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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

この自分(自我)も透明なので、困ります。 / 勘太郎
>たとえばジャンケンした、その時間を遡って、ジャンケンをする前から、ジャンケンをする主体が仮に設定される。自分がジャンケンをしたのだ。という虚構・・・仮の主体、自我、の仕組みは、たったこれだけです。<

 この自分を捜しても、素通りして何も掴めるものがないので困ります。いつも、困ってばかりいる自分なのですけれども、捜すと見つかりません。思いつく度に、ここら辺を探ってみるつもりです。

昨晩の帰りの地下鉄は、遅い時間なので、いつもは座席が空いているのに。会社の忘年会帰り、若者のデートの帰りらしい人で混んでいました。
 今年も残り三週間になりました。石油ストーブが細々燃える音を聴きながら過ごす夜も、しんみり良い気分です。

No.7145 - 2019/12/07(Sat) 18:22:23

Re: この自分(自我)も透明なので、困ります。 / ubik0101
ずっと昔・・・達磨に、心を探しても見つかりませんと言った、弟子の話を読んで・・・自分にも心がないな、と思った。それでいつのことだったか・・・体験の前ですが・・・僕には心がないと、仕事仲間に話したことがあります。

どいうこと?と聞かれ・・・たとえば誰かと一緒にいて嫌だなとか、その場から離れたいって気持ちは心だろ?、と答えたことがあります。ここでいう心とか、自我って、時間を遡って仮定される構造で、そんな時間の綾がないと成立しないのです。自我は時間の子なのです。

現実に即して即今であれば無心で、誰だって、未来や過去を思考しようと、無心でない時なんかないのです。そこで自分が見つからない日常であれば、日常が探求です。でも、自分で自分を感じられないからといって、それが自我ではないということではないのです。

自我は感じられないから、自我はない、そんなことでいいなら探求すべきことは何もないです。たとえばヤカンが熱っ!これは知覚で、自我ではないだろ?と言われたりすることもあるようなのですが、違います。そんなの馬鹿げています。

それでも自分を忘れ、たとえば血と汗と涙の赤貧であっても四面楚歌、であっても、裕福であっても平穏で、いわゆる心理的思考、葛藤、人間関係に、関わらない、離れる、それだけでも、果報なんです。

どうしても人は苦しい楽しい人間関係に注意が向くのですが、それに関わらないだけでも、力がつくのです。説明ですが、無駄なエネルギーを使わない、わざわざ自分を探すこともない、平穏これだけで効果あるのです。

私は透明というのは、見えないということではなく、たとえば暗闇で黒が見えない、赤が見えない、白が見えない、探してる鍵が見えない、ということではなく、あきらかに、透明ということです。

No.7146 - 2019/12/07(Sat) 20:17:51

Re: おいらの透明は隠れているのでとりあえずみえないです / 勘太郎
 自分でも、奥に黒い塊を感じます。

最近やっと、「覚醒を夢見て、体験を捜している事は最悪だ」という言葉を理解できます。
 捜しているのは自分(自我)でありながら、自分でないモノ(状態)を捜しているのです。

この自分を振り捨てるのではないかと思います。しかしながら、自我は自分の姿を隠す術を会得してしまって、より捨てにくく、している様に思えます。

No.7147 - 2019/12/08(Sun) 19:35:37

Re: この自分(自我)も透明なので、困ります。 / ubik0101
なにか探してるということは、人が、その探してる何かではないということかもしれません。幸福になりたい人は幸福でない人、幸福を求める人は、求めれば求めるほど、不幸な自分を作り出すのかもしれません。

しかもその人なりの勝手な価値観、判断による幸福を求めて自ら幸福を妨げてるのかもしれません。幸福な人は幸福を探さないのでは?けど、幸福を求めないなら幸福とは限らない?求めないと得られない?でも幸福にしても悟りにしても、それは得るというようなことなのだろうか?

こちらは、その日に考えたことを・・・発見したことを・・・ほとんど毎日、夜中に起きて数時間・・・総て日記に書いてましたが・・・読み返したこともなく・・・それを20年ほど続けただけです。悟りとか考えたことは、小学生の時一度だけです。もしかして、これは自我?と疑った自分の言動も一度しかないです。

勘太郎さんが読むような、なにか体験した人が、自我とか無我とかの話をするとしても、それは結果論でしょう。いろいろ経緯はあるのでしょうが、自分を探って結果だけを求めようとしても難しいです。過程が大事というわけでもないです。

自分を知りたい、と思ったら、そのことは、その初動だけでいいのではないでしょうか。いつまでも、自分を知りたい、悟りたいなら、いつまでも出発点から離れないかもしれません。走り始めたら、スタート地点は後にして走るのではないでしょうか。

どこか、あそこにゴールの横断幕が、見えないと走れない?その目的地は、もしかして、自分の思ったこと、判断と全然、違ってるかもしれないのに?どこかのサイトで・・・真っ暗闇をまっしぐら・・という言葉を見たような気もします。悟りたいという思いが起きたら、もう忘れる。次の風景。

幸福を求める人は幸福ではないと見たら、もう忘れる。次の風景。奥に黒い塊があると見たら、それは自分が勝手につくってるのかもしれないし、もう忘れる。次の風景。もちろん、なにも変哲もない自分を見たら、それも過ぎ去ります。始まったら探求は、探求を導き、ほとんど自動です。その場に足踏みしてもいいのかも知れませんが、それも結果論。

いろんな風景を見ることは、学ぶことは、探ることは、それを得ることではなく、失うことに似ています。机に山積みの仕事があって、それをこなすということは、仕事を失うということです。けど、なくなることは、何もないです。人を覚醒させる世界の機能を信じなくてもいいから、不安を感じて、同じ所に留まる必要はないです。

まずは自分がないということさえ体験できれば、と思うのですが・・・この自分とか、あの自分とかを振り捨てるということではないです。取捨選択できるような、するようなことではないです。なにか守れるようなことはありません。ない、ということは完全に自分というのが、ないということです。

No.7148 - 2019/12/09(Mon) 18:41:18

Re: 寝太郎さんの書き込みです。 / 勘太郎
・人生の内部の問題、外部の問題

人生の幸福や快を如何にして増やし、不幸や不快を如何にして避け、如何にして善く生きることができるか。これは人生の内部の問題です。私自身はこの問題に関して全く不得手であり、実際にうまくいっていませんし、うまくいく方法も皆目見当がつきません。

