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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

/ ubik0101
たぶんですが、おそらくですが、証明できませんが・・・自分で感じる自分は・・・自分という感じが自分にあるということは・・・自分が勝手に空想してる世間から見た自分。履歴、職歴、病歴、年齢、

性別、名前・・・過去、未来、今・・・ありもしない空想の因果。事実の因果。そいうのが映ってる幻のようなことかもしれません。そしてまた年齢を重ねても変わらない、なにか普遍の心、精神、魂。

そんなのが映る・・・ありたい自分が見えてるのかもしれません。そんな役を、自分で感じる自分が担当してるのかもしれません。あんまり証明にはなりませんが、

この自分で感じる自分。というのがない・・・一人ある、この日常は。ほかの誰かから見た自分、世間・・・過去、未来、今・・・心、精神、魂。そいうのが、まったくないです。

No.7865 - 2024/09/28(Sat) 22:33:04
まあ、あれですよ. / ubik0101
雨が降っています。
こう思考しても、思考しなくても。
雨が降っています。

No.7849 - 2024/08/27(Tue) 21:36:08

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
そう思考しなくても、
そう、なことを、そう、思考してるだけです。

No.7850 - 2024/08/27(Tue) 21:37:39

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
なんでもいいですが、たとえば、
うどんがなぜ
うどんの味なのか・・・見えるがなぜ見えるか、
怒りががなぜ怒りか、思考ががなぜ思考か・・・
意識がなぜ意識か、つまり
これはなぜこれか、なにも知らない・・・ここは、
縁起の順観と逆観の分水嶺です。

No.7851 - 2024/08/31(Sat) 06:13:44

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
たぶん仏陀に、
縁起はなぜ縁起?と聞いたら
きっと面白いだろう。

No.7852 - 2024/08/31(Sat) 06:26:42

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
これはこれでなくていいのにこれ、です、
No.7853 - 2024/08/31(Sat) 06:27:37

Re: まあ、あれですよ. / hato
晴れのごちそうぶどう、・・てなんて素敵なんでしょう。
やっぱ、これです。

No.7854 - 2024/08/31(Sat) 21:40:10

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
なんでもいいのですが・・・こんなことは生まれて初めてのことだ。とか、聞いたり言ったり、することがあるかもしれません。そんなとき、ちょっと恥ずかしいような、気まずいような気がしないでしょうか?

だって、生まれるということが、世界ということが、気まずいというようなことが、いったい何なのか、知りもしないのです。知ってることが何なのか、知らないということが何なのか、知らないのです。

たとえば見知らぬ惑星に一人で投げ出され、その自分もなんであるか、まったく知らない。これは何なんだ。なのに・・・なんでもいいですが・・・小学校に行ったら、女先生だった。友達100人できるかな。

No.7855 - 2024/09/03(Tue) 15:06:57

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
なんだか経験して、知ってること知ってると思い込んでることを結びつけて意味づけし、わかったような気になって、それに絡みつかれて気がつかないでるかもしれません。葛藤、と呼ぶそうです。
No.7856 - 2024/09/03(Tue) 15:08:05

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
ここで・・・なにも知らない。がいいことだ、とか言いたいのではありません。ぽっと生まれた感じで、なにも知らないが、当然でないでしょうか。そしてその自分についても、なにも知らない。怒ることもあるでしょう。

悲しむこともあるでしょう。思考することも、しないこともあるでしょう。感情がなぜ、感情か、思考がなぜ思考か、そしてる自分がなぜ自分か、なにも知らない。です。繰り返します。

♪もーいくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて・・・あーそうなんだ。夜になったら布団で寝てるな。いまはまだ正月ではない。時間がたつと、正月がくるんだ。餅なんかも食べる・・・不思議・・・雨が降ると天気が悪い。

No.7857 - 2024/09/03(Tue) 15:12:05

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
風邪をひくと熱が出る。薬を飲むと熱が下がる。親から怒られたら厭だ。厭だから、いい子になろう。厭だから自分を守ろう。厭だから離れよう。貧乏だと苦労するから厭でも勉強しよう。好きだから勉強しよう。

なんだか訳のわからないことだけど、なんかとなんかには、因果関係があるようだ。誕生日、記念日も祝うから祝いの日になるんだ。それが嬉しいと想うから嬉しい・・・物理的?な因果、予めの判断による空想の心理的な因果、勘違いな因果がありそうです。

No.7858 - 2024/09/03(Tue) 15:15:11

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
みんな知ったかぶりです。なにも知りようがない・・・だけど何かと何かに関連づけられたことは、知る。わかったような気がする。それが事実の、また空想の因果でも。世界を学ぶような気がする。だとしても、

なんでもいいのですが、ある歌手が「死ぬときは死ぬから、笑顔で生きたいよね」と言ったそうです。死ぬときは死ぬから、(未来に起こるであろう仮の原因)、世界をくまなく旅しよう(望ましい結果)。死ぬときは死ぬから、

