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人は死なない」のを理解できないなあと感じていました。 / 勘太郎
「一体は一体を知らず」から、人は死なないと実感できないことが、普通だと解りました。

 「生まれてもいないし、死ぬこともない」と言われたり、読んだりしてきて、どうしても不死身の自分を理解できないなあと感じていました。生死がないのではなく、生死と云う「言葉・概念」がないと理解しました。死ぬのだか?生まれてきたのか?死と生が解からないのが自分なんだと思います。生死が頭に浮かんだらそれはそれで生死に従うしかない。
元来の自己には生死はない!でしょうか。

 両眼白内障で、瞳どころか眼全体が真っ白なめくらの猫(明るい暗いは判別できる)自分で犬侵入防止柵の穴をくぐり、トイレに行けるし、棚には登れるし、犬が寄ってくればフーっと怒りの声を上げます。彼は年寄だし、拙宅に連れて来られてそれほども経たないのに不思議です。妻は彼をそれこそ猫かわいがります。エサも特別缶詰。

No.5431 - 2017/01/27(Fri) 21:15:17

Re: 人は死なない」のを理解できないなあと感じていました。 / ubik0101
そいえば勘太郎さんは、北関東の出身だそうです。が、ほんとうに?自分は、広島とか、静岡で生まれたとか、そんなことがないです。いま、生まれたのです。なにも知らないです。

たとえば、嫉妬や偽善や神の概念がなければ、その事実もないです。生死の概念がなければ、生死はないかもしれません。でも実際は、いつかは死ぬよね?と思うと、そこで生死が生じました。

この世界に、花子と太郎の子供として生まれました、と思ったら、その世界ができました。勘太郎さんが私の兄弟だ。と思ったら、そうなるな。妹だ、とはならないな、と思うと妹にはならないな。

たとえば、ただ空っぽという意味合いで、自分がないなら、ある、としての生まれではないでしょう。ならば、死にもしない。って、整合性を作ってしまうと。約138億年の輪廻ができるでしょう。そんな人生をするんだな。

ここは、生まれてない。それだけ。死にもしない。それだけ。整合性を求めない。それもありなんだな。生まれて死んで、消えてなくなる。もう戻らない。とすると、そんな人生になるな。などということで、思いは世界だ。を見るんだな。

あるいは、この自分が自分と思わない自分は、行ったり来たりしないんだ。と見ると、この自分は何?木偶の坊、になるな。あるいは・・・♪どこまでも行こう。道は果てしなくても、口笛を吹きながら歩いて行こう。

No.5432 - 2017/01/28(Sat) 10:36:02
おいらの疑問のアドバイスが自然に降ってきます。 / 勘太郎
おいら理解が進みます。



〉以前にも書いたことがあるかもしれませんが

時々

「まだ、私は一体感を感じることができていません」

とおっしゃる方がおられます。




もし、「一体感」を感じることができたら

それは「分離している」ということです。





まず、「一体感」を対象として感じるには

対象となる「一体感」と、対象から除外される「一体感ならざるもの」とが分けられている必要があります。

「対象とされるもの」と「対象とされないもの」とに分けられている時点で、「一体感を感じること」は一体であることを表しません。




また

一体感であれ何であれ「何かを”対象”として感じる」ということは

「感じられる対象」と「対象を感じる者」とが分離している必要があります。

この分離の状態は一体であることを表しません。




つまり

「一体感を感じよう」とすることが、もと一体である今から目を逸らせているのです。

一体とは「一体感を感じよう」とする以前のことです。

「一体感を感じよう」とするだけ余分なことをしていることになります。





ではどうするのか?





どうもしない、のです。

「どうもするまい」と、どうにかしようとするのではなく

本当に

どうもしない、のです。




すると不思議にも

どうもしない中で

見えています。

聞こえています。

感じています。

動いています。





それが

「一体である」

ということです。〈

No.5429 - 2017/01/27(Fri) 08:43:34

Re: おいらの疑問のアドバイスが自然に降ってきます。 / ubik0101
そうですね。こちらも、さっき読みました。

もう飾ってます。

No.5430 - 2017/01/27(Fri) 09:04:36
全ては一つ、今此処は 嘘の匂いがします。 / 勘太郎
 
 おいらが想像して言葉にしてみると「どん詰まりの道に進んで行って周囲を眺めている感じ。長い竹筒から首を少し出して、周囲を眺めているカエルの気分。


〉瞬間に下着まで脱ぎ捨てる事態が起こり、実は服の中は、ない、だった。その、絶対否定。そこが実は・・・私は、私は、ある、の直系・・・あるがあるでありきるゆえに、ない、絶対肯定。です。〈

