150828
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
(No Subject)
/ ゆらぎ
引用
勘太郎さん
> どこが分岐点(線・面)かは。分りません。ubik0101さんとも話しましたけれども。私と外とがどこで分かれているかは感じ取ることができないのです。
> (座布団に座ってどこがお尻の皮でどこが布か?解らないのです。みなさん解っていると勘違いしているだけです。)
触覚があるということは、そこが自分と環境との境界だと感じているということだと思います。
> プログラムとはどういう意味ですかね。自分を分離して感じるという仕組みになるようにインプットされているということでしょうか。
そういうことです。
> むじゅんしますけれども、自分の脳が自在に動かせる範囲が自分でそこに境目があるのではないですか?境を感じる方が自然なような気がします。
境を感じる方が自然なようにインプットされているということです。
> ?A弱肉強食はバクではなく、完璧な仕組みでしょう。戦争・不足・見かけの不公平・正義、かたわで産まれる子供・公害・病気・隕石の衝突。考えれば考えるほど完璧なシステムに感じます。
そうです。弱肉強食は仕組みでありプログラムです。
9/14に書き込んでいますが、バグというのは各種の発達障害とか神経症、性同一性障害とか統合失調症などだと思います。
発達障害、社会に適応出来なくて、どうして完璧なのでしょうか?
性同一性障害、身体と心の性別が異なって、どうして完璧なのでしょうか?
> ゆらぎさんの考えに対立しする思考・感覚がおいらに産まれて、ぶつける。ゆらぎさんがそれに意見を書き込ぬ。弁証法でしったけ?対立して動いて行く。他人の意見のパグを見つけて、正しい見方ができるようになる。素晴らしいシステムに感じます。
正しい見方とは、どういう見方でしょうか?
どこが素晴らしいシステムなのでしょうか?
発達障害や性同一性障害の方々は、健常者が正しい見方が出来るようになるための、教材なのでしょうか?
> 個々には不公平や問題が山積していますけれども、目を全体に広げると、戦争や原発事故も世界を進歩させる道具だと感じるのです。世界は完璧に感じます。
脱北した母子が餓死している、その他にも栄養失調で多くの方が亡くなっている。
戦争で多くの方が、手足を無くしている。
その方々は、道具なのでしょうか?
世界の進歩とは、何でしょうか?
1000年前から、何が進歩したのでしょうか?
hatoさん
> >神が創られたのに、なぜ弱肉強食?食物連鎖?戦争が止まない?不幸が撲滅できない?という疑問が解けました。
> それは、人が成長できるために。
人の成長とは何でしょう?
なぜ、成長する必要があるのでしょう?
私もそこからスタートしましたが、分かりませんでした。
> そのために、総て勢揃いの様相です。なにか完全な世界として、人はどのように育っていけるでしょうか?完全も不完全も、あるもないも含めた、膨大無尽蔵の様相が、世界です。
何かしらの変化はあるでしょう。それを成長と呼んでもいいかもしれません。
人は、やがて死にます。そうしたら、その成長はどうなりますか?
そこでなくなれば無意味ですから、継続するのでしょうか?
> 感情的に受け入れられない・・ではありません。自分にとっては、とくに事実でないからです。
自分として、どう考えるかは人それぞれですが、事実かどうかは、分かりません。
> どちらかといえば、こうしたことは、思考した挙句のわからない、意識上でのわからない、を逸脱しているが故に、わかることが、ある。ということなのです。
そして、何が分かったのでしょうか?
No.6965 - 2019/09/23(Mon) 06:00:41
☆
Re: 取り急ぎの書き込みです
/ 勘太郎
引用
完璧であるについて。
個々に問題がありますけれども、いま私たちが46億年の地球の歴史を経ていきているのですから。完璧だだと感じます。
恐竜の苦しみは清算されていて、おらは何の痛みも感じません。
おらが会社でいじめられた事は今、おらを苦しめません。想い出です。
ペットの猫が死んでしまいましたけれども、今悲しくありません。たまに思い出しして悲しくなりますが。
感じる焦点を 自分を宇宙まで引いてみると、苦しみはありませんので、完璧だと感じます。
後日また読み返してから書き込みます。
No.6966 - 2019/09/23(Mon) 15:45:33
☆
Re:
/ hato
引用
やっと、3連休の働き蜂が終了しました。嬉しいぃ!いま、ちょっと嬉しくなる、夜の一口アイスを食べたところです。
>人の成長とは何でしょう?
>なぜ、成長する必要があるのでしょう?
>私もそこからスタートしましたが、分かりませんでした。
>そして、何が分かったのでしょうか?
自分が話してるのは、人が幼稚園から小学校、中学、高校、大学と進む。大人になったら背が伸びた。その意味での成長ではありません。人が、「絶対」、或いは、「未知」、に対峙した。その成長です。
その意味での成長のために、世界はありとあらゆる、膨大無尽蔵の様相、空をなし、人を変容させることができる、ということ。それは事実ですが、人それぞれ、・・とくに必要ということはないと思います。
愛はあり、これは未知を友として歩みます。愛がなければ、未知は厳しいと思います。
ゆらぎさんは、シミュレーション科学を以て、事実かはわからないとは思うが納得、されているので幸せである。ということですね。不完全に完全をみて生きる、それでよしということなのでしょう。
No.6967 - 2019/09/23(Mon) 23:32:45
☆
Re: ムージーさんは良く聴いています
/ 勘太郎
引用
ムージーさんが禅師から許されるのか?疑問に思っています。
覚醒者はいないと言われますけれども、おらは人は覚醒して、世界と成ると想像しています。
雪担御老師は「漸近線と双曲線は全く違う」という言葉でこれを説明します。
蜘蛛の糸が天から降りてくるのをできる限りの努力をして待つ、がおいらの姿勢です。鉄城御老師は「言葉で伝えられない感覚を判ってもらうしかない」とおっしゃいます。
ムージーさんが言うのは言葉が無い・思考がない状態で覚醒への通り道ではあるけれども、覚醒ではないと想像しています。本当かどうかはおらのはまったく解りません。想像です。
昨日の大雨が旱の6月頃に降って欲しかったなあと思います。予報通り雲が急に消えて、雲一つない青空になりました。コオロギに新芽を食べられてしまい、数本しか残ってないない大根が大きくなると嬉しいです。
No.6970 - 2019/09/24(Tue) 07:13:18
★
(No Subject)
/ ubik0101
引用
>自我は真我を発現させるための執事であり、真我が現れると自我が消滅するという仕組みが開示される、つまりそれが実現することが自我の完成ということですね。
自我は虚構というのが、自我の仕組です。体験は一連のことですが、それは仕組みとは言えないです。
>真我とは、実在の直系とのことであり、自我は真我と同じことを日常こなすとのことですが、実在及び真我とは何であり、それらは何をこなしているのでしょうか?
朝シャワーを浴びまして・・・これから、馬車馬のように働きます。もう2年も経つのかとは思いますが、ゆらぎさんと、あるはあるにありきってない、と話したような気がします。
>昔、「神との対話」という本が流行りましたが、ご存知でしょうか?
その書名は、聞いたことがあります。書店で数ページ流し見したかもしれませんが、印象にないです。
繰り返しますが・・・自我、真我、愛、実在とか、それは一連の体験で、分離されませんが、ほとんど同じ体験の人、あるいは単発?で愛を感じた人、会ったことがあります。愛の体験をしたと、神道系の人でしたが、メールと電話で話してきた人もいます。
体験が起きたのは、30年以上前のことです。
No.6945 - 2019/09/16(Mon) 08:32:31
☆
Re:
/ hato
引用
さあ!頑張って働いて参ります。☺
庭の桜の木に、花が咲いてました。ちょっと、嬉しいです。
No.6946 - 2019/09/16(Mon) 08:55:34
☆
Re: お仕事お疲れ様でございます。
/ 勘太郎
引用
身体を使って働くのは快だと思ってます。まるで好きな森の中を荷物を担いで歩くような感じです。
累計3匹のあづかり猫、2匹はもらわれて行きました。残るは妊娠中の1匹だけになりました。飼い猫はたくさんいますが。
2匹ともに、すでに数匹飼っているけれども追加で飼う人に行きました。
今キースジャレットをユーチューブで聴きながら打っています。心に引っかかりません。きれいに音が流れ行って滞りません。
嬉しいでも快適でも愉快でも楽しいでもありませんけれども、「快」です。次の音を捜す(どんな展開かを予想する・・・仕事の段取りを考える・・先を予想する)ような焦りに近い欲求でもなく。ただ音が体を通り抜けて行くイメージです。
「 鐘の音を消せ」という公案があります。キースジャレットを聞いて思いました。独参で鐘の音を消せ」と言われたら、手拍子を打つで、もしかしたら、鈴が鳴らないかもしれないと。
No.6947 - 2019/09/16(Mon) 21:20:03
☆
Re:
/ ubik0101
引用
その公案は、鐘の音になりきる、ということでしょうか?ごぉおおおお〜ん、て言ってみるかもしれません。
No.6948 - 2019/09/16(Mon) 23:07:22
☆
Re:
/ hato
引用
えー!!??、鐘になりきる、じゃないですかぁあ?どちらでもいいのですけど。
身体って、難儀だけど凄いです。
No.6949 - 2019/09/16(Mon) 23:38:01
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
>「 鐘の音を消せ」という公案があります。キースジャレットを聞いて思いました。
勘太郎さんもジャズがお好きなんですか?
