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みどりの庭から。
/ ubik0101
えだまめ、収穫しました。これで1株です。けっこう大量。まず、3〜4分、茹でます。
No.5267 - 2016/10/15(Sat) 10:29:03
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
あと、お湯を捨てて、えだまめを鍋に戻し、3分ほど、炒ります。皿に盛ってから、塩を振り掛けます。これで、ほくほくの食感の、えだまめ、が出来ます。
これは目黒の飲み屋で、こんな美味しい、えだまめ食べたことない、というのがあったので。その作り方を想像して、やってみたものです。お勧めです。
No.5268 - 2016/10/15(Sat) 10:34:56
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
なにか作業してると、ノンノンが、何?何?と言って飛んで来ます。
No.5269 - 2016/10/15(Sat) 10:41:05
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
フェイジョア、だいぶ実が大きくなって来ました。あと1ヶ月ほどで落下するので、それが食べ時です。
No.5270 - 2016/10/15(Sat) 10:51:43
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勘太郎は誰なんだろう?
/ 勘太郎
〉自我も,真我も、無我も、悟りも、迷いも、非2元も、いまここも、基底も、ない、です。そもそも、これ、がなぜ、これ、なのか何も知りはしないのです。こう、であることを、こう、と認めるだけです。
「そのまま、丸ごとが勘太郎だ」
それを、そうであると理解できても、そうであると認めることができないでいるのですね。
「丸ごと、丸ごと」と唱えてみます・・
網膜に映っている自分の部屋の様子は、勘太郎丸ごとの中に入るのか?・・・・ 入ります。・・・・つまりは全てが勘太郎だ、となるのでしょうけれども・・・・。勘太郎以外のものが在るはずがない・・・。
・・・・・・・
自分が固まってしまったような感じがします。かたまるというか、進も後退もできなくなった、動けなくなった、です。
溜息つきながら、考えます。
御拝
No.5264 - 2016/10/07(Fri) 21:53:53
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Re: 勘太郎は誰なんだろう?
/ ubik0101
ubik0101の言うことなど、もう壊滅したのです・・・勘太郎さんは・・・この世界は、いま開闢しました。この、なにもない、
なんでもない、ここからしか・・・ご飯を食べることも、草むしりも、探求も、始まったことはないです。これだけなのです。
No.5265 - 2016/10/08(Sat) 08:54:38
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Re: 勘太郎は誰なんだろう?
/ hato
静岡もすこしずつ、秋めいてきました。まだ蒸し暑いですが、朝晩は涼しくなりました。
忙しない日々の仕事に鍛えられつつ、ふと気が付くと、植木鉢のレモンが大きくなっていました。あれや、これ。どうしてそうなのか、こうなのか。
見るままのこのことが、なぜ、そうなのか・・・を知りません。
No.5266 - 2016/10/08(Sat) 21:55:50
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自己は感じ得ない。心がおいらと自己の橋。
/ 勘太郎
おいらは、橋に立っている様に思うのです。
とんだ勘違いで、おいらの心(自我)のままかもしれません。そこは距離のない場所ですから。
おいらが時計の秒針の動く音を聴いています。
その時、遠くで自我のざわめきは聞こえますが。
音を聴こうとする力と、自分の胸の奥に入り込んで心の物音を聴こうとする力があります。
ここに欲も善悪も感情もありません。
これらの動作(力)の中心点が存在する様に感じてます。
この中心点が消えたところに、真我とか空とか言われる状態があるのだろうと思ってます。
中心点を探るから、中心点が生まれる。
そんなふうに思いますが、論点を外してますか?
