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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

台風、大きな被害が無いことを祈ります / 勘太郎
 願いは皆さん同じ。

 子供の頃、台風が来ると山栗の実が落ちるので、山に栗拾いに毎年行った記憶があります。北関東です。栗がはじける時期ですから秋も押し詰まったころだったのでしょう。

 悪い事ばかりでなく、栗の実を山里の子供にプレゼントする様な働きもあるのでしょうけれども、やっぱり台風は困ります。

No.6885 - 2019/08/14(Wed) 20:27:08

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / ubik0101
いつのことか部屋にいて、外は雨が降っていました。なんか嫌だな、、でも、こう考えました。この雨で植物は成長するのだろう。農家は喜んでいるだろう。自分の都合だけではいけない。

この世界はとんでもないところで、誰かが生まれ、病気になったり、結婚したり、ある動物を可愛がり、ある動物をCENSORED食べる、そして人は死んでしまう。なぜこんなことになってるのか、理由は判らない、整合性はないように思える、理不尽、奇妙、でも・・・これは、こうでいいから、こうなんだろう。これはこれでいい、この個人としては、そうなんです。でも誰かは、こんな意見を嫌うとします。それもそれでいい。台風の進路から外れてよかった。直撃だ、困った。

その、この理由の分からない世界で人は解脱します。いつか何十年の前に読んだ詩の一節を思い出し、検索してみました。ロバート・ブラウニングの作でした。

時は春、

日は朝(あした)、

朝は七時(ななとき)、

片岡に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。

No.6886 - 2019/08/15(Thu) 08:42:00

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / hato

庭に、この季節の楽しみ、高砂百合が咲き始めています。

No.6887 - 2019/08/16(Fri) 21:48:12

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / hato

緑に白く映え、うつくしいです。

No.6888 - 2019/08/16(Fri) 21:50:34

Re: 学生の頃、公害問題提起が盛んでした / 勘太郎
 公害がどんどんひどく成れば、解決も早まるから、どんどん悪くなれ!と思いました。

 問題が問題解決の最大要因。

 私自身の妄想を見ていると、何もかもスムーズに行く白昼夢(宝くじが当たって、夢が全部叶う)よりも、悪い人が現れて、問題を起こす。その問題を、私が解決するというお話の方が多いです。

 何も問題がない世界よりも、問題がある世界の方を私は選ぶようです。

薄暗い森の中に生えています。花の大きさは5センチ程でしょうか?毎年は咲きません。これを見ると生きていたか!と愛おしくなります。

No.6889 - 2019/08/17(Sat) 14:17:36

この世界は広くて私の知らないことで一杯 / ubik0101
たとえば雨が降ったら農家は喜ぶだろう。じゃ、どこかの知らない誰かは?それぞれの都合があるだろう。さらに犬は猫は蝶は蜂は蟻は?それが宇宙の運動として、どいう意味がある?

このあたりで意識は拡散して、対象を把握してることができなくなるのではないでしょうか。つまり、意識は、意識の届かないということがあること、認識できないということ、を認識できます。

どこかで・・・意識とは、その内容なのだ・・・という文を読んだことがあります。それを端的に言えば、意識することは、常に自分の都合、これを外れないということです。

でも、意識されないということがあるということ、たとえば地球は回転してる。と、思うとその内容が意識になります。それはそう意識されなくても地球は回転してたのです。

これは証明できないかもしれません。でも意識が、意識の内容が、自分都合から外れる。意識が拡散して、内容も掴まえることができなくなる。ということは起こります。

たとえば空想であれ、ありもしない現実であれ、意識の内容になると、その人にとっては、リアルに、自分都合になります。意識外のことは意識できない。これに気がつくだけで、その内容に掴まれることはないでしょう。

ありもしないことで誰かを非難したり、噂話。波瀾万丈のヒーローになるとか、白昼夢にさまざまなタイプがあるでしょう。それは単なる、意識の内容、それだけのことです。簡単なことなんですが、言うと難しくなるようです。

No.6890 - 2019/08/18(Sun) 20:15:53

Re: 意識に注目するつもりが、意識の内容の思案にすり替わってしまう / 勘太郎
 瞬間と言ってもよい程素早く、意識の内容に移ってしまいます。

 それで、息を数えたり、むーと叫ぶのでしょう。暇になると、意識を音や見える景色、自分の胸の奥に向けようとします。そうして「あ!また意識の内容にハマってる!」と我に返ります。その繰り返しです。

No.6891 - 2019/08/20(Tue) 07:07:28

対象のない意識 / ubik0101
たぶん意識が意識に注意することは、できないでしょう。もしかして無思考を試してるのでしょうか。たしかに思考は止まりますが、それも、止まった。とか考えてしまったりしてもしなくても、自然に始まってしまい、そのことに気がついてしまいます。

おそらく探るべきはここではないです。意識は対象を必要としています。レーダーの電波が発射されて何かに反射して映像になる。このレーダーの電波、ソナーの音波。それだけが、対象なしにも、ある、ということはあるでしょうか。それでなければ、見たり聞いたりできないでしょう。

なので人は、見るということは、この自分が、聞くということは、この自分が。見る聞くこと。をしている、その自分がある。と感じるのではないでしょうか。知覚だろうが思考だろうが同じです。これは単純なのですが、偏りです。対象のない意識ということを摑まえて自分都合にしてるのではないでしょうか。

それで、意識の範疇がある。意識は対象が必要だ。意識の届かない範疇がある。対象のない意識がある。まだあるかもしれませんが・・・ふつうはいつのまにかどこかに錨を降ろしてしまって気がついてないのでいるので、そでないことがあることに気がつくこと、で偏りから抜け出すこと、でないでしょうか。

うまくしたもので、なんでもいいかもしれませんが、意識は対象が必要だ。見るには意識が必要だ、と決め、脇目もふらずそれだけを探ったら、そでないことが見えるでしょう。思考が問題だ。を探ったら、そでないことも見えてくるでしょう。それはそれだけで成立しないと、それが教えてくれるのです。

No.6892 - 2019/08/20(Tue) 08:07:34

Re:すべて世は 事も無し / 勘太郎
 神 空にしろしめす、は解りませんけれども。
すべて世は事も無し、は解ります。

 今朝気が付きました。犬の散歩の遊歩道の木々が少し、緑から赤になりかけています。

 づっと疑問に思ってました。自分が苦しいのは耐えればよい。
 自分が不注意で重大交通事故を起こしてしまった。或は、3,11の地震の時の東京電力福島第一原子力発電所の所長はどうしたらよいのだろう?と

