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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

中村 天風会講演会を聞いて来ました / 勘太郎
 中村天風さんはご存知かもしれませんが、1876年生れ1968年没、日ロ戦争に軍事探偵として従軍。28歳位で結核に罹り、治すためにアメリカヨーロッパに行き、治せる人を捜したけれども見つからず。諦めて帰国の船の中で、インド(ヒマラヤ?)の師カリアッパ師に出合って、ヒマラヤに行って修行し、覚醒した。その後結核も治って、帰国(帰国してから完治?)して経済界で活躍して、後心掛け次第で人は幸せになると天風教を始めて成功し、現在でも信奉者が大変多い。

弟子の方(78歳)の十牛図の解説でした。
十牛図を真剣に聞くのは初めてで面白かったです。
第八図 人牛俱防(円の中に何も描かれてない、円だけの絵)人も牛も居なくなった絵、が特に気に入りました。

 十牛図は全部、円の中に 牛と人が描かれています。つまり、円こそが私なのではないかと思いました。講師は円の中の絵についての解説が多かったのですけれども。円を中心に解説したらどんな解説になるのか、気になりました。

No.6801 - 2019/03/17(Sun) 20:48:20

Re: 一番肝心で納得した事を書き忘れてました / 勘太郎
 第一図、尋牛の解説
力尽き、心疲れて、求むるに処無し。
心身疲れ果てて、自分が行き詰まり、拠り所も見つからず、行き倒れ状態になって初めて、スタートに着ける。

 昔天風先生の指導の元で、腕立て伏せを何十回・何百回とやらされて、服が砂だらけになりながら修行したものです。

これを伺っただけでも、参加して良かったと思いました

No.6802 - 2019/03/17(Sun) 21:14:10

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
中村天風・・・その名前、初めて知りました。ところで円ではなく、透明な球だと思います。あの体験の時、それを内側から見ました。飛び交ってる思考がその表面に触れて刺激すると、そこが虹のように光ります。

ふつうはその表面が、ありとあらゆる雑多な思考の雲で曇ってて、それが苦と言えば苦ですが、人は薄暗い濃霧の中で生きててそのことに気がつかないようです。あんまり関係ないので、こいうことをイメージする必要はないです。

No.6803 - 2019/03/17(Sun) 21:44:11

Re: 欲望が出たり、ひっこんだり / 勘太郎
今朝の夢の中で「欲望が実現してもしなくても、どちらでもよい様な感じがした」夢を見ました。
夢なので、おぼろげな記憶になってしまいますけれども・・・
感情においては、うれしいも哀しいも辛いも楽しいも、よく考えるとのっぺらぼうの波の様な感じがします。同じく欲望もなだらかなうねりが寄せたり返したり、そんな感じがします。なんだか夢と現実が混ざってしまいました。

 覚者のそれは怒る時には怒り、悲しむときには号泣し、殴る時にはぶんなぐるものと想像しています。

 接心で唱えるお経を地下鉄の中で読んでいます。大悲新陀羅尼(なむからたんの とらやーやー)とかです。あげる時は本を開いて読むのですけれども、ほぼ覚えていないと、何処を読んでいるのかわからなくなります。

No.6804 - 2019/03/20(Wed) 07:34:58

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
どこかで書いたような気がするのですが・・・小さな哲学の学校という書に書かれてるらしいのですが・・・この質問しか知りません・・・ある子供が教師に聞きます。怪我をすると痛いけれど、怪我をしてないときの痛いは、どこにあるの?

つまり、感じてないときの喜び悲しみは、苦悩は、欲望は、嫉妬は、どこにあるの?ということでもあるでしょう。それは感じてなくても、あるのだ。です。

これで一件落着ですが、ここで思考を繋げるなら、怪我と言う縁で、痛みが現われるのだ。たとえば人との出会いという縁で、喜び悲しみが現われるのだ。ともなるかもしれません。

が、これでは誰かの、あるいは人一般の話になってしまい、また知識によるものであり、探求とはいえないかもしれません。そではなく、一件落着のまま、ほかのことと結びつけて分かったような気にならずに、

この自分の問題に入ります。たとえば感じてない欲望も、妬みも、不満も、滅しなくては、それを滅したとはいえない。見えることだけ、そのあるないを問うても、何にもならない。

そのような日常でした。無意識のことを引きずり出さなければならない。これは自分の思考の成り立つ・・・それは隠れてなければ前提として機能しないのですが・・・その前提を探る、こんなに簡単なことはないと思うのです。

だって、書を読む必要もなく、師につく必要もなく、精神の冒険で楽しいことであり、幾度となく喜びをもたらせてくれました。自分の思考、顕在意識を見尽くしたら、無意識しか、

