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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

補足の続きです。 / ubik0101
すこし実例を話してみます。

この静かな岡の片田舎では、自治会というのがあって、たとえばそれが近隣だというだけで、まったく知らない家だとしても、通夜に行ったり、葬式の手伝いをすることになっています。

そこで、知らない人の通夜葬式には出ないと不満を言う人もいます。そんな機会があったので、

知らない人だから、ということは、通夜葬式に出ない、ということの理由にならない・・・そして・・・このことの理由は言わないけど、考えてみたらどうでしょう?と言ってみました。

すると、どうしてもその理由を言えと、言います。しかたなく、知らない人の通夜葬式に出たくない、というのは、自分中心ということでしょ。と答えました。

No.7325 - 2020/07/09(Thu) 21:31:09

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
そこから、ああでもない、こうでもないの、通夜葬式に行かないことの正当性を守るための、思考と発言と行動が始まります。

そして世界は・・・その自分中心を正当化する材料を幾らでも供給し続けます。わたしは知らない人に香典をだすほど裕福ではない、面倒だから、もう時代は変わる。私の通夜葬式には誰も来なくていい。あなたは自己中ではないの?いったい自己中でない生き方て、どういうこと?・・・どうでしょう。

そのありとあらゆる思考が、自分中心を隠れた前提にしてるのではないでしょうか。その都度その都度、愚かな自分を守り、愚かな自分をつくってるのです。

No.7326 - 2020/07/09(Thu) 21:34:29

Re: 補足の続きです。 / hato

列島、大雨の7月初旬です。皆様もどうぞご無事でありますように。

こちら、いつかのルンルン。もう風になってしまったけど、いつも精一杯、「大好き」という気持ちを表現してくれたラブバード。
青い小鳥です。

No.7327 - 2020/07/09(Thu) 21:44:16

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
そんな人が・・・人を変えるには自分が変わればいい、私は違う次元に生まれ変わる、なんの執着もない、もう終わった過去は問題にしない。みんな自己責任・・・とか言ったりするのです。自分のしたことが自分で分からないので、どこかから聞いたことを振りまいてる、この恥ずかしさに気がつかないのでしょう。

もちろん不公平でありたい人かもしれませんし、責任を負いたくない人かもしれませんし、不満をまき散らしたい人かもしれませんし、人にはいろんなことが複合してその人を隠してるものですが、言ったように、実際に話した人であれ、ほかの人のことは、ここで、どう考えても空想です。

このようなことを、その自己中な人が誰から聞いても、その自己中な人のためになりません。ここで話してることは噂話にすぎません。

ほとんど、自己責任は絶対ということ・・・それをも自我は自我を守る理由にします。そのように自我は、人と人の間に隠れて生きているのです。

ただ・・・自分の言動思考発言は自分で、誰もがそのまま解るでしょう?ただそのことを受け止めて・・・それから逃げずに・・・そうするその奥、それを探るだけなのです。

No.7328 - 2020/07/09(Thu) 21:46:15

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
こんな簡単なことはないのに、ほとんどビデオも見ず、書も読まないけど、そうする人は、あまりいないかもしれません。世界にも、人にも、その準備はできています。それなのに、

ああでもない、こうでもない・・・変な言い方ですが、思考が外のことばかりを見て根拠に、その思考する中心を見ず、その見えない自分を守るのです。

そんな境はありませんが、あるとしても、ほんの薄皮一枚・・・これも変な言い方ですが、内を見ればいいだけです。

それだけで自我のつくった真我、いわゆる外の、あっちこっちを飛び回り自分のことを疎かにしながら、特別感、万能感を、それが嬉しいという、愚かさ・・・そんな思考、

こんなことが思考が問題だ。と言われる理由かもしれませんが・・・いいえ・・・思考ではなく、問題があるとしたら、その人が問題なのです。その問題を思考が正確に現してるのです。思考は導探求の頼りになるのです。

No.7329 - 2020/07/09(Thu) 21:57:19

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
ところで、

ほんとうには、誰か人が自分中心だとしても、その理由がないのです。理由なく自己中なのです。この理由がなく、自己中ということは、最強の理由なのです。あるいは知識がある、あるいは裕福、あるいは家柄がいい、先祖に優れた人がいる・・・考えられることは、どんなことでも・・・自我にとっては理由になるとしても・・・理由にならないのです。

つまり理由は、理由なくあることのカモフラージュということもあります。なにか、誰かから理由を指摘されたとしても、自己中と言われても、それは単なる理由ですから、理由なくある自己中は生き残るのです。

威張ってる人は理由なく威張ってるし、卑下してる人は理由なく卑下してるのです。逆に言えば、理由がないのですから、この瞬間にも、そんなことにも縛られることもなくあれるのです。また理由なく公平、理由なく親切、理由なく誠実、であれるのです。

No.7330 - 2020/07/09(Thu) 22:23:01

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
こんなことに、なんとなくでも気がついたら、理由なく生きる。そして理由なく生きることに縛られてしまうこともありますが、それが探求の経緯になったりします。

