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・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / 勘太郎
・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・何回書いても書いても、おいらにとっての根本になる言葉です。
 特に「自分を守らないこと」

なんであれ、自分が行動、思考、発言してるとしても・・・実は、その行動、思考、発言が、ある意味では親より大事な自分の創り主です。なので、それに危険が及べば、それが揺らげば、自分が困る

これを禅では「死に切れ!!」と励ますのでしょう。

 一番難しいのは「理由なく生きる事」でしょうか? 屁理屈を書き立てている自分がいます。もし慈悲なく生きるのでしたら、言葉を発しないのではないでしょうか?覚者は、慈悲により、無明に灯りを当てて、「光在れ!」と言う。
「理由なく生きる」と犬猫カエル・蝶々・鳥の様に周囲の人を暖かくするのでしょう。

 自分を押し出すと他に圧力をかけますので、自他共に不快をかんじるのでしょう。地下鉄の椅子でなるべく隣の席の方に寄り添うようにしています。自分・他人の間の圧力を減らす練習です。

 妻は関係する犬の里親探しの団体が、あっせんした犬が逃げたので、その団体の方と寒い中探しに行きました。夜に犬が現れる情報があったので。お疲れさまでございます。

No.5321 - 2016/11/09(Wed) 21:57:54

Re: ・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / hato

今日のこちらは、冷え冷えです。冬将軍がやってきたのでしょうか。仕事から帰り、熱いスープをすすりました。

うちには、小人さん2羽、コマ猫くん2匹に、3尾の金チャンがいます。

あたまが紅白で目が大きくて、可愛いんですよ。餌は広くばら撒いてやるといいそうです。冬場は内臓が動きにくくなり、危ないので、メダカの餌をほんのすこしやるくらいに減らしてやります。

No.5322 - 2016/11/10(Thu) 00:20:06

Re: ・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・ / ubik0101
まずは・・・たとえば誰かを非難するのも、何か理由で・・・その自分は、何か理由によって正当化する。そんな、理由、がないままに、生きるということです。

ありとあらゆることが・・・年齢、性別、健康状態、知識、能力、発言、行動が・・・非難と正当化・・・そのどちらの理由にもなり得るのです。そんな理由なく生きるということは、

なににも接着しないということですが、それはなにものでもない自分を守りながら、ありとありうる観念、概念、空想の因果を否定しようとしてたのでしょう。それは極端で、偏りです。根性が必要でした。

そんな理由なく生きるということも、理由にしない・・・執着しないことにも執着しない・・・それは普通の日常ですが、これに気がつくまで学ぶことがありました。まずは・・・1人ある、

理由なく生きる、平等にある、嘘をつかない、自分を守らない・・・探求にあって決心すれば、みな同じです。それが導いてくれます。しまった、と感じることがあっても、それも道を導いてくれます。

それとまた、理由がない、というのは最悪の状態ということもあり得ます。気がつかないまま人生を投げてしまい、気がつかないから理由がないというのは、困ります。

あの体験の後・・・誰かのためになりたい、体験をしてほしい・・・という気持ちが湧き上がってきました。けどま、泣いたり笑ったり、怒ったりの、ただの人です。

No.5323 - 2016/11/10(Thu) 14:17:41
「そうはみえないけれど」覚醒より / 勘太郎
 に具体的な無明である、おいらの胸の中が描かれています。

 覚者の言葉のどこを見ても、そこに言葉にできない事柄が書かれているのですから、水のどこを見ても水みたいなものです。おいらが水に満たされない限り、水と関係することができない。
 飴玉を熱望して熱望して、飴玉がどんな味なのか?解らないで想像していますけれども、楽しみです。どんな味なのか?

