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時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / 勘太郎
>あるとき仏陀は、犀の角のように独り歩めと言ったといいます。それは仏陀の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。自分の意識の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。臨済は親切にも、親に会ったら親を殺せ、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、と言ったと伝えられています。もし人が、自分に会ったら、それは自我です。自我に会ったら、自我をCENSOREDのです。<

 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

 80年前の電気製品が今その働きをするとは驚きです。もしかしたら、雲母蓄電器(反転器?)と同世代の電気設備で現在でも働いていモノがあるとしたら、磁器ガイシの屋内電気配線がふる〜い建物で使われつづけているかもしれません。50年前の電気ケーブルが燃えて停電した先日の東京の事故がありました。

No.5308 - 2016/11/02(Wed) 21:47:48

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / ubik0101
> 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 

たしかに、何かに注意することで、思考は止まります。けど、ここは、そうではなくて、見たら見っぱなし、聞いたら、聞きっぱなし、思考したら、思考しっぱなし、です。プロレスで言うと、相手の力を使って相手を倒す、風車の理論です。あるいは3カウントを取りにいかない、投げっぱなしジャーマンです。

これが自然なのですが、おそらく意識にあれば、困難と感じられるかもしれません。ああかも、こうかもしれない、ああでもない、こうでもない、という、ないことを求め続けるのではなく、それを止めようというのでもなく、いつでも注意です。

心がないってことです。たとえば誰かと一緒にいて、面白くないな、もう家に帰りたいな・・・とか思うと、その現実と乖離して、心があるでしょう。そうでなく、ここにあって。逃げないのです。ないものねだりをすると現実に縛られます。

おなじことですが、怒るなら、全身全霊で、怒る。悲しみを慰めようとしない・・・苦痛を時間が解決するとか思いもしない・・・嫌なら嫌・・・思考するなら、骨までしゃぶりつくす、です。

そいえば、何かを意図したわけではないですが、瞬間の思考、を試したことがあります。言葉にしないでも、その内容を、ほとんど一瞬で受け取る。思考しない思考です。

つるつる流れるように起きる、あれこれの物事にいちいち反応して、言葉による思考、その展開、展開、の連想で気を逸らす。それは思考の遊びです・・・に巻き込まれないです。

みんな実はそうなのですが、気がつかず、思考の奴隷になって、風邪をひいた人が咳をして、ウイルスを周囲にまき散らすように、思考をまき散らす、てことかもしれません。思考は言語化された感覚、という言葉を、見たことがあります。

それはそれで深いようですが、言語化されない、感覚そのことで、意味を了解、ということです。それを言葉に翻訳しないということです。それは流れ星のよう、ほとんど瞬間の生滅、です。あと、判断、ということは、どいうことか探った記憶があります。

それは、もの、こと、ひと、を効率よく自分の都合で分類して整理し対処しやすくするということです。でもそれだと、分類されることは受け入れ、分類されないことは、拒否してしまいます。すでに、接着であり、心が生起してます。

そうでなくで、判断しないで、見たことを、聞いたことを、そのまま受け取る。そう狙ったわけではないですが・・・言葉にしない瞬間の思考・・・判断しない・・・怒るなら全身全霊・・・この日常にあって、真摯であること、自分で自分の悟りの邪魔をしないことです。

なんか思考する前に、認識する前に、人は自分の置かれた実情に気がついてるのです。たとえば腕を上げるのも自分ですが、それを意識が認識するのが遅れるだけです。それ、はごく当たり前だから、わざわざ認識する必要もなく・・・それ・・・もしかして不生で見る、生きる、とも呼ぶかもしれません・・・から外れて遊んでしまう癖があるだけです。

> 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

そのようにやったことはないです。たとえば神、実在、第一原因、それは、在る、です。それは誰かが信じる信じない、また感じる感じない、の範疇にないです。在る、を信じるのは変です。

ない、も等価です。私は見えない風だとして、なびく草は見える。です。私は透明な光だとして、花や鳥は見えます。なびく草。花や鳥、思考を見る・・・ふつうの日常・・・知覚が完全機能・・・富士山の稜線・・・それが見えない私です。

そう意図しないでも、知覚の機能を探ると、そうなっていきます。ただ自分を拠り所にするということは・・・その自分は自覚できないのですから・・・なにものにも、自分にも、依拠しないということです。

VT62イントラ反転真空管アンプです。

No.5309 - 2016/11/03(Thu) 13:24:29

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

今朝はきもち良く早起きして、庭のフェイジョアを採りに出ました。

10本の小木が並ぶ一角に行くと、わぁ,出来てるね!コロンとした固い実が、ヒメイワダレ草の合間におちているのが見えます。こんなん拾うの、嬉しいです。木についてる実は、すこし引っ張って採れるともう採り頃だそうです。

