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山陰の雪大変です。 / 勘太郎
 北関東出身のおいらは、子供の頃に30センチが最高に積もった記憶があります。昔より夏は3度から5度暑くなって、冬は大雪ですかあ〜・・・。イノシシが増えた鹿が増えたのは、温暖化でエサが豊富になったのが原因のひとつだろうと思います。それだけ土地の生産量が増えているのではないかとおもいます。二酸化炭素も1988年の350ppmから2016年の400ppmまで増えています。植物の成長が1割くらい増えているのではないでしょうか?
  当に無常です。

 雀のエサ台にハトが寄ってきています。えり好みしてハトには申し訳ないのですが・・・  ハトさんにエサやるわけにはいかないので、エサやり中止中です。ハトは人を恐れないので、箱に入り込んで食べます。食べるのに夢中で手を伸ばせば捕まえることができるかな?と思う所で、慌ててエサ箱から飛び立ちます。

ニサルガダッタ・マハラジの「私は在る」朗読を毎日聞いていますので、マインドコントロールが進んで、自分と体は分離しました(分離がさらに進むと、なにかの拍子に覚醒へと進む場合があると言っている様におもえます)。

 ところが、というか当然ながらニセモノの哀しさで、他者(世界)との一体感がマインドコントロールされません。お笑いなんですが、なんとか、「世界に溶け込んだ・世界は私だ・あなたは私だ」という感覚を持ちたいと願っています。
 自我も個別ではないというのが、エックハルト・トールの言い分ですけれども、おいらはそう思えません。「自己が一つである」と云われれば、自己は触れもしないし、関係が断絶しているので一つだと言われても、反論も同意もできません。

 昨日はかぼちゃスープを作りました。さすがに腐り始めてきたので、腐ったところを取り除いて、玉ねぎ炒めと牛乳で、クックパットを見てつくりました。自我自賛でうらなりかぼちゃでも品種がロロンなので美味しいです。

No.5425 - 2017/01/24(Tue) 19:04:27

Re: 山陰の雪大変です。 / ubik0101&hato

コンソメスープの素、大量のタマネギの薄切り、ニンニク、ベーコン、人参、ジャガイモ、あれば鶏の手羽元を・・・水を加えたミルクで煮て・・・茹でたパスタを投入・・・これは濃厚で美味と思います。

この探求は、自分が自分と思う自分の立場を削る捨てていく経緯なので、否定の道、と呼んでいました。身体と主体の分離と言うより,服を着たままでは隠れてる、裸の真の自分を見極めようと言う衝動でした。

そしてプライドや欲や世間などの服を、脱ぎ捨て脱ぎ捨て、、、瞬間に下着まで脱ぎ捨てる事態が起こり、実は服の中は、ない、だった。その、絶対否定。そこが実は・・・私は、私は、ある、の直系・・・あるがあるでありきるゆえに、ない、絶対肯定。です。

ubik0101

庭には昔から、二羽のキジバトが住んでいて、求愛か巣作りか子育てか、なかなか忙しそうに飛び交っているのを見ます。ときどき、子が増えて、巣だっていくのをみます。メジロに果物をやりたいのに、ヒヨドリが先に食べてしまうのは困りますが、キジバトがなにか欲しがってくれたら、ちょっと嬉しいと思います。

すべてはひとつ・・いまここ・・・

自分にしっくりくるのは、そうした言葉で括られた意味合ではない・・ようです。

hato

No.5426 - 2017/01/25(Wed) 09:18:03
お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / 勘太郎
〉つまりこの普通の日常・・・ご飯を食べて、歩いて、笑って、寒い・・・畑作業をして・・・思考して・・・なにも隠すことなく隠れることなく・・・ただそれだけのことです。たとえば強い欲望その他などは、ない、自我が隠れる影を探して作ってる。と、説明できます。〈


 という事になるのでしょう。
「からっと晴れる」は雪担御老師が無字の公安で悟れなくて、「もうだめだ」とごろっと横になった時に、「なんだこれは!なんにもないではないか!」と悟られてときの言葉です。