人生の内部の問題に回収することのできない問題が二つあります。一つは真理の問題です。人間とは何か。宇宙とは何か。何が原理で何が表層か。何が究極的に存在すると言えるのか。物質なのか、生命なのか、意識なのか、数理や神なのか。複数の存在物があるとすれば、それらは互いにどう関係しているのか。どこまでが私の認識というフィルターを通した世界で、フィルターを通さない世界はどうなっているのか。これらは私の人生の善し悪しとは関係がありません。つまり、人生の外部の問題です。

いま一つは死の問題です。私の人生の内容が如何なるものであっても、善いものであっても悪いものであっても、それがやがて終わってしまうという問題です。人生の外部に視点を置き、人生の全体を眺望するところからこの問題が生じます。これも端的に、人生の外部の問題です。

 この書き込みは、面白かったです。「私は何か?」「死とは何か?」は、内部の問題とかんじているけれども、完全に外部の問題だと言っています。(他人の人生は経験できないので、私の人生の内部の問題とおらには読めました)
 私も死も、私とは断絶していると書いています。寝太郎さんもおらも頭では断絶していると理解しながら、感情では私と同一化しているとしか感じる事ができない。
 外部によって、創られた「私と死」を私が解決しようと試みるのは、金魚鉢から出ようと試みる金魚。

>ない、ということは完全に自分というのが、ないということです。<
 おらは、理解はできているけれども、納得できと思っていますけれども、本当は理解もできていないのでしょう。

No.7149 - 2019/12/12(Thu) 16:19:47

Re: 寝太郎さんの書き込みを理解したは、おらの誤解 / 勘太郎
さっと読んで、「解かった」と感じましたけれども、よく読んでみると、おらは誤解(自分流に翻訳して読んだ)しています。
 
 

No.7150 - 2019/12/12(Thu) 20:43:40

Re: この自分(自我)も透明なので、困ります。 / hato

ヘラクレイトスという古代の哲人が、「自分を精査するだけでよかった、」と言ったそうです。でもヘラクレイトスは、世界を精査されたでしょうか。

ふと気になりubik0101さんに、宮沢賢治がそうな文章があるか聞きくと「貝の火」。ネット検索の青空文庫で読むことができます。

渋柿を頂きました。あんぽ柿、美味しくできるかな。

No.7151 - 2019/12/12(Thu) 23:57:55

Re: 貝の火を読みました / 勘太郎
 感想が、ubik0101さんの、今月9日のNo7148の投稿と重なりました。読書感想という気持ちが浮かばない。おらの思考を清掃用のコロコロで剥がしとって綺麗になった。でしょうか。

「私は文章を読めていない」昨日読んだ7148の文と貝の火を読んだ後で読む投稿とでは違います。

>私が感じるものその人なりの勝手な価値観、判断による幸福を求めて自ら幸福を妨げてる<

 ubik010さんの言葉を、おらの勝手な価値観、判断で理解を完了したような気分になってしまっています。読み手により、文章の伝える事は多様に変化するようです。文を読むという事は、何十回と読んでやっと入り口かもしれません。新聞の天気予報の欄は目を通せば完了ですけれども。知らない事・解らない事についての言葉は、読み流したのでは、結局何も拾い上げることが出来ないかもしれません。
 汲めども尽きぬ泉とも云えましょうけれども。

No.7152 - 2019/12/13(Fri) 08:42:01

Re: この自分(自我)も透明なので、困ります。 / hato

>読書感想という気持ちが浮かばない。

そのときは、ほかのことを書かず、沈黙でいいと思います。無理に掲示板になにか書かないといけないことはありません。

>知らない事・解らない事についての言葉は、読み流したのでは、結局何も拾い上げることが出来ないかもしれません。

ここで書かれることについてなら、新たに書かれることなど、なにもないです。今までの交換のなかに、総て、入っていると思います。

自己を見ることに、誰かが20年かかった、と言うとして、だからほかの人はもっとかかる、とは限りません。けれど、自己探求とはあくまでも、自分でしなければならないことです。道を歩む仲間がいる、・・でも誰もが、その自分でしか進めません。ほかの人に聞いてもらう必要もないです。書を読んだり、人と対話などして、星の数ほどもある他人の言葉を理解しようとしてる間に、その自分が終わってしまいます。

>汲めども尽きぬ泉とも云えましょうけれども。

こうしたことも、不要です。本気なら、御託は不要です。

No.7153 - 2019/12/15(Sun) 00:28:30

Re: 水を飲むのは私です / 勘太郎
「良い気持ちで坐っていても、何にもならないぞ」と接心で叩かれました。

よそ見しない様にやって行きます。

No.7154 - 2019/12/18(Wed) 18:43:33

Re: この自分(自我)も透明なので、困ります。 / hato
こちら2人、よい知らせを楽しみにしてます。
No.7155 - 2019/12/18(Wed) 21:19:42
Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / hato

こんばんは。
こちらひんやり爽やかな気が、いい季節です。

>チャクラとかよく知りませんが「気」の通り道がある」とか読んだことがあるような記憶があります。

チャクラとか、精神世界のあれこれが、巷に流行っていたことがありました。主として精神と肉体を扱う方面だったようですが、自分にはあまり身になりませんでした。

>真我をいくら探しても真我は現れない。感覚の対象とはならない真我を感覚と云うレーダーで探っても、真我はステルスです。

尚、自己に問う。それは知覚の範疇を超えているので、応えが意識されるまでにはある種、力を蓄える、力を要する、つまり時間が要る、ものかも知れません。問えば応えは即座にここにあり、準備が出来たら、それ自身として、見出される・・かも知れません。

或いは、なにか発する問いについての答えは、さまざまな道のりでやってきているのでしょう。自己という、対象、存在を感じる、・・ことでない、そこは大要未知として置いておき、「これはなんだ?」。と問う、やはり大事と思います。

イエスが死の間際、神に訴えた言葉があったそうです。「神よ、なぜわたしを見捨てたのか」。自身の現状か、人々のことか、いずれにしても言語を絶する艱難辛苦だった、その辛苦が表れたのでしょう。

痛いときは痛い、辛いことは辛いです。嬉しいことも、素晴らしいことも、同様でしょう。感じる、という知覚に問題はないでしょう。人が変容しても、道具は変わらないでしょう。

それでも、変容。人が変わる。それは神と自己、世界の有無についての理解が、(体験)経験として起きること、と思います。神(節理でも虚空でも)があまりに嬉しく祝福するので、歓喜が起こるのでしょう。