 今朝、思いました。その自分を演じる(引き受ける)。苦しいだろうけれども、原発事故の責任を感じるままに生きて行くしかない(お亡くなりになりましたが)
 交通事故はある確率で起きるから、その当事者になることはあり得る。そうなったら当事者として生きて行く。

 「西部戦線異状なし」という題の小説があります。主人公が戦死したけれども、部隊の当日の報告書には、平日の戦死者数なので、異常なし。

 「すべて世は事も無し」とは内容が異なるかとも想像しますけれども。私の段階においても、すべて世は事も無しであるような気がします。

No.6893 - 2019/08/22(Thu) 20:32:30

そいえば。 / ubik0101
どこかhatoさんと10年ほど前に行った図書館でした。なにかの書の一行目・・・世界は事象の総体である・・・という文を読んだことがあります。これ哲学?と思ったのですが、と言うのも・・・意識はその内容だ。意識内容は自分都合だ・・・と言ってるだけに思います。

グーグルってみたら、なんとかペディアに紹介されてて、なんとかシュタインの書のようです。高速ななめ読みしてみると最後に、語りえぬことは沈黙、とかなんとか書かれてあるようです。違います。言葉にできないことを言葉にするのが、学ぶ哲学ではなく、する哲学です。思考です。

神、そらに知ろしめす・・・知られ得る(意識内容)と、知られ得ないことの障壁が消え・・・ありとあらゆることと、ありとありえないことの融合・・・つまり森羅万象・・・ほかの言い方では、日々是好日・・・すべて世は事も無し、です。

ほかの言い方では、私は、神でもない、悪魔でもない、人でもない、仏陀でもない・・・ただ、それだけのことです。どこかで、無相の自己、という言葉を聞いたことがあります。そこでたとえば、私は誰、が、私は誰。であったりします。

No.6894 - 2019/08/23(Fri) 07:00:07

Re:AはAでない、故にAはAである / 勘太郎
 禅の本によく出てくる言い方です。AはAでない、故にAはAである。

 私は神でもない、人でもない、ブッダでもない。故に私は神である。
私は誰 は私だれ、でしかいないのですけれども、納得できません。困ったものです。

 隠れているいる、意識に登らないところの可能性的出来事があるという事に注目して

〈たとえば空想であれ、ありもしない現実であれ、意識の内容になると、その人にとっては、リアルに、自分都合になります。意識外のことは意識できない。これに気がつくだけで、その内容に掴まれることはないでしょう。>
このところを探ってみます。

No.6895 - 2019/08/24(Sat) 15:06:14

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / ubik0101
たぶん、見える意識内容だけでは、日々是好日。また、神、そらに知ろしめす。は納得できないでしょう。

たとえば貧乏で、病気で、友達もなく、辛い。。けど、それが、日々是好日。神は天の国にいます。この世界は大丈夫です。

これを自分に実現しようとしても、とても努力が必要。無理がある。不満を感じなくすることかな。とか空想も渦巻くかもしれません。

そんな不平不満不安で、意識内容は、満ちていませんか。たとえば自我な誰かがいるとして、その思いによって行うとして、それを他の誰かが、ものごとの都合でものごとをするんだよ。と、指摘するとして、いや私には私の都合なんかない、私は間違ってない・・・そんな様子でいることは、まま見受けられることではないでしょうか。

そしてその、私は間違ってない、ということの根拠、理由、その自我を守る理由、その意識内容に留まる理由は、実に全世界が協力するように、幾らでも見つけられるのではないでしょうか。

その思いによって行った事実は、こうだよね。間違ってる。と指摘しても、その事実さえ認めない、事実を歪ませても自分は間違ってない、そんなことも多々、見受けられるのではないでしょうか。

ありもしないことであれ、意識内容にあれば、その誰かには、あたかも事実のように機能する、そのように自他に見せかけることができるのではないでしょうか。

たしかに思考には、事実と虚偽を峻別する機能がついていません。これに振り回されるなら思考は確かに問題です。大雑把に言えば、意識内容は、そのような誤謬によって成立してるのではないでしょうか。

神、そらに知ろしめす、は、ロバート・ブラウニングの小説の一節で、それを下書きにして、芥川龍之介は小説、藪の中、を書いたとされています。映画、羅生門、の原作です。見えるところの、意識内容は、総て藪の中、自分都合です。なにか1つ、真実があるわけではありません。

これに気がつくところ、それはこちらの場合、自分の思考の、行動の、発言の隠れた前提を探ることでした。どこかで誰かに学んだりしたことがないのでなんとも言えませんが、これしか知らないです。自分を掘り下げる。これが出来ない人も、どうやらいるらしいです。

なにか判断するとして、判断は総て自分勝手、総て誤謬。判断しないという決心。こんな経緯もありました。

どこかで誰かの真実らしい話を聞きます。そして後でまた誰かの似たような話を聞きます。ああそうだ、私はそれを知ってる、解った。こんなことは、とても馬鹿馬鹿しい・・・総て打ち捨てる。

こんなことが自分にとっては一番簡単だったのです。無意識は何も知らないけど、知る必要がないのでしょう。安心である必要もなく、安らかなのかもしれません。なんだか波と海の喩えのようになりました。

No.6896 - 2019/08/24(Sat) 20:26:25

Re: 無意識の話 / 勘太郎
 何度も繰り返して、書いているので、自分でも厭きましたけれども。ラマナ・マハリシが「汽車に乗っているのに、荷物をどこかに運ぶ必要はない。汽車に任せなさい」と言っています。

 「犬と散歩に出かけようと」と意識した時には、すでに犬と散歩に出かける行動に体は動いている。意識は後追いでしかない。は脳科学者の云うところです。

 笑い話ですけれども先日叔父と話しました。
叔父の知人が「私は、大筋では間違っていないよ」とよく口にするそうです。これが大きな間違いと私と大笑いしました。
 ところがどっこい、おいら自身も心情的には「おらは、大筋では間違えていないよ」と感じているのです。理性においては、おらはやっぱりよく間違えると理解していますけれども。強いのは理性よりも心情的(感情)の方がづっと、おらを支配する力が強いです。

 今日は浜頓別(札幌から300k北のオホーツク海沿いの町)まで行ってきました。産まれて初めて行きました。保健所から、保護猫を運んで札幌の譲渡会に出す為です。
 行く途中の景色が素晴らしく美しかったです。浜頓別の手前に中頓別(なかとんべつ)という場所があり、盆地でしょうか、山に囲まれて、波打った農地が緑の桃源郷でした。
 帰宅して、この風景を思い出すと、夢だったのか?本当に行ったのか?区別がつかないような気がします。