そういえば上司には絶対服従で、部下には服従を求める人がいました。それはそれなりの世界観なのでしょうし、大声で叫び、俺が俺がの、活動的な人でした。また上司には絶対服従で、部下には服従を求める人がいました。どちらかと言うと、陰険で、人の顔を窺って生きてる人もいました。

ほんとうに、ほんとうに、その人自身の問題、課題です。世界には準備はできてます。人にも探求の用意は整っています。

ゆっくり続きます。

No.7331 - 2020/07/09(Thu) 22:26:20

Re: 補足の続きです。 / hato

一昨日か前の夜中、ふいに思い出して、かなり久々に、ubik0101さんの、とある探求ノートを手に取りました。はたと開いて読みいくと、「うむ。これはかなりの天才に、違いない。」とは思うとして、人は正しく努力しょう!人生励もう。と力付けられるところがあります。

ubik0101さんの学生時代の探求ノートから、いくつか続きます。

No.7333 - 2020/07/09(Thu) 23:14:15

Re: また、ゆっくり続きをお願いいたします。 / 勘太郎
 こちらは青空、さっぱりした快晴です。
近隣の方が「九州の人たちは、みんなこっちに引っ越して来ればいいんだ」と言いました。

 この近隣の方にも、隠れた自分が居ます。

おらは、天候だけを取り出して、自分と比較しても生活全体の比較はできないと思っています。おらの中に隠れた自分が「おらは近隣の方より、隠れた自分に気が付いている」と思う自分が分かります。無限にこれが反射・反復します。

No.7334 - 2020/07/10(Fri) 08:36:59

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
おそらく自分で自分を感じるというのは・・・楽しくもあり不安でもあり、自分がある?という確認作業かもしれません、が・・・それは、ものたりないということ、欠如、完全ではないということ・・・自我の構造が及ぼす影響でしょう。

そうではなく、自分を見る自分も見られる自分もないこと・・・確かめる必要がないということ、満ちているということであり・・・自我はないという意味でもありますが、真我(ある)は真我(ある)にありきって、ない、も無我と呼びます。

No.7335 - 2020/07/11(Sat) 17:48:47

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
もすこし、この話を続けます。

たとえば通夜葬式に出る。出たくない。と考える言う行動する、考えない言わない行動しないということに関らず、自己中なら、自己中なのです。自己満なら、自己満。自己顕示なら自己顕示。強欲なら強欲。

ご飯を食べてるときも、TVを見てるときも、誰かと仲良くしてるときも。それは隠れていても・・・それは見えないけど、自己中なら、自己中なのです。自己満なら、自己満。自己顕示なら自己顕示。強欲なら強欲。まったく気がつく、縁(よすが)もないとしても、そなのです。けれど、

その、

その、たとえば知らない人の通夜葬式にはでないという思考が発言が行動が、発生する時。誰かと話す時、その人の話を聞かないで自分の思考を捲し立てる時、じっと相手の眼を見る時、怒る時、静かな時・・・この日常の普通の、その出来事、出来事が、不思議に、その自分の有り様を見せてくれる、絶妙な機微です。

たとえば通夜葬式に出ないと言ったのに出るとか、出ると言ったのに出ないとかもあるでしょう。この思考の意味は何?この発言の裏は何?この行動の前提は何?それが問えるのは、それが現われないことがあり、現われるので、問えるのです。そして、それが何であれ、たとえばゴミ捨て場に袋を持って行く、なんか仕事とかの作業をする・・・その都度その都度、なにか現われてないことなど、ないのです。ここでなにか思考や感情が起こるなら、

その眼の前、眼の前に展開されることに眼を奪われて、狭い範疇にいる。ということかもしれません。なにか考えたら、それをあらゆることに適応してみる、そして、それを自分に適応してみる・・・ことも役に立ちます。

また誰かを小馬鹿にして、拒否して、その小馬鹿にしてる一瞬前の自分を振り返って自己満を楽しむ・・・こいうことをしたら、恥ずかしいことですが、その恥ずかしさを引き受ける。でないのなら自分のしたことにも気がつかないで、自分を隠してる。ということかもしれません。ということに気がつく。

そこで、自分で自分を隠さないこと、誤摩化さないこと・・・それは他の誰かから見て、この自分のことは解らないだろうから、としてその自分を自分で隠す・・・人と人の間に隠れて生きる・・・そんな操作を知らず知らずしてるかもしれません。そこで、たとえ全知全能の神が見てなくても、私は私のことを知ってる。こんな決意も大事だったりします。

そして、自由を求めるなら、自由を求める。公平を求めるなら公平を求める。世間に疑問を持つなら、世間に疑問を持つこともあるでしょう。

あるいはしかし、世間や学校や会社には規制があって、自由を求めるなら、また公平を求めるなら・・・その自由とか、公平とか、世間とかの意味は・・・数学の公式のように前提にされ不問にされている・・・そのことを意味を探る。その言葉の定義をする。ここで人は、もう後戻りすることのない道に踏み出します。