遠慮なしに叩いてください。
まるで「独参」です。 御拝
No.5262 - 2016/10/06(Thu) 20:04:46
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Re: 自己は感じ得ない。心がおいらと自己の橋。
/ ubik0101
ubik0101の経緯を話します。まったく中心点を探らないと、中心点はない、とは言えません。自覚できないでも、自我は自我です。探ったとしても探らないとしても、自我は自我です。ある、から、探ることで、ある、と認められるのかもしれません。
なにも自我をなくす意図で探求してたわけではないのです。どうしようもない衝動で自分の奥へ奥へと向かっていたのですが、またそんなこと考えてもなくても、自我があるとかないとか気がついてもいませんでした。
たった一度だけ会社で・・・あの作業の指示をしたのは僕・・・とか、仕事仲間に話した時。ああこれ、もしかして自我?と微かに疑ったことがあるだけです。
それで気がつかないでも、ずっと自我だったのです。より適切な表現としては、自我が完成するその時。これまでずっと自我だった、自我の仕組みを見て、これで総てが終わった、と了解されます。それを目的としなくても、それは解決されます。
そこで、自己は体験として、自覚できます。ほかの人の話とか聞いたり調べたりしないので、みんなが、そうかどうか知らないのですけど・・・神、実在、第一原因・・・が、認めるものとして、自覚できるのです。
けっして人が、神を認めるのではありません。逆です。自己とは、神の直系です。初めて体験してもそれは愛としか呼べない愛が、その証です。聖書の言葉・・・《あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛せ》・・・この通りです。
それまでは自我が、なんであるかも知らないのです。それが何なのか知らないで、あの人は自我だとか、誰かを批判してるのが普通です。なのにそれをなくそうとかするなら、それは空想の自我をどうこうしようとしてるのかもしれません。
ただ、あの体験もトリック、神も仮定、かもしれないと疑えます。そうだとしても探求は、神を失い、自己を失い、体験を、この日常に失うこと。縁起の生起・・・順観と、縁起の壊滅・・・逆観。どうやら、これも意図してるわけではないですが、そうなってるようです。
このようなことは体験のほうが遥かに簡単です。でも思考によっても、了解できないとは言い切れないです。思考を活性化すれば、起こった体験を読み解くのに、とても役に立つてこともあります。
たとえばですが、中心点を探るから、中心点が生まれる、とか。中心点を探るから・・・中心点の有無に関らず・・・探ってる自分が生じる。とか定義してみます。それをしっかり認識して、それは去ってしまう、失うに任せます。
歌ったり、ご飯を食べたりの日常。すると意図しないでも、それがそれを展開するのを自然が推進し、真相を露にしてくれるようです。誰彼から聞いたというわけではなく、1人あって生じた疑問は解けなかったということはないです。
いろいろあるでしょうけど。中心点を探ってる自分は、中心点と遊離してるから、探れるわけで、自我が生じてるような気がするのかもしれません。そんなこと、たとえば距離が・・・あるとかないとか・・・この世界にありえる・・・スライス・オブ・ライフ・・・です。
たとえば無我にあれば、対応してるのは自我とか・・・それは分離だ・・・とか、思考が問題だ、とか・・・そんな偏りをつくって、説明のために、確認のために、分離とか融合とか・・・使ったりするというだけです。
なんか滅茶苦茶かもしれませんが、自我も,真我も、無我も、悟りも、迷いも、非2元も、いまここも、基底も、ない、です。そもそも、これ、がなぜ、これ、なのか何も知りはしないのです。こう、であることを、こう、と認めるだけです。
No.5263 - 2016/10/07(Fri) 09:37:51
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早く台風が過ぎると良いです
/ 勘太郎
台風で地球が無くなるわけでもない。人がいくら死んでも地球が不幸せになるのでもない。
だけど、死を普通と感じることはできない。面白いものだと感じます。
カラスって一生をつがいで暮らすらしいと読んだことがあります。(不確か)今朝犬の散歩中つかず離れずの2羽を見かけました。夕べは電柱で2羽が並んでとまってました。愛おしく感じました。
当地は昨日のしとしと雨がやんで、やや肌寒いくらいのからっとした気持ちよい晴天です。先週末の山は、紅葉前の表情で前週よりづっと秋が進んでいます。
No.5258 - 2016/10/04(Tue) 08:50:19
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Re: 早く台風が過ぎると良いです
/ ubik0101
> 台風で地球が無くなるわけでもない。人がいくら死んでも地球が不幸せになるのでもない。
> だけど、死を普通と感じることはできない。面白いものだと感じます。
たしかに。もし、誰というわけでないけど、私、がいなくなれば、この世界は、この世界ではなくなる・・・コスモスの花びらを、ちぎり取ったら、それはもうコスモスではない・・・世界ではない・・・悲しみ・・・けど、