No.6897 - 2019/08/26(Mon) 18:43:27

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / hato

なんという青さ。北海道、透き通る空気ですね。

結婚して、神奈川の小さなアパートにいた頃、あるときubik0101さんに、「あれは意識じゃなかった。」と言うと、ubik0101さんは、「うん。」と小さく頷きました。そして尚、人は意識として、意識を用いて生きていくと思います。

無意識に持ってる前提が解放されて、意識のなかで、隠し合う、隠す要素がなくなると、その見る、聴く、意識されることがらは、ありのまま素通しになり、スッキリ、明らかになることができるのでしょう。

不可-思議の場所。そこは人や物事に、ことさら判断する必要がみつからないところ。ニュートラルで、本来のやさしさに満ちた場所かも知れません。
そして尚、言葉と思考は、そこから出てくることができるのです。

好雪片々不落別處。これを味わいます。10数年前、ubik0101さんが掲示板に載せた古文で、すきな一文です。

その雪片は、ことさら意識されることも必要もなく、そこに落ちます。発生するそこ、行き着くそこ、それは素通し、ただその通りです。

近くの神社の参道脇に、1メートルくらいの背丈の山椒が数本生えています。前回、前々回来たときは、2人で探して見つからず、あったよね、と不思議でしたが、夏まで繁っていた、ほかの緑で見えなかったみたいです。

No.6898 - 2019/08/27(Tue) 10:28:14

Re: 日々これ好日=すべて事もなし / 勘太郎
 イコールがほぼ成立するのでしたら、日々好日も理解できるような気がします。おらの場合には元々において事もないのではなくて、けっかにおいて何もない。
 
 羅生門朗読を聞きました。こんな短い小説だったのかとおもいました。こんなのを高校生が解るのか?解る人は解るんでしょうけれども・・・おら全く解らなかった。話の筋を追って読了。今もそれほどは解っていません。

 聞いた後に元気がでます。どういう元気か?生きよう!ですかね。死と隣合わせ、必ず死ぬから・・・。説明はできませんけれども、励まされます。

 主人から不景気で解雇された下人が、泥棒で生きる決心がつかず、荒れ果てた朱雀門で雨宿り。門の2階で、転がっている死体の髪を抜き取り、かつらにしようとしている骸骨の様な老婆がいた。死体を愚弄するとは許せんと老婆を責める。老婆は言う「この死体のおなごも、蛇を魚なの干物として売って生きておった。死後に私が髪を抜いたとて、責めはしまい」
 下人は、老婆の来ていた着物を奪い取り、朱雀門を駆け下りて闇に消え去った。こんなあらすじで、

あらすじを聞いても元気はでないけれども、小説を読むと元気がでる。
オラも小説家になりたいと思ったことがありました。大江健三郎の「遅れて来た少年」という小説を読んで。これも元気が出ました・

 預かり猫の嫁入り先が決まった様です。最終決定は飼い主の自宅を訪れて様子を調べてからだそうです。
 

No.6899 - 2019/08/31(Sat) 14:06:54

感想文。 / ubik0101
羅生門、聞いてみました。死人の髪を抜く老婆も、その老婆の着物を剥ぎ取る下人も・・・その私が正しいという、ああでもあるこうでもあるという理由は・・・まるで世界が応援してるかのように見つけることができる。これは羅生門という世界の闇に立つ舞台で演じられ、その下人もまた闇の中に消えていく。とても馬鹿げてて、とても悲しく醜く滑稽でしょう。

このあたり、こちら事ですが、理由なく生きる・・・つまり自分を正当化するための思考だろうが、事実だろうが、それを対象にして自分の根拠として掴まない・・・これを数年だったか十年以上だったかに渡って、やってたというか、そなってたことがあります。これは結論を、決着を求めないということで、辛いものがあるのですが、役に立ったと感じます。

それと同じようなことですが、公平であろうとすること。たとえば社長であろうと新入社員であろうと、大統領も平民も、平等。傲慢も卑下もなく生きる。差をつける理由なんか、どこにもないのに・・・たとえば何だかの才能、適性があることは、金が欲しい、ポジションが欲しい、自分は正しくありたい・・・ということは、不公平でありたいという隠れた前提があるかもしれません。

これはごく当たり前のことなので、そであって、そであると認識できないで、そのようであることもあるようです。もちろんここに問題を見出さなくてもいいのですが、この訳のわからない世界で・・・理由なく生きる、公平であろうとする。特別感、優越感を嫌う・・・そんな経緯を辿るということもできる、ということです。

理由なく生きれば、老婆が死人の髪を抜くことを正当化できないでしょう。下人も老婆の着物を剥ぎ取ることを正当化することはできないでしょう。老婆も下人も、自分だけが正しいという不公平がなければ、戦うこともないでしょう。思考も行動も発言も・・・あるでもない、ないでもないこの奇妙な世界ということを口実にして・・・美しくない状況を成立させてるのかもしれません。

そのような、なんか、ああでもない、こうでもないの理由があれば、不公平があれば、差があれば・・・日々是好日。神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。ではないでしょう。理由なく生きることは、たとえば物事の都合によって物事をする。たとえば、ご飯を食べたら茶碗を洗う。あたり前のことを、当たり前に。

No.6900 - 2019/08/31(Sat) 19:24:02

もっと具体的に / ubik0101
たとえば車が追い抜かれたから、煽り運転した。たとえば女が蛇を魚と偽って人に売ったから、死んで髪を抜かれても当然だ・・・これ、原因と結果が結びつく必然は全然ないのです。つまり、理由でないことを理由にして、加害者は、その自分の言動を正当化してるわけです。そしてどんなことでも、架空の因果になりえます。交通ルールを守って、ゆっくり走ってる車が気に入らないから、煽り運転した。女が美人だったから、意地悪だったから、ただ気に入らない女だったから、死んで髪を抜かれて当然だ。このように、あることないこと総てが、理由になり得ますが、理由にしてるのは、理由にしてるその人でしかありません。もともと、ない関係なので、これに囚われる必要は最初からありません。こんな簡単なことです。またその架空の因果の範疇にあるとしても、煽り運転を見て、自分もやってみようとか、自分はしないとか、その人には、その人に全権、全責任があります。
No.6902 - 2019/09/02(Mon) 17:50:29

