151529
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
宿題
「だって私が居るじゃん!」
っていうのが宿題になっていたのかもしれません。
「私」の正体を解く…という宿題。
いつか解かなきゃいけない宿題。
いつかやらなきゃいけない…とずっと頭の片隅にあって
でも、取り組み方が分からない。
取り組んでもこんがらがって放り出して、でもやっぱり取り組んで…
ずーっとどこかで気になって。
宿題を片付けないと遊べない。
遊びたかったらまず宿題を片付けろ…と。
それが人生だ…と。
朗報
そもそも宿題なんて無かったというお知らせ。
宿題があるというのがまさに勘違い。
宿題を解いて宿題から解放される…ではなく
そもそも宿題が無かった。
解かなきゃいけない「私」は、「私」という謎は、最初から、本当に…最初から無かった。
宿題は一度も出されていなかった。
宿題なんてどこにも無いのに「宿題がある…」と思って、宿題を突きつけられているような気になって勝手に気が重くなっていただけだった…
流れが滞っていたように思えてたことも
ただ「流れが滞っていたように思えてた」だけだった。
朗報!
ぜんぶ夏休みです!宿題はありません!
思う存分遊び倒しましょう!
人影のない校庭に沢山の楽しそうな声が響きわたっています。
No.7911 - 2025/02/10(Mon) 12:05:41
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
最初にこの勘違いに気付いた誰でもない誰かが言ったそうです。
我と大地と有情と同時成道す
はなっからコロす私も、コロされなきゃならない私も居なかった…という無差別大量サツ人が発生し、ラッキーなことに今なおそれが続いているそうです。
No.7912 - 2025/02/10(Mon) 15:26:14
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
どの書を見ても、エロ本でも、漫画でも、技術書でも、白紙の書でも、そこに書かれてるのは。自分て何?でもそれは読もうが読むまいが書こうが書くまいが・・・自由研究なのでしょう。
そいえば小学生の、夏休みが終わった時、宿題をまったく書かずにノートを提出したことがあります。怒るかな教師?と思ったのですが、まったく反応ありませんでした。世界もそんなことで、宿題をやろうがやるまいが、
どうでもいい・・・これは凄いと思うのです。完全に放置してるって、中々!とか万歳!とか、知らないけど、そうとうなもんです。この瞬間に世界は始まった。でも。始りもなく、でも。七日間でつくられた、でも、どうでもいい。
そいえば戦争があろうが、嫁いだり娶ったりしようが、生死が、因果があろうとなかろうと、どうでもいい。そんなことだから、自由研究、私は何?が成立するような気がします。それは楽しかった。
No.7913 - 2025/02/10(Mon) 18:53:50
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
人生は、人は、たったの数十年かそこらだ。
さあ、どうしょう!
ということを、生死の究極として汲み取るかどうか。センサーが鋭敏かどうか、にかかってる気がします。
どうやら誰にも、殆どの人の幼少期に「人は死ぬ、」という事態に切実さを持たされてるようです。そんな瞬間を、おそらく誰もが経験させられます。
動物としての性分ともいえるでしょうが、その事態に
「なぜ、生きてる、生かされる?・・のだろう」
「なぜ、死ぬんだろう、死ぬとはなんだ、」
という疑問が訪れる。・・
そして人は考えることができる。
動物との違いは、生きる上で、考えること。
探求、できること。
けど世界が愉快(不愉快)極まりないのは、
どのようにもそれを使うことができること。
極論、どうでもいい、てこと。
やる人はやりなさい、な、こと。
世界は、そうでなければならない、こと。
さあ100年。楽しく暮らそう!さあ100年、動物と暮らそう!さあ100年、旅行三昧しょう!さあ、いい音楽作ろう!作文しょう!子育てしょう!・・
さあ、さあ、さあ、・・
そして大事なことは、
たとえ誰かが世界と共に消失しても・・
不可思議、は依然として。