一生学ぼう。遊んで暮らそう。知らない誰かのためにも、働こう。死ぬときは死ぬから・・・原因も結果も、なんでもあるでしょう。雨が降ったら天気が悪い・・・因果をつくれば、知った気になる。そんな運動が起こってるのです。

No.7859 - 2024/09/10(Tue) 18:43:18

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
そんな心理的な、空想の、あるいは事実、現実の原因があって何か分かったような気になったとして。そのような仕方で、仮に世界の総てを知ったつもりでも、その自分は知らない。

まあ、金持ちになって余裕の生活をしても、貧しくて心配な生活をしても、余裕がなぜ、余裕か、心配がなぜ心配か、塩の味がなぜ塩の味か、これはなぜこれか、誰が知ってる?適当な因果をつくって説明して自分を騙すとしても、

人生の何が解決されたというのでしょう?それで、内側と外側とか、身体と心とか・・・そのあたりから始めるならもうアウトで、なにもなく、なにも知らないから始めるのが好ましいです。

でもなにか知ってることからしか始められないなら、その自分の思考、発言、行動の隠れた前提を探る。何でもいいですが、いつまでも噂話するそいう自分の状態は、どいうこと。悔やんだり妬んだりするその自分の状態は、どいうこと。

なんだか知ることが出来得るとして・・・そいうことを思考、話す、行動する、その、自分の有様。嘘を言っても、事実を言っても、勘違いしても・・・死ぬときは死ぬから、ああだこうだ・・・学ぶことが出来得るのは、

No.7860 - 2024/09/10(Tue) 18:46:00

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
そしてる、その自分の状態です。自分で自分を知ろうとする、これが意識の機能です。また意識が意識の機能を学ぶのです。意識は対象、内容がなければ機能しない。空間、時間の差がなければ機能しない。

たとえば仮の自分を設定して、それは眼の奥、胸の奥に想定して、それが死んでも死なない自分。ほんとうの自分だと思うかもしれません。このように、自我を真我と思うようです。

そならば、それを見てる自分はなんだろう。偽の自分?ならそれが、真の自分を見るとしてそれは妥当?こんな奇妙な状態は、その自分が虚構だと理解するまで、続くようです。

No.7861 - 2024/09/10(Tue) 18:48:12

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
なんであれ、結局、なにか日常は、自分を知ろうとすることです。若くても年齢を重ねても、グーグルの口コミを書いても読んでも、知人と仲良くしても、喧嘩しても、公共の活動しても、何か誰かに話しても話さないでも

世界の情勢を鑑みても、憤慨しても、喜んでも、運動しても、感情が動かなくても、事実の思考をしても、しなくても・・・自分を知ろうとしてもしなくても、ふざけても真摯でも、なんであれ、自分はどんな状態か?と探ってるのです。

No.7862 - 2024/09/17(Tue) 06:23:08

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
また何か・・・なんでもいいですが、私はない、また私はある。私は魂。とか、こんなことを聞いたとします。そしてその後のあるときまた、私はない、とかあるとか魂とか、思い出したり聞いたとします。すると、あ、それ知ってると、

あれがあれで、それがそれだと架空の因果をつくって、思考を展開して、知ったかぶりで自分を騙すとしても。また、何でもいいですが・・・なにも知らない。と聞いて、そりゃ、かなり変。馬鹿?と感じるとしても。そうだ。

たしかに私も何も知らない。また興味が無い、と感じるにしても、結局。その、その自分の状態を、その自分が分かるようにそう思ってるだけです。そしてそのことそいう事実、どんなことであれ日常が、私は何?という問いかけです。

No.7863 - 2024/09/17(Tue) 06:27:36

Re: まあ、あれですよ. / ubik0101
そう見ると、泳ぐ魚にとっての水のように、飛ぶ鳥にとっての空気のように、そでないことなどないくらい、当然、なことなので、見逃されてるかも知れません。

そこで、若くても年を重ねても変わらない、自分で感じる自分という感じ・・・それは一応の基準として機能する、そいうのがコロコロ変わったりするなら、なにか学ぶ、理解する基準が変わるので、それは

確実な理解とはならないので、仮にも立てられた主体ではないでしょうか。さらに。なにか行動する、発言する、思考する・・・そのことは、自分で自分を知ろうとする機能ですが、それは、

そのことによって、自分で自分をつくってる。ということでもあります。それが影響なくスムーズに出来るように。そのなにか認識できないけど、手に届かないけど、そんな普遍の心とか、精神とか、魂とか、仮設されるようです。

No.7864 - 2024/09/17(Tue) 06:48:07
名称と形態3 / ubik0101
>ブッダの言葉 (スッタニパータ) 第四

>【11、争 闘】

>874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。


では、ありのままに想う者の想いとは、どんな思いのことでしょう。たとえば、a=aの思考、因果関係による思考。科学的、数学的な思考。事実そであることの、思考。などではないかと思われるかもしれません。でも、なぜ、ありのまま思う者でないことが推奨されるのでしょう。

