは、ずばり書くか否か迷っています。
> hatoさんは、理由をどうお考えでしょうか?
> 他の皆さまにもお伺いしたいところです。
うーん難しいです。神、実在、第一原因が、自分では知り得ない、自分の対象にならない自分を学ぼうとして、さまざま見える聞こえる対象になる状況をつくりだして、
その平穏さ、幸せ、また摩擦、理不尽さの関係で、自分を知ろうとしてる?人はそのツール?俳優、自分がない操り人形?
もっと人と神が離れてない感じなら、弱肉強食は自己犠牲でもあり、生死も、不幸も、幸せも、自作自演の遊び?・・・そんな自分も・・・神の、自分の対象にならない、ない、?うーん。
ところで、たしかに救われる自分はいないならば、救われる必要もないでしょう。すでに悟ってれば、迷いもなく、ことさら悟りは不要でしょう。
No.5803 - 2017/04/23(Sun) 21:42:45
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Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
ゆらぎさん、こんばんは。
今日は、仕事のあとに2時間半かけて、ubik0101さんと、用水路の大掃除をしました。用水路といっても、一年ぶりなので、殆ど溝状態です。カエルやヒルや、どじょうがいっぱい。ザリガニ君もいました。「わるいわねっ、騒がせて。」敷地が広いため、用水路は幅1メートル、2本合わせて長さ100メートルもあるのです。超大変。このいい季節に毎年、やーな仕事です。でも、パパに尻を叩かれ、踏ん張ってやってしまい。あらっ。もう、終わってるじゃないのー。(嬉)
>私が腑に落ちたのは、弱肉強食や戦争、暴力、病気や貧困などのあらゆる問題が発生している理由です。また、既に救われている、救われる自分はいない、既に悟っている、悟りはないといったものです。
>
> 理由、というところはubik0101さんと共に興味深いです。それはなんでしょう。
>ここは、ずばり書くか否か迷っています。
>hatoさんは、理由をどうお考えでしょうか?
あらゆる問題が発生している理由、ですね。
世界は、膨大無尽蔵の様相、真善美から魑魅魍魎まで、ちょい一瞥しただけでも、なんでも揃っているようです。その形式の意味とすれば、考える意味があるかも知れませんが、内容、については自分はとくに、理由を考えることは、ないようです。
人が世界を隈なく調べるとき、それは、横方向の動きをしています。水平方向には、なんでも一揃い、人は、それぞれの状態、状況により、様々な事柄に出会うことができるのでしょう。神仏、精神世界、学問と、さまざまな分野の四方八方からの情報は、ときに刺激的で楽しいですが、それもいいのですが、どちらかといえば、おそらく人は、世界の自動運転中の、只中です。
もし人が、本気で自己を探求する、となれば、ここはどうしても、人は縦方向の向きに、ならざるを得ません。そしてこのことはしかし、世界のなかにありながら、有り様としては、世界に自動運転されるがままに、進むわけにはいきません。すなわち、ここはそのために、細き道です。
なにか情報と照らし合わせて自身を学ぶことは、未だ横方向の働きです。最も探求されるべきところの自我は、その矛先から逃れられてるかも、知れません。
なにか学問で得ることのできる、安心できそうな予定調和の道、誰かが記した道ではなく、
人が生きるとは、やはり、それを生きてみなければわからない。です。
誰かの探求、誰かの言葉、でないこと、それがとても大事なこと、と思います。
庭は春の様相。うつくしい、シランが咲きました。
No.5804 - 2017/04/23(Sun) 23:03:04
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> > ここは、ずばり書くか否か迷っています。
> > hatoさんは、理由をどうお考えでしょうか?
> > 他の皆さまにもお伺いしたいところです。
>
> うーん難しいです。神、実在、第一原因が、自分では知り得ない、自分の対象にならない自分を学ぼうとして、さまざま見える聞こえる対象になる状況をつくりだして、
>
> その平穏さ、幸せ、また摩擦、理不尽さの関係で、自分を知ろうとしてる?人はそのツール?俳優、自分がない操り人形?