No.7914 - 2025/02/10(Mon) 19:36:26
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
まさに、まさに。
絶対不自由の皮を被った絶対自由。
すべて思い通りになっている。
すべての思いが叶えられている。
夏休みをめいっぱい使い倒せるって、遊び尽くせるって最高です。
No.7915 - 2025/02/11(Tue) 07:02:03
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
>はなっからコロす私も、コロされなきゃならない私も居なかった…
はなっから・・・となると、私はいないって。ことが確定しやすいのでしょうか。なんだか確定しすぎかな?とか感じてたけど。
>絶対不自由の皮を被った絶対自由。
て言い方。うん、うん、です。この世界では自由は不自由として現れる。いつかこう考えたことを思い出しました。このころは簡単に、自己責任。と呼んでいます。
No.7916 - 2025/02/11(Tue) 20:38:05
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
ありがとうございます。
分離さえ分離なしに起こっている。
つまり
分離は一度も起こったことがない。
…という意味での「はなっから」でした。
飛んでいないハエは追い払いようがない。
です。
うーん、自己責任。
起こったことの責任は起こったことそれ自身に負ってもらったらそれで充分だよね…という事だったんです。
No.7917 - 2025/02/12(Wed) 18:10:44
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
分離って言葉の意味が、よくわからないです。自分と自分の分離ってこと・・・たとえば自分は心とか精神とか魂とかだ・・・と、見てる自分と見られてる自分が分離してるってことでしょうか。
空想の誰かから見た自分、世間から見た自分。また子供のころから大人になっても、自分から見た変わらない自分。自分で感じる自分という感じ・・・あるいは世界との乖離・・・こいうのを分離と呼ぶのでしょうか。
そいうことは経緯することですが、それも全体?からすると分離ではない。てことなんでしょうか?自分はないなら分離は起こらないとか、即今ならそれは起こらない。また既知も未知ってことでしょうか。
自己責任とは。たとえば親に虐められて性悪になった。と親の責任にしたくても、実にそうしてるその人の責任。ほかの誰の責任でもない。説明ですが、同じ環境で育っても優しい人になれる。自分のことは総て自分の責任。
そいえば家の主人が庭で、ぽん、と手を打つと池の鯉は餌と思い、女中は呼ばれたと思い、泥棒は見つかったと思い・・・そんな歌?があるそうですが、まったくそれぞれの現実。それぞれの自己責任。
そこから逃げない自分の責任は自分で負う。そのようになった自分はそのように自分でなりたくてなった。っていうことを、「起こったことの責任は起こったことそれ自身に負ってもらったらそれで充分」。と言ってるような気もします。
No.7918 - 2025/02/12(Wed) 20:17:27
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
としょかん。
さあぁあああーん😭💦
いったい、
何処に行ってしまったのーっっ
て思ってしまえることですこれは。?
我と大地と有情と同時成道す、
たとえばですが、
世界と共に消えて無くなる・・
蒸発するように無くなる・・
というわけでは無論、なくて
あるない、のない。が全うされて、ほんとに、無
い。故に、
在る、てことでしょうね。失われることはない。
自分てとくに、余計なことでも、あってはいけないものでもないです。というよりはむしろ必要なところでしょうね。人が成長していく、これは自然なことでしょう。
すこし前の、それ自身に落ちて本当に跡形もなく・・というところ、・・どうも、世界と共におさらば風な感。そう読めてしまうなにか。ことさら自我、或いは未熟であったこと、を厭う感。?
ただ、システムであり機能であるところの自分として仕事する、でいいのではないでしょうか?
