ラマナ・マハルシは「すべて否定しつくした後に残るものが自己だ」と言っています。
>ただ自分が自分の根拠である・・・つまり実感としては、まったく自分以外のことにも、自分にも根拠がないこと・・・どこかで見た言葉ですが・・・《自分が自分に落ち着く》・・・その落ち着きどころの自己は知覚不能・・・どこにも落ち着かず、です。
これは、無欲、無我とは呼ばないけど事態として、そ う、です。<
いくら探しても、自分は対象にならないので見つからないし、根拠がないと理解できます。おいらの胸の奥に分け入っても何もありません。心臓のあたりは空洞です。網膜の後ろにもなにもありません。喉の奥あたりに何か塊があります。 残念ながら、無欲、無我ではありません。そのうちに、内と外が逆転すると嬉しいです。
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No.5389 - 2016/12/19(Mon) 20:56:40
| ☆ Re: このところを / ubik0101 | | | まず、自己、を自覚しなければ、それを自覚できなくて完璧。と、するのは困難です。そんな矛盾を孕んでいます。善と悪。自我、無我、真我、ひとつと分離。欲と無欲。否定、肯定。そんな区別のない、ふつうの・・・歩いたり食べたり笑ったりの日常そのことが・・・私はあるでも、私はないでも・・・私は私、に気がつけないに気がつく・・・です。
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No.5390 - 2016/12/19(Mon) 23:10:56 |
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