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他人を見ていると解ることがある。 / 勘太郎
 自分の思考を感じながら生活していると、他人の思考も分類されて感じられます(おいらの自己判断ながら)。自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどが根となって、言動として表面に現れる。

 同居の義母は87歳で痴呆が進んでいます。20時頃朝でこれからデイサービスに行くと思って支度をしていました。昼間はテレビのアンテナ線を抜いて、おいらに「テレビが映らなくなったから見てくれ」と言ってきました。彼女は無意識ながらたぶん、独り自分の部屋に居ることに不安になって、他人と一緒に居たいと望んでテレビを映らないようにして、他人を呼ぶ理由を創り出したのだとおもいました。
 問題を起こす子供が他人から注意を引き出す為に問題行動を繰り返すのと同じパターン。

 昨日の件名の「思考をしゃぶり尽くす」ことができれば、おいらの中の負の波を打ち消して、フラットな自分でいることが出来るのではないか?とおもうのです。
 「思考を20年間記録し続けた」とお聞きして、思考を意識の表にさらけ出す・思考の現状を常に観察するのを続けてみます。
 週末は嬉しいことに、「思考をしゃぶり尽くす」必要のある負の思考が生れませんでした。よかったよかった!

積雪で山の果樹のネズミ除けの冬囲いに行けませんでした。来週晴予報なので楽しみです。ススキを刈って来年の敷草の用意もしたいのです。
当ににおいらにとって、楽しみの宝の山です

No.5316 - 2016/11/06(Sun) 21:46:32

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / ubik0101
そうです。ひと一般、誰かの亊。それよりも、まず自分のことの理解。ちょっとしたことだとしても、その自分の思考の、その裏、前提、を探ります。それはその裏、前提が隠れてなければ、成立しない思考です。

その思考の裏、前提が露にされると、その思考は、自分の言動の理由、根拠としては成立しなくなる。つまり自分の拠り所を否定していくことになる。たとえば、自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどに、接着する必要がなくなります。

これはどうしても、誰かに指摘されるのでは駄目で、自分でやらなくてはできないことです。それは、静かに、素直に、真摯になっていく道です。そして、このように理解するということは、どんな構造なのか?も理解されます。

そしていわゆる心理的な問題にとどまらず、時間、空間、偶然、必然、自由とか・・・探求は、ときに詩となり、ときに絵となり・・・精神の冒険・・・生活の総てがそうで。とても面白いことです。

猫小屋の屋上で寝てる、なな&みゅー、です。

No.5317 - 2016/11/07(Mon) 13:56:36

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / hato

いますこし前、ラジオを聞いてると、明後日の北海道は、大荒れだそうです。ご家族や犬さんとも、どうぞお大事にしてください。

冬の厳しさはよく見聞きしていて、住まいに縁はありませんでしたが、北海道。憧れの北海道です。

分類をしたことはありませんが、人は本当に、なぜそうなのか・・・の捉え方や、汲み取る意味が違うことに、驚くことがあります。

近所の秋祭りに行った帰り、道端のコスモスです。

No.5318 - 2016/11/07(Mon) 23:30:12
思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / 勘太郎
 件名を書いてから本当にそうか?と思います。
今まで難してくできないと感じて、実行しようとしてこなかったような気がします。簡単ではないでしょうけれども、練習すればできる様になるでしょう。恐ろしくて今までしてこなかった。

バーソロミューという方(芸名)が話の中で「世界はあなたが望んでいることを創り出したもの」と言われている理由を説明しています。
それは、状況がどんなものでも、あなたの心の感じ方は、どういう様であるかを選択できる。どんな苦しみも成長の糧と感じれば有難いし、喜びも不足感で暗く覆ってしまうこともできる、と。
 この方、おいらの感じるところ、悪意のないニセモノ?の様に感じもするのですけれども、有名な方なんで・・・・
 世界は私の創ったものというのはもっと直接的だと言われそうな気がしますが。
 覚者はなにも望まないので、おいらが思うに、あるがままでそのままって想像しているのです。宇宙という運転手に任せて覚者は乗客、過行く景色を楽しんでいる。その景色は覚者が眺めたい渓谷美であり、ライオンがシマウマを今将に喉にかみついている景色。

 フェイジョアって、小人小鳥さんほどの大きさなんですね。夏ミカンよりずっと大きいようにおもってきましたが、種類・栽培によりさまざまなんでしょう。


 3日・今日と外犬の冬支度で日中いっぱいかかりました。年寄犬なので電気保温マットを入れました。断熱材を下に敷いて電気マット、その上に絨毯の端キレ。犬小屋はつぎはぎでビーニールハウスで覆いました。ビニールハウスの妻は解放だから寒いです。それでもビニール掛けるとかけないでは大違いです。