これは素直であることによって。自分が自分でないことに自分の根拠を求めないことによって。つまり、どんなことにも見える聞こえる感じる思考できるどんなことにも、自分の根拠を求めないということで可能です。

こんなことで何をしてるのか?繰り返します。人が、世界の、その人の機能を学んでるのです。

ゆっくり続きます。

No.7336 - 2020/07/16(Thu) 21:03:42

Re: 補足の続きです。 / hato

庭に多くの、トネリコの木が植わってます。とあるひとつの樹が、6月かの初夏の頃、とても見事に花を咲かせました。

No.7337 - 2020/07/21(Tue) 23:19:12

Re: 補足の続きです。 / hato

なんとも美しく、目を引きました。

No.7338 - 2020/07/21(Tue) 23:20:00

Re: 補足の続きです。 / hato

7月に入り、とある猫散歩中、コタロウが立ち止まり、なにかを見てると思ったら、あのトネリコです。

なにやら黒い物体、カナブンか・・・と近づくと、あれ、カブトムシ!??

草むらにいるであろうのも含めて、30匹かそれ以上はいるのかも知れません。知らないうちにパラダイス化していました。調べてみると、こんなこと、あるのだそうです。カブトムシは、神奈川のアパートから10年ぶり。ちょうど思い出していたところで、驚きの再会です。

ほかにも沢山生えていますが、このトネリコが気に入りのようです。

No.7339 - 2020/07/21(Tue) 23:28:14

Re: 補足の続きです。 / hato

雨模様から数日蒸した晴れ日があったり、こんな気候がいいのかも知れません。独特な、西瓜に似た匂いが漂い、カブトムシ特有の、ジリリ、ジリリという、無機質な、心地わるくない音を出します。木の幹を削り進み、樹液を吸っています。

夏に入り、こちら仕事もすこしずつ本調子。いまのところ、まだ涼やかな朝晩に助けられてます。

No.7340 - 2020/07/21(Tue) 23:37:15

Re: カブトムシは不思議な形です / 勘太郎
 カブトムシの世界でしか通じない角の様に思えます。しかしながら、恐竜のトリケラトプスに似ています。 生き物はこんな形が好きなのかもしれません。
 
 天気予報が少し外れて、爽やかな快晴の朝です。このような天気の犬の散歩は特にたのしいです。

No.7341 - 2020/07/22(Wed) 08:56:07

探求ノートから / hato

ubik0101さんの若かりし頃の探求ノートから、少しずつ。

7.14

名称と形態

人は自己にとって個別者ではありませんが、他の人にとっては個別者です。

これは、ま、今の私の有り様を表している、としましょう。これについての批判をなし得ているわけではありませんから。というのも、愛は名称と形態を超えねばならないからです。

いや名称と形態を超えるものが愛であり、そのことを証明せねばなりません。

No.7342 - 2020/07/22(Wed) 21:37:37

Re: 補足の続きです。 / ubik0101
ちょっと書き忘れがありました。

それで、誰か他の人が、自己中だ。偽善者だ。嘘つきだ。と思う時、これを振り返ります。そ考えてる自分は、実は、自己中ではないのか?・・・なぜなら、まったく、そでないなら、他の誰かのことだとしても、そ考えることができるだろうか?

この、そ考えないところ、考えてないところ・・・その空気感・・・投影と、事実の認識はどう違う?・・・この微妙な一瞬の感覚。見えないけど、1人あることの、無意識の、なんか扉を開ける時だったように思います。

それは、他の誰かに向かって、馬鹿と言う人は馬鹿だ。自己中と言う人は自己中だ。ということはあるでしょう。それを自分に向かって、言う。その知覚できない、認識できないところに向かって、言った、ということです。

ゆっくり続きます。

No.7343 - 2020/07/26(Sun) 22:03:54
自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
たぶん、人はなんであれ行動し、発言し、思考しています。それなりの世界観で生きてるかもしれません。

たとえばこれは、こちらの経緯にはありませんが、説明のために話します。この世界は仮想現実だ。ならば、その世界観が成り立ってる前提を探るのです。

もしかしたら私は、責任を負いたくない・・・ということがあって、この世界が仮想現実なら、その私にはそれを負う必要がないということなのかもしれません。

No.7309 - 2020/06/07(Sun) 08:44:27

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
ほかの誰かの言うことは、その本人でないので、ここで言うことは、どう考えても空想です。

たとえ同じ世界観であっても、その前提は、人それぞれでしょう。その本人だけが、その思考の成立する前提を探ることが出来得ます。そしてその前提は隠れてなければ、機能することができません。実は、人がなにかに同一化できるとして、この隠れてる前提です。

この何が何だか解らない見えない自分と、隠されてなければ、その人の前提として機能しない見えない前提は、とても馴染みがいいのでしょう。見えないので人はそれと同一化し、自分の世界観による行動、発言、思考の基礎にします。

