ubik0101さん
>出来得ることは、歩くことも、怒ることも、笑うことも、死ぬことも、どんなことでも出来得るけど、自由に見えるけど。それはそうでき得るから出来得るだけ。つまり、なんでも出来得るそのことが、絶対の不自由。
そうなんです。 絶対の不自由なんです。
人は、自分の意思したことしか出来ません。 そして、意思は勝手に浮かんで来る思いが変化したものです。 自由に思い、自由に選択しているようですが、浮かんで来るものしか選択できません。
そして浮かんで来る思いや感情はコントロール出来ません。 コントロール出来るなら、何も思わないと決めれば、何時間でもそう出来る筈です。 でも、30秒もしないうちに、何らかの思いが浮かんできます。そして、思いの中身は、コントロール出来ません。
ですから、絶対の不自由なんです。 ですが、それは苦ではありません。 とんでもない、開放感があります。
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No.5790 - 2017/04/21(Fri) 06:49:48
| ☆ Re: 自由意思 / ubik0101 | | | >ですから、絶対の不自由なんです。 >ですが、それは苦ではありません。 >とんでもない、開放感があります。
なぜ、絶対の不自由が、とんでもない開放感なのか?説明がほしい感じです。ゆらぎさんの話を聞いただけでは・・・自由意想がないということは、たとえば自動運転の車のシートに座ってるように、世界に運転を任せて、
因果に従ってれば・・・楽ということもあるのでしょうか?その裏付けとしては、世界の運転に手や口を出す自分がないから、そう、ということかな?と空想してしまいますが・・・ここは本人に聞かなくては、です。と、いうのも、
たとえば絶対の不自由、という説明にも、自分はない、という説明にも、たぶん破綻が見つかるとは思います。思考は予め破綻して現れ、その破綻に切り込めるように思います。
というのも自分は、そのようにして自分の有り様を成立させてる・・・隠れてなければ前提になりえない前提を明るみに出す・・・そのようにして気がつなかったことに気がついてきた、のだと思います。
たとえば、自分は《ない》としても・・・それは実感ですけど・・・その《ない》ということは、数学の公理のように不問に付されて、それで機能してる。でも、ない、ということは、どいうことなのか?こいうことを探ってきました。
また、楽が楽である必要がないのに、楽。苦が苦である必要がないのに、苦。これ、は、これ、でなくていいのに、これ、です。たとえば眼や耳は、眼や耳でなくていいのに、眼や耳。見えるは、見えるでなくていいのに、見える。赤は、
たしかに赤でなくていいのに、赤、です。この・・・喜びは、悲しみは、怒りは、思考は、世界は・・・これ、でなくていいのに、これ。
これは世界が、空気中を漂う、埃のように軽いのです。そして神秘です。という、こんなことも、あんなことも、総て忘れてしまいますが・・・失われることは何もなく、です。
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No.5795 - 2017/04/22(Sat) 19:33:21 |
| ☆ Re: 自由意思 / brahma | | |
無意識のレヴェルまで上昇すると風のようにすべてが軽くなりますね。
物質界 土 情緒界 水 精神界 火 個人的無意識 風
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No.5796 - 2017/04/22(Sat) 20:04:21 |
| ☆ Re: 自由意思 / 勘太郎 | | | > >ですから、絶対の不自由なんです。 > >ですが、それは苦ではありません。 > >とんでもない、開放感があります。 > > なぜ、絶対の不自由が、とんでもない開放感なのか?説明がほしい感じです。ゆらぎさんの話を聞いただけでは・・・自由意想がないということは、たとえば自動運転の車のシートに座ってるように、世界に運転を任せて、 > > 因果に従ってれば・・・楽ということもあるのでしょうか?その裏付けとしては、世界の運転に手や口を出す自分がないから、そう、ということかな?と空想してしまいますが・・・ここは本人に聞かなくては、です。と、いうのも、
横入りです。 おいらの場合。 今、何をこき込もうか?と考えている自分にも、それを観察しているno2の自分にも、何も手出しも、思考への手助けもできない感覚。達磨さん状態の事を絶対不自由と感じます。 ゆらぎさんとは違うのでしょうが。 > > たとえば絶対の不自由、という説明にも、自分はない、という説明にも、たぶん破綻が見つかるとは思います。思考は予め破綻して現れ、その破綻に切り込めるように思います。