> もっと人と神が離れてない感じなら、弱肉強食は自己犠牲でもあり、生死も、不幸も、幸せも、自作自演の遊び?・・・そんな自分も・・・神の、自分の対象にならない、ない、?うーん。
私も同じようなことを考えてきました。
「神との対話」もそのような話だったと記憶しています。
この世界や生命が偶然発生したとは考えられないので、第一原因たる神的なものによって創られたとしか思えません。
これだけのものを創れる神だから、完全無欠であり、真善美の権化のように考えてしまうのですが、そこに嵌ってしまうと矛盾の泥沼から抜け出せなくなります。
この宇宙は神そのものではなく量子コンピュータのようなもので、この世は何らかのシュミレーションを目的とした仮想現実であると考えると、多くの矛盾が解決します。
勿論、最初はそんな切ない考え方はしたくないという思いはありましたが、最近は論理的のみならず、感情的にも納得出来るようになってきました。
今後、量子宇宙論や量子論的実在論、量子生物学の発展によって明らかになってくるかもしれません。
> ところで、たしかに救われる自分はいないならば、救われる必要もないでしょう。すでに悟ってれば、迷いもなく、ことさら悟りは不要でしょう。
自分を含め全てが仮想現実であれば、救われる自分はいないし、救われる必要もなく、悟りも迷いもないということになります。
迷ったけど、書いちゃった。(笑)
馬鹿にされるし、hatoさんに嫌われるけど、ま、いいや。(笑)
No.5811 - 2017/04/25(Tue) 06:16:02
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ubik0101
もぐらの母さんが、もぐらのトンネルの穴から顔を出して言いました。ほら、ご覧、あれは月だよ。これはね、伝説の賢者から教えてもらったんだよ、夜に空を見れば、見えるんだよ。
その隣の小さな、もぐらの穴から顔を出した、もぐらの子供が言いました。そうなんだ母さん。凄いね。でも僕達、みんな眼が見えないんだよ。
・・・・・・・・・
こちらの投稿には、嘘っぽーい。て、hatoさんに言われました。ん、ゆらぎさんがどう納得してるか、という質問だろ?と言ったら・・・いや、みなさんは自分が、どう感じてるかという質問だよ。とのことです。
そうですね、自分としては、世界の仕組みは、人が解脱できるようになってれば、なんでもいいです。それと。弱肉強食、貧困、争い・・・幸せ、静寂・・・諦め、努力、怠惰・・・悟り迷い・・・この世界であり得るどんなことにも、
それに巻き込まれ巻き込まれ、生きて行きます。つまり、空気のような透明な何かだからこそ、見えることは揺らぐ草しかないそこに、見えない風は吹いている。
と、こう実感しても、それはそいう説明です。どうも、なんかとんでもなく中性なことが、ゆらぐ、ことで思考や人の状態が現われるようです。思考は、あらかじめ破綻して現われる、です。
それとやはり、時空は、神、実在、第一原因の解きほぐれる様子・・・この世界は半実在・・・とも感じます。これはあるとかないとか、知覚とはどいうこと?に繫がりました。
・・・・・・・・・
ねえ坊や、どうして、みんな眼が見えないて、判ったのかい?もしかして、お前は見えるのかい。うーん、月はね、誰に教えて貰わなくても、輝いてるて、誰も判るんだよ。
・・・・・・・・・
なんか、実は、ゆらぎさんて、これまでは、どこか強情な人のように感じてたのですが・・・実は、いい人だったんですね。こんな印象が起きてしまいました。
No.5812 - 2017/04/25(Tue) 08:27:38
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
ゆらぎさん、こんにちは。
全然関係ないのですけど、そういえば、ゆらぎさんから初めて投稿をいただいた頃、ふと、うちにあった湯飲み茶碗をひっくり返してみたら、「ゆらぎ」て書いてあるのを発見し、けっこうびっくりしました〜。
きらわれるだなんて?!。ゆらぎさんから、いつも、優しい気持ちが伝わるような気がします。
生きるのって、なんだか大変です。でもこの世界で、なんとか頑張って、未知ながらの道を歩いています。庭では、啄木鳥のコゲラの声がしており、家のなかで、ノンノンとチュリルが飛び交い遊び、猫たちは、夕ご飯を食べて、散歩に出ました。
ubik0101さんの「覚醒」本編は、初めて読んだとき、その真っ白に静かに輝くページが、直で全身に飛び込んできました。「紛れもない、」直でした。この了解について、これまで微塵にも、不信を感じたことがありません。それは外の情報に、照らし合わせる必要がなかったのです。
だれかの、どんな教義にもない、この人生でしょうね。誰にとっても・・・と思います。
ライラックの花が咲きました。
No.5813 - 2017/04/25(Tue) 17:39:16