No.5312 - 2016/11/05(Sat) 21:57:46

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / ubik0101

たとえば素粒子とか重力を観測できる装置をつくることができるそうです。その観測装置は世界と無関係なわけではないのに、たぶん同質なのに、

つまりその観測装置も素粒子で、また重力が機能してるとしたら、観測ができるということは、どういうわけなんだろう?と思います。

勘太郎さんも感性が独特のようです。あくまで喩え話ですけど。海に行って道具箱から出してみると、ナイロンの釣り糸がもつれています。それを解くとします。それは、

ほかの、こんがらがった結び目を解くのではなく、目の前にある、ただこの結び目を誰かに解いてもらうわけでもなく、自分が解く、これより簡単なことは、ほかにないです。

ほかの誰かの解きかたは、ほかの結び目なので・・・丁寧にやるとか、諦めないとか、よく見るとかの基本はともかく・・・参考にする必要はないです。解けるに決まっています。

工夫します。諦めます。工夫します。喜怒哀楽。しだいに解けます。素直に静かになります。そして、ほとんど瞬間に解けます。その1本の透明な糸で、針を結べます。

なにか努力したとして・・・自分の場合は、その日に思考したことを、夜中に起きて毎日数時間、なにも隠さず総て日記に書いたのです。それで、たった20年ほどで済みました。

この世界の構成要素は・・・物質、感覚器官、感覚、感情、意識・・・五蘊でもいいです・・・人の構成要素です。その機能は・・・泣いたり笑ったり転んだり滑ったり・・・人を覚醒させる触媒です。

だいぶ皮を剥いた渋柿が乾いてきました。音符のようです。

No.5313 - 2016/11/06(Sun) 11:46:20

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / hato

ubik0101さんは、ニューエイジの書を、殆ど読んだことがないと思います。有名になったバシャールは、本屋でちょい立ち読みしてみたそうです。

フェイジョアは、実(み)は小さいのですが、一口含むと、まるで香りを食べているような強い香味がします。

デッキに吊られた柿が、音符のように揺れているなか、庭の入口に、君が代蘭が空を突く勢いで美しく咲いています。今日のこちらは、ほのぼの暖かいお天気。午後はいつもの買い物がてらの散歩かな、というところです。

No.5314 - 2016/11/06(Sun) 12:23:08

Re: 思考をしゃぶり尽くすのは難しい作業です。 / hato

もうひとつ、大型犬さんの冬支度、大変でしたね。なにしろ、北海道の寒さは、こちらでは想像できません。電気マットに、継ぎ接ぎのビニール・・・ですね。これは、一番冷えてもまだ10度以上ある我が家で、先週行った作業です。

うちは、家のなかには2羽の小人さんがいますが、庭に、二匹のやや大き目の猫くんがいます。

いちおう、屋敷を守っているということで、コマイヌならぬ、コマネチならぬ、コマネコです。きゃつらの小屋はデッキにあり、小さな二階建て。これを春と秋に、日当たりをみて左右に大移動させ、夏支度・冬支度をします。猫はあまり熱くしてはならないのですが、10度前後になると、電気マットを、弱より弱いくらいで付けて、直にならないよう、座布団を上に敷いています。小さな毛布も入れておきます。

2羽の小人さんのベッドも、春秋で取り替えます。こちらは、母とubik0101さんの手作りの、かわいいベッド。小桜インコは寒さに弱いので、小動物用ヒーターで、27度くらいに管理しています。

大事な友だち。できることはしたいと思います。

フェイジョア、今日も夕方にすこしだけ採りました。

No.5315 - 2016/11/06(Sun) 19:01:05
時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / 勘太郎
>あるとき仏陀は、犀の角のように独り歩めと言ったといいます。それは仏陀の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。自分の意識の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。臨済は親切にも、親に会ったら親を殺せ、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、と言ったと伝えられています。もし人が、自分に会ったら、それは自我です。自我に会ったら、自我をCENSOREDのです。<

 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

 80年前の電気製品が今その働きをするとは驚きです。もしかしたら、雲母蓄電器(反転器?)と同世代の電気設備で現在でも働いていモノがあるとしたら、磁器ガイシの屋内電気配線がふる〜い建物で使われつづけているかもしれません。50年前の電気ケーブルが燃えて停電した先日の東京の事故がありました。

No.5308 - 2016/11/02(Wed) 21:47:48

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / ubik0101
> 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 

