150828
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
6.24
名称と形態
僕はビールを飲むのが好きです。で、考えます。食べたり飲んだりすることは自身の中の楽しみである。(他人には関係なくあります。)
つまり、自分を超えて、せめて他人と出会うというようなことにはならないか、と考えます。多くの場合、ほとんどの場合、どのようなことも、ただ自分の見知らぬ自分の感情や感覚やらで、世界や他人を感じているだけであり、そうであるなら自我とは何の関わりもなくあるのであり、そんなものは(たとえ自分がどー思おうと、)どーでもいいものであるということを誤りだとすることがみつかるでしょうか。
No.7373 - 2020/07/31(Fri) 23:28:25
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
たとえば、他人のために何かいいことをしてあげることの方が、他人からされることより楽しいということがあったとします。ま、これは大体そうでしょう。それでもその相手からそれが受け取られないことがあります。
とすると、他人のためになることをすることが楽しいという感情は、単に、他人に向かう向かい方が正しいものでなくてはならない、ということを示すもので、(その感情が正当なものだということではないのですし、)単にこのように問題を見るようになるまでそれを忘れないようにしておかせるための快さ、ということになります。
そしてなおそれ以上に私たちは、私たちの感情や感覚が私たちだけのものであるだけでないようにしなくては、ということを指示します。
No.7374 - 2020/07/31(Fri) 23:29:20
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
他人のために何かよいことをしてあげたとして、それが受け取られたとすると、そこでその件については終わりです。そうなると、それは幸せでしょうが、受け取られない場合の不幸ほど多くのものを人に与えません。人に物によらず体によらず、何かしてあげることができるか?という問題を起こさせません。
もちろん世間でも受け取られた場合の幸せも決して満足いくものでないことを表しています。ギフトはより数多くしたいでしょうし、愛しているといく度も訴えたいでしょうから。
たとえば誰でもお金めあてに結婚した男や女を(しっとしているのでしょうが、)ケイベツします。それはもちろん相手の心や体の美しさや、自分の感情や感覚を根拠にして結婚することも同じです。
前者はただ意味も知らず、何だ重要なことでないものにとらわれて、と人をケイベツしているのです。そして後者の場合も同じです。
No.7375 - 2020/07/31(Fri) 23:30:37
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
人は名称と形態を超えてなお個別者でありましょうか。
感情や感覚は体に根ざしたものであり、体に根ざしたものは自我のあずかり知らぬものです。この体と自我(心)を区別できることは、ま、大したものです。
けれど、このようにして体と心の対立として身体と心が意識されますけれど、決してまだ心とは何か、の答えがここにあるわけではありません。この心と体との対立はただ、何か依存関係の側面を定着するための主題として現れているのです。
感情や感覚は身体に根差すもので、自分自身の知らぬものです。体に根ざしたものでなく、他人と関係することはできないか、と探す場合のみこの主題が奏でられます。
これはしかし、どうしても、人間が不幸である場合です。幸福な場合、どうしてもこれは考えにくいものです。つまり、感情や感覚は受け身の場合は(食物の例のように)不幸です。いや不幸のあり方が感情や感覚を受け身のあり方にするのです。不幸はだから、このような考えのしゅご者です。
もちろん幸福の場合も、もっと相手を幸せにしたいと努力するならば同じです。多くの場合のように単に感情や感覚が積極的になっているだけでないならば、同じです。
No.7376 - 2020/07/31(Fri) 23:32:02
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
1978.6.30
名称と形態
この世界のしくみについての解答のひとつとして「名称と形態」ということが考えられています。それは僕の思うところかなりの高得点をあげられていそうです。ただし及第点では多分ないかも知れません。この世界の有り様を観て「名称と形態」を理解することは、しかし人間が個別者であるがどーか?他の人が生きていることは付ということをまだ知らしめません。
なぜなら名称と形態をよー認することは、絶対の絶望を認めるということだ。
そりゃ、自分自身の有り方が名称と形態によることは全然かまわない。
しかし、人に愛や恋のあるとき、それは理不尽なものになる。
No.7377 - 2020/08/01(Sat) 23:39:36
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
7.3
名称と形態
僕はイエスキリストではありません。と、すると人間というのは根本的に個別者ということになるでしょう(か)。では僕が僕であることの原因となっているものは何でしょう。僕が他の誰かでないということは何によるのでしょう。(もちろん鉄ゴーシの中には、自称イエスがたくさんいるでしょうが)
では簡単にいって、体は僕の感覚は僕の感情は僕である、ということになるでしょうか?
とすると体や感覚や感情はその根拠もなにも自分自身に知らされてないのに、それが個別的なもの、ということになります。
とすると、体や感覚や感情の根拠を知らないというだけで、それは自我でない、とするのは早計ということになります。
もし人が個別者であるとすると、それ自体がまったくの不思議です。とある在るものがなくなる、つまり死ぬことがあるはずはありませんから。
あるいは人が、もし個別者でないとしたら、これはまた不思議です。
では、人は個別者であるからこそ、体によらず感覚によらず感情によらず在る、のかも知れません。では人は根本的に個別者なわけです。
人が個別者であるとするなら、個別者が個別者を生むこと、つまり誕生と、個別者が無くなること、つまり死は、不思議です。
人が個別者でないとするなら、人が生きていることが不思議です。
No.7378 - 2020/08/01(Sat) 23:40:46
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
7.5
とすると人は、他の人に対しては個別者であり、自分に対しては個別者でない、ことになりましょう。
No.7379 - 2020/08/01(Sat) 23:43:07
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
7.6
考えよーによっては、この有り方は非情に素直であります。どこまでも人をケンキョにします。
まわりのどのようなものも自我であるはずがありません。感覚(対象)も感情(対象)も、それの根拠は自我にありません。感情や感情の根拠を知らずあることは、その対象を我としないための有り方でしょう。
もし感覚、感情、対象が我であれば、つまり自己のまわりのものが我であれば、自我の個別性は失われてしまいます。ですから自我は、どのようなものでもなくあるものです。
感情や感覚は無根拠です。このことは自我は自我のまわりにあるものでは、対象ではない、ことを保ゴします。
僕は僕にとって個別者ではありません。しかしおなじよーに、個別者でないところのあなたがいます。これは何を意味するか。そうです、世界の有り様がこそ個別化であります。いや個別性こそ世界の有り業です。だから僕はあなたにとって個別者です。と、こういう考えは採らないことにしましょう。なぜならこれは何も理解したことになりませんから。
僕とあなたが在るそこの所を示せ。僕とあなたが違う存在であるそこのところを示せ。
自分が自分にとって個別的なものであるという根拠は何ひとつありません。というより個別者でないことを証拠だてています。感覚対象は個別的なものにみえます。
そして感覚ということ、というもの、は自己を示しません。
あなたがあなたであるところのものは何ですか?