キースジャレット、いいですよね。
ジャズのくせに、ピュアな音って思います。
(クラシック出身というのが、影響しているのかも)
「鐘の音を消せ」ですか・・。
私だったら、自分の両耳を塞ぐかな・・。
そもそも自分と鐘はひとつであり、自分の中で鳴っているので、自分の中の音を消せばいいのかなと。
ちりんちりんですかね?
No.6950 - 2019/09/17(Tue) 05:49:37
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
> 自我は虚構というのが、自我の仕組です。体験は一連のことですが、それは仕組みとは言えないです。
既に述べてきましたが、「自我は虚構というのが、自我の仕組」というのは、私も同じです。
恐らく、多くの面でubik0101さんやhatoさんと共通していると思いますが、お二人は体験を元にされているのに対し、私は思考を元にしているところが違和感を生み出しているのかもしれません。
> >昔、「神との対話」という本が流行りましたが、ご存知でしょうか?
> その書名は、聞いたことがあります。書店で数ページ流し見したかもしれませんが、印象にないです。
ubik0101さんの論と似たところがあります。
実在と真我との関係と神と魂の関係がそっくりです。
No.6951 - 2019/09/17(Tue) 05:58:16
☆
Re:
/ ubik0101
引用
> ubik0101さんの論と似たところがあります。
> 実在と真我との関係と神と魂の関係がそっくりです。
ちょっと興味が湧きました。ただ、世界が目の前に展開されてる(変な言い方)ってことだけで楽しく嬉しく驚異で、そのことを探る・・・書を読むのは面倒ではあります。
No.6952 - 2019/09/17(Tue) 07:22:47
☆
Re:
/ hato
引用
> 多くの面でubik0101さんやhatoさんと共通していると思いますが、
ゆらぎさんがそのように感じられるなら、なにか近いものがあるのでしょうね。いい分かち合いが出来たら嬉しいですね。
こちら、賑やかだったつばめたちが南方に飛び立ち、寂しいですが、代わりにここ数日、庭のハンター百舌鳥や、ヒヨドリたちがやってきています。ubik0101さんは、モズを、「ブッチャーバードだ!」と呼んで喜んでます。
No.6953 - 2019/09/17(Tue) 23:34:31
☆
Re:今日の夕方、 街を流れる川に鴨の子供が8羽いました。
/ 勘太郎
引用
それこそハト程の大きさで母鳥が一羽見守っていました。
不思議な事に冬には全面結氷する池にも凍結ギリギリの時まで鴨が居るのです。どこにいるんだか?初冬に融けたり結氷したりを繰り返すのですけれども、融けたら現れます。ホントに凍ると春までお別れです。
無門関三七則 庭前拍樹
拍樹が犬の散歩道に植えられています。今の場所に住んで二〇年になりますので、2m位だった木が10mの高さになりました。ヒノキの葉が縦に繁っている感じの木です。
僧問う 仏法とはなんですか?とジョウシュウ師に尋ねたら「庭前の拍樹」。僧 「御師家様、心の持ちようで答えていただいても困ります」
ジョウシュウ「私は心境ではこたえていない」
僧、仏法とはなんですか? ジョウシュウ「庭前拍樹」
おいらが想像すると、御師家様は自己と世界が一体だと感じるので、そのままを答えている。
(一体とすると二体が有る事になるのでおかしな説明ですけれども)
おらは、 犬と拍樹の脇を歩くとき、何とかこの合掌しているような葉っぱの木と自分とが合体したような気分にならないものか!と思いますけれども、そうは行きません。
No.6954 - 2019/09/18(Wed) 19:27:19
☆
Re: ジョウシュウ師は庭前拍樹です。
/ 勘太郎
引用
ubku0101師は「シャワーを浴びて、馬車馬の如く働く」と答え。hato師は「庭の桜がすこし咲いてうれしい」とお答えになります。
No.6955 - 2019/09/18(Wed) 19:35:16
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
> 無門関三七則 庭前拍樹
> 僧問う 仏法とはなんですか?とジョウシュウ師に尋ねたら「庭前の拍樹」。僧 「御師家様、心の持ちようで答えていただいても困ります」
> ジョウシュウ「私は心境ではこたえていない」
> 僧、仏法とはなんですか? ジョウシュウ「庭前拍樹」
勘太郎さん、境というのは心の持ちようや心境ではなく、心の外のもの、即ち人間に備わっている感覚器官で感知出来る対象のことのようです。「庭前拍樹」はその意味で境(色境)なのですが、師は境で答えていないと言われているようです。
私は、「庭前拍樹」がそのまま仏法だと言われていると感じます。もちろん、岩でも草でも鍬でも、何でもいいのですが・・。全てがそのまま、仏法です。これは、シミュレーション仮説と見事に一致します。
> おらは、 犬と拍樹の脇を歩くとき、何とかこの合掌しているような葉っぱの木と自分とが合体したような気分にならないものか!と思いますけれども、そうは行きません。
合体した気分になるよりも、分離を感じることの方に意味があるのかもしれません。
No.6956 - 2019/09/20(Fri) 06:01:10
☆
Re: 境は心の持ちようではない
/ 勘太郎
引用
おらの理解が間違えていました。思い込みです。
庭前拍樹は色境でありながら、師は色で答えていない言った。これはおらにはわからない事です。
拍樹がそのまま仏法だは解ります。しかしながら想像であって、腑に落ちてはいません。
分離が諸悪の根源と想像していますので、合体への希望は強いです。分離と合体があったら合体はないのですけれども。
今朝の川に鴨が9羽いました。母鳥と見分けがつかない程の大きさです。それで9羽と数えました。先日の夕方は時間があったのでゆっくり眺めていましたが、今朝は時間がないので数だけ数えて安心しました。無事に全部育つと良いなあ〜と思います。
夜の犬の散歩の時に上空を南から北北東に宇宙ステーションが飛んで行きました。見るのは今夜で2回目。1っ等星程の明るさで飛行機より早いでしようか?あの中で人が暮らしているかと思うとそれ自体が生命を持っている様に感じました。
No.6957 - 2019/09/20(Fri) 21:01:36
☆
Re: 境=命何でしょうか
/ 勘太郎
引用
それで、ジョウシュウ師は 境で答えていない、とおっしゃったのでしょうか。
No.6958 - 2019/09/20(Fri) 21:05:23
☆
Re:
/ hato
引用
庭の柏の木も、嬉しい、哀しい、も、一所懸命に働く、も、・・・それがなにかを、人は本当に知ってるでしょうか?
桜が咲く・・・いつ、どうして、なぜ咲いてるのか、・・
人は、本当に知ってるでしょうか?
分離・・合体・・それが一体どういうことかを、知っている、でしょうか?
庭前の柏の木。
現前にある、とある事実。それは法の現れとして、
でも、それがなにかを、人は知りません。
その不可思議。不可知、ということ。
稲穂。もうすぐ刈り取りの頃です。
No.6959 - 2019/09/20(Fri) 23:33:14
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
> 庭前拍樹は色境でありながら、師は色で答えていない言った。これはおらにはわからない事です。
「一切衆生悉有仏性」「色心不二」「色不異空」を表現しているのかもしれないですね。
> 分離が諸悪の根源と想像していますので、合体への希望は強いです。分離と合体があったら合体はないのですけれども。
自分の身体の境界を認識出来ますので、分離感があります。しかし、それは右脳のはたらきであって、右脳が壊れれば自分と周囲が連続しているように感じるようです(ジルボルト・テイラーの奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたときから引用)。
人間の皮膚も空気も、素粒子レベルでは連続していますので、そもそも合体しているのですが、そこに分離を感じることが出来ることが奇跡です。そんなことは、自然に起こりようがなく、脳がそのようにプログラムされているからであり、同様にこの世界全体もプログラムされており、それを仏法と名付けていると私は理解しています。
ですから、「庭前拍樹」もプログラムの現れであり、仏法なのです(私にとっては)。
No.6960 - 2019/09/21(Sat) 06:06:45
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
上記は、左脳の間違いでした。
No.6961 - 2019/09/21(Sat) 06:52:21
☆
Re:
/ ゆらぎ
引用
Hatoさん
> 庭の柏の木も、嬉しい、哀しい、も、一所懸命に働く、も、・・・それがなにかを、人は本当に知ってるでしょうか?
> 桜が咲く・・・いつ、どうして、なぜ咲いてるのか、・・人は、本当に知ってるでしょうか?
