免疫の仕組みも同じでしょうし、食べてるときは幸せです。
おいらの思考のつまみ食いが、鳥と人をわけているのでしょう。何かに意識を向けると、それを思考の顕微鏡で拡大する。次にそれをおいらの思考に合わせようと、こねくり回す。
無意識の相では、ヒヨドリといっしょなんではないでしょうか。
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No.5660 - 2017/03/10(Fri) 21:13:09
| ☆ Re: ヒヨドリと私と生きる手段はほぼ同じ / ubik0101 | | | たとえば酸素や炭素や微量元素もですが・・・甘い辛いなどの感覚とか、嬉しい悲しいなどの感情とか、あるとして意識とか、あれこれ思考とかは、ひとつの箱の単なる24色の絵の具、素材です。水でも、砂でも、字や絵は描けます。
それに、無意識なんてありません。ユングとか、心理学とかも読んだことがありませんが、集団無意識とか・・・その都度、その都度、たとえば過去に遡って、自分で勝手に捏造してるだけと睨んでいます。
話は変わりますが・・・たとえば苦しさになりきればそれは去って行くとか言われることがあります。そんな程度のことではなく、自分の状態を自分で見る。それだけで、自分の状態、そのことが消えます。消化されます。
試してみましょう。なにか考えたり、感慨をもったりしたら、微細なところまで正確に、徹底的に書き尽くすのです。自分の状態をPCに向かって実況生中継するのです。なにも隠してはいけません。
そのように書いたことは、忘れられます。つまり何かを繰り返し思ったり、同じ状態にあるということは、それを失いたくないからかもしれません。それを書いてしまえば、望むなら、
いつでも読み返せるし、思い出す必要もなくなります。つまり、忘れてしまいます。実際には、読み返す必要もなく、探求が、探求を呼ぶ、消化されたことは血となり肉となる・・・精神の冒険の始まりです。その面白さが圧倒的な優位になります。
それに正確に厳密に書くことで、人の状態は曖昧な思い込み、勘違いの上に成立してることに気がつき、あれこれと状況に反応して思考が飛び火してる、あるいは燻ってるだけの状態ではなくなります。その人が素直に、静かに、真摯になります。
言葉・・・思考・・・が問題だというトレンドもありますが、しかし実に、自分の状態を隠すことなく洗いざらいにするなら、思考は・・・ドライブで言うなら・・・タイヤであり、エンジンであり、変速機であり、ハンドルであり、ブレーキであり、
アクセルであり、ワイパーであり、ウインカーであり、運転技術であり・・・探求者の大事です。こんなことも、こう、考えるのではなく、こう、実際にすることです。なにも持たず、誰かの言うそれらしいことも関係なく、ただ1人あっての探求・・・無人島にいても大都会にいても・・・これだけで可能です。
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No.5661 - 2017/03/11(Sat) 08:14:39 |
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