→ すでに記載済の 7.14 名称と形態 → 7.25に続きます。
No.7380 - 2020/08/01(Sat) 23:45:35
☆
Re: 真我ではない、自我が自我を探っても
/ 勘太郎
引用
自我が消えてしまうので、第3の自分が居る様にかんじることがあります。
自我(感情・欲望)を探ろうとすると感情・欲望も見えなくなってしまいますので困ります。
本日は 札幌市豊平区にある「カフェコロボックル」でワンコインの中華丼ぶりを食べました。みんなが無言で食べているので、不気味なきぶんでした。12時だったので満席、と言っても6席。本来は20席くらいなのでしょうけれど。不気味と言ってもそれに馴れてしまうのかもしれませんけれども、無言の食堂にラジオの音だけ。ゆっくり食事を楽しむという雰囲気ではなかったです。中には待ち合わせの人や本を読む人もいました。多くが常連さんみたいな感じでした。
https://sapporo-list.info/shop/koropokkuru/
No.7381 - 2020/08/03(Mon) 19:25:47
☆
ところで、
/ ubik0101
引用
・・・石原慎太郎が、死んだら、虚無だ。と言ったそうです。そか?私なら、生きてても虚無なんだよ。死ななければ虚無てことはなかろう。どう違うのだ。と聞くでしょう。
・・・生きてて小説を書いても、どっかの海岸に弟の記念碑を建てても・・・俺が俺がとやってるときも、その自分はない、のです。とくに、死んでなくなるわけではありません。
またhatoさんが、覚者は寝てるときも意識がなくちゃと、誰かが言ったそうで、ちょっち変。とのことです。そんな人には、私なら、起きてても意識はない。と答えるよ、と答えました。
なにを勘太郎さんが言ってるのか解りませんが・・・自我が消えたとして、無我も消えた?そして第三の自分がいると、第三の自分が感じる?それは何?消えても自我は、このようだった。ということは認識できませんか?とくに感情、欲望が自我というわけでもないでしょう。
No.7382 - 2020/08/04(Tue) 00:08:34
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
自我を見るとは、たとえばubik0101さんの探求や文書を見ていても、ことさら欲望や感情を抽出して見る、との感じより、どちらかといえば、表出してくるその事態を言葉で見てる、ような、言い方がむつかしいですが、主体に重点のない無機質な感じです。
欲望や感情を対象にして、それを見る自分に、ことさら重点がいくのでなく、思考という、そこに起こる事実を見る感じです。そうしょうとしてするものでないでしょうが、大事なところです。
探求ノートはゆっくり続きます。飛び飛びでもいいよ、とのことで、そうなったり、日を順次追うこともあると思います。
画像はいつかの古家から。なんてきれいだったんでしょう。
No.7383 - 2020/08/05(Wed) 00:24:28
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ ubik0101
引用
たぶん、(たとえ自分のことでも)自分に知らないことがある、それを探ろう。という(そうとは意識されないけど)素直な有り様。
そでなく、知ってることしか知らないなら、知らないことなど(気がつかない)ので、ない。それだけで(意識されなくても)傲慢な有り様。
そうだと見えること見えることに飛びついて、勝手な因果をつくっては、自分でその傲慢な因果に捕われてしまう。こんなことに気がつくことはないだろうか。
No.7384 - 2020/08/05(Wed) 06:44:00
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ 勘太郎
引用
またhatoさんが、覚者は寝てるときも意識がなくちゃと、誰かが言ったそうで、ちょっち変。とのことです。そんな人には、私なら、起きてても意識はない。と答えるよ、と答えました。
私も、覚者は眠っている時も意識がある、と読んだことがありますのでそうなんだろうか?と思ってきました。この場合の意識とは記憶を遡ることが出来る(眠っていない)。
それなので、ubik0101さんの書き込みで疑問が少し解けたような気がします。
ゆっくり続きます。が楽しみです。
No.7385 - 2020/08/05(Wed) 07:58:53
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
>私も、覚者は眠っている時も意識がある、と読んだことが
体験してからのことより、今のことが大事ではないでしょうか。
ubik0101さんの探求ノートは、体験した人も、そうでない人にも、読む人に訴える光があると思います。先ずどこまでも、ubik0101さんの探求です。まったき個的である故に、超個的な探求です。
No.7386 - 2020/08/05(Wed) 23:01:34
★
ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
1978.7.25
まず自分自身を信じましょう。そうでなくて、どうして他の人を信じることができるでしょうか。
むかし神はアダムやアブラハムに語りかけ、試みを与えました。しかし今はそんなことはないようです、。この神の語りかけがないことは、我が子を捧げようとすることよりも、全人類のために命を投げることよりも、大きな試みです。
まずこの世の中の見えるものによっては、私たちどの人間も、聖書に出ている驚くべき信仰者よりも、預言者よりも、激しく高く試みられています。もしかして神が存在しないのではと。
いや、もし神の語りかけがある場合は、神の存在があり、その命令は神によって保障されていますが、ない場合は、それを越えて人は試みられています。
この生きている一瞬に次ぐ一瞬が試みられています。それはまったく人がその運命を負って、自己が自己であるそのあり方が試みられています。
No.7345 - 2020/07/27(Mon) 18:32:02
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
あなた自身を愛するように
あなたの隣人を愛しなさい。
ほんとうに私たちは、私たち自身を愛しているでしょうか。
自己保存の本能と呼ばれている、身体に対する、メンティナンスとかなんとか、が、愛であるとも思えません。
一瞬に次ぐ一瞬、試みられています。自分の有り方を大切にしていることが愛ならば。私の隣人の試み、というより、あなたの隣人もまた神に最高の試みを受けているということ、ということ、を示していることになります。
あなたも、あなたの隣人も
神の最高の試みを受けています。
No.7346 - 2020/07/27(Mon) 18:33:09
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
7.30
私は試みられてあり、それゆえに個別者として私自身なのです。
名称と形態にとらわれてある時人は、その思いもその行動の根拠も自分にとって明らかでなく絶対の不自由のなかで、完全な自由と思いちがいして、何かを思い、何かを行っています。
人を完全な自由に思わせ自由に行わせるためのしくみが、そのようなものを自己とするその根拠を無におく。名称と形態です。もし人がその思いのその行いの根拠を何かはっきりとしたものにもつとしたら、どうしてそれが見かけ上でさえ自由といえるでしょう。
その根拠のなさこそ不自由であり、また人の根拠が不自由であるからこそ、その思いも行いも自由なのです。これが名称と形態です。
No.7347 - 2020/07/27(Mon) 18:35:07
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
