149522
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
ライン接続が上手く行きません
/ 勘太郎
引用
日本だけしか知らないので、他国の現状はわかりませんけれども。
人々の生活が50ねん以上前にもどったのかしらと思います。
飲み屋さんの店数・道路を走る車の数・電車で移動する人数、そして動くお金の量。
新しい生活様式が産まれるのでしょうか?又もとに戻って、バカ騒ぎ的な生活を良しとするのか。バカ騒ぎ生活スタイルは環境負荷が大きすぎて、存続不可能なのは誰もが判っているのですけれども、自我の欲望を満たす為に生きるスタイルをづっと続けてきましたらから、それ以外の生き方が判りません。
No.7272 - 2020/04/21(Tue) 22:03:42
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(No Subject)
/ ubik0101
引用
いろんな経緯があるでしょうが、たとえば自分は死んだら天の国に帰るんだ。そんな自己、真我、魂、私こそ、撲滅すべきことということもあります。それは一種の特別感あるいは日常との乖離。
こんなのに気がつくのは、なかなか難しい・・・自分も、そんな経緯があります。これは覚醒体験が起きて、それを対象にして、自己を掴んでしまってからの問題でもあるのですが、
どうやらそれ以前というか、なんでもない状態でも、問題になることがあります。要するに潰すべきは自我ではなく、そうとも知らず自我のつくった真我?神?仏?の雰囲気です。たぶんですが、自分は永遠だ、完全だ、魂だ、精神だ。すでに悟ってる。
そんなことを感じてては、なんか余裕をかましてて、日常生活、真摯じゃないんじゃないだろうか。おそらく自我ってそんなもんで、真我と自我に別れて、真我を囮にして自我を守る、とか。どする?たとえば、
なんであれ、なにか話し、行動、思考してる、その、その自分。どしてこんなことをした?それを自分だけを拠り所にして、つまり他の何も頼りにせず問う・・・なんであれ探求するその真摯さ・・・それが自然に自分のつくった真我を解決します。
No.7260 - 2020/04/10(Fri) 06:00:25
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Re: 自分の創った真我
/ 勘太郎
引用
消え去るまでやってみます。
No.7261 - 2020/04/10(Fri) 22:05:14
☆
Re:
/ hato
引用
庭の桜の満開です。たっぷり時間があるおかげで、ちょっと贅沢、しずかに、春爛漫です。
No.7262 - 2020/04/11(Sat) 00:19:12
☆
Re: 何も進歩無しなので。
/ 勘太郎
引用
猫の話題です。
詳しい事は解らないですが、260匹の多頭飼いが崩壊して、保健所に移された内の4匹が我が家に預かりとしてやってきました。
オスばかりでシャム猫との雑種で、飼育状態は悪くなかった様に思えます。人にも慣れていて抱けます。それで新参猫が4匹うろうろしているので面白いです。やはり、新参者どうしで、かたまって寝ています。
当地の桜は5月の連休後半に咲くかどうか、その年によります。桜が運んでくれた春の便りのお返しはクンシランです。今年は3年ぶりに植えかるつもりです。
No.7263 - 2020/04/12(Sun) 20:20:50
☆
Re: ウイルスは生命の変化に貢献するそうです
/ 勘太郎
引用
ウイルスは普通の生物の遺伝子が外に出たものだそうです。二重らせんの1本が抜け出して、別の生物の細胞内に移動して、遺伝子に変化を起こす。これが生物の進化に貢献するのだそうです。
そう大変な病気ではない様に思えますが、年寄が掛かると死ぬ率が高いので大騒ぎです。この手の流行風は太古から繰り返されてきたことでしょうから、罹って死んだら、ああ、もう死んでしまうのか、いろいろあったなあ〜」って
CENSORED
ものです。
パソコンの動きが極端に遅くなっています。これまたウイルスなのか?なにか新しいソフトを自動で組み込んでいるのか?
ウイルスバスターが、何かを阻んでいるのか?様子をみて、ソフト会社に相談の電話します。毎月1回相談できる契約に入っています。
No.7264 - 2020/04/18(Sat) 17:59:47
☆
Re:
/ ubik0101
引用
ウィルスは、まだ生命と物質の中間の原始的なものだと、どこかで聞いて疑ってもいませんでした。生物の遺伝子が外に出たもの、という説明は整合性が高いのでしょう。
たしかに、いろんなことがありました。もう同じ状況はないだろうけど、その状況その状況にあって、その時その時の大事が醸しだされたんだな、と思いました。
この古いMacは、ブラウザの更新もできないし、見えないサイトが増えてきました。ユーチューブも、もうすぐ、サポートされなくなるそうです。
ところで、
それは消え去ったことにも気がつかない・・・ほど、そんなことに関わらなくなるので・・・消え去ったことを確認するようなことではないです。
その雰囲気としての実は空想の真我がなくなると、単極で、それに対応する認識できる自我も成立せず、そんなことに惑わされなくなります。
それは、そうと認識できないでも自我だけど、何でもない日常。そこで、否定の道でも、自己観察でも、おそらく、ムーと叫ぶことでも、座禅でも、道になるんだと思います。
No.7265 - 2020/04/19(Sun) 06:29:34
☆
Re:
/ hato
引用
自然世界としては、人の過剰な動きが抑制されて、自浄作用かも知れません。これだけ世界中の人たちが動かずにいるのですから、なにかひんやりと、空気も澄んでるようです。ubik0101さんが尿管結石の手術を受けてる最中で、この時期に病院にお世話になっていますが、もう数度目かの入院のあれやこれ、2人とも、だいぶ慣れたものです。医療に従事する皆様には、毎度頭が下がります。いまは暫し自宅で様子見、後日腎臓と尿管に入った管を抜いて、石を粉砕するそうです。
No.7266 - 2020/04/19(Sun) 09:20:33
☆
Re:
/ hato
引用
そういえば、桜と猫の画像がありました。
こちら、今はもうすっかり、葉桜から新緑の頃です。
No.7267 - 2020/04/19(Sun) 10:31:50
☆
Re: 尿道結石は痛いのでしょう。
/ 勘太郎
引用
病気としては、重大ではないのでしょうけれども、痛みが甚大。痛みが無い人もいる様です。勤務先のテナントの方が別件で入院したら、尿道結石が見つかり、取ったと聞きました。
お大事になさってください。
気が付いたら、自我の創ったニセモノ真我を眺める事にしています。身体の中に塊として有る様に感じます。この有る感覚を感じて、身体の中を眺めている。思考をこの塊に向ける。
おお! 猫達も花見をするのですね。「桜も良いし、下の紫の花も良いな」と話しています。猫たちの気持ちよさが伝わります。
No.7268 - 2020/04/19(Sun) 20:50:34
☆
Re:
/ hato
引用
ありがとうございます。不便はあるようですが、薬も使い、元気にしています。
>おお! 猫達も花見をするのですね。「桜も良いし、下の紫の花も良いな」と話しています。
奥様ですか?なんと嬉しい。紫の花は、ヒメツルニチニチソウ。四季咲きなのか、年を通じてよく咲き、よく増えます。どうぞよろしくお伝えください。☺
No.7269 - 2020/04/20(Mon) 09:28:28
☆
Re:
/ hato
引用
あらら、👀!うちの猫らが話していたんでしょうか(笑)、わかりましたが、ちょい残念!(笑)
No.7270 - 2020/04/20(Mon) 09:48:50
★
明るい兆し、春本番です
/ 勘太郎
引用
気温が10°を越えて、風もあるので雪どけ日和。狭い庭の端に積み上げた雪山にスコップを突き刺して、風に当たる面積をふやしました。かちこちの氷だった雪山がざらめ雪。
心なしか、街ゆく人達もコロナに慣れて、諦めてかな?明るい雰囲気です。
春はやっぱりうれしい。どんどん日が延びて、6時でも明るいし、朝は5時少し過ぎればあかるくて、犬の散歩もたのしいです。
この時期はいぬの足が汚れます。おらに少しはなれたのか?イヤイヤながらもあしを拭かせてくれます。
スマホからで、これだけ打つのに25分かかりました、
No.7238 - 2020/03/19(Thu) 21:26:43
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Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
こちら、ツクシの子が恥ずかしそうに顔をだしてます。もすぐ春ですね。いくつかタラの芽も収穫できたので、唐揚げにして供しました。今度の休日に、その伸びたタラの幹を短く切って畝に挿して黒マルチしてみようと思います。
