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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

スペイン風邪はしぶとかった / 勘太郎
1918年3月にアメリカに始まり、第1波は5月から6月にヨロッパで流行。

第2波は、その年の秋から全世界で流行し
第3波は 翌年の春から全世界で流行した

当時の日本の人口が5500万人でスペイン風邪による死者は39万人。世界では5千万人から1億人の死者。

私は、春になれば、流行は納まると思っていましたけれども、どうなるのでしょうかね?運を天に任せて(手洗い等の防御はします)明日は菜園の種の交換会に行ってきます。

政府や厚生省を非難する声もありますけれども、人の往来を止める事はできないし、後から批評はどうとでもできます。誰がどう何を行うのか?解りませんけれども、運を天に任せるしかないと思っています。

No.7206 - 2020/02/23(Sun) 21:46:30

Re: スペイン風邪はしぶとかった / ubik0101
こちら帰宅後は、手洗い、歯磨きをしています。そのほかのことはあまり考えることもないです。昨日今日は夜遅くまで働きました。
No.7207 - 2020/02/24(Mon) 23:55:07

そのようにすろ。 / ubik0101
たとえば不公平・・・嫉妬や偽善を理解したら、日常を実際に、そうでなくあるよに生きる。その決意、行為まで、その理解に含まれます。

なんでもいいですが、私は優柔不断だなと理解したら、傲慢だなと理解したら、欲が強いと理解したら、そのようでなく生きる日常に生きる。

ただ何の理由もなく、素直であればいい・・・小心者と気がついたら、たとえば傍若無人であるのではなく、そんな自分だと諦めるのでもなく、

ほかの誰かを根拠にすることでもなく・・・それは自分の感情や思考に正直、素直だということで・・・ただ何の理由もなく、素直でいい。

たとえば誰かの眼を気にしている、と気がついたら、ほかに何も求めず、ただ誰かの眼を気にしないだけでいいい。自分が嘘つきと気がついたら、

正直であろうとするのではなく、嘘を言うことを止める。ただそれだけです。そんな日常こそ探求です。たとえば恥ずかしいとことをして、

自分を正当化するのではなく、もう二度と同じようなことはしないという決意する・・・あるとして業とかは、葛藤は根から消えます。

No.7208 - 2020/02/25(Tue) 18:26:26

そのようにすると似ていると思います / 勘太郎
 善意は無敵」と思います。

仏教ではこれを捨身し虎(お腹の空いた虎に我が身を与える。
キリスト教では右の頬を打たれたら、左の頬をさしだせ。

自分が良いと思う事を行うと、なんの後悔もなく過ごすことが出来ます。我欲に駆られた、とげのある行為は成功しても、うしろめたさが残ります。
葛藤が消えるとおもいます。

今日のお話はとても具体的でグサッときます。

今朝の中島公園です。
仕事を終えて帰りに通ったら、枝の雪が融け落ちてました。

No.7209 - 2020/02/25(Tue) 18:55:05

Re: 私の精神はどこに所属する? / 勘太郎
インドのパパジという方の問答で
質問者「私の精神は身体に依存するのですか?」
答え 「精神が無ければ、私の肉体と云う物に気が付きません」

おいらの身体は地球に所属します(見ているおいらの対象で、おいらとは別の物であるように思います)

そこで。おいらの精神はどこに所属するのでしょう?と云う疑問が湧きます。

精神の所属は解らないながら、精神と身体は別れています。 
正解は、そんなことは考えるな、だと思います。解らない事を考えて時間を無駄に過ごすな!

でも、やっぱり考えてしまいます。
考えないで空を見ていれば、空があります。

精神の所属を考えるとおらの身体以外にはありません。身体はおらの物ではありません。精神はどこかに拡散して霧散してしまいます。

感情とか思考はどこかに有る大きな袋の中に詰まっています。おいらの機能というか教育なのか、おいらがいつもなにかないかなあ?とこの袋の中を探っています。「犬も歩けば棒に当たる」状態です。ちょっと現実と関連するかな?と感じる感情・思考を引っ張り出して表に出してきます。
何もかもが全部入っている大きな袋を私と呼んでいるような気がします。

No.7210 - 2020/02/27(Thu) 15:30:03

Re: スペイン風邪はしぶとかった / ubik0101
そいえば松田優作が命に関る病気になって、禅寺に行き、精神は肉体を超えられるか?と質問したそうです。

どう返事されたかは知りませんが・・・自分を、知覚できえる肉体や感情や思考と・・・知覚できえない何か、と分別すると仮定して・・・その知覚できない何かを精神と呼んでるのでしょうか。

インドのババジも知りませんが、

>質問者「私の精神は身体に依存するのですか?」
>答え 「精神が無ければ、私の肉体と云う物に気が付きません」


それ自身は気がつかれない、肉体に気がつくなにかがある、という問答なのでしょうか。そうだとして、それは対象にならないので、あるとかないとかではないでしょう。これだけでは解りませんが、精神て、自我のことを、あるいは真我のことを言ってるのかもしれません。

ところで精神と肉体と仮に分別したとして考えられてるなら、その前提からして、その精神の所属は肉体ということになるでしょう。けど、肉体の所属は精神だ、もなくては不公平な思考かもしれません。また、実際は、どちらも対象にならず掴めないのですから、どちらがどちらに所属があるわけないでしょう。

>精神の所属を考えるとおらの身体以外にはありません。身体はおらの物ではありません。精神はどこかに拡散して霧散してしまいます。

それで。精神も自分のものではない、では?

