[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

屋上に積もったで雪、落下防止作業をしました。 / 勘太郎
 運動量の多い作業です。(危険はまったくありません)疲れはしても、気持ちの良い天気でした。

 午前午後合計4時間の重労働の後では、身体が無いかのような軽さです。疲れると云う「不快」は思い込みであって、本当は、身体が普段とは違う「反応の仕方」なのだろうと思いました。ジョギングが趣味な人は疲労を「快」と感じるのかもしれません。やらされる労働は「不快」であり、自ら行う労働は「快」なのかもしれません。疲労=「不快」ではありません。

 これと同じく怒りや悲しみ、孤独感、焦り、なども、私が思っているものとは違うものなのかなあとおもいました。

 こんな青空が終日続きました。これで不快になるはずがありません。

No.5391 - 2016/12/24(Sat) 19:45:29

Re: 屋上に積もったで雪、落下防止作業をしました。 / ubik0101&hato
札幌は50年ぶりの大雪とラジオで聞いて、心配していましたが、なんと素敵な青空に白い雪!でも雪かき、やっぱり重労働。とても昔の経験ですが、終わったあとの爽快感も、思い出しました。

こちらはここ数日、漸く冬らしい冷え込みです。空気の冷たい午前中、それでも日がよくさしていて、小春日和のようなひととき、そのままずっとそうしていたくなるようなふしぎな感じを見ていると、

ほら!やってきた。空からふいに降ってくる、みどり色した可愛い小鳥。メジロ天使がやってきた。

庭の西に生えている、木の実?を食べにきます。人懐こくて、そばで見ていてもわりと平気です。

そんな、鳥さんたちにちょっといい日だったのか、今朝は庭の東に、ジョウビタキも来ていました。鷸(シギ)を思い出させるような、独特の声で鳴きます。

No.5392 - 2016/12/24(Sat) 22:35:41

Re: 屋上に積もったで雪、落下防止作業をしました。 / ubik0101&hato

今日はクリスマスイブですね。スーパーに行くと、大きなチキンや、ロブスターがたくさん出ていて、休日だからか、お父さんたちが大勢出動して品を見ていました。うちの晩ご飯は、ふつうに、ぶり大根。トロトロに煮たお大根、寒い日に美味しいです。

我が家のクリスマスツリーは、この小さなヒイラギです。ここ数年飾っていますが、それでも、すこし大きくなってきました。

No.5393 - 2016/12/24(Sat) 22:50:40

Re: 屋上に積もったで雪、落下防止作業をしました。 / ubik0101&hato

今年の夏の庭は、テッポウ百合とタカサゴ百合が群生しましたが、秋から冬まで、咲いた百合をそのまま放っておいたら、自然乾燥したのか、ちょうどいい、ドライフラワーになりました。初めて見ましたが、よくできたオブジェのようです。

No.5394 - 2016/12/24(Sat) 23:00:58
このところを / 勘太郎
ラマナ・マハルシは「すべて否定しつくした後に残るものが自己だ」と言っています。

>ただ自分が自分の根拠である・・・つまり実感としては、まったく自分以外のことにも、自分にも根拠がないこと・・・どこかで見た言葉ですが・・・《自分が自分に落ち着く》・・・その落ち着きどころの自己は知覚不能・・・どこにも落ち着かず、です。

これは、無欲、無我とは呼ばないけど事態として、そ
う、です。<

 いくら探しても、自分は対象にならないので見つからないし、根拠がないと理解できます。おいらの胸の奥に分け入っても何もありません。心臓のあたりは空洞です。網膜の後ろにもなにもありません。喉の奥あたりに何か塊があります。
 残念ながら、無欲、無我ではありません。そのうちに、内と外が逆転すると嬉しいです。

No.5389 - 2016/12/19(Mon) 20:56:40

Re: このところを / ubik0101
まず、自己、を自覚しなければ、それを自覚できなくて完璧。と、するのは困難です。そんな矛盾を孕んでいます。善と悪。自我、無我、真我、ひとつと分離。欲と無欲。否定、肯定。そんな区別のない、ふつうの・・・歩いたり食べたり笑ったりの日常そのことが・・・私はあるでも、私はないでも・・・私は私、に気がつけないに気がつく・・・です。
No.5390 - 2016/12/19(Mon) 23:10:56
ここ数日、私は、今私なんだろうかなあ?と調べています。 / 勘太郎
 覚醒・空の色は何色・ニサルガダッタマハラジを読むと、私は私と書いてある様に感じられます。おいらの肉体に宿る者が私なのか?は不明ながら。空を眺め・ストーブのモーターの音を聞いている者(者はおいらで私ではない、音が在ると言う方が本当らしい)は私なんだろうか?と思っています。ここはわからないので今後も考えます。

  「悲しみ」についてに質問
 思考の世界においては、私はにはすべての可能性があります。宝くじで10億円当たるから総理大臣・美空ひばり・ミックジャガー。現実にはそれらからの一つを生きる事しかできません。この無限マイナス1が悲しみの原因なんでしょうか?