スーパーなんかで売ってるタラの芽は。大量につくるために、水を入れた容器で、ふかし栽培(だから山菜を採る人からは味が良くないと言われたり)するのですが、土に挿す方法でもできるとどこかで聞いたことがあります。
No.7239 - 2020/03/20(Fri) 20:12:44
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Re: イチゴやニンニクの冬越し
/ 勘太郎
引用
昨年の初冬は雪が無く、地面が凍結して秋に植えた苗が枯れてしまうのではないか?と心配しました。まだ雪の下でどうなっているのは解りませけれども、例年通りに育つだろうと想像しています。
当地では、雪解けの時期の10日程は山の斜面だろうと水田の様に雪解けの水で100%ぬかるみます。草木の根や芽が水中に没するのです。そんな時期を過ぎて5月に成れば芽がでてきます。だから今年も例年通りに、ニンニク・草木の芽がもうすぐでてくると思います。凍結で枯れる種類もあるでしょうけれども、カエルもセミも死なずに夏には大声で鳴いてくれるでしょう。刺されて痒いブヨも蚊も芽吹きに少し遅れて活動開始です。
No.7240 - 2020/03/22(Sun) 12:09:27
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Re: 死ぬ時の意識が解りました
/ 勘太郎
引用
エックハルト・トールの朗読を聞きました。死ぬ時は、私の中にある空洞に、私の精神・意識・肉体が消え去って行くのです。
この空洞に思考はありません。(意識があるかどうかはおいらには判りません)恐れもありません。死ぬ時に意識が無くなるまでは、この快い空洞の意識に飲み込まれる快感に包まれると思います。これを産まれる前の私に還る」と云うのかもしれません。
この死ぬ感覚を今解りました。これからおいらが死ぬ事を恐れることはないだろうと思います。死を恐れない意識は今産まれたのではなく、最近は怖いとかんじたことはありません。
これをキリスト教では身体は神の宮殿であると云うのでしょう。この胸の中の無限の空間感が宮殿でその中に神が宿る。神は姿を持たないので、神を見る事はできませんが、後光により神の存在を感じる事ができます。
No.7241 - 2020/03/23(Mon) 03:41:26
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
まだ、数を数えるのに、自分の指を折って数えてた頃です。たぶん幼稚園とか、小学一年生。ある午後、外で遊んでると、誰かが花いちもんめ、しようと言い出したのでしょう。近所のお姉さんたちの後について、行きました。
なんとなく全員で6人てことは分かってたのですが、どうも変なのです。指を折って何回数えても、5人しかいないのです。そこで疑問で一杯になりながら歩いて着いたところは、レンゲが一面に咲いている田んぼでした。
そこでなにか、なぜか、実際には眼は前を見いたまま、自分で自分の背後を左、右と振り返ったのです。そのとき、風景が、スリットカメラで撮ったように流れるように歪んで見えました。
そしてその自分の背後。そこはなんだか空洞、大きな洞窟の前に立ってるような、不気味さ?恐怖?物凄さ?を感じました。それで、ああこれを1と数えて、見えてる人の数に足せばいいんだ。
この感じは忘れられない。もう間違えない・・・そ思いました。自分の背後は空虚、なにも根拠がない・・・それは自分だから・・・勘太郎さんの話で、こんなことを思い出しました。さて。
No.7242 - 2020/03/23(Mon) 06:56:49
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ hato
引用
東京は南青山にある、ブッククラブ回という、もう27,8年近く前になるでしょうか、リニューアル前の当初は、小さなふつうの一軒家の一階を、精神世界系の書を扱う店舗にしていて、いかにも内容はマニアックながら、風変りに落ち着いた、静かな風情が気に入って、青山に出向く折によく立ち寄っていました。
ニサルガダッタ-マハラジの書は、店がハイカラにリニューアルしたあとだったか、・・手にしたのがちょうど発売日だったので覚えています。なんと明晰な語り、と感銘を受けたのです。
エックハルト・トール。世間に影響を与える、星のもとにおられるのでしょうか。・・悟りをひらくとシンプルになる、を読んだことがあります。それでその、・・・・空洞に消え去る・・という話しですね、・・なんとなく、自我を黄泉の国へいざなう・・風に聞こえてしまう・・ところがあります。どうしてでしょう。トールさんの言葉は、自我を安心させる雰囲気がありますが、無意識にも末路を重点的に説いているとも、受け取れます。
それが黄泉の虚空となるか、まったき虚空となるかは、人次第なのかも知れません。そんなことを思いました。
春花が少しずつ、増えています。
こちらubik0101さんのユスラウメ(梅桃)。花びらがとても、キュートです。
No.7243 - 2020/03/25(Wed) 23:32:14
☆
Re: あまりに簡単に理解できてしまう本には不信感をもってしまいます
/ 勘太郎
引用
エックハルト・トールは理解し易いです。自我にペインボディーという名前を付けて、この自我がどういう害悪を人に為すかに多くのページを使っています。
彼は思考が消えると、真我意識が現れる、それは自分の心が平和や喜びが増す事で自覚できると書いてあります。勘太郎は思考が無い状態でもゆったりした気持ちを感じることができませんでした。今年になって、自分の背中に広がっている光の無い空間に心を持ってゆくと、思考がなくゆったりした気分になると感じます。直ぐに思考が湧き上がって、長くはつづきませんけれども。
渡辺さんは「自分は体の外に有る、自分は体に限定されない」という説明をします。勘太郎は体は消えません、勘太郎の体の中に自分が有ります。そして音が解りやすいのですが、身体の中に浸み渡ってきます。音が体を通り抜けるような感じがします。
つまり、勘太郎の自我である思考が覚醒の世界を調べています。
で実際は、犬の散歩をしている時のほとんどは、景色を眺め、後ろから走ってくる人の邪魔にならない様に気を遣うのに一生懸命で、音が体をすり抜けるとか、景色に押されて身体が紙の様に薄くなるなんて云う想像(思考)はありません。
死の学習の結果、死ぬ時は重荷から解放されてせいせいして喜んで、快適になるだろうと思います。死ぬ時も意識はあるでしょうから、(昏睡のまま死んだらありません)♪いい湯だな♪と死んで行くだろうと思います。
死んだら、心理的時間は元々無いし、時計時間も無いですから、死んだらどうなる?という長いあいだ勘太郎が抱えていた問題は無くなりました。答えは必要なくなりました。無いものは無い、時間が無いのだから。
部屋の中で箱にネギの種を播きました。針の頭の様な白い芽が出てきました。野菜の苗作りは、上手くできたことがありません。それでも規模を縮小しながらも、種を買ってしまいます。今年は冬瓜(10kくらいになる品種)をもらって、これが今年のテーマです。4月になったら種まきします。
No.7244 - 2020/03/26(Thu) 07:54:49
☆
Re: 私は何ものからも自由です
/ 勘太郎
引用
私はだれとも、何とも関係することも、コミニュケーションもできません。何者からも断絶しています。故に私は自由です。雪担御老師はと「覚醒は金剛の杵と言われる。最終兵器だ。」と言います。他を傷つけませんが自分も傷つきません。
私は進歩も学習も退歩もしません。勘太郎とも関係していません。
私は勘太郎の身体を通して見ます。勘太郎なしには、現れることが出来ません。
この様に感じます。
No.7245 - 2020/03/26(Thu) 19:41:00
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
なにかを見るには、対象との距離が必要でしょう。自分は自分で見れない、眼は眼を見れない、基底は見えない。神は見えない。そいえば、神の概念は神との距離で、その距離がなくなったら、神も消えます。
世界との距離がなくなったら、世界と一体になったら世界も消えます。ということで距離についてですと。ハーディングの話ですが、壁は見える。自分の足は見える。だんだん近づいてきた。
胸のあたりまで見える。その見てる自分は見えない。これも距離がないと見えない、ということを言ってるのでもあるでしょう。ところで、犬の散歩をする。ほかの人を避ける。その自分との距離があって、自分の眼の奥、
そのところに自分がいないとしなければ、空間認識が困難でしょう。もし自分という見てる中心が浮遊霊のように彷徨ってたら、なにか物事をやるってことが、たとえば擦れ違う人を避けるとかも、困難でしょう。
それで、この身体の眼の奥に自分がいる。としたほうが便利でしょう。これは自動的に機能。そこで1人で庭に、畑に出てみます。樹とか花とかではなく、♫見ろよ青い空・・・白い雲ではなくて、それらが配置されてる空間が自分じゃないですか?