 今日の栄宗寺住職様の書き込みは、「普段は体のある事を忘れている、坐禅は5感を思い出すことだ」「5感を思い出すことで、今の世界をおもいだす。」です。

〉自分が行動したことは自分でわかる。話したことは自分で聞こえる。自分で思考したことは自分でわかる。このこと事態が不思議ですけど、これだけです。〈

〉理由なく生きる、嘘を言わない。〈

これらを合わせて、おいらが想像するのは、見聞き感じる自己 (自分を探ろうとすると、何もない空間のようなもの、じぶんというアイデンティティーも有るのか?無いのか?わからないもの) に見聞きする対象が、(からっぽの)自分に写っているだけ、なのだろうなあ〜です。

 からっぽの中身は見聞きするものが写っていて、それで満たされているのでしょう。そこに思考はありません。

 しかしながら、おいらは其処に居るのが苦手で、すぐに夢想の世界を作りはじめてしまいます。
夢想(希望)の世界は、現実とのギャップがありますから、満たされていないという不満が噴出します。
 だんだん見聞きするだけの時間がながくなってきはいますが、思考を相当な力で縛り上げつづけていないと、夢想に流れてしまいます。鼻の孔に力を入れ続けていないと流れてしまいます。

No.5422 - 2017/01/20(Fri) 21:46:31

Re: お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / ubik0101
たぶん中学生の時・・・校庭でバレーボールをしていました。そこに誰かが、ほかのボールを打ち込みました。つまり、コートの中に2個のボールです。なんだか、みんな顔を見合わせて、変な感じです。

こんなルールのゲームって、できるかな?ちょっと笑えるような気分です。ゲームはともかく、夢を見るなら、夢。それだけ。ならば、夢は楽しめます。そうでなく実現しようとしても・・・出来ない夢を見るのは辛いかもしれないけど、

それって、そいうギャップのある夢を選んで見てる自作自演かもしれません。とんでもない意見かもしれませんが、辛い思いを、楽しみたい、味わいたい、自分を騒がせたいと望んで、そういう夢の見方をしてるかもしれません。なぜ、そんなことをする?ここは探査してもいいかもしれません。

その場その場で、全力を尽くそう。夢なら夢。その実現ならその実現。思考するなら思考する。サッカーでも、テニスでも・・・ボールは1個で充分です。じゃ、ビリヤードは?とそこから外れるのが思考でもあるけれど、なにかするなら、する。しないなら、しない。それだけです。

No.5423 - 2017/01/21(Sat) 10:02:54

Re: お話を端的に言い表すと「からっと晴れ渡り、何もない」 / ubik0101&hato
ふと思いついて、フレンチプレスで水だしコーヒーをつくってみました。ふつうは一晩放置だそうですが、10分くらいで飲んでみました。

まだ薄かったけど、これは美味です。香りが違います。後味もとても良好です。せっかくのコーヒー、煮てしまって味を劣化しなくてもいいな、と思いました。

ubik0101

これは大きめのプレスなので、ふたりで飲む時にはもうすこし、小さいのがいいかも知れません。昔、ひとりでコーヒーを飲む時に使っていたことがありました。こっくりと濃く、美味しいコーヒーができます。水だしコーヒー、すっきりした、コーヒーの甘みが残ります。

hato

No.5424 - 2017/01/23(Mon) 23:23:02
寒さも雪も、住めば都です / 勘太郎
 石炭手当も頂けましたしね。昔の職場で家族持ちは月2万円だったでしょうかね?半年間付いて12万円(大金でした)いまの職場は年俸契約だったので石炭手当はありませんでした。只今雇用延長中のアルバイターです。

 何回雪の冬を過ごしても、雪をきれいだなあと思います。2月の中旬には、春の気配。

苦しみが喜びの踏み台である様に、寒さは快適の座布団です。(背伸びした表現です・・・が)


 〉たとえば卵は青虫になると失われます。
青虫はサナギになると失われます。
サナギは蝶になると失われます。
そして完全に機能するのです。<

 これが、住職様のおっしゃる「あなた」を捨てる理由だとおいらは思います。
おいらが、青虫を捨てて、蝶々になるということができない理由は、青虫を捨てないと蝶々になれないことを確信できないことにある様に思います。

栄宗寺住職さまのお話
「今ここに留まるにおいて「あなた」にできることは何もありません。
なぜなら
「あなた」が今ここに留まることを始めたからではないからです。
逆です。
今ここの中に「あなた」は現象として生じたのです。