とくに探ることはないので、これは自然にそうなるのだと思います。で、実は人に無意識なんてないです。個人的無意識も、集合無意識もありません。

なんだか行って見て来たように言いますが、そうです。意識と無意識が接合したら、あることしかないです。行って見てない間は、無意識があると言ってもいいです。しかも無意識は自分で隠して無意識にしてるのです。

No.6805 - 2019/03/20(Wed) 22:21:04

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
それで人生って、さまざまなことが起きるものです。酷いことされた、酷いことした・・・そんなことが苦痛になるのでしょうか。こちらはですが、そいえば苦痛がないってことも忘れてるな。て、感じです。

苦痛が起きなければ、苦痛をじっと見てると消えて行くとか、そんなことも必要ないです。こちらの人生、ふつうの感覚で言えば、悩んで当然、そんな出来事など、いくらでもあります。

でも悩まない・・・その理由は何か?たとえば自分がない、たとえば総て自己責任、自分の言動を再認識しない、因果が壊滅してる・・・実は、どれも違うと感じます。悩む必要のないことに悩み・・・

たとえば世間は私のことをどう評価してるのだろう・・・とかでは悩みは限りないでしょう。ではなく、悩む必要のあることに悩む・・・たとえば自分て何・・・

こんなことに邁進したら、砕氷船が南極の氷を粉砕しながら進むように、苦楽なんかに惑わされてる暇なんかないんです。そしてそれは解決するのです。

No.6806 - 2019/03/21(Thu) 19:21:39

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

「自分はなに」が問題にならないので、人はあれこれ悩めるんでしょう。ゴリ押しはできないと思います。

>「欲望が実現してもしなくても、どちらでもよい様な感じがした」

関係ないかもしれませんが、家を新しくしたいけど・・・とか、かっこいい車が欲しい、とかが、あったとして、そんなとき、いまの部屋や車のどこかを手入れする、工夫して手入れする。ほんの整理整頓、ただ意識を向けて用いると、それまでほったらかしだった、或いはまだ見る、使う、余地のあったところに愛が入り、満足してしまう・・・・そんなうちに、自然と部屋や車が住み変わる機が、・・・あるとかないとか・・。

日常に、ちょっとハードルが高そうな、不要かも知れない、でも身悶えするような欲望があるとして、たいていは現状を使い切ってない、愛を満たしてない場所があって、そこに、それら(欲望)が見え隠れするように感じ取れる、・・ことがあるのかも知れません。

日常は常々、留意、注意して係らないとき、愛が満たされず、なにか欠乏感や、不具合があるかも知れません。この意味では、どうしょうもない欲望は、おざなりにしてきた、必要だったのに注意せずに係ったなにかがあった、と気付ける、・・・そんなふうに用いることもできると思います。もちろん、これだけでもないことでしょう。


>覚者のそれは怒る時には怒り、悲しむときには号泣し、殴る時にはぶんなぐる


これなら、その辺の2歳の坊やと同じでしょうか。隠されたものがないからあるがまま・・、ということでもない、なので覚醒とは、終わりではない、始まり。と思います。ここは十分個人的なことで、ほかの誰かが覚者だ、とことさら識別する必要はないと思います。

No.6807 - 2019/03/21(Thu) 19:27:10

Re:覚者でない人の言葉は信用できない / 勘太郎
という気がします。おいら自身の物差しを信用できないので、相手が覚者でありそうだと、相手の物差しをそのまま受け入れる。これの為に相手を選ぶことは重大な事だと思っています。
 古今東西の覚者と云われる人たちの、教えは理解ができないので、おいらの想像に当てはまる教えをジグソーパズルの様に当てはめて、おいらの想像の覚醒の絵を描いています。描くというより思考を消すでしょうか。皆さんの言葉で透明で真っ白なジグソーパズルを組み上げる、でしょうか。

 飼い犬、獣医師の診たては悪性の癌。昨年末も片側の乳房を1列摘出手術を行っています。今日の診断では、別の種類の骨に食い込む種類の癌。前足の関節にできて、びっこを引いて歩いています。

 その診断を聞きながらも、さてお腹が空いてきたな、昼はお好み焼きするかな?と考えているオイラがいる。オイラは薄情者だなあ〜なんて、思いながらレントゲンの結果を待っていました。
 死は悲しいけれども、バトンタッチ。癌の犬も拙宅にて、幸せな3年を過ごして、次の世代に席を譲るのかもしれないと思いました。犬は何も考えないのですから、考えているのはオイラです。推定ながら結構年寄らしいです。

No.6808 - 2019/03/22(Fri) 12:04:21

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
いや、自灯明、です。
No.6809 - 2019/03/22(Fri) 19:32:24

Re:頼っていては、自分で歩けない! / 勘太郎
 と打たれた感じがします。
川に連れて行ってもらっても、水を飲むのは私です。水の匂いや音は、誰に聞かなくても自分で解るはずです。