眼は単なる風穴で、世界と素通しではないですか。音はそうですね、ただ聞こえてるだけなのに、味覚も、触覚も、それが起こってるだけなのに、それじゃ辻褄があわないから、自分が聞いてる。触ってると、組み替えてのじゃないですか。
その名残が音は身体を通り抜けるという感覚かもしれません。あっちと、こっち、知覚はまた対象にくっつく性質があるようです。眼、耳、意識とかの知覚しかない、それを身体と世界との関係の整合性を自動で組み上げるのでしょう。
この自分は世界の中にいないと不整合だ、自分のいるところが世界の中心、となるのでしょう。それで世界とはどんなものだとか、解った気になる。実際は、なにも知りようがない・・・未知と既知、そんなことはないです。既知も未知なんです。
たとえば自分が身体の中にいる。世界の中にいる。顕在意識でしか見てない私はいると思ってたけど、いない・・・ちょっとだけ枠を外れると、そこに体験が起きたりするのかもしれません。時間も認識できない。今は認識できない。過去も未来も認識できない。
現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得。空間は不可得。美しいです。だけどなんか、時空の距離で何か認識できるような気がしてるのではないですか。その整合性を組み上げてる、そのことから外れるだけでも、即今だけでも、なんとかなるのかもしれません。
No.7246 - 2020/03/26(Thu) 20:06:20
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
> 私は勘太郎の身体を通して見ます。勘太郎なしには、現れることが出来ません。
>この様に感じます。
それはそうでも・・・こちら、実在と現象界の距離がない、私とubik0101との距離がない、表裏ない、そんなところです。
No.7247 - 2020/03/26(Thu) 20:22:04
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ hato
引用
>樹とか花とかではなく、♫見ろよ青い空・・・白い雲ではなくて、それらが配置されてる空間が自分じゃないですか?
空(くう)が自分・・なら花や樹木や鳥や犬が・・見える・・ではないですか?ひねくれものが一周すると、素直になるのかなー。。
とはいえ、「これ、は!?・・」ということなのですね。
よい気分、てよく勘太郎さんから聞きます。ふと自分、よい気分はいつも素敵だけど、幸福はそのもので、そうでなければならない目的ではないです。
No.7248 - 2020/03/26(Thu) 23:45:08
☆
Re: 春になって初めて畑に行きました
/ 勘太郎
引用
南向き斜面の雪は解けていました。ザラメ雪の中をこいで進み、梅の木やらの冬囲いを外して、山に登って、昨年植えたエゾエノキ(蝶々のオオムラサキのエサになる木)が活着しているか?確認。たった5本ではオオムラサキはやってこないでしょうけれども・・・。新芽があまり膨らんでいないので心配です。
風は強かったですが気温は6度近くにまで上がって動くと暑い程でした。
そこで、いつもの「良い気分」でした。
勘太郎は気が付きませんでしたけれども、「いつも良い気分」を求めているようです。
良い気分で居たいという欲望。
幸福かどうかは解りませんけれども、自分で良い気分ってどういうことだ?と自分に聞いたとき(思考が無い時)やっぱり よい気分です。不安が無い様に感じます。
つの字の小さなネギの芽が分るでしょうか?逆U字形に大きくなって3−5センチ?になって1本に伸びて大きくなります。ネギは虫にも病気にも強いので、簡単に育つ野菜No1かもしれません。
No.7249 - 2020/03/28(Sat) 19:45:07
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
ぶつ切りにしたタラの幹を挿して、黒マルチして、ところどころ切込みをいれてみました。剪定バサミの刃が欠けてタラの幹が綺麗に切れてないので、どうなるのかな?です。
No.7250 - 2020/03/28(Sat) 20:12:59
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
もうクマバチが飛んでるのでしょうか、スモモの木の枝で、見事なハヤニエになっていました。
No.7251 - 2020/03/28(Sat) 20:15:58
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ hato
引用
>幸福かどうかは解りませんけれども、自分で良い気分ってどういうことだ?と自分に聞いたとき(思考が無い時)やっぱり よい気分です。不安が無い様に感じます。
不安な思考。勘太郎さんはきっと男気があって、情に厚く、ご家族や犬猫さん、同僚、さまざま係る人たちを心配されるのかも知れませんね。自分が死ぬのは怖くない、けど、愛する家族や動物たちが苦しんだら辛い、と強く感じてしまわれる、かも知れません。
人が生き延びるために、思考がよく発達してきたとしたら、思考がなければ安心ということは、理に適う感じもします。でも、道の道具である思考を介して状態を認識、ある意味、創造しているのはその自分なので、やはり問題は、人にありそうです。この意味で、思考があってもなくても、人は幸福であれると思います。
この辺りも、桜の蕾がようやく膨らんできました。
No.7252 - 2020/03/28(Sat) 23:30:56
☆
Re: 現在ところの理解です。
/ 勘太郎
引用
自分の目に写るものは、対象で自分では有りません。
写るものを見ている自分は、眼玉の後に有り、特定できないし関係もできない何かとして居ると感じます。
この自分は変化しないので、不安・欲望はありません。
この何かにこだわっていても仕方が無いので、別のアプローチを捜しています。
覚醒の中の悟りの秘蹟、公案の章です。
闇夜から光に照らされた室内にすだれを掲げて入った時に長慶は覚醒した。それは闇と明るさの堺が取り払われた。つまり意識と無意識の堺が消えた。
自我と真我に分かれていない事が判った。勘太郎と覚醒が分かれていない、です(現実の勘太郎は覚醒を夢見て、勘太郎を覚醒という本体に変態させたいと願っています)
内と外の堺が無い、これが覚醒ですかね。
ubik0101師には申し訳ないのですけれども暇なときに、印刷したファイルをとっかえひっかえ眺めます。本当は一心不乱に読まないとなりません。
夕べは室内飼いの犬を暗い中で抱きしめました。頭を彼にこすりつけました。そうしたら、勘太郎の首の上は犬の身体で一杯になり、勘太郎の頭は紙の様にぺたんこに成って犬の身体と一緒になったと感じました。
何回も話題になった、自分の範囲は特定できない、自他の堺は明確にはできない。
勘太郎には解りませんけれども、自分のいる部屋が視界一杯に眼に写っています。これを勘太郎と部屋は一体だ」と云うのだろうとおもいますけれども、勘太郎にはそうは思えません。
No.7253 - 2020/03/30(Mon) 20:59:42
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
>内と外の堺が無い、これが覚醒ですかね。
ではないですが・・・己事究明でいいと思うのですが、
その体験が起きて、しばらくたって考えました。この探求の人生、も一度やれるだろうか?できない、やりたくない、たとえば屈辱を屈辱と思わないまでに耐えるということもなく耐え、ズタズタになって自分を否定する、それでいて一人あって幸せな道でしたが、
とくに自分を見張らなくても、誠実で素直、これは困難でした。
何回も言いますが、嘘をつかないということは安易なことではないです。とくに自分に嘘をつかないということは、簡単なことではないです。それは、自分の他に拠り所がないことです。
そのままの自分を探っても、どうかな?とは思うのですが、
>自分のいる部屋が視界一杯に眼に写っています。