そして、誤って思う者の、思いとはどんな思いでしょう。たとえばあくまで簡略な説明ですが、雨が降ってる。は。言葉にならない状況を言葉にしてるだけです。雨が降ってる。それだけです。でも、それだけでなく、雨が降ってる、天気が悪い。なら、

思考上では・・・雨が降ってる、でも、おおむね農家は喜ぶ。を排除してる。なので雨が降ってる天気が悪いは、そ思うその人の状態が前提にされてる。なにか前提が先にある思考は、その自分勝手な、正確ではない思考かもしれません。

また、ありもしない原因から結果を想定する。あるいは結果から、ありもしない原因を想定する。愚かな人はこんな状態で、その自分が愚かなことを自分に知らせるために愚かな思考をするのですが・・・愚かであることにも気が付ない愚かかもしれません。

No.7836 - 2024/06/21(Fri) 21:22:59

Re: 名称と形態3 / ubik0101
なんであれ、その人なりの意見があるでしょう。ありのままに思うこと、誤って思うこと・・・それはなんだかの基準で定義されたり・・・定義、根拠なく、ありのまま、誤ってると主張されたりするかもしれませんが・・・それは、どうでもいいのです。

たとえば技術的な思考、科学的な思考、数学などの公式だって。雨が降ってる。だって、この私の意見だ、この私が知ってる、誰かは知らない、とかであれば、誤った思考と違いはありません。そのような思考によって、その自分がつくられる。それは問題だ。です。

なぜか?それは思考する自分がある。自分で感じる自分があるからです。それは、その私が私でないから私を感じるのではないでしょうか。完全に私が私なら私を私が感じるのは変なのです。

No.7837 - 2024/06/21(Fri) 21:31:23

Re: 名称と形態3 / ubik0101
なんであれ思考によって、その自分がつくられてるということは、私の原因が、私ではない、ということです。また、思考は単なる知覚です。星や、月や、花や、風のように、単に見えることです。どんな思考であれ、ならば、なんの問題も無いです。

なんでもいいですが、自分から見た神から見た、自分から見た親から見た、自分から見た友人から、ほかの誰かから見たとして空想される自分。世間から見た自分。自分から見た世間。自分で見る自分。自分から見られる自分。どっちが自分?たとえば魂があると考えてるその自分は何?

これらはなんであれ、その自分が自分ではないのです。それでいいならそれでいいのが世界の凄いところです。自我のまま一生を終えたいというなら、その人の自己責任。その人のことはその人に完全に任されています。

No.7838 - 2024/06/21(Fri) 21:38:39

Re: 名称と形態3 / ubik0101
まあ世間には、思考が自分だ。という思考もあるようです。もしかしてです、思考は知覚できます。思考してる自分は知覚も、認識も、自覚もできません。それで知覚できる思考が自分だと想う、感じることができるのではないでしょうか?

ちょい実験してみましょう。リラックスし椅子に座ったりしながら、気に入った音楽を聴いてみましょう。眼を閉じてもいいです。その時、自分で、どこか気を回して、たとえば背中を感じてみます。感じてるのはそこだけです。そこで、たとえば、腹、胃や肝臓あたり・・・足、

つまり自分が感じてない身体のところ、それに気をつけます。つまり自分の身体が感じられない、そこに注意します。そこで聞こえてる音楽が、自分の身体ではないですか?

つまり、知覚できること、ここでは音楽を、意識?自分?は拠り所にして身体とみなすのです。これ、うまくいくと、自分が感じられない自分、について、自分て、透明だ。に気がつくことがあるかもしれません。

No.7839 - 2024/06/25(Tue) 10:03:05

Re: 名称と形態3 / ubik0101
つまり、思考が自分だ、あるいは思考の束が自分だ、とは。自分を知覚でき得ない自分が知覚できる思考を自分だと想うのかもしれません。でも、もし思考が自分とするなら、行動も、話すことも、その束とかが自分ではないでしょうか?

なぜ思考だけ?それは意識が自分だという前提があってのことではないでしょうか。思考が自分だ。は、そのフィールドとして仮定された意識。それが自分だ。でなければ成り立たないのでは?意識とは単に、自分で自分を知ろうとする機能では?

繰り返します。思考によって、その思考する自分がつくられます。そんな、自分は思考だ。という段階?状態?もあるのですが、それはその自分が、思考、言葉に育ててもらってる自我の状態です。思考を使うのではない、使われてる。

そこでは、自分が何を思考してるかも判らず、思考させられています。それと、思考が自分なら、行動だって、話すことだって、自分と考えなくては、ならないのでは?自分がなにを行動してるか話してるか、わからないこともわからないでは困ったものでは?その思考、思考の束、言動の束の中心は、ない、のでは?

