彼の言い方は下記とは違うのですけれども、
手鏡に自分を映すと、私が手鏡の向うに居ます。鏡を動かせば、あらゆるところに私が居いることができます。
空間は,なにおも,存在させることができる不思議な入れ物です。空間においらが仮想の鏡を置くとき、おいらは世界に遍満していると夢想できます。
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No.5740 - 2017/04/03(Mon) 22:00:22
| ☆ Re: ダグラス・ハーディングの鏡の思考実験 / ubik0101 | | | どうも小さい鏡だと具合が悪い・・・無限の大きさの鏡・・・球形の鏡・・・ぐにゃぐにゃの鏡・・・そして鏡と自分と距離がない、つまり自分が鏡の場合・・・とか、やってみました。
そこで・・・コウモリが超音波を発信してその反射で対象を見るように。ふつう人はなにか眼から何か見えない光のようなものを発信してその反射を見てる、
そのように自分の眼の力で世界を見てる気がしてる・・・それは世界の中心に自分がいることになる・・・自分を中心に言動する・・・ふつうそれだけだと自我の特性・・・と、思ったことを思い出しました。
その逆の見方をして・・・両極を補完する・・・そいう中心を打ち消す、そんな実験かもしれません。自分の何かが反射して世界が見える。すると・・・カーテンは柔らかい鏡、ノンノン、チュリルは飛ぶ鏡です。
そして空間はそれを反射できないから、空間は見えない(ここはまた他にありそうですけど)。もの、ことだけが見えます。もしかしてこの感覚は、見るという受動の知覚を、再認識することで、能動、と感じてるのかもしれません。
これは、自分で自分を認識できる気がする・・・思考を、もの、ことを見てる自分がいるのが嬉しいとかの、自我の機能も説明のひとつになるかもしれません。
たとえば悟りあり・・・悟りがないなら迷いもない・・・自我も無我もあれば、ことさらそれは、ない・・・いろんな経緯があれば、それも失い・・・どこかに固着せず、ということかもしれません。
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No.5742 - 2017/04/04(Tue) 10:07:24 |
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