Re: 私が光の焦点であり光源 / 勘太郎
 想像(妄想)からです。
全世界の事柄が焦点である私に入力されます。その入力を私からの発信として全ての光源となります。

 他人に見られるから、きれいにする」と云います。他人は見ません、見ているのは他人と云う鏡にうつる自分を自分で見ています。この誤解を一般的には世間体とか言います。
 おいらは、誰がどうしようと私に直接関係しない場合は注意を払いません。

 因果は他所から来るから、私は玉つきの玉と同じで、自分では何もしないと思ってました。力のベクトルに従って動くと。

 ubik0101さんのおっしゃる通り、因果ではなくて自分で選んだ方向に進みます。ご飯を食べたら茶碗を洗うとは、限らない無限の行動を行うことができます。どうするかは私の全くの自由気ままに行動します。束縛が在ると感じるのは私の誤解です。

No.6903 - 2019/09/03(Tue) 21:13:55

Re: 赤い壁紙の部屋の中では、赤い色を認識できない。 / 勘太郎
 自分の事を解らない、のは自分に囲まれているからなのだろうと思います。
 
 古本屋で1951年初版の「ヘンリー・ソローの森の生活」を買ってきました。13版で1987年発行。
神吉三郎のys+6‐‥訳です。(猫にキーボードを打つじゃまをされて、書き進めらえれません。くだらない事を書かずに、私と遊びなさいと言っているのでしょう。)

No.6904 - 2019/09/05(Thu) 19:44:21

Re: 台風、大きな被害が無いことを祈ります / hato

>私が光の焦点であり光源

人(ひと)、というのは、ひ(光)、が、と(止、泊、留)まる、という言霊があると、聞いたことがありました。真偽はともかく、言葉は不思議です。また、人の存在というところも、どちらでもあって、どちらでもない・・・という不可-思議です。それでも、成長してく、していける、てちょっと凄いと思います。


>因果は他所から来るから、私は玉つきの玉と同じで、自分では何もしないと思ってました。

そういえば、数年前に掲示板にいらしてた、ゆらぎさん、という人が、この世界は総てプログラミングの一環で、その意味での自由はない・・・とお話しだったのを思い出しました。諦観かも知れません。でも、ちょっとつまんない。とわたしは思いました。

ご飯を食べたら茶碗を洗う・・その当たり前は、概ね現前と当たり前で、その当たり前を、人は、(あるいは不可知である誰かは、)どうにでもできる、・・・たとえば、楽しんですること、悲しんだり愚痴を言いながらすること、・・・そこに自由があるよね、・・もありかな、と思います。

それは、世界のことは世界に任せておきましょう、・・・マハリシが言われた、汽車に乗ってるのに・・の譬えごとと同様です。世界のことを、ことさらどうこうすること、(もちろんしてもいいんだけど、)というよりは、当然のなかに自由を見て進めるよ、というなら、ちょっと幸せ、な感じでしょうか。

たとえば、思考することも、理解することも問題じゃない。こうであることが問題じゃない。そこを、問題にする、なにかが問題。というのは、・・宇宙的パラドクス、・・ユーモアとも言えます。


読書好きだったんですよ。羅生門は、高校生の頃。現国の先生が、俳人の加藤楸邨の息子さんで、加藤穂高先生。楸邨の3人息子はすべて山の名前が付いてる、・・と噂されてましたが、穂高先生は、なんか任侠映画に出てきそうな、ちょい悪そうな、渋い、えらい恰好いい人で。授業も静かな人気がありました。穂高先生の羅生門。内容はすっかり忘れたけれど、凄かった。下人の面皰。短編に、人間の獣性をえぐり出した龍之介の文に衝撃を受けた。文章って凄い、と確かに思った。なので、というわけでもないけど、食傷な感じがあり、映画は見ていません。

ソローの森の生活、はじめて知りました。良心的納税拒否。うーん、凄いです。こちらは、それなりに頑張ってるのですが、拒否する以前の納税免除です。

夏が終わります。北海道はもう冷えるでしょうか。先日2人で行った、山椒の近くの境内にある、松の木。うつくしい剪定でした。

No.6905 - 2019/09/05(Thu) 21:28:19
あづかりで、短足猫が来ました。 / 勘太郎
ワンチカンという種類だそうです。裕福なおばあさんが集めた猫達、約10匹の中の1匹。経産で子猫が4匹いるそうです。子猫にみえますけれども。
 可愛いので、おいらが妻に「家で飼ったら」と言ったらダメっと却下されました。品がよく、なつくし飼いやすい猫です。

 当地の暑さも峠を越えてしまった様です。雪より暑い方が楽な年齢になりました。暑さに飽きた頃、寒くなり、寒さに飽きたら暑くなる、よい具合にできています。

ラマナ・マハリシの セルフインクワイヤリー(自分が何なんだか?調べる)のユーチューブを見ていました。この中で、私(自我)は対象が無いと、私だけでは存在できない。音も対象なので聴くものが存在してしまいます。「鐘の音を消せ」 と云う公案があります。音が消えたら、私も消える事を言うのでしょう。

No.6882 - 2019/08/09(Fri) 09:33:37

Re: あづかりで、短足猫が来ました。 / ubik0101
たしかに何だかの対象は、その人の、その状態の、その意識の依存する拠り所になります。それを掴まなければいいのに掴むのは、その人にとってはそうせざるを得ないのでしょう。

その対象を掴むことによってその自分である、その自分を確認できると思ってるからかもしれません。

一般的には、総ての対象が完全にないなら、たとえば死んだら、世界がないなら、自分を感じられない・・・なにか対象があるから自分を感じる。ということをアレンジして自我は自分は独特、自分は特別というその拠り所にするのでしょう。

たとえば何でも手放そう、まったく未練はない、もし死んだら散骨してくれればいい・・・とか思ったり言ったりする、誰かに手間かけてもらって実行してもらうとして・・・そのことを掴んでる、そんなスタイルの執着ってこともあるでしょう。

このように、その人の状態、境涯というのは言うことに行動に思考に、現実に、表れてしまうのです。なのに、そのようであることは、その人にとって見えないなら、そのままであり続けるでしょう。こんな愚かさの根は浅いのですが溺れるのでしょう。

そいえば、ここに引越してきて、木の苗とかをネットで探してる時、垣根のことを、目隠しと呼んでる文章がありました。もしかして、家や庭にいる自分の眼を隠して、通行人を見ないようにしよう、てことかな?

