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写真が添付できませんでした / 勘太郎
こんどはできるかな?
No.5327 - 2016/11/13(Sun) 09:38:26

Re: 写真が添付できませんでした / hato

今朝の先ほど、ubik0101さんが玄関の扉を開けると、「うわっ」と言って急いで中に戻って来て、「玄関にネズミが死んでる!」と言います。すぐに、コマネコの片方の、ミューだと思いました。

ミューは、今どきよく言う ツンデレタイプの猫で、私たちに慣れるまでにとても時間がかかりました。ごく小さいときに、親が置いていったのでしょうか。ナナは同じように来て、すぐに私たちに懐きましたが、ミューは警戒心がつよく、野性味を残しています。今までも、なにか美味しいものを出してやると、すこしして、小さい蛇やカエルなどが玄関に転がっていたことがありました。(・・・)

最近夜におやつを欲しがり、なにか一口二口あげるので、ミューのお礼なのかも知れません。

No.5328 - 2016/11/13(Sun) 10:21:00

Re: 写真が添付できませんでした / hato

手前の白地に海老茶の斑点模様が、ミュー。ナナはトラ猫です。ナナは横広の日本顔。ミューは鼻先がシュッときれいなマサイ族?顔。

小さな頃からとても仲良くて、二猫とも♂ですが、よくこうしてくっついています。

冬の山作業、空気感が伝わります。キンとしたなかでの作業、身体はしんどいですが、疲労しても爽快。昔どこかの山で、林業の手伝いをしたことがあるのを思い出しました。寒い11月頃。木々の大事な枝先を保護するための作業でした。

No.5329 - 2016/11/13(Sun) 10:27:43

Re: 写真が添付できませんでした / ubik0101
> あれまたその理解できた時の感じがしなくなりました。2分前にはこれが自分なんだという感覚がしましたが、今は元の通りです。

たしかに、自分の状態って、認識すると変わってしまいます。自分で自分を認識できないとわかれば、それでひとまずなのです。ない、ということが判るのに、森羅万象を見るということです。

まあ、この東洋の地域?では、自我とか無我とか、探求とか真理の、基本かもしれませんが、それだって、方便ということもあり得ます。ま、

なんであれ認識しない、できない、それがふつうの日常で。なにも知らない、ところです。なんであれ、感情、思考、世界、に質問します。なぜ、これ、は、これ?

つまり、怒りって、なぜ、怒り?て、怒りに質問するのです。意識って、なぜ、意識?って、意識に質問するのです。真理って、なぜ、真理?って、真理に質問するのです。

>昨夜
>キリスト教の三位一体についておもったこと。
>神様は身体の奥にある、触れない不動の精神的存在。
>私は自我。
>教えは神様と自我の通り道。


第一原因、実在の解きほぐれ方が・・・時間と空間・・・この世界で。それは対象ではないので、わたしたちは、その中と言えば間違いで・・・外と言っても間違いで。それ、と言っても間違いで。

神が身体の奥とか、どこか外とかにいる、というイメージはないです。神の概念とは、神との距離ではないでしょうか。そしてその距離がなくなったら、神も消えてしまいます。

No.5330 - 2016/11/13(Sun) 19:53:57
自己を少し理解出来たようなきがします。 / 勘太郎
 思考以前の考えてる「自分」
覚醒したのではありません。

思考している自分が自分。

 あれまたその理解できた時の感じがしなくなりました。2分前にはこれが自分なんだという感覚がしましたが、今は元の通りです。

 昨夜
キリスト教の三位一体についておもったこと。
神様は身体の奥にある、触れない不動の精神的存在。
私は自我。
教えは神様と自我の通り道。

右端が昨日ネズミや鹿に食われない様に冬囲いした栗の木です。「地元の方に栗はくわれないんじゃないの?」と言われました。
10時から3時まで掛かって9本に肥料袋を巻きました。
5度でお日様ぽかぽか無風、こちらの長くつは防寒仕様なので雪の上でもそれほど冷たくありません。

 実りを期待しての行為ではない為か?山の作業は冷たい雨の中でも、炎暑の耕起もなんとも楽しく愉快で心地よいものです。夕方には去り難く、また陽が陰り、西向き斜面にはまだ陽が射している谷間のはたけでの帰り支度をする行為もまた心地よいものです。
 収穫は重要ではないけれども、月曜日の職場の階段の登下りの足が軽い軽い。疲労感の残る身体はとっても軽いです。だるさと無縁の疲労感は心地よいです。

No.5326 - 2016/11/13(Sun) 09:36:08
おいらとはなんだ?との問へのおいらの返答 / 勘太郎
 無味乾燥・虚無ではないが薄情もの、中立無比?な自己(スクリーン)に映される動画であるおいら。
 おいらとはなんだ?と問うと、自己の上に空中浮揚しているかの様な、おいらがすーっと自己とおいらとの間の隙間に消える(無くなる)。赤く熱せられた鉄板の上で、水玉が鉄に接しないで蒸発しながらシュウシュウ動いている様な感じがします。
 おいらは、主語でありながら、おいらの対象であるのです。おかしいことながら。