たしかに、何かに注意することで、思考は止まります。けど、ここは、そうではなくて、見たら見っぱなし、聞いたら、聞きっぱなし、思考したら、思考しっぱなし、です。プロレスで言うと、相手の力を使って相手を倒す、風車の理論です。あるいは3カウントを取りにいかない、投げっぱなしジャーマンです。

これが自然なのですが、おそらく意識にあれば、困難と感じられるかもしれません。ああかも、こうかもしれない、ああでもない、こうでもない、という、ないことを求め続けるのではなく、それを止めようというのでもなく、いつでも注意です。

心がないってことです。たとえば誰かと一緒にいて、面白くないな、もう家に帰りたいな・・・とか思うと、その現実と乖離して、心があるでしょう。そうでなく、ここにあって。逃げないのです。ないものねだりをすると現実に縛られます。

おなじことですが、怒るなら、全身全霊で、怒る。悲しみを慰めようとしない・・・苦痛を時間が解決するとか思いもしない・・・嫌なら嫌・・・思考するなら、骨までしゃぶりつくす、です。

そいえば、何かを意図したわけではないですが、瞬間の思考、を試したことがあります。言葉にしないでも、その内容を、ほとんど一瞬で受け取る。思考しない思考です。

つるつる流れるように起きる、あれこれの物事にいちいち反応して、言葉による思考、その展開、展開、の連想で気を逸らす。それは思考の遊びです・・・に巻き込まれないです。

みんな実はそうなのですが、気がつかず、思考の奴隷になって、風邪をひいた人が咳をして、ウイルスを周囲にまき散らすように、思考をまき散らす、てことかもしれません。思考は言語化された感覚、という言葉を、見たことがあります。

それはそれで深いようですが、言語化されない、感覚そのことで、意味を了解、ということです。それを言葉に翻訳しないということです。それは流れ星のよう、ほとんど瞬間の生滅、です。あと、判断、ということは、どいうことか探った記憶があります。

それは、もの、こと、ひと、を効率よく自分の都合で分類して整理し対処しやすくするということです。でもそれだと、分類されることは受け入れ、分類されないことは、拒否してしまいます。すでに、接着であり、心が生起してます。

そうでなくで、判断しないで、見たことを、聞いたことを、そのまま受け取る。そう狙ったわけではないですが・・・言葉にしない瞬間の思考・・・判断しない・・・怒るなら全身全霊・・・この日常にあって、真摯であること、自分で自分の悟りの邪魔をしないことです。

なんか思考する前に、認識する前に、人は自分の置かれた実情に気がついてるのです。たとえば腕を上げるのも自分ですが、それを意識が認識するのが遅れるだけです。それ、はごく当たり前だから、わざわざ認識する必要もなく・・・それ・・・もしかして不生で見る、生きる、とも呼ぶかもしれません・・・から外れて遊んでしまう癖があるだけです。

> 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

そのようにやったことはないです。たとえば神、実在、第一原因、それは、在る、です。それは誰かが信じる信じない、また感じる感じない、の範疇にないです。在る、を信じるのは変です。

ない、も等価です。私は見えない風だとして、なびく草は見える。です。私は透明な光だとして、花や鳥は見えます。なびく草。花や鳥、思考を見る・・・ふつうの日常・・・知覚が完全機能・・・富士山の稜線・・・それが見えない私です。

そう意図しないでも、知覚の機能を探ると、そうなっていきます。ただ自分を拠り所にするということは・・・その自分は自覚できないのですから・・・なにものにも、自分にも、依拠しないということです。

VT62イントラ反転真空管アンプです。

No.5309 - 2016/11/03(Thu) 13:24:29

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

今朝はきもち良く早起きして、庭のフェイジョアを採りに出ました。

10本の小木が並ぶ一角に行くと、わぁ,出来てるね!コロンとした固い実が、ヒメイワダレ草の合間におちているのが見えます。こんなん拾うの、嬉しいです。木についてる実は、すこし引っ張って採れるともう採り頃だそうです。

No.5310 - 2016/11/05(Sat) 08:21:19

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

朝露に濡れたままですが、まだ固い、キウイの感触に似ています。

No.5311 - 2016/11/05(Sat) 08:26:27
悟りの秘蹟を読みます。 / 勘太郎
 雪担老師が書いています。判ってから、師に「師が在るあるって言うから探していたけれども、ないんではないですか」と恨み言を言った。師は「ないないって言ってたんだけれどもなあ」とおしゃった、と

