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出だしの丸太・・は / 勘太郎
丸太の脚も似合うでしょうけれども、これは良いなあ」です。

 否定語を使いたくないと考えているうちに、此処で止まって、尻切れ文になってしまいました。

No.5385 - 2016/12/12(Mon) 19:45:34

Re: 出だしの丸太・・は / ubik0101&hato
アウトレットの70パーセントOFFの陶器が、びっしり山積みにされて陳列されてた・・・その台に使われていた天板です。表面も歪み具合も、見ることもできないまま買ったものです。

一応値札が付いていて、一緒に見つけました。店員さんも、これ売れるかな、くらいの感じだったようですが、綺麗に磨いた既製品の、フラットな天板より好みにあいます。黒い鉄の脚は、あっちこっち探しまわり、相場の半額くらいで買いました。

部分と全体・・・関係あるか解りませんが・・・空想の縁起が壊滅したってことは、総てが分離してることで・・・それが実際は縁起にあることだ・・・とも説明はできるかな、と思ったところです。

そういえば、その70パーセントOFFで買った皿、けっこう家にあります。

No.5386 - 2016/12/12(Mon) 20:32:22
ワオーッツ!ステキ。和の天板と洋の脚。 / 勘太郎
 丸太の脚も似合うでしょう。
直線と曲線が互いに強め合う、
凸凹が直線を強め、黒が中間色を強める。
緊張と弛緩があります。

 狙ったのか、そうなったのかは解りませんけれどもとってもステキです。
インスタントコーヒーをレギラーと間違えてしまうかもしれません。

 全体と部分という問題を思い出します。
今まで、どうしても物質界の全体と部分を想像してしまったのですが、実際はそういうものは別の事をいっているのだろうなあと感じます。

No.5384 - 2016/12/12(Mon) 19:41:11
欅ならどっしりして、その上に何を置いても、 / 勘太郎
 どんな作業をしていても、快・重量を感じるでしょう。今、合板にたぶん欅のうす板で化粧した座卓の上でキーボードを打っています。おいらが「合板だ」思うからなのか?頼りなさを天板に感じます。信頼感かな?
 合板でも、おいらの生活にはなくてはならぬ座卓に気の毒です。


 今日は雪投げ合計4時間ほどやりました。夏、山の畑に居たら、もっと長い時間息を弾ませて動きます。それで久しぶりに体を長い時間動かしたので、とっても快適な気分です。
 
 雪投げは、ある意味で無意味な作業です。明日気温が上がれば今日の作業はまったく無駄になりますから。成果を求めない作業をする心の訓練になります。天板磨きにも通じる気持ちがある様に思います。

No.5382 - 2016/12/11(Sun) 20:48:49

Re: 欅ならどっしりして、その上に何を置いても、 / hato

天板磨きを一旦終え、今日は朝から、知り合いの大工さんに、ubik0101さんが安く見つけた脚を一組、取り付ける作業をしていただきました。天板を起こすのも3人仕事で。木って、ほんの一部だけでも、こんなに重いと驚きます。

大変な作業と思われつつも、なんだか、あっという間に仕上がってしまったテーブルにびっくりです。天板自体は反ったり、歪みや割れが多くありますが、それがまたいい感じなのです。2人ともに、好みのテーブルが出来上がりそうです。

仕上げには、裏側にあるヒビ割れに、木工パテを塗り詰めて、その後、全体にワトコオイルを塗っていくようです。面倒ですけど、楽しみです。

No.5383 - 2016/12/11(Sun) 22:21:14
雀がたくさん来ています / 勘太郎
 異なった群れが巡回して食べにくるのか?同じ雀たちが食べては別の場所で遊んで又食べにくるのか?餌台に雀がいる時間は短いです。ちいちい騒がしいので来たことが解かります。

 勉強はやれば進度を自覚します。覚醒は進度が見えません。進度というものがないのかもしれません。そうとは思いつつも、此処と今はどこに行っても、いつでも、「此処と今」だなあ〜と確信ができると、理解も悪くないもんだと思います。「ここと今」だもの、何しても、宝くじが当たっても、「今と変わらないよなあ〜」と思います。覚醒後の「今と此処」とは違うんでしょうけれども。

この掲示板に書き込む下書きを書いている時に、理解が進むってことが多々あります。それで書く必要が無くなって、消して寝る。

 これから雪捨てをします。庭が狭いので少し離れた公園に運びます。平日帰宅後「ジョンバ」(軽いプラスチックスコップ)で庭の片側に雪を除ける場所つくり。
除雪(雪投げ)も楽しい作業です。

No.5377 - 2016/12/11(Sun) 08:50:32

Re: 雀がたくさん来ています / ubik0101
あの掲示版に、思考の主体は何?という問題提起がありました。それによると、思考の主体は、ない、あるいは、世界、だということです。うーん、とくに異議を唱えるつもりはありません。

けど、思考の主体は、その思考。だと感じます。ここで、その思考の主体は、その思考の主体です、と、その思考が思考してるのです。

と、このように見るとします。すると、思考の主体は何?と言う疑問はすでに。思考ということと主体ということを自分の眼の前に並べて見てるように見えます。

また、なにか思考して、その主体を探すということは、すでに思考とその主体を探すこととの時間差があるかもしれません。と、感じられてしまいます。

これは、もちろん、ほかの人の意見を見ると、そのように感じられてしまう、ということでもあります。そすると、問題が余計に複雑になります。

No.5379 - 2016/12/11(Sun) 14:14:49

Re: 雀がたくさん来ています / ubik0101
で、その時間差なしに普通の自分がする思考。それは・・・なんでもいいですが、どこからでもいいですが・・・その思考があるだけ・・・です。

たとえば、思考の主体は、ない、あるいは、世界、です。というのは、その思考が、そう思考した、ということではないでしょうか。その思考の主体は、その思考、です。

では、感情の主体はなんでしょう?その喜びの、その怒りの、その恥ずかしさの、主体は何でしょう?もちろん、その喜びは、その喜び、なのです。

そして、行動は?もちろん、その行動の主体は、その行動です。見えるの主体は、見える、です。沈黙の主体は、沈黙です。ない、の主体は、ない。世界の主体は世界です。

No.5380 - 2016/12/11(Sun) 14:16:39

Re: 雀がたくさん来ています / ubik0101
つまり、それ、だけです。と、思考が思考したとして、その思考がそう思考したがそう思考したがそう思考した・・・

これは無限退行にはならないのです。まず実際には、永遠にそう思考し続けることが出来ません、無限に思考でき得るとしても、それは、その思考しかない、それ、だけ、ということです。

その思考は、その思考。見えるは、見える。行動は、行動。喜びは、喜び。甘いは、甘い。沈黙は、沈黙・・・なんであれ、それ、は、ただ、それ。空想の因果の壊滅。ふつうの日常です。

たくさんのひび割れを木工パテで埋めて、hatoさんと交代しながら、サンダーで磨きました。これは結構、時間がかかりました。一緒に、なかなか、多忙な師走です。

No.5381 - 2016/12/11(Sun) 14:19:34
雀の写真 / 勘太郎
確認しないで送ってしまいました。
No.5378 - 2016/12/11(Sun) 08:52:34
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