>感情とか思考はどこかに有る大きな袋の中に詰まっています。おいらの機能というか教育なのか、おいらがいつもなにかないかなあ?とこの袋の中を探っています。「犬も歩けば棒に当たる」状態です。ちょっと現実と関連するかな?と感じる感情・思考を引っ張り出して表に出してきます。
>何もかもが全部入っている大きな袋を私と呼んでいるような気がします。


それで。その袋が、ないって。ことです。

No.7211 - 2020/02/27(Thu) 20:12:01

Re: スペイン風邪はしぶとかった / ubik0101
意識とはその内容だ。ではなくて、内容だけ、なのです。
No.7212 - 2020/02/27(Thu) 20:38:37

Re: スペイン風邪はしぶとかった / hato

すこし前、梅園に行ってきました。

No.7213 - 2020/02/27(Thu) 21:52:30

Re: スペイン風邪はしぶとかった / hato

小太郎です。

No.7214 - 2020/02/27(Thu) 21:53:41

Re: スペイン風邪はしぶとかった / ubik0101
小太郎に似てるつっ。
No.7215 - 2020/02/27(Thu) 23:40:43

Re: 品川東照寺の接心は中止となりました / 勘太郎
残念ですけれども仕方がありません。

自分は抽象、と言います。これを少し解りました。

No7211に書いてくださった事を何回も眺めました。

大きな袋は無限に大きいので自我には理解できない。そこで便宜的に仮想の袋を思い描いてその中でのことして、出来事や感情を取り扱います。

仮想の袋だから、堺を調べても解かりません。

身体においては皮膚の内側を仮に私として言動の基としておく。これも単なる決め事だから実質の意味は無く、堺も当然どこだかあいまいになります。

精神と身体が別れているはずがないのですけれども解れていると仮定すして、取り扱う。

ミミズの研究で有名なダーウインは、脳の無いミミズが葉のどこを掴んで運び、巣に蓋をして雨水を防ぐのを解かっていることを観察して驚いています。

葉もミミズも雨も土の穴も一つのものなので、脳の無いミミズが社会生活を送れるのでしょう。

室内飼育になってもうすぐ40日経つ犬は、おいらにハグされるのが嫌でおらが帰宅すると部屋の隅に避難します。しばらく様子をうかがって、ハグされないと感じるとベットに戻ります。気の毒ですが、どうしても触ってしまいます、可愛くて。
野良犬は子供の頃の癖が抜けにくく、産まれてから2月過ぎまで野良で育つと人に馴れにくい犬も出てくるそうです。

No.7216 - 2020/02/28(Fri) 13:12:48

Re: スペイン風邪はしぶとかった / hato

ウィルスの猛威、はやく収束するといいですね。

>自分は抽象、と言います。これを少し解りました。

こちらは自分とか自己について、便宜的に仮想の袋・・と考えたこと、・・見たことがないです。空想上の袋のなかでのこととして、出来事や感情を取り扱う・・・より、そのまま、このまま、・・として見ることが、事実に踏み込むのではないでしょうか。ないものはないままで。本当に、袋のなかにいる・・と感じるでしょうか?実際とは常に、思考で見立てた空想に逡巡できないところ、と思います。


>精神と身体が別れているはずがないのですけれども解れていると仮定すして、取り扱う。

自分は幼少の頃、1歳半くらい?かと思いますが、初めてベビー箪笥に捕まり立ちをしたとき、その瞬間、わたし、であるはずの意識は、ふいに母であり、(母の驚きと喜び、その感情と思考、言葉を母として意識しており、)ふいに父(父の驚きと喜び、その感情と思考、言葉を父として意識しており、)であった、・・という体験をしました。

自我が確立される以前で、意識の置き場所が不安定だった、として、実際、自我というのはあるとして元来、世界に生きるための意識の置き場所、定点というくらいなことかと思います。先の体験のようにあっちこっちに焦点が飛んでいたら、きちんと生活できない、学びにくい、なことでは、と思います。

世界(眼耳鼻舌身意)とその世界、は、人の道具であり、自己であり、それ故つねに不可-思議、であり、・・・ではないでしょうか。


それにしても勘太郎さんの情の篤さが見えるようです。いいなあ。犬さん、伝わらないなんて残念。ubik0101さんは、「コタロウ!コタロウ!ナナ!ナナ!」{ノンノン!、チュリル!」と呼んで、みてるのが精一杯なかわいがり。好んで触るってことはまず、ありませんよ(笑)。わたしは猫も鳥もキュッキュ抱きしめちゃうんですけど、パパ、やっぱり神経症なのよー。ちょっと触るとすぐ手を洗ってます。でも、ノンノンとチュリルは、世話の甲斐があってか、けっこう懐いてるようです。

No.7217 - 2020/02/29(Sat) 00:23:05
自由/不自由 / ubik0101
人は自由だとします。そこで世界に人が2人しかいないとします。

それだけで言葉が違う、行動が違う、その関係だけで、自由がない、と・・・この世界には実際は約70億人・・・老若男女・・・つまり自由ということが、そのまま自由がない・・・と感じられることになるでしょう。

もちろん世界の物理法則、これだけで不自由です。そこで、重力があるかないか?議論することもできるでしょう。でも、それそのことは何か解らないので、その機能について議論することになるかもしれません。

ある人は言うかもしれません。重力は束縛だ。また、ある人は言うかもしれません。重力があるから、歩けるし、空を飛ぶこともできるのだ。これは事実ですが、すでに思考の領域です。

くり返します。この世界では、自由は、不自由として現れます。これで充分ですが、もっと言うと、不自由が自由の証明です。

この逆、不自由だと気がついたら自由だ。たとえば人は不自由だ、でも歩けるし自転車にも乗れる。なんだ自由なんだ。という経緯は、自我の印象です。いくら何でも、まず、そんな自由の了解は納得できないと思います。

やはり真我と自我の関係にあって問われることのようです。その対比がなければ問われることはないでしょう。

No.7191 - 2020/02/12(Wed) 07:06:46

Re: この言葉を繰り返し読んでいます。 / 勘太郎
なんだか自分が悩みそうな感じがあったら、直ぐ様それを切り捨てる。透明な空気。ちょっとした決断。ちょっとした勇気。これも、けっこう力がつく、悩みの使い方です。


正面に好ましくない気持ちが見えたら、横道にそれる。聞こえる音や景色に注意を向ける。好ましくない想像に、ついふけってしまう事も多いですけれども。

自由と不自由は紙の表と裏のように思います。不自由は神様の愛の鞭。
連想ゲームですけれども、飴と鞭。

下ネタですみませんが。
ここ数年は夜中に何度もおしっこに起きます。最近、母の使っていた電気毛布を使い始めました。そうしたら、回数がとても少なくなりました。
 新聞広告におしっこ改善サプリがよくでていますけれども、加齢で筋肉が減少して出す熱量が少なくなって冷える。これが原因の人も多いと思いました。

なかなか室内飼いに馴れてくれません。頬ずりしたり、ハグしようとすると嫌がります。犬も不自由を感じているんでしょう。

No.7192 - 2020/02/12(Wed) 20:10:52

Re: 自由/不自由 / ubik0101
それは・・・意図して横道に逸れる、のではありません。その気配が起きそうになった瞬間、悩みを、因果を、完全に断ち切るのです。