> というのも自分は、そのようにして自分の有り様を成立させてる・・・隠れてなければ前提になりえない前提を明るみに出す・・・そのようにして気がつなかったことに気がついてきた、のだと思います。 > > たとえば、自分は《ない》としても・・・それは実感ですけど・・・その《ない》ということは、数学の公理のように不問に付されて、それで機能してる。でも、ない、ということは、どいうことなのか?こいうことを探ってきました。 > > また、楽が楽である必要がないのに、楽。苦が苦である必要がないのに、苦。これ、は、これ、でなくていいのに、これ、です。たとえば眼や耳は、眼や耳でなくていいのに、眼や耳。見えるは、見えるでなくていいのに、見える。赤は、 > > たしかに赤でなくていいのに、赤、です。この・・・喜びは、悲しみは、怒りは、思考は、世界は・・・これ、でなくていいのに、これ。 > > これは世界が、空気中を漂う、埃のように軽いのです。そして神秘です。という、こんなことも、あんなことも、総て忘れてしまいますが・・・失われることは何もなく、です。
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No.5797 - 2017/04/22(Sat) 21:54:12 |
| ☆ Re: 自由意思 / ゆらぎ | | | > >ですから、絶対の不自由なんです。 > >ですが、それは苦ではありません。 > >とんでもない、開放感があります。 > > なぜ、絶対の不自由が、とんでもない開放感なのか?説明がほしい感じです。ゆらぎさんの話を聞いただけでは・・・自由意想がないということは、たとえば自動運転の車のシートに座ってるように、世界に運転を任せて、 > > 因果に従ってれば・・・楽ということもあるのでしょうか?その裏付けとしては、世界の運転に手や口を出す自分がないから、そう、ということかな?と空想してしまいますが・・・ここは本人に聞かなくては、です。と、いうのも、 > > たとえば絶対の不自由、という説明にも、自分はない、という説明にも、たぶん破綻が見つかるとは思います。思考は予め破綻して現れ、その破綻に切り込めるように思います。
自分で自由に考えて意思決定しているように思えても、浮かんでくるものしか考えられないし、浮かんでくるものもコントロールできないので、絶対の不自由状態にあるわけです。
だったら今のままで精一杯生きればいいだけであり、そこには成功も失敗もなければ、良いも悪いもありません。 それが結局は自由に生きるという感覚をもたらし、とんでもない開放感を与えてくれます。
> というのも自分は、そのようにして自分の有り様を成立させてる・・・隠れてなければ前提になりえない前提を明るみに出す・・・そのようにして気がつなかったことに気がついてきた、のだと思います。 > > たとえば、自分は《ない》としても・・・それは実感ですけど・・・その《ない》ということは、数学の公理のように不問に付されて、それで機能してる。でも、ない、ということは、どいうことなのか?こいうことを探ってきました。
私の場合は、自分を含め、すべては無自性であり、自由意思もないということが腑に落ちた、つまり自分がないということに疑問がなくなったということです。
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No.5800 - 2017/04/23(Sun) 06:12:27 |
| ☆ Re: 自由意思 / ubik0101 | | | >横入りです。 >おいらの場合。 >今、何をこき込もうか?と考えている自分にも、それを観察しているno2の自分にも、何も手出しも、思考への手助けもできない感覚。達磨さん状態の事を絶対不自由と感じます。 >ゆらぎさんとは違うのでしょうが。
それは・・・純粋な観察者なので、手出しも手助けも、しないということでしょうか?
あるいは、なにか見える・・・ということは、見てる観察者がいなければ見えることに整合性がないと思われ、仮定されてる観察者、なのでその観察者は手助けできないのでしょうか?
あるいは、手助けしない、手助けできない、この両極が一緒なのでしょうか?勘太郎さん自身の探査が、明らかにする、と思えます。
世間話として・・・思い出したことがあります。子供の頃、暗い小屋に行ったら、とぐろを巻いて床に蛇がいました。それを、じっと見たら、藁で編んだ縄でした。ほんとーに、縄が蛇に見えるんだ。
と思ったものです。でも、違います。まず、蛇が見えたのです。それが結果的には幻想だった、縄だった。ということです。まず始めに見えたのは蛇でした。
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No.5802 - 2017/04/23(Sun) 21:36:39 |
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