生ある限り、智慧の灯として生きる、生きようと努力する、それは幸せで大切なこと、と思っています。

No.7129 - 2019/11/18(Mon) 18:36:26

Re: いやおうなく、人は善に向かっている / 勘太郎
ように 思います。
その一人がおいらです。

 短期でみると逆戻りもあります。ながあああいいいい〜〜〜、今までの歴史を振り返ると、なんだか楽しい・うれしい社会になってきていると思います。

 地球全体も協力してくれている様に感じます。温暖化が悪の現れの様に言われますけれども、温暖化により食料が増産されて、飢えを防いでるように思います。
 漁網にイルカが挟まり、この写真が人々に環境の尊さを訴える。

 微力ながら、生きとし生けるものの幸福を願います(天皇陛下のお言葉みたいですけれども、上目線では、ないつもりでいます。)

 公園で銀杏を拾ってきました。たくさん。ぎんなんの匂いは手に着いたら洗剤で洗ってもなかなか落ちません。油の感じがします。
今年は豊作で公園が臭いです。ぎんなんご飯にするつもりです。

No.7130 - 2019/11/19(Tue) 16:07:47

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / hato

ぎんなんご飯、きっと美味しそう!ですね。🍚こちらは、ひと口お酒、のつまみに時々、ぎんなんを固い殻ごとレンジで数十秒かチン!して、熱々を歯で噛み割って、塩を振って、ホクホクを頂きます。なんともいえぬ好きな味です。そう、銀杏の木はこの時期、美しいけど、臭いますね。

桜の木も葉がすっかり落ちて、冬の日差しが嬉しい日中です。メジロ天使が舞い、ジョウビタキの声が聴こえるようになりました。(もしかして、百舌鳥の仕業か・・?も知れないですが・・)

No.7131 - 2019/11/21(Thu) 22:36:55

Re: 雪担御老師に傑作の仏像は足跡だけ / 勘太郎
という説法があります。身体を持たず、真我だけ。身体は仏にあらず」という事

 庭に準備している白い椅子を見て思い出しました。
身体はテレビ受像機で「仏」は電波に例えられるのではないかと想像しています。テレビのカメラがおいらの目玉。

 親鸞聖人が「私は師匠の法然の云う事を信じます。騙されても後悔しません」と言ったと聞いたことがあります・
 おらも最近は、親鸞の気持ちになってきました。仏(真我)というものが世界を取り仕切っているらしい。これにすべてを委ねて、おらは大船に乗っている気分で生きて死んで行きましょう。

 22日に猫が1匹死にました。4日くらいから食わなくなって、それから病院に行ったら、腎臓と肺炎で厳しいとの話。入院3日目に死にました。なつかない猫で、生きている時に触わることはできませんでした。それで捕まえられなくて獣医に行くのが遅れました。8年程前に。拙宅の庭に仕掛けた捕獲器に入り、我が家の住人となりました。

 名前をごえもんと言います。人には懐かないけれども、猫には神様仏様の様に接していました。猫同士が喧嘩すると間に割って入ってなだめます。ゴエと合わない猫はゼロで、どの猫とも寄り添って寝てました。孤独な猫もいるのですが、ゴエとは争いは起きませんでした。
そんな不思議な猫でした。
 今日は午前中、ゴエの荼毘です。
キジトラ(黒と灰色の縞模様)のごえが、この白い椅子で陽向ぼっこしている姿を想像します。

No.7132 - 2019/11/24(Sun) 07:50:22

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / ubik0101
そいえば・・・ずっと初期の仏陀を表す印は足跡だけ、とかいうテレビの旅行番組を見たことがあるような気がします。仏陀は透明、てことでもあるのかもしれません。

そいえば般若心経・・・まともに読んだことないですが・・・も、そのようです。違うかも知れませんが、シャーリプトラに向って、観自在菩薩が、深い瞑想にあって、つまりこの日常にあって、一切は空と見た。

と話してる仏陀は、その物語の話し手で、その物語には登場してきません。透明なんです。この構成だけでも、凄いです。ついでに、日常では自己は透明です。

たぶんですが、仏教ではこれは人空、と呼ばれてることと符合するかもしれません。そして世界は透明です。これは法空、かな?と勝手に思ったりします。人にそんな経緯があります。

ネットで検索してみると・・・人間をはじめすべての心をもつ存在は、因縁によって生じたものであって、永続する自体性をもたないということ・・・とかなっていますが、それは説明概念で、そのまま直接の感じではないです。

ところで自己、真我を探してみます。勘太郎さんの言うとおり、見えません。それでいいのですが、なお探るとして、その探そうとしてる自分は何でしょう?これを探ります。

なにか時空の離れた別の視点から、探してるそのことを見るのではなく、こう、あることを、こう、と見ていきます。この探してる、これ、には、名前があるでしょうか?年齢があるでしょうか?

性別があるでしょうか?それは自我でしょうか?無我でしょうか?真我でしょうか?意識でしょうか?総て、いいえ、です。なんでもない、どんなことでもない、迷いでも悟りでもない、ただ探してるという事象です。

真我を探していようが、いなかろうが、働いていようが、猫に餌をやっていようと、総てでもない、分離でもない、無相でも、有相でもあるでもないでもない・・・ただそれだけです。ここは何も解決も問題もないです。

たしかに身体は生命維持装置という感じはするのですが・・・それは生死を考えるという前提があってのことです。なにが、理由で、

>身体はテレビ受像機で「仏」は電波に例えられるのではないかと想像しています。テレビのカメラがおいらの目玉。

と、このように考えるのでしょう。このように考えてることを正当化する、整合性を与えてるのは、どういう前提でしょう。

こんなことを探ることが、こちらの探求でした。これはいつまで続ければいいのだろう、終わりはあるのか?と思われるかもしれませんが、それは杞憂です。

>おらも最近は、親鸞の気持ちになってきました。仏(真我)というものが世界を取り仕切っているらしい。これにすべてを委ねて、おらは大船に乗っている気分で生きて死んで行きましょう。

No.7133 - 2019/11/25(Mon) 07:28:10

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / 勘太郎

> ところで自己、真我を探してみます。勘太郎さんの言うとおり、見えません。それでいいのですが、なお探るとして、その探そうとしてる自分は何でしょう?これを探ります。

自画自賛ながら、この捜そうとしている自分の黒い影を見る事ができるようになった気分がします。だからどうなの?なのですけれども、切り倒す本体はこれなのではないか?と想像しています。

総て、いいえ、です。なんでもない、どんなことでもない、迷いでも悟りでもない、ただ探してるという事象です。
ここで、おらの目が点になりました。
よく言われる「落とした指輪を、落とした場所でなく、たまたま近くに点灯する街灯の下で捜している」この事かあ???と

お言葉通りに受け取ると、(おいらが想像していた)仏は自分の精神が変性したもので、心や天の声では無くて、物理的な行動(動くという事実・動き・働き・運動)???。以前からその様な言葉は読み・聞きしているけれども・・・・うんん〜・・・です。
そうしたら、仏も私も覚醒も何も無いじゃん!
おらは、何していたんだ!となります。行動だけがあるというならば??
狐に騙されているのかなあ???おらはどうなる?どこに行ってしまうんだろう??