 このことは、体験をしない限りは、想像もできないことです。目は目を見ることができないので自分は見えないまでは理解の範疇ですが、そこを超えるには、原子爆弾が必要になります。

No.5427 - 2017/01/25(Wed) 21:57:43

Re: 全ては一つ、今此処は 嘘の匂いがします。 / ubik0101&hato

この世界は・・・真偽あり、善悪あり、優劣あり、過去未来あり、迷悟あり、ひとつあり、いまここあり・・・あまりに親切なんです。

けど自我も無我も、真理も虚偽も、迷悟も、分離も、ひとつも、現在過去未来も、着てる服です。脱げるんです。

なんて言うと難しそうですけど・・・ご飯を食べて、歯を磨いて、畑仕事をして・・・真理も虚偽も、ないのです。

それといわゆる真理、世界の有り様、自我の仕組みの読み解きも、一種類だけなら、おおむねそれを補完する影、反対のことが必要で、

いつも、一張羅を着てるように固定されてしまい、かえってその関係に落ち込む恐れはあります。

核爆発を願っています。

ubik0101

今日は、紺色の壁紙貼りをしました。きれいに貼られているか、糊が乾くのが楽しみです。

hato

No.5428 - 2017/01/26(Thu) 20:45:45
山陰の雪大変です。 / 勘太郎
 北関東出身のおいらは、子供の頃に30センチが最高に積もった記憶があります。昔より夏は3度から5度暑くなって、冬は大雪ですかあ〜・・・。イノシシが増えた鹿が増えたのは、温暖化でエサが豊富になったのが原因のひとつだろうと思います。それだけ土地の生産量が増えているのではないかとおもいます。二酸化炭素も1988年の350ppmから2016年の400ppmまで増えています。植物の成長が1割くらい増えているのではないでしょうか?
  当に無常です。

 雀のエサ台にハトが寄ってきています。えり好みしてハトには申し訳ないのですが・・・  ハトさんにエサやるわけにはいかないので、エサやり中止中です。ハトは人を恐れないので、箱に入り込んで食べます。食べるのに夢中で手を伸ばせば捕まえることができるかな?と思う所で、慌ててエサ箱から飛び立ちます。

ニサルガダッタ・マハラジの「私は在る」朗読を毎日聞いていますので、マインドコントロールが進んで、自分と体は分離しました(分離がさらに進むと、なにかの拍子に覚醒へと進む場合があると言っている様におもえます)。

 ところが、というか当然ながらニセモノの哀しさで、他者(世界)との一体感がマインドコントロールされません。お笑いなんですが、なんとか、「世界に溶け込んだ・世界は私だ・あなたは私だ」という感覚を持ちたいと願っています。
 自我も個別ではないというのが、エックハルト・トールの言い分ですけれども、おいらはそう思えません。「自己が一つである」と云われれば、自己は触れもしないし、関係が断絶しているので一つだと言われても、反論も同意もできません。

 昨日はかぼちゃスープを作りました。さすがに腐り始めてきたので、腐ったところを取り除いて、玉ねぎ炒めと牛乳で、クックパットを見てつくりました。自我自賛でうらなりかぼちゃでも品種がロロンなので美味しいです。

No.5425 - 2017/01/24(Tue) 19:04:27

Re: 山陰の雪大変です。 / ubik0101&hato

コンソメスープの素、大量のタマネギの薄切り、ニンニク、ベーコン、人参、ジャガイモ、あれば鶏の手羽元を・・・水を加えたミルクで煮て・・・茹でたパスタを投入・・・これは濃厚で美味と思います。

この探求は、自分が自分と思う自分の立場を削る捨てていく経緯なので、否定の道、と呼んでいました。身体と主体の分離と言うより,服を着たままでは隠れてる、裸の真の自分を見極めようと言う衝動でした。

そしてプライドや欲や世間などの服を、脱ぎ捨て脱ぎ捨て、、、瞬間に下着まで脱ぎ捨てる事態が起こり、実は服の中は、ない、だった。その、絶対否定。そこが実は・・・私は、私は、ある、の直系・・・あるがあるでありきるゆえに、ない、絶対肯定。です。

ubik0101

庭には昔から、二羽のキジバトが住んでいて、求愛か巣作りか子育てか、なかなか忙しそうに飛び交っているのを見ます。ときどき、子が増えて、巣だっていくのをみます。メジロに果物をやりたいのに、ヒヨドリが先に食べてしまうのは困りますが、キジバトがなにか欲しがってくれたら、ちょっと嬉しいと思います。