すると結果的に必然的に、見えてる風光、現実、即今、沈黙、なんと呼んでもいいですが、そうなだけです。

小学生の頃、夏休みが始まると、なんだか教師のこととか、成績のこととか総て忘れて永遠の夏休みが続く感じがしませんでしたか。

そのように、その人間関係は総て忘れる。これから電車に乗って目黒駅で降りてアパートに帰る。こんな思考も総て失うのです。

なんとかという寄生虫に取り憑かれたブラックジャックが高熱を出し、オーストラリア?の砂漠を、ふらふらと歩く場面がありました。

そこに書かれていた・・・見知らぬ惑星にただ1人・・・歩き続けるとかいう・・・ナレーション?が、とても気に入った記憶があります。

そのあとブラックジャックは、ただ1人、簡易テントみたいなのを張って、ナイフで自分を自分で手術して、その寄生虫を取り出すのです。

No.7193 - 2020/02/12(Wed) 23:37:53

Re: 自由/不自由 / hato

小さな蘭。白い地に薄いグリンがチャーミングです。名前、なかなか覚えませんが、デンドロビウム、だそうです。

No.7194 - 2020/02/13(Thu) 23:05:22

Re: 自由/不自由 / 勘太郎
自由/不自由は、完璧はでたらめを含むし、完全は不完全を含む、でしょうか。

 犬の散歩中に、法治国家の日本で法務大臣が死刑と云う殺人命令を出す矛盾を思った時。不完全を含まない完全は完全ではないと思いました。(死刑制度云々は別にして)


 別の話題です。質問をする時には、答えを何種類か想定していて、これに当てはまらない回答があった場合は、質問に答えてないと感じる場合があると感じました。

 想定外の出来事には人は対応するすることが難しい。特に質問者が解っていると感じている事の返答に想定外の解答が返って来るとお手上げすればよいのですけれども。
反対に回答者は、質問者の質問なりその正解なりを解かってないで答えていると感じてしまう。

 禅問答はこれに近いのかな?と思いました。おらは素直ですから、解らないで終わりにします。そのうち判るでしょう。それまではそのままうけいれましょう、理解できないまま、です(自画自賛)

No.7195 - 2020/02/16(Sun) 18:46:45

Re:泣く子と地頭には勝てない / 勘太郎
泣く子と地頭は自我。自我は最後まで自分は正義だと主張するので、説得を試みても絶対に理屈は通らない。

 只管打座は思考を見ていけ。思考に囚われるな!と言います。この思考は自我。自我が無くても人は自由に活動できる。
この様に理解しているのですけれども、上手く行かないで自我に囚われてしまいます。

No.7196 - 2020/02/17(Mon) 07:11:04

Re: 自由/不自由 / ubik0101
不完全もない完全は、完全ではない・・・そのような意味で、不自由もない自由は自由ではない・・・です。

これは、神、実在は自由(その自由という認識は、とくに比較がないので、自由も不自由もない絶対?の自由でしょうが)神、実在と世界の関係から見たら・・・世界に不自由がなければ、不完全であり、自由ではない・・・という意味で、言えます。

それは世界の中だけにあって、自我の、意識の、思考される範疇で、不自由もない自由は自由ではない、と言えることではないです。

たとえば世界だけの範疇では、自転車に乗ることが出来る。ご飯を食べることができる。呼吸できる・・・いろんなことがあります。そこで自転車に乗れない、貧乏、病気、などを不自由、自転車に乗れることを、裕福なことを、健康なことを、自由。と呼んでるだけで。

おなじことですが、自転車に乗れることは、自転車に乗れない自由がなくなるだけで。英語を話せないと不自由かもしれませんが、英語を学ばない自由がなくなった、とも言えるわけです。こう、ずっとずっと前に一瞬だけ考えたことを思い出しました。忘れないものなんですね。

また24色の絵の具と紙いう不自由がなければ絵は自由に描けない。というようなことで。

その自由は相対的な認識で、ほんとに、何かできる事できない事、そんなことを自由とか不自由とか呼んで差し支えないとは思えませんでした。本能的というか、なぜかそんな感覚があって。そんな経緯でした。世界と神、実在が違うという訳ではないです。

> 犬の散歩中に、法治国家の日本で法務大臣が死刑と云う殺人命令を出す矛盾を思った時。不完全を含まない完全は完全ではないと思いました。(死刑制度云々は別にして)

法務大臣が死刑を実行するかどうか決めるのですか。もしかして実行するのは刑務所の人なのでしょうか。じゃ、法務大臣その人が人任せにしないで・・・その仕掛けは知りませんが、死刑執行のボタンを押すべきだ・・・と思いました。

No.7197 - 2020/02/17(Mon) 07:28:41

Re: 自由/不自由 / ubik0101
> 泣く子と地頭は自我。自我は最後まで自分は正義だと主張するので、説得を試みても絶対に理屈は通らない。

それはそうで、自我は、卵の殻だとして、なんか細胞分裂したりして頭脳、内蔵などが出来たりして、ヒナが孵るまでは・・・間違ってても自分は正しいとしてでも、守られねばならないのでしょう。それもまた過程として必要なのでしょうが、そこで終わってはいけない、ということです。

>  只管打座は思考を見ていけ。思考に囚われるな!と言います。この思考は自我。自我が無くても人は自由に活動できる。
> この様に理解しているのですけれども、上手く行かないで自我に囚われてしまいます。


その自我って、自分の自我でしょうか?そうだとして総ての思考が自我ですか?自我を見てる自分というのがあるのですか?