おいらは確かに透明でつかみどころがないもの似思えますけれども、。精神とか意思とか思考とか呼ぶものがあると感じてしまいます。
う〜んと唸って言葉がでません。もしそうならば・・・
神も仏も悪魔も無い!  とっても信じられません。


ただそれだけです。ここは何も解決も問題もないです。

> こんなことを探ることが、こちらの探求でした。これはいつまで続ければいいのだろう、終わりはあるのか?と思われるかもしれませんが、それは杞憂です。

希望が湧きます。

No.7134 - 2019/11/25(Mon) 19:31:40

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / ubik0101
こうであること、こうでありきること、働くなら働く、笑うなら笑う、怒るなら怒る。でなくてどうして、世界と一体とか、どうして天上天下唯我独尊とか、私はあるとか、ないとかで、あり得るでしょう。

そして私は神であり悪魔であり仏陀であり、どれか個別のことでない、でなくてなんでしょう。

もしかして指輪を夜に探すから落としたのではないでしょうか。探しものをするなら昼間にするのです。そすれば、落としたことなどないことに気がつくでしょう。

No.7135 - 2019/11/25(Mon) 23:48:20

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / hato
>おらは、何していたんだ!となります。行動だけがあるというならば??狐に騙されているのかなあ???おらはどうなる?どこに行ってしまうんだろう??

もちろん行動だけでない、感情、思考、も伴うなにか、です。その、おら(わたし)は、環境やあらゆる状態によって出来てる空っぽの渦の中心・・・として、自己探求は、神や仏と思うなにかを空想して探す・・でない、いまその通りの「わたし」を見て探ること、と言えます。勘太郎さんというタマネギの皮を剥く、それが、自己に問う、の意味合いです。

思考、感情や意志は、そのようにある勘太郎さんに沸き起こってくるので、そこを問う、(見る)、剥いて剥いて、「ありのままをあからさまに知る、」ことに、意味があると思います。探求は、書き出すだけで進むことがあります。

本来ある、でも、ない、でもない、という・・名状し難いその「わたし」。探っていくと、なにか思考、感情に寄って、そのように「わたし」と感じられているだけ・・かも知れません。

ゴエ。まったき猫を生きたのですね。2年前までいた、ミューを思い出しました。ミューも気高く人に触れさせなかったけど、白い小さな彼女ねこもできたり、・・一等最初にナナに声をかけたのも、ミューだった。猫に優しい奴でした。大きくて執念深い怖い黒猫に、庭から追い出されました。当時、すでに身体も傷んでいたので、思うと、胸が締め付けられます。ゴエは勘太郎さん一家にみてもらって、本当によかった。

デッキにキリギリスがいました。まだ若いでしょう。少し前に見たのも、こんな感じの子でした。

No.7136 - 2019/11/26(Tue) 00:10:12

Re: 捜す場所をみつけたのかもしれません。 / 勘太郎
出かける前に、手にクリーム(馬油)をつけて手をもむ、その手で顔を撫でて、クリームを広げる。
免疫が落ちて、鼻の中にできものが良くできるようなった、顔を撫でるとできものに外側から押すことになるので痛い。

ここに自分は出て来ない様に感じます。おらの身体と外界との境界はあいまいになってきています。
出来事は、あります。そこに自分は無くても、なんの支障もないようにも、感じます(確信はありません、学習の結果)

探求の入り口に到着したかもしれません。


>そして私は神であり悪魔であり仏陀であり、どれか個別のことでない、でなくてなんでしょう。

もしかして指輪を夜に探すから落としたのではないでしょうか。探しものをするなら昼間にするのです。そすれば、落としたことなどないことに気がつくでしょう。<

ここらへんは、解らないです。

No.7137 - 2019/11/26(Tue) 07:17:46

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / hato


>そして私は神であり悪魔であり仏陀であり、どれか個別のことでない、でなくてなんでしょう。


総ての光線が揃っていなくて、・・言い換えれば、すべての質でなくて、どうして透明でしょう。偏りもないその総ては、すでに意識され得ない、なにかです。

>もしかして指輪を夜に探すから落としたのではないでしょうか。探しものをするなら昼間にするのです。そすれば、落としたことなどないことに気がつくでしょう。


もう入り口に着いたので、問題ないでしょう。

あとは Go ahead!、と思います。

No.7138 - 2019/11/26(Tue) 20:21:25

Re: 東招寺接心4日目の無字、の様に感じます / 勘太郎
 接心4日目と最後の5日目の昼間。参禅者全員で力の限り「ムー」と叫びます。坐禅堂が震えます。
 
 たぶん古参の参禅者が新参者を見性させる為に、全力を振り絞り、背中を押す作業なのではないかと思っています。
 新参者は力尽きて、力なく「ムー」となる人もいます。(力尽きて、覚醒する人もいます)
力も湧くし、頭が音でしびれます。無字でいっぱいにさせてしまう、とい働きかもしれません。

 背中を無字の叫び声に押されて、背筋がのびます。つられて私も大声で無字を叫びます。

今、そんな気分です。

No.7139 - 2019/11/27(Wed) 19:58:30

Re: 今日はのんびり雨の休日 / 勘太郎
 しばらく忙しい日々が続きました。今日はのんびり、お昼は、お好み焼き。パリッとできませんでしたが、それなりに美味しくたべました。

 昨年は職場でそりの合わない人との軋轢で心安らかでいる事ができなかった。
振り返えって考えると、どうしても私は不当に扱われている、私は正当で、そりの合わない人は性格がゆがんだ人だと感じてしまっていました。

 どこにでもある人間関係だから、そういう人間関係バージョンだと諦めて、過ごせばよかったなあ〜と思います。自分を無限関係バージョンの中の特定状況を自分でズームインしていたように思います。