 進歩なのか?堂々巡りなのか?円を描きながらトンビの様に上昇しているのか?覚者の書いた文字を読むと毎回新たなところに気が付きます(見過ごしていた文字が意味を放ち始めます)ここでは時間は有効に働きます。
 
 
 

 

No.5387 - 2016/12/18(Sun) 09:11:06

Re: ここ数日、私は、今私なんだろうかなあ?と調べています。 / ubik0101
>   「悲しみ」についてに質問
>  思考の世界においては、私はにはすべての可能性があります。宝くじで10億円当たるから総理大臣・美空ひばり・ミックジャガー。現実にはそれらからの一つを生きる事しかできません。この無限マイナス1が悲しみの原因なんでしょうか?


そうかもしれません。美空ひばりも、総理大臣も、
そのように悲しみを抱えてるかもしれません。

また、勘太郎さんが、無限マイナス1の事態や思考を、悲しみ、で変調して知覚してるのかもしれません。広い駐車場も番号がついてると、車の位置を忘れないように。お経も節をつけると記憶しやすいように。

なにかと、なにかをくっつけることで・・・記憶術のように・・・勘太郎さんが、勘太郎さんの状態を、認識しやすいように・・・その認識の拠り所・・・に、してるのかもしれません。無限マイナス1は特別感にもなり得ます。

たとえば人間関係でも、誰かから蔑ろにされた、誉められた、無視された・・・悔しい、嬉しい、悲しい、恥ずかしい・・・固定されてなく・・・いろいろ変調して認識されますが、大事は、どう認識するか?しないか?ではないです。その自己です。

ちょうど、欲とは何だろう?と、探ってたところです。

それは何かに、くっついて自分以外のことに、拠り所を持とうとすることのようです。でも、それは不可能にできています。ありとあらゆるもの、こと、ひと、知覚、感情、思考に拠り所を持とうとしても、それを知ろうとしても、できないのです。

ただ自分が自分の根拠である・・・つまり実感としては、まったく自分以外のことにも、自分にも根拠がないこと・・・どこかで見た言葉ですが・・・《自分が自分に落ち着く》・・・その落ち着きどころの自己は知覚不能・・・どこにも落ち着かず、です。

これは、無欲、無我とは呼ばないけど事態として、そう、です。

No.5388 - 2016/12/19(Mon) 08:48:38
出だしの丸太・・は / 勘太郎
丸太の脚も似合うでしょうけれども、これは良いなあ」です。

 否定語を使いたくないと考えているうちに、此処で止まって、尻切れ文になってしまいました。

No.5385 - 2016/12/12(Mon) 19:45:34

Re: 出だしの丸太・・は / ubik0101&hato
アウトレットの70パーセントOFFの陶器が、びっしり山積みにされて陳列されてた・・・その台に使われていた天板です。表面も歪み具合も、見ることもできないまま買ったものです。

一応値札が付いていて、一緒に見つけました。店員さんも、これ売れるかな、くらいの感じだったようですが、綺麗に磨いた既製品の、フラットな天板より好みにあいます。黒い鉄の脚は、あっちこっち探しまわり、相場の半額くらいで買いました。

部分と全体・・・関係あるか解りませんが・・・空想の縁起が壊滅したってことは、総てが分離してることで・・・それが実際は縁起にあることだ・・・とも説明はできるかな、と思ったところです。

そういえば、その70パーセントOFFで買った皿、けっこう家にあります。

No.5386 - 2016/12/12(Mon) 20:32:22
ワオーッツ!ステキ。和の天板と洋の脚。 / 勘太郎
 丸太の脚も似合うでしょう。
直線と曲線が互いに強め合う、
凸凹が直線を強め、黒が中間色を強める。
緊張と弛緩があります。

 狙ったのか、そうなったのかは解りませんけれどもとってもステキです。
インスタントコーヒーをレギラーと間違えてしまうかもしれません。

 全体と部分という問題を思い出します。
今まで、どうしても物質界の全体と部分を想像してしまったのですが、実際はそういうものは別の事をいっているのだろうなあと感じます。

No.5384 - 2016/12/12(Mon) 19:41:11
全1072件 [ ページ : << 1 ... 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 ... 215 >> ]