どこを、なにを見ていますか?壁とか窓とか犬とか?総体としての事象が部屋ですか?そうではなくて、空気を見るのです。空間です。空気は見えないです。空間には距離もないです。見えないです。
それを見るのです。浸透し浸透させるのです。静かということです。眼なしに見えてる。耳なしに聞いてる、意識なしに思考してる、当たり前のことに気がつく、のもいいかもしれません。
うーんと、あそこに猫がいます。そして窓際には植木鉢があります。そこで・・・あそこに猫が歩いて、そこに、猫を猫たらしめてる何か命?知覚?が猫の姿にある。また、あっちの窓には窓の機能としての窓がある。
どこか知らない街には反りの合わない元同僚がいるだろう・・・そのことは自動的に自分にも適応され・・・こっちの眼の奥に自分を自分たらしめてる何かがある。となってしまうのではないでしょうか、
No.7254 - 2020/03/31(Tue) 08:50:52
☆
Re: 空間を感じる
/ 勘太郎
引用
眼・耳・口・意識無しに生きている。
確かに空間に意識を持ってゆくと、そこが空間(
意識できる世界)の中心のように感じます。勘太郎の胸の後に中心が有りますが、その中心の支所の様に感じます。
昨夜は夢うつつながら、食料危機の不安になりました。昼間見たヤフーの画面にそんな話題にが載っていたからでしょう。
理性ではなくて、問答無用の感覚の不安。不安という感覚。理性の勝る現在は不安という感覚は、何もかもが不安に基づいて行動する。欲望に付随して不安を感じて、あれ今日は勘太郎は休みだよなとシフトを確認して、安心する。
不安が勘太郎の行動指針のように思います。
最後はまた(ハトさんに指摘されるまで全く気づきませんでしたので、自分で笑ってしまいます。)来た来た!!って。
「今日は小春日和で良い気分です」
ほんと暖かです。まだそこここに雪が残っています。昨年に比べたら少ないです。外の片づけをしています。
No.7255 - 2020/04/03(Fri) 13:06:37
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
心配することによっては・・・お金がないとか、先行き不安とか、食料危機とか、病気とか・・・その事態は何も変わらないでしょう。ではなぜ心配するのか?それは、その人の不安な状態が、おおむね自我が、その問題の事態に投影されてるのかもしれません。
それならその自分の状態を解決すればいいとなるのですが、欲望もまた、不安をカムフラージュする手段にもなり得るでしょう。問題が無意識にあるなら、意識する。露わにする。それから逃げようとすると追いかけてくる。そいうことを、目一杯、噛み締め引き受ける、ですかね。
♫金のない奴は俺んとこ来いっ、俺もないから心配するな。見ろよ青い空、白い雲とか・・・隠し事なく、でしょう。隠し事とは、自分で自分に隠してるのです。なので自分だけで、自分だけが、解決できます。
ところで、眼は、猫や犬に焦点を合わせる癖があるようです。それで空間は見えにくい・・・意識は、対象に焦点を合わせる癖があるようです。個別の特定の自分の身体とか、隣人とか、過去、未来の出来事とか、思考に。でも、そじゃなくてもいいです。
>確かに空間に意識を持ってゆくと、そこが空間(意識できる世界)の中心のように感じます。勘太郎の胸の後に中心が有りますが、その中心の支所の様に感じます。
その逆で・・・空間、それは眼という風穴を通じて、自分の内と繋がっていませんか、光が眼という節穴を通じて、自分の胸の奥まで差し込んでいませんか。世界とツーカーではないですか。これもまた、自分はいない、ということの現れで、
No.7256 - 2020/04/03(Fri) 19:49:47
☆
Re: そりの合わない同僚は、誰なんでしょう。
/ 勘太郎
引用
と思いつつも、今でも囚われて、ああすれば良かった、こう言い返してやればよかったと独り言を言っています。
天気の話です。誰彼と云うことなく、たぶん半分以上の人に当てはまると感じます。
人はどうも今の天気が永久に続くと思いたい生き物のようです。
現在の天気予報は場所を細かく指定すれば時間単位で正確です。昨日は午前中晴れで午後は小雨予報でした。知人に
勘太郎が「午後は小雨が降るみたいですよ」と言ったら、「そうは思えないけどな」と独り言みたいな一言。結局は少し降りました。
上記の様に、私が「右」と言ったら、他人は「左」という癖があるようです。今が続く様に感じるのと同じく、一般的な事の様に感じます。思考のない、おうむ返し。
さて、おうむ返しをする人は誰なんでしょう。と思います。(勘太郎は違う!と思いながら書いてますが、これもまた誰でも感じる普通の事)
他しかに、空間が眼という風穴を通して、勘太郎の首の上までを満たしています。勘太郎自身は頭の後ろの空間に押しやられています。
しかし、胸の奥までは達しません・・・・ん・・・。胸も満たしています。勘太郎の胸の辺りは空っぽうになって、景色(どうしても景色です)が体を満たしています。
私は胸の奥に居る私と勘太郎とで二人います。圧倒的に勘太郎が強いです。
今朝は焼ジャガイモ、レンジで10分チン、トースターで10分近く焼て、マーガリンつけて食べました。甘味が増します。チンが少し長すぎました。焦げた部分ができてしまいました。
No.7257 - 2020/04/06(Mon) 14:43:06
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ ubik0101
引用
そですね・・・勘太郎さんて誰なんだろう?
たしかに何か意見を言うと、相手は自動的に反対意見を言うことに気がつくことがあります。それは話してる思考の領域を広げることでもあるのですが、そうでなく、その反対意見がその思考をするその人をつくってるので、その反対意見に固執せざるをえないこともあるようです。
そしてその反対意見は、過去の出来事とか、誰かの言ったこととか、事実でない思い込みとか、噂とか、たった1つのケースを総てに当てはめるとか、さまざまなことを根拠にして、その反対意見を言う・・・この私は正しい・・・に正当性を与えてるようです。
そこで、そんな様々な根拠は、反対意見を言うために取ってつけてるだけで、その人としての一貫性がない、矛盾がある、実は反対意見する人の投影でしかない・・・その場その場で何でもつくれるので、そんなことを今ここに生きてると主張することもできる・・・相手の意見に、事実でないことを根拠に反対するだけで、
優位な気がする・・・変・・・そんなことに気がつくと自己観察になるのかもしれませんが、そうならず、愚かで、恥ずべきことを誇りとする、とても滑稽なことをしてる・・・そんなことで人生を消費するのは、なにが面白いのかは解りませんが、
それでもそいうことはその人に任されてる、自己責任。なのですが、また、なんでも自己責任と言いながら、その自分の言動はそれから除外したり、自分の言動を人の責任にしたり・・・相手の意見に反対するだけなので、相手の話をまったく聞いてないことにも気がつかないようです。
ところで、
その、胸の奥の私がいない、にならないのは・・・また、私は勘太郎、でないのは、なぜなんだろう。自分で自分を確認しようとすると、いるってこと?何かを対象にすると、対象にしてる中心がいることになるってこと?どっちがどっちを作ってる?確認しようとしないなら、いるもいないもない?あるいは、私はある、と私はない、の関係が不明確?
No.7258 - 2020/04/07(Tue) 08:01:23
☆
Re: 明るい兆し、春本番です
/ hato
引用
>昨日は午前中晴れで午後は小雨予報でした。知人に勘太郎が「午後は小雨が降るみたいですよ」と言ったら、「そうは思えないけどな」と独り言みたいな一言。結局は少し降りました。
>上記の様に、私が「右」と言ったら、他人は「左」という癖があるようです。今が続く様に感じるのと同じく、一般的な事の様に感じます。思考のない、おうむ返し。
やり取りを読む限りでは、同僚さんの返事が、現在ピカピカの晴天なので、このあと雨が降るなんて思えないね、としたら、一体なんの問題があるのかと思ってしまいます。が、作業に支障が出たのかもしれませんね?