 こんどそういう職場になった時は無限バージョンの一つと思えるかなあ? それとも、やっぱり自分を不幸の典型とかんじてしまうかなあ?そんなことをおもいました。

 自我の拡大について、トラックの運転手は大型トラックの前端から後端までが自分、これを拡大解釈すると自分は地球。との書いてあるのを読んで納得しました。

 親猫が明日養子に行きます。乳離れもほぼ済んで、先ほど獣医さんで駆虫薬とワクチン投与してきました。別の人に行く、子猫は風邪ひいたので来年までずれ込みそうです。まだ、目ヤニがひどいです。

No.7140 - 2019/12/02(Mon) 13:31:34

Re: 職場で人に悩んでいた頃の投稿捜して / 勘太郎
過去を読み返すとその時理解できなかった事が理解できる、様な気がします。自己解釈・勝手解釈なのですけれども。

そうして、暇な時間をなんだか得した様な気分で過ごします。損得の言葉が、私の心の状態(欲望でいっぱいの)を現わしているのが自分でも面白いです。

No.7141 - 2019/12/02(Mon) 17:11:17

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / ubik0101
ギクシャクした人間関係を改善したいから悩むのでしょうか?それが改善したとして、なにか良いことがありますか?

もしかして気分が良い、楽しい・・・そのことと、勘太郎さんの望みが悟りだとして、なんか関係があるのでしょうか。

人間関係に悩むことで悟った、という実例があるのかないのか知りませんが、人間関係について考えるのは、無駄な努力をしてるような気もします。

好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、どっちというわけではないなら、それはそれ・・・次の職場ではどうするこうするではなく、その場その場で力を尽くそうで充分・・・と言ったら言い過ぎですか?

もちろん好きでも嫌いでも公平に対応しよう。不公平でありたい気持ちに負けないようにしよう。とか考えたり行動することはありでしょう。

こちらは会社の人間関係なら、好いも悪いも、会社の玄関を一歩でたら、総て忘れる、そんな感じでした。

たとえば銀座にあった広告代理店でそれまで4〜5人でやってた制作部を1人で回したけど、給料は悲惨だった、ずるい人がたくさんいたんでしょう。

無字について考えるとは、趙州が、無、と答えたその意味を探れ、ということなのでしょうか?人間関係に悩むことは、無字を考えるほど命がけの重要なことでしょうか。

No.7142 - 2019/12/02(Mon) 19:32:41

Re: その場、その場で全力を尽くす / 勘太郎
 よく、読むと深い言葉です。世間にありふれた言葉ですけれども、前後の思惑無く、今できる事を行う。

 昨日は死ぬ事について考えました。
わからないながら、どうも、私の本質はおいらの心には無いらしい、出来事に関わるらしい。
 
 おいらという気持ちは、出来事の後(付属して)に意識に現れるものらしい。とすると、じゃんけんをして負けたと云うできごとがある。その後で悔しい気持ちが起こり、それに付随して自分がくやしがるという主語が起こる。

 死ぬという出来事が起こっていない今は、死に付随する私がまだ起こっていない。死ぬ主体である私が居ない時に、その私の死を考える。
 ボイラー室でひとり、豚のすき焼き(昨日の残り)を温めてたべている自分が起こる。その起こった自分が主体となって、起きていない「死ぬ」という出来事の主体を想像して死んだらどうなる?と考える。

 こんな事を「死んだらどうなる?と考える前に、自分はなにものであるか?知っているのか」とのニサルガダッタマハラジの言葉になるのかなと思いました。

No.7143 - 2019/12/05(Thu) 07:36:41

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / ubik0101
そうです。なんであれ、思うことによって、話すことによって、行動することによって、そうしてる仮の自分が成立します。とくに思考だけが問題だ、というわけではありません。

ある時、横浜あたりでしたか、知人と歩いてて、道で子共を大声で怒ってる主婦がいました。そこで・・・あの主婦は自分が怒ってると思ってるのだろうけど、怒ってることで、その自分が作られてるんだ・・・と話しました。

たとえばジャンケンした、その時間を遡って、ジャンケンをする前から、ジャンケンをする主体が仮に設定される。自分がジャンケンをしたのだ。という虚構・・・仮の主体、自我、の仕組みは、たったこれだけです。

No.7144 - 2019/12/05(Thu) 20:27:12
覚者の欲望とは / 勘太郎
 覚醒後は欲望が消失すろという書き込みもあります。(ニサルガダッタマハラジ)

 欲望にもいろいろあり、今日のおいらは、お昼にお茶漬けが食べたくなりました。このごろは茶漬けをさらさらとたくさん食べた、後には、胸やけを起こしますので、お茶の雑炊(おちゃでご飯をうるかして、キムチで茶漬け)を食べました。
 こんな欲望は消失しないでしょう。

 お金や名誉の為には、夜も寝ないで、詐欺まがいの仕事にも精を出して、お金の欲望を満たす。このような欲望が消える。・・・・

 欲望には未来が必要になるので、時間が無いから欲望が無い、というのかな?と思ったり。
  とすると、お金が欲しい欲望は、お茶漬けを食べたい欲望と同じになるなあ〜・・・

 時間をひつようとする欲望は、宝くじを当てて、高価な車を乗り回すという、お金が欲しいプラスそれによって自分を変えたい欲望がなくなるのかなあ・・と思ったりします。

 高価な車が欲しい、で終わり。高価な車に乗ってナンパに行こうという欲望はない
 お城の様な家に住みたい、はあるけれども、お城に住んで、みんなの注目を浴びようという欲望は無い。

 昨日で畑の冬囲いも終わりました。必須の作業は終わり。雪が積もるまでは、日当たりの障害になる木を切ったり、耕したりして楽しい時間を過ごします。
 地元の方の知り合いが小屋を建て始めました。電気も水道もないのに・・・。でも子供に帰って小屋遊びは楽しそうです。おらと同世代の方です。

No.7117 - 2019/11/11(Mon) 19:43:09

Re: 覚者の欲望とは / ubik0101
欲望・・・それは自分の愚かさを守ろうとすること、という理解もありそうです。

なにが何だか解りませんが、自分が自分が自分が、というのは面倒です。例えば、世界人口80億人が100メートル、よーい、どん。で走るとします。どうしたって、最初になる人、最後になる人がいるでしょう。それだけなのに、なにが何だか解らない私なのに、私が、私が、私が、というのは馬鹿馬鹿しいです。

この私が私が私が、1番2番80億番、が愚かさの現れかもしれません。お茶漬けを食べるのも、食べないのも、自分が自分が自分がという範疇でしたら、同じことということはありえます。ここで、自分はないというのは、あるいは真我の発現。それはそんな馬鹿馬鹿しさに関わらないことに効果はあるでしょう。