あるいは人間関係の、誰かのことを自我とみなすことで思考が巡るということでしょうか?ところで、

ふっと。思考がなかった自分に気がついてしまう、その(なんでもない)自分。それが思考につくられたのではない自分の一瞥です。

もしかしてこれは、何か思考すると、その時間を遡って思考した仮の主体がつくられる・・・ということの逆の仕組みかもしれないと、睨んでいます。

No.7198 - 2020/02/17(Mon) 08:44:19

Re: 自我は卵の命を守る殻 / 勘太郎
自我の役割で、自我を嫌わないでいることが出来ます。
自我は要らない、気分の良い自我はあり得ないと云う話もあります。

卵の殻と喩えられると、それはそれで愛おしくなります。


何かを志向すると、その時間をさかのぼって思考した仮の主体が作られる・・・・・・とと云う事の逆のしくみかもしれないと睨んでいます。
〜よく考えて自分が産まれる様子を観てみようと思います。できるのか?わかりませんけれども。

No.7199 - 2020/02/17(Mon) 10:47:31

Re: 自由/不自由 / hato

ubik0101さんが、休日の夕方の、ちょっと楽しみな、近所への買い物散歩が終わるころ、「鍵がない。」と言いだしたので。

2人でちょっと青くなり、どうやら車内に見つからない、どこでなくしたか不明・・とのことで不安な気持ちで家に帰り、家内を探し、何度も車中を探し、・・仕事場まで行ってみて、中と外を探し、・・帰ってきて懐中電灯で庭の表裏を探し、・・駐在さんに鍵をなくしたと通報し、・・などして、ご飯を食べてから、布団や押し入れをひっくり返して探し、・・

すっかり夜も更けた頃、どこでなくしたかを頑張って思い出していたubik0101さんが、「朝起きて、車を開けて、トランクにあった段ボールを古家に捨てに行ったんだ。だから朝までは、あったんだ。」

それで、いつもポケットに鍵を入れてるので、ズボンに履き替えて行ったのか、パジャマだったのか、・・・わからないんだけど・・と言いながら、ついに三たびか四たび目、車を見に行くと。チャリチャリ、いつもの音をさせて戻ってきた。

えーっ!どこに!👀!?「hatoさん!hatoさん!」とニコニコして、車の後ろについてたって。うわー凄い。そのままけっこうな距離、走ってしまったのよね。

あぁよかった。鍵、4本もコピーしなきゃなんないかと、思いました。こんなん、あんなん、しょっちゅうしてるこちら2名。今日もなんとか、無事に終わりそうです。

今朝の狛ねこから。
ちょっとやんちゃ、コタロウくん。

「阿」

No.7200 - 2020/02/17(Mon) 23:44:59

Re: 自由/不自由 / hato

「吽」

ちょっと大きい、ナナちゃんです。

No.7201 - 2020/02/17(Mon) 23:46:24

Re: ナナちゃんのベット、椅子? / 勘太郎
くつろいで、尚且つ注意深い状態。

動物はどんな姿をしていても、絵になります。

鍵は私の前では姿を隠すのです。
ちょっと前に、車のカギ失いコピーを作りました。ドアを外して、鍵番号調べてディーラーで再発行してもらいました。残念な事に見にくい場所にあるので、読み違えて合いませんでした。

 2日後に、妻がおいらの部屋の入口ドアの上の方の釘に掛かっている鍵を見て、これなあに??
おら、穴が有ったら隠れたい心境でした。
こんな事は日常茶飯事になりました。こまったものですけれども、仕方がありません。

No.7202 - 2020/02/18(Tue) 21:09:51

Re: 自由/不自由 / hato

なんと素敵な勘太郎さん。可笑しいですが、笑っちゃいつつとても笑えません、小さくてけっこう大事な探しもの、難儀な今日この頃です。車のキーの再発行、大変なのですね。こちらも、心しなければよねっ。👀。なところです。

ナナが寝そべってるベンチは、木製のベンチに、小さな踏み台を取り付けたもので、ナナとミューがデッキにいたころ、猫ハウスのてっぺんに上るためにubik0101さんに作ってもらった手製の踏み台でした。いまは東側の木陰に置いて、猫散歩のときの休憩所になっています。

No.7203 - 2020/02/18(Tue) 23:38:33

Re: うん〜! もしかしてホゾ組んで作ってありますか?? / 勘太郎
 よい具合に、時間が経った手造り台・・と思い、見たら、もしかして脚をちゃんと組んだ台ですか?

 写真ではよく解りませんけれども、真剣につくったものかもしれないと、見直しました。

木工も面白そうです。おらはすべてやっつけ仕事です。それでも組み上がるのが不思議なんです。

 明日はお昼が美味しいホテルの仕事(火曜日と木曜日)18日はメンチカツでした。肉汁がこぼれるくらい、ジューシーでした。レアではありませんけれども、ステーキで言えばあまり熱が通っていないからでしょうか?(豚肉だから生ではありません)
 明日はなにか、楽しみです。帰宅後の夕ご飯は納豆かけごはんで終わり。バイキングなのでどうしても食べ過ぎてしまいます。

No.7204 - 2020/02/19(Wed) 21:19:37

Re: 自由/不自由 / hato
ううん、臍は組まず、L型金具で取り付けただけみたいですよ。ubik0101さんはあまり、木工作業はしませんが、これは必要に迫られて。いずれにしても、なにかすることは、いつも真剣。一所懸命してます。

メンチカツ。豚は火をよく通すでしょうから、肉の下処理の仕方なんでしょうか、ジューシーになるのは。美味しそうですね。お昼が美味しいホテルの仕事、ちょっといいですね。

こちら梅に水仙もそろそろ終わる頃。やっと真冬の冷えがきた数日でしたが、明日からまた暖かくなるそうです。

ナナにコタロウ、2人とも先週はお腹の調子がわるく、抗生物質を飲ませたりしてやっと、吐き気もなく、便もふつうになったか?・・と安堵もつかの間、ナナがまた、尿管結石の様子。ペーハーコントロールの餌で様子見です。まあほんとに日々、人も猫も、いろいろあるもので。風邪やウイルスに負けず、乗り切っていきましょう。

No.7205 - 2020/02/19(Wed) 23:24:25
感想 / お節介な見物人
ubik0101&hato 様

 お誘いありがとうございます。
 主催されているお方とお見受けいたしました。
 適切なアドバイスをされて喜ばれているようでいいのではないでしょうか。

 私ごときの出る幕はないかと思われます。
 ご活躍を祈念いたします。

No.7177 - 2020/01/26(Sun) 13:01:48

Re: 感想 / ubik0101
なんか、それらしい話をしてるようですが、体験した人の話にある、香りがない、なぜなんだろう・・・知識による知的理解かな・・・あるいは、お節介な見物人さんにとって、愚さんのブログは馴染みがないので、こんな文章になることもあるのかな?と思っていたのです。