人が名称と形態にとらわれてあるとき、決して人は自己ではありません。コレ、と認められる根拠なくあるために見かけ上、人は自由なのであり、それがまたまったくの不自由であるということなのですから。
しかし神の試みのある場合のみ、この見かけ上の自由は存在意ギを持つのです。
私の生きてある有り方が正しいかどうか、それが試みされていある場合のみ、見かけ上にしても、この世での思い行うことの自由が正当性を有すのです。
まったくこの世の仕組みに従った自由なくしては、どのようにして私を、誰を試すことができるのでしょうか。
No.7348 - 2020/07/27(Mon) 18:36:20
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.3
試みられてある故に私であるのです。
では、なぜ、そうなのかを知らなければなりません。
No.7349 - 2020/07/27(Mon) 18:36:56
☆
Re: 40年前の思索を拝見して
/ 勘太郎
引用
私はがんじがらめでなんの自由もありません。
今のところは、死に依らない限りはこの拘禁は解けないかもしれません。
死ぬ前になんとか、片手くらいは自由に成りたいと願っています。解放されるときには、すべての縛り紐から一気に解き放たれるのでしょう。
愛とは、「すべては私」の別の呼び方と想像しています。
No.7350 - 2020/07/28(Tue) 15:47:14
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ ubik0101&hato
引用
んー40年前とは・・・なんとか見えないところ、つまり自己とか、神とか、名称と形態の源を探ろうとしてたのでしょう。
hatoさんが言うには、もっと面白い文章があるそうなんで、楽しみにしてます。
まだ自己と神/実在との距離があるから、その関係で感じる愛・・・総てが私なら知覚されないけど・・知覚とは差の認識。これはどこまで有効?とは思います。
ubik0101
大丈夫!張り切って、生きましょう。
hato
No.7351 - 2020/07/28(Tue) 19:50:58
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
我々はこの現実と交信状態にあります
1978.4.4
心なんか風に吹かれて飛んでけ。
僕は思います。人は、その考えることも感覚することも感情することも、自分で決めるものではありません。ただわずかにそうする可能性があるだけです。自分の命だって決められません。
No.7352 - 2020/07/28(Tue) 22:53:38
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
むろん人は自ら
CENSORED
ます。けど、死ぬ?死ぬ以外のものがありますか。つまり、自ら
CENSORED
ます、が、死ということは確定事実で、変えられません。生、死、そしてAとかBとかとかCとかないのです。
それでも人間は生きています。何のために?それは決して、自分で決められない自分のことを感じるためではありません。いいえ、そうであってはなりません。心なんて、精神なんて、心理なんて感情なんて、そんなものは確定事実、世界の性格でしかありません。
No.7353 - 2020/07/28(Tue) 22:55:34
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
しかし、こういうように考えることはできるのです。つまり、あのような確定事実は自我を決定しません。あのようなものとは世界の全てです。つまり自我は、あれらを自我の根拠にしていません。だから僕はいいます。心なんて風に吹かれて飛んでけ。
No.7354 - 2020/07/28(Tue) 22:57:02
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
少し冷静になってみましょう。僕たちは、この現実とトランス状態に入っています。どのようにしてこうなっているかを考えてみましょう。
あなたは、朝、目覚めるとき、どのようにして、覚醒しますか。僕は、パチッ、つまりスイッチをひねるように切り替わります。徐々に目覚めることなんてあるのでしょうか。むろんあります。体は目覚めて、精神がじんわりと手足に沁み込んでいくあの感覚。あれをまた味わいたいものです。
しかし、これとは逆のことが多い。つまり精神は目覚めても身体が動かないというあれです。あれは、眠っている現実を夢見ているのでしょうか。夢判断にこのことはでてるのでしょうか。僕は一夜に、それから覚めては又、覚めては又、まったくくるしいものです。
No.7355 - 2020/07/28(Tue) 22:58:44
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
あとは、物心がつく、という人生に於いてのそれです。ま、これも放っておきましょ。とにかくこういうことになっています。さっき僕は可能性を言いました。いや、それより本当に、人は自己を決められないかそれを調べてみましょう。
倒産して
CENSORED
する人がいます。倒産したという事実なくして倒産したという知覚はありません。その知覚をしようとして決心したわけでもないし、その知覚が事実を生むわけではありません。しかし、しかし、知覚しているそのこと自体に於いて。
そのただなかに於いて。
No.7356 - 2020/07/28(Tue) 23:00:00
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
4.6
僕が僕であるのが嬉しい。
自由は、それがなんであるか知って自由であるべきです。そして愛も、それが何であるか知って、なお、愛するものであります。
あなたの人生が波瀾に満ちたものでありますように。
No.7357 - 2020/07/28(Tue) 23:26:07
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.23
大切なことについて。
まず、なぜ私が私であるか?それは単純にただ、私が人ではなく神の基準によって生きることによってです。ふつう人はなにを自我とするでしょう。誰にでもたずねてごらんなさい。自我とは何でしょうと。
No.7358 - 2020/07/29(Wed) 22:47:48
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
それはたしかに言葉として、あるいは現にされたものとして示すことは困難です。
しかし、暗黙のうちに理解していることを言うならば、それはその人がその人の根拠に置いてあるところのもの、例えば仕事で自分の思いついた意見などを主張するその有り様、人との関係の有り方、自分のしようとしていることなど、など、そんなものです。
そんなものが自我ではないことは明らかなのですが、とにかく、なんとなく、そのあたりに自我はありそうだ、と思われてあります。世界に対する固有な有り方が、そうじゃないかなと、これも闇の中で思われてあります。そうじゃないかな、と思われるものも、それなりの理由があります。
誰も、自分が自分であることは、いや、そういうものは、ただ神の基準によって生きることの前段カイというか、カリカチュアである故に、そういうこともあり得ているのです。
No.7359 - 2020/07/29(Wed) 22:50:34
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
ところであなた、あなたにとっての大切なこと、それは何でしょう。あなたの基調、あなたの主なセンリツは何でしょう。それは誰にとってもその人の杭であります。十字架であります。