No.7840 - 2024/06/25(Tue) 10:13:39

Re: 名称と形態3 / ubik0101
そのように思考させられてる、行動させられてる、話させられてる・・・それが問題なのは、させられてるのに、それを自分で能動的に行ってると勘違いするところにもあります。といって、なにも受動的である必要はないです。

これは世界が手取り足取りして、その人にその自分を学ばせようとしてるのです。またこの思考は私がした、あの行動は私がした、その話をしたのは私だ。また私の思考、私の行動、私の話・・・その私は、その自分を自分で見よう、

知ろうとする意識の機能が設定した、時空の歪みで可能になる、自分で感じることができる私でしかないです。また自由意志の問題もあります。そこにずっといたいのでなければ、こいうことを探ることが、扉になります。そのことから、そのことを学ぶのです。

No.7841 - 2024/06/29(Sat) 20:18:48

Re: 名称と形態3 / ubik0101
ところで風景が自分だ。向こうから歩いてきた知らない誰かが自分だ。という体験は、この自分は自覚でき得ない、それで自覚できる対象が、自分だ、と感じるのかもしれません。

つまり自覚できない、これ、が自覚できないとして現れず、意識されず、現前されず、という方法?で、そこはかとなく、これ、を示唆してるのかもしれません。

No.7842 - 2024/06/29(Sat) 20:20:07

Re: 名称と形態3 / ubik0101
そいえばですが、身体が自分だ。と言う人が、実際にいました。そこで、知覚できることは、見る聞くも、感情も、思考も・・・これでない、これでない、これでない、とやって行けば、

必然。真我を見つけることになるかもしれません。それでいいならそれでいいのが、世界の凄い特質です。そうですね。私には、年齢も、性別も、名前もない・・・ただそれだけです。

No.7843 - 2024/07/01(Mon) 20:29:11

Re: 名称と形態3 / ubik0101
そして、思考がないことは問題だ。です。想いなき者とは、説明としてですが・・・なにかそのことにかかわらない者、かかわらないので、そのことに思いがない、ことに気がつく者。たとえばですが、

どこか過去でも未来でも外国でも宇宙でも・・・知らない誰かが生まれて、なんかして、なんかしなくて、その一生を終えたけど、知るよしもなく・・・意識の範疇にないこと。に気がつく者。

あるいは。知らない誰かにとっては、この私は知らない誰か。とくに自分を重視することなく、承認要求のない人。なんであれ、見る聞くが、喜怒、感情が、思考が、こう、でなくていいのに、こう。なにも知らない日常。

あるいは、赤信号で止まる。青信号で進む。それで、空想の因果によって、その空想をする、空想の自分をつくる必要がない。事実の因果によっても、自分をつくる必要がない・・・です。

それは実際、思考が・・・あってもなくても、因果があっても、なくても・・・そのことによって自分がつくられない。自分で感じる自分がない。です。してること、考えてること、話してること。それそのこと、が、それそのこと。です。

No.7844 - 2024/07/08(Mon) 13:45:15

Re: 名称と形態3 / ubik0101
このように、自分がない者の、どうしてそれが問題なのでしょう。仏教では、自分がない、ということは、大事だと想います。しかし、それは問題だ、です。しかし、この、ない、ということは、どいうことでしょう?

どなたか・・・ない・・・を定義してみてもらえないでしょうか?私は、仏教者でもなく、研究者でもなく、間違い過不足があるかもしれません。

たぶんですが、私はあるでも、私はないでも、中道ではないということかもしれません。いかなる体験のことではなく、この普通の日常にあって、中道ということ。

No.7845 - 2024/07/08(Mon) 13:54:58

Re: 名称と形態3 / ubik0101
ついでに言うと・・・たとえばカルマとか・・・それは眼も眩む複雑な因果から生じた問題ではなく、単に、自己責任から、逃げるということです。自己責任から逃げる人は。真実にも誠にも無関係な人生です。
No.7846 - 2024/07/08(Mon) 13:57:36

Re: 名称と形態3 / ubik0101
ちょい復習します。大事なことです。なぜ人は執着するか?執着とは何?それは誰かが、生まれ育った土地、文化、人間関係、社会制度に接触して・・・損得、快不快、好き嫌いによって判断し・・・

それに捕らわれること・・・それはまず自分が先立ってあって何かに執着すると、その自分が前提にされていますが・・・ではないです。まったく逆です。そんな環境、生活・・・見たこと聞いたこと、

思考したこと、話したこと・・・あるいは住んでる家、自分のまた誰かの自動車、庭、記憶、友人、家族、犬、猫、映画、音楽、技術、文化、風光・・・あれこれで、その自分がつくられる。ということです。なのでその自分の原因から、その結果の自分は離れ難いのです。

もし20年生きたら20年、100年生きたら100年、それに気がつくチャンスは、毎日のようにあります。この執着の仕組みを理解すること、たぶんそれだけが、執着の解決です。

No.7847 - 2024/07/11(Thu) 20:47:14

Re: 名称と形態3 / ubik0101
そして想いを消滅したとは、思考が完成されたので、その思考を探る必要も無い。たとえばですが、ジグソーパズルが完成されたら、もうパズルとしての動きは停止されます。光の三原色を重ねると、透明になります。そのように消滅します。

