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赤と緑。 / ubik0101
つまり、苦痛から逃げるということが苦痛、あるいは逃げることで苦痛が持続されるのは、そこに、良い人と見られたい、穏やかでありたい、優れてありたいとかの背景があって、あることです。

その全体ではないそこに、希望とか絶望とか諦めとか願いとか呼ばれることが生起する。それは、偏っていたい、閉じこもっていたい、ということです。光を求めながら自分を影に閉じ込めてるのです。赤が緑を求めてるのです。

No.5439 - 2017/01/31(Tue) 08:07:55

Re: 赤と緑。 / ubik0101
これは、雛人形の背景の赤い布です。じっと焦点を合わせないで凝視します。すると透明に輝く緑が赤の縁に現われるでしょう。
No.5440 - 2017/01/31(Tue) 08:08:28

Re: 赤と緑。 / ubik0101
たぶん赤を見るために、見えない緑を必要にしているのかもしれません。(そしてこの緑の背景は、とくにないでしょう)。これは思考でも同じで、ひとつ、を見るためには、背後には、分離、を要するかもしれません。

つまり、赤を見ていながら、緑、なのです。希望しながら絶望なのです。これは生き物としての機能かもしれませんが、それは他の誰でもなくその人がそうしてるのですが、この対になってることに捕われやすいのです。善と悪。優に劣。既知と未知、自我と無我、迷悟、公平と不公平、

そこで、苦痛とか、愚かさとか、失敗とか、悲しみとか、思考とか、避けるべきこととして実際に、避けて来たことを、自分にも人にも隠してきたことを、隠そうとしてきたことを、

No.5441 - 2017/01/31(Tue) 08:10:17

Re: 赤と緑。 / ubik0101
・・・そんな偏りから、良い人で、優れた人でありたい、葛藤を克服した人でありたいという力を引き出して来たけど・・・この透明な世界から外れ得ない世界から外れて来たけど・・・

たとえば悲しさ、惨めさ、苦悩、思考、など避けようとして来たことを、避けて来たことを避けない。露にする、受入れる・・・それだけで、うまくいけば、全体、は機能します。ここは単極、無極です。

そでなくても、特別なことでなくても、折りに触れ、まあ滑ったり転んだりの縁起ということですが、それはニュートラルで、明るい、透明な日常、これが世界の機能です。

No.5442 - 2017/01/31(Tue) 08:17:55
 これが難しいくて、できないのです。 / 勘太郎
〉これも「今、自分がそのような状態になっているかどうか」を

振り返ったり、観察したりしないようにしてください。〈

 たまたま 眺めていたら この書き込みに突き当たりました。

No.5434 - 2017/01/29(Sun) 08:36:11

Re:  これが難しいくて、できないのです。 / ubik0101
それは、ふつうの、コーヒーを飲む、暖かい、猫が鳴く・・・バッハのフルートソナタが美しい・・・意地悪する人が嫌だ、憎い、可愛い・・・工夫しない、工夫の前、ただの日常です。

そうでないなら、もしかして・・・なにかを嫌い避けてることがあれば・・・なにか勝手に定めた避けるべきことを嫌うことがあれば・・・問題ないところ、良い、に偏って、

たとえば憎いとか、また自分が嫌われるとかいうことを避けようとして・・・全体を許容できない・・・それで全体が機能しない・・・引っかかりがある、ということかもしれません。

それと、どうやら自分で自分を見てる・・・常軌を外さないように見張ってる・・・かもしれません。そんなの取り越し苦労です。まったく、普通の、ただの人で充分です。

No.5435 - 2017/01/29(Sun) 09:12:00

Re:  これが難しいくて、できないのです。 / ubik0101
また、観察してることを、さらに観察できますか?つまり、その振り返ったり、その観察をしてる、その、その自分。それは振り返ったり、観察したりできないでしょう?

それはそれが、なにものでもないから、ではないでしょうか。もしかして、無限退行できる?としても、その最背後は、観察できないでしょう。

No.5436 - 2017/01/29(Sun) 10:56:12

Re:  これが難しいくて、できないのです。 / hato

瞬瞬に全当たり・・瞬瞬に全当たり・・・

次々に変化する状況、事情、思考感情・・・

・・・鳥が鳴き・・静かな庭・・作業・・暖かい日差し・・猫が騒ぐ・・餌をやる・・・静かな庭・・電話が鳴った・・掃除をする・・意地悪な人が嫌だ・・憎い・・かわいくない・・瞬発超怒・・人がすき・・パパが回覧板を持って行った・・・熱い茶をいれる・・風が吹いてき・・・日常・・・

瞬瞬に全当たり・・

真摯であることに、気付かないくらい真摯


雪国の鳩のような野鳥は、少ない餌に耐えて存続しているのでしょうか。この庭はすっかりモズの倉庫。ハヤニエをよく見かけます。

No.5437 - 2017/01/29(Sun) 13:46:24

Re:  これが難しいくて、できないのです。 / ubik0101
カメムシが、ロードスというギリシャ産イチジクの硬い芽の先で、ハヤニエになっていました。ときどき茶色のカメムシも見かけます。
No.5438 - 2017/01/29(Sun) 13:49:46
 昨日は市内のスキーに行ってきました。 / 勘太郎
 風が強くて吹雪いて、見通しが悪くて、スキー場全体がすがたを現すことはことはありませんでした。
 外国人の方も2〜3割(もっと多いかもしれません)いて、寒さと吹雪を楽しみました。晴れたスキーも楽しいし、露出したほっぺに痛いほど吹き付ける雪の粒を感じながらのスキーも楽しいです。おらスキーは下手で、スピードも出ません。