> 分離・・合体・・それが一体どういうことかを、知っている、でしょうか?
> 庭前の柏の木。> 現前にある、とある事実。それは法の現れとして、でも、それがなにかを、人は知りません。
そうです。何も知りません。
それを知っているとするのが、宗教であり、私はどの宗教が真理なのか、長い時間をかけてその内容(教義)を吟味してきました。
結論は、「分からない」です。
そもそも、知らないものの正誤は判断できません。
はっきりしているのは、人間や動植物、この世界は偶然の産物ではないということです。この世界の現象は、数学的な記述が可能であり、例えば、台風の進路や発達する規模などの予測精度は、昔よりも大幅に向上しました。もっと多くのパラメータをインプット出来るようになれば、さらに精度は上がるでしょう。
人間や動植物、この世界は創造されたことに間違いないでしょう。その思いは中学生のときから変わりません。しかし、創造者は完全無欠な神ではないため、不足や限界、バグなどがあるということです。神が創られたのに、なぜ弱肉強食?食物連鎖?戦争が止まない?不幸が撲滅できない?という疑問が解けました。
それは、感情的に受け入れることが出来ないかもしれません。
しかし、私は何の抵抗もなく受け入れられました。
そして、人生が楽しくなりました。
自由になりました。
No.6962 - 2019/09/22(Sun) 06:04:47
☆
Re: ゆらぎさん、分離観はありますが
/ 勘太郎
引用
どこが分岐点(線・面)かは。分りません。ubik0101さんとも話しましたけれども。私と外とがどこで分かれているかは感じ取ることができないのです。
(座布団に座ってどこがお尻の皮でどこが布か?解らないのです。みなさん解っていると勘違いしているだけです。)
おらが世界の中心に有る、という感覚です。身体はおらの外です。自分の手足がおらの物とは感じません。
プログラムとはどういう意味ですかね。自分を分離して感じるという仕組みになるようにインプットされているということでしょうか。
むじゅんしますけれども、自分の脳が自在に動かせる範囲が自分でそこに境目があるのではないですか?境を感じる方が自然なような気がします。
?A弱肉強食はバクではなく、完璧な仕組みでしょう。戦争・不足・見かけの不公平・正義、かたわで産まれる子供・公害・病気・隕石の衝突。考えれば考えるほど完璧なシステムに感じます。
ゆらぎさんの考えに対立しする思考・感覚がおいらに産まれて、ぶつける。ゆらぎさんがそれに意見を書き込ぬ。弁証法でしったけ?対立して動いて行く。他人の意見のパグを見つけて、正しい見方ができるようになる。素晴らしいシステムに感じます。
個々には不公平や問題が山積していますけれども、目を全体に広げると、戦争や原発事故も世界を進歩させる道具だと感じるのです。世界は完璧に感じます。
hatoさんのわかっててるのか?すこし考えてみます。おらはどうしても、拍樹の事を解っている様な感じがしていまいます。色も形も葉の様子も解っている感じがしてしまいます。
物に名前を付けたら、それで終わり、理解できた理科の試験問題には答えらえる。と思ってしまいます。
No.6963 - 2019/09/22(Sun) 20:57:33
☆
Re:
/ hato
引用
ゆらぎさん、勘太郎さん、こんばんは。今日のこちらは、朝から日中、夜半へと、爽やか。風がひんやりといい気持です。日差しは強くても、湿気がないと、こんなにも楽ですね。この連休3日間、働き蜂の2名です。ubik0101さんとご飯を食べて、ちょっと安らぐひとときです。
>神が創られたのに、なぜ弱肉強食?食物連鎖?戦争が止まない?不幸が撲滅できない?という疑問が解けました。
それは、人が成長できるために。
そのために、総て勢揃いの様相です。なにか完全な世界として、人はどのように育っていけるでしょうか?完全も不完全も、あるもないも含めた、膨大無尽蔵の様相が、世界です。
そして、見上げれば世界に、こんなにも、愛が降り注いでいます。こんなにも人生と世界は難儀だけど、注意して静かに見れば、そこここに、愛が溢れていることがわかるでしょう。
>それは、感情的に受け入れることが出来ないかもしれません。しかし、私は何の抵抗もなく受け入れられました。そして、人生が楽しくなりました。
感情的に受け入れられない・・ではありません。自分にとっては、とくに事実でないからです。
この世界は、愛を「きちんと受け取ることが出来たら、」ある意味ですが、参画していける・・・ようなものです。愛を受け取ったら、世界にしてもらう・・プログラムされてる・・・というだけでない、生きる、ということです。初めて、その生に、本来の意味での未知が加わる、ということでもあります。
とくに世界を変えようとする、必要もないけれど、人生の都度の選択で、変化したり、しなかったりする世界を見るでしょう。世界は、人が成長するための触媒、の意義です。そこで各々が意味を汲み取り、手放して、生きていく。成長する。ことができるのが、人の所以です。
それは、人が自分を狭い教義、思考形態などに閉じ込めず、「未知を友としてよく生きる」という、意志を示すことから始まります。
ここで言う未知とは、意識上に見え隠れしているあたりの、わかる、わからない、のわからないではありません。思考逡巡の余地もない、意識が吹っ飛ぶほどの、まったき未知です。ここに想像は皆無です。考えた結果の、わからない、とは言えません。
どちらかといえば、こうしたことは、思考した挙句のわからない、意識上でのわからない、を逸脱しているが故に、わかることが、ある。ということなのです。
つゆ草、咲いてると嬉しくなります。
No.6964 - 2019/09/22(Sun) 21:18:58
★
ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
その・・・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない・・・と、いうのは世界観ではなくて、事実、真理、絶対というわけでしょうか?
たとえばですが・・・この世界は平面で、その縁から海水がざあざあ流れ落ちていた世界でも(知識がないので、その時代だったかは不確かですが)、ソクラテスはソクラテス、アリストテレスはアリストテレス・・・そうでなく、(読んだことないですが)彼らの言ってることが彼らの世界観だとして、ほかにもその反対の、類似の、関係ない、いろんな世界観があるのでしょう。それは説明できますか。ほかの誰かは他の誰か、自分は自分、ということでしょうか。
ところで。この世界は、非剛体、なら、同じように、世界観も価値観も意志もコントロール出来ない・・・では思考が剛体で・・・非・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、ではないでしょうか。
いつかどこかで誰かの世界観も価値観も意志も変わった、とします。そこで振り返ります。ん、これは変わるようにプログラムされてるんだ。つまり、決まってたんだ。と考えれば、その通りでしかないのでしょう。でもそれは、自己確認、自己擁護という操作してるので、そ感じるのではないでしょうか。一種の二項対比矛盾による無限ループになりそうです。
このように話が展開されるというのは、初めからプログラムされてたのでしょうか?
No.6930 - 2019/09/13(Fri) 08:20:35
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
> その・・・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない・・・と、いうのは世界観ではなくて、事実、真理、絶対というわけでしょうか?
事実、真理、絶対は、そもそもコントロール出来ません。世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、文字通りの意味です。
>いろんな世界観があるのでしょう。それは説明できますか。ほかの誰かは他の誰か、自分は自分、ということでしょうか。
人間の数だけ、世界観があるでしょう。そして、その人の世界観はその人が自由に選んだのではないということです。それしか選べなかったということです。
>では思考が剛体で・・・非・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、ではないでしょうか。
そうです。何もコントロール出来ません。
>でもそれは、自己確認、自己擁護という操作してるので、そ感じるのではないでしょうか。一種の二項対比矛盾による無限ループになりそうです。
自己確認、自己擁護という操作をしているなら、それが起きたということです。
> このように話が展開されるというのは、初めからプログラムされてたのでしょうか?
このようにしか展開できなかった、ほかの展開が選択できなかったということは、初めからプログラムされていたのでしょう。プログラムされていないことは、起こらないと思います。
No.6931 - 2019/09/13(Fri) 19:25:53
☆
Re: 世界はプログラムされていないとおもいます。
/ 勘太郎
引用
私にはついて行けない事柄なので、単語のつまみ食いです。
ゆらぎさん得意の量子論では、それこそ過去のゆらぎは超拡大されていますので、先々が計画通りに進むことはありません。神様でも仏様でもできません。
何もおいらが選ぶことはできません。出来事がそれ自身で変化しながら動いて行くとおもいます。
しかしながら、どうしてこうもうまい具合に変化するのか?全く分かりません。そういう宇宙だからうまく行く。無数にある宇宙の中にはどんな宇宙も無限にある。
宇宙に存在できる素粒子の数は限られるので、もし宇宙が本当に無限個あったら、全く同じ宇宙も無限個あるそうです。私たちの宇宙の素数は10の88乗個と読んだことがあるような記憶があります。(あやふやです)
今日は気持ちの良い1日でした。来年の大収穫を夢見てイチゴの苗を植えました。買うと高いので地元のほったらかしのイチゴ苗もらって全部で100本くらい植えました。小さいし不ぞろいですが、本当に美味しい苗です。雨が少なかったので特別美味しかったのかもしれません。
最近雨が良く降るので。木の中には新緑の様に葉を伸ばし始めたものもあります。水分が好きなインゲン豆もぐんぐん成りだしました。
No.6932 - 2019/09/13(Fri) 20:49:11
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
> >では思考が剛体で・・・非・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、ではないでしょうか。
> そうです。何もコントロール出来ません。
ここは・・・この世界は非剛体であると、非剛体の世界にあって、認識できるのでしょう。このシュミレーション世界の中で、シュミレーション世界だと認知できたのでしょう。自性がない世界で、自性がないと言えるのでしょう?