No.7360 - 2020/07/29(Wed) 22:51:30
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
なーにもこの世に大切なものはないさ、という者の有り様さえ、単に不満な者から虚無的なものから絶望者まで、その有り方さえ、その者の基調なのです。
客観的に性格といわれているものが客観的に自我といわれているものです。主観的には、生きてあること、これが自我なのです。
この生きてあること、この不思議なキセキについて誰が何と言えるでしょう。そして、それが世界に向かって人に向かってあり強調されるとき、そのようなこと一般を、人は自我と呼びます。そして、それ、つまり強調される媒体、それが人にとって大切なこと、なのです。そして、それが人に与えられた十字架であります。
ふつう、それは恋や愛やお金や社会的地位やらです。この世のありとあらゆるものや事がらが、そのようになります。
No.7361 - 2020/07/29(Wed) 22:53:13
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.24
この世界のありとあらゆるもの、空に輝く星、小さな生物、お金、人々が、自我の増幅器になり、また媒体になります。
No.7362 - 2020/07/29(Wed) 22:53:57
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.26
自我、とは生きてあること、です。このことをはっきりとさせましょう。
つまり、生きてあること、は内から世界を展望しているのです。
この世のすべてが自我の媒体であり、ブースターになります。物質的有からそれ、自我について考えたことまで が、そうなります。そしてそうなった場合のみ、他の人間にとって、それが自我として認められます。
逆に私がほかの人間を見て、その人間の自我を見るのも、このように活性化、あるいは捉われた、あるいは媒介された、あるいはブーストされた自我を認めるからです。
No.7363 - 2020/07/29(Wed) 22:55:07
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.3(※9.3)
自我は命の別名です。自我はしかし、この世の仕組みに命が対立してあり、対立との関係に捉われて自己を見い出してあること、をそう呼びます。それは人にあって、その人の基調となるものです。それは、出世欲であったり、すねて生きることであったり、真実に生きることであったり、恋であったり愛であったり、ほうしであったりします。それが人にあって、大切なこと、なのです。それが杭であります。
No.7364 - 2020/07/30(Thu) 23:42:28
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
誰でも自分の杭を取って、わたしの杭を背負いなさい。わたしの杭は軽いのです。それはあなたを爽やかにします。とイエスは言います。
人にあって大切なこと、そのことはすべて個人的なものであり、それは食物の味覚が、ただその当人にとって意味があるだけであり、それを少しも出てない、と示されています。
ではイエスの杭を負ったとして、それはどういうことか考えてみましょう。
No.7365 - 2020/07/30(Thu) 23:43:26
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
僕は子供の頃、ガリレオの話を読んで、なんてヒキョーな人なんだ、けれど、それは許されると人々が認める範囲内にあるのだな、と感じました。
その理由は分かりませんでしたが、なんとなく、そう思ったのです。
それが許される範囲にあるというのは、ガリレオが、それでも地球はまわる、と言っても言わなくても、つまり人がどー思おうと思わないでも、宇宙のしくみには全然関係がない、ということにおいてです。
それが許されないのは、公的に太陽がまわることを認めることは、この人々への責任があるからです。
それでも太陽は動かない、と公的な場で行ったのなら、彼は英雄です。それでも地球はまわると、つぶやいたなら彼は道化です。
No.7366 - 2020/07/30(Thu) 23:44:32
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
ガリレオにとって、自分の杭は後者です。イエスの杭は前者です。前者はなんと(食物の味のように)自分を離れていることでしょう。しかしなんと、自己主張に満ちていると人々から思われることでしょう。
公的に大地が不動であることを認めるのは、自分の杭にしばりつけられています。消極的ですが、なんて自己保存なのでしょう。
もし事実として彼が地動説をあきらめたのなら、人間がどう思おうが宇宙のしくみは変わらないと考えたにしても、後悔が負い目が、彼をとりこにしたでしょう。そして、それは当然です。そうならば彼は彼の杭に縛られていることが、よくないことなのですから。
しかし勇気が必要です。
No.7367 - 2020/07/30(Thu) 23:45:50
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
イエスの杭は軽いのです。人が自分の杭を抜いてイエスの杭を負うと、それは人を上に連れていってくれるのです。
けれど勇気が必要です。
しかし誰でも自分の命を守ろうとする者はそれを失い、イエスの名の下にそれを失うものはそれを得るのです。と記されています。
おそらく、命を大切にすること、それこそ杭です。恋の場合でえも、コッケイながら、「君のために
CENSORED
る」か、どうか試されます。どんなことでも「命の次に大切なこと」なのでしょう。お金も、地位も名前も命の次に大切なのです。そして、それらのために命を投げ得るか?と試されないことはありません。
そしてふつうには命より大切なものはないからです。
もし、イエスの言葉がないのなら、命より大切なものはありません。
No.7368 - 2020/07/30(Thu) 23:47:14
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
しかし、ここで、イエスの杭が真実であるかを考えてみなければなりません。恋に例をとってみましょうか。恋し恋されることも、恋し恋されず恋し続けることも、おそらく、どのような状況を考えても、そこには自分の杭しかありません。
お金に例をとってみましょうか?名誉に例をとってみましょうか?この世のありとあらゆるものに例をとっても、そこには自分の杭しかありません。つまり、自分の命か?それとも命から2番目に大切なものか?と。
もし現代たとえば誰かが、「それでも太陽は動かない」と言ったとして、それがイエスの杭を負ったことになりましょうか?
イエスの杭が示されるとは、どういう時でしょう。
命をマトに頑張るとき、それはイエスの杭を負うことになるでしょうか?いいえ。
No.7369 - 2020/07/30(Thu) 23:48:47
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
8.4(※9.4)
この世界に深くささったトゲのような自我、それが自分の杭なのです。そしてそれを取りあげて、イエスの杭を負わねばなりません。
もし人が永遠に生きるとしたら、誰が人を憎んだり嫌ったりできるでしょうか?そうです。人が人を嫌うことができるというのも、人が死すべき身であるからです。
この憎しみも消えてしまう、ということなしに憎しめるはずはありません。このくつじょくも、みじめさも、ヒキョーな態度も、不誠実も、嘘も。それが(死とともに)なくなってしまう、ということがないかぎり、そんなものを味わってはいられません。もし人が永遠に生きるならば、