No.6810 - 2019/03/24(Sun) 21:46:25

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
そうです。ただ、自分のことは自分が分かるといっても、その自分が(よく言われるように、個別のものとして)あれば、それが総て嘘、誤解かもしれない、ということもあって、それは問題でした。

そこは、どこにもアイデンティティがない、ほかの言い方では年齢、性別、名前、貧富などの、属性がない、依存する他のことがない・・・つまり自分が感じる自分がない・・・

つまり、1人あること・・・で、上記の問題は既に解決してしまいます。そこで、自分が自分のことが解る、ということ(それは何か対象があります)も無用になります。

その説明としては、この自分でこの自分は感じられない、だから、自分のみに依拠するということは、知識、常識、誰か、過去、未来、とか自分以外のことだけではなく、

この自分にも依拠しない、という経緯だったと思います。これは全体も個別もなく、空虚で空しいのではなく、エーテルは快晴なり、生まれたばかりのように気分がいい、底なしで楽なのです。

No.6811 - 2019/03/25(Mon) 06:32:44

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

>覚者じゃない人のいうことは信用できないので、


天才がそも、よい指導者かどうかは、やはりそこは絶対ではないでしょうね。ubik0101さんは、分野は違えど、イチローさんみたいなところがありますよ。レーザービーム級です。手前味噌ではないです。その意味で、ふつうの人のことは、あまり理解できないところがあるかも知れません。下手をすると、ずーっと延々、こうしたやり取りが続いてしまうかも知れません。

勘太郎さんが言われる、セミナーや師といわれるところを彷徨って、見聞したものを自分流に継ぎ接ぎ・・・覚醒者という人をイメージして、それになろうとしてる、その「人」、が問題なのであって、ほとんどそのことしか、問題はないくらいなもので、なにを言っても、そこが問題、と指し示されてることが、

ほんのすこしでも認識されると、探求の向きが、変わるのかも知れません。その人の、縦の向きに入っていくことが、できるのかも知れません。

沢山見て廻るセミナー、良質な本から学ぶ、それはとても楽しいです。ただ、この掲示板で示せることとはもう、自己を探求すること以外ではないです。他人のは刺激的に見えて、面白いかも知れませんが、いつまでも眺めていても、意味がないです。


いずれにしても、もしここを読む人で誰か、本気で自己を探求する!という人がいたら、

探求は、それが欲望ごとであっても、怒りや嫉妬や、笑いの感情ごとであっても、道具は自分。
それは、「誰にも漏れなく備わった、けれど外では絶対に見つからない、絶妙なツールである。」ことを、分かち合いたいと思います。持ち合わせているもので、足りないことがない、ということです。

No.6812 - 2019/03/26(Tue) 18:27:58

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

自分にとってのその経験は、「こうなりたい」という欲望の対象でなく、なにか人から聞いてから起きたことでもない、子供の頃の、きわめて突然の一瞬の経験です。一度目と、その後の二度にわたり、ほぼ近い状態になったと思います。

夜中か明け方か。きわめて突如として、なにかが起きることが瞬時に意識されつつ、それは起こりました。いきなり圧が押し寄せ、絶叫しながら、その「わたし」は消失し、掻き消えてしまい、次の瞬間、プツと、別の世界?に出現したなにかは、そこで「神」に出会った。

輝きそのものに無機質荘厳な、色味もなく輝くそこは、圧倒的な凝視、見られてる気配。があり、神だと畏怖しました。非意味だった。誰か、ほかのひと、仲間?の存在の気配もありました。

とはいえ、これにとくに意味があるとも思えず、長いこと記憶に上ることもなくただあり、ubik0101さんにせっつかれて思い出したような状況でした。
あとになって、光輝いていたけど、目で見てた輝きじゃない、なにか自分に不具合があってそんなものを見た?わるい場所か?あるいは事故か?などと思い走らせてみても、危惧のどれも、ピンときません。

「自身のその頃の状態として仕方なく、否応なくそうなってしまった、」にしても、そうなったからには、自己とは、自我とは、世界とはどういうことか、を理解、或いは新たに意味が浮上してくるまでは、そのためだけの人生になったということ。紆余曲折、何十年かかっても、その意味での選択の余地はなかった、こと。非常に混乱しました。

起きてしまったのだから、それを「見る」ことは、時間がかかったとしても、必要だったといえます。そしてそのことは、次に必要としてる人がいたら、ささやかながら、分かち合うことができるのです。

世界は、どうしょうもなく混乱していた自分を、かろうじてギリギリのところで助けてくれたと思います。上手く言えませんが、そのときの経験があったために、取りこぼしなく、遠からず導かれたのです。一度だけ、見えない人たち、(いねいねびー))から、厳しい叱責も受けましたが、・・・無事にubik0101さんに出会うこともできました。