No.5310 - 2016/11/05(Sat) 08:21:19

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

朝露に濡れたままですが、まだ固い、キウイの感触に似ています。

No.5311 - 2016/11/05(Sat) 08:26:27
悟りの秘蹟を読みます。 / 勘太郎
 雪担老師が書いています。判ってから、師に「師が在るあるって言うから探していたけれども、ないんではないですか」と恨み言を言った。師は「ないないって言ってたんだけれどもなあ」とおしゃった、と

 ないものを在ると思って捜して、見つからないものを見つけたいと願っているのでしょうけれども、ないもの・見つからないものを捜してみます。

No.5305 - 2016/11/01(Tue) 21:17:26

Re: 悟りの秘蹟を読みます。 / hato

あしたの明け方は、この辺りもとても冷えるそうです。北海道の寒さは厳しいでしょうね。どうぞお身体を大事にしてください。

こちらはさっき、遅い晩ご飯で、熱々のおでんを食べました。

画像はうちのもう一羽の小人さんです。

チュチュ,チュリル。

明日もよい日になりますように。

No.5306 - 2016/11/01(Tue) 23:57:00

Re: 悟りの秘蹟を読みます。 / ubik0101
イントラ反転真空管アンプのカップリングコンデンサーに使ってる、雲母蓄電器(マイカコンデンサー)0.1μFです。自分が生まれる前、太平洋戦争中につくられたものでしょう。

現代では、天然雲母が少なくなっていることもあって、あまりつくられていません。あっても10倍くらいの値段がします。それだと、そこそこのD級アンプが買えます。

フィルムコンデンサーのような振動による滲み、破綻がなく、透明感があり、明確な美しい音と感じます。アメリカでは通信用なのでしょうか、半人工のマイカペーパーコンデンサーがつくられてるようです。

No.5307 - 2016/11/02(Wed) 14:11:33
「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / 勘太郎
 「自分が在る無い」ばかりを考えてきました。自動車が在る無い・怒りが在る無いと自分が在る無いは、同じ在る無いなのか?
 「在る無い」が在るのか?無いのか?という疑問に突き当たります。
 怒りが在る無いが解り易く、感情の海から喜びという波が立ち上がり、怒りという谷が生まれる。風が止んだら、凪が訪れ、海水が粘度を増したかのようにのっぺりと穏やかに夕日を映す。
 自動車が在る無いは行き止まりになって、おいらの思考では届きません。

 変化しないものを知覚することはできないでしょうから、変化しないものを感じる為には特殊能力(感覚)が必要になるでしょうから、自分を感じることは難しいのでしょう。

 泣いたり笑ったりで完璧は遠い世界と感じます。なんとか掘り当てたいです。

 hatoさんのお言葉は子供のそれの様に感じます。「良寛さん〜手毬つきして遊びましょう」と言った子供たちの言葉です。
良寛さんは子供たちとかくれんぼして遊んでいて、夕方になり、子供たちが遊び疲れて家に帰ってしまっても、隠れていた、なんていう話を読んだことがあります。

No.5302 - 2016/10/31(Mon) 22:46:47

Re: 「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / hato

むかし、この掲示板の前身の、ゲストブックというのがあって。そこで、障子の穴、というやり取りがありました。

それを読んだとき一瞬で、目に見えない光が走るようにああ、わかる。と思ったんですけど、思い出す前に、ぜんぶ忘れてしまいました。

ubik0101さんが言ってた、圧縮された情報を解凍する、ということも、まさにそのようだったので、嬉しかったのでした。


お言葉なんてとんでも七分とはっぷん。いつもうちの良寛さんを、ぴっぱり廻して、遊んでいます。

海って、なんてすてきな名前なんでしょう!
おいらさんと奥さん、かっけ〜人!なんでしょうね。

我が家の2名は、気が短いのが玉にキズで、能天気なのが、ちょっとした取り柄です。

パパの大事な、ノンノンです。

No.5303 - 2016/10/31(Mon) 23:35:20

Re: 「自動車が在る無い」は意表を突いた問です。 / ubik0101
ある、という、その、そのこと・・・ない、という、その、そのこと・・・これを。ずーと探っています。それは、自動車とか、感情とか、自分とか、とある何かを手がかりにしないと探れないようです。そこで、

できる限り正確に見ると、たとえば思考も、予め破綻して現われる、ようです。小さな哲学の学校、という書があるそうです。そこで子供が、ケガをしたら痛いけど、ケガをしてないときの痛さは、あるの?ないの?という質問をしたと、

どこかで聞きかじったことがあります。勘太郎さんの言う通り、そことかここではなく、もちろん、総てがあるのです。それが海そのことなのでしょう。それが怪我などの破綻によって、現れると思います。そして