あなた自身を愛すように、
あなたの隣人を愛さねばならないのです。
No.7370 - 2020/07/30(Thu) 23:49:46
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
9.7
この世界に深くささった痛ましいトゲのような自我を引き抜くこと。それはイエスの杭を負うこと以外にはなし得ません。
No.7371 - 2020/07/30(Thu) 23:50:35
☆
Re: ubik0101探求ノートから
/ hato
引用
9.9
なぜなら、この世のどのような対象も自我の杭たり得るのですから。
さて、自我とは、世の中のものに対して深く関わっていることをいいます。
No.7372 - 2020/07/30(Thu) 23:51:02
★
補足の続きです。
/ ubik0101
引用
すこし実例を話してみます。
この静かな岡の片田舎では、自治会というのがあって、たとえばそれが近隣だというだけで、まったく知らない家だとしても、通夜に行ったり、葬式の手伝いをすることになっています。
そこで、知らない人の通夜葬式には出ないと不満を言う人もいます。そんな機会があったので、
知らない人だから、ということは、通夜葬式に出ない、ということの理由にならない・・・そして・・・このことの理由は言わないけど、考えてみたらどうでしょう?と言ってみました。
すると、どうしてもその理由を言えと、言います。しかたなく、知らない人の通夜葬式に出たくない、というのは、自分中心ということでしょ。と答えました。
No.7325 - 2020/07/09(Thu) 21:31:09
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
そこから、ああでもない、こうでもないの、通夜葬式に行かないことの正当性を守るための、思考と発言と行動が始まります。
そして世界は・・・その自分中心を正当化する材料を幾らでも供給し続けます。わたしは知らない人に香典をだすほど裕福ではない、面倒だから、もう時代は変わる。私の通夜葬式には誰も来なくていい。あなたは自己中ではないの?いったい自己中でない生き方て、どういうこと?・・・どうでしょう。
そのありとあらゆる思考が、自分中心を隠れた前提にしてるのではないでしょうか。その都度その都度、愚かな自分を守り、愚かな自分をつくってるのです。
No.7326 - 2020/07/09(Thu) 21:34:29
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
列島、大雨の7月初旬です。皆様もどうぞご無事でありますように。
こちら、いつかのルンルン。もう風になってしまったけど、いつも精一杯、「大好き」という気持ちを表現してくれたラブバード。
青い小鳥です。
No.7327 - 2020/07/09(Thu) 21:44:16
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
そんな人が・・・人を変えるには自分が変わればいい、私は違う次元に生まれ変わる、なんの執着もない、もう終わった過去は問題にしない。みんな自己責任・・・とか言ったりするのです。自分のしたことが自分で分からないので、どこかから聞いたことを振りまいてる、この恥ずかしさに気がつかないのでしょう。
もちろん不公平でありたい人かもしれませんし、責任を負いたくない人かもしれませんし、不満をまき散らしたい人かもしれませんし、人にはいろんなことが複合してその人を隠してるものですが、言ったように、実際に話した人であれ、ほかの人のことは、ここで、どう考えても空想です。
このようなことを、その自己中な人が誰から聞いても、その自己中な人のためになりません。ここで話してることは噂話にすぎません。
ほとんど、自己責任は絶対ということ・・・それをも自我は自我を守る理由にします。そのように自我は、人と人の間に隠れて生きているのです。
ただ・・・自分の言動思考発言は自分で、誰もがそのまま解るでしょう?ただそのことを受け止めて・・・それから逃げずに・・・そうするその奥、それを探るだけなのです。
No.7328 - 2020/07/09(Thu) 21:46:15
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
こんな簡単なことはないのに、ほとんどビデオも見ず、書も読まないけど、そうする人は、あまりいないかもしれません。世界にも、人にも、その準備はできています。それなのに、
ああでもない、こうでもない・・・変な言い方ですが、思考が外のことばかりを見て根拠に、その思考する中心を見ず、その見えない自分を守るのです。
そんな境はありませんが、あるとしても、ほんの薄皮一枚・・・これも変な言い方ですが、内を見ればいいだけです。
それだけで自我のつくった真我、いわゆる外の、あっちこっちを飛び回り自分のことを疎かにしながら、特別感、万能感を、それが嬉しいという、愚かさ・・・そんな思考、
こんなことが思考が問題だ。と言われる理由かもしれませんが・・・いいえ・・・思考ではなく、問題があるとしたら、その人が問題なのです。その問題を思考が正確に現してるのです。思考は導探求の頼りになるのです。
No.7329 - 2020/07/09(Thu) 21:57:19
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
ところで、
ほんとうには、誰か人が自分中心だとしても、その理由がないのです。理由なく自己中なのです。この理由がなく、自己中ということは、最強の理由なのです。あるいは知識がある、あるいは裕福、あるいは家柄がいい、先祖に優れた人がいる・・・考えられることは、どんなことでも・・・自我にとっては理由になるとしても・・・理由にならないのです。
つまり理由は、理由なくあることのカモフラージュということもあります。なにか、誰かから理由を指摘されたとしても、自己中と言われても、それは単なる理由ですから、理由なくある自己中は生き残るのです。
威張ってる人は理由なく威張ってるし、卑下してる人は理由なく卑下してるのです。逆に言えば、理由がないのですから、この瞬間にも、そんなことにも縛られることもなくあれるのです。また理由なく公平、理由なく親切、理由なく誠実、であれるのです。
No.7330 - 2020/07/09(Thu) 22:23:01
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
こんなことに、なんとなくでも気がついたら、理由なく生きる。そして理由なく生きることに縛られてしまうこともありますが、それが探求の経緯になったりします。
そういえば上司には絶対服従で、部下には服従を求める人がいました。それはそれなりの世界観なのでしょうし、大声で叫び、俺が俺がの、活動的な人でした。また上司には絶対服従で、部下には服従を求める人がいました。どちらかと言うと、陰険で、人の顔を窺って生きてる人もいました。
ほんとうに、ほんとうに、その人自身の問題、課題です。世界には準備はできてます。人にも探求の用意は整っています。
ゆっくり続きます。
No.7331 - 2020/07/09(Thu) 22:26:20
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
一昨日か前の夜中、ふいに思い出して、かなり久々に、ubik0101さんの、とある探求ノートを手に取りました。はたと開いて読みいくと、「うむ。これはかなりの天才に、違いない。」とは思うとして、人は正しく努力しょう!人生励もう。と力付けられるところがあります。
ubik0101さんの学生時代の探求ノートから、いくつか続きます。
No.7333 - 2020/07/09(Thu) 23:14:15