この世界において、覚醒は、始まりであり、終わりではないということは、私には、人として、あるいはこの場合、夫婦として、そのことを生きる上で、実質的な経験値であって、絵空事ではないです。

No.6813 - 2019/03/26(Tue) 18:35:55

Re: トラは子を千尋の崖から突き落とす / 勘太郎
 自分を探ったら、何だかわからない者が、内に広がる底なしの広がりを探っている様に感じます。
私は不思議な生き物です。考えや思考感情はありません。ただ外からの刺激を美味しく感じ・寒い・音、自分の考えていることを感じる・・いや集中したら音と景色を見聞きするだけです。

 これがおいらの学習の結果の私です。

この学習の結果、(?)教の信者となりました。先ほど犬の散歩しながら思いました。わたしの状態はキリスト教の信者に近いのかな?と。形のある神様ではないし、自分を希望の地に運んでくれる都合のよい神様ではありませんけれども。
(?)教の神様は、私の不安をとても薄くしてくれます。
どんな問題が起きても、なんとかしてくれると信頼しています。キリスト信者がキリストを信頼するようにです。
(?)教の神様は生き物やモノではなく、「行い」(おこない)ですから心や思考や感覚はありません。

以前に、お任せして生きると書きました。この「行い」で私は生きてるように感じますので、この「行い」にお任せします。

これを、覚者のイメージをつぎはぎして想像しました。

もう一つの獲物は以前の私よりも注意深くなりました。歌手の歌を聞いたら、天童よしみの様に最初から最後まで外さない人と外れてしまう所がある人の差が分ります。
 機械のマニアルも読める。昔は解らない・難文・飽きたと感じてしまいましたが、今は自分をなだめすかして、読める様になりました。自画自賛になってしまいました。

キリスト教徒からキリストへ脱皮できるように、頑張ります。

No.6814 - 2019/03/28(Thu) 20:50:30
山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / 勘太郎
 先ほど 地元の人からメールが入ってました。去年より2週間早い開通です。
 来週の休みに行って来ようと思います。まだ畑そのものは50センチ程つもっているのではないでしょうか?
 新芽の膨らんだ木々に春の御挨拶をしてきます。かんじき履いて山に登り、昨年伸びた蔓(山ブドウ・コクワ・葛など)を切るのも春の作業です。

 今日の仕事は17時から22時までの遅番です。お弁当は、昨日このために創った芋サラダと食パンのサンドイッチ。ディスカウントストアで売っていたのは皴の多いジャガイモのインカの目覚め。古いので安いのでしょう。リンゴを塩水に漬けなかったので、インカの目覚めの黄色っぽいのとリンゴが赤くなってしまったので、オレンジ色っぽいサラダになりました。それでもレタスで挟んで美味しいでしょう。

No.6788 - 2019/03/07(Thu) 15:40:27

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
サンドイッチは得意技です。

といっても簡単です。パンにマヨネーズを薄く塗って、タマネギ薄切りを乗せ、半熟掻き卵、焼いたベーコン、さらにマヨネーズを塗り、トマト厚切り、できれば赤パプリカの細切り(これは甘みがとても効きます)を乗せ、さらにマヨネーズを塗り、パンを重ねて軽く押さえるだけです。とてもジューシーです。

どこかの店で買った、パンにキンピラゴボウを挟んだサンドイッチは、今度やってみよう、と思いました。

今日、庭にツクシがでていました。

No.6789 - 2019/03/07(Thu) 18:55:08

Re: 教えて頂いたサンドイッチやってみます / 勘太郎
パンとご飯のどちらが腹持ちするか?意見が分かれますけれども。
 おらはパンの方が腹持ちするように感じます。おらのパンはマーガリンをたっぷり塗るので、そのせいかもしれません。

 勤務先の近くにサエラというサンドイッチ専門店があります。観光客にもとても人気で、昼時は並んでいる場合が多いです。タラバガニのサンドイッチもあるそうです。いった事はありません。

 職場の合わない人が退職願いをだしました。おらとの関係が原因ではありません。彼と1年過ごしたおかげで注意深くなりました。良い人の関係は楽しく、険しい人間関係は上手くやれば、自分を磨く砥石になります。仏道の師もそうかもしれません。有名な坊さんに付いた弟子は死ぬほど指導されたのでしょう。

No.6790 - 2019/03/08(Fri) 09:52:27

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

春ですね〜。いろいろあっても、なくても、季節が巡り、春が来るってとても素敵です。

天気は晴れたり曇ったり刻々と、この時節らしく目まぐるしいですが、たんぽぽ、光ってます。

No.6791 - 2019/03/12(Tue) 12:41:24

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

こちら毎春の楽しみ、サクランボの花も。

No.6792 - 2019/03/12(Tue) 12:44:13

4月27日からの接心に参禅します / 勘太郎
 迷っていましたが、連休で飛行機の安いチケットが取れなくなってしまうので、切羽詰まって決めました。仕事の休みは問題はないので、私の気持ち次第。また苦しい5日間を過ごすのかあ〜と云う思いと、何とか覚醒したいという気持ちで揺れていましたが、「チケットが取れなくなるよ」の言葉で決まりました。
 必ずお許しをいただいて帰ります。努力次第で許される事ではありませんけれども、私としては覚醒するつもりで、できる限りの努力で参禅します。

