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ここはゆっくり進みたいです / 勘太郎
 おっしゃる意味を、少しは解かったと思います。方向を理解したといった方が正確かもしれません。

今の感想は、欲望にも限度があるのだろうと思います。
より強い欲望が生まれると、2番目の影が薄くなります。これを演歌の歌詞で「あなたと酒があればよい♬〜」となるのでしょう。

 覚醒への集中が強ければ、その他の願望は消え去る、そんな想像をしています。
それらしいものに意識を集中させる時間は、雑多な欲望が純化されるような気がしました。

No.5653 - 2017/03/08(Wed) 20:53:32

Re: ここはゆっくり進みたいです / ubik0101
たしかに。この自分の状態を、自分で認識するだけで、それが・・・たとえば、ご飯を食べると、ご飯は見えなくなる・・・自分の状態を認識すると・・・その自分の状態は消える

・・・でもそれは血となり肉となり見えなくなった・・・なくなることを恐れず、手放し手放し、ということも手放し、その何もないところ、なんでもない素の日常・・・また、たとえば歩いてたとして10kmこの公園まで、そして100kmこの駅まで、

・・・1000kmこの熱帯雨林まで・・・どこまでもどこまでも、いくら歩いても、いつも前に向かってれば、そこが常に何もない自分が0地点・・・まったく私の後ろに道はない・・・でも大丈夫。その覚えのない無限の過去から一人歩いて来た。

その自分の状態に、また自然に道は現われます・・・探求が探求を導いてくれます。ほかのことは不要なので、ゆっくり、静かに、です。こう考えることではなく、こうあることです。ある人が、地面を耕し、種を蒔きます。

たしかに雨が降り、風が吹き、太陽が照らし・・・でもそれがどのようにして成長し、花が咲き、実を成らせるのか誰も知らない。しかし実が熟すと、一気に収穫する。うろ覚えイエス・キリストの言葉、この通りです。

No.5654 - 2017/03/09(Thu) 07:37:18

Re: ここはゆっくり進みたいです / ubik0101&hato
今日のノンノンとチュリルです。
チュリルがあきらめず頑張って、だいぶ近くで一緒にいることができるようになりました。

No.5655 - 2017/03/09(Thu) 12:04:14

Re: ここはゆっくり進みたいです / ubik0101&hato

ノンノン、プルルル・・・と身体を震わせて・・・。おきゃんきゃんな女子です。

No.5656 - 2017/03/09(Thu) 12:06:07

Re: ここはゆっくり進みたいです / ubik0101&hato

今日もいい日です。

No.5657 - 2017/03/09(Thu) 12:08:58
キーワード / 勘太郎
本来の面目は、そのように逡巡されて構築されるものではない、と思います。

その閉じこもってるところから、すこし広いところに出で、閉じこもりが消えた。

・空間・・・それを見る。どう見えるか。実際にやってみるのもいいと思います。

No.5650 - 2017/03/07(Tue) 20:45:14

Re: キーワード / 勘太郎
> 本来の面目は、そのように逡巡されて構築されるものではない、と思います。
>
> その閉じこもってるところから、すこし広いところに出で、閉じこもりが消えた。
>
> ・空間・・・それを見る。どう見えるか。実際にやってみるのもいいと思います。


途中で送信してしまったので続きです。

 おいらの目の向うと目の手前側に分かれてます。向う側は対象でこちら側は見る者です。見る者の奥に鑑賞者がいます。見る者と鑑賞者はほぼ重なっていますが、全くの別物です。

 この鑑賞者を表に引っ張り出そうと思います。今までは、観察しているおいらを鑑賞者に溶け込ませようとしているのです。
 本来の面目は、この「どうこうしよう」が無いところに出現するのでしょう。

 ダグラス・ハーディングという人は焦点を何処に当てるかで、見えるものが違ってくるといっています。
顕微鏡で見れば花粉が、虫メガネで見れば桜の花びらが、人が見れば満開の桜に、月から見れば地球が見えると。
 たぶん、おいらの高性能フルター色眼鏡は、自分を見る焦点に合うように調整してあるのでしょう。

No.5651 - 2017/03/07(Tue) 21:13:12

Re: キーワード / ubik0101&hato
ここを説明すると暗示になるかもなので、実際に、空気を、空間を見てみてください。

ubik0101

見るもの、見られるもの、鑑賞者・・・それは、自ら設定したときに体験されるもの、です。
ただ、空を見る・・・見てる・・・それは・・・

hato

No.5652 - 2017/03/08(Wed) 00:47:24
一つは、誤解を招くのかな、とかんじます。 / 勘太郎
ひとつがあったなら、それは複数を含んでしまいます。

右の無い左は、存在しません。
おいらは、多分存在しない何かを理解したがっているのかもしれません。

No.5649 - 2017/03/07(Tue) 13:40:07
(No Subject) / brahma
たった一つの愛しかないのがわかるかね。

ただひとつ美しかないのがわかるかい?