No.7310 - 2020/06/07(Sun) 08:49:44

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

長崎の伊王島に行きました。長崎も、熱波と、穏やかに賑わう街と山川、海の風景がなつかしいものです。

高速船に乗った小旅行。ubik0101さんが撮ったこの画像は、高速船から見たどこかの島の教会のようです。

伊王島内を散策して、山間に見つけた白い教会があって、その入り口にふたつ椅子が並べてあり、座って休みました。そこから広がった海の眺望が爽快だったのを覚えています。

No.7311 - 2020/06/07(Sun) 09:13:05

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
たぶん、なんでもいいです。悟りたい・・・人生に問題がなければそれでいい・・・お金持ちになりたい・・・人の上に立ちたい・・・いい人に見られたい・・・そのようであって、

その前提になってる見えない、その前提、その前提、があるのではないでしょうか?それを明るみに引きずり出すだけです。そしてそれが見えるなら(対象と主体に別れるので)人はそれと同一化することはできません。つまり隠れた前提による言動はクリアされます。

それは、隠されてなければ、その人の行動、発言、思考の前提になりません。そして見えるのは、その人の、行動、発言、思考だけです。それは常に常に、探求を誘ってるのです。

No.7312 - 2020/06/07(Sun) 09:16:29

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

それぞれが長崎と神奈川にいた頃、長崎の画像をたくさん送ってくれました。七夕は新大工町の商店街から。

No.7313 - 2020/06/07(Sun) 09:32:40

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
そして、結果的に判ることですが。その前提、その前提、それを隠したのも、その自分でしかありません。ほかの誰かが、また環境や社会、世界が、これを前提にしろと、人に言っても無理なのです。

なので、自己観察は、自分で隠したことも忘れてることを自分で探すという、これほど簡単なことはないと思うのです。どんなに困難に思えても、自分で出した疑問は、必ず自分で解けるのです。

どんなことであれ、その都度、その都度の言動思考に、その前提が現れてるのです。自分の日常を観察というより、そんなことをしなくても、人は自分の行動が自分でわかる、話したことは聞こえる、思考したことは知覚できる。これ以上の不思議も神秘もないのです。

No.7314 - 2020/06/07(Sun) 09:35:23

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
ほんとうに、ほんとうに、自分を知ろうとしてる、そうでしかないのです。なにか人が自分のためになることをするなら、ほんとうにほんとうに自分のためにすればいいのです。

おおむね自分中心なのに、その自分を知らないことも知らないで、生きてるかもしれません。そんな、ただ生きて死ぬような人・・・そんな自我でも、そんな自我だからこそ、そんな自我を探ることが出来ます。その自分を、その根拠を自分で探る、それだけです。

たとえば、偽善が嫉妬が、傲慢が、卑下が騒がしさが、静かさが、覚醒の障害であり、それがそのまま覚醒の道です。世界はその総てを、その精髄を、それを超えたことを人に与えようとしてるのです。

No.7315 - 2020/06/07(Sun) 09:44:50

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

このとき、自分はこのとき、目がとっても腫れててや。なのですが、ubik0101さんがこれがいいっというので。

No.7316 - 2020/06/07(Sun) 10:31:30

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / ubik0101
これは楽しい探求です。発見に次ぐ発見で、オーディオとか、庭作業とか、自転車とか、どんなことよりも面白いのです。自我を、それを壊そうとできるのも自我だけなのです。これは自分の立場を削り取る道です。

それで、自分の思考の前提を探ることを、否定の道と呼んでいます。どんなことも拠り所にならず、素直の道です。だからといって、なにも期待しない道です。楽しいから続けたのです。これで何かが起きるとか、何が起きるとか、まったく考えてもみませんでした。そしてこれが軌道に乗ったら、

どんなことも探求です。ご飯を食べることも、野良作業をすることも、電車に乗ることも、探求でないことなど、なにもないです。この世界が、この日常が、注意だということです。

ゆっくり続きます。

No.7317 - 2020/06/07(Sun) 10:38:37

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

長崎で、図書館さんにお会いしました。この2人の後ろ姿、とても素敵です。

No.7318 - 2020/06/07(Sun) 10:44:07

ゆっくり続きます。 / 勘太郎
お願いします。
No.7319 - 2020/06/08(Mon) 19:05:25

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

神奈川の週末、小田急線に往復揺られてよく訪れた、江の島裏磯の夕日です。
重い釣り具を抱えて、島内を上り下りしたり、余裕があるときは、乗って数分で着ける渡し船に乗り込みました。うーん、パパのお陰で、なんと怖いところで釣りをしていたのでしょう。いい思い出です。

そんなこんなとあって、
静岡は、緑溢れる片田舎に移りました。

No.7321 - 2020/06/14(Sun) 00:05:25

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 補足 / ubik0101
すこし振り返ります。自分の言動思考の隠れた前提は、明るみに出されると、隠れた前提としても、その隠れた前提があるゆえの言動思考も成立しなくなります。これは自分が自分だと思う自分を失う道でした。