 ないものを在ると思って捜して、見つからないものを見つけたいと願っているのでしょうけれども、ないもの・見つからないものを捜してみます。

No.5305 - 2016/11/01(Tue) 21:17:26

Re: 悟りの秘蹟を読みます。 / hato

あしたの明け方は、この辺りもとても冷えるそうです。北海道の寒さは厳しいでしょうね。どうぞお身体を大事にしてください。

こちらはさっき、遅い晩ご飯で、熱々のおでんを食べました。

画像はうちのもう一羽の小人さんです。

チュチュ,チュリル。

明日もよい日になりますように。

No.5306 - 2016/11/01(Tue) 23:57:00

Re: 悟りの秘蹟を読みます。 / ubik0101
イントラ反転真空管アンプのカップリングコンデンサーに使ってる、雲母蓄電器(マイカコンデンサー)0.1μFです。自分が生まれる前、太平洋戦争中につくられたものでしょう。

現代では、天然雲母が少なくなっていることもあって、あまりつくられていません。あっても10倍くらいの値段がします。それだと、そこそこのD級アンプが買えます。

フィルムコンデンサーのような振動による滲み、破綻がなく、透明感があり、明確な美しい音と感じます。アメリカでは通信用なのでしょうか、半人工のマイカペーパーコンデンサーがつくられてるようです。

No.5307 - 2016/11/02(Wed) 14:11:33
「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / 勘太郎
 「自分が在る無い」ばかりを考えてきました。自動車が在る無い・怒りが在る無いと自分が在る無いは、同じ在る無いなのか?
 「在る無い」が在るのか?無いのか?という疑問に突き当たります。
 怒りが在る無いが解り易く、感情の海から喜びという波が立ち上がり、怒りという谷が生まれる。風が止んだら、凪が訪れ、海水が粘度を増したかのようにのっぺりと穏やかに夕日を映す。
 自動車が在る無いは行き止まりになって、おいらの思考では届きません。

 変化しないものを知覚することはできないでしょうから、変化しないものを感じる為には特殊能力(感覚)が必要になるでしょうから、自分を感じることは難しいのでしょう。

 泣いたり笑ったりで完璧は遠い世界と感じます。なんとか掘り当てたいです。

 hatoさんのお言葉は子供のそれの様に感じます。「良寛さん〜手毬つきして遊びましょう」と言った子供たちの言葉です。
良寛さんは子供たちとかくれんぼして遊んでいて、夕方になり、子供たちが遊び疲れて家に帰ってしまっても、隠れていた、なんていう話を読んだことがあります。

No.5302 - 2016/10/31(Mon) 22:46:47

Re: 「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / hato

むかし、この掲示板の前身の、ゲストブックというのがあって。そこで、障子の穴、というやり取りがありました。

それを読んだとき一瞬で、目に見えない光が走るようにああ、わかる。と思ったんですけど、思い出す前に、ぜんぶ忘れてしまいました。

ubik0101さんが言ってた、圧縮された情報を解凍する、ということも、まさにそのようだったので、嬉しかったのでした。


お言葉なんてとんでも七分とはっぷん。いつもうちの良寛さんを、ぴっぱり廻して、遊んでいます。

海って、なんてすてきな名前なんでしょう!
おいらさんと奥さん、かっけ〜人!なんでしょうね。

我が家の2名は、気が短いのが玉にキズで、能天気なのが、ちょっとした取り柄です。

パパの大事な、ノンノンです。

No.5303 - 2016/10/31(Mon) 23:35:20

Re: 「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / ubik0101
ある、という、その、そのこと・・・ない、という、その、そのこと・・・これを。ずーと探っています。それは、自動車とか、感情とか、自分とか、とある何かを手がかりにしないと探れないようです。そこで、

できる限り正確に見ると、たとえば思考も、予め破綻して現われる、ようです。小さな哲学の学校、という書があるそうです。そこで子供が、ケガをしたら痛いけど、ケガをしてないときの痛さは、あるの?ないの?という質問をしたと、

どこかで聞きかじったことがあります。勘太郎さんの言う通り、そことかここではなく、もちろん、総てがあるのです。それが海そのことなのでしょう。それが怪我などの破綻によって、現れると思います。そして

その知覚に依存しない、痛みも、喜びも、慈しみも、思考も、ある。これは安心で、幸せな気持ちになりました。その気持ちも、そんなことを、なぜ?と探ってる破綻にあって、現われたのかもしれません。

ふつうには、自分を探り当てようとしてる、それ、が、それ、なので、探り当てられないのですが、探りあてるには、極端であること・・・たとえば自我であること・・・とか、かなりの破綻が必要なのでしょう。

「在る無い」が在るのか?無いのか?これは考えたこともありません。もしかしたら、これを突き詰めれば、面白いかもしれないと思います。思考や感情や行動の奥を探るのではなく、座禅にあって直接《私は何》と問うことで、悟った道の仲間がいます。

No.5304 - 2016/11/01(Tue) 09:33:56
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