たった一つの愛や美が多様にみえるんだよ。

No.5648 - 2017/03/07(Tue) 08:17:59
空の色は何色から。おいらの思いとおいらが一体である / 勘太郎
では、私達は
一体の状態になったり、一体の状態から外れたりしているのかと言ったら、そうではありません。

私達は常にあらゆるものと一体の状態から外れたことはありません。

「ああ、私はまだ一体の状態を知らない」
と思えているということは
その思いと一体の状態にある
ということです。

私達はただ
「ああ、私は今、一体の状態にある!」
という思いと一体になったり
「ああ、私はまだ一体の状態を知らない」
という思いと一体になったりしているだけなのです。
どちらの思いとも一体になっていることに変わりはありません。

あらゆる思いと一体になりながら、そのことが分からないのは
一体になっていることが分からないくらい、そのものと一体になっている、ということです。


一体かどうかではなくて、一体かどうかの「思い」と一緒になっている。
 理屈で考えたら、私の血液の鉄は超新星爆発でできたものが、私の血液の鉄で酸素を運んでいる。私と宇宙がどこで分かれるか?解るはずがないのに、おいらは宇宙とは別のものだと感じてしまう。

思いが浮かんでしまったら、無智に落ち込んでしまいます。思いに落ち込まない様に、思考を停止して今に留まると・・・・。やっぱり今に留まっても、おいらと猫は分離して感じてしまいます。ごみ箱に愛を感じて抱きしめたいとは感じることができません。
 見るものと見られる対象とおいらの胸の奥からただ、黙って見ている3者に分かれています。

追伸
 死を直前にした方が、とうに死んだ母親と話をして、安心して死んでいった。という新聞記事を読みました。これは典型的な魔境です。
 おいらも接心の時に、美濃笠を被った母親がおいらの後ろにただ黙って立っていました。顔は見えないし、白装束で誰だか判るはずもないのですが、母親であるとわかりました。記事の方とおいらがなんで同じような魔境をかんじるのかなあ??不思議です。

No.5643 - 2017/03/06(Mon) 21:34:36

Re: 空の色は何色から。おいらの思いとおいらが一体である / hato

一体・・・。考えてみましたが、言霊を唱えて一体となる、とか、ムー、と一体になるとか、意図的にそうしょう、と思わなければ、自分には、思いと一体、ということ自体に、拘る気にならないようです。

そのようにして、見る者、見られる者、第三者・・・それは、自ら設定したときにそのように作られるもの、ではないでしょうか。

なぜなら、そこには時間があり、空間であり、本来の面目は、そのように逡巡されて構築されるものではない、と思います。

No.5644 - 2017/03/07(Tue) 00:01:09

Re: 空の色は何色から。おいらの思いとおいらが一体である / ubik0101
なぜ一体でなくてはならないのでしょう?一体でありたいのでしょうか?たしか、クレオパトラの呼吸した空気の分子を、現代の人も、何分子かは吸ってる、という記事を雑誌で読んだことがあります。

たしかに水とか、炭素とか、カルシウムとか、微量元素とか、生き物は、ほかの生き物と取り替え可能でしょう。それは、単に材料が同じ、というだけかもしれません。いつか話したような気がしますが、

ひとつの24色の絵の具の箱、世界を材料に、絵の具の箱にない美を醸し出してる、それぞれの絵。勘太郎さんが、勘太郎さんであって、そうであって一体も、一体ではない、もないです。

そいう分離がない一体とかが、それだけが真理とか、目標ではなくて・・・世界は対象でない・・・ということは、その人が、その人。ということを示してるのです。

ここには、一体も、分離も、まったく問題にならないです。それをまあ、世界と分離してる、なにか自分があるような気がしてた。それは実に、私が私ではないという表現だけのことであった。

そんな分離に対応して、一体とか言ってるだけではないでしょうか。ubik0101、勘太郎さん、住職さん・・・同じとか、違うということさえない。そのまま、この日常。

あそこに猫が見えます。ということは、見るものと見られるものは違います。違わなければ見えないです。あるいは距離がなければ見えないです。それは当然で、そのことは、その人がその人、ということには何の関係も影響もないです。

この自分が自分であることなんですから、理由がないのですから・・・理由があって自分であるなら、理由が変わると変わるという奇妙なことになるかもしれません。

・・・空気って、見えますか?空間そのことが見えるでしょうか?たとえば部屋の壁に囲まれた空間、それ自体が見えますか?それは勘太郎さんと、分離してますか?空間に、一体、分離・・・ありますか?

No.5646 - 2017/03/07(Tue) 00:04:19

とくに言う必要がないことだけれど、 / ubik0101
たとえば、怒ることもあるでしょう。それを押さえようとすることもあるでしょう。そこで自分は世界と、自分と分離して感じられることもあるでしょう。笑うこともあるでしょう。車を運転することもあるでしょう。

それで、どうして、自分が自分であることから外れ得ます?一体でありたい、ということは・・・つまり、分離してる・・・それも自分がそうして・・・自作自演の自縛・・・なのではないでしょうか。

一体でありたいから自分で一体ではなくして一体でありたい。そうでないなら、一体も、一体でないもないです。もし、一体、を感じれば、その閉じこもってるところから、すこし広いところに出で、閉じこもりが消えた。

でも、どうであれ、自分は自分。私は、ある、でも、私は、ない、でも、そんなことに左右されない、いや、自在に条件に左右される空気のように、水のように、自在に左右され、あるときは夫であり、あるときは父であり、

あるときは怒ったり、あるときは笑ったり、あるときは、おいらと思考と一体である・・・自分が自分だから、ではないでしょうか。自覚でき得ない自分、大袈裟な説明では、この無限の絶対の自分、ほかの何がそう、でき得るでしょう。

ところで、猫とか、ゴミ箱とか、見るものとか、見られるものとか、胸の奥の自分とか、物や思考や状態を対象にするのではなく・・・空間・・・それを見る。どう見えるか。実際にやってみるのもいいと思います。

No.5647 - 2017/03/07(Tue) 08:02:17
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