人が他人を腹立たしいと思うのは、他人が、俺が大事と思う俺に留意しない、或いは大事にしない、力がある奴とみなしてくれない、軽くみるなよ。てことなのでしょうか。勘太郎さんは、俺様の言葉を信用しないようにみえる、いつも小馬鹿にするようにみえるあいつが大嫌い、てことでしょうか。同僚は、もしかすると本当に、「今はとてもそう思えない天気だよね、」かも知れないのに、です。
なので本来の議題は、そのように受け取ってるそれ、ではないでしょうか。ここで一般世間や胸の奥に逃げない・・が大事ではないでしょうか。
ま、微妙なことが、ありますよね。
No.7259 - 2020/04/07(Tue) 14:14:30
★
哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ 勘太郎
引用
コンビニのお結びか、菓子パンで済ませます。
昨日は最後の従食で焼き鮭と肉と玉ねぎの炒め物。ご飯をお代わりして、名残り従食。
もう一つの勤務先は居酒屋タイプのお店と理美容店が複数入居のテナントビル。喫茶店は2週間のお休みを決めました。
おしぼりレンタルの配送者の方が「ここはまだよい方だ、ススキノの飲食街は大変だよ」と言ってました。
ハグされる気配を感じて「いやなんだけどなあ〜」と言っています。それでも大分ハグに馴れたかな?
私自身は健康の不安は余りない(他人に移したら困るので配慮はします。コロナでは死なないとおもっていますので。
今後のお金の不安が強いです。心配性に生まれていますのです。でもまあここは、「みんなで渡れば怖くない」と自分に言い含めています。
トイレ紙を買い占めたり、自分だけ何とかなりたいという気持ちもあります(実際は買ってません、買い占める人を責められないなとかんじています)
さてこれからどうなって行くのか、楽しみです。世界中が是をきっかけに、バカ騒ぎ生活から、静かな、永続可能な道を探りに行くのか?
生き物の最期を飾る様に、バカ騒ぎを続けるのか?オイラもそのバカの一人なんです。ここは何とかなっても、危機は形を変えて私たちに起きますから、これで終わりはありません。
毎日ご飯を食べる様に、排泄をするように、生きている限り活動します。
そんな偉そうな事はそうですけれども、今日の遅番のボイラーマンは売り上げの減るテナントさんの暖房料金が少しでも減る様に致します。
No.7218 - 2020/03/04(Wed) 14:42:32
☆
Re:ハグされるかと嫌がるし写真の説明文が
/ 勘太郎
引用
へんなところに挿入してしまいました。
No.7219 - 2020/03/04(Wed) 14:45:03
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ ubik0101
引用
これまで、お金がなくて困ったことはあるのですが、心配したことはないです。
簡単ですが、お金がないという事実だけではなく、それだからどうなる、どうできないとかいう空想と結びつける、つまり架空の因果、に囚われる状態だと、心配なのかもしれません。
そうならば、いくらお金があっても、なくしたらどうしようとか、誰に遺産として分けるのかとか、税金とかなんとか・・・心配かもしれません。もし心配を感じなくても、心配が潜在してるのでしょう。
ずっと前テレビで見た話ですが・・・ある人がちょっと成功して貯金が7億円になった。それで、どう思うと思います?と、インタビュアーに聞きます。
よーし、これを倍の額にしようと思うのですよ。と、自嘲っぽく言ってました。その後、失敗して、アパートに1人暮らしとかの話でしたが、今のことは知らないです。
お金があれば、空想の因果を解消できるのなら、あればいいのですが・・・お金のあるないは、そんなこととは関係ないのでしょう。
説明ですが・・・この貧乏な因果、現状に落ち着いてるというわけではないです。見えたり聞こえたり風が吹いたり雨が降ったりの当たり前の、どこにも落ち着かない、です。この、どこにも落ち着くところを、探す必要もないということは?
No.7220 - 2020/03/05(Thu) 18:38:51
☆
Re: 落ち着かないままいる、先を考えない
/ 勘太郎
引用
気を抜かずに「落ち着かない」のままで居る努力を続ける。でしょう。
気を抜くとすぐに落ち着ない自分を見てしまいます。
No.7221 - 2020/03/06(Fri) 18:00:03
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ ubik0101
引用
いつも問題は、その自分。ではないでしょうか。たとえば自分を探ってるとして、なんか世界と一体だとか分離してるとか、皮膚と世界との境も明確ではないとか、自我がどうだとか、探ってる対象、意味、構造、内容、思考、ではなく、その探ってる主体、それ、でしょう?
その確かめ方なんですが、なんでもいいですが、樹の枝を錆びたノコで切った。サンスターで歯を磨いた。テレビの点いた部屋の中にいて、部屋の中が見えてる・・・この切ったり磨いたり見たりしてることではなく、その、その自分、に注意するのです。これは不可能なはずですが、できます。
たとえばシャベルで畑を耕す・・・それは意識が天気とか雑草の生えた湿った、あるいは乾いた土の状態、天地その作業に向いて広がっています。それを、自分の方に向け、自分に収束する、引き戻すのです。われに帰るのです。
ほかの言い方では、一瞬前の自分に気がつく、その自分がどうであったか、ということは、この自分が、こうだということ。これは不可能なはずですが、できます。
でも意図的にやろうとして身構えると、たぶん出来ないです。ふと・・・世界から、われに返る・・・どっかで聞いた言葉ですが、観察者のいない観察から、観察のない観察者。これも、そうイメージすることでは、そのイメージするその主体は?ということになり、届きません。実際に、自分がすることです。
その自分・・・どこにも落ち着くところを探そうともしない・・・完全な不安定ということは、落ち着いてるとか落ち着いてないとかの対比なく、落ち着いてる。ことの説明です。
No.7222 - 2020/03/07(Sat) 18:10:55
☆
Re: いつも、問題はその自分。
/ 勘太郎
引用
パソコンを打つ。文章の間違いや言いたい事、キーボードの位置を捜す、のでは無くて、打っている自分を見る。
打っている自分の方向、意識が産まれる方向を見る。
自分の意識が産まれる方向を見ると、キーボードを打っているのは私ではない。指が自然に動いてキボードを打ち、モニターに字が浮き上がる。
次に、意識を文章に向けて、文意が通っているかを確認します。此処では自分に向けた意識は、無いです。
そこでまた意識を自分に向けます
猫のなぎ声を聞いている自分を観察してしまいます・・・・。
今日の職場は暇でした。そこで自分の意識に焦点を向けるような気持ちで、部屋を眺め続けました。
何も考えない思考が部屋の中を見回しています。
意識を自分に向けよう、自分の意識がどうなっているだろう?と考える意識と 部屋の中を見回す意識が融け合うのか混じるのか?分けることが出来ない様に感じます。
ぎょろぎょろと部屋を見つめる意識は、喜怒哀楽とか能力・落ち着く・落ち着かないを持っていません。飽きると云う感情も無いのではないか?と感じました。
何度も繰り返していますけれども、ダグラス・ハーディングと云う人のやり方があります。
?@壁を見ます→自分のズボンを見ます→お腹胸
→首の辺から自分ではない、自分が見ている対象が無くなり、自分が在る様に感じる
?Aこの自分には、特性が無い、自分で無いもの(対象)を受け入れるだけだ。
おいらが思うにこの自分が覚醒の前段階ではないかと。この先は神の思し召し。
今日は暖かいので、ボイラ―15分間隔で切ったり入れたり。目覚まし時計で忘れないようにしながらボイラ室を眺めていました。
No.7223 - 2020/03/08(Sun) 18:49:57
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ ubik0101
引用
>パソコンを打つ。文章の間違いや言いたい事、キーボードの位置を捜す、のでは無くて、打っている自分を見る。
>打っている自分の方向、意識が産まれる方向を見る。
>自分の意識が産まれる方向を見ると、キーボードを打っているのは私ではない。指が自然に動いてキボードを打ち、モニターに字が浮き上がる。
> 次に、意識を文章に向けて、文意が通っているかを確認します。此処では自分に向けた意識は、無いです。
> そこでまた意識を自分に向けます
>猫のなぎ声を聞いている自分を観察してしまいます・・・・。
パソコンを打ってることでは自分は生じないけど、猫の鳴き声を聞くと、その聞くことによって聞いてる自分が生じる?どこにこの違いがあるのだろう?パソコンは集中してる、猫の声は余裕がある?と思いました。
そこで・・・自分を観察してしまいます・・・というその二度見が、緊張(二度見は滞り、歪であり緊張してるってことです)と余裕(二度見できるということは時空の遊び、余裕あるってことです)二項対比を醸しだして、余裕をかましてるのかもしれません。
そではなく、ただリラックスしてれば、その二度見も起こらないですむのでは?でなければ何か解決されてない、業とか虎馬とか、過去未来の問題があるので二度見が起こってるのかもしれません。それなら、そちらの理解が優先事項でしょう。
> 今日の職場は暇でした。そこで自分の意識に焦点を向けるような気持ちで、部屋を眺め続けました。
>何も考えない思考が部屋の中を見回しています。
>意識を自分に向けよう、自分の意識がどうなっているだろう?と考える意識と 部屋の中を見回す意識が融け合うのか混じるのか?分けることが出来ない様に感じます。
>ぎょろぎょろと部屋を見つめる意識は、喜怒哀楽とか能力・落ち着く・落ち着かないを持っていません。飽きると云う感情も無いのではないか?と感じました。
たとえば部屋が見えるという知覚しかないってことでしょうか?そだとして・・・知覚してる主体はない、あるいは主体は主体を知覚できないから、それは白紙、スクリーンで・・・そこに展開されてる対象、音声、映像、そのほかの知覚しか見えない?