☆
Re: また、ゆっくり続きをお願いいたします。
/ 勘太郎
引用
こちらは青空、さっぱりした快晴です。
近隣の方が「九州の人たちは、みんなこっちに引っ越して来ればいいんだ」と言いました。
この近隣の方にも、隠れた自分が居ます。
おらは、天候だけを取り出して、自分と比較しても生活全体の比較はできないと思っています。おらの中に隠れた自分が「おらは近隣の方より、隠れた自分に気が付いている」と思う自分が分かります。無限にこれが反射・反復します。
No.7334 - 2020/07/10(Fri) 08:36:59
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
おそらく自分で自分を感じるというのは・・・楽しくもあり不安でもあり、自分がある?という確認作業かもしれません、が・・・それは、ものたりないということ、欠如、完全ではないということ・・・自我の構造が及ぼす影響でしょう。
そうではなく、自分を見る自分も見られる自分もないこと・・・確かめる必要がないということ、満ちているということであり・・・自我はないという意味でもありますが、真我(ある)は真我(ある)にありきって、ない、も無我と呼びます。
No.7335 - 2020/07/11(Sat) 17:48:47
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
もすこし、この話を続けます。
たとえば通夜葬式に出る。出たくない。と考える言う行動する、考えない言わない行動しないということに関らず、自己中なら、自己中なのです。自己満なら、自己満。自己顕示なら自己顕示。強欲なら強欲。
ご飯を食べてるときも、TVを見てるときも、誰かと仲良くしてるときも。それは隠れていても・・・それは見えないけど、自己中なら、自己中なのです。自己満なら、自己満。自己顕示なら自己顕示。強欲なら強欲。まったく気がつく、縁(よすが)もないとしても、そなのです。けれど、
その、
その、たとえば知らない人の通夜葬式にはでないという思考が発言が行動が、発生する時。誰かと話す時、その人の話を聞かないで自分の思考を捲し立てる時、じっと相手の眼を見る時、怒る時、静かな時・・・この日常の普通の、その出来事、出来事が、不思議に、その自分の有り様を見せてくれる、絶妙な機微です。
たとえば通夜葬式に出ないと言ったのに出るとか、出ると言ったのに出ないとかもあるでしょう。この思考の意味は何?この発言の裏は何?この行動の前提は何?それが問えるのは、それが現われないことがあり、現われるので、問えるのです。そして、それが何であれ、たとえばゴミ捨て場に袋を持って行く、なんか仕事とかの作業をする・・・その都度その都度、なにか現われてないことなど、ないのです。ここでなにか思考や感情が起こるなら、
その眼の前、眼の前に展開されることに眼を奪われて、狭い範疇にいる。ということかもしれません。なにか考えたら、それをあらゆることに適応してみる、そして、それを自分に適応してみる・・・ことも役に立ちます。
また誰かを小馬鹿にして、拒否して、その小馬鹿にしてる一瞬前の自分を振り返って自己満を楽しむ・・・こいうことをしたら、恥ずかしいことですが、その恥ずかしさを引き受ける。でないのなら自分のしたことにも気がつかないで、自分を隠してる。ということかもしれません。ということに気がつく。
そこで、自分で自分を隠さないこと、誤摩化さないこと・・・それは他の誰かから見て、この自分のことは解らないだろうから、としてその自分を自分で隠す・・・人と人の間に隠れて生きる・・・そんな操作を知らず知らずしてるかもしれません。そこで、たとえ全知全能の神が見てなくても、私は私のことを知ってる。こんな決意も大事だったりします。
そして、自由を求めるなら、自由を求める。公平を求めるなら公平を求める。世間に疑問を持つなら、世間に疑問を持つこともあるでしょう。
あるいはしかし、世間や学校や会社には規制があって、自由を求めるなら、また公平を求めるなら・・・その自由とか、公平とか、世間とかの意味は・・・数学の公式のように前提にされ不問にされている・・・そのことを意味を探る。その言葉の定義をする。ここで人は、もう後戻りすることのない道に踏み出します。
これは素直であることによって。自分が自分でないことに自分の根拠を求めないことによって。つまり、どんなことにも見える聞こえる感じる思考できるどんなことにも、自分の根拠を求めないということで可能です。
こんなことで何をしてるのか?繰り返します。人が、世界の、その人の機能を学んでるのです。
ゆっくり続きます。
No.7336 - 2020/07/16(Thu) 21:03:42
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
庭に多くの、トネリコの木が植わってます。とあるひとつの樹が、6月かの初夏の頃、とても見事に花を咲かせました。
No.7337 - 2020/07/21(Tue) 23:19:12
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
なんとも美しく、目を引きました。
No.7338 - 2020/07/21(Tue) 23:20:00
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
7月に入り、とある猫散歩中、コタロウが立ち止まり、なにかを見てると思ったら、あのトネリコです。
なにやら黒い物体、カナブンか・・・と近づくと、あれ、カブトムシ!??
草むらにいるであろうのも含めて、30匹かそれ以上はいるのかも知れません。知らないうちにパラダイス化していました。調べてみると、こんなこと、あるのだそうです。カブトムシは、神奈川のアパートから10年ぶり。ちょうど思い出していたところで、驚きの再会です。
ほかにも沢山生えていますが、このトネリコが気に入りのようです。
No.7339 - 2020/07/21(Tue) 23:28:14
☆
Re: 補足の続きです。
/ hato
引用
雨模様から数日蒸した晴れ日があったり、こんな気候がいいのかも知れません。独特な、西瓜に似た匂いが漂い、カブトムシ特有の、ジリリ、ジリリという、無機質な、心地わるくない音を出します。木の幹を削り進み、樹液を吸っています。
夏に入り、こちら仕事もすこしずつ本調子。いまのところ、まだ涼やかな朝晩に助けられてます。
No.7340 - 2020/07/21(Tue) 23:37:15
☆
Re: カブトムシは不思議な形です
/ 勘太郎
引用
カブトムシの世界でしか通じない角の様に思えます。しかしながら、恐竜のトリケラトプスに似ています。 生き物はこんな形が好きなのかもしれません。
天気予報が少し外れて、爽やかな快晴の朝です。このような天気の犬の散歩は特にたのしいです。
No.7341 - 2020/07/22(Wed) 08:56:07
☆
探求ノートから
/ hato
引用
ubik0101さんの若かりし頃の探求ノートから、少しずつ。
7.14
名称と形態
人は自己にとって個別者ではありませんが、他の人にとっては個別者です。
これは、ま、今の私の有り様を表している、としましょう。これについての批判をなし得ているわけではありませんから。というのも、愛は名称と形態を超えねばならないからです。
いや名称と形態を超えるものが愛であり、そのことを証明せねばなりません。
No.7342 - 2020/07/22(Wed) 21:37:37
☆
Re: 補足の続きです。
/ ubik0101
引用
ちょっと書き忘れがありました。
それで、誰か他の人が、自己中だ。偽善者だ。嘘つきだ。と思う時、これを振り返ります。そ考えてる自分は、実は、自己中ではないのか?・・・なぜなら、まったく、そでないなら、他の誰かのことだとしても、そ考えることができるだろうか?