なんだか世界には意味が無いという思考がありますが、たとえば事象から意味を剥ぎ取った意味が無い、ではなく・・・世界は総ての意味に溢れてるので、コンプリートされてるので、個別の特定の意味がない、です。

その体験としては、私はあるです。でもこの日常。たとえば自由意志があるとかないとかもなく、なんの問題もなく、たとえば世界はこのように雨が降っても晴れても風が吹いても止んでも、因果もなく展開されてる。

なんでもいいですが、善と悪の両極端がないのではなく、傲慢と卑下の両極端があるからその中間があるのではなく、総てが機能してるから、その中間もない者。なんであれ、あるでも、ないでもなく、中間でもなく・・・自分があるでもないでも、ない者。それも問題だ。です。

繰り返します。意識とは、自分が自分を知ろうとする機能です。それを自己と見做す誰かはいるかもしれません。それは自己ではないです。人の意識が完全に機能すると、意識に依存しなくてすむようになります。正しい思考、誤った思考、思考のない、思考が消滅した。とは意識・無意識の範疇です。

この、ありのままに想う、誤って想う、想いなき、想いを消滅した者・・・でもない者・・・その思考してる私を感じる。あるいは、思考してもしなくても私はない。私はあるでのないでもない、でない、その者・・・形態がコンプリート、機能のしようがないということです。

もっと巻単に言うと・・・思考があってもなくても・・・それに依存しない者。つまり意識・無意識の範疇にない者。それは総ての状況を経緯し、それを得るわけでも、それを失うわけでもない者。形態の機能が起こりようがない、です。

No.7848 - 2024/07/15(Mon) 19:18:34
(No Subject) / hato

さてこちら、なんともあれこれ詰め込み満載の初夏で、加齢も相まってちょっとついていけてない・・ような日々です。身体と精神という道具を大切にして、出来るところを頑張っていこう!と言ってます。

そんな5月のとある日。なんと、懐かしい一読者さんが、ふいに、(本当にふいに、)静岡に立ち寄ってくれました。思えば、・・ええ!?、15年も前!??(驚けます!!)。神奈川の小さなアパートに、愛車を飛ばしてご遠方から、会いに来て下さったのでした。遠方ったって、ほんとの遠方ですよ。こちら逆バージョンで行ってみたいけど、うう〜ん、スキルが・・足りませんもんねね、


天竜川沿いを三人で走り、遠州空っ風が吹く汽水域へ。とってもサプラ〜イズな、素敵な一日半でした。

No.7833 - 2024/06/18(Tue) 00:52:01

Re: / hato

その後はラインを駆使して、ときどき、様子を伝えあったりしています。ありがとうございました。☺☺

No.7834 - 2024/06/18(Tue) 00:52:17

Re: / hato

本当に様々な様相の世界です。生きているのが、不思議なくらいなんでしょう。縄張り争い、あらゆる欲の張り合いのなかで、それでも、この成長を妨げられないと。そんなわけにはいかないよと。それくらいの意気で進む、ことなんだろう。

No.7835 - 2024/06/18(Tue) 18:35:25
名称と形態2 / ubik0101
そもそも歴史って何?どこかの現代以前の誰かの言ったこととか見たことからの又聞きだろ?歴史の教科書だって、書き換えられることがあるだろ?ほかの国でのそのほかの国の歴史は捏造されることもあるだろ?

なんか学者とかが頼りにする、ずーと昔の何だかの古書もそうかもね?あるいは偽書、口伝とか、超古代の大陸がどうとか、宇宙人がどうとか。そんなの言いふらす人もいる。

そんな歴史とこの自分との関係はどこにあるんだ?自分が見たことなど、なに一つないんだ・・・他人の褌(ふんどし)で一人相撲・・・そうだ。そんなことではなく、いま目の前に展開してるこの風光、これが歴史を見てるてことじゃないか。

これは・・・歴史って、過去のことだという思い込みがあった。この現代にあって何十年かは生きる自分。不思議・・・そこに蠢く傲慢、知ったかぶり、特別感、優越感、思い込み・・・自我の機能・・・が歴史を過去のこととすることを成立させてる。

No.7815 - 2024/04/08(Mon) 07:39:50

Re: 名称と形態2 / ubik0101
で、過去としての歴史は、初めからなかったように雲散霧消します。世界は明るく透明で、私の知らないことで一杯です。隠れた前提は隠れてなければ・・・なんかの怪しい組織の黒幕は隠れてなければ・・・成立しません。

この自分で自分を騙してる。なんとなくは感じるんだけど、それを露わにするだけです。虚空から掴み取るように思考するのです。また自然に任せ、自分の知らないところで、変化が起きるのです。

三島なんとかという小説家が、どこかの自衛隊の基地だったかで何かの事件を起こしたときに感じたことを言葉にしてみました。理解することは、得ることより、失うことに似ています。