今ここが先です。
「あなた」が後です。
「あなた」より先に存在するものを、「あなた」がどうこうすることはできません。

なによりも
「あなた」は今までも、これからも、今ここから離れたことはありません。
「私は今ここから離れている」
「私は今ここに留まらねばなない」
そんな思いも「今ここ」において現象しています。
今ここを離れて、何も現象することはできません。

「あなた」が何かをするよりも以前に、
「あなた」は今ここにあり続けています。
今ここに対して「あなた」の出番はありません。
今ここに働きかける上で「あなた」の居場所はありません。

「あなた」が今ここに対してできる唯一の事は、
今ここに働きかけようとする「あなた」の解消です。







===============

☆ 平成29年 1月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」

1月22日、29日の朝 6:45〜7:30

No.5418 - 2017/01/18(Wed) 20:44:44

Re: 寒さも雪も、住めば都です / ubik0101
もしかして・・・とネットで検索してみたら・・・失うことが得ることだ、と言いたかったのかもしれませんが・・・このHPの文章でした。まったく忘れてました。そんなものです。誰かの言うことは、楽しめばいいです。この自分が、こう、であることを、こう、と認める。探求は、それだけです。

なにか確信がないなら、その確信がない、その自分・・・なんか秘密があるとして、いつも言いますが、自分が行動したことは自分でわかる。話したことは自分で聞こえる。自分で思考したことは自分でわかる。このこと事態が不思議ですけど、これだけです。

とくに勘太郎さんのことを言ってるのではないですが、たとえば自分の真意は人には解らないと空想して、自分の行動発言思考を、自分にも解らなくする。空想の人と人の間に生きる。人からも自分からも、隠れて生きる。そんなことをしなければいいだけです。

ほかの人から見た自分、自分から見た人、その関係にあると・・・そこに優劣、善悪、非難と正当化、不均等、などが、忍び込み、結局、自分で自分を愚かにして、その自分が自分の邪魔をする。そんな必要はないです。こうであって、こうであることに気がつかないでも、

そこはもう誰も十分に学び、経緯してるのだから、そこから離れて、なにもないところから探求は始まります。というより自分を捨てるその前に、普段、過去も未来も今も、善悪も、優劣も、自分の年齢、性別、職歴・・・なにもない、それだけのことです。

大根おろしを一杯つくって、雪見鍋にしてみました。
柔らかく上品な味と思います。

No.5419 - 2017/01/18(Wed) 23:25:48

Re: 寒さも雪も、住めば都です / ubik0101
ところで、自我、って何でしょう?それは強い欲望でしょうか。怒りでしょうか。思考でしょうか。あるいは、そいうことの集積。あるいはそいう苦痛を自我と呼んでるだけでしょうか。あるいは世界と自分、

あるいは自分との分離、それが自我でしょうか。あるいはたとえば希望や絶望のような空想の因果でしょうか。たとえば、あの人は欲が強い、あの人は自我が強い、と言ってる人は自我ではないのでしょうか?真剣に、厳密に、自我を、定義、してみましょう。


・・・・・・・・・・・・ここでPCを消して、探りましょう。


そうです。自我、は定義不可能です。なぜって、自我の正体は、ない、のです。ありもしないことをなんだかのことを理由にして説明しようとしても、不可能なのです。つまり、こいうことです。

No.5420 - 2017/01/20(Fri) 07:24:32

Re: 寒さも雪も、住めば都です / ubik0101
つまり・・・自我は、たとえば強い欲望ではなく、その強い欲望の、その裏に隠れるもの、怒りの裏に隠れるもの、思考の裏に隠れるもの、空想の因果の・・・人と人の関係の・・・判断の・・・なんだかを理由にしてその裏に隠れる。そでなければ、その、ない、はあり得ることができなのです。簡単なのです。

なので、というわけではないですが・・・隠し事しなければいいのです。ありとあらゆることが露であること。見えたまま、見るまま。聞こえたまま、聞くまま。自分の行動は、発言は、思考は、自分で分かる。自我は成立しないのです。理由なく生きる。嘘を言わないこと。

また嘘を言った自分を自分に隠さないこと。自分を守らないこと。なんだかの苦痛の恐れがあっても、それから逃げないこと。正面から裸で受けること。たとえば世界と自分、誰かと自分、自分と自分、神と自分。真我と自我と無我。その分離がなければ、隠し事が成立しない、ということです。