その知覚に依存しない、痛みも、喜びも、慈しみも、思考も、ある。これは安心で、幸せな気持ちになりました。その気持ちも、そんなことを、なぜ?と探ってる破綻にあって、現われたのかもしれません。

ふつうには、自分を探り当てようとしてる、それ、が、それ、なので、探り当てられないのですが、探りあてるには、極端であること・・・たとえば自我であること・・・とか、かなりの破綻が必要なのでしょう。

「在る無い」が在るのか?無いのか?これは考えたこともありません。もしかしたら、これを突き詰めれば、面白いかもしれないと思います。思考や感情や行動の奥を探るのではなく、座禅にあって直接《私は何》と問うことで、悟った道の仲間がいます。

No.5304 - 2016/11/01(Tue) 09:33:56
(No Subject) / 勘太郎
〉身体を世界と言い換えてはどうだろう・・・世界の中に自分?自分の中に世界?・・・と、探ってみます。
 理解可能な説明です。

 宇宙を無限の大きさとすると、宇宙がつぶれた場合には宇宙が自分を中心として落下してくるように感じると本にありました。ubik0101さんの言う通りの現象です。
 「自分が軽くなって、世界と同じ重さになり、次に軽くも重くもない」これを別の言葉で云うと世界はもやもやしてぼんやりして影絵の様だ、と言う方もいるのでしょう(アリストテレス)

〉意識も、身体も、世界も、対象ではないです。世界によって、それを対象として見聞きしてる、その自分がつくられる、わけではない・・・身体、それを対象にすることによって、対象にしてるその自分がつくられる、わけではない・・・意識、それを対象にすることによって、対象にしてる自分がつくられる、わけではない・・・ていうのは、どうでしょう。
 エックハルト・トールは「過去の出来事が自分に起きた対象ではなく、出来事を経験している自分が対象だ」と言っています。これは何とか理解できたのです。ubik0101さんの「対象が存在しない」というお言葉はもやもやして理解できないでいます。理解はできなくても、対象が意識されてしまったら、すでに一つではなくなってしまいますから、そうであることは納得します。
 からだ(世界)という自分の意識の対象があったら、全体ではありません。

 海は対象として、その景色を主張をしない様に思います。それでみんな海が好きなんでしょう。おいらの長女の名前は「海、うみ」です。

 

No.5298 - 2016/10/30(Sun) 20:29:04

Re: / ubik0101
> エックハルト・トールは「過去の出来事が自分に起きた対象ではなく、出来事を経験している自分が対象だ」と言っています。これは何とか理解できたのです。ubik0101さんの「対象が存在しない」というお言葉はもやもやして理解できないでいます。理解はできなくても、対象が意識されてしまったら、すでに一つではなくなってしまいますから、そうであることは納得します。

それと、自分が、ない、ので、世界でも、身体でも、意識でも、感情でも、対象にすることができない、という意味もあります。ここで、ない、ってどいう意味?と探ります。これは奥が深いです。

たとえば自動車がある、怒りがある・・・それは、それが機能してて知覚されるということ。でも、ない、てことは?怒りが現れてないときの、怒りは、どなってる?とか、さまざまに探ることができます。

> からだ(世界)という自分の意識の対象があったら、全体ではありません。

たしかに勘太郎さんの言うように、世界でも身体でも意識でも、ひとつながりなので、自分は、輪郭が明確な特定の個別のこととしてはない、という経緯もあります。世界は世界を対象にできないです。

ついでなので復習します。この自分が、ない、ということは、自分がある、でありきって自覚できない、ある・・・知覚とは差の認識で・・・自分と自分の差がない、ない、という経緯もあります。

たとえばブラックホールそのものは、ある、で一応、見えないらしいです。理想のエンジンが超高速回転してるとします。無音です。もし音がして知覚、自覚できるなら、それは故障か、不具合、環境との関係です。

たとえば痛い胃を自覚できるなら病気です。でも、自覚できなくても病気ということもあります。自覚できても病気ではないということもあります。知覚に依存しない了解があります。

なにかの事態をどう見るか・・・たとえば何かを対象に、するしない・・・また思考のあるない・・・で、ない自分は変わらないです。そんなことで変わるのは変だ、という経緯もあります。

このような、ない、ということは、個別の特定のことではなく、それぞれの偏った了解の方法で、緩やかに立体パズルが組合わさるように、総合的に、ない、です。

一般的に、最初に気がつく、ない、ピースは、自我はない、のようです。そこで終わりにせず、その、ない、の意味を探り、経緯するようです。

そのようにして自分が見え、ない、ということを忘れても決してるなら、大事は、そのそれで・・・たとえば自我と無我、悟りと迷い、現象世界と第一原因・・・その区別が不要で・・・透明・・・自転車に乗ったり、笑ったり、怒ったり・・・で完全です。