ふつうは意識そのことを意識するってことは困難と思います。つまりそれがなんであれ、明るさ・・・それを意識と呼びます・・・にあって、見たり聞いたり思考したりの知覚が機能してて見えることを、意識がある、と呼びます。
なにか見えてるものと違う個別のこととして意識があるわけではないです。知覚の対象(たとえば猫)と知覚してる(それを見てる、聞いてる、触ってる)ということは同じことです。その明るさがないなら、気絶と呼ぶと思います。
二度見は、空想の誰かとか世間とか過去未来から見た自分意識と、自意識過剰と、いうことでは。もしそうなら、それを解決するのが、自分の場合ですが、優先事項でした。自燈明、これだけでやってきたように思います。
>何度も繰り返していますけれども、ダグラス・ハーディングと云う人のやり方があります。
> ?@壁を見ます→自分のズボンを見ます→お腹胸
>→首の辺から自分ではない、自分が見ている対象が無くなり、自分が在る様に感じる
>?Aこの自分には、特性が無い、自分で無いもの(対象)を受け入れるだけだ。
>おいらが思うにこの自分が覚醒の前段階ではないかと。この先は神の思し召し。
これは、自分は自分では知覚できないってことに気がつくってことかもしれません。その自分には名前、年齢、性別、慎重、体重などの属性がないです。その自分があるとかないとかもですが、林檎を食べたら林檎の味、蜜柑を食べたら蜜柑の味ということで、それは経緯することで、それが原理、真理、というわけではないと感じます。
投稿No.4638 - 2014/06/11(Wed) 07:41:59を思い出しました。
なかなかチャーミングなモノクロ顔写真が表紙の、マハリシという人の書を適当にめくって数ページ読んだことがあります。うろ覚えですが、この世界は自分ではない、この身体は自分ではない、感情は自分ではない、意識は自分ではない・・・とかいうことが書いてありました。(つまり自分は自分ではないてことです)
それだけじゃ駄目。と思って、もう続きを読まなかったので、その書の真意は分かりませんが、その逆が必要です。つまり、です。思考は自分です。感情は自分です。身体は自分です。世界は自分です。(自分は自分だてことです)
が、必要です。そしてこの、それは自分ではない・・・それは自分だ。どちらもあり得そうですが、どちらかを採用するのでもなく、どちらも破棄するのではなく、どちらも誤り、です。と、いう認識が必要です。
これは意地悪に言えばですが、それは自分である。それは自分ではない。どちらもあり得ないのに、あり得ると空想して、表現してるにすぎません。大事は、そのどちらでもない、そこ、にあります。
ひとつには、それは自分、それは自分ではない、どちらも思考、解釈であり事実は、そうでないということ。ひとつには、どちらでもない、そのことが解脱を示すからです。
No.7224 - 2020/03/09(Mon) 07:02:06
☆
Re:自分でない、自分である
/ 勘太郎
引用
中道。中道から外れる道があったら、それは中道ではない。
自分を規定したら、自分から外れてしまいます。
だから覚者は自分は無いと言うのでしょう。そもそもに自分と云う言葉・概念を持ち出したら、覚醒から外れる。
お昼は雑煮。
融けたらそのまま腐ってしまうと思っていた、凍結したネギが芯がまた生命を吹き返し、芽を出してきたので腐った外側を剥いて作りました。
北側の倉庫の様な部屋の中に段ボールに入れてあるネギです。
同じく外葉が枯れかかって、逆さに置いてあったキャベツは茎から2・3本・新芽を伸ばしています。
野菜って生命力の強い種類だと思いました。
愛しいです。
いつもの猫の景色です。午後になって陽射しが出たので猫も気持ちよさそうです。写真の猫は警戒心が強く、逃げ出す態勢です。
No.7225 - 2020/03/09(Mon) 13:18:06
☆
Re: スマホから
/ 勘太郎
引用
相田みつおさんを読みました。
相田さんは、真剣に考えたのは、自分()自我。
自我をいくら調べても、自我。
自分は、みえない。みえない。自分を調べなければならない。
これを、たまたま、明るい街灯の下で無くした指輪を探す、に例えているのでしょう。
先の教えでは、元々なくしてなどいない、でした。また少し前進とうれしくなって
かきました。灯りの下は
探しません。
No.7226 - 2020/03/09(Mon) 20:14:33
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ hato
引用
すこし仕事をお休みしていました。どこにも行かず、家に籠って、といっても、それぞれ、庭作業や家作業。鳥散歩に猫散歩。最終日の今日は日中、そぼ降る春雨だったおかげで、よく眠りました。遅い昼は、外で買ってきたパン屋さんのパンを半分ずつ。添えて飲んだ、珈琲が美味しく感じました。
No.7227 - 2020/03/10(Tue) 23:33:13
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ ubik0101
引用
中道とは・・・ここでは世界の総活動と呼んだりしますが・・・縁起のことで、それから外れることは、不可能です。ただ完全に縁起が機能すれば自我が完成し人は解脱します。
ここから知的に展開するとして・・・その縁起の偏った部分に依存することが問題といえば問題で・・・人間関係とか,自分のなんか属性とか、たとえば知識、思考、行動にも、もちろん自分にも自分の根拠がない日常です。
くり返しますが、人はただ自分をのみ根拠にするとしても、自分は自分の対象になりませんから、自分は自分の根拠にならないので、底なしの海に浮いてるような、です。
その完全に不安定・・・つまり拠り所を求めようとすることが不安定を生むので・・・無常、縁起、この日常こそ、安定も不安定もない、安定です。
スピーカーの上に座る小太郎です。
No.7228 - 2020/03/11(Wed) 18:54:06
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ hato
引用
>そもそもに自分と云う言葉・概念を持ち出したら、覚醒から外れる。
このように呟いてることが、そもそもその、概念ではないですか?
