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(No Subject) / brahma
芹沢さんは、ふたつのつきというハンドルネームを使っていたが、湖に移ったきれいな月と、本物の月、
心に映ずる真我と、真我をあらわしていると思う。

動揺していない静まった心は、真我を反映する。

新月は、暗黒、無、無限の闇、死、非存在、存在の裏側

存在の裏側って無だったんだね。

女の究極の姿は無である。

最後にして最愛の女は死である。

死と乙女!

欲望が消えた貴方は無。

No.5748 - 2017/04/05(Wed) 21:39:42
(No Subject) / hato

> 現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。
>神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。
>この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう。



これが一体あなた自身に、なんの関係があるのですか?

あなたはここでいつまでも、一体なにをしているのですか。

昇華できないエネルギーを持て余して、なにか言ってるのか。

誰でもない誰かはあなたより、遥かに、自覚しているかも知れません。

世界のことは、世界に任せておきなさい。

あなたが考えてるような世間相に、あなたが好んで、いつまでも、しがみついてるのです。

読書などに頼らず、迷妄に嵌らず、先ずは普通に、人生を生きてみなさい。


探求。それはときに、怪しいこともあるでしょう。そんなときがあるかも知れない。けれどそんな風呂敷を、いつまでも広げていても。


誰かにそう、助言されませんでしたか?

或は、気が付かなかったのでしょうか?


そうでは、ありませんか。

No.5741 - 2017/04/03(Mon) 23:53:28

Re: / brahma
覚者の言葉に、反感を覚えるのは、あなたが現代文明にそまった、本当の恋愛を知らない女性だからかもしれません。

普通というより、命がけの生き方。慈悲の道。

No.5745 - 2017/04/05(Wed) 14:22:01

Re: / hato

普通、とは、普遍が通る、ということです。

そうですね。

自分はここで必要なことを、一所懸命に、書いた。

ということで、いいと思います。

No.5747 - 2017/04/05(Wed) 18:15:06
(No Subject) / brahma
人を裁かず、自分を裁く。

自然、大宇宙の法にのっとたいき方をする

生きることは命がけであり、限りない絶望と悲哀、無限の慈愛が、そこにはある。

No.5746 - 2017/04/05(Wed) 14:42:30
鏡の思考実験が自我の思考である / 勘太郎
 がよく解りました。

コウモリが音を出してその反射をりようする様に、自分から光を発している様に感じる。 これも再確認しました。子供のころ何光年も離れた星をなぜ見たらすぐにみえるのかなあ?と感じました。

 ダグラス・ハーディングは「そして鏡と自分と距離がない、つまり自分が鏡の場合」を強調します。何も映らない(見えない)という事実は、自分がないからだと書いています。
 「あなたが自分だと感じているモノは、あなたから数十センチ離れた鏡の向う側に出現します。つまり、あなたの中心には何もなくて、少し離れたあなたの周囲にあなたは現れます」

「流れる川の水は、自由運動」でしょう。応所無住に生其心とはこのこと。自我があっても良しというところが面白いです。おいらはまずは自分の自我を支配下に置きたいと願っています。

No.5743 - 2017/04/04(Tue) 20:26:22

Re: 鏡の思考実験が自我の思考である / ubik0101
たしかに鏡との距離がないと自分は映らない・・・映るってことは距離があるってこと。ほかの人が認めることで自分を確認したい・・・承認要求・・・そいうことも鏡の反射で自分を確認したいということなんだろうと思いました。1人あることに、そいう問題そのものが起こりません。

おおむね人は自我から探求を始めるので、その自我はない、というのが一般的な経緯とは思います。そこで自我も無我も、真我にとっては、どうでもいい・・・そこで真我も忘れて、どこにも固着せず、自分は自分で見えないがOKとなりやすいように思います。

ところで、自我を支配下に置くってことはしたことがありませんし・・・具体的にどうするかわかりませんが自我と仲良くするって手もあるのかな、と勝手に思いますが・・・自我を支配するのは真我かもしれませんし、それを試してみるのも、そいう自分を実況中継、もいいかもしれません。

No.5744 - 2017/04/05(Wed) 08:58:30
ダグラス・ハーディングの鏡の思考実験 / 勘太郎
彼の言い方は下記とは違うのですけれども、 

 手鏡に自分を映すと、私が手鏡の向うに居ます。鏡を動かせば、あらゆるところに私が居いることができます。

 空間は,なにおも,存在させることができる不思議な入れ物です。空間においらが仮想の鏡を置くとき、おいらは世界に遍満していると夢想できます。

No.5740 - 2017/04/03(Mon) 22:00:22

Re: ダグラス・ハーディングの鏡の思考実験 / ubik0101
どうも小さい鏡だと具合が悪い・・・無限の大きさの鏡・・・球形の鏡・・・ぐにゃぐにゃの鏡・・・そして鏡と自分と距離がない、つまり自分が鏡の場合・・・とか、やってみました。

そこで・・・コウモリが超音波を発信してその反射で対象を見るように。ふつう人はなにか眼から何か見えない光のようなものを発信してその反射を見てる、

そのように自分の眼の力で世界を見てる気がしてる・・・それは世界の中心に自分がいることになる・・・自分を中心に言動する・・・ふつうそれだけだと自我の特性・・・と、思ったことを思い出しました。

その逆の見方をして・・・両極を補完する・・・そいう中心を打ち消す、そんな実験かもしれません。自分の何かが反射して世界が見える。すると・・・カーテンは柔らかい鏡、ノンノン、チュリルは飛ぶ鏡です。

そして空間はそれを反射できないから、空間は見えない(ここはまた他にありそうですけど)。もの、ことだけが見えます。もしかしてこの感覚は、見るという受動の知覚を、再認識することで、能動、と感じてるのかもしれません。

これは、自分で自分を認識できる気がする・・・思考を、もの、ことを見てる自分がいるのが嬉しいとかの、自我の機能も説明のひとつになるかもしれません。

たとえば悟りあり・・・悟りがないなら迷いもない・・・自我も無我もあれば、ことさらそれは、ない・・・いろんな経緯があれば、それも失い・・・どこかに固着せず、ということかもしれません。

No.5742 - 2017/04/04(Tue) 10:07:24
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