> 海は対象として、その景色を主張をしない様に思います。それでみんな海が好きなんでしょう。おいらの長女の名前は「海、うみ」です。

いろんな意味が含まれて、満ちてる感じです。いい名前と思います。

No.5301 - 2016/10/31(Mon) 11:20:27
意識の中に体がある / 勘太郎
 山へのドライブ中、ニサルガダッタ・マハラジの「私は在る」を聴いています。ご存知とは思いますが、ラマナ・マハルシの後継者の様な方です。

 質問者との問答集です。たまたまおいらに引っかかった言葉です。マハルシ「あなたは体の中にマインドがあると信じている。それはただの習慣であって、真実はマインドの中に体があるのだ」
 
 そう言われてみると、おいらの感じ方も「そうだなあ〜、身体の中に心があるのか?心の中に体が在るという感じるのか?どっちともいえないものだなあ〜」と思った次第です。
 おいらの感覚は耳からのマインドコントロールに依るものです。

 ぶよ・蚊・糠蚊のいない今の季節はとっても気持ちが良いです。身体を少し動かせば寒くはないし、力仕事ははかどるし。茄子・ピーマンのマルチ剥がし・じゃがいもの収穫と椅子に腰かけて紅葉の山を眺めるながらの休息

No.5294 - 2016/10/29(Sat) 22:27:48

Re: 意識の中に体がある / ubik0101
ニサルガダッタ・マハラジも、ラマナ・マハルシも、書を数ページ読んだことはあるのですが・・・身体の中に意識?あるいは意識のなかに身体?たしかに、どっちでもないです。ふと、身体を世界と言い換えてはどうだろう・・・世界の中に自分?自分の中に世界?・・・と、探ってみます。

それで、子供〜青年の頃は、ぐるっと世界が取り囲んでて常に、その中心に自分がいた。長崎・・・長距離夜行列車・・・東京・・・飛行機・・・札幌・・・礼文島・・・どこにあっても、その世界の中心は自分だった。そんな感覚の記憶があります。どこか遠くの銀河にいても、その、

ここ、が宇宙の中心なんだ。どこでも世界の真ん中、と空想したものです。それは希薄だけど、ほとんど無限の質量に自分が取り囲まれてて・・・そうと気がつかなくても世界が重かった。しかし、自分と世界の重さが同じになって、さらに世界が軽くなった・・・今は、重くも軽くもないです。

意識も、身体も、世界も、対象ではないです。世界によって、それを対象として見聞きしてる、その自分がつくられる、わけではない・・・身体、それを対象にすることによって、対象にしてるその自分がつくられる、わけではない・・・意識、それを対象にすることによって、対象にしてる自分がつくられる、わけではない・・・ていうのは、どうでしょう。

No.5295 - 2016/10/30(Sun) 10:26:25

Re: 意識の中に体がある / hato

今日はすこし肌寒さが、こんな日もいいなと思える秋の日曜日です。

昨日は久しぶりに、御前崎に行きました。なぶら市場や福泉という、魚市場が気に入りで、買わなくても見に行きます。マグロや金目鯛、タチウオ、キンキと、味が似てる夢カサゴ。

漁港あたりで釣りを楽しむubik0101さんの横で、海を眺めます。

No.5296 - 2016/10/30(Sun) 11:35:19

Re: 意識の中に体がある / hato

帰りがけ、御前崎南端の灯台下の広場で車を止めました。200度というのか、視界いっぱいが海です。満ち潮でした。

10月が、もうあと一日・・郵便郷で、おせち予約のカタログが出ていました。

No.5297 - 2016/10/30(Sun) 11:53:14

Re: 意識の中に体がある / hato

今日はふと思い立ち、小國神社に行きました。静岡で親しまれてる、森の木立ちが美しいお宮で、今年は何度か訪れています。

行ってみたら、七五三でした。

No.5299 - 2016/10/30(Sun) 20:31:13

Re: 意識の中に体がある / hato

それで、我が家は子供がいませんが、七五三といえば千歳あめでしょ、買う?と聞くと、ubik0101さんがさっそく、買ってきなよと500円をくれました。

行きつけの喫茶店で、ワクワクしながら開けてみると、あらっ。ミルキーはママの味!の不二家ミルキーです。昔のあの味ではない、ミルキーなんだ。ペコちゃんだ。あれれ、ポコちゃんは???

きもちでもいいから、キャンディの包みに、神社の名前でも入れればいいのにね。パパも口をとがらかしてご意見也。そんな他愛ない午後でした。

No.5300 - 2016/10/30(Sun) 20:44:57
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