今の職場に入って3月経ちました。不本意ながら勤めていますけれども、今月になって「仕方がないかあ」と現状を受け入れることが出来たように感じました。 この現実を自分の心に「受け入れる」事ができると違和感なく不条理に感じる事にも、耐えられる、或は決起して戦うことが出来るのだろうと思います。 この3か月間、自分を腰かけというかよそ者・部外者の様に感じていました。 自分の心を見つめてどんな風に変わるのか?面白いものです。3日・3月・3年と云うのは受け入れには時間がかかると云う事。現実に直面しないと始まりません。 暇な一人勤務職場ですから、自分の心でもいじっていないと「暇つぶし」ができません
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No.6559 - 2018/06/04(Mon) 13:36:00
| ☆ Re: 受け入れる / ubik0101 | | | まあ、そんなことは何も考える必要はないでしょう。考えたって、自作自演の空想でしょう。なのですが現実は、そんな空想を、あたかも事実かのように見せてくれます。
たとえば誰がこう言った、ああ言ってた、なにをした、しない、とかそんな出来事を飛び飛びに捕まえて因果関係を捏造し、勝手に自分が考えた自分の置かれた立場とか雰囲気の根拠とします。
そして多くの人たちが同じような空想にいるから、みんなが空想を事実かのように思い込む。ありもしない人間関係、世間様。そんなことをしながら壁を築いて閉じこもると、そんな自分が大事になる。自分で自分の成長の邪魔をしてる。
でも、ほんとうに自分のために頑張ればいいと思うのです。自作自演だからそれを止めるのも自分しかできない。そんな当たり前のことも扉になる。振り返ってみて思うのです。あんなことがあった、こんなことがあった人間関係。
みんな消えて無くなってるじゃないか。そんなことに一喜一憂しても、観察にも探求にもなり難いでしょう。たしかに世間様には経済とか常識の維持とか、それなりの役目はあるでしょう。
そして探求者に捨てられることも世間様の役ではないでしょうか。だけど、捨てた、反抗する、というその立場があれば扉を開けてない・・・こんなことは、誰から学ばなくても、自然に気がつきます。素直、真摯、それだけと思います。
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No.6560 - 2018/06/04(Mon) 18:32:58 |
| ☆ Re: 捨てた、反抗する、というその立場があれば扉を開けてない / 勘太郎 | | | その通りです。可愛くて捨てられないのでしょう。なんでこんな自分をすてられないのでしょうか。愛想をつかしているのに・・
自作自演の空想です。たまたま触れた出来事に反応して空想が広がってしまいます。
しかしなんですが、自分が考えている問題の課題が良いタイミングで降りきます。当たり前の事なんですが、だってその問題を自分が考えているのですから。自分で問題をこしらえて、その問題の解決方法を苦しみながら(大げさに言うと)模索する。将に自作自演です。
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No.6562 - 2018/06/06(Wed) 20:46:01 |
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