たとえば食事をすると、その食べ物は、見えなくなります。それは人の血や肉になったからです。

このように何か理解するということは、得ることより失うことに似ています。そして、結果、なくなることは、何もないと解ります。

そのときはそうと気がつきませんでしたが・・・自分で隠したことを自分で捜すだけですが、それはマッチポンプだとしても、思考、感情、行動の機能・・・そしてなにより言葉、つまり世界がそのように活動する、その世界の活動の機能を学んでたのだと思います。

ほかの人に、こいうことが適応されるかは知りません。このような日常だった、ということです。こんな自分の根拠を探る否定の道ですが、とくに宗教や哲学に詳しいわけではなく、誰かに学ぶとか、知識を得るとか、そんなの面倒だったので、自分を研究する、ほかにできることなかったのだと思います。自我が自我を嫌う機能を自分に向かって適応するとも言えます。

それは、死んだら死んだということさえ分からなくなる、これが底知れない恐怖で、自分の中心を探ろう、ということが発心になりました。

ゆっくり続きます。

No.7322 - 2020/06/19(Fri) 20:18:55

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

ノンノンのパパは、ubik0101さん。
ノンちゃんパパ、の所以です。
パパが選んだ、ノンちゃんの写真はこちら。

ノンちゃん、スイカ、美味しいね。

No.7323 - 2020/06/19(Fri) 20:23:02

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 / hato

もう一枚。

No.7324 - 2020/06/19(Fri) 20:28:13
自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
たとえば自分の生まれた国、生まれた家族、風光、生活、読書、思想・・・食物・・・言葉・・・それはその人をつくっています。つまり、世界がその人をつくっています。それで、私は世界だ。ということのほかはないです。

もっと正確に言うと、世界によって作られてる自我は、自分で自分が何が何だか解らない、人、と世界の協力関係で作られます。ほかの何者でもありません。

そして世界とは、物質、感覚、感情、意識です。なんであれ、それは自我が生じる、その土壌になり得る範疇にあります。

No.7293 - 2020/06/04(Thu) 12:22:38

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
ここで、人はどこかの家で生まれ・・・たとえば家族、隣人、学校、社会・・・感情、思考・・・空想・・・世界の狭い範疇、個別のこと、分離されたことから普通は始まります。

それらは人を作ってるので、自我とはそんな自我の骨組みになってることと同一化してる、と言われたりします。が、なんであれ、感情とか、思考とか、行動とか、人はそんなことに同一化するのは不可能です。

というのは実際は自我が守ってるのは、学歴、家柄、知識、貯金、名誉、傲慢、卑下・・・というよりは、それによってつくられる自我の中身、どんなことでもない、ない、ということです。自己保存とはこういうことです。

No.7294 - 2020/06/04(Thu) 12:27:20

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

時間がゆっくりあったので、長崎や、神奈川で撮った画像を整理していました。なつかしいね、と見ています。

いつかの露草から。

No.7295 - 2020/06/04(Thu) 12:37:41

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
この、ない、を守ることがある意味、探求です。このなんでもないない、を守りながら勉強し、遊び、働く、日常を経緯することが困難なのです。

ないを守らず、何の疑問もなく、おおむね快不快、好き嫌い、損得に准じて、ただ諦めて生まれて死ぬような人生なら、その人の探求は超困難になるでしょう。

でも、なんであれ同一化しようとする、あるいは同一化しきれない、たとえば出身校に同一化する、過去の出来事に、あるいは未来のことに、絶望に、希望に、健康に、病気に、同一化しきれないのが自分でしょう?

それを見てる自分、が生じるのではないでしょうか?自我です。では個別のことではなく、総体としての世界ではどうでしょう。しかし誰が、森羅万象・・・ありとあらゆること、ありとありえないこと・・・でありえるでしょう。

また誰か人が世界の隅々を経験したとして、その瞬間にはまた、世界は変わり続けてるのではないでしょうか?問題は、人が生活や考えの範疇を広げることではありません。

No.7296 - 2020/06/04(Thu) 12:39:07

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
そのような虚構である自我の構造を形成する骨組は、そのような森羅万象でつくられています。あるいは善、あるいは悪、あるいは怠惰、あるいは努力、嘘、真実・・・ありとあらゆること、森羅万象が総力で自我をつくっています。

そのような自我は、とてつもなく大事で、どこまでも守らねばなりません。分離された部分だけを自我の問題にすることがあるようですが、違います。

なんとか自我と真我の関係を話そうとしてるのですが、困難です。自我は世界によってつくられ、虚構で、内容はない・・・それは、ほんとうに森羅万象が、心を込めて、精神を込めて、魂を込めて、そうしてるのです。