No.6793 - 2019/03/13(Wed) 11:32:16

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
むー、で叫び死んでも、お寺ですから、骨は拾ってくれるでしょう。あれこれ迷わず、死にましょう。たぶん自分のできる限りではなく、限界を超えるって、ことでしょう。それで自我が(とりあえず、こんな言い方をしますが)CENSOREDば、永遠の命なのですから頑張り抜く・・・こちらの話ですが、時間はないとか。全体と個別とか、即今とか、縁起とか、葛藤がないとか、初めから悟ってるとか、総て説明概念でしかない・・・そのことを、誰であれ了解してほしいです。
No.6794 - 2019/03/14(Thu) 06:27:36

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
ついで話ですが・・・そんなことは説明概念なんですが、その人にとっては事実ってところが、世界の困ったところで、凄いところです。でも世界が何であれ、どうであれ、人がそこを通過できるように出来てるので、世界が何であれ、どうでもいいというところがあります。

とにかく何にしても、朗報を望んでいます。

No.6795 - 2019/03/14(Thu) 18:19:43

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

フレー!フレー!!
勘太郎さん!

No.6796 - 2019/03/14(Thu) 18:34:25

Re: 限界を超える。 / 勘太郎
 限界までガンバルのではない!限界など吹き飛ばします。
初回の参加の時に、許された人の事を御老師が「皆から死んでも悟って来い、と送り出されて、本人も死ぬ気で参禅した。その結果だ」とおっしゃっていました。

 マラソンを走るのではなく、100m走を続けるのです。私が死んでもだれも困りまりません。魔境に囚われる事無く、参禅します。

No.6797 - 2019/03/14(Thu) 20:08:02

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
魔境など、どうでもいいですが、おーし。
No.6798 - 2019/03/14(Thu) 20:15:42

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato
もしもの時には、住職さんに、般若心境を唱えてもらえるよう頼んでおきます、と、・・・言っております。
No.6799 - 2019/03/14(Thu) 21:08:39

Re: 不思議な事に、最後まで声がでます。 / 勘太郎
 「ムー」という声が最後まで出るのが不思議です。4日目・5日目になっても、かすれ声で始まり5分もすれば、立派な声が出るのが不思議です。
 今回は、何があっても、ただ「ムー」。御老師が「ただムーだ」とおっしゃいますので、その通りにします。どうすれば悟れるか?と考えてしまうんですけれども、それも「ムー」押し出してしまいます。

No.6800 - 2019/03/15(Fri) 21:09:58
私はお釈迦様と同じく悟っていると信じても / 勘太郎
 なにも変わることはありません。
「信じる」ということ自体が既に、「信じていない」から「信じる」ので、悟っていれば信じる事は不要です。
 そうであっても、やっぱり心のと云うか生きて行く柱を求めてしまいます。その柱は目標とか夢という形で具体化されるのでしょう。その目標・夢はあるけれども、それらは決しておいらの幸福の糧にはならないと理解できてきている。
 夢・希望は漫画や小説を読んでいる間、或は映画館で映画を観るようなもの。

 黒猫の一生君が花豆で遊んでいます。絨毯の下に隠したり、投げたり、くわえて運んでそこでじゃれたり・・。5分も続けることはありません。すぐに飽きて、暖かな布団の上に寝そべります。おらの夢や希望も、黒猫の花豆遊びと同じだなあと感じます。

 そうであるから、これからもづうっと遊び続けられる事は自分探しで、これは飽きないテーマです。形のないものを捜すのですから。
 
 今朝の犬の散歩中に思ったのは、「焦る乞食は貰いが少ない」のことわざです。大きな流れの中で観れば、解決しない問題はゼロです。当初あたふた焦るけれども、100年続く具体的な問題はありません。
 福島の原発も、戦争も、気候変動もそして、おいらの問題も解決します。いつか遠くない時に解決すのだから、楽観してあたふたしましょうと思いました。

 足だけしか、写りませんでした。太って毛艶も良いです。

No.6783 - 2019/02/27(Wed) 07:52:04

Re: カメラが自動トリミングするのですかね? / 勘太郎
  これは黒猫一生君の顔が入っているかな?
No.6784 - 2019/02/27(Wed) 08:12:39

Re: 私はお釈迦様と同じく悟っていると信じても / ubik0101
なぜ、誰もが悟ってるって、誰かが言う必要があるのか判りませんが・・・すでに悟ってるのに、なぜ修行せねばならないのか?という疑問を抱えて、道元が命懸けで中国に渡った、という話を聞いたことがあります。

こちらの携帯カメラのレンズに傷がついて映らなくなってから、そいえば何か撮ろうと思うこともなかったようです。

No.6785 - 2019/02/28(Thu) 07:42:27

Re: 私はお釈迦様と同じく悟っていると信じても / hato

一生くん、別猫のように落ち着いているですね。素晴らしい。大事にしてもらって、本当によかった!