こちら名前も年齢も性別もない、たんなる料理人です。

No.7178 - 2020/01/26(Sun) 19:26:30

Re: どうにもなりませんけれども / 勘太郎
楽しいです。

葬式坊主の説教とは違って、退屈しません。

No.7179 - 2020/01/27(Mon) 19:03:13

Re: 感想 / hato
なんか、とても儀礼的な感想で、すごくがっかりしました。ま、仕方ないことです。
No.7180 - 2020/01/27(Mon) 23:10:48

Re: 自分を観察する、とは / 勘太郎
 只管打座(思考を流す)を言葉で具体的に説明すると。
心に現れる思考を(猫が鳴いた・猫がないた・打ち間違えた・ストーブ―を少し強めるかな・カーテンを開けるかな)確認し続けて、自分が何を思考しているのかを観察し続ける事の様に思っています。

 しかしながら、子供の時から自分を観察し続けています。町子ちゃんに好かれたいなあ〜と願っているなあと感じたのは小学校低学年。

 観察者と観察される者が分かれないと、自分の心を観察できないのです。この場合は時間を使って一瞬前の自分の心を少し遅れて、自分の心で観察するという事なんでしょうけれども。

 無字の公案は此処を解決するために、ムーと叫び時間を使わないで、観察者と観察される者を繋げるのかな、と思います。

「似て非なるもの」という言葉があります。オイラの理解は、非なるものを似てると理解しているのでしょう。

No.7181 - 2020/01/28(Tue) 07:16:57

Re: 感想 / ubik0101
こちらにとってですが・・・自己観察とは・・・たとえば町子ちゃんに好かれたい。そのことをそのまま認めるということではなかったです。なぜ、町子ちゃんに好かれたいのか、この自分の有り様、その原因を探るということでした。

また失恋した、苦しい・・・どうして苦しいのだろう。これを探ることでした。そのためには、そのわけの分からない苦しさから逃げては探れないのです。人は言います。時間が解決する。いいえ、時間が解決するような些細なことではないです。

そいえば、♫この果てしない悲しさの〜救〜いは、ないだろかー。という歌が流行りましたが・・・この果てしない悲しさの〜仕組〜みは何だろか?で、なくてはいけないと思いました。

そんな・・・この苦しさは、なぜ苦しさなんだろう、この悲しさはなぜ悲しさなんだろう。この原因は、ある意味、簡単なのですが、言わないでおきます。

ともかく、これは、なぜ、これ?これが自己観察の姿勢でした。それで思考についてですが、この思考は、なぜ生起した?その理由、原因、前提を探ります。思考の発生源に切り込むということです。

こちらはしたことないのですが・・・もし只管打座(思考を流す)なら、思考に歯止めを掛けない、どこまでも考え続ける、思考して思考して思考し尽くすのでした。

なんでもいいですが、たとえば、因果だから自由意志はない、と思考したとします。そこから、あれこれ演繹するのもいいですが、ありとあらゆることにそれは適応できるか整合性があるか試してみる。また、この思考の中心に切り込みます。たとえば、

こう思考してるけど、自分は、因果の端から端まで始まりから終わりまで、あるいは森羅万象を知ってるだろうか?
そもそも、なぜ因果は因果なのか知ってるだろうか?

もしかしたら、自分が無知だから、知ってることしか知らないから、因果だから自由意志はない、という思考が成立するのかもしれない。

たぶん、因果だから自由意志はない、というのは所謂、思考かもしれない。。。こんなことを見るにはメタ現実、メタ世界、メタ思考である、言葉の翼を使います。

こう思考することは、まったくあり得ないことは思考できないだろうから、なんだ、私は思考に踊らされてるんだ、無知なんだ。あるいは傲慢なんだ。因果と自由意志を結びつける必要はどこにある・・・こんなことが、ここでいう実況中継です。

たしかに・・・自分を無知、傲慢にしてきたのは誰でもない自分ですし、それは隠されてなければ成立しないので、それを露わに見ることが、その無意識の束縛から解きほぐすことです。仏教では因果の生起と壊滅を言うようですし、生起だけに眼をやる必要はないです。

ここは、観察されるものと観察するものが分かれてるとか一体とか、時間差とか、いうこともないのではないですか。こう話すことは、

ひとつの喩え話です。このような観察は、その人それぞれの経緯のことなので、その人にしかできないし、その人の日常の事実が大事です。

No.7182 - 2020/01/28(Tue) 10:21:07

Re: ぱっと思いついた解答なので / 勘太郎
 もうしばらく考えてみます。

ぱっとの解答。
>なぜ苦しいのだろう。苦しい原因はなんだろう?
なぜ悲しいのだろう?<

哀しい自分を焙り出すため。オイラがヒーロー・ヒロインに成る事ができますから、自分の中で。
哀しいとか、辛いという感情は、おいらは快感に感じます。哀しいのが楽しいです。
だから、哀しい失恋の歌が流行る。

憎い、辛い、苦しいも快感かもしれません。だから繰り返し想い出す。

哀しいは本当に快感です。(この感覚は思いつきではなく、オイラの今のところの確たる思考です)
たぶん、哀しいをたのしんでいるのです。

これも思い付き
自由意志について深く考えたことは無いのです(自由意志が有っても無くてもオイラの生活には影響しないように感じるのです)

自由意志って、「今の有様をどのように受け取るかはオイラの勝手だよ」っという事なのか?と思いつきました。
叱られて、有難いと思うか、此畜生!か?
日が暮れて、哀しくなるか、暖かいご飯を食べようか?。雪が降ってくそ!この忙しいのに雪かきか!と感じるか、雪かきで運動不足が解消して有難いと思うか?それぞれの個人の自由意志です。

もう一つ掘り下げると、自由意志が有るか無いかを感じるのも個人の自由となるように思います。

謎解きは面白いです。大概外れます。

No.7183 - 2020/01/28(Tue) 19:13:47

Re: 感想 / ubik0101
なぜ苦しいのだろう。悲しいのだろう。それを楽しんでる・・・それはそうですが・・・苦しみ悲しみの原因は、そうで、ないです。でも簡単です。いずれ解けます。

たとえば。道が左右に分かれてるとして、右に行くことも、左に行くことも出来ます。石に躓いて転ぶこともあります。それで怪我をする、死ぬこともあります。これは、右に行くことができるから、右に行くことができる。怪我をする、死ぬことができるから、そうあることができる。(反面そうできるようにできてないことは絶対にできない)。なにかできる事、雪かきで運動になる、あるいは糞と感じる、それはそう感じるようにできてるから感じる事ができる。自由だと思うことができるのも、そう思うことができるから思うことができる。自由意志が有るか無いかを感じるのも個人の自由。これが不自由。絶対不自由。