ほんの少し向きが違うと、大きく異なることがあると思います。
そうう。夫が性悪なヤギだったとしても、なかなかかわいい妻で、あることができる。・・それは、自身で志していくところ、いけるところ、・・自分・・て、そこはふつうでいい。て思います。
No.7919 - 2025/02/12(Wed) 22:40:54
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
ubikさん、hatoさん、ありがとうございます。
分離はない…を知る誰かは居ない
としかもう。
誰かが何かの責任を負う…という想像があったとして
その想像が、誰かが何かの責任を負う…という事態の根拠には全くならない…なっていない。
だから完璧に跡形もなく責任を全うできる…できている…という感じです。
結局…何が起こっても何も起こっていない。
この文章も含め、誰も知らない時間でも空間でもないどこかで、百花繚乱の空華が只ただ咲き誇っている…ホントにここはとんでもなく素敵な花見会場ですね。
ありがとうございました。
No.7920 - 2025/02/13(Thu) 09:58:04
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
図書館さんの行きつかれた境地なのですね。
こちらこそ、誠に、ありがとうございました。
宿題を本当に懸命にされたからこそ、
宿題がなかった。と、言えるのでしょう。
そして尚、分離を知る(知らない)誰かは居ない、と。
そんな自分は居ないよ、というなにか。
そんな、なにか、もときに役に立つかも知れません。
こちら自分は、あるでも、ないでも・・
不可思議、・・なことです。
なので、ふつうにあることができます。
なかなか大変で、ちょっと幸せな
美しい空に遊ぶ・・とは
いい修行、でしょ。
どうぞ、お元気でいてください。
No.7921 - 2025/02/13(Thu) 23:58:03
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
ない私がないと知った。なんであれ、ない、を知るには世界の総ての活動が必要。人空/色空。と呼ぶのかもしれません。
No.7922 - 2025/02/14(Fri) 06:15:21
★
ついでに、
/ ubik0101
引用
A=A。つまりB=B、C=C・・・です。たとえば赤は赤。見るは見る。喜びは喜び。これをA=Aと呼びます。では、赤と、青と、見るとか寒いとかの関係はどなってるでしょう。A〜B〜Cとかに変化する日常なくてA=Aは成立しないのです。
分類するならばですが、若葉がでて花が咲き虫が飛び実がなり紅葉する。それを木と呼ぶ・・その変化と、人が木を見る鳥の声を聞く暑さ寒さを感じ空の青さを知る・・・どうでしょう。これが、これ。これがA=A。です。
No.7905 - 2025/02/04(Tue) 06:50:59
☆
Re: ついでに、
/ 本の無い図書館
引用
A=A
それが起こる以前も以後もなく。
A=A B=B
変化があるように見えて実は何も起こっていない…と言ってみたくなります。
No.7906 - 2025/02/04(Tue) 16:51:25
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
いろんなことが見えたり聞こえたりしますが、そのこっちというか奥というか、裏というか、は、ない、です。自分で探ろうとしたら、虚無です。風景や思考のように見えたり聞こえたりすることだけ知覚されある。
で、ない、の理由を探ります。たとえば♪襟裳の春はなにもない春です。この歌。友、酒、暖炉だけではなく・・・何でもあるから・・・特定の分離された個別のことがない・・・いつも言う譬えですが、
光の総ての色があるから特定の緑でも赤でもなく黄でもなく、透明光。そのためには好きも嫌いも葛藤も善も偽善も怠惰も勤勉も苦も楽も自我も真我も時間も即今も原因も結果も・・・ありとあらゆること、ありとありえないことに満ちて
・・・特段、個別のことがないので、ない。それで風景とか行動とか思考とかの知覚されることと、それを知覚する自分を区別しないなら、不増不減、なにも起こってない、それはそうです。
No.7907 - 2025/02/04(Tue) 17:50:53
☆
Re: ついでに、
/ hato
引用
もう、・・
つまんないくらいに普通なこちらです。
庭がすっかり冬景色。
これもとてもいいです。
No.7908 - 2025/02/04(Tue) 17:52:27
☆
好雪片片別処に落ちず
/ ubik0101
引用
>龐居士、薬山を辞す。
>山、十人の禅客に命じ、相送りて門首に至らしむ。
>居士、空中の雪を指して云く、好雪片片別処に落ちず。
>時に全禅客ありて云く、什麼の処にか落在す。
>士打つこと一掌。
>全云く、居士また草草なることを得ざれ。
>士云く、汝恁麼に禅客と称せば、閻老子いまだ汝を>放さざること在らん。
>全云く、居士 作麼生。
>士また打つこと一掌、云く、眼は見るも盲の如く、口は説うも唖の如し。
>雪竇別して云く、初問の処に、ただ雪団を握って便ち打たん。
うろ覚えなので検索してみました。ひらひら雪は、どこに落ちる。もちろん虚空に落ちます。虚空とは自己。そして雪とは、あらゆる事象。見えること、見ること。聞こえること、聞くこと。考えられること。考えること。考えないこと・・・ありと
