〉身体を世界と言い換えてはどうだろう・・・世界の中に自分?自分の中に世界?・・・と、探ってみます。 理解可能な説明です。
宇宙を無限の大きさとすると、宇宙がつぶれた場合には宇宙が自分を中心として落下してくるように感じると本にありました。ubik0101さんの言う通りの現象です。 「自分が軽くなって、世界と同じ重さになり、次に軽くも重くもない」これを別の言葉で云うと世界はもやもやしてぼんやりして影絵の様だ、と言う方もいるのでしょう(アリストテレス)
〉意識も、身体も、世界も、対象ではないです。世界によって、それを対象として見聞きしてる、その自分がつくられる、わけではない・・・身体、それを対象にすることによって、対象にしてるその自分がつくられる、わけではない・・・意識、それを対象にすることによって、対象にしてる自分がつくられる、わけではない・・・ていうのは、どうでしょう。 エックハルト・トールは「過去の出来事が自分に起きた対象ではなく、出来事を経験している自分が対象だ」と言っています。これは何とか理解できたのです。ubik0101さんの「対象が存在しない」というお言葉はもやもやして理解できないでいます。理解はできなくても、対象が意識されてしまったら、すでに一つではなくなってしまいますから、そうであることは納得します。 からだ(世界)という自分の意識の対象があったら、全体ではありません。
海は対象として、その景色を主張をしない様に思います。それでみんな海が好きなんでしょう。おいらの長女の名前は「海、うみ」です。
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No.5298 - 2016/10/30(Sun) 20:29:04
| ☆ Re: / ubik0101 | | | > エックハルト・トールは「過去の出来事が自分に起きた対象ではなく、出来事を経験している自分が対象だ」と言っています。これは何とか理解できたのです。ubik0101さんの「対象が存在しない」というお言葉はもやもやして理解できないでいます。理解はできなくても、対象が意識されてしまったら、すでに一つではなくなってしまいますから、そうであることは納得します。
それと、自分が、ない、ので、世界でも、身体でも、意識でも、感情でも、対象にすることができない、という意味もあります。ここで、ない、ってどいう意味?と探ります。これは奥が深いです。
たとえば自動車がある、怒りがある・・・それは、それが機能してて知覚されるということ。でも、ない、てことは?怒りが現れてないときの、怒りは、どなってる?とか、さまざまに探ることができます。
> からだ(世界)という自分の意識の対象があったら、全体ではありません。
たしかに勘太郎さんの言うように、世界でも身体でも意識でも、ひとつながりなので、自分は、輪郭が明確な特定の個別のこととしてはない、という経緯もあります。世界は世界を対象にできないです。
ついでなので復習します。この自分が、ない、ということは、自分がある、でありきって自覚できない、ある・・・知覚とは差の認識で・・・自分と自分の差がない、ない、という経緯もあります。
たとえばブラックホールそのものは、ある、で一応、見えないらしいです。理想のエンジンが超高速回転してるとします。無音です。もし音がして知覚、自覚できるなら、それは故障か、不具合、環境との関係です。
たとえば痛い胃を自覚できるなら病気です。でも、自覚できなくても病気ということもあります。自覚できても病気ではないということもあります。知覚に依存しない了解があります。
なにかの事態をどう見るか・・・たとえば何かを対象に、するしない・・・また思考のあるない・・・で、ない自分は変わらないです。そんなことで変わるのは変だ、という経緯もあります。
このような、ない、ということは、個別の特定のことではなく、それぞれの偏った了解の方法で、緩やかに立体パズルが組合わさるように、総合的に、ない、です。
一般的に、最初に気がつく、ない、ピースは、自我はない、のようです。そこで終わりにせず、その、ない、の意味を探り、経緯するようです。
そのようにして自分が見え、ない、ということを忘れても決してるなら、大事は、そのそれで・・・たとえば自我と無我、悟りと迷い、現象世界と第一原因・・・その区別が不要で・・・透明・・・自転車に乗ったり、笑ったり、怒ったり・・・で完全です。
> 海は対象として、その景色を主張をしない様に思います。それでみんな海が好きなんでしょう。おいらの長女の名前は「海、うみ」です。
いろんな意味が含まれて、満ちてる感じです。いい名前と思います。
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No.5301 - 2016/10/31(Mon) 11:20:27 |
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