No.7297 - 2020/06/04(Thu) 12:44:24

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

長崎のアパートでの、ubik0101さんのセッティング。このマックのモニターは、自分も同じ型を知人から譲ってもらい持っていました。今見ると、本当に年代ものの感じがします。

No.7298 - 2020/06/04(Thu) 12:52:57

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
なんであれ良いことだけではなく、悪いことも、快も不快も、損得も、好き嫌いも、雨の日も晴れの日も、あるもないも、森羅万象が・・・そのために働いてるのです。

たしかに騒がしさも、静かさも、善も悪も・・・なので、どこか、いいとこ取りで自我を解決。と言うわけにはならないのです。

たとえば受動だから○、能動だから☓、とかいうわけにはいかないのです。思念は☓、知覚からの直接行動は○、ではないのです。責任も無責任も・・・主観も客観も・・・どれもがあってもなくても駄目です。問題はそいうとこにはありません。

No.7299 - 2020/06/04(Thu) 12:54:44

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101
たとえば誰でも考えるでしょう?主観と客観、それはどいうことなのか、主観そのこととか、客観そのことがあるとして、それはどいうことなのか?どこにも思考は落ち込まないでしょう。このように判断しなこと、これも大事です。

そして主観だけで生きる。こんなこともできます。乞食にも、新入社員にも、先輩にも、社長も、大統領も、天皇も・・・同じように対応する・・・仕事も遊びも、すべてプライベートなこと・・・・公平であること、卑下も傲慢もなく、自分を隠さないこと、これは、ほんとうに人生を賭けるのです。

この日常に、世界に、たとえば責任ということがあるでしょうか?ありません。けれど、なんか人がしたりしなかったりで、そのことから逃げると、責任が生じます。逃げること、逃げ続けること、このいまではなく、常に常に自分を逸らすこと。不注意なこと。その責任はその人が負うしかないのです。

ほかの人が、誰か人を、卑下しても馬鹿にしても、貶めることは出来得ません。その人が自分で、自分を貶めることしかできないのです。

つまり、この日常に世界に責任がないということは、世界には完全に透明な、責任が完全に満ちてる。いうことです。ほかの言い方では、その人がどんな人であれ、すべて自己責任です。

ゆっくり続きます。

No.7300 - 2020/06/04(Thu) 13:03:54

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

神奈川の、緑溢れる丘のアパート。仕事はいつも大変だったけど、幸せな時間を過ごした、とても不思議な場所でした。

No.7301 - 2020/06/04(Thu) 13:08:33

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

この掲示板で出会った、一読者さん、peerさん、大阪さん、potanpotanさん、ubik0101さんの友人だった、神奈川の調理人さんご夫妻や、東京の友人が訪れて下さいました。

秋になると毎日聞こえてくる、ドングリが屋根に落ちる、コツン、コツンの音、・・・ウグイスや、大勢のメジロたち、鳥たち、・・カブトムシも雄雌で、小さなベランダから、この部屋にやってきましたね。

ふしぎなキノコや山椒や、嬉しい草草がいつの間にか生え揃って迎えてくれた、小さな森の丘のとある部屋です。ubik0101さんが、近くのスーパーのチラシで、本日の目玉商品を見てるところです。

No.7302 - 2020/06/04(Thu) 13:31:22

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

次々に住む人が、たくさんの不思議と幸福に恵まれますように、と願いました。

No.7303 - 2020/06/04(Thu) 15:10:07

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / 大阪
こんにちは

わぁ

ubikさんの写真、シルエットすらここに上がるの、はじめてじゃないですか??

No.7304 - 2020/06/06(Sat) 11:51:53

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101&hato

わ、大阪さん!こんにちは!😊😊

じつはシルエット、2度目でした。うしろすがたを一緒に出したことが、ありました。

今日はこれです。もう10年むかしの。

No.7305 - 2020/06/06(Sat) 13:09:05

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

わたし的にはいまいちすきでもないんですが、パパはとっても気に入ってるみたいです。いちばん、えらそーに映ってるのでいいいんだって。

No.7306 - 2020/06/06(Sat) 13:17:44

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / hato

こっちのがパパらしい〜かな。。

No.7307 - 2020/06/06(Sat) 13:25:59

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / ubik0101&hato

これも若いです。ルンルンと一緒。

No.7308 - 2020/06/06(Sat) 13:44:19

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2 / 大阪
突然のフルオープンわろた笑笑

バズるなぁ(´-`)

No.7320 - 2020/06/08(Mon) 20:19:40
自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
ところで、まず自我とは、何でしょう?