 思考で体験を捉えようとどうしてもしてしまいます。思考の外側にある覚醒は思考とは別らしいと想像できても、思考をでるがままに放置しておくことができない。なんどでもやっていく習慣を強く身に着けます。

 前後裁断とは、昨日の出来事は夜見る夢のに近い圧力しかおいらに与えないってこかなとおもいました。大統領選挙をみても、「皆さんそうなんだな」です。

 明日は曇りで山の畑の果樹の冬囲いできそうです。雪は少し積もっているかもしれませんが、ゴム手袋はいて肥料袋を麻ひで巻き付けます。
 畑には、妻が拾ってきた子ガラスと子猫の死体の墓があります。握りこぶしほどの石が置いてあります。緑の苔がついた石です。今見上げる空は快晴です。

No.5324 - 2016/11/11(Fri) 08:23:44

Re: おいらとはなんだ?との問へのおいらの返答 / ubik0101
オーディオアンプで、ネガティブ・フィードバック(NFB・・・負帰還)という回路があります。出力の一部を反転させて、入力に戻すことで、アンプの歪みや、周波数特性を良くする技術です。音を整えます。

それが人だとすると・・・思考した、発言した、行動した・・・その結果を、批判的に、反省、検証するためにフィードバックします。そして自分の思考、発言、行動を管理して整え、次に活かします。

そうするために、まずは自分から見た自分。あるいは空想の誰かから見た自分という、ループした回路が設定されます。それは何かの問題があるなら、本人の意志に関らず、自動で起動しています。これは次に活かさず、あれこれ思考するだけなら、落ち込みます。

また出力の一部を反転しないで入力に戻すと・・・1カ所だけ配線が違うだけで・・・ポジティブ・フィールドバック、PFB(正帰還)になって増幅が循環し、ギャー、とヒステリーのように大音量で発振します。

では、どうすればいい?・・・誰か禅師が言ったように、たとえば《諸々の悪いことをせず、諸々の善いことをしよう》。これは善悪が判る必要があるので難しいのですが・・・

また善悪の概念が完成すると、善悪はない、となったりするのですが・・・それが整えば、NFB(負帰還)PFB(正帰還)が必要ない、無帰還です。

でないと思考しっ放しにしようとしても、問題があれば、NFB(負帰還)PFB(正帰還)は自動で機能、しかもどちらも、フィールドバックに違いないので、混乱もするので、困難でしょう。

それで繰り返しますが、1人あること、真摯であること、素直であること、自分を守らないこと・・・優しくある、でもいいでしょう。それが先決です。そうであれば、探求が探求を自然に導きます。

この世界は、この見えた聞こえたその、瞬間に開闢したのです。この今の瞬間、この今の瞬間の連続ではなく、過去を含んで、何時ということでなく、この瞬間に世界は開闢した。これだけです。

VT62イントラ反転真空管アンプに、NFB(負帰還)をかけて聞いてみます。チャーミングな整った音です。NO-NFB(無帰還)は、自然で繊細です。どちらもいいですが、日常、NO-NFB(無帰還)です。一本の抵抗を取り去るだけです。

これは精読すると吉と思います。真摯で荘厳でもあります。

http://kkr117.blog104.fc2.com/blog-category-13.html

http://kkr117.blog104.fc2.com/blog-category-17.html

http://kkr117.blog104.fc2.com/blog-category-23.html

No.5325 - 2016/11/11(Fri) 15:52:35
・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / 勘太郎
・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・何回書いても書いても、おいらにとっての根本になる言葉です。
 特に「自分を守らないこと」

なんであれ、自分が行動、思考、発言してるとしても・・・実は、その行動、思考、発言が、ある意味では親より大事な自分の創り主です。なので、それに危険が及べば、それが揺らげば、自分が困る

これを禅では「死に切れ!!」と励ますのでしょう。

 一番難しいのは「理由なく生きる事」でしょうか? 屁理屈を書き立てている自分がいます。もし慈悲なく生きるのでしたら、言葉を発しないのではないでしょうか?覚者は、慈悲により、無明に灯りを当てて、「光在れ!」と言う。
「理由なく生きる」と犬猫カエル・蝶々・鳥の様に周囲の人を暖かくするのでしょう。

 自分を押し出すと他に圧力をかけますので、自他共に不快をかんじるのでしょう。地下鉄の椅子でなるべく隣の席の方に寄り添うようにしています。自分・他人の間の圧力を減らす練習です。

 妻は関係する犬の里親探しの団体が、あっせんした犬が逃げたので、その団体の方と寒い中探しに行きました。夜に犬が現れる情報があったので。お疲れさまでございます。

No.5321 - 2016/11/09(Wed) 21:57:54

Re: ・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / hato

今日のこちらは、冷え冷えです。冬将軍がやってきたのでしょうか。仕事から帰り、熱いスープをすすりました。

うちには、小人さん2羽、コマ猫くん2匹に、3尾の金チャンがいます。

あたまが紅白で目が大きくて、可愛いんですよ。餌は広くばら撒いてやるといいそうです。冬場は内臓が動きにくくなり、危ないので、メダカの餌をほんのすこしやるくらいに減らしてやります。

