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(No Subject) / ubik0101

これは、乾燥過程で反ってしまった、大きくて重いケヤキの一枚板。サンダーをかけるとクスミが取れて、けっこう綺麗になりました。

これに木工パテで、小さな沢山のひび割れを埋め、脚をつけて、オイル仕上げにして、テーブルにしようという目論見です。

No.5376 - 2016/12/11(Sun) 08:41:40
 自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / 勘太郎
〉その背後の自己って、自我の根源なのです。自己と認識できるということは実は、そうじゃないんだ。これに気がついても、そんな自己を諦めるには、思い切りを要したような気がします。大丈夫。そんなものなくても生きて行けます。〈

 おいらが自己であることは、明々白々であります。自我って、普通の人には見破れない「演技者」です。いくら探しても本物が動いているとしか思えない。私を演じるニセモノの私。鏡に映る「私」と表現されるのもおいらに他ならないのだけれども、私の全部ではない。

・・・・そうではなくて、
 おいらが、もっとあると思ってる程、私は大きくは無くて、このみじめな自我が私の全てなんでしょう。


咆哮さんは、ubik0101さんを詩人と表現されました。おいらの印象は「取り付く島がない」です。取り付く島があったら、だれでもとりつけるのであって、「取り付く島がない」から、挨拶しかできないのです。

No.5366 - 2016/11/30(Wed) 20:49:30

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / hato

パパは、ちょい変わってるけど、美味しくて安価な酸化防止剤無添加赤ワインと、チョコレートが取りつく島です。

我が家の100円サンタさんたち。なんでも100円ショップてすごいのね。とてもキュートです。ここ数年、毎年少しずつ買い足して。

お店が、開けるかも知れません。。

No.5367 - 2016/11/30(Wed) 23:01:14

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / ubik0101
ほかの誰かのことを、理解するとか、しないとか・・・それに意味がないとは言えませんが・・・自分の大事から眼を逸らすことになっては困るし・・・ただ、この、この自分の探求が基本でしょう。

hatoさんが、砂利に生えたトネリコを見つけました。土をまいて、猫が掘り返さないように、植木鉢スタンドで囲ってみました。

No.5368 - 2016/12/01(Thu) 09:20:50

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / 咆哮
今晩は勘太郎さん始めまして。ubik0101さんの生き方が詩人と言ったのは生ゴミと一緒に種を蒔く所に慈悲を感じたからです。腐敗と言う言葉が輝きます。
サンタクロース 救恤と希望の使者?何か犠牲を払ってるはずサンタ熱い奴だ。

No.5371 - 2016/12/03(Sat) 21:20:01

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / ubik0101
たとえば、糸の切れた凧。たとえば、地図を持たない探検者。たとえば、ぽっと世界は虚空に浮かんでる。この日常。これは、なぜ、こうなのか?

この、自分の根拠が、どんな、もの、ことにも根拠がないそのことは、実は、自分が自分に根拠。と、いうことのようです。

この自分は自分で自覚できません。なので、自分が自分に根拠があるということは、知覚として、認識として、自分の根拠が、自分にも、ない、ということ・・・とても微妙な機微があります。

つまり、自分が自分に根拠が、ある、と、根拠が、ない、が日常にあって、同じです。とんでもないです。たとえば、世界に生きながら世界に依存しない。なにも知らない。透明な自分、

この自分の背後の、自己、が消えて、残るのは自我ではなく。迷悟が、真理が、基底が、実在が、自分が、消えて・・・それが自分が自分である・・・その、そのことです。

おそらく、どこか日常が心細かったり、ここに急にシフトすると恐怖する人も稀にはいるらしいのです。自分、なにものにも拠り所がない、自分。と、そう自覚さえできないで、完璧。

No.5373 - 2016/12/05(Mon) 11:43:01

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / 咆哮
荒野突入して恐怖です
すべてあって美しいのです。

No.5374 - 2016/12/06(Tue) 18:48:04

Re:  自己であると感じたらじぶんではないと思います。 / ubik0101
どの扉を開けたか?ってことかもしれません。あんまり見かけませんが・・・ネットで、そいうタイプの人と、ちょっとだけ話したことはあります。

どうも何か神秘体験AでもBでも、正確に表現できる人は少ないので、役には立たないかもしれませんが・・・やはり体験は自分で読み解くことを、お勧めします。

http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site1/index.htm

No.5375 - 2016/12/06(Tue) 20:58:03
詩人と云う呼び方について / 勘太郎
 宮沢賢治は詩人と呼ばれます。彼の詩をよんで理解できる方が何割いるのでしょう。おいらはなにも解らず、むしろ不安と悲しみを搔き立てられます。
 一般的には、解らない文章を詩と呼ぶ場合もあるかもしれません。

 覚者は想像するに(ババジのユーチューブそのままですが)。
師と弟子が旅の途中、川の傍で一休みした。師が弟子に「喉が渇いたので、水を汲んできてくれ」と言った。
弟子は容器を川に浸した、その時に美しい娘が水を汲んでいるのを見た。惚れて紆余曲折を経て結婚し3子をもうけた。資産財産も増えた。結婚後20年が過ぎた。村が洪水に襲われて、弟子の妻子・田畑を失って途方にくれていた。
 その時、師が弟子に容器を水かあげろ」と言った。弟子に師は「夢をみていたのだ」と告げた。