ほかの人に向かって強い意見をする、怒る、くよくよ悩む、こだわる・・・いいえ・・・自我とは、仕組み、形式でしかありません。

それは、

その自分が予めあって、なにか話す、行動する、思考するのではなく・・・なにか話します、行動します、思考します。

そのことによって、そうする自分が、予めあるかのように時間を遡って作られます。

そしてその作られた自分が何か話し、行動し、思考したと感じる・・・虚構・・・その形式が自我です。

No.7281 - 2020/05/12(Tue) 06:09:05

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
ほかの言い方では、世界がその人のために行ってるのに、その人がしてると思い違うことです。

またほかの言い方では、小さな苗木を支える支柱のようなことです。

No.7282 - 2020/05/12(Tue) 06:10:43

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
そんな自我とは、その形式、構造そのことであり、その中身は、ない・・・空虚、です。

その空虚を形成する・・・構造、骨組みとなって、機能するのは、ありとあらゆること・・・たとえば、

この怒り、悲しみ、楽しさ、嬉しさ・・・歩く走る話す・・・知識、無知、真、善、美、醜、快、楽、苦、嘘、不快、好き、嫌い、損得、賛成、反対、時間、空間・・・いわゆる心理的思考、もちろん科学的、数学的思考・・・青い空、夜、銀河、宇宙・・・言葉・・・ほんとうに、ありとあらゆること、ありとありえないこと、森羅万象がその内容になりえます。

その人が何かをするのではなく、なにかをすることによってその人がつくられるのですから、そのしたことを守らざるを得ず、これが執着ということです。ほかの言い方では、自我は、その、ない、を守ってるのです。

No.7283 - 2020/05/12(Tue) 06:25:21

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
では自我は何のために作られたのでしょう?

それは簡単です。真我の発現のために必要だからです。この真我の発現にあって、もう二度と使われることのないマジックの種明かしがなされるように・・・それは読んだり聞いたりされる知識ではなく・・・その用を終えた自我の仕組みが開示されます。その開示は、体験、の機能です。

No.7284 - 2020/05/12(Tue) 06:31:03

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
もし人が誰か、自分は世界とか、総てはひとつとか、いうことを悟りとするなら、それは違います。悟りとは、真我の発現を意味します。世界からの解脱を意味します。

もし全ては1つとかいうことが悟りなら、たとえば自分のアイデンティティが身体から宇宙に拡大することが悟りなら、悟りは不要です。

よく言われるように、そいうことなら人は最初から悟っています。そんなことは悟りと言われるほどのことではないです。

なので、その自我は削除されれば問題解決というわけではありません。苦悩などの人生の問題が解決さえすれば、人生は問題ないというのではありません。自我は成長しそれから死ぬ必要があります。

No.7285 - 2020/05/12(Tue) 06:44:27

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
くり返します。その人が予めあって、なにかをするのではありません。なにかすることによって、予め時間を遡ってその自分が仮定される、自我は虚構、ということです。

それは、行動する、話す、思考する人の総ての行いに適応されます。言われるように思考だけが問題なのではありません。なにか思考がなくても、話さなくても、行動しなくても、騒がしくても平穏でも、戦争でも平和でも、まったく自覚がなくても・・・その人が自我なら自我です。

なので自我の解決は、それら全ての解決です。それは解脱でしかあり得ないです。

No.7286 - 2020/05/12(Tue) 06:58:24

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / ubik0101
ここで、その自我の形式が開示され、壊滅しました。すると、結果的に、どんなことでも、争いでも平穏でも、戦争でも平和でも、楽でも苦でも、自我であったことが了解されます。

その内容・・・つまり、ありとあらゆること、青い空、世界、数学の公式、怒り、喜び、悲しみ、思考、行動、幾年月・・・それは、それだけのことで・・・世界の機能であり・・・自我の働きではないと知れます。

ただどうしても、妬み、偽善、悔しさ、傲慢、卑下、苦悩とかは、その形式がなくなることで、それは機能しなくなります。そいうことは自我の形式がなくては機能することはできません。

しかし、妬み、偽善、悔しさ、苦悩とかは、その自我という形式が機能しないでも、機能しなくすることができます。それはその構造を理解することによって。

ただ自分のみを拠り所にして。ほかの言い方では、ほかのどんなことも拠り所にせず、否、ならず・・・自分は自分の対象にならないので、自分も拠り所にならない、素直、真摯であることによって。

No.7287 - 2020/05/12(Tue) 07:11:45

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / hato

テレビのマツコさんという人が、家内生活にすっかり埋没していて、今後の社会復帰が心配・・というので、あら自分だけじゃなかった!と可笑しくなりました。

ubik0101さんは身体もうひと頑張り!のところ、季節の風は初夏の香りです。

ヤマトヌマエビ君の子。10日前の4ミリが、1センチ強に育ちました。

No.7288 - 2020/05/12(Tue) 14:01:12

Re: 自我がかくれんぼして 遊んでいます。 / 勘太郎
 猫の声を聴く、間髪を置かずに、時計の音を聴く、間髪を置かずに、キーボードを打つ。自我は陰に隠れて姿を隠します。また自我は霧の様に薄くなって視界の邪魔をしない様になります。そして条件により一寸先の見えない濃い暗黒にもなります。