覚醒とか、中道とか、それ自体を思考で弄んではならないと思います。これは推論したり、思議したり、その自分が納得できるよう、予定通りになるようにと、予め、準備することではないからです。その範疇にあれないので、不可-思議と言われます。じゃあ、どうしろってんだと思うでしょう。落ち着かないでしょう。それを、見ます。そこで、われに帰る、見る、です。
そういえば、ベビー箪笥につかまり立ちした、その瞬時に、母として、父として、意識された体験のとき、母の胸あたりから起ち起きた、頭上からふいに沸き出でた、。との感じでした。けど気が付けば、位置はともかくも、起ち起きるという、人の意識はつねに、そのようです。
No.7229 - 2020/03/11(Wed) 23:35:07
☆
Re:図星です。「じゃあ、どうしたらいいのか途方にくれます。
/ 勘太郎
引用
苦しいままで、居なさい。悔しいに成り切りるんだ。と言われます。
オイラだけの感覚なのかもしれません。コロナで困ったなあ、どうしよう・・・と考えようとすると、頭の中で渦巻いて、バックグランドのもやもやとして頭の隅の活動となり、時計の音と部屋の中の景色が全面に出てきます。
問題が棚上げされてしまう、ような気分です。
自分の気に入らない事はとてもたくさんあるのに。その問題達が「体隠して尻隠さず」の状態で頭にあります。
体隠して尻隠さずの問題の中から、ある問題が脈絡も無く、体も出てきます。問題には解決策はありませんから、心の中でごろごろ回転して、不快感を残して、また尻だけを残して体は隠れます。
こんな思考が頭に浮かぶのは、1日の中でもほんのわずかな時間です。ほとんどの時間は、これをしなくては、あれもしよう、急がないと遅れるでアップアップしています。
幸いにして、その日にやるべきスケジュールがだいたい出来上がっていますから、そのとおりに進みます。
No.7230 - 2020/03/12(Thu) 07:44:43
☆
Re: ではどうしたらよいが解りました
/ 勘太郎
引用
覚醒や中道に憧れてしまい、夢見心地のときもあるでしょう。
失望して、孤独感に襲われることもあるでしょう。
なるべく多くの時間を、自分に焦点を当てて眺めている。それが答えです。
期待も願望も悔恨も、体隠して、尻隠さず(頭隠してよりも体隠しての方が気分を表わせるような気がします)ですけれども、自分を眺めます。
No.7231 - 2020/03/12(Thu) 15:20:19
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ hato
引用
ありがとうございます。言葉で理解し合うことは簡単でないですが、勘太郎さんの眺める、が、言葉上の表現であって、もしかして、状態として同じことを伝えようとしてるのかも知れない?と思いつつも、
自分が言いたかったここでの見る、とは、客観的に自分を、眺める・・というより、その、納得も混乱も喧騒も静かさも、真っ只中での体験の総てであり、・・といって、そうとも表現不可能な・・・に起ち帰る、われに帰る、こと、と思います。なにか悠長でない、そこから、そこから、そこから、生きる、トライする、誠実に生きる、日常、。と思います。
No.7232 - 2020/03/13(Fri) 08:33:58
☆
Re: 我に帰る
/ 勘太郎
引用
コロナで騒がしい世間につられて、私も不安でいっぱいです。
その一方で窓の外を眺めると、春特有の5分で雪から晴れに変わる目まぐるしい天気ですが
良く見れば、いつもと変わらず桜の芽が膨らみ、道路は雪解け水で歩きにくいです。
心の中心は何も無く平穏無事で外の景色も落ち着いた春の景色です。
私の心は不安でいっぱいですが、視点を移すと静かな落ち着いた世界が有るように感じます。
毎日朝5時から、犬の散歩です。11時になりお腹が空いてきました。今日はお休みです。また雑煮を食べる支度をはじめます。
No.7233 - 2020/03/13(Fri) 10:52:38
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ hato
引用
コロナ騒動はもちろん、日々の生活に影響を及ぼしているようですが、多くの震災のときもそうだった、・・・それを乗り越えようと叡智を結集して尽力してる、世界中の人たちがいます。頑張ろう!負けるか!こんなんで撤収させるか!と静かに張り詰めながら漲ってる、難題を乗り越えようとするパワーを感じられるではないでしょうか。
いまの自分たちにできる、最低限のことに気を配りながら、心配はそんなにしていません。というか、できないです。ワクチンも程なくできてくるでしょうし、もし、経済が破たんするなら、人が一丸となって、いま生業としてることを、無償で提供し合えばいい。世界中でそんなことが起きてきたら、ちょっと素敵だね!?と思います。当面、生命の危機をひっ迫して感じるのは運転時で、それはしごく当然、いつものことです。
我に帰るとき、・・その安寧は、永続するかしないかとか、それで生活が上手くできるかどうか、とかいう腐心にそぐわない、・・その段で取るには足りない、或いはそのように、悠長にあれないという、人が人たる所以、のみに値する、本質的安寧であるために、つねに確たる安定、安心、存続を望む精神にとっては、甚だ心もとないものではないでしょうか。けれど、我に帰る。そこ、から生きよう、そこ、から、日常。その度合いが増すことは、本質の体力が付く、ようなこと、と思います。
サクランボさくら、庭にも仕事場にも、華を添えてくれました。
No.7234 - 2020/03/14(Sat) 23:35:23
☆
Re:なんという 力強さでしょう!
/ 勘太郎
引用
私は、どうしても自分からの思いが先立ってしまいます
ハトさんの言葉は、特定の相手ではなく、そらに向かって大声で話しかけている様に感じます。
うつむく私の頭を、両手でわしづかみ「ほら、こうして前を向くんだよ」と元気づけてくれます。
お忙しいなか、ありがとうございます。
No.7235 - 2020/03/15(Sun) 06:52:25
☆
Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み
/ hato
引用
いえいえ、2人とも、休日はだいぶゆっくり休みました。
手が届くところまで平気でやってきて、サクランボさくらの花芽を啄むメジロ天使たちです。番でしょうか。ほんとにかわいいです。こちらここ数日、冬の名残の花冷えです。
No.7237 - 2020/03/17(Tue) 00:50:28
★
スペイン風邪はしぶとかった
/ 勘太郎
引用
1918年3月にアメリカに始まり、第1波は5月から6月にヨロッパで流行。
第2波は、その年の秋から全世界で流行し
第3波は 翌年の春から全世界で流行した
当時の日本の人口が5500万人でスペイン風邪による死者は39万人。世界では5千万人から1億人の死者。
私は、春になれば、流行は納まると思っていましたけれども、どうなるのでしょうかね?運を天に任せて(手洗い等の防御はします)明日は菜園の種の交換会に行ってきます。
政府や厚生省を非難する声もありますけれども、人の往来を止める事はできないし、後から批評はどうとでもできます。誰がどう何を行うのか?解りませんけれども、運を天に任せるしかないと思っています。
No.7206 - 2020/02/23(Sun) 21:46:30
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ ubik0101
引用
こちら帰宅後は、手洗い、歯磨きをしています。そのほかのことはあまり考えることもないです。昨日今日は夜遅くまで働きました。
No.7207 - 2020/02/24(Mon) 23:55:07
☆
そのようにすろ。
/ ubik0101
引用
たとえば不公平・・・嫉妬や偽善を理解したら、日常を実際に、そうでなくあるよに生きる。その決意、行為まで、その理解に含まれます。
なんでもいいですが、私は優柔不断だなと理解したら、傲慢だなと理解したら、欲が強いと理解したら、そのようでなく生きる日常に生きる。
ただ何の理由もなく、素直であればいい・・・小心者と気がついたら、たとえば傍若無人であるのではなく、そんな自分だと諦めるのでもなく、
ほかの誰かを根拠にすることでもなく・・・それは自分の感情や思考に正直、素直だということで・・・ただ何の理由もなく、素直でいい。
たとえば誰かの眼を気にしている、と気がついたら、ほかに何も求めず、ただ誰かの眼を気にしないだけでいいい。自分が嘘つきと気がついたら、
正直であろうとするのではなく、嘘を言うことを止める。ただそれだけです。そんな日常こそ探求です。たとえば恥ずかしいとことをして、
自分を正当化するのではなく、もう二度と同じようなことはしないという決意する・・・あるとして業とかは、葛藤は根から消えます。
No.7208 - 2020/02/25(Tue) 18:26:26
☆
そのようにすると似ていると思います
/ 勘太郎
引用
善意は無敵」と思います。
仏教ではこれを捨身し虎(お腹の空いた虎に我が身を与える。
キリスト教では右の頬を打たれたら、左の頬をさしだせ。
自分が良いと思う事を行うと、なんの後悔もなく過ごすことが出来ます。我欲に駆られた、とげのある行為は成功しても、うしろめたさが残ります。
葛藤が消えるとおもいます。
今日のお話はとても具体的でグサッときます。
今朝の中島公園です。
仕事を終えて帰りに通ったら、枝の雪が融け落ちてました。
No.7209 - 2020/02/25(Tue) 18:55:05
☆
Re: 私の精神はどこに所属する?