 おいらはその飴玉をなめていると言われても、その飴の味を知らないのが・・・・残念。

 ただ、わけのわからないものではありますけれども飴玉を確実においらは持っている、舐めているとう確信があります。
 希望やら夢やら善悪やらはあるのやら実現するやらで確実に信じることはできません。
そうなので、飴玉の味を判るのは確実です。

 犬の冬支度をした為か?どうか?下痢をしていた犬が治りました。実は妻に隠れて犬の餌を多めにやっているんです。妻は自分が小食なので犬にもほんの僅かしかやりません。10秒かからず食べ終わってしまう量しかやりません。1分で食べ終わる量が適量と聞いたことがあります。
 妻もおいらも自分の感覚で犬猫に接します。犬を飼うことは犬を虐待することだとも感じます。
 これからも、わからずやの妻には秘密でエサを増やして与えます。
 
 おいらの感覚が絶対正しい!!!!!
本当はエサの袋に適量が書いてあるのです。それよりも、おいらの感覚の方が正当だと思えるのがおもしろいです。

No.5319 - 2016/11/08(Tue) 21:54:53

Re: 「そうはみえないけれど」覚醒より / ubik0101
なんであれ、自分が行動、思考、発言してるとしても・・・実は、その行動、思考、発言が、ある意味では親より大事な自分の創り主です。なので、それに危険が及べば、それが揺らげば、自分が困るので、

まず防御、攻撃してしまう。なんであれ、その行動、思考、言葉は正しくなければならず、ことさら行動、思考、言葉に接着が起きるのかもしれません。それは人間関係で、その人なりの空想の因果・・・物語・・・を展開する傾向にあるようです。

それは思考が暗躍する領域です。ただ誰かのことをどう思考してもそれは空想なのに。思考には、空想と事実の識別機能は付属していません。だから思考と現実を混同するのでしょう。そして誰も同じような空想をすると、空想の人間関係、世間、が成り立ったりもします。

けど言葉、思考は、メタ現実で、誰とか彼とかでない、嘘とか真実とかでない、過去とか未来とかでない、善とか悪ではない・・・そいうことに一切・・・規制されないで、自在に機能します。100年前に知らない誰かが書いた小説でも、まるで見えるように眼の前に展開されます。

そのあまりの自在さに、人が振り回されてるなら、これは人が思考に使われてるとも言えます。また言葉が、思考が、その活動で人を活性化し、育てようとしてるとも言えます。ここで、いつまでも猫のゆりかご、で夢を見てる必要はないです。

この自在な、メタ現実な言葉、思考は、自分で自分に切り込む・・・その隠れた前提を暴き出すことが出来ます。それは空想の翼を、いわゆる外ではなく、内側に向かって使うのです。そんな探求を始めた頃・・・この世界は舞台、でも僕は、役者じゃない・・・と、考えていました。

・・・1人あること、理由なく生きること、嘘を言わないこと、自分を守らないこと・・・

そいえば昔の犬猫の餌は、おおむね味噌汁ご飯でした。あれはたしかに、みんな気がつかずに虐待だったのでしょう。それと、チュッパチャプスを舐めながら草むしりすると、30円で30分、楽しめることに気がつきました。

No.5320 - 2016/11/09(Wed) 12:03:42
他人を見ていると解ることがある。 / 勘太郎
 自分の思考を感じながら生活していると、他人の思考も分類されて感じられます(おいらの自己判断ながら)。自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどが根となって、言動として表面に現れる。

 同居の義母は87歳で痴呆が進んでいます。20時頃朝でこれからデイサービスに行くと思って支度をしていました。昼間はテレビのアンテナ線を抜いて、おいらに「テレビが映らなくなったから見てくれ」と言ってきました。彼女は無意識ながらたぶん、独り自分の部屋に居ることに不安になって、他人と一緒に居たいと望んでテレビを映らないようにして、他人を呼ぶ理由を創り出したのだとおもいました。
 問題を起こす子供が他人から注意を引き出す為に問題行動を繰り返すのと同じパターン。

 昨日の件名の「思考をしゃぶり尽くす」ことができれば、おいらの中の負の波を打ち消して、フラットな自分でいることが出来るのではないか?とおもうのです。
 「思考を20年間記録し続けた」とお聞きして、思考を意識の表にさらけ出す・思考の現状を常に観察するのを続けてみます。
 週末は嬉しいことに、「思考をしゃぶり尽くす」必要のある負の思考が生れませんでした。よかったよかった!