濃い霧に包まれたら、動くのを止めて、鳥の鳴き声や微かにかおる、花の香りを嗅ぎます。時間が経つと霧は晴れます。

ここでは待つという時間が必要になります。或いは濃い霧そのものを見つめると霧は霧散します。影に隠れただけで、また出てきます。

ハトさんに笑われますけれども、またいつもの言葉が思考に浮かびます。「今日のお手紙は大変わかりやすく、私の理解が一歩進みました」
 現実はなに一つ変わりません。足踏み歩行です。

 そこでまた思います。足踏み歩行でも、筋力はつくだろう。いつかきっとジャンプするに違いない。待っていても仕方が無いので、待つことは止めて、焼き芋やさんの売り声に聞き入ります。

勤務先のホテルは200室以上あります。宴会その他はもちろん0.宿泊者は二人です。のっぴきならない事由があってキャンセルできないのでしょう。

No.7289 - 2020/05/12(Tue) 19:38:42

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / hato

おはようございます。
今朝も爽やか、なんともいい朝です。

>ハトさんに笑われますけれど・・

自分は、勘太郎さんの言う、思う・・ところのハトさん、ではないので、人を見下して笑いません。そういうことをできません。けれど、自他を問わず、愚かさを見るとき、嘆かわしい、と思います。

自我は、愛着ある故に足かせになっている考え方、その有り様を、どこまでも、失いたくないのです。自分を理解することを、人はじつはわからないのではなく、理解出来ないのではなく、好んでそうしない、捨てない、です。理解するとは自我の死、その有り様を、維持できないことだからです。

そのための言い訳、理由を巧妙に作成して、毀誉褒貶(きよほうへん)に甘んじる自分から、変わらないでいたい、ということなのでしょう。

No.7290 - 2020/05/13(Wed) 08:39:15

Re: 誤解はしていません。 / 勘太郎
 勘太郎の性格上、他人から小ばかにされることも多かったです。それだからこそ、癖の指摘を不快に感じる事はありません。勘太郎の癖を自分で面白くて、書いた言葉です。
 明るく振る舞わないとならないという強迫観念。明るい人だと思われて、勘太郎を可愛がって欲しいという願望が卑下したような書き方をするのかもしれません。これもくだらない言い訳です。

お二方の書き込みに、鞭うたれる感覚があります。

No.7291 - 2020/05/13(Wed) 15:48:49

Re: 自我・・・世界/実在・・・真我 / hato

実態として空虚ながら、依存構造である自我ゆえの、残響のような陰影に、人は自ら気付くことがあり、それを指して自我だ、と感じるかも知れません。構造は依存関係でしかあることができません。人がその自我なら、なにをしてもしなくても、無でも有でも、強弱濃淡に係らず、人はただ自我その構造、その仕組みです。

例えば、可愛がられていたいという有り様は、まさになにかに依って有ろうとする、依存関係である自我の構造そのもので、じつは自らまんざらでもない、ことに気付いてないことがあると思います。

ここはなにかスピリチュアルな、希望的事態が目的になり得ない、どこまでも人の、成長に係ってること。それ以上でも以下でもない故に、なによりこの日常、生活が十分な道具となり、誰にでも開かれている、注意深くできるなら、いつでもどこでも自己をいく道です。

じつは傲慢であるところの甘えの構造、依頼心の全貌に理解が進むまで、自分に隠している嘘とごまかし、自分として無問題と放置している偏向(癖)や言動の、根本となる観念と事実を、正確に見なければならないと思います。

なぜそうしたのか、なぜそう考えたのか、

隠してあるのに、なぜ隠していることに気付けないのか、ばかにされたなら、自分がじつは見下していたのではないか?どんな観念があるのか。なぜ事実より世間体に甘んじるのか、頭のせいにしてないか、なぜその観念、思い込みに従属するのか、当然としているのか、しなければどうなると思うのか、なぜ信じてるのか、それは事実か?これはなにか?なにをしようとしてるのか?、なにか知ってると言えるか?本当に知ってるのか?・・・・、

道筋は個々それぞれに、丁寧に見ていくことができると思います。雑駁でない、繊細、且つ明確である必要があります。探求に文学的形容、装飾は不要です。

そうすればなにかが起こるか?
それは、わかりません。人によります。

ですが、しないよりは事実に近づくのであり、無用は削ぎ落され、生自体がよりシンプル、簡単になると思います。多く欺瞞や嘘、正確でない不明瞭なものを抱えたまま自己に向かう(これは単に言い方、表現です)ことは困難です。

自分をだまさない。また、不可思議に於ける、自己流解釈をいったん捨てると決意することは、助けになると思います。
或いはまた。これは憧れ夢見た覚醒ではないので、もうやめよう、これまで通り生きよう、ということも、あると思います。

誰もが、そこから。尚、無意識、意識的を問わず、敢えて直面する人がいる、ということだと思います。

No.7292 - 2020/05/16(Sat) 17:33:20
頑張ります / 勘太郎
頑張ります
No.7280 - 2020/04/30(Thu) 18:43:38
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