No.7184 - 2020/01/28(Tue) 20:09:32

Re:絶対不自由とオイラは感じる / 勘太郎
でも、現実は絶対自由。
ここは謎解きと云うよりも、目が外を見てるか?オイラの心を見ているかの違いなんでしょう。

なぜ苦しい? の謎解きは続いています。良く探ってみます。

 論理で云うと。
今有るオイラをそのまま維持しようとするから、困難が立ちはだかります。
苦しいは、現状維持ができない、です。

哀しみは去って行ってしまった現状を懐かしむ感情。
(大概の場合は現状維持欲望です。遠大な野望とか云うモノもおらが思うに、現状維持です)

今の答えです。

違うよのアドバイスをお願いします。まるで下手な鉄砲数打ちゃ当たるになってしまいますけれども。

No.7185 - 2020/01/29(Wed) 18:19:34

Re: 感想 / ubik0101&hato
こちらにとって絶対不自由・・・これ以上の難問はなかったです。

すごく簡単です。この今と、ありたい今。ありたくない今との段差、落差。あるいは、ありたくなかった今と、ありたかった今・・・この今と今に・・・段差、落差がある。今が分裂してる。あるいはそれを一致させようとすること、というだけです。

ubik0101

人は誤るために、苦しみ、悲しみます。あるいはまた、苦とは人が自身を感じられる、最も強力なツールとも言えるので、無意識にも、苦に拘泥することがあるのでしょう。苦を学び、翻って進むことができるとは、世界の最上の配慮のように思います。
  
最大の悲しみは、無明として世界に生きようとすることで、その自体が空である故に、解消され得る苦であり、悲しみであると思います。

hato

No.7186 - 2020/01/29(Wed) 21:17:54

Re:絶対不自由、 明快なお答えです。 / 勘太郎
 苦はジャンプアップの踏みきり台であるという認識はあります。
 一つの苦を解決しても、無限の苦が待ち構えていることを知ると、解決するためには、相手ではなく自分に問題があると解ります。
 心理学とか学んでも、根本の解決にはなりません。

煩悩が菩提の起爆剤。

 人間関係の軋轢は特にそう思います。

No.7187 - 2020/01/30(Thu) 07:17:26

Re: 感想 / hato

苦を学ぶとは、文字通り、その自分=苦、であることを学ぶ、ということと思います。その自我が、本来ないのにも係らず、在ろう、在らねばならない、として、なくてもよいところで我を張っているとしたら、それがとくになくてもよい苦という、誤りなのでしょう。

気が付く、その自体を見る、ことが、この意味での苦を学ぶ、ということで、これは心理学とかに拘らず、本来あるわけでもない自我が誇張される、その有様を余すところなく見る、しかも的確に見る必要がある、ということです。それが、自分を理解する、解消する、ということ。

これはいつか自分が迷ったとき、うまく言えませんが、かけがえない人から頂いた大事なこと、人生を通じて大きく励まされたことのひとつです。

裏庭に、いつか誰かが植えた杉が一本あります。台風で斜めになったり、枝が折れたり散々ですが、車で走って帰ってくるとき、この杉が見ます。

No.7188 - 2020/01/31(Fri) 00:10:42

Re: 感想 / ubik0101
たとえば、ただ1人で寛いでる時、そこに人間関係の悩みがあるでしょうか?あるとしたら、その悩みは、上司がどうした、同僚が、隣人がああ言った。

それと自分の関係を考えるということが悩みなら・・・それは総て空想でしょう?だって、その上司とか、同僚、隣人、そこにいないのです。

実はその時、誰かがどう考えてるかなんて、知りようもないでしょう。そんな苦痛て、ひとり噂話でしょう。噂話は美しくないです。運転中、そんな悩みを抱えてたら、困るでしょう。

悩むのもいいかもしれませんが、その原因を探る・・・いい人に見られたい、承認要求かな?・・・とか探るのも大事ですし、原因を見つけたら悩みは去るでしょう。でも、

なんだか自分が悩みそうな感じがあったら、直ぐ様それを切り捨てる。透明な空気。ちょっとした決断。ちょっとした勇気。これも、けっこう力がつく、悩みの使い方です。

ほとんどの悩みは、悩むべきことではないことを悩んでるのではないですか。そしてそんな人間関係にあっても、悩んでないときだって、いくらでもあるでしょう。

みんなが同じような空想の悩みをしてるから悩みが事実のように、あるいは思考には事実と空想を識別する機能がないというだけでしょう。

なんだかですが、勘太郎さんの情の厚いこと、それが邪魔になってるような気がするので、言ってみました。

No.7189 - 2020/01/31(Fri) 08:26:24

Re: この杉が見ます。が面白い表現です / 勘太郎
悩む必要のない事で悩んでいます。指摘されると、ふと我に返って、心配や嫌な感情、反省(後悔)は重要度で振り分けると、重要な心配は無いか、或はおいらの関与できる外にある事などに成ると思います。
 想像上の延長、思案の連続の結果の心配。病気になって苦しむ様になったらどうしよう…あたふた。

情が厚いとも言えるかもしれませんけれども、掘り下げると小心やら、こすい(ずるい)下手にでて、おこぼれを欲しがる。そうでもあります。

おいら自身も一筋縄ではいきません。自分の事ながら困った性格です。

No.7190 - 2020/01/31(Fri) 18:38:43
自我そして真我 / ubik0101
おおむねですが、自由意思がある、ないというのは・・・私が、創造者であるか、被造物、つまり自我か・・・ということに帰着するようです。

とても説明ですが、私が万軍の主、創造者なら、自由意思があると言うのではないでしょうか。そして簡単に言うと、自由意思がないというのは、創るのではなく、創られた自我の感覚です。

ところで、私が話す、私が考える、私が行為するというのではなく、話す、考える、行為することによって、私が予めあるかのよに時間を遡って設定される。このことの意味は、その虚構である自我が、世界に創ってもらってるということです。

それなのにまず自分が予めあって、自分が話す、自分が考える自分が行為する。と見なすのは、普通に言う自我の特性です。仮の、贋の主体が自らを主体と見なしたいということです。