たとえば時計の仕組みを見るために分解すると、動かなくなるけど、なくなることは何もない。安心して、自分が自分だと思う立場を失っていいです。

まあ。どこの誰が、歴史を知らなくては逝けないとか言ったとか知らないけど・・・もしかしてですが、ただ言ってるだけで、ほんとに真剣に望んでるのではないかも知れません。経験則ですが、自分から生じた問いは必ず解けます。

No.7816 - 2024/04/08(Mon) 07:41:32

Re: 名称と形態2 / ubik0101
どうすればいい?心をこめて、精神をこめて、魂をこめて、思考するのです。血と汗と涙の努力をするのです。なんか精神世界あたりでは、思考は悪にされるようですが、違います。その人の状態を思考は正確に表してるだけです。
No.7817 - 2024/04/08(Mon) 07:42:38

Re: 名称と形態2 / ubik0101
またひとつの事例。たとえば・・・塩は。役に立ちます。昔の人は塩を舐めながら働いた。それは、自然の海水を濃縮して作った塩でなくては。自然はいい、合成塩は駄目。という意見があります。だけど、観察してみよう。海の水からつくられる塩は、

PCB、水銀、ナノプラスチック、放射能そのほか有害物質が含まれてるんじゃない?それも濃縮されるんじゃない?それにどんな塩だって体重60キロの人で180グラムも摂取したら、コップ半分位だが、命が危ない・・・けっこう毒性が高い。醤油も1リットルが致死量。純水にも致死量がある・・・自然には、毒も薬もある。

薬が毒になることも、毒が薬になることもある。それだけのことだ。誰かから聞いたことを、信じて、偏ってただけ。問題はこの自分の、特別感。傲慢だったから不正確な知識に依存して私は正確に知ってるとしてきた。でなければ、そんな硬直した思考はできない。

とある思考には、その反対のことと、類似のことと、関係ないことがあります。そのどこかに縛られていては、思考さえ存分に機能してないです。機能してないから、十全に機能してないから、自分の意見というのがあった。なにもこの私が主張でき得ることはなにもない・・・です。

No.7818 - 2024/04/08(Mon) 07:55:19

Re: 名称と形態2 / ubik0101
このようなことは、世界の総てを、もちろん自分がどう機能するかを知るための、経緯とも言えます。それで、何をしようとしてるのか?それは必然、ない、を了解しようとしてるのです。

まず人は生まれ、成長しながら、言葉を、九九を憶え、友達ができ、喧嘩し、悲しく、別れ・・・結婚し、海外旅行し・・・結婚せず、どこにも行かず・・・いろんな経験をすることしないことをし、思考し思考せず、自分の機能を知り、全世界を取り込もうとします。

そこで、ない、は森羅万象。を。たとえば、家の中にいるとして、鍵でも、猫でも、小さな虫gでも、探そうとすることに例えられます。それが、ある、ないと判るには、その家の総ていっぺんに見渡さないと不可能です。キッチンを探した、

あるはずのものはない、居間を探した、そこにも、ない・・・ないはない・・・トイレを、天井裏を、絨毯の下を・・・そうこうしてるうちに捜し物は、ほかの部屋に行ってるかもしれません。隅から隅まで。ある、は、見つけると解決です。

一度に見渡せなければ、ない、は確認できません。ない、を。了解するためには、総てを一時に見渡す必要があります。逆に言って、総てを見渡せば、ない、が発動されます。あるが発動します。

なにか人があって人生は、実はそうしようとする運動なのですが、事態は、逆です。そんな経験した断片にしがみつく、どちらかと言えば簡単な見えることにつまり依存する、あるでありたい自分。ない自分から逃げる自分。

でもそこで、そんな自分の機能を学ぶ、偽善も、嫉妬も、傲慢も、不平等も、平等も、嘘も事実も、損得も快不快も好き嫌いも、意識されることも、されないことも、総てを見ようとしてるのです。ない、を了解するために。

No.7819 - 2024/04/08(Mon) 08:18:38

Re: 名称と形態2 / hato

桜の花が、咲きました。

No.7820 - 2024/04/08(Mon) 22:17:37

Re: 名称と形態2 / ubik0101
どこかで聞いた話ですが、雪の中で暮らすエスキモーには、いろんな意味の白という言葉があるそうです。知りませんが、軽い白、暖かい白、動いてる白・・・この部屋を見渡しても、カーテンの白、紙の白、壁の白、時計の文字盤の白・・・あらためて違うのに気がつきます。

ところで、ない、と言っても様々です。思考がない場合・・・世界がとても静かです。思考してる主体がない場合・・・世界がとても鮮明です。主体も世界もない場合・・・意識だけがある、その意識も無い。とかが体験されます。

たとえば・・・自我は、時空の歪みによるマジックでつくられる虚構で、その中心は、ない、です。それに気がつかないで、それに巻き込まれていると、たとえば死んでも死なない自分。いずれ天国に行く自分。自分で自分を見る意識の機能が働き、空想と事実の区別なく、