たとえば顕在意識と、潜在意識、これが違わないなら、自我は隠れる所を探しても見つからず、光に溶けてしまいます。それは何か、気配、のようなものでした。またほかの道では自他の区別がなければ、世界との境界がなければ。ありのまま。自我は、ない、のですから、ない、に溶けるのです。

つまりこの普通の日常・・・ご飯を食べて、歩いて、笑って、寒い・・・畑作業をして・・・思考して・・・なにも隠すことなく隠れることなく・・・ただそれだけのことです。たとえば強い欲望その他などは、ない、自我が隠れる影を探して作ってる。と、説明できます。

No.5421 - 2017/01/20(Fri) 07:46:57
四日市で20センチ?降りましたね。 / 勘太郎
 札幌はほとんど降りませんでした。「馬の背を分ける夕立」では在りませんが、天気は局所・局所で全くと言っても過言でない程異なります。
 東京以南では半日もすれば融けてしまうのでしょうけれども、その半日が大変なんでしょう。秒で動く社会は、外乱に弱いです。
 ニュースでは四日市の幼稚園の子供たち、本心喜んで遊んでいました。登園できない子が3割ですから、親・先生は大変だったでしょう。キャッキャっと遊ぶ子供たちみたいに、楽しめる人ばっかりだといいのですけれども、そうもいかない。

 金平糖みたいです、ほんとうに。

No.5416 - 2017/01/16(Mon) 20:18:12

Re: 四日市で20センチ?降りましたね。 / ubik0101&hato
そいえば中学生の頃、長崎に住んでいて、あるとき雪が降り積もりました。それで嬉しくて、わざわざ素足に下駄で歩いて、その歯に雪が詰まって歩行困難になるのを楽しんだものです。雪だるまも作れました。

でも昼頃に、眼に見立てた炭のあたりの雪が、穴が開くように溶けてしまい、そーなのか、黒が太陽の熱を吸収するのだな、と思ったものです。東京で雪が降ると、バスが走らずタクシーも止まらず、区役所まで歩いた覚えがあります。

北海道に出張した時、冬には給料の他に、石炭代?が出ると聞いたことがあります。

ubik0101

石炭代。なるほど、土地柄と思いますね。札幌では降らなかったのですね。災害がないといいですね。

午前中、庭の空気感に、冬の箱根を思い出してすこし驚きました。体感的にも、このあたりすら本当に冷えた数日だったのでしょう。シンと張りつめた、静かな冬の朝。ちょっと降り積むだけで大騒ぎになる地域にいると、冬の空気がすきなどと、怖いもの知らずで考えてしまいますが、雪国の歩行や雪下ろし、雪かきは命懸けですね。どうぞ十分ご自愛ください。

hato

庭は、モグラの穴が、一杯です。

No.5417 - 2017/01/17(Tue) 18:50:17
みどりの庭から / hato

温暖な静岡でも、朝から時折粉雪が舞い、冷たい空気が肌に刺さる日中でした。

雪国での生活を思いますと、頭が下がります。その場所で生きる動物たちも、そのように適応されていくのでしょうね。

外に出て、身体を震わせながら空を見上げると、冷たく青い、透明な空から、雪の結晶がひとつ、ふたつ・・・とそこここに舞い落ちていました。

No.5412 - 2017/01/15(Sun) 22:58:39

Re: みどりの庭から / hato

ところどころに凍った地面を歩いていると、降った雪が積もり切らず、薄く白くなっている場所があります。

立ち止まってよく見ると、

なんて素敵なんでしょう!小さな雪の結晶たちが、ほぼそのままの形を残していました。

No.5413 - 2017/01/15(Sun) 23:08:50

Re: みどりの庭から / hato

金平糖がたくさん落ちているみたい。

No.5414 - 2017/01/15(Sun) 23:10:25

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

今日は年賀はがきの当選日ということで、さっき、こちらもすこしだけワクワクしながら、ふたりで番号探しをしました。すると、なんとびっくり、切手シートが3枚当選していました。一度に3枚ってはじめて。。

この掲示板で、殆ど初めの頃からお世話になっていて今でも二人の大事な友だちの、図書館閲覧者さん。昔からのパパの釣り仲間の調理人さん。自分の昔からの友人の美加子さん。。ハガキが当選していました。有難うございました。

画像はもう一枚。さまざまな結晶のかたちを見つけて、嬉しくなりました。

No.5415 - 2017/01/15(Sun) 23:37:41
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