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> もぐらの母さんが、もぐらのトンネルの穴から顔を出して言いました。ほら、ご覧、あれは月だよ。これはね、伝説の賢者から教えてもらったんだよ、夜に空を見れば、見えるんだよ。
>
> その隣の小さな、もぐらの穴から顔を出した、もぐらの子供が言いました。そうなんだ母さん。凄いね。でも僕達、みんな眼が見えないんだよ。
月は、見るまでは存在してないのかも・・です。
> こちらの投稿には、嘘っぽーい。て、hatoさんに言われました。ん、ゆらぎさんがどう納得してるか、という質問だろ?と言ったら・・・いや、みなさんは自分が、どう感じてるかという質問だよ。とのことです。
やっぱり、馬鹿にされたし嫌われた。(笑)
私たちが世界を認識するとき、その認識はクオリアという現実味溢れる質感を伴っていますので、「嘘っぽーい」となるのは、分かります。
> と、こう実感しても、それはそいう説明です。どうも、なんかとんでもなく中性なことが、ゆらぐ、ことで思考や人の状態が現われるようです。思考は、あらかじめ破綻して現われる、です。
私も思考に整合性はないと思います。
思考はそこら中に満ち溢れていますが、自分に合う波長のものしか受信できません。受信したものを統合して整理し、自分の思考と名付けていると思っています。
> それとやはり、時空は、神、実在、第一原因の解きほぐれる様子・・・この世界は半実在・・・とも感じます。これはあるとかないとか、知覚とはどいうこと?に繫がりました。
結局、自分の認識できる世界は、知覚したものを自分の脳内で処理した結果の世界にすぎませんので、実在しているとは言い切れないのです。
> なんか、実は、ゆらぎさんて、これまでは、どこか強情な人のように感じてたのですが・・・実は、いい人だったんですね。こんな印象が起きてしまいました。
有難うございます。
自分がどう思われるかってことに、だんだん無頓着になってきましたので、暴走することがよくあります。(笑)
No.5814 - 2017/04/26(Wed) 05:56:56
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> ゆらぎさん、こんにちは。
わたしは、いつも「おはようございます」の時間です。(笑)
> 全然関係ないのですけど、そういえば、ゆらぎさんから初めて投稿をいただいた頃、ふと、うちにあった湯飲み茶碗をひっくり返してみたら、「ゆらぎ」て書いてあるのを発見し、けっこうびっくりしました〜。
へー、湯飲み茶碗ですか?
「ゆらぎ」とは風流ですね!
>
> きらわれるだなんて?!。ゆらぎさんから、いつも、優しい気持ちが伝わるような気がします。
ありがとうございます。
そう言っていただけると、ほっとします。
シュミレーション仮説は、hatoさんの感性と真逆ですからね。
ぜーったい、受け入れられないと思いました。
ですから、書くときに勇気を振り絞りました。(笑)
> 生きるのって、なんだか大変です。でもこの世界で、なんとか頑張って、未知ながらの道を歩いています。庭では、啄木鳥のコゲラの声がしており、家のなかで、ノンノンとチュリルが飛び交い遊び、猫たちは、夕ご飯を食べて、散歩に出ました。
すごーく、いいですね。
私のところは動物もいなければ、花の種類も少なく、殺風景なもんです。
hatoさんのところは、いのちが満ち溢れていますね。
> ubik0101さんの「覚醒」本編は、初めて読んだとき、その真っ白に静かに輝くページが、直で全身に飛び込んできました。「紛れもない、」直でした。この了解について、これまで微塵にも、不信を感じたことがありません。それは外の情報に、照らし合わせる必要がなかったのです。
相性がほんとにピッタリなんでしょうね。
うらやましいです。(笑)
> だれかの、どんな教義にもない、この人生でしょうね。誰にとっても・・・と思います。
だれもが、自分のいのちを生きることしかできないのですから、それぞれが輝いているんですよね。その輝きをそのまま感じることができるようになりたいものです。
> ライラックの花が咲きました。
ありがとうございます。
癒されるのと同時に、花の名前を殆ど知らない私にとって、hatoさんは貴重な先生です。
No.5815 - 2017/04/26(Wed) 06:16:53
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Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
ゆらぎさん、おはーっ(^◇^)。きっとよい、朝でございますね。
>わたしは、いつも「おはようございます」の時間です。(笑)
できる仕事人は、朝がはやいと、聞きます。
>ぜーったい、受け入れられないと思いました。
>ですから、書くときに勇気を振り絞りました。(笑)
万が一、hatoちゃんごときにやがられたって、なんぼのもんか。ですのでご安心ください。でもですね、馬鹿にする、とか嫌われる、とか、ハイティーンではないんですからーーーーゆらぎさーん!