この、そ考えないところ、考えてないところ・・・その空気感・・・投影と、事実の認識はどう違う?・・・この微妙な一瞬の感覚。見えないけど、1人あることの、無意識の、なんか扉を開ける時だったように思います。
それは、他の誰かに向かって、馬鹿と言う人は馬鹿だ。自己中と言う人は自己中だ。ということはあるでしょう。それを自分に向かって、言う。その知覚できない、認識できないところに向かって、言った、ということです。
ゆっくり続きます。
No.7343 - 2020/07/26(Sun) 22:03:54
★
自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
たぶん、人はなんであれ行動し、発言し、思考しています。それなりの世界観で生きてるかもしれません。
たとえばこれは、こちらの経緯にはありませんが、説明のために話します。この世界は仮想現実だ。ならば、その世界観が成り立ってる前提を探るのです。
もしかしたら私は、責任を負いたくない・・・ということがあって、この世界が仮想現実なら、その私にはそれを負う必要がないということなのかもしれません。
No.7309 - 2020/06/07(Sun) 08:44:27
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
ほかの誰かの言うことは、その本人でないので、ここで言うことは、どう考えても空想です。
たとえ同じ世界観であっても、その前提は、人それぞれでしょう。その本人だけが、その思考の成立する前提を探ることが出来得ます。そしてその前提は隠れてなければ、機能することができません。実は、人がなにかに同一化できるとして、この隠れてる前提です。
この何が何だか解らない見えない自分と、隠されてなければ、その人の前提として機能しない見えない前提は、とても馴染みがいいのでしょう。見えないので人はそれと同一化し、自分の世界観による行動、発言、思考の基礎にします。
No.7310 - 2020/06/07(Sun) 08:49:44
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
長崎の伊王島に行きました。長崎も、熱波と、穏やかに賑わう街と山川、海の風景がなつかしいものです。
高速船に乗った小旅行。ubik0101さんが撮ったこの画像は、高速船から見たどこかの島の教会のようです。
伊王島内を散策して、山間に見つけた白い教会があって、その入り口にふたつ椅子が並べてあり、座って休みました。そこから広がった海の眺望が爽快だったのを覚えています。
No.7311 - 2020/06/07(Sun) 09:13:05
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
たぶん、なんでもいいです。悟りたい・・・人生に問題がなければそれでいい・・・お金持ちになりたい・・・人の上に立ちたい・・・いい人に見られたい・・・そのようであって、
その前提になってる見えない、その前提、その前提、があるのではないでしょうか?それを明るみに引きずり出すだけです。そしてそれが見えるなら(対象と主体に別れるので)人はそれと同一化することはできません。つまり隠れた前提による言動はクリアされます。
それは、隠されてなければ、その人の行動、発言、思考の前提になりません。そして見えるのは、その人の、行動、発言、思考だけです。それは常に常に、探求を誘ってるのです。
No.7312 - 2020/06/07(Sun) 09:16:29
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
それぞれが長崎と神奈川にいた頃、長崎の画像をたくさん送ってくれました。七夕は新大工町の商店街から。
No.7313 - 2020/06/07(Sun) 09:32:40
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
そして、結果的に判ることですが。その前提、その前提、それを隠したのも、その自分でしかありません。ほかの誰かが、また環境や社会、世界が、これを前提にしろと、人に言っても無理なのです。
なので、自己観察は、自分で隠したことも忘れてることを自分で探すという、これほど簡単なことはないと思うのです。どんなに困難に思えても、自分で出した疑問は、必ず自分で解けるのです。
どんなことであれ、その都度、その都度の言動思考に、その前提が現れてるのです。自分の日常を観察というより、そんなことをしなくても、人は自分の行動が自分でわかる、話したことは聞こえる、思考したことは知覚できる。これ以上の不思議も神秘もないのです。
No.7314 - 2020/06/07(Sun) 09:35:23
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
ほんとうに、ほんとうに、自分を知ろうとしてる、そうでしかないのです。なにか人が自分のためになることをするなら、ほんとうにほんとうに自分のためにすればいいのです。
おおむね自分中心なのに、その自分を知らないことも知らないで、生きてるかもしれません。そんな、ただ生きて死ぬような人・・・そんな自我でも、そんな自我だからこそ、そんな自我を探ることが出来ます。その自分を、その根拠を自分で探る、それだけです。
たとえば、偽善が嫉妬が、傲慢が、卑下が騒がしさが、静かさが、覚醒の障害であり、それがそのまま覚醒の道です。世界はその総てを、その精髄を、それを超えたことを人に与えようとしてるのです。
No.7315 - 2020/06/07(Sun) 09:44:50
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
このとき、自分はこのとき、目がとっても腫れててや。なのですが、ubik0101さんがこれがいいっというので。
No.7316 - 2020/06/07(Sun) 10:31:30
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ ubik0101
引用
これは楽しい探求です。発見に次ぐ発見で、オーディオとか、庭作業とか、自転車とか、どんなことよりも面白いのです。自我を、それを壊そうとできるのも自我だけなのです。これは自分の立場を削り取る道です。
それで、自分の思考の前提を探ることを、否定の道と呼んでいます。どんなことも拠り所にならず、素直の道です。だからといって、なにも期待しない道です。楽しいから続けたのです。これで何かが起きるとか、何が起きるとか、まったく考えてもみませんでした。そしてこれが軌道に乗ったら、
どんなことも探求です。ご飯を食べることも、野良作業をすることも、電車に乗ることも、探求でないことなど、なにもないです。この世界が、この日常が、注意だということです。
ゆっくり続きます。
No.7317 - 2020/06/07(Sun) 10:38:37
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
長崎で、図書館さんにお会いしました。この2人の後ろ姿、とても素敵です。
No.7318 - 2020/06/07(Sun) 10:44:07
☆
ゆっくり続きます。
/ 勘太郎
引用
お願いします。
No.7319 - 2020/06/08(Mon) 19:05:25
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
神奈川の週末、小田急線に往復揺られてよく訪れた、江の島裏磯の夕日です。
重い釣り具を抱えて、島内を上り下りしたり、余裕があるときは、乗って数分で着ける渡し船に乗り込みました。うーん、パパのお陰で、なんと怖いところで釣りをしていたのでしょう。いい思い出です。
そんなこんなとあって、
静岡は、緑溢れる片田舎に移りました。
No.7321 - 2020/06/14(Sun) 00:05:25
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3 補足
/ ubik0101
引用
すこし振り返ります。自分の言動思考の隠れた前提は、明るみに出されると、隠れた前提としても、その隠れた前提があるゆえの言動思考も成立しなくなります。これは自分が自分だと思う自分を失う道でした。
たとえば食事をすると、その食べ物は、見えなくなります。それは人の血や肉になったからです。
このように何か理解するということは、得ることより失うことに似ています。そして、結果、なくなることは、何もないと解ります。
そのときはそうと気がつきませんでしたが・・・自分で隠したことを自分で捜すだけですが、それはマッチポンプだとしても、思考、感情、行動の機能・・・そしてなにより言葉、つまり世界がそのように活動する、その世界の活動の機能を学んでたのだと思います。
ほかの人に、こいうことが適応されるかは知りません。このような日常だった、ということです。こんな自分の根拠を探る否定の道ですが、とくに宗教や哲学に詳しいわけではなく、誰かに学ぶとか、知識を得るとか、そんなの面倒だったので、自分を研究する、ほかにできることなかったのだと思います。自我が自我を嫌う機能を自分に向かって適応するとも言えます。
それは、死んだら死んだということさえ分からなくなる、これが底知れない恐怖で、自分の中心を探ろう、ということが発心になりました。
ゆっくり続きます。
No.7322 - 2020/06/19(Fri) 20:18:55
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
ノンノンのパパは、ubik0101さん。
ノンちゃんパパ、の所以です。
パパが選んだ、ノンちゃんの写真はこちら。
ノンちゃん、スイカ、美味しいね。
No.7323 - 2020/06/19(Fri) 20:23:02
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我3
/ hato
引用
もう一枚。
No.7324 - 2020/06/19(Fri) 20:28:13
★
自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
たとえば自分の生まれた国、生まれた家族、風光、生活、読書、思想・・・食物・・・言葉・・・それはその人をつくっています。つまり、世界がその人をつくっています。それで、私は世界だ。ということのほかはないです。
もっと正確に言うと、世界によって作られてる自我は、自分で自分が何が何だか解らない、人、と世界の協力関係で作られます。ほかの何者でもありません。
そして世界とは、物質、感覚、感情、意識です。なんであれ、それは自我が生じる、その土壌になり得る範疇にあります。
No.7293 - 2020/06/04(Thu) 12:22:38
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
ここで、人はどこかの家で生まれ・・・たとえば家族、隣人、学校、社会・・・感情、思考・・・空想・・・世界の狭い範疇、個別のこと、分離されたことから普通は始まります。
それらは人を作ってるので、自我とはそんな自我の骨組みになってることと同一化してる、と言われたりします。が、なんであれ、感情とか、思考とか、行動とか、人はそんなことに同一化するのは不可能です。
というのは実際は自我が守ってるのは、学歴、家柄、知識、貯金、名誉、傲慢、卑下・・・というよりは、それによってつくられる自我の中身、どんなことでもない、ない、ということです。自己保存とはこういうことです。
No.7294 - 2020/06/04(Thu) 12:27:20
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
引用
時間がゆっくりあったので、長崎や、神奈川で撮った画像を整理していました。なつかしいね、と見ています。
いつかの露草から。
No.7295 - 2020/06/04(Thu) 12:37:41
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
この、ない、を守ることがある意味、探求です。このなんでもないない、を守りながら勉強し、遊び、働く、日常を経緯することが困難なのです。
ないを守らず、何の疑問もなく、おおむね快不快、好き嫌い、損得に准じて、ただ諦めて生まれて死ぬような人生なら、その人の探求は超困難になるでしょう。
でも、なんであれ同一化しようとする、あるいは同一化しきれない、たとえば出身校に同一化する、過去の出来事に、あるいは未来のことに、絶望に、希望に、健康に、病気に、同一化しきれないのが自分でしょう?