と思ったのですが、どうやら通行人の眼から家の中の自分を隠すということらしいと気が付きました。人は、隠れていたいのかもしれません。そすれば、不可侵で、特別で、安全で、その人はその人であるような気がするのでしょうか。

またたとえば、過去はある、未来はある、なのに今だけがないそんな人が、私は今に生きてる。と考えたり言ったりできて、それは常に、あちらこちらに気が移り、自分から目を背けることにしかなってない。ということもあるかもしれません。

そしてそんな自分の現実を見ないことによって、守っていたりするかもしれません。そいえば渡辺さんが枕叩きを推奨するので、ある人がある人に薦めたら、そんなことすると枕が可哀想、と言われたそうです。実際のところは判りませんが、

枕が可哀想と言った人は、初めから嘘を言ってるのかもしれません。そのようにしてその嘘がバレたとしても、それを言った人は、嘘なんですから、さらに心にもないことを言って、自分の本音を守ることができるからです。

こちらは、その本人ではないので空想ですが、人は、ほかの人から、また自分から隠れる、たとえば言うことが総て嘘という、メソッドを構築しやすいのです。でもこれを何とかするのは、そう難しいことではないです。

こいう愚かさは、対象を認めることによって人は自分を認めるということの上に仮定されたネットワークになっていますから、どこから始めても総て解決できます。なにより、その人が、そしようとしてしてそうである愚かさなので、その人が解決できます。その人しか解決できません。

嘘をつかないこと、真摯なこと、素直なこと、また・・・たとえ神が私のことを知らないでも、私は私を知っている・・・自己観察・・・これはその人の意思で、努力でできるからです。

と言っても、人に意識がある、生きてる。ということは、絶え間のない観察にある、ということに他なりません。

こちらは、とても暑いです。降りそそぐような蝉の声は聞こえても聞こえなくても、とくに問題ないようです。

No.6883 - 2019/08/09(Fri) 18:55:50

Re: 今昼寝して、起きて珈琲飲みました / 勘太郎
 珈琲のカフェインは頭を良くする様に感じます。気分が昂揚するのが解ります。その所為もあって書かれている事が素直に入ります。
 
 こういう愚かさは、・・から終わりまでの言葉が矛盾や抵抗物がなく、胸に浸みこみます。そのままそっくりでなく、おいらの解りやすいように咀嚼もできている様に感じます。
嘘をつかない事、真摯なこと、率直であること。

 「こちらは、とても暑いです。降り注ぐ様なセミの声は聞こえても聞こえなくても特に問題無いようです」を読み終えるまでもなく、涙が出てきます。
 涙は力の源泉です。泣くと私の力がみなぎってきます。力がみなぎると涙が出るのかもしれません。

No.6884 - 2019/08/10(Sat) 12:21:00
鉢植えの水、室温が高いのですぐ乾きます / 勘太郎
 今まで、日差しの強い日は、水を吸い上げる量が多くなるのだろうと漠然と思っていました。温度で鉢植え植物の活動量がきまるのでしょうか。
 挿し木に一番良い地温は25度だそうです。

 暑い日が続いていますので、暑いのも悪くないと感じています。今日は花火関連の作業の代休。朝は出勤するのつもりで身支度をしていて、ちらりとシフトを確認したら、なんとお休みでした。なんだか儲けた気がして、朝寝。昼ごはん食べて、珈琲飲んでゆっくりして、植木鉢の水、昨日の朝やったのに乾いてるぞと気がついたしだい。

 今日の職場はホテルですから、昼飯はまかない料理にちかいのでしょうか?味は濃い(しょっぱい)ですけれども、美味しいです。特に魚のフライは美味しいです。ホッケ(白身魚)のフライが月に2度位出ます。生臭さがなくて芯まで火が通っていて、なんで美味しいのですか?と聞いたら、よく洗っているからと言ってました。
 それで、おいしい昼飯にありつけませんでした。

No.6878 - 2019/07/30(Tue) 13:18:27

Re: 鉢植えの水、室温が高いのですぐ乾きます / ubik0101
ホッケは、この辺りでは、半生の干物がほとんどです。フライにできるのは、滅多にありません。

パンガシウスという白身の魚、実はナマズで、ベトナム産?ムニエルにしてもフライにしても、とても美味です。舌平目を超えてると思います。ただ切り身にパン粉をまぶして店頭で売ってるのは、どうやら保水剤を使ってるようで、冷凍むきエビ同様、残念です。

たしかに魚を煮る時には匂いがしないように工夫が必要です。焼き魚にすると問題がなくなります。たぶん煮ると最高100℃だけど、焼くと100℃以上になるので、それが原因だと睨んでいます。

アクアパッツアのときも温水で魚をよく洗います。そしてアルコール(白ワイン)を吹き付けて暫く置いて、フライパンで魚を両面焼いてから、トマト、オリーブの実と一緒に煮て、アサリを加えます。これで生臭みが皆無です。

そいえば、オヒョウという北海の大きなカレイのような、美味な魚がありましたが、見かけないようです。氷下魚の干物は懐かしい味です。

古屋の北側にあったバラ、日向に植え替え、さらに挿し木して鉢植えにしたら、たくさんのピンクの花を咲かせようになりました。それを見て欲しいと言う人も多く、5月頃に挿し木にして、芽がでてきました。

No.6879 - 2019/07/30(Tue) 20:43:07

Re: 鉢植えの水、室温が高いのですぐ乾きます / hato

バンガシウス、「舌平目ですか?」と聞かれました。白身魚は聞こえがいいですが、どっこい、ナマズさんです。ubik0101さんのアクアパッツア、絶妙な加減がとても美味しいですよ!

祈りとは、瞬瞬に明け渡す、こと。

バラ。もう4,5年前でしたか・・・殆ど無理かと思いつつ、細々と咲いている、根から抜いて植え替えました。桜の木の下で、小さな芽が出ているのを見たとき、ほんとに驚いて、嬉しかった。ここでもよく画像を載せている、虫もあまりつかず、薄く儚い花びらが、可憐なバラです。

No.6880 - 2019/07/30(Tue) 21:51:26

Re:家人に勢いがあると、植木は枯れない / 勘太郎
 迷信かもしれませんけれども、植木職人が言う言葉だと読んだことがあります。
気力とかがあるのかもしれません。自分の気なのか、気を集める能力なのか、気がその人に集まるのか?気が抜けるとか言いますから、そのようなものがあるのかもしれません。

 アクアパッツァ、美味しそうです。でもパンガシウスの話は、漫才のかけあいみたいで、笑いながら読みました。
 
 祈りとは、瞬時に明け渡す、こと。おらにはよく解りませんけれども、無心に手を合わせると世界が扇風機の風の音で満たされて、そのほかには、なにも無くなるような気がします。
 