それでも、いつものように星が巡り、鳥が鳴き、青空が広がって・・・悲しさも、喜びも、苦しさも、怒りも・・・行動も、発言も、思考も・・・なにも変わらず・・・なにも増えもせず減りもせず、たとえば、
よーい・・・どん!世界人類全員100メートル競争です。そこでは走りながら結婚したり、子供を産んだり・・・悲しんだり、怒ったり、平穏だったり・・・書を読んだり・・・病気になったり、死んだり・・・戦争、平和・・・春夏秋冬・・・迷ったり、悟ったり、昼寝したり、です。
ありとあらゆることと、ありとあり得ないこと、森羅万象、その活動。それゆえどこにも偏れないそれを、世界の総活動とか、縁起とか、中道とか、呼んでいます。人はそんな体験をします。それは縁起によって起こるのではなくて、縁起、そのことです。
みんな、ここに暮らしています。けど、そいう体験と同一化することを、ここでは悟りとは呼んでいません。それでもここに埋没しきること、これがある意味、大事です。
> カラスって一生をつがいで暮らすらしいと読んだことがあります。(不確か)今朝犬の散歩中つかず離れずの2羽を見かけました。夕べは電柱で2羽が並んでとまってました。愛おしく感じました。
こちらにも、どこからか小さいときに庭に迷い込んで来た猫2匹と、小桜インコ2羽と暮らしています。それで、それらとか家族とか隣人とかの関係が、この自分、をつくっています。
ほんのちょっとしたこと・・・素直であること、悪いことをせず、良いことをすること、真摯であること・・・また誤摩化したとしても、それを、たとえ全知全能の神や、ほかの人が、自分のことを見てないとしても、
この自分の見聞きしたことはそのまま自分にわかり、言動したことはそのまま自分にわかり、思考したことはそのまま自分にわかる・・・自分の言動に理由をつけない・・・そのまま受ける・・・それから逃げない・・・これが探求の総てのようです。
> 当地は昨日のしとしと雨がやんで、やや肌寒いくらいのからっとした気持ちよい晴天です。先週末の山は、紅葉前の表情で前週よりづっと秋が進んでいます。
ここ2日くらいは、すこし夏に戻った感じですが、こちらも涼しくなって来ました。昼間でも、鈴虫が鳴いていました。
No.5259 - 2016/10/04(Tue) 17:32:36
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Re: 早く台風が過ぎると良いです
/ 勘太郎
>
> たしかに。もし、誰というわけでないけど、私、がいなくなれば、この世界は、この世界ではなくなる・・・コスモスの花びらを、ちぎり取ったら、それはもうコスモスではない・・・世界ではない・・・悲しみ・・・けど、
理解できます。
> それでも、いつものように星が巡り、鳥が鳴き、青空が広がって・・・悲しさも、喜びも、苦しさも、怒りも・・・行動も、発言も、思考も・・・なにも変わらず・・・なにも増えもせず減りもせず、
>想像できます。
> よーい・・・どん!世界人類全員100メートル競争です。そこでは走りながら結婚したり、子供を産んだり・・・悲しんだり、怒ったり、平穏だったり・・・書を読んだり・・・病気になったり、死んだり・・・戦争、平和・・・春夏秋冬・・・迷ったり、悟ったり、昼寝したり、です。
理解できます。
>
> ありとあらゆることと、ありとあり得ないこと、森羅万象、その活動。それゆえどこにも偏れないそれを、世界の総活動とか、縁起とか、中道とか、呼んでいます。人はそんな体験をします。それは縁起によって起こるのではなくて、縁起、そのことです。
ここは理解できません。言葉を受け入れることもできません。宇宙が10の500乗個あるとすると、別の宇宙においらが居て、彼は億万長者で仏様でキリストで総理大臣で乞食でカラスで蟻であるそうです。宇宙全体が同じ原子配列になるようです。そうすると、ありえない事ができない世界になります。
>
> みんな、ここに暮らしています。けど、そいう体験と同一化することを、ここでは悟りとは呼んでいません。それでもここに埋没しきること、これがある意味、大事です。 すこし理解できます。
>
>
> ほんのちょっとしたこと・・・素直であること、悪いことをせず、良いことをすること、真摯であること・・・また誤摩化したとしても、それを、たとえ全知全能の神や、ほかの人が、自分のことを見てないとしても、
>
> この自分の見聞きしたことはそのまま自分にわかり、言動したことはそのまま自分にわかり、思考したことはそのまま自分にわかる・・・自分の言動に理由をつけない・・・そのまま受ける・・・それから逃げない・・・これが探求の総てのようです。
>
これは、おいらにもできそうな気がします。おいらに気を許したら、すぐに欲望・希望・夢と云ったモノに逃げ込んでしまうのですが・・・。頑張ればできそうなきがします。
No.5260 - 2016/10/05(Wed) 21:01:55
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Re: 早く台風が過ぎると良いです
/ ubik0101