積雪で山の果樹のネズミ除けの冬囲いに行けませんでした。来週晴予報なので楽しみです。ススキを刈って来年の敷草の用意もしたいのです。
当ににおいらにとって、楽しみの宝の山です

No.5316 - 2016/11/06(Sun) 21:46:32

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / ubik0101
そうです。ひと一般、誰かの亊。それよりも、まず自分のことの理解。ちょっとしたことだとしても、その自分の思考の、その裏、前提、を探ります。それはその裏、前提が隠れてなければ、成立しない思考です。

その思考の裏、前提が露にされると、その思考は、自分の言動の理由、根拠としては成立しなくなる。つまり自分の拠り所を否定していくことになる。たとえば、自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどに、接着する必要がなくなります。

これはどうしても、誰かに指摘されるのでは駄目で、自分でやらなくてはできないことです。それは、静かに、素直に、真摯になっていく道です。そして、このように理解するということは、どんな構造なのか?も理解されます。

そしていわゆる心理的な問題にとどまらず、時間、空間、偶然、必然、自由とか・・・探求は、ときに詩となり、ときに絵となり・・・精神の冒険・・・生活の総てがそうで。とても面白いことです。

猫小屋の屋上で寝てる、なな&みゅー、です。

No.5317 - 2016/11/07(Mon) 13:56:36

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / hato

いますこし前、ラジオを聞いてると、明後日の北海道は、大荒れだそうです。ご家族や犬さんとも、どうぞお大事にしてください。

冬の厳しさはよく見聞きしていて、住まいに縁はありませんでしたが、北海道。憧れの北海道です。

分類をしたことはありませんが、人は本当に、なぜそうなのか・・・の捉え方や、汲み取る意味が違うことに、驚くことがあります。

近所の秋祭りに行った帰り、道端のコスモスです。

No.5318 - 2016/11/07(Mon) 23:30:12
思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / 勘太郎
 件名を書いてから本当にそうか?と思います。
今まで難してくできないと感じて、実行しようとしてこなかったような気がします。簡単ではないでしょうけれども、練習すればできる様になるでしょう。恐ろしくて今までしてこなかった。

バーソロミューという方(芸名)が話の中で「世界はあなたが望んでいることを創り出したもの」と言われている理由を説明しています。
それは、状況がどんなものでも、あなたの心の感じ方は、どういう様であるかを選択できる。どんな苦しみも成長の糧と感じれば有難いし、喜びも不足感で暗く覆ってしまうこともできる、と。
 この方、おいらの感じるところ、悪意のないニセモノ?の様に感じもするのですけれども、有名な方なんで・・・・
 世界は私の創ったものというのはもっと直接的だと言われそうな気がしますが。
 覚者はなにも望まないので、おいらが思うに、あるがままでそのままって想像しているのです。宇宙という運転手に任せて覚者は乗客、過行く景色を楽しんでいる。その景色は覚者が眺めたい渓谷美であり、ライオンがシマウマを今将に喉にかみついている景色。

 フェイジョアって、小人小鳥さんほどの大きさなんですね。夏ミカンよりずっと大きいようにおもってきましたが、種類・栽培によりさまざまなんでしょう。


 3日・今日と外犬の冬支度で日中いっぱいかかりました。年寄犬なので電気保温マットを入れました。断熱材を下に敷いて電気マット、その上に絨毯の端キレ。犬小屋はつぎはぎでビーニールハウスで覆いました。ビニールハウスの妻は解放だから寒いです。それでもビニール掛けるとかけないでは大違いです。