あらゆること、ありとありえないこと・・・森羅万象。それは虚空に落ちる。つまり森羅万象は、どこにも落ちません。と、同義です。虚空に何が落ちようがあるでしょう。
で、龐居士が平手打ちで、全禅客に、そこ、君にその雪が落ちてるだろう、しかもどこにも落ちない。この平手打ちの痛みはどこに落ちた。と、示します。ここで、痛みが痛みである必要はないのに痛み。雪。それを指す指。なぜそれがそれなのか、まったく知らない。
たとえば眼は見えてもなぜ見えるのか知らない。話しても、話すことが何か知らないのです。因果にあって因果の壊滅。好雪片片別処に落ちず、美しい一段です。そして雪竇・・・全禅客は、わかった、と、森羅万象である雪団子を握って龐居士、を打てばいい、と言った。
No.7909 - 2025/02/06(Thu) 20:15:01
☆
Re: ついでに、
/ 本の無い図書館
引用
…ああ
雪が雪に落ちる
虚空が虚空に落ちる
痛みが痛みに落ちる
因果が因果に落ちる
…本当に跡形もなく…
とてもシン…として清らかですね
清らかすぎて何も住みつけません笑
No.7910 - 2025/02/08(Sat) 08:49:21
★
(No Subject)
/ 本の無い図書館
引用
これはそう思った時に現れただけの空想上の物語です…
******
思い浮かぶのは空想上の遥か昔。
「どうしてこんなことしたの!!」
と空想上の母親に、空想上の幼い私が怒られている様子。
空想上の幼い私に生まれる空想上の戸惑い。
「何が起こっているんだろう?」
「とうして"私"は"こんなこと"したんだろう?」
「この目の前の緊急事態を消すためには、何か目の前の人が納得しそうな"理由"を話さなきゃ…」
「この目の前の人が生きている"世界"を共有しなきゃ…」
そんな空想上の経験を繰り返す中で
今起こっている緊急事態つまり「結果」
と、その緊急事態に至った「原因」という
「原因と結果を分ける思考法」「"理由を考える"という思考法」が定着したのかもしれません。
原因と結果をことさら分離して、その離れ離れになった原因と結果を再び繋ぎ合わせるために「理由という物語」が語られる。
そして
その「物語」によって、物語の帰属すべき「私」が、物語の所有者である「私」が召喚される…
どうして「私」はこんな事をしたんだろう?
今起こっている出来事の「理由」は何だろう?
この「原因と結果の物語」の中で、「私」は常に行為者か被行為者かのどちらかとして位置付けられ、その存在が確認されます。
そして
「物語」は単なる説明の手段ではなく、「私」の存在証明のような役割を果たすようになります。
ついには空想上で物語を物語るたびに、召喚された「私」が強烈にイメージとして定着する。
…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…
No.7897 - 2025/01/27(Mon) 12:18:21
☆
Re:
/ ubik0101
引用
No.7898 - 2025/01/27(Mon) 12:27:00に返信を投稿しました。
>…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…
そですね。空っぽ、というのを定義してみたことありますか?
No.7899 - 2025/01/27(Mon) 12:34:07
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
返信ありがとうございます。
空っぽの定義
A=A
というのでどうでしょう?
No.7900 - 2025/01/27(Mon) 13:14:32
☆
Re:
/ ubik0101
引用
それはそです。でも、空っぽ、そのこととは?です。
No.7901 - 2025/01/27(Mon) 13:30:46
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
返信ありがとうございます。
ああ、「私」って空っぽなんだな。
と浮かんだ時には
ああ、「私」って空っぽなんだな。
で完結・完成していて、もうその中に入っていけない入っていくものがない感じなんです。
No.7902 - 2025/01/27(Mon) 13:46:49
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
「私」は
「"原因と結果が分離しているという錯覚"が生じている状況」
の中でのみ影響力を持つ現象。
それで「私の中身は空っぽ」という表現が現れたのだと思います。
でも、これもまたそう空想した時にだけ現れる空想…ですね。
ありがとうございました。
No.7903 - 2025/01/27(Mon) 15:12:34
☆
Re:
/ ubik0101
引用
なにかを行動する、思考する、話す・・・そのことによって、そしてる主体が時間を遡って、仮定される。なのに予めある自分が行動する思考する話すと思い違いする。
つまりその私、自分、俺は時間によって作られた虚構。これが開示された自我の仕組みでした。それで自我には、どうしても時間が組み込まれると踏んでいます。
また、いつでも訪問ください。元気をいただきました。
No.7904 - 2025/01/27(Mon) 17:26:46
★
(No Subject)
/ 本の無い図書館
引用
こんにちは。
ちょっと伺っていいですか?
ubik0101さんの不思議な日常に
「原因」と「結果」はどのように現れていますか?