 今朝は予報通りの快晴無風。昨日の吹雪が嘘のように感じます。身体の痛みと似て、昨日の悪天候をなかった様に、夢の中の出来事の様に感じます。

 ハトが数羽電線に止まって、エサを待っています。近所に不快な思いをさせてしまうなあ。ハトも可愛いなあ・・・・
 ここで、おいらの欲望が広い屋敷に住んだり、あるいは、人家が離れている郊外に住みたいなあ〜。そうすれば、ハトにも餌をやれるのにという、おいらにお金があれば、ハトもエサにありつけるのになあという欲望がわきあがります。
 そこで、ふっと、自分を覗き込むと欲望も無く、電線に止まるハトとそれを眺めている自分の風景があるようにも思えます。

No.5433 - 2017/01/29(Sun) 08:21:04
人は死なない」のを理解できないなあと感じていました。 / 勘太郎
「一体は一体を知らず」から、人は死なないと実感できないことが、普通だと解りました。

 「生まれてもいないし、死ぬこともない」と言われたり、読んだりしてきて、どうしても不死身の自分を理解できないなあと感じていました。生死がないのではなく、生死と云う「言葉・概念」がないと理解しました。死ぬのだか?生まれてきたのか?死と生が解からないのが自分なんだと思います。生死が頭に浮かんだらそれはそれで生死に従うしかない。
元来の自己には生死はない!でしょうか。

 両眼白内障で、瞳どころか眼全体が真っ白なめくらの猫(明るい暗いは判別できる)自分で犬侵入防止柵の穴をくぐり、トイレに行けるし、棚には登れるし、犬が寄ってくればフーっと怒りの声を上げます。彼は年寄だし、拙宅に連れて来られてそれほども経たないのに不思議です。妻は彼をそれこそ猫かわいがります。エサも特別缶詰。

No.5431 - 2017/01/27(Fri) 21:15:17

Re: 人は死なない」のを理解できないなあと感じていました。 / ubik0101
そいえば勘太郎さんは、北関東の出身だそうです。が、ほんとうに?自分は、広島とか、静岡で生まれたとか、そんなことがないです。いま、生まれたのです。なにも知らないです。

たとえば、嫉妬や偽善や神の概念がなければ、その事実もないです。生死の概念がなければ、生死はないかもしれません。でも実際は、いつかは死ぬよね?と思うと、そこで生死が生じました。

この世界に、花子と太郎の子供として生まれました、と思ったら、その世界ができました。勘太郎さんが私の兄弟だ。と思ったら、そうなるな。妹だ、とはならないな、と思うと妹にはならないな。

たとえば、ただ空っぽという意味合いで、自分がないなら、ある、としての生まれではないでしょう。ならば、死にもしない。って、整合性を作ってしまうと。約138億年の輪廻ができるでしょう。そんな人生をするんだな。

ここは、生まれてない。それだけ。死にもしない。それだけ。整合性を求めない。それもありなんだな。生まれて死んで、消えてなくなる。もう戻らない。とすると、そんな人生になるな。などということで、思いは世界だ。を見るんだな。

あるいは、この自分が自分と思わない自分は、行ったり来たりしないんだ。と見ると、この自分は何?木偶の坊、になるな。あるいは・・・♪どこまでも行こう。道は果てしなくても、口笛を吹きながら歩いて行こう。

No.5432 - 2017/01/28(Sat) 10:36:02
おいらの疑問のアドバイスが自然に降ってきます。 / 勘太郎
おいら理解が進みます。



〉以前にも書いたことがあるかもしれませんが

時々

「まだ、私は一体感を感じることができていません」

とおっしゃる方がおられます。




もし、「一体感」を感じることができたら

それは「分離している」ということです。





まず、「一体感」を対象として感じるには

対象となる「一体感」と、対象から除外される「一体感ならざるもの」とが分けられている必要があります。

「対象とされるもの」と「対象とされないもの」とに分けられている時点で、「一体感を感じること」は一体であることを表しません。




また

一体感であれ何であれ「何かを”対象”として感じる」ということは

「感じられる対象」と「対象を感じる者」とが分離している必要があります。

この分離の状態は一体であることを表しません。




つまり

「一体感を感じよう」とすることが、もと一体である今から目を逸らせているのです。

一体とは「一体感を感じよう」とする以前のことです。

「一体感を感じよう」とするだけ余分なことをしていることになります。





ではどうするのか?





どうもしない、のです。

「どうもするまい」と、どうにかしようとするのではなく

本当に

どうもしない、のです。




すると不思議にも

どうもしない中で

見えています。

聞こえています。

感じています。

動いています。





それが

「一体である」

ということです。〈

No.5429 - 2017/01/27(Fri) 08:43:34

Re: おいらの疑問のアドバイスが自然に降ってきます。 / ubik0101
そうですね。こちらも、さっき読みました。

もう飾ってます。

No.5430 - 2017/01/27(Fri) 09:04:36
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