/ 勘太郎
引用
インドのパパジという方の問答で
質問者「私の精神は身体に依存するのですか?」
答え 「精神が無ければ、私の肉体と云う物に気が付きません」
おいらの身体は地球に所属します(見ているおいらの対象で、おいらとは別の物であるように思います)
そこで。おいらの精神はどこに所属するのでしょう?と云う疑問が湧きます。
精神の所属は解らないながら、精神と身体は別れています。
正解は、そんなことは考えるな、だと思います。解らない事を考えて時間を無駄に過ごすな!
でも、やっぱり考えてしまいます。
考えないで空を見ていれば、空があります。
精神の所属を考えるとおらの身体以外にはありません。身体はおらの物ではありません。精神はどこかに拡散して霧散してしまいます。
感情とか思考はどこかに有る大きな袋の中に詰まっています。おいらの機能というか教育なのか、おいらがいつもなにかないかなあ?とこの袋の中を探っています。「犬も歩けば棒に当たる」状態です。ちょっと現実と関連するかな?と感じる感情・思考を引っ張り出して表に出してきます。
何もかもが全部入っている大きな袋を私と呼んでいるような気がします。
No.7210 - 2020/02/27(Thu) 15:30:03
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ ubik0101
引用
そいえば松田優作が命に関る病気になって、禅寺に行き、精神は肉体を超えられるか?と質問したそうです。
どう返事されたかは知りませんが・・・自分を、知覚できえる肉体や感情や思考と・・・知覚できえない何か、と分別すると仮定して・・・その知覚できない何かを精神と呼んでるのでしょうか。
インドのババジも知りませんが、
>質問者「私の精神は身体に依存するのですか?」
>答え 「精神が無ければ、私の肉体と云う物に気が付きません」
それ自身は気がつかれない、肉体に気がつくなにかがある、という問答なのでしょうか。そうだとして、それは対象にならないので、あるとかないとかではないでしょう。これだけでは解りませんが、精神て、自我のことを、あるいは真我のことを言ってるのかもしれません。
ところで精神と肉体と仮に分別したとして考えられてるなら、その前提からして、その精神の所属は肉体ということになるでしょう。けど、肉体の所属は精神だ、もなくては不公平な思考かもしれません。また、実際は、どちらも対象にならず掴めないのですから、どちらがどちらに所属があるわけないでしょう。
>精神の所属を考えるとおらの身体以外にはありません。身体はおらの物ではありません。精神はどこかに拡散して霧散してしまいます。
それで。精神も自分のものではない、では?
>感情とか思考はどこかに有る大きな袋の中に詰まっています。おいらの機能というか教育なのか、おいらがいつもなにかないかなあ?とこの袋の中を探っています。「犬も歩けば棒に当たる」状態です。ちょっと現実と関連するかな?と感じる感情・思考を引っ張り出して表に出してきます。
>何もかもが全部入っている大きな袋を私と呼んでいるような気がします。
それで。その袋が、ないって。ことです。
No.7211 - 2020/02/27(Thu) 20:12:01
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ ubik0101
引用
意識とはその内容だ。ではなくて、内容だけ、なのです。
No.7212 - 2020/02/27(Thu) 20:38:37
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ hato
引用
すこし前、梅園に行ってきました。
No.7213 - 2020/02/27(Thu) 21:52:30
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ hato
引用
小太郎です。
No.7214 - 2020/02/27(Thu) 21:53:41
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ ubik0101
引用
小太郎に似てるつっ。
No.7215 - 2020/02/27(Thu) 23:40:43
☆
Re: 品川東照寺の接心は中止となりました
/ 勘太郎
引用
残念ですけれども仕方がありません。
自分は抽象、と言います。これを少し解りました。
No7211に書いてくださった事を何回も眺めました。
大きな袋は無限に大きいので自我には理解できない。そこで便宜的に仮想の袋を思い描いてその中でのことして、出来事や感情を取り扱います。
仮想の袋だから、堺を調べても解かりません。
身体においては皮膚の内側を仮に私として言動の基としておく。これも単なる決め事だから実質の意味は無く、堺も当然どこだかあいまいになります。
精神と身体が別れているはずがないのですけれども解れていると仮定すして、取り扱う。
ミミズの研究で有名なダーウインは、脳の無いミミズが葉のどこを掴んで運び、巣に蓋をして雨水を防ぐのを解かっていることを観察して驚いています。
葉もミミズも雨も土の穴も一つのものなので、脳の無いミミズが社会生活を送れるのでしょう。
室内飼育になってもうすぐ40日経つ犬は、おいらにハグされるのが嫌でおらが帰宅すると部屋の隅に避難します。しばらく様子をうかがって、ハグされないと感じるとベットに戻ります。気の毒ですが、どうしても触ってしまいます、可愛くて。
野良犬は子供の頃の癖が抜けにくく、産まれてから2月過ぎまで野良で育つと人に馴れにくい犬も出てくるそうです。
No.7216 - 2020/02/28(Fri) 13:12:48
☆
Re: スペイン風邪はしぶとかった
/ hato
引用
ウィルスの猛威、はやく収束するといいですね。
>自分は抽象、と言います。これを少し解りました。
こちらは自分とか自己について、便宜的に仮想の袋・・と考えたこと、・・見たことがないです。空想上の袋のなかでのこととして、出来事や感情を取り扱う・・・より、そのまま、このまま、・・として見ることが、事実に踏み込むのではないでしょうか。ないものはないままで。本当に、袋のなかにいる・・と感じるでしょうか?実際とは常に、思考で見立てた空想に逡巡できないところ、と思います。
>精神と身体が別れているはずがないのですけれども解れていると仮定すして、取り扱う。
自分は幼少の頃、1歳半くらい?かと思いますが、初めてベビー箪笥に捕まり立ちをしたとき、その瞬間、わたし、であるはずの意識は、ふいに母であり、(母の驚きと喜び、その感情と思考、言葉を母として意識しており、)ふいに父(父の驚きと喜び、その感情と思考、言葉を父として意識しており、)であった、・・という体験をしました。
自我が確立される以前で、意識の置き場所が不安定だった、として、実際、自我というのはあるとして元来、世界に生きるための意識の置き場所、定点というくらいなことかと思います。先の体験のようにあっちこっちに焦点が飛んでいたら、きちんと生活できない、学びにくい、なことでは、と思います。
世界(眼耳鼻舌身意)とその世界、は、人の道具であり、自己であり、それ故つねに不可-思議、であり、・・・ではないでしょうか。
それにしても勘太郎さんの情の篤さが見えるようです。いいなあ。犬さん、伝わらないなんて残念。ubik0101さんは、「コタロウ!コタロウ!ナナ!ナナ!」{ノンノン!、チュリル!」と呼んで、みてるのが精一杯なかわいがり。好んで触るってことはまず、ありませんよ(笑)。わたしは猫も鳥もキュッキュ抱きしめちゃうんですけど、パパ、やっぱり神経症なのよー。ちょっと触るとすぐ手を洗ってます。でも、ノンノンとチュリルは、世話の甲斐があってか、けっこう懐いてるようです。
No.7217 - 2020/02/29(Sat) 00:23:05
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