>シュミレーション仮説は、hatoさんの感性と真逆ですからね。
そしてじつは、真逆とも、いえないんですよ、
こちらは、いってみれば、単極です。
> 相性がほんとにピッタリなんでしょうね。
>うらやましいです。(笑)
理を解する、了解。ということに関しては、おそらく誰もが、そのようになります。それは、単極という、存在形式ゆえに、と言えます。それが、それである、ということ。
>私のところは動物もいなければ、花の種類も少なく、殺風景なもんです。
>hatoさんのところは、いのちが満ち溢れていますね。
だから、つかれやすいのかも知れませんね。日々、自然が迫ってくる圧迫感。雑草もですね、そっちで一本抜けば、あっちで81本生えるーっ、みたいな感じですよ。なかなか騒々しいのです。
ゆらぎさんは、相当凄いビジネスマン、必殺仕事人でしょうか。
>癒されるのと同時に、花の名前を殆ど知らない私にとって、hatoさんは貴重な先生です。
とんでもないです。
さっき、ライラックの花言葉を調べてみたら、「友情」とありました。
こちら風変りな夫婦ですが、これからも、よい友人でいてください。
No.5818 - 2017/04/27(Thu) 00:19:29
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ubik0101
>月は、見るまでは存在してないのかも・・です。
たしかに、そ、です。そして・・・誰も見てなくても月はあります。この、どちらも偏りです。この両極は経緯され自然に打ち消し合います。と、いうのもまず、なんだかの偏りが、月は見るまではない、
また何だかの偏りが、月は見てなくてもある、という思考を起こすからです。実にどちらも実感ですが、どちらも空想です。そのどちらもない、なんでもない花鳥風月。ここからしか働くことも探求も始まったことがないです。
>私も思考に整合性はないと思います。
>思考はそこら中に満ち溢れていますが、自分に合う波長のものしか受信できません。受信したものを統合して整理し、自分の思考と名付けていると思っています。
まず人が、ゆらぎます。ほんの微かに幽かに偏ります。その偏りのエネルギーを得・・・思考が発生します。そこでその思考はその人のその偏りを正確に現します。
たとえば思考は問題だ。という思考は、その人が・・・そうと気がついてなくても、たとえば素直でない、開けっぴろげではない・・・そんな状態で、その人のその状態を、思考は問題だ。という思考が正確に現します。
というのも、思考は問題だ、というのも思考です。すると、思考は問題だ、というのは正当性がないはずです。けどその人が素直でなければ、これを避けて通り、思考は問題だ。という思考の裏に隠れて、その自分の偏りを守ることになりやすいです。
ここで思考は知覚です。たとえば見えるという機能、その対象の太陽や花、赤黄緑、そこに問題があると感じるなら、その人には自覚してなくても、問題があるということです。
これは、思考は無問題、人は問題、という見方です。人と思考、この組み合わせとして見ると、人は無問題、思考は問題、どちらも問題、どちらも無問題。また思考に使われる、使う、それぞれの理解があるでしょう。
>結局、自分の認識できる世界は、知覚したものを自分の脳内で処理した結果の世界にすぎませんので、実在しているとは言い切れないのです。
なにかを判断するということは、そのようでしょう。その思考は、空想で、その現実と、乖離してるでしょう。これは問題でもありますが・・・しかし空想の翼をひろげる思考は、探求や研究そのことであったりします。
ここで、たとえば心理的思考と、技術的思考を区別するのは・・・また未知と既知を区別するのは・・・ビカミングを問題とするのは・・・やはり偏りです。ともかく、そんな思考も・・・予め破綻して現われた。
その破綻に切り込むことで、つまり思考はその思考の偏りを露にすることが出来ます。そしてその人の気がつかなかった偏りを解します。そして思考は思考の有り様を実況中継できるのですから、思考は、そのままメタ思考です。
No.5819 - 2017/04/27(Thu) 07:12:52
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> ゆらぎさん、おはーっ(^◇^)。きっとよい、朝でございますね。
おっはー!