このように自我は世界の子ですし、時間の子で、虚構ですが、そんなことによって自らをあらしめようとしてるのではないでしょうか。

そんな自我は、たとえばその話したこと、考えたこと、行為したことの子ですから、その親である、話したこと考えたこと行為したことを守らねばなりません。

どんなことでも、事実に反することでも、自我は正しくなくてはならない、育たなくてはならない、守らなくてはならない、ほかの意見を非難し、自分の意見を正当化したりする必要があるのでしょう。

これは日常に観察されますが、なにか自分があって、なにかするのではなく、なにかすることでその中心が予め時間を遡って設定される、その虚構である自我の仕組みは。自我の完成、おなじことですが自我の壊滅と、真我の発現の関係にあって開示されることで、日常で観察されることではないです。

そんなことが開示された人が誰であれ、自由意思がある、ないは、問題にされえません。自我と真我の対比が成立しないからです。

とても説明ですが、ひとつの説明ですが、自我の中心は、ない、ですが、真我も、あるにありきって、ない、です。

とくに、自我はそれを守ろうとしますが、自我を壊滅するために苦痛や苦悩は役に立つことはあっても、とくにそうでなくてはならないということはないです。

No.7164 - 2020/01/20(Mon) 23:43:49

Re: 自我そして真我 / hato

正月もすっかり20日を過ぎました。静岡もやっと冬らしい冷え感です。住んでいた東京は寒かったので、冬はこれくらいでいいのですが、今週はまた暖かくなるのだそうです。

まだまだスマホには慣れません。すこし前までまともに電話にも出られず、着信があると、こちら慌てふためいてます。

写真もガラ携帯が簡単でいいのですが、練習で撮影。くっきりきれいですが、ファイルが大〜きすぎてびっくり。技術の進歩は凄い。すこし小さくして載せました。

No.7165 - 2020/01/21(Tue) 01:08:39

Re: 3月31日からの接心に参加が決まりました。 / 勘太郎
 今度で5回目です。
自我を振り落とす事は、できにくいので、ムーと大きな声で考える事を抑えるのをテクニックとして確立した方法が接心だと思います。(成功の確率はひくいのですけれども、かなり有効)

いくら自我で自我の無い人に成ろうとしてもできないそうだんです。

 何か考えていて、振り返ってみれば、これは自我の行為と解かります。自我と全く別に真我があるとも思えませんので、さて真我はどこに居らっしゃる、と探してしまいます。

自由意志と問われれば、自由意志(自由そのもの)はどこにもない。すべてが向こうから運ばれてきて、味噌汁を先に飲むか、ご飯から食べ始めるか程の選択権しかないと思っています。
 そうは思っても、おいらが世界を背負っている様に感じて、電気を節約してみたり、道路のごみを拾ってみたりしています。(矛盾しています)

自我を出すまいと、ムーと叫べば自我の行為であるし、「腹の底からムーだ」と御老師がおっしゃるのも自我無しに無字を唱える方法なんだろうとおもいます。
長い睡眠を摂るなというのも、自我を抑える為と思います。成るかどうかは、向こう様の勝手しだいですから、やれるだけの無字をやります。

いくら犬でも老犬になったので、外は寒いのか?夜鳴きするので、家の中に入れました。2日目ですが、抱きかかえて外に連れ出し散歩します。まだ、部屋の中の籠から出ようとはしません。家の中が快適であるという事は解ってきたようです。これから夜の散歩に出かけます。抱いたり・引っ張ったり大騒ぎです。犬も人も大変です。
 犬の写真が送れません。JPEGで撮られていないようです。おいらのセキュリティーソフトが邪魔しているようです。残念です

No.7166 - 2020/01/21(Tue) 17:45:03

Re: やり直して写真が送れました / 勘太郎
さて、ほんとに散歩に出かけます。
No.7167 - 2020/01/21(Tue) 17:47:28

Re: 自我そして真我 / hato

なんて可愛い丸いベッド!毛布も暖かそうです。お洒落ですね。犬さん、大事にしてもらって、元気出るといいです。

No.7168 - 2020/01/21(Tue) 22:24:23

Re: 自我そして真我 / ubik0101
むー、と叫んだことはないので、それとは違うかもしれませんが・・・自然に起きる、思考、行動、発言に作られたのではない自分の発現は、

あるいは思考がないことに気がつくことによって、思考があることによって時間を遡って予めつくられているかのようでない、ない、自分に気がつく・・・これは世界が静かで明るいです。

あるいは眼で見ることによって作られているのではない、自分に気がつく・・・これは空間が快晴・・・眼は単なる風穴・・・人の内部と世界が素通しです。

また聞くことによって作られてるのではない。自分に気がつく・・・耳で聞いてるのではなく、聞いているのは沈黙です。

また、思考してるその裏は誰もいないことに気がつく・・・自分はない、見えてるものが眼にも鮮やかです。

ここで自分、自分と、何回も言いましたが、自分ということでもない、あるとかないとかでもない、無相、無味、とかいう感じに近いです。

これらは、いずれも軽い体験ですが明確です。なんであれ、一度起きれば、必要なだけ起きるのではないかと思います。ところで、

この日常、そこはかとなくなんですが、世界は、自分で自分を感じられない人が自分を感じるためのものか、という感じです。

その感じてる自分を、わざわざ感じる必要はない、感じてないけど・・・人は考えたことがそのまま知覚できる。話したことがそのまま聞こえる。行動したことが、なにをしたか、そのままわかる・・・これは不思議なんですが、そうなんです。これだけで、神秘の真ん中です。ということを失ってもなんでもなく、

スクリーンとか、基底とか、意識とか、なにも必要ないです。

ただ素直なこと、真摯なこと、ふつうのこと。公平なこと。世界はそういうことなんです。

それでも接心、頑張る!ただ、力一杯、むー、なんだと思います。

No.7169 - 2020/01/22(Wed) 07:08:02

Re: 自我そして真我 / ubik0101
そして、見えることにあって、見えることによってつくられてるわけではない自分に。聞こえることにあって、思考することにあって、そのことによって、つくられてあるのではない自分が発現するのです。ところで、