No.6881 - 2019/07/31(Wed) 19:32:19
犬が死にました。 / 勘太郎
 春に癌を発病して、悪性だったので、早く死にました。死ぬ3時間前まで、それなりに元気だったのです。 

 何歳か不明ながら、歳をとってから拙宅に来たので、それほど長い間一緒に暮らす事は無いと解っていたのですけれども。
 死ぬ時が、具体的に決まってない時は、別れるのは理解していながらも、深刻な気持ちはありませんでした。
癌と診断され、調べると発症後長くても1年、普通は3・4か月で死ぬとありました。よくある癌だそうです。

おらが面白いのは、癌を宣言されると途端に、別れが迫ってくることです。別れがそう遠くない時期にくるとを解っていながらです。
 死が目の前に突き付けられないと、死を意識できないのです。
今日の犬の死は、それなりに覚悟していたのでの心がかき乱されたと云うことはありません。

犬の死は他人事ではありません。私も死にますから。死が迫って来るようで胸が打ち震える時もあれば、死なんて怖くないと感じるときもあります。

 いつもは死を思い出すことなく生活しています。

No.6869 - 2019/07/21(Sun) 18:25:58

Re: 犬が死にました。 / hato

死。とりわけ肉体の死。必ず通るところ。

運転していると、生命の危険という意味で、日々意識的に成らざるを得ないです。それでも自分にはむつかしいこともあります。頑張って注意しないといけないのです。

先に書いていた滋賀の村のこと、この一週間、時折、思いだしていました。

件のその人は、宇宙の、(世界の、でもいいのですが、)入れ子構造の、元を生きようとした。それはどこかの地点で、神を生きる、入れ子構造の原因を自ら生きる、と捨て身の決意をなさったと思います。世界を創る、善き原因を生きようとされた、と思います。小さな自我で、そんなん想像(創造)する人もいるかも知れませんが、その方に、その意味での自我、わたくし、という過剰な概念を感じることはできませんでした。

やり方や表現は独自なことで、はたから見れば、奇異なこともあるかも知れません。方便も多いとして、それらは、自分には理解できる範疇として、問題にしませんでした。内容で捉えてしまうと、大事なことが見えないことが、確かにあるからです。神、その節理を生きようとすることは、とても過酷です。とても、小さな自我に収まっていられないです。

ふつうは、自己を、自己として生きるこの日常で、十分ではないでしょうか?、けれどそういう命を生きた人、人たちがいました。

世界で生きることの責任を取る、あまりにも荒唐無稽に映るけれど、そこを決意して生きる、人のせいにせず、よく生きる。よく見て思いやり、たゆまず努力する。それも非常な作業を自らに課して、やり抜く、やり抜いた、うまく言えませんが、その自体の尊さが身に沁みて、胸を打たれたのです。間違いなく、なにか悲壮ではない、歓喜から入られた道、と思います。

それはそのとき、たしかに、命に係る道場、臨在でした。

臨在。本気で触れたとき、欲にまみれた逡巡一切が吹っ飛びます。なのでそうした道場に、人が集うのだと思います。

はじめて、一人で行こうと思い立った、その村に着いたときのことです。存在のきれいな青年が一人、大柄な、禿げた頭の労働者が一人、作業場になってたその広場で、設置されていた何本もの長い丸太の上で、斧を奮ったり、作業していました。大柄の人は、時々息をつきながら、ゆっくり、斧を振り下ろしていました。いかにも大変そうな作業でした。

青年がわたしに、「あちらが先生です。」と言いながら、・・どこかに走っていって、・・すこし足をひきずって歩かれる奥さんを連れてきて下さいました。小柄で優しい60代か・・の、柔らかな、京都弁を話すその女性に挨拶しました。会うもの総てが癒されてしまうような、柔和さを持った方でした。村のほかの人たちは、山作業に出ているとのことでした。

「今日はもう一人、来るんやよ。名前が似てる人が、」など言いながら、泊まる部屋などを教えて下さってると、大柄で無骨で、先ほどから、ちょっと怖く思えていた男性が、ゆっくりと、空や辺りを見ながら丸太を降りこちらに歩いて来て、先生なんだな、と知りました。挨拶をしているとき、その方は、これが当時抱えていた、見えない荷物を峻別されたのか、持参したカートを見て、すこし驚いた顔をされていました。

青い青い空の朝。ゴーっと音がして見上げると、頭上に飛行機がひとつ飛んでいて、先端にもうひとつ、影が出来ていて、まるで2機飛んでるように見えていました。奥さんが一緒に見上げて見付けると、「あれぇ、ほらお父さん、見て!」と言って、その人も、「ああ?ああ。」と言って見上げていました。ごくふつうの老年の、人柄の良さそうなご夫婦でした。

息子さんや、とりわけ、一緒に作業した娘さんが、気取らない、気負いもない、控えめで、ほかの人に紛れてわからないくらいふつうの方で、ですが作業の仕方から、大変優秀な人だったことを覚えています。

自分はその後数回。本気で関わり、都度本気で対峙して下さった。大いに助けられ、学ばせて頂き、助け合った数週間でした。僅かな時間でしたが、後にも先にも、人生を除いた、修行に特化した修行はそれだけです。今でも思えば身の引き締まる、・・有り難い経験です。愛に満ちた場所だった。そんなこと、思い出しました。

犬さん、勘太郎さんたちに大事にして頂いて、それだけでもよかった、と思います。

No.6870 - 2019/07/22(Mon) 23:37:30

Re: 犬が死にました。 / hato

3日間体調を崩して寝込んでいました。ubik0101さんは割合元気にしてます。

さあ。人生さまざまですが、これの道を行こう。たゆまず歩こう。

No.6871 - 2019/07/24(Wed) 13:19:20

Re: おらの場合、体調と心は連動します / 勘太郎
 不安が広がります。世界がちじむ様な感じがします。

 

 お二人がそろって、元気だと、お客様も元気になられるのではないでしょうか。
早い全快をお祈りします。
 

No.6872 - 2019/07/25(Thu) 07:05:51

Re: 犬が死にました。 / hato

ご心配かけてすみませんでした。疲れが溜まったくらいですので、大丈夫です。猫散歩、行ってきました。これから仕事に出掛けます。☺

No.6873 - 2019/07/25(Thu) 08:47:30

Re: 犬が死にました。 / hato

念のため、上の話は、夢でも魔境でもありません。
いっときお世話になった知人を偲びました。そんなことも、あるものです。

自営をするにあたり、まだスムーズでない動きが多くあって、ストレスが身体に溜まっていたでしょうか。お陰さまで身体を休めることができて、症状からみると、一年に一度くらいのデトックス。身体の祓いができました。