すべてはひとつ・・いまここ・・・

自分にしっくりくるのは、そうした言葉で括られた意味合ではない・・ようです。

hato

No.5426 - 2017/01/25(Wed) 09:18:03
お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / 勘太郎
〉つまりこの普通の日常・・・ご飯を食べて、歩いて、笑って、寒い・・・畑作業をして・・・思考して・・・なにも隠すことなく隠れることなく・・・ただそれだけのことです。たとえば強い欲望その他などは、ない、自我が隠れる影を探して作ってる。と、説明できます。〈


 という事になるのでしょう。
「からっと晴れる」は雪担御老師が無字の公安で悟れなくて、「もうだめだ」とごろっと横になった時に、「なんだこれは!なんにもないではないか!」と悟られてときの言葉です。


 今日の栄宗寺住職様の書き込みは、「普段は体のある事を忘れている、坐禅は5感を思い出すことだ」「5感を思い出すことで、今の世界をおもいだす。」です。

〉自分が行動したことは自分でわかる。話したことは自分で聞こえる。自分で思考したことは自分でわかる。このこと事態が不思議ですけど、これだけです。〈

〉理由なく生きる、嘘を言わない。〈

これらを合わせて、おいらが想像するのは、見聞き感じる自己 (自分を探ろうとすると、何もない空間のようなもの、じぶんというアイデンティティーも有るのか?無いのか?わからないもの) に見聞きする対象が、(からっぽの)自分に写っているだけ、なのだろうなあ〜です。

 からっぽの中身は見聞きするものが写っていて、それで満たされているのでしょう。そこに思考はありません。

 しかしながら、おいらは其処に居るのが苦手で、すぐに夢想の世界を作りはじめてしまいます。
夢想(希望)の世界は、現実とのギャップがありますから、満たされていないという不満が噴出します。
 だんだん見聞きするだけの時間がながくなってきはいますが、思考を相当な力で縛り上げつづけていないと、夢想に流れてしまいます。鼻の孔に力を入れ続けていないと流れてしまいます。

No.5422 - 2017/01/20(Fri) 21:46:31

Re: お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / ubik0101
たぶん中学生の時・・・校庭でバレーボールをしていました。そこに誰かが、ほかのボールを打ち込みました。つまり、コートの中に2個のボールです。なんだか、みんな顔を見合わせて、変な感じです。

こんなルールのゲームって、できるかな?ちょっと笑えるような気分です。ゲームはともかく、夢を見るなら、夢。それだけ。ならば、夢は楽しめます。そうでなく実現しようとしても・・・出来ない夢を見るのは辛いかもしれないけど、

それって、そいうギャップのある夢を選んで見てる自作自演かもしれません。とんでもない意見かもしれませんが、辛い思いを、楽しみたい、味わいたい、自分を騒がせたいと望んで、そういう夢の見方をしてるかもしれません。なぜ、そんなことをする?ここは探査してもいいかもしれません。

その場その場で、全力を尽くそう。夢なら夢。その実現ならその実現。思考するなら思考する。サッカーでも、テニスでも・・・ボールは1個で充分です。じゃ、ビリヤードは?とそこから外れるのが思考でもあるけれど、なにかするなら、する。しないなら、しない。それだけです。

No.5423 - 2017/01/21(Sat) 10:02:54

Re: お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / ubik0101&hato
ふと思いついて、フレンチプレスで水だしコーヒーをつくってみました。ふつうは一晩放置だそうですが、10分くらいで飲んでみました。

まだ薄かったけど、これは美味です。香りが違います。後味もとても良好です。せっかくのコーヒー、煮てしまって味を劣化しなくてもいいな、と思いました。

ubik0101

これは大きめのプレスなので、ふたりで飲む時にはもうすこし、小さいのがいいかも知れません。昔、ひとりでコーヒーを飲む時に使っていたことがありました。こっくりと濃く、美味しいコーヒーができます。水だしコーヒー、すっきりした、コーヒーの甘みが残ります。

hato

No.5424 - 2017/01/23(Mon) 23:23:02
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