この人生を、大事に頑張っていく!

誰にとっても、決意は同じでしょうか。身体があるうちは身体も気遣って、どこまでも、行ってみょう!ですね。

うちの2猫。ちょうど一年前の頃の2ショット。やっぱり小さかったんだ、コタロウ。いまは大きくなって、ほぼ、ナナちゃんと同じくらいになっています。🐈🐈

No.6786 - 2019/03/04(Mon) 19:08:39

Re: 元気がでます / 勘太郎
 難しい事は解らないながら、満ち足りた気分の時も怒りが噴き出すときも、まあこんなものかと思うときもあります。
 
 どこまでも 行ってみよう!  は元気がでます。


 鴉啼いてわたしも一人。分け入っても分け入っても青い山。だめな私があるいている。山頭火の有名な句です。
 抜けると明るくなるんですかね。山頭火は「恨み」が入っていると、おらは感じてしまいます。

 明恵という坊さんの あかあかや あかあかあかや あかあかや あかやかな月 も底抜けに明るいです。


 なんだか書いていて、微笑みがあふれ出ます。元気よく布団に入ります。


 元気には関係なしですけれども、政府は物価が上がらないって困ったって言ってます。新聞は日銀はうそつきだって責めています。だけど、農作業用の長靴買いに行ったら、去年より高いです。良いんだか悪いんだか??これまた 解りません。

No.6787 - 2019/03/05(Tue) 21:10:20
一仕事終わって、一安心 / 勘太郎
 今日は電気設備の年に一度の定期検査でした。
絶縁不良個所が1台ありましたが、事前予想されていたので、対処は簡単。この検査では全館を停電させて行うので、動かなくなる機械があったりするのですけれども、今回は大きな事はおこりませんでした。モニターテレビが1台動かなくなった。時計が1台故障した。いまのところこれだけで済みました。

 別の現場の検査で警備会社の機械が壊れて、テナントの一つが翌日、電気錠が動かず、警備会社が来るまで30分ほど入室できなかった事がありました。

 そんな経験もあるので、この法廷点検は私たちの職業では結構な心の負担になります。

それで、今日はとっても嬉しいです。飛び上がって喜ぶと云うよりも、荷物が降りてほっとした。
 私と世界の間の壁・門が無くなったら、この100倍、万倍ほっとするんですかね。

No.6776 - 2019/02/17(Sun) 19:47:05

Re: 一仕事終わって、一安心 / ubik0101
なんか箱を開けます。その中は、からっぽ、だった。それは開けるまでは実感としては判らないです。そしてその箱、自我は虚構という仕組みが開示されると、安堵しますが・・・そのことと、世界との間の壁・門が無くなった、ということとは違います。

おそらく、因果であることを、総てはひとつとか、境目がないとか言ってるのかもしれませんが、・・・それだけならば、たとえるならばですが、地球の重力圏を脱してはない、という印象をいつも感じます。どっちかと言えば、井の中の蛙、大海を知らず、されど空の深さを知る。です。

ほっとすると言えば・・・ずいぶん昔・・・仕事仲間と銀座で飲みながら・・・人は自分の身体の中で生まれて、自分の身体の中で死んで行く・・・と話たら、そんなこと当たり前じゃないか、と言われましたが・・・ま当たり前といえば当たり前だな・・・でも、そのことに気がついた時には、ほっとしました。

No.6777 - 2019/02/18(Mon) 06:52:48

Re: 春が来ました!!! / 勘太郎
 まだ、まだ寒い日が来ますけれども、春の蓋が開きました。
春の扉は、道路のぐちゃぐちゃから開きます。暖気で堅く締まっていた道路の雪が軟らかくなって、車のわだちでぐちゃぐちゃです。所々に水たまりができて、これが春の始まりです。

 自我の虚構が明らかになる事と世界の壁が無くなるとは違う。おらには解りませんけれども、明快な説明です。
 「されど、空の深さを知る」これを拝見して、ダグラスハーディングの言葉を思い出しました。「世界に距離はないけれども、深さはある」
 ハーディングは初めに「私は空虚から世界を見ている」と言います。カメラで写真を撮ると外が写って、自分はフィルム或は印画紙で写真からは観る事ができないのと同じように。