今夜はゆっくり休みます。お疲れさまでした。😊

No.6874 - 2019/07/25(Thu) 21:00:58

Re: お体の事、よかったです。 / 勘太郎
 今日は花火大会で、見に行ってきます。雨が降りそうで、お客様の入りがどうなるか?・・・

 裏方ですが、皆さんが楽しめるとよいです。こういう天気次第のイベントの責任ある、担当者は大変です。
 16時頃、実施するかどうかの最終判断がでるのですけれども、それとは関係なく、椅子やテーブルの準備はしなければなりません。おいらの担当は照明です。

 いま17時小雨が降ってきました。嗚呼降らないでほしいです。合掌・アーメン・何妙法蓮華げーきょう・アラーは偉大なり・・・・
神様仏様降らないでください。雨雲レーダーでは大降りしないさそうです。

では 様子を見に行ってきます。

No.6875 - 2019/07/26(Fri) 17:16:38

Re: 犬が死にました。 / ubik0101&hato

では今だけ、なるたけ、降りませんように!

行ってらっしゃい!

No.6876 - 2019/07/26(Fri) 17:37:30

Re: お陰様で、さっと小ぶりはありましたが / 勘太郎
  なんとか、ひどく濡れるほどではなくて、胸をなでおろしました。

 乗り合わせた、エレベーター内でのスタッフのお話ではお客の入りも、悪くないそうで、笑顔でいそがしそうでした。

 帰りは、浴衣の若者男女が1割かな?2割かな? 地下鉄を諦めて、歩く人が多くて警察や警備員さん大変そうでした。それでも街は笑顔にあふれて、にぎやかでした。

No.6877 - 2019/07/27(Sat) 07:29:41
(No Subject) / ubik0101
ほかの人のことは知りませんが子供の頃、自分には特別感、万能感があって、それが嫌でした。それを突き崩そうとしても、それがある理由も分からない、万能感特別感には、理由がない、ということは、それを突き崩せないということで最強です。たとえば自分が子供である、大人である、裕福である、貧乏である、なんでもいいですが、たとえば魚釣りをするのに、細い糸でするから特別だ、太い糸でするから特別だ、ちょうどいい糸でするから特別だ。このように特別感万能感は、条件に左右されなくあるからです。だって理由があれば、その反対の無関係の類似の理由があるということです。理由があれば、それは突き崩せるということです。この理由のなさゆえにある万能感、特別感は、その理由のないことを見ることです。それはそいうことだという認識ができるということです。そんな人が、どこかにいるか知りませんが、たとえば社長だから、裕福だから、頭がいいから、それで万能感特別感があるとして、実は、理由なくあるそれが、社長だから、裕福だから、頭がいいからという条件、理由を切っ掛けとして現われてるだけだということもあるかもしれません。おなじことですが、貧しいから、愚かだから、海外旅行したことないから、何でもいいですが、それで万能感特別感があり得るでしょう。それが劣等感だとしても、それは万能感特別感の裏返しだとしたら、それを解決してるわけではないでしょう。それは理由なく、意味なく、あるんだ。自分が自分だというだけで特別感万能感はあるんだ。これを見破ること。そして条件や対象や理由に接着しないこと。これはかなり大きな契機だったと思います。
No.6858 - 2019/07/09(Tue) 06:54:00

Re: / ubik0101
それと、なんのために生きるのだろう?こいうことも、たとえば有名になるため、裕福になるため、ノーベル賞をとるため。。どう考えても、その何のための、何、は見つかりませんでした。それならそのままにしておけばいいです。なにか個別のこととして答えを出す必要ないです。たとえば清く貧しく美しく生きるため?CENSOREDするため?どんなことも、飛んでもないです。分からないなら分からないままにしておく、この答えは、あまりにも簡単。ほかのどんなことでもないけど、必ず解けます。おそらく誰もが生まれつきのように必ず思うこと、何のために生きる?自分て何?これだけです。
No.6859 - 2019/07/09(Tue) 07:16:36

Re: / hato

今日もそぼ降り、ときどき強降り、今年の梅雨はよく降っています。休日でゆっくり、転がってうたた寝したり、気になる作業をしたり・・・雨色の空に心身を休ませています。

No.6860 - 2019/07/09(Tue) 10:21:17

Re:雨が降りません。 / 勘太郎
 畑がカラカラです。在所の方が言ってました。「作物がかわいそうで、水をやらずにはいられない」と気持ちは同じです。水が無くても育つ個体はあります。渇きに強いはずのサツマイモは元気なく小さいままです。

 渇水があれば、過湿があります。天気が動かないのですから。ま、仕方がないです。蝶々オオムラサキを呼び込もうとエサになるエゾエノキをたった5本ですけれども、植えています。行く度に水をやります。石油缶に水を入れて背負子で運びます。山の中腹ですから大変です。なんとか活着したようです。

 気分次第で私はころころ換わります。昨日は過去について考えました。3・4歳の記憶が始まった時から、今に至るまで一足飛びで過ぎた感じがします。この時には当然ながら、過去のいろんな出来事に私はこだわりません。
 ところが今朝起きると、過去の出来事が嗚呼!なんておいらはばかな事をしたんだと悔やみます。

 私は特別、という感覚は本当に何にでも当てはまります。普通だから特別、不幸な子供時代を送ったから、親が酒が好きだったから・・・
「 学校の先輩に偉い人がいるから、それを誇りに感じます」などどと聞くと、どうしてもそれほどに誇りたがるの?とちゃちを入れたくなります。
 世界が私だとすると、ただうごいているだけでは面白くないので、大げさに泣いたり、笑ったり、苦しんだりの演劇をして楽しんでいるのでしょう。この感覚を、「人生は暇つぶしだ」と感じる人がいるのでしょう。