No.5312 - 2016/11/05(Sat) 21:57:46

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / ubik0101

たとえば素粒子とか重力を観測できる装置をつくることができるそうです。その観測装置は世界と無関係なわけではないのに、たぶん同質なのに、

つまりその観測装置も素粒子で、また重力が機能してるとしたら、観測ができるということは、どういうわけなんだろう?と思います。

勘太郎さんも感性が独特のようです。あくまで喩え話ですけど。海に行って道具箱から出してみると、ナイロンの釣り糸がもつれています。それを解くとします。それは、

ほかの、こんがらがった結び目を解くのではなく、目の前にある、ただこの結び目を誰かに解いてもらうわけでもなく、自分が解く、これより簡単なことは、ほかにないです。

ほかの誰かの解きかたは、ほかの結び目なので・・・丁寧にやるとか、諦めないとか、よく見るとかの基本はともかく・・・参考にする必要はないです。解けるに決まっています。

工夫します。諦めます。工夫します。喜怒哀楽。しだいに解けます。素直に静かになります。そして、ほとんど瞬間に解けます。その1本の透明な糸で、針を結べます。

なにか努力したとして・・・自分の場合は、その日に思考したことを、夜中に起きて毎日数時間、なにも隠さず総て日記に書いたのです。それで、たった20年ほどで済みました。

この世界の構成要素は・・・物質、感覚器官、感覚、感情、意識・・・五蘊でもいいです・・・人の構成要素です。その機能は・・・泣いたり笑ったり転んだり滑ったり・・・人を覚醒させる触媒です。

だいぶ皮を剥いた渋柿が乾いてきました。音符のようです。

No.5313 - 2016/11/06(Sun) 11:46:20

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / hato

ubik0101さんは、ニューエイジの書を、殆ど読んだことがないと思います。有名になったバシャールは、本屋でちょい立ち読みしてみたそうです。

フェイジョアは、実(み)は小さいのですが、一口含むと、まるで香りを食べているような強い香味がします。

デッキに吊られた柿が、音符のように揺れているなか、庭の入口に、君が代蘭が空を突く勢いで美しく咲いています。今日のこちらは、ほのぼの暖かいお天気。午後はいつもの買い物がてらの散歩かな、というところです。

No.5314 - 2016/11/06(Sun) 12:23:08

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / hato

もうひとつ、大型犬さんの冬支度、大変でしたね。なにしろ、北海道の寒さは、こちらでは想像できません。電気マットに、継ぎ接ぎのビニール・・・ですね。これは、一番冷えてもまだ10度以上ある我が家で、先週行った作業です。

うちは、家のなかには2羽の小人さんがいますが、庭に、二匹のやや大き目の猫くんがいます。

いちおう、屋敷を守っているということで、コマイヌならぬ、コマネチならぬ、コマネコです。きゃつらの小屋はデッキにあり、小さな二階建て。これを春と秋に、日当たりをみて左右に大移動させ、夏支度・冬支度をします。猫はあまり熱くしてはならないのですが、10度前後になると、電気マットを、弱より弱いくらいで付けて、直にならないよう、座布団を上に敷いています。小さな毛布も入れておきます。

2羽の小人さんのベッドも、春秋で取り替えます。こちらは、母とubik0101さんの手作りの、かわいいベッド。小桜インコは寒さに弱いので、小動物用ヒーターで、27度くらいに管理しています。

大事な友だち。できることはしたいと思います。

フェイジョア、今日も夕方にすこしだけ採りました。

No.5315 - 2016/11/06(Sun) 19:01:05
時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / 勘太郎
>あるとき仏陀は、犀の角のように独り歩めと言ったといいます。それは仏陀の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。自分の意識の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。臨済は親切にも、親に会ったら親を殺せ、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、と言ったと伝えられています。もし人が、自分に会ったら、それは自我です。自我に会ったら、自我をCENSOREDのです。<

 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

 80年前の電気製品が今その働きをするとは驚きです。もしかしたら、雲母蓄電器(反転器?)と同世代の電気設備で現在でも働いていモノがあるとしたら、磁器ガイシの屋内電気配線がふる〜い建物で使われつづけているかもしれません。50年前の電気ケーブルが燃えて停電した先日の東京の事故がありました。

No.5308 - 2016/11/02(Wed) 21:47:48

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / ubik0101
> 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 