今日も新しい朝が来ましたね!
(むかし、ラジオ体操かなんかの歌にあった)(笑)
今日から11連休です。(^^)
> できる仕事人は、朝がはやいと、聞きます。
いえ、単にお年を召されただけのようです。
> >ぜーったい、受け入れられないと思いました。
> >ですから、書くときに勇気を振り絞りました。(笑)
>
> 万が一、hatoちゃんごときにやがられたって、なんぼのもんか。ですのでご安心ください。でもですね、馬鹿にする、とか嫌われる、とか、ハイティーンではないんですからーーーーゆらぎさーん!
いえいえ、世界中の人に嫌われても、hatoさんにだけは嫌われたくないというのが、ファンの思いなのです。
お年寄りは、ティーンよりもピュアなんですよ。
> >シュミレーション仮説は、hatoさんの感性と真逆ですからね。
>
> そしてじつは、真逆とも、いえないんですよ、
>
> こちらは、いってみれば、単極です。
単極だと「それは在る」、シュミレーション仮説は、「それも幻想」となりませんか?
> >私のところは動物もいなければ、花の種類も少なく、殺風景なもんです。
> >hatoさんのところは、いのちが満ち溢れていますね。
>
> だから、つかれやすいのかも知れませんね。日々、自然が迫ってくる圧迫感。雑草もですね、そっちで一本抜けば、あっちで81本生えるーっ、みたいな感じですよ。なかなか騒々しいのです。
確かに雑草は、なかなか手強いですよね。
今日、母のお供で、苗を買いに行きます。
雑草と格闘しなければならないほど広くないのが救いです。
> ゆらぎさんは、相当凄いビジネスマン、必殺仕事人でしょうか。
会社勤めですが、用務員さんみたいなもんです。
> こちら風変りな夫婦ですが、これからも、よい友人でいてください。
ありがとうございます。
友人がつとまればいいのですが。
No.5825 - 2017/04/28(Fri) 07:30:17
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
ゆらぎさん、こんばんは。
スレッドがとても長くなってしまったので、移動しょうかと思いましたが、ふと、テーマが継続しているようなので同じところで続けました。
>今日から11連休です。(^^)
凄い!スペシャルな、11連休という響き、♡
嬉しくなりますね、きっと有意義に過ごされるのでしょう。
> >シュミレーション仮説は、hatoさんの感性と真逆ですからね。
>
> そしてじつは、真逆とも、いえないんですよ、
>
> こちらは、いってみれば、単極です。
>単極だと「それは在る」、シュミレーション仮説は、「それも幻想」となりませんか?