でも、覚醒でなくても、欲望は消失します。あるいは欲望の構造の探求。あるいは、あ、失敗した、なら、あ、失敗した。病気なら病気。お茶漬けなら、お茶漬け。怒るなら怒る。こんなことに自分の都合を持ち出さず、事実を事実と認めることによって。逆に言えば、事実を事実と認めない、認めたくない・・・

こんなことは勘太郎さんの言うように時間を要する・・・その愚かさによって、自分が自分が自分が、があり得るのかもしれません。ほとんど人は、そんなことあんなことに関わらないのですが、関わらないことには気がつかず、どうしても自分の意識の争いのところに自分の注意が向き、それが欲望だと気がついてないかもしれません。

たとえば私の従兄弟、ジョウジという名前でしだが、幼いころ蚊に刺されて、小児麻痺になり、かなり手足が不自由な人生を送りました。それは不満でしょう。嘆いたのでしょう。そこで私の叔母は、ジョウジに向って、言ったそうです。ジョウジは小児麻痺なんだよ。それが事実なんだ。

それがジョウジじゃないか、と言ったそうです。この事実を認めること。事実から逃げないこと。ここが、どこにも前進にも後進にも、自分のギアが入ってないニュートラルであること、0であること・・・あるいは誰かとか何かとかの比較もない空想の人間関係にないこと。探求の初めです。

No.7118 - 2019/11/12(Tue) 08:01:10

Re: 覚者の欲望とは / hato

日常、心身をつつがなく回せるなら、とくに欲望に振り回されることもないようです。人と比較して決める必要がなくなる、とくに意識せずも、比較しやすい状況にいなくなることはあるのかも知れません。気にならないので楽ちんです。食欲はふつうに楽しみます。性欲はほとんどない感じです。加齢のためかも知れません。

自己を生きる意味で、生活の局面で都度、「こうしよう。こうしたい」をいくのでしょう。考えることはあとから整う感じがします。自己を生きるといって、人との関係、人の具合をまったく無視して我に生きるなら奇妙、と思います。

今朝は、遅い朝ごはん。焼いた手羽先と野菜、餅とご飯を煮込み、雑炊にしました。「雑炊はこんなでいいなぁ」だそうです。☺

いいお天気。これから山奥の温泉に行きます。無料券ですす。☺

No.7119 - 2019/11/12(Tue) 11:33:43

Re: 欲望もおいらに付属するもの / 勘太郎
 おらも、真我の現れでしょうから、欲望は無駄なものではないでしょう。(真我が発露した時には自我は消失するという本もありますけれども、言葉の定義の範囲でしょう)

 どうしても、他人を足の下に置きたい欲望は、人間関係に軋轢を起こします。これが良く機能すれば人を進ませる愛の鞭になり、時には踏みしだかれる人には、とげのある鞭になります。

 毎度の言葉ながら、公平はCENSOREDば0ですからすべての人に公平です。
人生という短時間においては、多種多様な階層で過ごします。
この不公平とも感じることのできる階層を良く観察すると、平らだと感じます。豚が殺されるからかわいそう・トランプ大統領は好き勝手やれるから幸せとは言えないと感じます。

 会社の同僚(バツイチで74歳?)の女性の茶飲み友達が急死されたそうで、急遽おらが今日の遅番です。詳しい事は聞くことができませんが、哀しいできごとです。
生きたい欲望も、どんな欲望なんだ?と自分の心に何度尋ねても、尋ねる意識ばかりで何も帰ってきません。

 猫じゃらしでしょうか?枯草の絨毯が柔らかくて、下の土も暖かそうです。

No.7120 - 2019/11/13(Wed) 07:25:19

Re: 覚者の欲望とは / ubik0101
たぶん、欲が問題になるのは、仏教でいう欲界と色界の・・・堺・・・でだと思います。そんな人がいるとしてですが、損得、快不快、好き嫌いに支配されて何の疑問もないなら、

そして、自分はないとか、真我とかが日常なら、どちらも欲は問題にならないでしょう。覚醒後は欲望が消失・・・というのは、無欲とかいうことではなく、欲も無欲も問題ではないという意味なのかもしれません。

ダイアモンド・・・貯金・・・花・・・青い空・・・そこで、それを見る自分に、欲があるかどうかであって、対象そのことは欲に関わらないでしょう。つまり人の状態が欲だということです。一億円にも、高額な車そのことにも欲はないでしょう。

なのに対象について思考することによって、欲の状態とか、その有無とかを思考することをするのでしょう。ここは、対象と、それを対象にする主体があることが、問題になるように作用してるのではないでしょうか。

つまり・・・二度見・・・青い空・・・花・・・貯金・・・ダイアモンド・・・なにかを見てることによって、そうしてる自分を自分で確認しようとすること、それは欲の領域かもしれません。

そこで、また自分があるだろうが、ないだろうが、自分で自分を確認する必要がないなら、欲も無欲も問題ではないです。そして必要なので車が欲しいとか、二度見しない現実に即してること・・・色界・・・欲は問題にならないのでしょう。

No.7121 - 2019/11/13(Wed) 18:56:16

Re: 覚者の欲望とは / hato

>猫じゃらしでしょうか?枯草の絨毯が柔らかくて、下の土も暖かそうです。

たぶん、オヒシバ、メヒシバ・・ではないか・・とみていますが、よくわかっていません。いまのフワフワ・・が幸せです。ここ数日ですっかり赤く、秋色になりました。もう少しすると、草刈機で刈り取られ、無花果とか、フェイジョアとか、・・庭で育っている樹木のまわりに敷かれます。きっと暖かいんでしょうね。

昼の仕事中、窓の網戸に、キリギリスかなにか、顔の形がムーミンに似た昆虫が来ていました。越冬はしないのでしょう。僅かになりましたが、今も庭から、チンチロリン、・・のマツムシの音が響いてます。

No.7122 - 2019/11/13(Wed) 22:08:02

欲望に一太刀斬り込んだお話です。 / 勘太郎
  自画自賛です。読み手の読解力が高まると、言葉が力を増すように感じます。自画自賛は裏を返せば、未熟であった、そしてまだ未熟である自分への叱咤激励。「伯楽有りてしか、る後馬有り」
 言葉が、いかようにも働く。

 やっと冬が来そうな予報です。雪が降ってしまうと諦めがつきます。それまでは、寒くなったら嫌だなあ〜という気分です。

No.7123 - 2019/11/14(Thu) 07:10:32

Re: 覚者の欲望とは / hato

北海道の寒波、大雪の注意報をテレビで見ています。冬ですね。お大事にしてください。

No.7124 - 2019/11/14(Thu) 19:04:32

Re: 覚者の欲望とは / hato

>どうしても、他人を足の下に置きたい欲望

勘太郎さんが悟りたいのは、・・どうしても人に勝りたい。もしかすると、覚醒が一番、世界で優れてる気がするから・・ですか?