たしかに、何かに注意することで、思考は止まります。けど、ここは、そうではなくて、見たら見っぱなし、聞いたら、聞きっぱなし、思考したら、思考しっぱなし、です。プロレスで言うと、相手の力を使って相手を倒す、風車の理論です。あるいは3カウントを取りにいかない、投げっぱなしジャーマンです。

これが自然なのですが、おそらく意識にあれば、困難と感じられるかもしれません。ああかも、こうかもしれない、ああでもない、こうでもない、という、ないことを求め続けるのではなく、それを止めようというのでもなく、いつでも注意です。

心がないってことです。たとえば誰かと一緒にいて、面白くないな、もう家に帰りたいな・・・とか思うと、その現実と乖離して、心があるでしょう。そうでなく、ここにあって。逃げないのです。ないものねだりをすると現実に縛られます。

おなじことですが、怒るなら、全身全霊で、怒る。悲しみを慰めようとしない・・・苦痛を時間が解決するとか思いもしない・・・嫌なら嫌・・・思考するなら、骨までしゃぶりつくす、です。

そいえば、何かを意図したわけではないですが、瞬間の思考、を試したことがあります。言葉にしないでも、その内容を、ほとんど一瞬で受け取る。思考しない思考です。

つるつる流れるように起きる、あれこれの物事にいちいち反応して、言葉による思考、その展開、展開、の連想で気を逸らす。それは思考の遊びです・・・に巻き込まれないです。

みんな実はそうなのですが、気がつかず、思考の奴隷になって、風邪をひいた人が咳をして、ウイルスを周囲にまき散らすように、思考をまき散らす、てことかもしれません。思考は言語化された感覚、という言葉を、見たことがあります。

それはそれで深いようですが、言語化されない、感覚そのことで、意味を了解、ということです。それを言葉に翻訳しないということです。それは流れ星のよう、ほとんど瞬間の生滅、です。あと、判断、ということは、どいうことか探った記憶があります。

それは、もの、こと、ひと、を効率よく自分の都合で分類して整理し対処しやすくするということです。でもそれだと、分類されることは受け入れ、分類されないことは、拒否してしまいます。すでに、接着であり、心が生起してます。

そうでなくで、判断しないで、見たことを、聞いたことを、そのまま受け取る。そう狙ったわけではないですが・・・言葉にしない瞬間の思考・・・判断しない・・・怒るなら全身全霊・・・この日常にあって、真摯であること、自分で自分の悟りの邪魔をしないことです。

なんか思考する前に、認識する前に、人は自分の置かれた実情に気がついてるのです。たとえば腕を上げるのも自分ですが、それを意識が認識するのが遅れるだけです。それ、はごく当たり前だから、わざわざ認識する必要もなく・・・それ・・・もしかして不生で見る、生きる、とも呼ぶかもしれません・・・から外れて遊んでしまう癖があるだけです。

> 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

そのようにやったことはないです。たとえば神、実在、第一原因、それは、在る、です。それは誰かが信じる信じない、また感じる感じない、の範疇にないです。在る、を信じるのは変です。

ない、も等価です。私は見えない風だとして、なびく草は見える。です。私は透明な光だとして、花や鳥は見えます。なびく草。花や鳥、思考を見る・・・ふつうの日常・・・知覚が完全機能・・・富士山の稜線・・・それが見えない私です。

そう意図しないでも、知覚の機能を探ると、そうなっていきます。ただ自分を拠り所にするということは・・・その自分は自覚できないのですから・・・なにものにも、自分にも、依拠しないということです。

VT62イントラ反転真空管アンプです。

No.5309 - 2016/11/03(Thu) 13:24:29

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

今朝はきもち良く早起きして、庭のフェイジョアを採りに出ました。

10本の小木が並ぶ一角に行くと、わぁ,出来てるね!コロンとした固い実が、ヒメイワダレ草の合間におちているのが見えます。こんなん拾うの、嬉しいです。木についてる実は、すこし引っ張って採れるともう採り頃だそうです。

No.5310 - 2016/11/05(Sat) 08:21:19

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

朝露に濡れたままですが、まだ固い、キウイの感触に似ています。

No.5311 - 2016/11/05(Sat) 08:26:27
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