「それがそれとしてある、」というとき、このことは、なにか事象を見比べて、その差を読み解くことではないと言うことができます。なぜなら、うまく言い得ているかわかりませんが、それは、知覚で判断されることでは、ないからです。
この世界で、知覚とは差の認識、であることを学びますが、それがそれとして在る、ということを、なにか差の認識をもって理解することは、できないと言えます。
すなわち、これは完全に別のこととしてあるので、知覚の理解としての比較を用いることは、厳密には、できないのです。こうしたことは大変微妙で、繊細なところですが、「そうなのです。」としか言いようがないところです。
>お年寄りは、ティーンよりもピュアなんですよ。
素敵ですね。とてもわかる気がします。
庭に、7年ほど前にubik0101さんが植えてくれた、ヒメツルニチニチソウがたくさん、咲いています。紫が上品でかわいい、とてもすきな花です。蔦で広がって、庭のあちこちで見られるようになりました。ツルヒメニチニチソウ、で覚えてしまって、いまでもそう呼んでしまいます。
No.5829 - 2017/04/29(Sat) 22:19:41
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ 勘太郎
>
> ゆらぎさん、こんばんは。
>
> スレッドがとても長くなってしまったので、移動しょうかと思いましたが、ふと、テーマが継続しているようなので同じところで続けました。
>
> >今日から11連休です。(^^)
>
> 凄い!スペシャルな、11連休という響き、♡
> 嬉しくなりますね、きっと有意義に過ごされるのでしょう。
>
>
> > >シュミレーション仮説は、hatoさんの感性と真逆ですからね。
> >
> > そしてじつは、真逆とも、いえないんですよ、
> >
> > こちらは、いってみれば、単極です。
>
> >単極だと「それは在る」、シュミレーション仮説は、「それも幻想」となりませんか?
>
>
>
> 「それがそれとしてある、」というとき、このことは、なにか事象を見比べて、その差を読み解くことではないと言うことができます。なぜなら、うまく言い得ているかわかりませんが、それは、知覚で判断されることでは、ないからです。
>
> この世界で、知覚とは差の認識、であることを学びますが、それがそれとして在る、ということを、なにか差の認識をもって理解することは、できないと言えます。
> この書き込みが「言語道断」である事の説明で一番(すでに比較で表現してしまっています)ぴったり納得できました。思考を停止することはできる様になりましたけれども、その後の知覚できないが知覚できません。ニサルガダッタ・マハラジは「人ができるところはそこまでだ」と言っているとおもいます。ここら辺も想像で全くの勘違いかもしれません。皆既日食の様にコロナは見えるけれども、太陽は見えません。見えない太陽はいつも地球を照らしています。
> すなわち、これは完全に別のこととしてあるので、知覚の理解としての比較を用いることは、厳密には、できないのです。こうしたことは大変微妙で、繊細なところですが、「そうなのです。」としか言いようがないところです。
>
>
> >お年寄りは、ティーンよりもピュアなんですよ。
>
> 素敵ですね。とてもわかる気がします。
>
> 庭に、7年ほど前にubik0101さんが植えてくれた、ヒメツルニチニチソウがたくさん、咲いています。紫が上品でかわいい、とてもすきな花です。蔦で広がって、庭のあちこちで見られるようになりました。ツルヒメニチニチソウ、で覚えてしまって、いまでもそう呼んでしまいます。
No.5830 - 2017/04/30(Sun) 13:14:47
☆
Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> 庭に、7年ほど前にubik0101さんが植えてくれた、ヒメツルニチニチソウがたくさん、咲いています。紫が上品でかわいい、とてもすきな花です。蔦で広がって、庭のあちこちで見られるようになりました。ツルヒメニチニチソウ、で覚えてしまって、いまでもそう呼んでしまいます。
うちの庭にも同じような花が咲いていたことを思い出し、写真に撮ってみました。
残念ながら違っていましたが、この花の名前をご存知であれば、お手数ですが教えて下さい。
No.5832 - 2017/04/30(Sun) 17:18:28
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Re: 何が腑に落ちたか
/ hato
勘太郎さん、自分の最新文章に引用符がついているのが、とてもお人柄が出ているようで、素敵ですね!!
ゆらぎさんの画像の花を調べてみたら、胡瓜草(キュウリグサ)かな?と思いました。葉を揉むと、胡瓜の匂いがするそうです。庭でときどき、たぶんとても似ている花を見かけるのですが、これだったかしらん・・・と思っているところです。。
No.5834 - 2017/04/30(Sun) 23:38:06
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Re: 何が腑に落ちたか
/ ゆらぎ
> ゆらぎさんの画像の花を調べてみたら、胡瓜草(キュウリグサ)かな?と思いました。葉を揉むと、胡瓜の匂いがするそうです。庭でときどき、たぶんとても似ている花を見かけるのですが、これだったかしらん・・・と思っているところです。。
hatoさん、おはよ!
どうも有難うございます。
まさに胡瓜草(キュウリグサ)、自己主張のない、可憐な花ですね。
No.5835 - 2017/05/01(Mon) 06:04:08
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