>ここは理解できません。言葉を受け入れることもできません。宇宙が10の500乗個あるとすると、別の宇宙においらが居て、彼は億万長者で仏様でキリストで総理大臣で乞食でカラスで蟻であるそうです。宇宙全体が同じ原子配列になるようです。そうすると、ありえない事ができない世界になります。
それは、なにか物理学の説でしょうか。そいえば子供の頃、星空を見て、あの遠くの銀河のどこかに自分がいる、なんて思ったことがあります。なんか感傷的な気持ちだったような気がします。
その頃いじめっ子がいて、そこで虐めてるのは、自分なのに、馬鹿だな。なにも根拠もないのですけど、そう思ったことがあります。それはそれとして、
キリストでも、総理大臣でも、カラスでも、それは縁起にあっては・・・私です。けど、蟻でも、乞食でも、仏陀でも、犬でも、猫でも、宇宙全体が同じ原子配列でも・・・(総てが均質ならそれは、ある意味、ない、ですけど)・・・それは思考できる、特定の個別のことでしょう。
そのように対象として、ありとあり得ることに、意識は、接触し、接着したい傾向があります。たとえば、欲望、希望、夢、などに意識は接着する癖があります。けど、それが総てではないように思います。知覚も意識も、ない、を認めるのは、とても苦手ということです。
>これは、おいらにもできそうな気がします。おいらに気を許したら、すぐに欲望・希望・夢と云ったモノに逃げ込んでしまうのですが・・・。頑張ればできそうなきがします。
おいらが、欲望、希望、夢に逃げ込むというのは、たぶん思い込みです。それをなくすとか避けるとか頑張るもいいですけど、それは困難です。ひとつには・・・そいうことが、なにも始まってないところ、ニュートラルな、なにか意味付けする前の、
ふつうに見える聴こえる・・・世界・・・ということも、まだ始まってないそこに、誰もいるのです。これは判断すること、認識すること、勝手な意味づけなどを否定しようとかではなく、そうと気がつく前にそうなのです。ここは素直で、真摯で、注意、にあります。
これが難しいと感じられるなら・・・たとえば欲望、希望、夢、苦痛、不満、不安・・・それは、あるものです。あるものから、あるものへと、意識は飛びつく性質があるようです。そして、そんなことしてる自分を確認したいという癖があるようです。
そんなことで自分を確認したり認識したり解釈しないでも、まったく問題ないです。私が私であることは、そいうことの有無に左右されないです。たとえばですけど、子供の頃は模型飛行機が欲しかった・・・とくに今は欲しいとも思わない・・・私です。それは模型飛行機を持ってる持ってないに関らないし・・・また実際は、模型飛行機が欲しくても・・・私です。
あるいは・・・欲望、希望、夢、苦痛、不満、不安に懸命になって、思考して思考して思考して、ふと、なにかを考えてないその自分に気がつけば済みます。大丈夫、それでなにも問題は起きません。そこは注意そのことで・・・エーテルは快晴・・・です。あるいは空想は空想と知って、探求の中休みとして、楽しめばいいです。
あるいは・・・腹が痛い時、それが気になって、いろいろ原因を探ったり結果に悩んだりするかもしれません。でも、腹が痛く、ない、とき、腹が痛く、ない、という、ない、にさえ気がついてません。けど、事実、ない、です。そこで働いたり、ご飯を食べたり、思考したり、探求したりが支障なくできるのです。
また、ひとつには・・・欲望、希望、夢、の仕組みはどうなってる?医者が自分で自分を解剖、手術するように、正確に冷徹に見る。これが探求になり得ます。ここは、勘太郎さんは、勘太郎さんとして、勘太郎さんを探ること、
それは勘太郎さんしかできない、独自の道です。ubik0101が勘太郎さんを探っても、みな空想です。社会とか、政治とか、人間関係を左右しようとするわけではなく、自分を探るだけです。
あるいは困ったことが起きて、それから逃げるために、嘘をついたりしてしまう。あるいは損得、快不快、好き嫌いに支配されないように、その場その場で、ちっと努力は必要かもしれません。もしなにか誤摩化したら、それを受入れれば、それも道です。歩き始めたら、道は外れないのです。
No.5261 - 2016/10/06(Thu) 10:50:22
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個人は世界の中に波のように現れる
/ 勘太郎
寝ている、真剣に走っている、スイカを割る時は自分は無い。
いろんなキノコが生えてくる、風が吹く、台風が起きる様に世界から自分が生まれる。
そんな様に思いました。
だから、世界と自分はひとつ、分割出来ない。
No.5256 - 2016/10/01(Sat) 14:12:13
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Re: 個人は世界の中に波のように現れる
/ ubik0101
そうですね。私たちは、この世界の生まれです。そして、なぜか知りませんが、実在に還る、て感じです。♪どこまーでも行こう、道は果てしなくても〜、口笛を吹きながら歩いて行こう・・です。お互い、精進しましょう。
No.5257 - 2016/10/01(Sat) 18:42:44
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