では思考も例外ではなく、非剛体ではないでしょうか?シュミレーションではないでしょうか?自性がないのではないでしょうか?シュミレーション仮説は、なにかガチガチのようにも見えますが・・・もっと変化できる、柔かいのではないでしょうか・・・という質問です。
そこで、世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、ではなくて、非・世界観も価値観も意志もコントロール出来ない、ではないか?と、聞いたのです。
どうやら思考は、シュミレーションでも、非・反シュミレーションでもなく。剛体でも、非剛体でもない、自性があるでもないでもない・・・そんな範疇のことではなく、ありのままを記述している。ということのようです。
それに、これはすでに同意があると思いますが、どんな世界観も不要。シュミレーション仮説が、シュミレーション仮説は不要だ。縁起説が縁起説は不要だ、実在説が実在説は不要だ。と言ってるかのようです。世界がプログラムされてても、されてなくても、無関係ということです。
それと、起こったことは起こったこととして決定してしまう。時間は不可逆。たとえ同じことを繰り返しても、それは常に、そのつど、そのつど、そのそのこと。物事は、なんであれ一度しか起きないということは、偶然はない、総て必然。なぜこうなってるかはわからない、ということです。
ときに言うのですが、私はないでも、あるでも、縁起でも、総ては1つでも、日々是好日でも、実在でも・・・これが真理だ、に気がついたら。その真理に聞いてみるのです。私はないは、なぜ、私はない・・・以下同様・・・これは、なぜ、これ?まったく知らない、ただ知らないです。
No.6933 - 2019/09/14(Sat) 00:08:22
☆
Re: ここで話を続けます。
/ hato
引用
ゆらぎさんに感じた違和感がすこし、判明しました。
たぶん、無い、に偏重されている分、自分には奇妙に感じられたのでしょう。でもこれは、ただ、わたしが感じたことです。ゆらぎさんが、これでいいと決められたので、尊重したいと思います。
その上で、自分にとっての、をお話しします。
そのことを、実に経験、或いは心身まるごと、の意味で体験しますと、人は、あるないの、「ある、」にも、「ない、」にも多く偏れず、人の意識の器官としても、世界が起きてるから見ている自分が起こる・・または、この自分として、世界を見る・・・と、双方向の働きを生きるようになります。人はそのどちらでもあり、或いは本来どちらでもないのですが、あるないに一方的に偏ると、通常は、困難になるでしょう。
体験が起きますと、ゆっくりであっても、世界の機能を用いて、そのことを理解して、生を決着しつつ、柔軟に成長していくことができる、或いはその経験をしないでも、未知の空を仰ぎ、・・・泣いたり笑ったり、躓きながらも勇敢に、道を選び、進んでいくことができると思います。
プログラミングであるとして、その道を選べたなら幸いです。道があることすら、気付かないプログラミングに生きることも、あるかも知れません。それは自分にとっては哀しいことです。
でも人は幸い、誰でも一度は、空を見上げます。なんともいえない空に、焦がれて見つめる、「これはなんだったろう?」それは、未知への呼びかけです。決められたレールを生きる自分を、生きながらに変容(成長)していこうという、意志を示すことができます。
現前と決定されてる・・・かに見えるこの世界で生きる、ある意味息苦しい、生というところに、ぽっかりと、未知の空が広がっています。
不可-思議、というのは夢ごとでなく、逃避でなく、プログラミングされた生物の限界でもなく、未知の大事です。思考で構築する自分の正しさ、その一辺倒でない、・・そこには常に、世界にとっても、神にとっても、未知であるところの、空(虚空)があります。
自分のWindowsはIEも入れていますが、Firefoxで閲覧しても横長になりません。いろいろなんでしょうね。
No.6934 - 2019/09/14(Sat) 00:17:18
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
このあたりで、少し休憩しましょう。
https://gigazine.net/news/20150303-12-optical-illusions/
AとBが、こんなにも違って見えることに驚かれると思います。逆に、同じ濃さに見えたら、いったいこの世はどのように見えるのでしょうか?
リアリティが喪失し、仮想の世界ということがバレバレになるかもしれません。
人は、これを錯視と呼びますが、私はシュミレーション仮説のひとつの証拠と捉えています。この世の実在感、現実感を出すために、人の脳は錯視を起こすようにプログラムされていると。
この説は、今、ここで初めて紹介しました。
ネットでも見たことが無いので、今のところ私のオリジナルかもしれません。(笑)
No.6935 - 2019/09/14(Sat) 06:37:34
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
ドレスの色は「青と黒」? それとも「白と金」?
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO85079060R30C15A3000000/
私は、「白と金」に見えます。
少数派なのかな・・
No.6936 - 2019/09/14(Sat) 07:15:53
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
ようするに、実際ではない色が錯覚で見えるので、この世界も錯覚でもあり得る、ということですね。たしか図形でも錯視ということがあるようです。絵を見てるその状況で、錯覚が認められますが、まるごと世界総てが錯覚ということが成立するかは不明です。
つまり錯覚を見ることができるということは却って,その見ることのニュートラルさ、(スクリーンを仮定するとして、その)透明さを示してる、とも言えます。でも、あまりにリアルな予知夢とか見ると、また既視感、魔境を経験すると、この世界の怪しさを感じることはあります。
たぶんシュミレーション仮説は、実在界/現象界とした場合の、現象界だけを見ると、その解釈としては成立するのだとは思うのです。この日常。縁起のことです。その原因は神、実在であったり、原因なしだ。無始、無終だ。とか思われるのですが、シュミレーション仮説では、プログラム、に設定されてるようです。
ドレスの色は、青と褐色に見えます。
No.6937 - 2019/09/14(Sat) 08:11:12
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
>まるごと世界総てが錯覚ということが成立するかは不明です。
世界総てが錯覚ということではなくて、この世界がリアルに見えるように、脳内で処理されているということです。恐らく、そのままで処理しなければ、現実感の無い見え方になってしまうと思われます。
> たぶんシュミレーション仮説は、実在界/現象界とした場合の、現象界だけを見ると、その解釈としては成立するのだとは思うのです。
私も、シミュレーション仮説は現象界に限定しています。
仮想現実という現象界があるということは、それを創った実在界があるということです。
しかし、シミュレーションの世界から実在の世界は感知出来ないし、何かを感知したとしてもその正誤は判断できないということが腑に落ちたので、自分と実在の世界はどういう関係かなどの探求が止んだのです。
それで何かが困るかというと何も困らないし、シミュレーション世界だからバグがあって当たり前。各種の発達障害とか神経症、性同一性障害とか統合失調症などもバグのひとつかもしれません。
シミュレーション世界だから何をやってもいいという思いも起こりませんし、何も変わりません。変わったのは、全てをそのまま受け入れることが努力なしに出来るようになって、感情は動いても苦悩することが無くなったってことでしょうか。
ほんと、生きるのが楽ちんになりました。
> ドレスの色は、青と褐色に見えます。
私の母も水色と黒、家内は光の加減で両方に見えるとのことです。
No.6938 - 2019/09/14(Sat) 08:56:43
☆
Re: 白と青に見えます。
/ 勘太郎
引用
繰り返しです。白内障の手術をした同僚が言ってました。「今まで、事務所のホワイトボードを全く違う色に見ていた」と
皆さんの感じる色を読むと、黄色・青・茶色と一般に云う場合、その人によりかなり違った色を青・茶色と認識しているのかもしれません。白内障でなくても・・。それは比べようがない。
妻はあづかった保護猫に産まれる子供に喜んでその準備に忙しいです。保護猫は避妊手術をしますけれども、妊娠の疑いがあれば、産ませる方向みたいです。疑いの段階では処分しても仕方が無いように思いますけれども、そうはしないのが流れです。猫は妊娠期間65日、おっぱいがおおきくなってきました。
おいらも時間は無いと感じます、お金や名誉と同じ人の創った生活のための道具。
よく考えたら、おらが時間がないと感じるのと覚者が時間が無いと云うのは、全く違います。
覚者の時間が無いは、時間に平行した視点から観る。千年前は千年前に観る。常にその時の今からその時を見るので、時間は無い。
おらの視点は自分という眼鏡の焦点から見ている。過去と未来と今はくっ付いている、今の右側が未来で、左側が過去そこに時間は在りませんし、過去・未来に奥行きは無く平面。現在と云うモノがあり距離のない左右の壁が過去未来。
