宮沢賢治は詩人と呼ばれます。彼の詩をよんで理解できる方が何割いるのでしょう。おいらはなにも解らず、むしろ不安と悲しみを搔き立てられます。 一般的には、解らない文章を詩と呼ぶ場合もあるかもしれません。
覚者は想像するに(ババジのユーチューブそのままですが)。 師と弟子が旅の途中、川の傍で一休みした。師が弟子に「喉が渇いたので、水を汲んできてくれ」と言った。 弟子は容器を川に浸した、その時に美しい娘が水を汲んでいるのを見た。惚れて紆余曲折を経て結婚し3子をもうけた。資産財産も増えた。結婚後20年が過ぎた。村が洪水に襲われて、弟子の妻子・田畑を失って途方にくれていた。 その時、師が弟子に容器を水かあげろ」と言った。弟子に師は「夢をみていたのだ」と告げた。
時間というものは、人により、場合によりでんでんばらばらに動くものなのかもしれません。 仕事でも畑の作業でも、暗くなるまでに作業を終えたり。無停電装置用充電器故障原因が半日も解らないまま、脂汗をながしてたGSユアサの技術員が16時半に故障原因を突き止め16時55分に修理完了したのは、その場だけ時間が伸びたのだとおもってしまいます。(とっても厳しい所長さんでしたので、全員ピリピリしていた) 山の畑に着いたら雨があがるのも時間の伸びちじみかもしれないと妄想することがあります。
ババジの話に戻ると。 時間のない今、風船が膨らむように、時間みたいなものが膨らんで世界を創り出している、そんな感じがします。
それこそ詩のようなものです。
|
No.5372 - 2016/12/04(Sun) 08:36:55
|