これまで年齢を重ねても変わらない自分・・・つまり自分が見る自分。が、ある、と感じるかもしれません。風景が自分だった。向こうから歩いてきた知らない誰かが自分だった、ということは、見た聞いた思考した言動でその自分が作られる自我の機能に気がついた、ということかもしれません。

ここは・・・どこであれですが・・・いろんな理解や誤解が経緯になるので、これはこれしかない、という意見はできないですが・・・それは、総ては一つとかに、結びつける因果はないと思います。因果については、ありもしない因果を人は空想しそれを事実として受け入れることもあります。

ラジオを聞き流してると、リスナーが、男性脳、女性脳とか言う、いふぉこ?という脳科学者?に、とても苦しいから人生を自分で終わらせようと考えるとかの相談をしてました。それで、私は幸せを感じるとき、これで終わっていいと思うとか答えていました。なんであれ、それでいいならそれでいいですが、

No.7821 - 2024/04/15(Mon) 08:14:27

Re: 名称と形態2 / ubik0101
嫁の取説とか、息子の取説とか、知りませんが、たくさんの本を書いてるそうです。どうかな、自分の取説という本を書いてるのでしょうか。もう誰にしても、ほかの人のことはもう十分です。自分のことをすればいいです。

苦しくても幸せでも、そのことと、人生を終わらせることの因果は、どこにもないです。その人が勝手に作ってる因果です。そいえば仏教は因果を教えるということを言ってる馬と鹿がいるそうです。仏陀は因果の生起と壊滅を教えてるのです。それに、誰かがどうしたこうしたというのが因果ではないです。

また、たとえば過去はない、なら未来もない。なら今がある・・・なら、その今の自分があるかもしれません。それは自分で自分を見る意識の機能が、瞬くように繰り返し自分を見てるかもしれません。過去も未来もない、そこで、

今もないのです。今は知覚も、認識もできません。なんであれ、これはこれ、ほかの原因を要しません。原因と結果が同じ。過去もなければ未来もなく今もない、です。ありとあらゆる意味があるので、特定の意味がない・・・ここでa=aになります。繰り返しますが、違う経緯はあるかもしれません。

たとえば九九を憶えています。それで花の種を植えたり、水を撒いたりしてて、さて、まったく思いもしないでも、九九は生きてるのです。ピアニストは、ご飯を食べてても、ピアニストです。まったく、忘れてても、なくなることは何もないです。私は、ない、ということは、その自分が、まったく、自分だ。私は、私だ。ということです。

No.7822 - 2024/04/15(Mon) 08:15:09

Re: 名称と形態2 / ubik0101
ほかの言い方では、私はある。ということです。あるはあるにありきって、ない、です。それは、それを見ることが出来ない、知覚とは差の認識、という単純な理由です。自分を見る自分も、自分から見られる自分もないです。
No.7823 - 2024/04/15(Mon) 08:16:14

Re: 名称と形態2 / hato

ツル日日草。

春の楽しみのひとつ、青い絨毯が広がります。

No.7824 - 2024/04/15(Mon) 21:26:47

Re: 名称と形態2 / ubik0101
ところで、思考を使ってみます。なんでもいいですが、単なる例ですけど・・・いふぉこ?がラジオで、好きの反対は憎しみではない、無関心です。と言ったそうです。そだとして、では、その憎しみの反対は、なんでしょう?

ここで言う好きとか憎しみは、意識される範疇にあります。けど、無関心は、そんな意識の範疇にないことです。それを対比することは思考の歪みがなければ、できません。

おそらくですが、私はあなたに関心がないの、と言われたり、そいう素振りを見せられたり、誰かが自分にそうしてると空想すると、無関心が、意識の範疇に無理に入ってきて、そこで言う、好きの反対になるのかもしれません。

そうならばですが、好きの反対は無関心という思考をするのは、好かれたい人、承認要求の人、自己顕示な人、ということを示してるかもしれません。サイコロの6が見えるなら裏は1。思考はその自分の状態を正確に現しています。もちろん、

なんであれ、その人はその人の日常があるので、いくらここで何を思考しても、事実無根の空想です。その人が探る。その人がその人を探らなければ、事実でないです。つまり誰かを探るより、自分で自分を探るのだけが事実です。

もしかして、テレサが言った、愛の反対は憎しみではなく、無関心。というその愛は、神の愛のことを言ってるのか知れません。それなら神の憎しみも愛の範疇ということでしょうか。テレサは、神を、愛を、定義したことがあるのでしょうか。

No.7825 - 2024/04/22(Mon) 07:55:16

Re: 名称と形態2 / ubik0101
このように思考の反対を思考してみる。たとえば傍若無人だったり、強い主張をすることを自我とするなら、謙虚なこと、正しいことも、自我ではないか、と思考します。また経験が大事なら、経験しないが大事も。経験が大事で無い、経験しないが大事でないもあり、それぞれ違う風景が展開されます。