たぶん・・・・
No.6939 - 2019/09/14(Sat) 19:13:08
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
ところで、実在界という言い方は、かなり変です。界ではないです。実在、です。実在の、界、と言うと、この現象界のことです。
そして人が実在を感知するのではないです。こっちから認知しようとしてもそれは、事実ではない、虚偽かもしれません。
その体験は、起こすのではなく、起きることです。実在が人を感知する・・・その眼差しが・・・愛です。自我がその仕組を開示され、完成される、一般的な言い方では役割を終えて死ぬ、自己、真我の発現。それを神、実在が承認します。世界は人が感じても感じなくても、その愛にあふれています。その有無は知覚に依存しないです。意識と無意識が接合した超意識にあって、人としては、このあたりが限界だと感じました。
でもここです。ここで、♫どこまでも行こう。なんです。何度も何度も生まれ変わるかもしれない、この世界の未来にではない、実在の向こう側に。
そこで往くという感じではなく、還るという感じがするのですが、なぜかそうです。この世界がなんであろうと、とくにどでもいいです。
こっちもかなりの、とんでも話でしょうが、とくに隠し事はないので、どこかで誰かに学んだことではありませんが、どなたでも質問、疑問があれば答えます。
No.6940 - 2019/09/15(Sun) 06:23:54
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
勘太郎さんは、時間は横流れに感じるのでしょうか。こちらは上から下と、あるいは前から後ろと、縦流れに感じていました。
その時間がないというのは、単純に、それが知覚され得ない、というだけのことかもしれません。いわゆる思考の領域ではなく、知覚の領域?にあると、見える聞こえる・・・その見てる聞いてる自分はない・・・と言えば、この説明は明らかな二項対比ですが・・・仏陀がうまいこと言ってます。
うろ覚えですが・・・眼と耳などの知覚器官と、その対象、意識とその対象。これが一切である。そのほかにあるというのは虚偽である。と、言っています。これは無我ってことです。見えること、聞こえること、思考すること、ありとあらゆること、これは総て知覚です。これは静かなのです。
ここで人は知覚の有り様を巡りますが・・・大事なのは、あるいは思考は迷いであり、迷わないは知覚だよ。ということで、即今とか言われることもあるのでしょうが・・・知覚にあって時間は知覚できない・・・これに気が付きます。たとえば毎日が、今日。これだけのことです。
No.6941 - 2019/09/15(Sun) 07:04:37
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
> ところで、実在界という言い方は、かなり変です。界ではないです。実在、です。実在の、界、と言うと、この現象界のことです。
ubik0101さんの「シュミレーション仮説は、実在界/現象界とした場合の・・」という文を受けて、実在界という言い方をしたのですが?
> そして人が実在を感知するのではないです。こっちから認知しようとしてもそれは、事実ではない、虚偽かもしれません。
そう思います。
> その体験は、起こすのではなく、起きることです。実在が人を感知する・・・その眼差しが・・・愛です。自我がその仕組を開示され、完成される、一般的な言い方では役割を終えて死ぬ、自己、真我の発現。それを神、実在が承認します。世界は人が感じても感じなくても、その愛にあふれています。その有無は知覚に依存しないです。意識と無意識が接合した超意識にあって、人としては、このあたりが限界だと感じました。
起こすことは何もなく、全ては起きることだと思います。
自我の仕組みはどうなっているのでしょうか?
完成するとは、どうなることでしょうか?
真我とは何でしょうか?
神はなぜそれを承認するのでしょうか?
愛とは何でしょうか?
> こっちもかなりの、とんでも話でしょうが、とくに隠し事はないので、どこかで誰かに学んだことではありませんが、どなたでも質問、疑問があれば答えます。
いろいろと質問させて戴きました。
No.6942 - 2019/09/15(Sun) 07:52:12
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ubik0101
引用
なにかを話したり、行動したり、思考したりします。それは予め、そする主体があって、してるのではありません。笑う、歌う、怒る、走る、思考する・・・時間をさかのぼって、そする、その主体が予めあるかのように、仮定してるのです。虚構。これを自我と呼びます。
これは、主体がなければ見る聞く思考する行動することはできないだろうという、ごく当たり前の感覚が、あまりに理論的なことが、数学の公理のように証明できないけど疑えないことのように、これを見ることの障害になっています。自分にあたえられた課題です。その自我の仕組が開示されることが完成です。
たとえばジグゾーパズル、ピースをあっちこっちと動かして迷いながら完成形を探りますが、完成するとその絵は、もう不要です。あるいはテトリスです。一列そろったら消えてしまいます。そして真我が発現します。とりあえず人としての探求は終わる。ということでも自我の完成、と呼びます。
また自我とは、執事のようなことです。主人と同じことを日常、こなしますが。主人が現れると、静かに引き下がるのです。また自我とは、小さな苗が成長するための支柱です。なくてはならないものですが、苗が大きくなると、なくならなくては邪魔になるものです。あるいは自我とは、真我が現れるための扉です。
それと、たとえば自我については、さまざまな事が言われます。ひとつの理解だけでは、それにしがみつく傾向にあります。ちょっと探してみましたが・・・たとえば思考が自我をつくるから問題だ(耕月寺HP参照)。偶然、それぞれの要素が集まってるだけなのに、それを掴んでるのが自我だ(濁川/全休氏記述HP参照)。いろいろあるでしょうが、自分の発見?を掴まないこと。いろんな経緯を巡って、それだけに固執しないこと、あるいは忘れること、は大事なようです。
愛は愛でなくほかのことだったら、愛ではないでしょう。生まれて初めて経験する事態でも、それは愛とわかる、そうとしか呼べないのです。たぶん人生のというか、実在の目的、目論見が、自己を発現させることなのでしょう。この世界でも、親が子を産み、子が孫を生むように。自我とは、そのために、親が子に課す、課題、かもしれません。それが解けたら、よくやった。なのでしょう。
真我とは、実在の直系です。そのためにあるのが自我です。こちらの場合はですが、自我の仕組みが解かれることが大事でした。この世界、あんなことこんなことに溢れています。そのテストは受けないよ、もあり。そんなことと関係なく、損した得した、嬉しい、苦しい、平穏だ。嫁いだ娶った、生きた死んだ。それが総て役に立ちます。この世界は、よくできてると思うのです。
>ubik0101さんの「シュミレーション仮説は、実在界/現象界とした場合の・・」という文を受けて、実在界という言い方をしたのですが?
もしかして・・・誰かが自分のことを批判したと感じるなら・・・なぜ自分は批判されたと感じるのだろう。その、そう感じる、その理由。その見えない前提を探る。あるいはきっぱり忘れて、さまざまな思考の展開に眼を奪われない・・・こんなことが自分の道でもありました。
一応説明しますと、私が言ったのです。それを私が変な言い方だ。と、言ってるのです。それと、ubik0101さんは、現象界を実在界のように生きるってことですか?と質問されたことがあって、その区別はないよ。と返事しましたが、そんな言い方があるんだ。一般的な言い方なのかな、ということからです。
No.6943 - 2019/09/15(Sun) 19:37:53
☆
Re: ここで話を続けます。
/ ゆらぎ
引用
ubik0101さん
丁寧な説明、ありがとうございました。
自我は真我を発現させるための執事であり、真我が現れると自我が消滅するという仕組みが開示される、つまりそれが実現することが自我の完成ということですね。
真我とは、実在の直系とのことであり、自我は真我と同じことを日常こなすとのことですが、実在及び真我とは何であり、それらは何をこなしているのでしょうか?
私は、自我とは肉体、思考、感情、本能などから「自分」というアイデンティティーをつくる機能であり、それらからの入力を処理し出力するアプリケーションと位置付けています。
ですから、「自分」というものは仮想にすぎません。hatoさんに、自分は無いと申し上げたのは、このような背景があります。
そして、自我は真我と切り離しており、真我のことは考えなくなりました。
真我だけでなく、実在も不要になり、非常にスッキリしています。
> 愛は愛でなくほかのことだったら、愛ではないでしょう。生まれて初めて経験する事態でも、それは愛とわかる、そうとしか呼べないのです。たぶん人生のというか、実在の目的、目論見が、自己を発現させることなのでしょう。
昔、「神との対話」という本が流行りましたが、ご存知でしょうか?
> >ubik0101さんの「シュミレーション仮説は、実在界/現象界とした場合の・・」という文を受けて、実在界という言い方をしたのですが?