いろんな経緯があるのでしょうが、自我が傷つくことで、自我を壊滅させるというより・・・自我は世界に作ってもらってるのですから、良い特質を育てるのが有効です。

たとえば素直さ、真摯さ、公平さ・・・こんなことは世界の中で自分でできることです。

たとえば嘘をつく、ということは。自分を有利にしようということかもしれません。それは不公平をつくろうとしてることではないでしょうか。

もっと簡単に、有名になりたい、金持ちになりたい、地位が名誉が欲しい・・・こんなことは自分を有利にしたい、不公平をつくろうとしてるのではないでしょうか。

また不注意である、真摯でない、事実をそのまま認めない・・・それも誰かに注意や真摯を任せて、自分はその責任逃れをしたい、不公平をつくろうとしてるのではないでしょうか。

たとえ自分に不利でも、嘘をつかない・・・過去の損得などどうでもよく、未来のことなど無関係に、自由意思があろうとなかろうと、出来るのではないでしょうか。

とくに公平であろうと頑張るのではなく、その都度、その都度、真っ直ぐであること、当たり前のこと、注意であること、

このようにして良い自分をつくるのですから、ちょっとの勇気は必要かもしれないけど、自我を守らない、それだけで良い特質が育つので、自分を誤魔化したり、いつもいつも違う自分を追いかけてるより、よっぽどいいのではないでしょうか。こんな簡単なことが絶対なのです。世界って、こうなんです。

No.7170 - 2020/01/22(Wed) 19:58:16

Re: 自我そして真我 / hato

もう一本、松です。さまざまな風情があるものです。

No.7171 - 2020/01/22(Wed) 22:51:37

Re: 自分に正直であれ! 耳が痛いです。 / 勘太郎
 将にこれの反対の姿を夢見て、悪戦苦闘しています。
良い事を行うのは単純です。行為するだけです。
自分を高くしようとすると策略とか作為、工作とかが行為に伴い、複雑な働きが、必要になるように感じます。
幸いな事に、自分を高める必要は終了している(ノルマのある会社ではなく、居れば給料の出る職場に今は所属している)のに、自分を目立たせようとしてしまうのです。

跡の残らない良い行為は、大きなオナラをした時の様にすっきり爽やかです。

頑張ります。

No.7172 - 2020/01/23(Thu) 20:09:54

Re: 心に穴が開く / 勘太郎
 昨日の朝、犬の散歩で首輪が抜けてしまい、犬が居なくなってしまいました。犬の性質として帰巣本能が弱い犬なんだと思います。帰ってきません。この犬が逃げるのは2回目で前回は1月ほど経ってから帰ってきました。首が太く頭が小さいので首輪が抜けやすいのです。抜けない程首輪をきつくすると、息が苦しそうになってしまう。逃げるという懸念はいつもありながら、散歩していました。

それで、朝の散歩がないので、朝早く書いています。
 よく、心に穴が開く」と言います。寂しいでも困ったでも哀しいでもない、胸に穴が開いているような感覚があります。

 それの所為もあってか?昨晩は眠りが浅い夜を過ごしました。眠りながら?自由意志について考えました。(考えているのは今ですが)自由意志が無くても束縛はありません。おいらは何も困ることはありません。犬が居なくなっても悲しみはありません。自分の胸に入り込む様に考えても何もでてきません。探ろうという考えがあるだけです。(当たり前のことで、探ろうとする考え以外はありません。一つの事しか考える事しかできません)

 今年を書き込みを印刷して、職場でじっくり読みます。どんなに読んでも消化できませんけれども、時間はたっぷりあります。
急がないで、あっちこっち目をやらずに、読みます。では行ってまいります。

No.7173 - 2020/01/24(Fri) 06:38:37

Re: 自我そして真我 / ubik0101
そうですね。こちらも高校を卒業したとき、一緒にキャンプしたりした級友が自衛隊に行って、胸に穴が開いた感覚でした。ところで、

たとえば偽善、嫉妬、恨み、悔しさ、卑下、傲慢、欲望、嘲り、反抗・・・こいうのは自我の感覚で、不公平に起因します。

その人が、心根、公平であることによって・・・それを素直とか、真摯とか、注意とかとも言えますが・・・その偽善や嫉妬そのほか自我の感覚・・・は、その構造を大まかに一瞥することによって、解消されます。

もちろん公平であろうとすること、それが不公平に起因することもあります。それは公平を誰かや社会や物事の有り様として対象にして、自分の心根を度外視してることに起因するかもしれません。つまり、

勘太郎さんの言うように素直さ、真摯、公平さとかは認識できないのです。それは言わばですが魂に刻まれたことで、自分の対象になりがたいのです。思考できないのです。もし思考できるようなことなら、その反対のこと、類似のこと無関係なことが生じるかもしれません。

ただ周囲とか自分の、これまでの、これからの有り様との軋轢とかで、ちらちらと感じられるような。あるいはそれは認識できないと認識できるようなことです。この素直さ、公平は、注意は、見えないけど大事です。

たとえば誰かが私を小馬鹿にした、噂話をしてる、妬んでる、社会的な弱者だ・・・こんなことに悩むなら、その原因も見え難いけど実は、その私の不公平に、素直でないことに、真摯でないことに、不注意なことに、起因するのではないでしょうか。

No.7174 - 2020/01/24(Fri) 07:28:35

Re: 自我そして真我 / hato

こちらも仕事、張り切って行ってまいります。

No.7175 - 2020/01/24(Fri) 08:07:05

Re: 犬を捕まえてきました / 勘太郎
近所の空き家の植え込みの下に居たところを捕まえました。安心しました。

お仕事、お励みなすってください。

週明け頃にまた書きます。

No.7176 - 2020/01/25(Sat) 08:31:36
謹賀新年 / ubik0101&hato

明けましておめでとうございます。
旧年中は誠にありがとうございました。
皆様にご多幸ありますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

No.7161 - 2020/01/01(Wed) 22:35:31

Re: 今年もよろしくお願い申し上げます / 勘太郎
楽しい書き物や写真をお願い致します。
 
私のしっぽを掴んだ様に思うのですけれども、私を捕まえることができないでいます。
 私を捕まえようとすると、今此処に戻ります。錨に繋がれているようです。良いのか?悪いのか?判りませんけれども、錨に掴まってみようと思います。

No.7162 - 2020/01/02(Thu) 18:09:45

Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

携帯のレンズに傷がついて写らなくなってから、写真を撮る習慣がなくなってたのですが、スマホに変えたので慣れたら、そのうち投稿するかもしれません。

ubik0101

まだ使いこなせず、奮闘してます。正月はここ2日、ゆっくり過ごせました。

hato

No.7163 - 2020/01/02(Thu) 23:05:01
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