例えば
今、お腹が減っている(結果)のは、
今朝ご飯を食べなかったから(原因)
なのでしょうか?
できれば右も左も分からない未就学児に語りかけるモードで話していただくと助かります。
お暇な時にでも。
No.7893 - 2025/01/26(Sun) 09:22:05
☆
Re:
/ ubik0101
引用
うー。。原因と結果は、同じだと、いかがでしょう。腹が減ったという事実、を腹が減ったと知覚する。それは原因と結果は同時?というより、腹が減った。だけしか気になることはないようです。
ずっと前ですが。朝ご飯を食べず、昼ご飯も食べないで働いていたときに、腹が減ったという感覚を受け続けてると、そのうち空腹感もなくなって、帰宅途中などに一日一回の食事。それが普通の日常になりました。
もしかして腹が減ったということを結果とみなして遡って探ると、今朝ご飯を食べなかったからという原因に突き当たるのではないですか。そんな原因と結果。という思考方法に乗った思考をしてるかもしれません。
おおむね原因と結果の思考は有用なんでしょうが、ありもしない原因から今の結果を演繹する。また今の結果からありもしない原因を捏造する。今の状態を見て未来を空想する。とか起こりそうです。
どこか未開の国で、村の誰かが病気になると、これは隣村の誰かの呪いだ。ということで槍を持って、戦いに行くというテレビ番組を見たことがあります。原因と結果が揃えばそれは空想であっても、事実と感じられるという弊害がありそうです。
そんな原因と結果が壊滅しても、とくに生きるに支障はないのですが、なぜか塩の味は塩の味。見えるは見えるでなくていいのに見える・・・知覚、感情、意識・・・これはこれでなくていのにこれ。
No.7894 - 2025/01/26(Sun) 21:38:51
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
ubik0101さん返信ありがとうございます。
ubik0101さんの返信に同意します。
原因と結果を別々に想定するところに
「時間の経過のストーリー」
「原因から結果に至るストーリー」
「結果から原因を探るストーリー」
「そのストーリーの主人公である私」
などが生まれてくるのでしょうね。
目があるから見えるんだ。
見えているからには目があるはず。
苦しんでいるからには苦しむ主体がいるはず。
「私」がいるから苦しいんだ。
今、苦しみという結果があるなら、その苦しみを生み出した原因があるはず。
etc、etc…
みたいな…
でも、実際にあるのは「原因=結果」
原因が結果、結果が原因。
今、「そう」なのは、「そう」だから。
なら、原因も結果も無い。
原因=結果なら
時間の経過というストーリーも
原因から結果に至るストーリーも必要ない。
原因に取り組んで結果を変えるストーリーも必要ない。
なら、ストーリーの主人公である「私」も必要ない。
原因も結果もない。
今、苦しいのは 今、苦しいから。
苦しいままに何の問題もない。
「それ自体が原因であり結果である現れ」だけがある時、そこにはもう「問題」の起こりようがない。
超絶シンプルですね。
ありがとうございました。
No.7895 - 2025/01/27(Mon) 09:12:21
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
とすると
「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」も、
ただ「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」
と思い浮かんが事が原因で
「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」
という結果を生じた…
ということとは違うのでしょうか?
