思考以前の考えてる「自分」 覚醒したのではありません。
思考している自分が自分。
あれまたその理解できた時の感じがしなくなりました。2分前にはこれが自分なんだという感覚がしましたが、今は元の通りです。
昨夜 キリスト教の三位一体についておもったこと。 神様は身体の奥にある、触れない不動の精神的存在。 私は自我。 教えは神様と自我の通り道。
右端が昨日ネズミや鹿に食われない様に冬囲いした栗の木です。「地元の方に栗はくわれないんじゃないの?」と言われました。 10時から3時まで掛かって9本に肥料袋を巻きました。 5度でお日様ぽかぽか無風、こちらの長くつは防寒仕様なので雪の上でもそれほど冷たくありません。
実りを期待しての行為ではない為か?山の作業は冷たい雨の中でも、炎暑の耕起もなんとも楽しく愉快で心地よいものです。夕方には去り難く、また陽が陰り、西向き斜面にはまだ陽が射している谷間のはたけでの帰り支度をする行為もまた心地よいものです。 収穫は重要ではないけれども、月曜日の職場の階段の登下りの足が軽い軽い。疲労感の残る身体はとっても軽いです。だるさと無縁の疲労感は心地よいです。
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No.5326 - 2016/11/13(Sun) 09:36:08
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