No.5322 - 2016/11/10(Thu) 00:20:06

Re: ・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / ubik0101
まずは・・・たとえば誰かを非難するのも、何か理由で・・・その自分は、何か理由によって正当化する。そんな、理由、がないままに、生きるということです。

ありとあらゆることが・・・年齢、性別、健康状態、知識、能力、発言、行動が・・・非難と正当化・・・そのどちらの理由にもなり得るのです。そんな理由なく生きるということは、

なににも接着しないということですが、それはなにものでもない自分を守りながら、ありとありうる観念、概念、空想の因果を否定しようとしてたのでしょう。それは極端で、偏りです。根性が必要でした。

そんな理由なく生きるということも、理由にしない・・・執着しないことにも執着しない・・・それは普通の日常ですが、これに気がつくまで学ぶことがありました。まずは・・・1人ある、

理由なく生きる、平等にある、嘘をつかない、自分を守らない・・・探求にあって決心すれば、みな同じです。それが導いてくれます。しまった、と感じることがあっても、それも道を導いてくれます。

それとまた、理由がない、というのは最悪の状態ということもあり得ます。気がつかないまま人生を投げてしまい、気がつかないから理由がないというのは、困ります。

あの体験の後・・・誰かのためになりたい、体験をしてほしい・・・という気持ちが湧き上がってきました。けどま、泣いたり笑ったり、怒ったりの、ただの人です。

No.5323 - 2016/11/10(Thu) 14:17:41
「そうはみえないけれど」覚醒より / 勘太郎
 に具体的な無明である、おいらの胸の中が描かれています。

 覚者の言葉のどこを見ても、そこに言葉にできない事柄が書かれているのですから、水のどこを見ても水みたいなものです。おいらが水に満たされない限り、水と関係することができない。
 飴玉を熱望して熱望して、飴玉がどんな味なのか?解らないで想像していますけれども、楽しみです。どんな味なのか?

 おいらはその飴玉をなめていると言われても、その飴の味を知らないのが・・・・残念。

 ただ、わけのわからないものではありますけれども飴玉を確実においらは持っている、舐めているとう確信があります。
 希望やら夢やら善悪やらはあるのやら実現するやらで確実に信じることはできません。
そうなので、飴玉の味を判るのは確実です。

 犬の冬支度をした為か?どうか?下痢をしていた犬が治りました。実は妻に隠れて犬の餌を多めにやっているんです。妻は自分が小食なので犬にもほんの僅かしかやりません。10秒かからず食べ終わってしまう量しかやりません。1分で食べ終わる量が適量と聞いたことがあります。
 妻もおいらも自分の感覚で犬猫に接します。犬を飼うことは犬を虐待することだとも感じます。
 これからも、わからずやの妻には秘密でエサを増やして与えます。
 
 おいらの感覚が絶対正しい!!!!!
本当はエサの袋に適量が書いてあるのです。それよりも、おいらの感覚の方が正当だと思えるのがおもしろいです。

No.5319 - 2016/11/08(Tue) 21:54:53

Re: 「そうはみえないけれど」覚醒より / ubik0101
なんであれ、自分が行動、思考、発言してるとしても・・・実は、その行動、思考、発言が、ある意味では親より大事な自分の創り主です。なので、それに危険が及べば、それが揺らげば、自分が困るので、

まず防御、攻撃してしまう。なんであれ、その行動、思考、言葉は正しくなければならず、ことさら行動、思考、言葉に接着が起きるのかもしれません。それは人間関係で、その人なりの空想の因果・・・物語・・・を展開する傾向にあるようです。

それは思考が暗躍する領域です。ただ誰かのことをどう思考してもそれは空想なのに。思考には、空想と事実の識別機能は付属していません。だから思考と現実を混同するのでしょう。そして誰も同じような空想をすると、空想の人間関係、世間、が成り立ったりもします。

けど言葉、思考は、メタ現実で、誰とか彼とかでない、嘘とか真実とかでない、過去とか未来とかでない、善とか悪ではない・・・そいうことに一切・・・規制されないで、自在に機能します。100年前に知らない誰かが書いた小説でも、まるで見えるように眼の前に展開されます。

そのあまりの自在さに、人が振り回されてるなら、これは人が思考に使われてるとも言えます。また言葉が、思考が、その活動で人を活性化し、育てようとしてるとも言えます。ここで、いつまでも猫のゆりかご、で夢を見てる必要はないです。

この自在な、メタ現実な言葉、思考は、自分で自分に切り込む・・・その隠れた前提を暴き出すことが出来ます。それは空想の翼を、いわゆる外ではなく、内側に向かって使うのです。そんな探求を始めた頃・・・この世界は舞台、でも僕は、役者じゃない・・・と、考えていました。

・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・

そいえば昔の犬猫の餌は、おおむね味噌汁ご飯でした。あれはたしかに、みんな気がつかずに虐待だったのでしょう。それと、チュッパチャプスを舐めながら草むしりすると、30円で30分、楽しめることに気がつきました。

No.5320 - 2016/11/09(Wed) 12:03:42
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