ubik0101さんのことなので、その可能性はもう潰してあるとは思いますが、興味本位で伺ってみました。
No.7896 - 2025/01/27(Mon) 09:25:16
☆
Re:
/ ubik0101
引用
おそらく・・・原因と結果の分離の思考は、どこから始まるか、それはどうして壊滅するか?それは神と被造物。実在と現象。真我と自我。そんな原因と結果を認めるから、世界にあって何だかの原因と結果の分離?を正当化するのだと思います。
それで神と世界とか、実在と現象の分離、真我と自我の分離がなくなることが、日常での原因と結果の分離の壊滅になったのだと思います。壊滅とは言いますが、完成と言ってもいいです。自我の死とかいわれますが、完成とも言ってます。
たとえばですが、絵の具の色を混ぜると黒に近づきますが、光の色を重ねると透明になります。ここで見えなくなっても、失うことは何もないのです。たとえばですが九九を憶えたら計算してないでも九九は生きてるです。
これはこれでなくていいのにこれ。の経緯は・・・意識はなぜ意識?という疑問から始まりました。たとえば塩の味はなぜ塩の味?怒りはなぜ怒り?これ、分からないのです。ほんとうに知らないのです。
ただ塩の味は、好き、嫌いとか、保存に役立つとか、喜び悲しみの物語によって、知覚、感情、意識はその前提にされ疑問をもたれないということで、知ってるつもりになってるだけと感じます。
それで知ってるということも何だか知らず、知らないことも何だか知らない。ここで、塩の味が塩の味である理由それも見いだされないことに気がつきました。塩の味が塩の味である必要はないけど、塩の味なんです。
なにがなんだか分からない不思議な世界です。神秘なんですが、その神秘さも失って、言葉にすれば、これはこれでなくていいのにこれ。です。ちょっと文章、その意向は違いますが、
>「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」
「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」は「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」ということはA=Aの疑問ではないでしょうか。なんか考えてる自分を二度見したり、自分が透明になってなければ、A=Aができないと睨んでいます。
No.7898 - 2025/01/27(Mon) 12:27:00
★
謹賀新年
/ ubik0101&hato
引用
あけましておめでとうございます
今年も元気に幸せにありますように
本年もよろしくお願いいたします
No.7885 - 2025/01/01(Wed) 19:59:49
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
10年以上振りに、禅友に贈る書、というブログに行き当たりました。
https://ameblo.jp/hosshinzendo/
>井上義衍老師は
>「 自体が自体である時、自体が自体を知ることは出来ない 」
>と看破しています。
とかありました。そです。けど、「 自体が自体である時、自体が自体を知ることは出来ない 」ということは認識できるのです。つまりA=Aができてるのです。
これはなぜ?ここで、「 である時 」と言う(必要がある)のはなぜ?を探る。また、「 知ることが出来ない 」、の、知る。を定義してみる。
また、この日常の自分に、「自体が自体を知ることは出来ない 」を適応してみる。思考する、思考を思考する。行動、発言・・・するしない・・・この日常。つまり一切が、非思慮です。
No.7888 - 2025/01/11(Sat) 07:30:21
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
それがA=Aでないなら、それはそれと違うことを言ってる、
No.7889 - 2025/01/18(Sat) 06:08:58
☆
Re: ついでに
/ ubik0101
引用
A=Aは人と世界の融合なしにはできないです。
No.7890 - 2025/01/18(Sat) 21:14:09
☆
Re: ついでに
/ ubik0101
引用
A=Aということは、無我ということです。その話すことが、その話すこと。その思考が、その思考。その行動が、その行動。お茶を飲んだり運転したり・・・ふつうの日常。
No.7891 - 2025/01/19(Sun) 20:43:39
☆
Re: ついでに
/ ubik0101
引用
どでもいいですが、死霊、という小説に、自同律の不快。とあるそうです。どんな物語か知らないので、その言葉だけで探ると、A=Aでない自我な自分が嫌いだ。となりそうです。なにかになりきる、
ありきることができない。そんな人は必然的に、正確にA≠Aです。またそしてA=Aはまだるっこい、A、それだけ。でありたい、ということかもしれません。その思考に、その感情に、
その知覚に。発言。行動に・・・世界に・・・目を奪われて自分を奪われて自分を見失う。ことが嫌いだ。そんな自分があると感じるかもしれないけど、ない。のです。
ないのにそれを失いたくないと、守ってる。守るには意味があって、失いたくない、ある。を求めてるかもしれません。この生きてることにあって、そんな探求が可能です。
No.7892 - 2025/01/22(Wed) 21:04:45
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