> 一応説明しますと、私が言ったのです。それを私が変な言い方だ。と、言ってるのです。
そうだったのですね。
掲示板は対話形式なので、てっきり私に言われていると思い、???となってしまいました。
No.6944 - 2019/09/16(Mon) 05:37:07
★
覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
数年ぶりに覗いてみたら、hatoさんが私のことにふれておられました。すごい偶然に、びっくりしています。
hatoさん、ubik0101さん、勘太郎さん、皆様お元気そうで何よりです。
愚さんも探してみましたが、1か月くらいお休みされているようですね。鬱の傾向がおありでしたので、ちょっと心配です。癌が再発していなければいいのですが・・・。
1995年くらいからインターネットの掲示板で宗教論議を続けてきました。そのころは「宗教のるつぼ」という様々な宗教を網羅した凄い規模の掲示板がありました。禅のカテゴリーで、愚さんとはいろいろ論議してきましたが、もう、25年近く経過したとは驚きです。
>そういえば、数年前に掲示板にいらしてた、ゆらぎさん、という人が、この世界は総てプログラミングの一環で、その意味での自由はない・・・とお話しだったのを思い出しました。諦観かも知れません。でも、ちょっとつまんない。とわたしは思いました。
つまんないと感じるのが自然であり、一般的だと思います。しかし、私は嬉しかった。中学生の時の疑問である「何故、この世は弱肉強食なのか?、なぜ食物連鎖が必要なのか?」という問題が解けた!
コントロール出来るものは何もない。したがって、何かになる必要は無い。人格の向上も霊性の向上も、そんなものはどうでもいい。全ての束縛から解き放たれて、心が軽くなりました。まあ、自分の心も、実体は無いのですが・・。
それから数年経ちましたが、あの時のままです。
探求は止み、普通の日常生活に追いまくられていますが、自分にも他人にも何も求めなくなりましたので、気楽な毎日です。
こちらにお邪魔させて戴いていた時も、それを説明したかったのですが、力んでしまって、上手く伝わらなかったですね。今はもう、上手く伝えようという気持ちもありません。(笑)
私もそろそろ年金をもらう年齢になりました。
ubik0101さんの方がお若いと思っていたのですが、同じくらいかもしれないですね。
私は、12月で65歳になります。
自分から言うのも何ですが、少し丸くなったと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。
私は神奈川の西部で、静岡に近いです。
お互い、台風が心配ですね!無事に通過してくれることを祈ります。
No.6909 - 2019/09/08(Sun) 21:28:00
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
たとえば弱肉強食。それがプログラムだとして、なぜ納得できるのか?そのようなプログラムに納得出来ない・・・ではないのは、どしてか。もしかして、絶対、を認めたのでしょうか。説明すれば、伝わる道もあるような気がします。
そいえば知人と飲みながら、ライオンにとっては弱肉強食だけど、ウサギにとっては自己犠牲なんだ、とかいったことを話したことがあります。なんか生き物は命がけで学んでるようにも思えます。
つい先日、ラジオで・・・なんとかという虫のメスは卵を産むとそれを見守り、幼虫が孵ると、それに食べられてしまう。そのとき柔らかい腹を差し出すように見える。という話をしていました。
チョウチンアンコウのオスはメスと一体化して、なくなってしまうのだそうです。悲しさ、おぞましさを超えて、その一生を懸けて、なんかのために必要なことを学んでるのかな。と思わなければ、遣り切れない気持ちになります。
No.6910 - 2019/09/08(Sun) 23:28:32
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ hato
引用
ゆらぎさん、ご無沙汰してます。ちょっと失礼なお声掛けに応えて下さり、有難うございます。
ううん、つまんない、て世界が決められてる、からつまんない、ではなくて、なんでしょう、・・そのときのゆらぎさんに、ほんのすこし違和感を感じただけなんですよ。誤解かもしれませんし、
こちら気にせずubik0101さんとお話しください。お元気そうで、とても嬉しいです。
No.6912 - 2019/09/09(Mon) 00:15:17
☆
Re:ゆらぎさんお久しぶりです。
/ 勘太郎
引用
またお話聞かせてください。
おらは、最後の橋が渡れずにもがいています 。もがくと云っても、必死でないので渡れないのか?と思っています。意識している時間の数割は自分の探求に漬かっているつもりなのですけれも、無意識の時間がほとんどなんでしょう。
昨日当地はフェーン現象で秋とは思えない33度でした。もっと暑い日もあったのですけれども、湿度の所為か、この夏で一番暑く感じました。
No.6914 - 2019/09/09(Mon) 07:34:26
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
今日は小田急線の復旧が遅れるため、会社は午後出社になりました。
ubik0101さん
弱肉強食の食物連鎖システムに納得できなくて、真理の探究に入ったのが15歳であり、その後何十年も納得できないままでした。まあ、弱肉強食の感情的な嫌悪感を払拭する理論など、無かったということです。
どう考えても理不尽ですから、納得できなくて当たり前であることに気が付いたのが、問題が解けたということです。
この世界は、知性の香りが高すぎて、とても偶然に出来たとは思えませんし、絶対者である神が創造されたとしたら、あまりにお粗末なところが多すぎます。
つまり、どちらでもないということです。それがシュミレーション仮説であり、私は受け入れることに抵抗が無いというだけのことです。
エネルギーから超弦をつくり、超弦から素粒子、素粒子から原子、原子から分子、分子から細胞、細胞から臓器、臓器を合わせて人間をつくっているプログラムがあるというのは、容易に想像できます。それを受け入れいることが出来ない人の方が多いと思いますが。
そう考えれば、人生に意味が無くても困りません。生き物が何かを学ぶと考える必要もありません。なんかのためも無ければ、必要なこともない。生き物は、ただ生きている。人間も、目の前に現れてくる様々な出来事に対して、真摯に取り組み、一所懸命頑張る。結果など考える必要はない。それが、ただ生きるということ。
言葉にすればこんな感じですかね・・。
hatoさん
失礼じゃないですから、気にしないで下さい。
また、お話出来て嬉しいです。
勘太郎さん
その橋ですが、私の場合は、自分が心に描いてる幻でした。。
No.6915 - 2019/09/09(Mon) 10:20:53
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
この世界というプログラムは、神がつくったのでも、なんとなくできたものでもない。なら、何が作った、どうしてできた?のかは、気になります。
まだ読んでなければですが、輪廻の蛇 (ハヤカワ文庫SF)に収録されてる、ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業、を、お薦めします。
https://www.amazon.co.jp/%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E3%81%AE%E8%9B%87-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4150119899/ref=cm_cr_arp_d_pdt_img_top?ie=UTF8
こちらが初めて読んだときは高校生くらいの時で、ここ何十年も小説とか哲学とか読んでないですが、思い出して再度買ってみて、やはり印象深く感じました。
それと、大統一理論、完成されてないのではなかったかと思います。つまり、明確に、これはそれだ。とはならないこと、があります。
宇宙の果てを見ることはない、時間の始まりを見ることはない・・・なんであれ分かってるだけのことしか起こらない世界ではないようです。
なんだか・・・プログラムがプログラムを完成しようとしてると言えるかもしれませんが・・・学ぶこと、学ばないこと、成長する、しない、全てありで、悟る。がありです。
シュミレーション仮説であれ、仏教であれ、哲学であれ、科学であれ、その人が納得できればいいのですが、その事態が、これはこれだ、だけではないことを示してるように思います。
今日はhatoさんと、熱海まで行ってきました。疲れました。
No.6916 - 2019/09/09(Mon) 21:26:54
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
大統一理論、重力を除く3つの力を統一する理論だと思いますが、それが出来たとしてもこの世界のすべてが明らかになる訳ではありません。世界は、素粒子或は超弦の集合体であるというだけで、無自性であることが明白であり、私にとっては十分です。
RPGの中のキャラクターには、そのプログラムを理解することは出来ないのです。
「何が作った、どうしてできた?」は解明できません。「学ぶこと、学ばないこと、成長する、しない、全てありで、悟る。がありです」「これはこれだ、だけではないことを示してるように思います」も、結局結論は出ないと思います。
どちらにしても、何も分からないし何もコントロール出来ない、だったらそれでいいではないですか?