No.7125 - 2019/11/14(Thu) 19:23:16

Re:ちょうど今、 上から再読していました / 勘太郎
 悟りたい欲望は、幸せを捜していたら、悟ることが最終の幸せだろうと思ったことです。
 20歳の頃、「勘太郎、幸せって何だ?」と先輩から尋ねられ「目標に向かって、進んで行く状態」と答えたら、先輩は「ふーん」とまんざらでもないという顔でした。今でも同じ答えかもしれません。
 
 幸せを捜しても、幸不幸の波であり、定常の幸せは無いとおもったのでしょうか?

今は「幸せを求めない事が幸せ」というかもしれません。「幸せ」を考えたら、必ず「幸せでないが発生しますから」

永遠の幸福を求めて、「覚醒したい」と欲望を掻き立てています。
覚者は口を揃えて言います。
「覚醒の素晴らしさに比較したら、それに至る努力など無に等しい」と

  親は痴呆症、子供は覚せい剤中毒からきた狂人、妻は若い男と、私に借金だけを残して駆け落ち。当の自分は、末期の肺がんに罹り、保険にも未加入なので病院には行けない。冷蔵庫は空でもう3日水しか飲んでいない。電気も止められた。それでも「気分に一点の曇りなし!」が覚醒と思って覚醒に恋しているのです。

 3週間前の畑です。こんなカラッとした気持ちが定常状態が覚醒・・・夢見すぎです・・。晴れもみぞれでも、空気は透明です。

No.7126 - 2019/11/14(Thu) 20:44:39

Re: 覚者の欲望とは / hato

そうなんですね!空気は透明!ではあしたも張り切っていきましょう!。☺

No.7127 - 2019/11/14(Thu) 23:57:23

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / 勘太郎
 氷道でも滑りにくい靴を売っていた店に行きました。2400円の安いもので、履き心地は良くないけれども、滑らないのです。この靴リニューアルされて、違う靴底になってしまいました。3年ほど毎年この時期に買い替えていたのです。

 別のモノを買いましたが、氷でもすべらないか?どうか?滑らないと歌っていても、結構すべるものが多いんです。
氷の道を歩いてみるのが楽しみです。靴は新しくおらに加わった、おらです。おらの靴。

 首の無い男」という本があります。自分のあたまを直接見る事はできないので、肩の上から下しかない男が自分。
 首の上になにが有るか?と見てみると、外側の写真があります。
 チャクラとかよく知りませんが「気」の通り道がある」とか読んだことがあるような記憶があります。頭の無い男(おら)は背骨首・後頭部を貫く塊が有る様に感じます。万人共通の感じるものがあるのかなと思いました。

 真我をいくら探しても真我は現れない。感覚の対象とはならない真我を感覚と云うレーダーで探っても、真我はステルスです。

No.7128 - 2019/11/18(Mon) 11:17:22
念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / 勘太郎
甲賀裕慈老師と云う方のゆーちゅぶを聞きました。

この方は、東山寺の川上雪担御老師の弟子だそうです。
おらは以前から雪担御老師が好きでした。好々爺の坊さんと思っていましたが、とんでもない!。野球まんがの星飛雄馬のお父さんの一徹と同じで、気に入らないとテーブルひっくり返したそうです。
「悟りを得た後、悟後の研鑽など無い、ドンときたらそれで完成」と云う方らしいです。そうは言っても、坐禅を続けられたのですけれども。

 甲賀老師が小僧の時に、朝の3時から坐って寒いので毛布をかぶっていたら、雪担御老師が来て「そんなんで坐禅になるか!」と怒ったそうです。その後は寒い中でも寒いまま坐れるようになったと甲賀老師が言っています。

 後日談が面白いです。
雪担御老師が死ぬひと月ほど前に、甲賀老師のお寺で接心に参加したそうです。「その時にちゃんちゃんこを着てストーブで暖まりながら坐禅していたので、面白かった」


 昔は独参が好きではなかった。何も新しい発見はないし、独参しても意味が無いように思えた。それで「なぜ独参に来ない」と雪担御老師に叱られたそうです。
甲賀老師曰く「今から思えば、それでも独参に行けば良かったと思う」
   なんだかおらの気持ちと同じできがらくなりました。

甲賀老師の提唱は「痛いをそのまま・坐禅に集中できないををそのまま・わからないをそのまま」

No.7110 - 2019/11/04(Mon) 19:30:01

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / ubik0101
雪担老師・・・10年くらい前は、ヤフー掲示板に投稿してたそうです。こちらはやっと、パソコンをネットに繋いだ頃で、知りませんでした。

ただ、とんとむかし、だったかに行き着いて、その中の2話を読んで、この人は悟った人だな、という感覚がありました。が、古文のような文章だったので、続けて読む根性はなかったです。

ゲストブックの投稿者に対応して欲しく、メールしようと思ったのですが、自分で解決すべきことは自分でしなくてはならないと思い、メールしませんでした。

> 甲賀老師の提唱は「痛いをそのまま・坐禅に集中できないををそのまま・わからないをそのまま」

それでいいなら、それでいいのでしょう。

No.7111 - 2019/11/04(Mon) 22:13:32

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / hato

数カ月か前?くらいに、テレビに永平寺の修行僧が出ていました。詳しいことは忘れましたが、御堂の周りを歩き続ける修行で、先輩から、目前に阿弥陀如来が立つくらいでないとならない、ようなことを言われたが、自分には見えませんでした。と自嘲気味に話しているのを聴いて、度肝を抜かれました。永平寺て、そんなところなのでしょうか。と思いました。禅寺にも様々あるのでしょう。

No.7112 - 2019/11/04(Mon) 22:31:57

Re: 目の前に阿弥陀如来が起つは魔境です / 勘太郎
 東照寺の接心で、2日目の晩位に魔境が出ます。(魔境は自我が創り出す、自我が望む幻想の神様仏様でしょうか?)
 
