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(No Subject) / brahma
いつも内側の思考の催眠にか買っている状態でも、ふと美しいものを見たりすると外がわに意識が目覚める。

直感意識 主客未分

No.5691 - 2017/03/20(Mon) 09:29:30
(No Subject) / brahma
神と悪魔のファッキング

天国と地獄の結婚

霊と物質の間


真ん中

リアリティにより破壊された象徴的秩序

No.5684 - 2017/03/18(Sat) 22:07:31

Re: / brahma
ヒラニヤカシプは苦行をブラフマーに認められ、1つの願いを叶えてもらった。その際に願ったのは「神とアスラにも、人と獣にも、昼と夜にも、家の中と外にも、地上でも空中でも、そしてどんな武器にも殺されない体」という念の入ったものだった。ヴィシュヌは実質不死身の体を得たヒラニヤカシプを倒すため、彼の息子でヴィシュヌ信者のプラフラーダに、夕方の時刻に玄関までヒラニヤカシプを誘導してもらい、ヒラニヤカシプが調子に乗って割った柱の中からライオンの頭をした人間の姿、すなわちナラシンハとして飛び出し、地上でも空中でもない彼の膝の上で、ヒラニヤカシプの体を素手で引き裂いて殺した。
No.5687 - 2017/03/19(Sun) 13:01:11

Re: / brahma
霊と物質のどちらとも同一化しないかみそりのように中間を歩む道
No.5688 - 2017/03/19(Sun) 13:02:00

Re: / brahma
クリシュナムルティの詩
真実は邪悪でも善でもありません
真実は愛でも憎しみでもありません
真実は純粋なものでも不純なものでもありません、
真実は神聖でも神聖でないのでもありません
真実は単純でも複雑でもありません
真実は天国のものでも地獄のものでもありません
真実は道徳的でも不道徳でもありません
真実は神のものでも悪魔のものでもありません
真実は美徳でも悪徳でもありません
真実は誕生でも死でもありません
真実は宗教のなかにあるのでも宗教なしにあるのでもありません
真実は流水と同様です。 それはさまよいます
それはひとつの休息所も持ちません
というのは真実は生だからです。
私は谷に降りてくる山を見ました。

No.5690 - 2017/03/19(Sun) 23:06:51
(No Subject) / brahma
この掲示版の過去ログを見てましたが、意識レヴェルが高く進化した人が多いですね。
No.5689 - 2017/03/19(Sun) 21:36:01
混乱は起きません。 / 勘太郎
 「思考では想像もできないものだ」と一致して皆さんが言います。思考でしか表現できませんから、混乱は起こりません。

 雪担御老師が接心で言っています。
「なんか言ってきてくれると、そこから話を進めるから。まあ言ってきたことにはそれは違うよと言うんだけどね」


 brahma様
神とサタンって、神の右手と左手の呼び名という説もあったような気がします。絶対の悪でなく、人に進歩をもたらす欲望のようなものでしょうか?
 天国と地獄の結婚これですかね?
リアリティーにより破壊された象徴的秩序をおいらが訳すと、「神様がいるなら、見せてください」ですかね?あるいはリアルが神。これでは国語の回答としては0点ですか?

 この絵おもしろいです。どんな方が書いたのか?どんな気持ちで描いたのか?普通の思考からはこの構図は思いつかないでしょうから、おもしろいとしか言いようがありません。
 音はどんな奇抜でも、たまたまできることもあるでしょう(武満徹はこれである様に思えちゃいます)けれども・・・・・。

No.5685 - 2017/03/19(Sun) 07:44:46
私は地球です。宇宙ですの理由 / 勘太郎
 ダグラス・ハーディングを読んで理解したこと

自分の体を自分だと思うことは、
網膜、あるいは脳と眼だけで、モノを見ることができると思う事です。 
眼は脳と組んで見ることを可能にして、脳は酸素と糖で動くので、心臓と肺と消化器を必要とします。

私の体の活動は地球なしには、不可能で、地球活動は太陽なしには在りせず、宇宙なしには私は成り立ちません。
故に私は宇宙です。身体と地球は切り離せません。
身体がこのシステムで成り立っていますので、心も太陽活動と離れて私の心が在るはずがありません。

水を離れた魚が1分も生きていない様に、宇宙システムを離れて私は生きていることが出来ません。私は宇宙です。

No.5682 - 2017/03/18(Sat) 20:21:44

Re: 私は地球です。宇宙ですの理由 / ubik0101&hato
そうなのですけど。

ここで混乱をもたらすのは、ためらわれますが、・・・総てはひとつ、あなたは私。世界は私・・・というのは、ここで言う、悟りでないです。宇宙からの、世界からの解脱、を悟りと呼んでいます。

ここを、青は藍より出て藍より青しとか・・・泥の沼に咲く、あるいは白い、あるいは黄色い、あるいは赤い蓮の花・・・ひとつの24色の絵の具の箱にない美を描く・・・とか言います。

そうであって、ひとつも、ふたつも、みっつもなく・・・迷悟なく・・・いまここなく・・・因果なく・・・基底なく・・・歩いたり、笑ったりに・・・安住します。それまでは、悟り体験で、どうも、どしても、世界と真我の分裂が起きやすいです。

たとえば現象界と実在界とか掴むと、かなり困難なことになります。ここで経(たていと)・・・神との関係を・・・緯(よこいと)・・・世界の有り様・・・で説明することがあるので、混乱が生じることがあるかも知れません。

ubik0101

それは、宇宙やこの世界をないがしろにする、ということではなく、ただまったき宇宙である自分、まったきこれ、そのものであるとき、既にその宇宙、というわけではない・・・です。

hato

No.5683 - 2017/03/18(Sat) 21:29:30
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