以前にも書きましたが、毎日、新しい朝が来て、新しい舞台が準備されていて、その中で好きなように演じる、それで十分楽しい。
そんな、日々です。
輪廻の蛇 (ハヤカワ文庫SF)に収録されてる、ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業の紹介、ありがとうございます。「プリデスティネーション」というタイトルで映画化されているようですので、そちらを見てみます。
No.6917 - 2019/09/10(Tue) 06:02:29
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
ネットであらすじを見ましたが、映画プリデスティネーションは・・・ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業・・・とは、違う話です。映画は見なくていいと思います。
No.6918 - 2019/09/10(Tue) 06:39:34
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ hato
引用
熱海日帰り電車旅。
今日ははやく起きれませんでした。よくしてくれるお母さんが、「青春18きっぷ、残り2枚あるから使っといで、」と下さり、「行けるとこまで行ってみょう!」ということで、東海道線をゆっくり、上って。気が付くと、わたしのフリル付きの靴下を、かわいらしく履いて、気に入りのハンチングを被って、ubik0101さんもちょっち楽しそう。
乗り継ぎの興津(おきつ)の魚屋さんで、みつけて買ってくれた鰻のキモの串焼きと、コンビニのおにぎりを、海のそばの小さな公園で食べて、熱海まで。居合わせたバスに乗り込み、終点まで乗って、あとは歩きました。でも、とにかく日差しが強くて。帰りの歩きでは、倒れるかと思ったそうです。
海も山も、今の生活では日常で、どちらかというと、ごちゃついたビルや、昔ながらの商店街が懐かしくて。熱海のビル群、どうかと思ってましたが、・・歩いてみるとそれはそれで味わいが。
初島、電車からは大島もよく見えました。
隣の伊東は、台風で大変だったのですね、帰ってから知りました。昨年の我が家の停電、思い出しました。復旧、大変そうです。
No.6919 - 2019/09/10(Tue) 10:47:19
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
たとえば、学ばなくてもいい、人生に意味がなくていい、ということを、人生で学んだとは、言えるのでしょう。そしてそれは、シュミレーション仮説に拠ってる。そんな理由というか根拠があるのでしょう。もちろん、そいうことは後付の理由で、まず、弱肉強食などの問題の悩みがなくなった、ということが起きて、シュミレーション仮説が後付の理由になった、あるいは同時。なんにしても、苦節何十年かあって、なにも学ぶことはないと、学ぶことが起きた、そんな効果があったのでしょう。
それで、いわゆる覚醒とか、悟りとか、それはそれの効果があると言えます。こちらに、悟りはないとわかった。と言ってきた人がいました。それを読んだ瞬間、悟り体験をしたという気配が、ヒシヒシ伝わってきました。説明ですが、その体験には、いかなる悟りという概念も介入することも不要なので、そのように言うこともあります。
アプリケーションソフトが、OSを了解するということがあります。この世界は実在ではない、という了解は、実在を感知することから、そいうことを言います。因果はそでないことがあるから因果を言います。自我は自我でないことがあるから、自我はないとか言います。いわゆる真我とか、それ自身がそれ自身の原因である神、実在とかです。もちろん、空っぽだ、だけの一瞥も起きたりします。
そして、たとえば因果、現象と実在、分離と1つ、迷悟、とかの二項対立が煩わしいので、この世界に生きるにあたって、実在を、体験を、忘れます。この世界に埋没します。そこで見えること、たとえば私は、年齢も、性別もない・・・属性がない・・・アイデンティティがない・・・この世界は実在の解き解れる姿・・・世界は対象にならない・・・そんなことを話しています。
No.6920 - 2019/09/10(Tue) 19:11:53
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
hatoさん
熱海までのデート、楽しそうですね!
我が家は、90歳を超えた両親がいるため、留守に出来ません。そのため、デートはずっとお預けです。
私のところも台風で停電しました。真夜中から始まり、復旧は午前9時頃。蒸し暑い夜で、エアコンも効かず、勿論窓は開けられず、両親が熱中症にならないかヒヤヒヤでした。
ubik0101さん
映画プリデスティネーションのご忠告ありがとうございました。
シュミレーション仮説について知る頃には、殆どそこまで行きついており、なんだ、私のオリジナルではないんだと、少々がっかりもしました。(笑)
実在を感知するとか、忘れるとかは、実在の存在を認めていることになります。しかし、この世界が仮想であれば、この世界の中には実在はありません。外にはあるかもしれませんが、認識することは出来ません。
剛体という概念があります。どんなに力を加えても全く変形しないという物体です。この世には存在しませんが、非剛体を知っているため、剛体を想像できます。同様に、実在(自性)は非実在(無自性)から想像することしか出来ないと思います。
No.6921 - 2019/09/11(Wed) 06:23:23
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
その剛体は、この世界が剛体ではないと知ることができるための仮定、概念、だということですね。剛体が概念なら、それに対する世界も概念でしょう。
ところで、神、実在を疑うことは可能です。それは自己が、真我であることを知るために、真我が、自分を投影したのが、神、実在です。
これ、が、これ、を認識できないからです。ここは、ある、とか、ない、とか・・・内とか外のことではないとか・・・この世界は、あるでもありないでもあり、あるでもないでもない・・・とかの話になります。
ところで、因果、空性。こいうのをこちらでは、よこいと、と読んでいます。そしてそれだけではなく、たていと、実在と、真我の関係です。その交点が、この日常です。
No.6922 - 2019/09/11(Wed) 08:16:47
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ hato
引用
ご両親ともに90歳を超えていらっしゃるのですね。それはお大事にしてください。ゆらぎさん、奥様もともにどうぞ、ご自愛ください、と思います。停電されたのですね、それでも無難で本当によかったです。
うちは静岡西部ですが、ここは東海とも、関東とも、・・・いえずの、微妙な位置関係なのか、天気予報は地元のを見ませんと嵌りません。今回の台風では、雨がちょっと降っただけでした。昨年10月の台風での停電では、この家は復旧に4,5日かかりました。夕方早くから部屋が暗いので、よく眠っていた。と書いて、勘太郎さんに大笑いして頂きました。そんなことがありました。
了解を体験として経験されると、それはおそらく、人の状態が変化します。それは、この世界のなにかからは測りにくい、・・・森の生活者だから、キリスト教徒だから、正しいことをしたから・・清貧だから、修行したからしないから・・・という、世界の状態から計ることはできない、ここは必ず、不可逆です。
その体験は、前にも書いたかも知れませんが、世界からごく一瞬か、逸脱するからです。人はおそらく、本来はそのようなもの、・・そうなるべくしてあるもの、・・と自分は思います。人は本来、この世界に接着だけしているものではない、ということです。
それは不可-思議であることを、実際に生きるようなことで、接着していないその感じは、独特の香りです。
No.6923 - 2019/09/11(Wed) 23:41:10
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
ubik0101さん
剛体は、概念ですがそれに対する非剛体は概念ではなく現実です。 この世界の物体は、全て入力を与えると変形します。その事実が先にあり、それをベースに生まれたのが剛体という概念であって、前後関係が逆です。
同様に、この世界での自分が完全ではないという現実から、完全なる真我や神という概念が生まれたのだと思います。
私も永らく真我や神を探求してきましたが、どうでもよくなりました。
hatoさん
今回の千葉もそうですが、4日も停電が続くのは厳しいですね。早期の復旧を願うばかりです。
思考も感情もその他の様々な感覚も、自分に備えられた器官の機能の作動範囲内の出来事だと思います。それらの器官は、自分が創ったものではありませんから、認識したものが真実なのか幻想なのかは、判断出来ないと思います。
No.6924 - 2019/09/12(Thu) 05:45:25
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
たぶん剛体を想定しないで、世界は剛体ではないという認識が生まれるのは困難だということです。でも、ゆらぎさんの言うとおりだとして・・・剛体だけでは、思考として半分ではないでしょうか。反剛体、つまり柔体も考えます。
すると、世界には完全な剛体も、完全な柔体もない、つまり世界は・・・半剛柔体。と、考えると・・・捉えることはできないようですが、空間そのことは柔体?白色矮星、ブラックホールは剛体を超えてる?となるかもしれません。
そして世界は、自性か、無自性かと問えば・・・半存在。たとえば神、実在が、解き解れる様子が世界。つまり実在は、世界の外にあるのでも、世界の中に塊としてあるのではない・・・繰り返しますが、世界が未完のプログラムとしても、それは完成に自ら向かってるプログラムかもしれません。
こんなことも信じてるわけではなく、世界の説明の1つです。自分としては、いろんな世界観があって、個別の世界観を無くしてしまえ、と思うのですが・・・もちろん問題は、その人の世界観でなくて、その人がどうあるのか?ということかもしれません。それはその人に全権、全責任があります。
この世界はシュミレーションだ。だからなんでもしたい放題。怠惰で傲慢でなにが悪い?ということから、それでも、出来得ることを懸命にやって行こう・・・無段階にあるんじゃないですか。人を数えるとして、人の数だけあるのじゃないですか。そしてそんな人の姿勢は、その人の世界観には関わらないのではないでしょうか。
No.6925 - 2019/09/12(Thu) 06:47:14
☆
Re:橋を渡ったら、橋は無かった。
/ 勘太郎
引用
門を通り抜けたら、門は無かった。こんなイメージに受け取りました。
橋を渡らないで、「橋は無い」と思うのは概念です。ゆらぎさんが来てからのやり取りを読んで橋のイメージが少し進みました。異口同音に瞬間で完全な変換が起きると言います。先ず無字の公案を通らないと話になりません。先入観は無字の邪魔にもなるのでしょうけれども、触媒にもなります。たぶん。
追伸
なんだか、便せんが横長になって、おらの画面を横にはみ出してしまうので、スクロールしながら読んでいるのですけれども、私の画面設定が変わってしまったのでしょうか?