 時間というものは、人により、場合によりでんでんばらばらに動くものなのかもしれません。
 仕事でも畑の作業でも、暗くなるまでに作業を終えたり。無停電装置用充電器故障原因が半日も解らないまま、脂汗をながしてたGSユアサの技術員が16時半に故障原因を突き止め16時55分に修理完了したのは、その場だけ時間が伸びたのだとおもってしまいます。(とっても厳しい所長さんでしたので、全員ピリピリしていた)
 山の畑に着いたら雨があがるのも時間の伸びちじみかもしれないと妄想することがあります。

 ババジの話に戻ると。
時間のない今、風船が膨らむように、時間みたいなものが膨らんで世界を創り出している、そんな感じがします。

 それこそ詩のようなものです。

No.5372 - 2016/12/04(Sun) 08:36:55
めくらの猫 / 勘太郎
 明かりは判別できる猫(獣医さんで懐中電灯の光に反応する)眼は全面白く瞳はありません。高いところに登ることはできるけれども、下りるのは苦手。
 10時半ころ、自分で登った台の上で寝てました。お出かけして16時に帰宅、そのまま台の上で寝てました。だんだん部屋の様子にも慣れたらしく、行動範囲が広がっています。
 不思議なことに、どの猫とも追いかけっこの喧嘩をする犬が、このめくら猫は追いかけません。

 50歳の同僚が「体の調子が良くない」とぼやいています。若いときは身体・身体能力に自信を持っていた人です。自分でも老化現象であると理解していながらも、体力の低下・あちこちの痛み・だるさに体の不調とかんじてしまうらしいです。
 65歳くらいになると老化現象で多少痛み・だるさがあっても、とっても健康であると思えるのですけれども・・。これを受け入れるには時間が必要なのかもしれません。

 多少の痛みは普通で極めて健康異常なしと思えるか?不調と感じて苦痛を感じるか?同じ痛みでも刺激で終わるか、苦痛の種になるか。
 覚醒とは関係ない話で、気分の問題です。

No.5369 - 2016/12/03(Sat) 19:51:56

Re: めくらの猫 / hato

猫さん、大事にされているのですね。なんだかほっとしてしまいます。

動物は命の機微に敏感ですね。うちも、数日前にナナがまた、たしか4たび目くらいになりますが、野良猫にお尻を噛まれました。一緒にいてじゃれると痛がるからか、その日ミューは離れて寝ました。どちらかが具合がわるいと、そっと離れているようです。

ちょっとどんくさくて、逃げるときにいつもお尻を噛まれるナナは、はじめの頃は私たちも、状態がよくわからなくて、ご飯を食べなくなった一週間目に気付き、急いで医者に連れていきました。

わるい猫に噛まれ、このときは、骨もやられていたかも知れません。掲示板にも書きましたが、完治に数ヶ月かかり、すっかり家猫になり、猫も飼い主もとても大変でした。発情猫が出歩く季節は要注意ですが、猫は基本的には外歩きを好むし、部屋に鳥もいるので、ナナをずっと家におくこともできず、いまは、なにかあったときの抗生物質を準備しておいて、怪我や尿路結石に備えています。

薬はとてもよく効きます。今回も初日から処方したためか、おそらく、大丈夫そうです。猫は化膿しやすいそうですね。噛まれると命取りになる場合もあるそうで、注意しています。

No.5370 - 2016/12/03(Sat) 20:53:45
挨拶だけの投稿は / 勘太郎
独参の時に、公案の返事ができなくて、仕方がないので、お辞儀だけした。このような気持ちです。

 理屈では、「おいらが自己だ」と納得してる(納得しているような気がしている?)のですが、おいらの裏側に自己がくっついているように感じてしまいます。

No.5363 - 2016/11/29(Tue) 22:22:31

Re: 挨拶だけの投稿は / ubik0101
そうですね・・・おいら、は、おいら。この、おいらの裏側には、なにも、ない、です。

たとえば、パソコンが私でも、パソコンは素通しで掲示版に書かれてる文章が私でも、向こうから歩いて来る知らない誰かが私でも、青空に浮かぶ雲が私でも、この身体が私でも・・・みんな違うでも、

また、見るものは見られるものでも・・・非2元でも、バラバラでも、真理でも虚偽でも、そんなもん、どうでもいいです。そのような、どのような、もの、こと・・・ミクロでは顕微鏡で原子の配列から、マクロでは、

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・ほとんど無限の満天の星々の夜・・・風・・・働く喜び・・・希望・・・絶望・・・寒い・・・暖かい・・・怪我をした痛み・・・おいらの裏側に自己がくっついているように感じることも、

クリスマス・・・正月・・・おせち料理・・・高価・・・美味しい・・・酸っぱい・・・甘い・・・森羅万象が経験されるのですから、そのスクリーンは、ない、です。

まずは・・・おいらをCENSOREDのではなく、CENSOREDべきは、その裏側に、くっついてる自己?かもしれません。

No.5364 - 2016/11/30(Wed) 09:58:50

Re: 挨拶だけの投稿は / ubik0101
そうだ・・・思い出しました。なんか自分の裏には不動の自分があって、死んでも死なない何かは天に還るんだ、があるような気がしてました。そいうふうに自我が思ってるのです。

ですから、その背後の自己って、自我の根源なのです。自己と認識できるということは実は、そうじゃないんだ。これに気がついても、そんな自己を諦めるには、思い切りを要したような気がします。大丈夫。そんなものなくても生きて行けます。

これは、なにか体験をした後でも、自己を認めるために、却って分離し、自我が発現する・・・体験の読み解きをしないために・・・特別感に捕われてしまう。そんな経緯を辿るケースもあるようです。

No.5365 - 2016/11/30(Wed) 12:02:41
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