 心の負担ってありますけれども、それをよく考えてみると、自分の責任ではないのが解ります。と云っても負担が無くなるわけではありませんけれども。繰り返しながら、私が自分で望んで産まれてきたのではありません。両親がこういう子供を作ろうとしたとしてもできなかったでしょうし、たまたまこう産まれたのですから。
 私がもし殺人者となったとしても、それは私の責任ではありません。

No.6778 - 2019/02/21(Thu) 16:22:15

Re: 一仕事終わって、一安心 / ubik0101
あんまり責任について考えませんが・・・この自分が、この自分であることは、総て自分の責任ということかな、と思いました。そいえばどこかで、親に虐められて育った子は成長しても、嬉しい時に不満を現したり怒ったりすると、フロイドが言ったと、ラジオか雑誌かで聞き齧ったことがあります。

そだとして、そんな馬鹿な人も自己責任、フロイトも自己責任、だと思います。たとえば怒るのも、殺人で悩むのも、自己責任と思います。責任がないなら、悩んだり、悔やんだりはしないでしょう。ところで自分に何の責任もないなら、親にも、嫌な奴にも、裏切り者にも、加害者にも、世界にも、神にも悪魔にも、

どこにも何の責任もない・・・そいうのも自己責任。そして、完全にそうでないなら、これも自己責任て、感じもしてきます。たぶん聖書で、どんなことをしても許されます。しかし精霊を穢す者は絶対に許されません。と、あったと思います。自分で自分を穢す者。自分で天の国の扉を閉ざす者。

そいえば専門学校に通ってた時に出会った・・・未熟児として生まれ、誰かに愛され世話にならないとうまく生きられないと感じたのか、その範疇での、損得、好き嫌い、快不快で生きてる。そいう人に、しっかりしろよと。怒るのも自己責任。うまくできてるものです。責任て何のことか判らなくても、思考することは、よく見るてことになりそうです。

こちら、フキノトウが、大量に収穫できました。天ぷらにすると何でも美味ですが、一番は、フキノトウです。

No.6779 - 2019/02/21(Thu) 20:25:51

Re: 一仕事終わって、一安心 / hato

この冬中、猫散歩の最中、ことにコタロウが、フキノトウが生えてる辺りに近寄るので、場所から離すのに一苦労しました。猫は歩いても問題ないでしょうが、散歩紐で猫について歩く自分が踏んでしまうと、。
でも先日ubik0101さんが、無事に育っていたフキノトウを、大量に採ってきたので安心しました。


たとえ、一般的にいわれる正しさとは、違ったとしても、これがそのときそうしたことに、出来る限り、後ろめたさがないようにと思う。ということは、人がなにかを考えてするところ、には、単に自分がプログラミングされた動物、・・なだけではない、自己に問いつつ進む、光であることができる、と思います。

これにとって、(空に)任せる、ことは、転嫁することでないようです・・・さあ!どう進む、どう考える、これは、これは。という、チャレンジの表明、光を生きようとすることです。

空を見、そして皿を洗う。茶をいれる。草採りをする。空はいつでも、どこにでもあって、とくに知られることもなく、わかるものです。

梅、今年もきれいに咲いてます。

No.6780 - 2019/02/21(Thu) 23:41:09

Re: 地震大変だった人・地区はあるようですが / 勘太郎
 地下鉄が止まったのが一番の出来事でしょうか。JRはよく止まります。強伊揺れでしたけど、最近は大きな地震が多いですから、特に激震とは感じませんでした。


 書き込みは、わからないながら、解かるような気もします。責任と云うよりも「ミッション」→2使命。重要な任務。「ミッションを遂行する」 でしょうか。

 責任の意味も解らず、おらのイメージの責任では、責任には恐怖感が付属する様に感じます。以前の職場で、「お前は責任を取れるのか!」とパワハラ受けていたからでしょうか?責任=圧力・束縛です。

 責任でもミッションでも、おらがCENSOREDば、おらのことは帳消しですから、束縛は妄想です。
 できる限り、生きとし生けるものの幸福を願います。願うだけです。 オカルトめきますが・・そうなるとうれしいです。

No.6781 - 2019/02/22(Fri) 15:58:57

Re: 一仕事終わって、一安心 / hato

生きとし生けるものの幸福を、本当に。そう思います。

こちら、ubik0101さんの趣味のひとつ。意外と?ちっちゃかわいいものがすきみたいですよ。(笑)

地震、ご無事でよかったです。

No.6782 - 2019/02/22(Fri) 22:10:14
キリスト教の神様にお任せと / 勘太郎
ラマナ・マハルシの「汽車に乗っていながら、自分で動こうとするな」は同じ事を言っているのでしょう。

自我が「自分は外界を動かす事ができる」と誤解して奮闘してしまう事は、勘違いであることへの指摘。

自我(自分)は今晩何を食べるか?の選択はできるかもしれないが、世界のほとんどに何の影響を与えることもできない。今晩のご飯にしても、過去の影響下にあるのに・・・。

 世界を今在る事を認める事しか行う事はできないのだけれども、おらはなんとか動かせると思ってしまいます。

No.6771 - 2019/02/12(Tue) 16:39:44

Re: キリスト教の神様にお任せと / ubik0101
うーん、汽車て、因果のことでしょうか。そしてマハルシは、動いてない重い汽車を人が動かそうとするのは馬鹿げてるよね?と言ってるのでしょうか。すでに人は動いてる因果に乗ってるのだから、と言うより、すでに人とは・・・百億の昼と千億の夜・・・因果(ここの話では汽車)のことなのだから、それで何の疑問がある?