No.6926 - 2019/09/12(Thu) 15:58:52
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ubik0101
引用
たしかに体験としては頓悟です。1/3だけ悟った、2/3は迷ってる。というのはないと思います。自我が、半分なくなったとか、ちょっとだけ真我が現れた、とかは不可能でしょう。でも、人生の過程の総てを見ると、いろいろあったりなかったりで、暫悟と言えないことはないです。
投稿文の幅が広くなるってことは、これまで時々ありました。理由は不明です。こちらのMacでも広くなっています。hatoさんのウィンドウズは、広くなっていません。どうやらブラウザによって違う見え方をしてるようです。たぶん新しいスレッドにしたら、復帰すると思います。
No.6927 - 2019/09/12(Thu) 21:22:45
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ hato
引用
今日はちょっと遅い時間まで仕事をしました。なにかと難儀なのは、やはり身体でしょうね。これがあるから、さまざま経験できるので仕方ないですが、疲れるって困ります。寝るのはすきです。
>認識したものが真実なのか幻想なのかは、判断出来ないと思います。
なのでよく、この経験については軽視されてしまうのでしょう。夢か幻、現実を生きてれば充分。ていわれてしまうのでしょう。
でも、本当にそのことを了解した人が、「体験しなくてもいいんだよー、」と言うことはないでしょう。経験した人は、それが唯一、この世界で自分に起きた真実。自分を、この世界の善悪という領域にない、「善い」に導く礎であることがわかる、からです。自分に備えられた器官が=自分。というだけのわけにも、いかないんだ・・と気付くからです。
ゆらぎさんはすでに、自分に備えられた器官、と言ってらっしゃいます。「その自分はなにか?」。この世界がなんのためにあるのか、より、その自分はなにか、という問こそ、突き詰められる場所と思います。
こうしたことは、信じる必要がないのです。その人がどうなのか、にかかってるだけです。
No.6928 - 2019/09/12(Thu) 23:51:38
☆
Re: 覚えてくれていて、有難うございます
/ ゆらぎ
引用
ubik0101さん
「世界は剛体ではない」というのは認識ではなく事実ですから、剛体を想定する必要はありません。輪ゴムを引っ張れば伸びる、それだけで充分です。
「つまり世界は・・・半剛柔体」それが、非剛体ということです。力を加えても変形しない「剛」、力を加えなくても変形する「柔」、それらの絶対的なものはこの世界には無く、力を加えれば変形するという相対的な「非剛体」がこの世界ということです。
>この世界はシュミレーションだ。だからなんでもしたい放題。怠惰で傲慢でなにが悪い?ということから、それでも、出来得ることを懸命にやって行こう・・・無段階にあるんじゃないですか。人を数えるとして、人の数だけあるのじゃないですか。そしてそんな人の姿勢は、その人の世界観には関わらないのではないでしょうか。
全くその通りだと思います。なぜ世界観に関わらないかというと、世界観も価値観も意志もコントロール出来ないからです。
hatoさん
「判断できない」は軽視につながりません。重視も軽視も出来ないということです。
「自分に備えられた器官が=自分」ではありません。自分が備えたのなら自分ですが・・。
「その自分はなにか?」ですが、自分は無いのです。思考、感情、身体、それらを自分だと勘違いしているだけであり、思考も感情も起こしているのではなく起こっているのです。それが腑に落ちたので、探求が止んだということです。
悟りでも真理でもいいのですが、探究の目的は探求を止めるということです。
勘太郎さん
横長にならないのは、インターネットエクスプローラーだけであり、他のブラウザーは全て横長になってしまいますね。
No.6929 - 2019/09/13(Fri) 05:59:23
★
松の木が自由自在に枝を伸ばしています
/ 勘太郎
引用
ソローの文より
「われわれが自発的貧乏とよぶべきである有利の地点からして以外には、何人も人間の生活の公平もしくは賢明な観察者であることはできない。」
凡人には書く事ができないことばではないかと思います。このような言葉が散らばって書いてあります。人気のある本ですけれども、おいらも含めて、どれだけの人が、判らないままで言葉をなぞっているのでしょう。
判らないまま、この言葉の奥を想像しながら読んでいます。無門の前をうろうろ歩き回ります。このウロウロもそれなりに楽しいです。すべてが徒労に終わる事ながらそれを行っている時は楽しいです。
近所の裕福な庭は毎年、春秋に植木屋さんが世話をしていました。皆さんお亡くなりになり、この家を老人ホームとして使っています。丹精した植木達を切り払って、明るい庭になりました。これはこれで又良いものです。
No.6906 - 2019/09/07(Sat) 17:37:23
☆
Re: 松の木が自由自在に枝を伸ばしています
/ ubik0101
引用
その書名は見たことはありますが・・・貧乏になろうとした。というのではなく、公平、賢明な観察者であろうとしたら、結果として貧乏になるよ、という話なんでしょうか。
たぶん世界一の金持ちも、全世界にある金額の数%も持ってる訳ではない・・・年金機構から、あなたはとても貧乏だから、月額3,500円ほど、年金を増やします。という趣旨のハガキが届きました。
No.6907 - 2019/09/08(Sun) 06:40:22
☆
Re:お金の貧乏とは限らず、そう云うモノを超越した
/ 勘太郎
引用
無門関10則に「清税孤貧」という題があります。清税という坊さんが、師に私は貧しいですので何とかしてください。と問うたところ、師は「お前さん銘酒を腹いっぱい飲んでいるのに、なにが貧乏だ。お前さんは、天下の大富豪だ。
自発的貧乏とは、お金はないけれども、無限の物を所有している人のことを言っていると読みました。ソローは自分でも覚醒していると書いていますからそういう自覚があったとおもいます。
覚醒なしには賢明な観察者には成れぬと言っていると思います。
自分を飾る洋服など無駄だ。大きな屋敷を持つことは荷物をしょい込むことでしかない。1862年に死にましたので、文明の負の面はそれほどひどくなかったとおいらはおもうのですけれども、今読んでも新鮮なほど、過度の文明を批判しています。
台風ひどそうですけれども、大きな被害が無いことを祈ります。台風の影響か?きれいなレンズ雲が今日現れました。18時の小樽の上空です。
No.6908 - 2019/09/08(Sun) 20:18:24
☆
Re: 松の木が自由自在に枝を伸ばしています
/ hato
引用
悟ったという人たちを指す貧乏のはなしは置いといて、清貧というくらいだから、欲を孕んだ物や金に偏るな、という自戒はどこの国にもあるのでしょう。イエスも、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい。と言ったのでしょう。
欲にまみれることは、ほとんど不要な関係とか、煩雑なことが有象無象に増える気がして煩わしいです。意識する以前に、そういう関係のところにいられません。長居できないのです。自分にとっては、単にそういうもんなんだろと思います。
きちんと誠意が通じる、努力すればなんとか出来る、持続できる形式、を考えたら、今の仕事の形になりましたが、お金は、支払いがくるすこし前に、殆ど奇跡的に入って、入った分は速攻で出ていきます。やっぱり足りないので、銀行にもすこし借りてます。仕入もあるので、きっと皆さん笑っちゃうか、青ざめるくらいお金はないです。
でも、ubik0101さんがすきな似せビールや、ささやかですが、晩ご飯のおかずにも事欠かないので、とくにいいのです。所有していなくても、庭を楽しみます。
仕事や生活は、おそらくどの仕事や生活とも同様、とても大変です。お金があったら、・・と考えるのも楽しいものです。
思考と同じで、欲も物も、振り回される敵として、精神世界界隈では殆ど嫌われ者です。人が、そこを用いるようになればいい、と思います。
No.6911 - 2019/09/08(Sun) 23:56:40
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Re: 松の木が自由自在に枝を伸ばしています
/ ubik0101
引用
清税孤貧・・・グーグルって見ました。どうやら、すっからかん、てことも掴んじゃいけないよ。て、話かもしれません。たとえば、無所有、無欲、無私、空、因果・・・それはたしかにそでも、たとえば眼はその眼だけじゃありえない・・・耳は耳だけじゃありえない・・・手は手だけじゃありえない・・・じゃ、全体?いや、全体ということも掴んじゃいけないよ。
なにもないでもないよ。認識だって、たとえば貧乏だけど無限なものを所有してる人。というように貧乏、だけじゃ成立してないでしょう。二項対比だから変だ、ということでもあるけど、変だということを勘定にいれないでもいいけど・・・思うのですが、たとえば無我という言葉、認識なしに、無我であることはあるのではないでしょうか。人は何か体験します。あるいは、この日常。
それは無我とか、真我とか、縁起とか、認識しないでも、言葉にしないでも、そなのでしょう?なので、そんなことを言葉で掴んで、ほかの誰かが目標にする必要はないよね。だからそう目標にしてもいいということもあるけど、たとえばキリスト者が、森の生活者が、仏教者が何か体験したら、その経緯で自分の体験を解釈しがちかもしれないけど、たとえば貧乏に捕まって、それは自分の認識を縛ってしまうこともあるかもしれません。
こちらスーパーなどで半額シールを見つけると、ちょっと嬉しくなります。
No.6913 - 2019/09/09(Mon) 06:34:00
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