また、とある思考をそれ自身に対して適応する。たとえば執着しないと主張するとしても、つまり執着しないことに執着することをしてないかと、思考できます。執着しないことにも執着しない、と思考できます。

ある人がニュースを見ながら、政治がなってない、日本人は馬鹿だ。と言います。そこで、あなたは、日本人の中に入るんですか?と聞いてみましたが、ま、何を言ってるかも判らないで言ってるだけなので、質問の意味もわからないようです。

知ったことでないですが、その自分は日本人に勘定されないほど高級国民か低級国民なのでしょうか。自分のことを勘定に入れず、誰かのために尽くすというのは、賢治君でしたか、そんなこともあるのに、です。

実際、総ての人が幸せにならなければ私は幸せにならない、と言う人が本当にいました。まず、自分が幸せにならなければ、誰もを幸せにできない、という思考もあるでしょう。でも、幸せって、どいうこと?定義してみるのもいいです。

そして、なにかの意見が起きたら、それをありとあらゆることに適応してみる、ということも有効です。たとえば好きな人に親切にするなら、嫌いな人にも、知らない誰かにも、同じことができるか実行しなくてはなりません。

しかし、それが誰であれ・・・、欲深い、また狡い、恨む人、嘆く、愚かな人・・・であれ、その人がそうなのは、その親のせいでも、その知人のせいでもないです。環境のせいでもないです。その人の責任です。そんな人に関わる必要はないです。そんな人にならなければいい、というだけです。

まあ、やたら嘆く人は、その自分が嘆いてることに気がつかず嘆き・・・嘆きべきでないことに嘆き、嘆くべきことを嘆かない、そんな傾向にもあるようです。

No.7826 - 2024/04/22(Mon) 08:04:55

Re: 名称と形態2 / ubik0101
もちろん自分のことは完全に自己責任です。おおむねですが、快不快、損得、好き嫌いに囚われると、自己責任から逃げる傾向にあります。自己責任は大事な要件です。また、そんなことを思いだにしないというのも、その人の事実、自己責任です。

それと、たとえば、屈辱を受けたことと、恨むとか、落ち込むとか、ふつうはそんなことに因果関係があると思われてるかもしれませんが、ない、です。勝手に、空想妄想幻想してる因果です。理由なく生きると言うこと。

これは強力な修行になります。ここでまた、理由なく生きることを理由にしてないか、それをそれに適応してみます。屈辱は屈辱、苦痛は苦痛。好きは好き。憎しみは憎しみ。とくに反対のことがない、というか反対と見做すことは単なる判断だ、も大事です。

なんのために?なにを話しても、その自分が、なにを話してるかもわからないことも分からず、勝手に意味のすり替えや、強調する思考に使われるのではなく・・・使うためです。なにを言ってるか、なにを思考してるか、なにを行動してるか?

なんか言ったり、思考したり、行動したり名称、その前提、形態に、縛られないということです。考え尽くすと、そのことに馴れて、たとえば電球色の黄色い光に馴れると、それを忘れるように、そのことが消えるのです。そすると自動的に、次の展開が始まります。なにも準備したり計画する必要は無く、探求が探求を導きます。

それが何のためになる?なにも期待する必要はありません。触媒。たとえば海で泳ぎます。泳いで泳いで休息して泳いで、身体が整備されます。海、それは凪であったり嵐であったりしますが、なにもそれ事態は変わらず、人を育成します。山でも、野原でも、鉄棒でも、ボールでも・・・世界は知覚、感情、意識・・・触媒です。

No.7827 - 2024/04/22(Mon) 08:21:01

Re: 名称と形態2 / ubik0101
こいうことを大雑把に言うと、人と世界によって自我はつくられる。その自我によって自己はなされる・・・青は藍より出でて藍より青し・・・そして、その自己は完全に理解、知覚もされない・・・あの体験を理解して失った。けど無くなることは何もない。です。
No.7828 - 2024/04/22(Mon) 09:08:19

Re: 名称と形態2 / hato

一年に数度、近くの神社の森に行きます。山椒を見つけ、境内にはこの松の木。丁寧な剪定が見事で、見る度に敬服します。

No.7829 - 2024/04/22(Mon) 22:33:00

Re: 名称と形態2 / hato

もう一本。

No.7830 - 2024/04/22(Mon) 22:51:08

Re: 名称と形態2 / ubik0101
それで、疑問、質問のある方は、どうぞ。こちら、なかなか忙しいですけど、対応します。
No.7831 - 2024/04/29(Mon) 10:59:59

Re: 名称と形態2 / hato

ubik0101さんの言葉はわかりにくい表現もあるかも知れませんが、一路自己の道を突き進み、体験後も変わらず一路一哲、(一徹、)日常をそれとして生きてる人です。覚醒を言葉で体現する、稀有な人だと思います。もし本気で、道を進む人には助けになるかも知れません。

道の仲間として分かち合えたら、幸いと思います。

No.7832 - 2024/04/29(Mon) 13:25:30
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