「痛いをそのまま」は、真我は解り得ないので、真我を捜すな!痛いから逃げ出そうとあれこれ考えるな!ということかな?と思います。
 東照寺では、2日目までは「ただムーだ」と言われ、「3・4日から無字ってなんだ」と考えろと言われます。
 矛盾していますが、これが東照寺の悟らせる方法だと感じました。来春の接心に、できれば参禅したいと思っております。

 子猫はだいぶ大きくなりました。
産まれてくる猫、先日散歩道で死んでいたカラスを拾って山の畑に埋めました。思っても仕方がないと感じつつも、命って何だろう?何で産まれて死ぬんだろうと考えてしまいます。

No.7113 - 2019/11/05(Tue) 07:40:04

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / ubik0101
そうあったらいいのにという事象を自分が創りだしてるので、あたかも創造主のような状態になるから魔境って、至福感が伴うのだろう、と思います。

「痛いをそのまま」とかは、探求者として戦士と思います。また、日常では、けっこう達人の領域でしょう。

でも。その人自身の境涯の話を・・・もうちょっと踏み込んで欲しいと感じます。すこしビデオ見ました。

カラスの両足スキップは楽しげですが、ずーと永遠にカラスはカラスだとしたら、都合よくないのでしょう。

うーん、生まれて死ななければ、ずーとこの世界にいなければならないから、かもしれません。

No.7114 - 2019/11/05(Tue) 18:41:58

生死はなぜする? ずーっとこの世にいなければならないと厭きる / 勘太郎
 ほっとする、お話です。

カラスの両足スキップってその通りです。

深刻ぶって、感じてしまうのも、おらの性質なのですが、これも一種の魔境と思いました。特に至福感が伴うという部分。
悲惨という心境は、反面至福に通じると感じます。言葉を変えると「自己満足」

仏様の手のひらの上で死んだり、殺したり、飢餓、楽しい色恋、刻苦勉励。
先日の芥川龍之介の羅生門おいても、読んで読者の心の中に起きる「魔境的な楽しさ」の触媒の働きを期待しているのかもしれません。

 至福感とは少し方向が異なりますけれども、人は全員「私の人生は良い人生だった」と口にして死んでゆきます。おらもそう言うかもしれません。これって、魔境と言えなくもないかな??と今思いました。

 読んで、なんだか私の生活が軽くなったような気がします。

No.7115 - 2019/11/06(Wed) 07:12:54

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / hato

>人は全員「私の人生は良い人生だった」と口にして死んでゆきます。

これって本当ですか??。だとしたら、どんな人生であっても、それでしかなかった、ことを惜しみ、愛しむのかも知れないと思いました。

とにかく、生きるとはなんだか、いそがしいですね。こちらも漸く冬支度。夏に仕舞った絨毯を出し、もう少ししたら、アラジンストーブに炬燵です。

コタロウです。2017年の11月に来たので、ちょうど2年、ほぼ2才です。コタロウ君のマイブームは専ら、庭散歩。いつも楽しみにしています。

No.7116 - 2019/11/06(Wed) 22:31:09
今夜は0時(明日の始まり)から停電作業 / 勘太郎
 年に1度の電気設備の定期検査です。全館を停電させて、電気の漏れている電線が無いことを確認するのです。普段はメーターを見て異常なしければ、「異常なし」で勤務終了の閑な仕事なのです。

 気になる(法規で決められた数値は満たしているので不良ではない)電線を調べたいと思っています。今夜の停電したときでないと、調べることができません。

 蛇足ながら、法規による数値はよくできています。感電事故で身体に被害を及ぼす電流は、数ミリアンペアです。
法規の数値では0.1ミリアンペアしか流れません。
拠って、感電事故の数十分の1に納まる様に決められています。
(厳密に云うと、微小な電気の漏れは発生してしまいます)

 それで、いまから寝袋(昼寝は布団ではなくて、寝袋でしています)で昼寝して、今夜に備えます。おやすみなさいませ。

 味自慢のおらのかぼちゃでも、びちゃびちゃで美味しくないのもあります。先日小ぶりながら、軸も太く、程よく色づいている玉を、教えていただいた通りに皮を下にして並べて沸騰して5分煮ました。残念なことに、ホクホクではありませんでした。包丁を入れた時にも、柔らかくてだめかな?ともおもったのですが・・・残念です。今年初めてのはずれ玉でした。

No.7106 - 2019/10/29(Tue) 07:17:53

Re: 今夜は0時(明日の始まり)から停電作業 / ubik0101&hato
かぼちゃ煮は、冷蔵庫で一晩、冷やしたのが美味と思います。ふろふき大根もそうだと思います。

ある時、かぼちゃを電子レンジして、マヨネーズというのが、とても美味でしたが、次にしたときは、全然ダメでした。

ubik0101

甘くて濃いかぼちゃは、ほんのすこしを大事に食べるのが好きです。濃厚で甘いといえば、いま、熟したバナナを輪切りにして、肉野菜と一緒に熱々に炒め、ほの甘い肉野菜炒めがマイブームです。

hato

No.7107 - 2019/10/29(Tue) 19:07:50

Re: 予定どおりに終わりました。 / 勘太郎
ほぼ、予定どおりに終わってほっとしました。

それで今日は、山の畑に行ってきました。紅葉の最終段階です。

 今日の収穫のメインは食用菊の「もってのほか」という名前の紫がかった花です。
 写真は摘み終わった後なので寂しい数しかありません。

 本来は花びらをがくから外して、ゆでてたべるのですけれども、面倒なのでガク付きのまま茹でててポン酢で食べました。

 やっぱり、がくに付けたままだと茹でるのに時間がかかるので、香りとか色が抜けてしまいました。次回も咲いていたら手抜き無しに食べます。

 風邪薬、病院の薬はやっぱり治ります。1週間続いていた風邪なんですが、昨日病院に行きまして5種類の薬を飲むことに。
 今までは、風邪は薬では治らないとおもっていたものですから、ベンザエースとか飲んでいました。鼻はまだすこし詰まりますけれども、微熱も下がりました。

No.7108 - 2019/10/31(Thu) 21:43:36

Re: 今夜は0時(明日の始まり)から停電作業 / hato

食用菊、ピンクでいい色ですね。ネットで調べて画像見ました。初めて知りました。☺

風邪薬、うちもよく使います。こちら冬場はほとんど乱用?・・に近いくらい、しょっちゅう飲んでます。効き目はありますが、自分の場合はなんとなく、根治はしていないことがあり、疲れが溜まると、酷い症状がぶり返したりすることもありました。北海道はきっと冷えますね。お大事にしてください。

今年の金木犀は花の付き方も香りも、素晴らしかったです。庭の木は、6,7メートルの背丈になり、圧巻でした。秋から初冬へ、季節は移りますね。

No.7109 - 2019/10/31(Thu) 23:08:35
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