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世界の裏打ち  / 勘太郎
 スピーカーから流れる歌声は、スピーカーから出て、おいらを通って、スピーカーに戻る。

よく鏡に例えられます。風になびく草の映像を見つめると、おいらはその映像をその映像に返します。

見た映像・聞いた音はおいらに、なにかの作用をするのかな?おいらを通りぬけて元に戻ったほとんどの物は何も残しません。少しの記憶が残ります。

おいらはガラス窓です。光ファイバーの束です。
ガラス窓が曇っているので、画像が通る時にハローを映してしまうのです。

そんな風にかんじました。


 追伸
 すみません、教えてください。最初にハトさんに教わったのですが、忘れてしまいました。

 どうすれば、書き込まれたお手紙に、続きの言葉を書き込めるのでしょうか?

                   敬具

No.5534 - 2017/02/17(Fri) 23:05:29

Re: 世界の裏打ち  / hato
勘太郎さん、こんばんは。続けて書き込む方法をお知らせいたしますね。

この、枠で区切られた1マスを、スレッド、というようです。そして、返信したいスレッドの右上の、返信、というボタンを押しますと、場面が切り替わり、返信したい元のスレッドが出てきて、その下方に、書き込めるスペースがあります。そちらに書き込みますと、続けていけますので試してみてください。ご不明な場合はまた、遠慮なくお尋ねください。

今日のこちらは、生暖かいお天気で、すこし雨が降りました。梅が満開で、鳥達が賑やかです。

No.5536 - 2017/02/18(Sat) 00:09:53
公案に参じております / 勘太郎
〉寝太郎ブログ、見つけました。その《つまり、一人称で書くぞ、自分のことを書くぞ、文句あるか、と宣言しているわけである。》その、自分です。その自分の裏打ちです。それを見るのです。〈

裏打ちを見る、とはなんだ。

 私とは。
書くぞ!文句あるか、という宣言を聞いている者の様におもってしまうのです。
どうもこれでは、ずれてしまうらしい。

No.5531 - 2017/02/17(Fri) 08:51:56

Re: 公案に参じております / brahma
自我の一人称と、真我や絶対意識の一人称は、月とすっぽんである。
No.5532 - 2017/02/17(Fri) 14:22:40

Re: 公案に参じております / ubik0101
その、宣言を聞いてる私、でもいいです。その、宣言を聞いてる私、というのをイメージしてる、空想してる、対象にしてる、その私、でも同じです。

その私は、たとえばスクリーンです。スクリーンには、スクリーンは、映りません。そのスクリーンは無色でなければ、スクリーン、ではないです。と、考えてるその私は、対象になりません。

あるとして、その思考が見えてるだけです。その思考の主体はその思考です。それを見てる自分は自分に映りません・・・実はスクリーンはない・・・知的理解ではなく、ただそれだけのことです。

その対象にならない私。それは、ない、でも、ある、でも。あるでもないでもない、どー言っても誤り、と言っても、富士山の稜線、草の波、と言ってもいいですけど。たとえばこの映像、



その見えない風・・・が草の波である・・・その動画を見てるとしてもその見てる自分は見えない・・・とか。その自分を探してるそのことがその自分・・・とか。音を聞くのが沈黙・・・とか。

また、甘い辛いを見る舌は無味・・・とか。人には意識がない・・・とか。自我無我真我、迷悟その区別を失った・・・とか。これを読んでるその、それ。それは世界の裏打ちです。

ない、から知覚できないのか、知覚できないことを。ない。と言ってるのか?とか。いろいろ疑問はあるでしょうけど。まずは、ふつうの見える聞こえる思考する、それは何がしてる?ということです。

その探るツールは、日常の感情、思考、行動、それがそうなのです。それを、いわゆる奥に向かって、内に向かって、探るだけです。

No.5533 - 2017/02/17(Fri) 18:50:12
(No Subject) / brahma
ローカサルガ
&feature=youtu.be

最近、書いた曲

No.5530 - 2017/02/16(Thu) 17:41:49
ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / 勘太郎
なにかを見てるのが、私。ではなくて、私が対象を見てる、でしょうか・・・私が見てる。私が見てる、私が見てる・・・それなら、その見てる私を自覚できるか試してみるのも一興でしょう。
No.5481 - 2017/02/12(Sun) 17:50:33

 標題の文は「寝太郎さんと云う方」の出だしの部分から借りてきました。
ソローが言っているのが、自覚している私なのではないか?触わることも、意見を相談することも、明日何を食べたいか?第一にお腹が空いているのにも関係しない、おいらが誰を好きかも全く関係しないのが、見てる私 の様に思えます。

No.5506 - 2017/02/14(Tue) 21:53:43

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / brahma
真我は観照する。カルマに加わらない。
No.5510 - 2017/02/14(Tue) 22:13:48

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / ubik0101
ソロー、も知りませんが・・・コピーライターやってた時は、無人称で書いていました。ただ見てる自分?知覚そのことが自分?
No.5511 - 2017/02/14(Tue) 22:34:50

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / ubik0101
寝太郎ブログ、見つけました。その《つまり、一人称で書くぞ、自分のことを書くぞ、文句あるか、と宣言しているわけである。》その、自分です。その自分の裏打ちです。それを見るのです。

それが見えないのが、見えなくされてる?見えなくしてる?のが、つまり常に外を見て・・・それに、その内の暗さに気がつかないのが一人称の私です。その逆、なんとかその自分の裏打ちを見るのです。

そこにはなにもないです。マハリシ?が、スクリーン、と言いますが、また誰かは基底と言いますが・・・これは奇妙な感覚と思います。逆です。

たとえるなら神は、第一原因は、投射機、光源です。スクリーンはありません。外を向いてるなら・・・神はスクリーンでしょうが、基底でしょうが・・・探求者は、内を、上を、見るのです。

これが日常です。探求者は、常に神に向かって生きてるのです。その自分の裏打ちは、ない、です。その知覚としての自分は、世界の裏打ちです。

No.5526 - 2017/02/16(Thu) 10:12:22

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / ubik0101&hato
一緒に採ったフキノトウです。
No.5527 - 2017/02/16(Thu) 10:50:17

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / ubik0101&hato
天麩羅にしました。
No.5528 - 2017/02/16(Thu) 10:51:54

Re: ソローが『森の生活』の冒頭部分でこんなことを言っている。 物を書くのは、畢竟、一人称である。 / brahma
 プシャカラ

No.5529 - 2017/02/16(Thu) 17:17:22
(No Subject) / brahma
意識      行法

個人的無意識  マントラ禅
集合無意識   丹田禅
宇宙意識    クンダリニーヨーガ
絶対意識    只管打座

No.5525 - 2017/02/16(Thu) 00:42:55
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