また汽車のレールはもう敷かれているのだから、レールのないところを走ろうとすると、脱線するよ。とか、あれこれ考えるのもいいかもしれませんが・・・みんな纏めて、ある程度は人は汽車を運転してるとか、できない亊があるとか、運命は決まってるとかないとか、自由意思はあるとかないとか・・・なんだかんだ言おうと言うまいと、そんなことは(空想で)欲の範疇だよね。と、事実から眺めてる風情でしょうか。

キリスト教では、神に任せるってことになってるかは知りませんが・・・神とか、仏とか、因果とか、そんなことを対象にしないで、つまり、何に何を任せるの・・・何に・・・がない任せる。それは・・・何を・・・のない任せる。結局、任せる相手も任せる主体もない(空想しない)任せる。あるいは任せるとか任せないとかのない日常。

たぶん事実との区別がない思考(空想)に迷ってて迷ってることに気がつかない人に・・・自分が世界、因果、社会、人間関係などを、動かしてるとか、動かされてるとか・・・ありもしないことを根拠に誰かを非難したり、自分を正当化したり、判断したり・・・そんな欲の中で生きてる人に効果を期待して、事実はこうだよと、ぶつけてる話かもしれません。

No.6772 - 2019/02/12(Tue) 21:05:14

Re: 前回の繰り返しの疑問になってしまいました / 勘太郎
 繰り返してしまうのは、世界が自分と解からないおいらが情けないです。
 それでも、繰り返しつつ、僅かではありますけれども、理解が深まっている様に思います。本当は、どかんと抜けないと何も始まらないのですけれども。理解も空想の中の出来事。
 
 世界に飛び込んで何の不都合も無いのは解かっているつもりなんですけれども、空想から抜け出られないのです。
ここをおしゃか様は火宅の喩(火事が起こっている古い屋敷の中で遊んでいる子供が、煙や火を見ても逃げ出したがらない)にしているのでしょう。

 空想は楽しい! いや、本当に楽しいのか?産まれてからづっと空想の中でしか生きて来なかったので、空想を手放すのがこわいのでしょう。
 どんと背中を押されているのに、家の外にでるのを怖がるおいらがいます。

No.6773 - 2019/02/13(Wed) 08:24:17

Re: キリスト教の神様にお任せと / ubik0101
おそらく欲と現実の境目、空想の因果と事実の因果の境目・・・ふと検索してみたのですが仏教で言う、欲界と色界・・・の間には障害があって、行く人を遮ってるかもしれません。

その障害とは・・・いわゆる心理的思考とか、葛藤とか、苦痛とか・・・それに巻き込まれてそれを観察しても、探っても、たとえそれで人間関係に悩まなくなった、平穏になった、としても、あんまり意味はないように思います。

そんなことで一生を過ごすことがその障害としての罠かもしれません。誰かがそいうことを話たとしても、欲界にいる人に、あえて色界からみて、欲の馬鹿馬鹿しさ、滑稽さ、を話してるだけで、それは悟りとかとは、関係ないです。

ファイナルファンタジー7あたり、どこかの雪山の中腹に最強の雑魚キャラが出現します。それはヒットポイントが無限で、戦っても絶対に勝てないで、こちらのパーティが全滅です。対処法は、ただ横を擦り抜ける。それだけです。

No.6774 - 2019/02/14(Thu) 07:53:57

Re: 横をする抜ける / 勘太郎
 30分前は快晴した。1時間前には雪で100m先が見えない程でした。あれ、今、また明るくなってきました。目まぐるしく天気が変わります。薄暗く雪の時には、うっとうしくなります。晴れればウキウキします。

 欲望・怒り・喜び、一喜一憂するおいらを、仙人の様に静かな私にしようと戦うよりも、その横を迂回して進んだら、仙人には成れないが一喜一憂も後ろの出来事。

 坐禅も横をすり抜ける方法なのかもしれません。坐禅は欲望や怒りに対峙することではありませんから。ただ「ムー」と腹の底から声を出す、これが坐禅。簡単ではありませんけれども。

No.6775 - 2019/02/14(Thu) 09:13:13
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