そのうち、靄が消えてはっきりするとよいなあとおもっています。これが靄の原因だと云う本もあります。

No.6861 - 2019/07/09(Tue) 18:23:04

Re: / ubik0101
どこかで、過去はない、未来はない、今だけがある。というサイトを見たことがあります。ん、過去も未来もなければ、今もない、というのが普通でしょう。と思いました。今があると感じるのは、なにか見える聞こえる思考する行動するってことをリアルに、ある、って感じるからかもしれません。でも、今、は認識できませんし、いろいろ探ってるとすぐ空想の領域に入ります。そいうのは知覚依存で、やはり個別の私、現実の私、なのかもしれません。ボードゲームを遊び始めた頃、こう考えました。こちらが一手打ちます。それから3分で相手が駒を進めます。あるいは5億年の長考の末に、一手打ちます。どっちも同じ一手です。そこで問題は時間ではないらしい、と感じました。そして、一杯の水を飲む・・・それは100億年も前のことでも3秒後でも、そのことは変わりない・・・なにかをするとかしないとかは、時間には関係ない。起こったことは、過去でも未来でも今でもない。ただ起こったこと。だけど物事と物事を結びつけると時間が必要になる。すると、ああすればよかった、こうすればよかった。と空想の領域。思考が問題だ、という人の、なぜ思考が問題なのか聞いたことはないですが、総てが自己責任からの逃避としての思考のことを言ってるのかしれません。思考が問題だ、というのは、おおむねその思考は責任逃れを捜そうとしてるからかもしれません。なんでもいいですが、たとえば誰かを馬鹿にしたことも、馬鹿にされとことも、自分のしたことは自分のしたことで、総て引き受ける。これで時間は介入しないですし、ああだこうだが起きようがないですし、これが簡単で楽なことです。
No.6862 - 2019/07/09(Tue) 20:26:09

Re: 進歩が無いから写真です / 勘太郎
 石狩湾に降る夕立です。下の岩には鵜でしょうか?1羽だけで羽つくろいをしていました。
「おお〜い、鵜こんなところにエサがあるのかあ〜い?」と大声で尋ねたら、ちらっとこちらを見て無視でした。

 前回は笹薮から、鳥が飛び立ちました。たぶん巣立ちしたてで、上手く飛べないのか?・・・。もたついている感じでした。セミの抜け殻があったり、生き物が盛んに活動しています。
 さて私は誰でしょう?と尋ねると、世界に私一人しか存在しません。残念ながら、世界と私は別々です。見る対象と見ている私に分かれて・・・、境目は解りませんが別々です。

No.6863 - 2019/07/14(Sun) 20:52:16

Re: / ubik0101
ではなぜ、自我は、ない・・・真我は、ある、とされるのでしょう。

そして、なぜ、世界と乖離して自我は、ある、と感じ・・・真我は真我にあって、ない、と感じるのでしょう。

とても大雑把に言うと、ある、と、ない、の、いれこ構造。のようです。

ひとつ・・・が世界の源です。その、ひとつとは、実在。です。実在とは、それがそれの原因。だということです。

たしか聖書では。わたしは、私は在る、と言われるものである。と言われたりします。

なぜか、この世界は、その実在の解き解れる様で、それを時空と呼びます。

そこでは、ほかのことが、ほかのことの原因で、生滅します。相依性、因果と呼ばれます。

ほかのことは、ほかのことに対して、つまり分離して、ある、ない、ある、ない。です。たとえば人は世界と乖離すると、犬は猫と分離して、楽は苦と乖離して、ある、です。それは生滅の生を、ある、と呼んでいるということです。滅を、ない、と呼んでいます。

しかし世界は、完全な分離ではない、完全に一体ではないです。この世界は、あるのでも、ないのでもないです。

わたしは、ある。私は私と差がなく、対象にできえず、あるにありきって、対象にならないゆえに、ない。と呼ばれる。

No.6864 - 2019/07/15(Mon) 07:34:29

Re: / hato

こちらは、未だ雨がよく降っています。日照不足がどうとか言われてますが、激しい日照りよりは落ち着きます。湿度は高い、肌寒さと蒸し暑さが交錯しています。勘太郎さんの辺り、いい雨があるといいですね。

あってもなくても、・・人が生きる。
どうあれど、学ばざるを得ないなにかです。

滋賀にありがとう村、という真言を唱える場があって、そこの先生が、「世界は入れ子構造で出来てる」と話していたことを読んだことがあります。併せ鏡の合間のような、無限ループのような、世界の有り様として見ていらしたでしょうか。

その方を思い出し、調べたら、昨年冬に亡くなったとあり、胸に来ました。信念を信仰に高め、沸き起こる智をもって逞しく、独特に貫き通した人で、いろいろ言う人があったとしても、自分はそこに、人として有難い、尊い光を見ることしか出来ません。

艱難辛苦を祈りに変えた人生に、祈りを実質に生きられた人生に、深謝を禁じ得ません。ありがとうございます。

No.6865 - 2019/07/15(Mon) 23:19:24

Re: 自分を捨てる覚悟がない / 勘太郎
 入れ子構造、「絵は画家が描き、画家は絵の中に居る」という説明があります。自我は真我の上で働き、真我は自我として表現される、でしょうか。

 仏教の本質とは、という題名の結構売れている本があります。読みましたが、理解力のない私にはさっぱり理解できないで、時間を損したと感じました。しばらく前の事です。

 今は仏教の本質は自分を捨てろ!かと思います。その捨てる方法を延々と探るのが宗教か?と
 高い木の枝から、手を放して落ちて死ぬ事の覚悟ができないのが、おらだなあ〜と思いました。

 腰に世間と云う杭からワイヤーロープを結び付けて、「さあ 覚醒の山の頂上を目指す」と公言して歩きしているのがおらです。ワイヤがピンと張るまでは動きますが、2歩も歩けば留まります。
 ワイヤを外す覚悟がありません。実際はワイヤなど元から、無いのでしょうけれども。

 覚醒を目指すのを止めようと思っています。覚醒を目指して、自我の働きを強く使っている。覚醒を忘れることが出来れば、ワイヤが外れるはず。こんな事を思いました。

No.6866 - 2019/07/16(Tue) 07:22:40

Re: / hato

よく生きる。よく生きようと努力する、今日はこれだった、また進もう!。自分にはこれしかないです。お金は生きる上で必要だけど、大事じゃない。

「よく生きよう。」その歩みが、とても大変で、ちょっと幸せで、楽しい・・ではないでしょうか。

涼しい夜。今週中はもうすこし、こんな雨曇りだそうです。

No.6867 - 2019/07/18(Thu) 01:06:01

Re: 先週少し雨が降って一息つきました。 / 勘太郎
 ハトさんの言葉は、元気が出ます。

すべての可能性を持った、大きさや苦楽の無い世界で、生きることができたら良いと願います。
 
読み返して、感じました。上記の文に主語は不要です。

No.6868 - 2019/07/18(Thu) 06:57:48
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