それを見てる自分、が生じるのではないでしょうか?自我です。では個別のことではなく、総体としての世界ではどうでしょう。しかし誰が、森羅万象・・・ありとあらゆること、ありとありえないこと・・・でありえるでしょう。
また誰か人が世界の隅々を経験したとして、その瞬間にはまた、世界は変わり続けてるのではないでしょうか?問題は、人が生活や考えの範疇を広げることではありません。
No.7296 - 2020/06/04(Thu) 12:39:07
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
そのような虚構である自我の構造を形成する骨組は、そのような森羅万象でつくられています。あるいは善、あるいは悪、あるいは怠惰、あるいは努力、嘘、真実・・・ありとあらゆること、森羅万象が総力で自我をつくっています。
そのような自我は、とてつもなく大事で、どこまでも守らねばなりません。分離された部分だけを自我の問題にすることがあるようですが、違います。
なんとか自我と真我の関係を話そうとしてるのですが、困難です。自我は世界によってつくられ、虚構で、内容はない・・・それは、ほんとうに森羅万象が、心を込めて、精神を込めて、魂を込めて、そうしてるのです。
No.7297 - 2020/06/04(Thu) 12:44:24
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
引用
長崎のアパートでの、ubik0101さんのセッティング。このマックのモニターは、自分も同じ型を知人から譲ってもらい持っていました。今見ると、本当に年代ものの感じがします。
No.7298 - 2020/06/04(Thu) 12:52:57
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
なんであれ良いことだけではなく、悪いことも、快も不快も、損得も、好き嫌いも、雨の日も晴れの日も、あるもないも、森羅万象が・・・そのために働いてるのです。
たしかに騒がしさも、静かさも、善も悪も・・・なので、どこか、いいとこ取りで自我を解決。と言うわけにはならないのです。
たとえば受動だから○、能動だから☓、とかいうわけにはいかないのです。思念は☓、知覚からの直接行動は○、ではないのです。責任も無責任も・・・主観も客観も・・・どれもがあってもなくても駄目です。問題はそいうとこにはありません。
No.7299 - 2020/06/04(Thu) 12:54:44
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101
引用
たとえば誰でも考えるでしょう?主観と客観、それはどいうことなのか、主観そのこととか、客観そのことがあるとして、それはどいうことなのか?どこにも思考は落ち込まないでしょう。このように判断しなこと、これも大事です。
そして主観だけで生きる。こんなこともできます。乞食にも、新入社員にも、先輩にも、社長も、大統領も、天皇も・・・同じように対応する・・・仕事も遊びも、すべてプライベートなこと・・・・公平であること、卑下も傲慢もなく、自分を隠さないこと、これは、ほんとうに人生を賭けるのです。
この日常に、世界に、たとえば責任ということがあるでしょうか?ありません。けれど、なんか人がしたりしなかったりで、そのことから逃げると、責任が生じます。逃げること、逃げ続けること、このいまではなく、常に常に自分を逸らすこと。不注意なこと。その責任はその人が負うしかないのです。
ほかの人が、誰か人を、卑下しても馬鹿にしても、貶めることは出来得ません。その人が自分で、自分を貶めることしかできないのです。
つまり、この日常に世界に責任がないということは、世界には完全に透明な、責任が完全に満ちてる。いうことです。ほかの言い方では、その人がどんな人であれ、すべて自己責任です。
ゆっくり続きます。
No.7300 - 2020/06/04(Thu) 13:03:54
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
引用
神奈川の、緑溢れる丘のアパート。仕事はいつも大変だったけど、幸せな時間を過ごした、とても不思議な場所でした。
No.7301 - 2020/06/04(Thu) 13:08:33
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
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この掲示板で出会った、一読者さん、peerさん、大阪さん、potanpotanさん、ubik0101さんの友人だった、神奈川の調理人さんご夫妻や、東京の友人が訪れて下さいました。
秋になると毎日聞こえてくる、ドングリが屋根に落ちる、コツン、コツンの音、・・・ウグイスや、大勢のメジロたち、鳥たち、・・カブトムシも雄雌で、小さなベランダから、この部屋にやってきましたね。
ふしぎなキノコや山椒や、嬉しい草草がいつの間にか生え揃って迎えてくれた、小さな森の丘のとある部屋です。ubik0101さんが、近くのスーパーのチラシで、本日の目玉商品を見てるところです。
No.7302 - 2020/06/04(Thu) 13:31:22
☆
Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
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次々に住む人が、たくさんの不思議と幸福に恵まれますように、と願いました。
No.7303 - 2020/06/04(Thu) 15:10:07
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ 大阪
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こんにちは
わぁ
ubikさんの写真、シルエットすらここに上がるの、はじめてじゃないですか??
No.7304 - 2020/06/06(Sat) 11:51:53
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101&hato
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わ、大阪さん!こんにちは!😊😊
じつはシルエット、2度目でした。うしろすがたを一緒に出したことが、ありました。
今日はこれです。もう10年むかしの。
No.7305 - 2020/06/06(Sat) 13:09:05
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
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わたし的にはいまいちすきでもないんですが、パパはとっても気に入ってるみたいです。いちばん、えらそーに映ってるのでいいいんだって。
No.7306 - 2020/06/06(Sat) 13:17:44
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ hato
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こっちのがパパらしい〜かな。。
No.7307 - 2020/06/06(Sat) 13:25:59
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ ubik0101&hato
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これも若いです。ルンルンと一緒。
No.7308 - 2020/06/06(Sat) 13:44:19
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Re: 自我・・・世界/実在・・・真我2
/ 大阪
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突然のフルオープンわろた笑笑
バズるなぁ(´-`)
No.7320 - 2020/06/08(Mon) 20:19:40
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