151529
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
非対象
/ ubik0101
引用
>ブッダの言葉 (スッタニパータ) 第一
>【1、蛇】
>1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
>──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
この詩句も、うろ覚えでしたが、検索してみました。そしてこの後、いろんな状況が説明されてて、ああ続きがあるのか、という感じです。スッタニパータは、理解困難な文章ですが・・・ここでまず、
どこかで聞いた話ですが、ある教師が、死霊、という小説を読んで生徒に言ったそうです。なんとしてもこれを論破してやろうと何度も読むのだけど、まったく分からない。と言ったそうです。
いや。そんなこと言ってる、その自分だろ。問題は。論破すべきは、解明すべきは、そのそんな自分だろ。それを蔑ろにして、誰かを判断しようというその教師は、そしようとしてるその自分が
No.7866 - 2024/11/10(Sun) 06:36:21
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
引用
なにか論破するほどの能力があるほど完璧ではないと認識することがブロックされてるかもしれません。小説にしても、書店に行くと一生では読み切れない本が並んでる。世界人口は90億くらいだとして、そんな誰かの、
なにか言うことに行動することに、総て関り理解できるのだろうか。それは永遠に不可能。それよりその自分。たったこれ、これを解明すればいい・・・一番簡単なことをすればいいい、なのに・・・その自分のことは、
知ってる、分かったつもりで、度外視して、なんか、論破、批判、非難、賛同・・・しようとしてるんではないか。その自分から眼を背け続ける、そんな人生でいいのだろうか。
まずは自分は愚かだという現状認識。そこから、おなじ小説を読むことが、同じ論破しようとすることが、生徒に話すことが、自分は何?の実施のきっかけになるかもしれません。ところで小説に限らず、
No.7867 - 2024/11/10(Sun) 06:41:35
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
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なんでもいい・・・争い、平和、裕福、貧乏、宗教、噂話、ビジネス・・・傲慢、卑下、平等、不平等、幸不幸、娯楽、旅行・・・なんでもいい、どうでもいい・・・自分から眼を背けることにもなる。
その同じことが自分が愚かなことに気がつく経験にもなるのに。ところで、なんのために生きるのだろう。こんなことをして何のためになるのだろう、まだ幼い時にも、それぞれ人類全員が思うのではないだろうか。
その答えは、なんと答えても駄目だ、万巻の書を読むことでも、地球を観光するためでも、有名人になることでも、世界を征服するためでも、死ぬことでも・・・どうでもだめだ。そのために生きてるわけではない、
そんな掴み所のない何かを感じたことはないだろうか。それはあまりにも簡単。自分のために生きるのです。なのに論破、噂話、空想、事実、争い、どうしたことだ。いろんな事象に巻き込まれて、自分を蔑ろにして
まったく自分のためにならないことを、自分のためと勘違いしながら、永遠に続けてるのではないか。こんな滑稽な人生でいいのか。悪とは自分のためにならないことをすることだ。それでいいでないから、それが自分に認識できるように、毎日おなじことを続けるのではないか。
No.7868 - 2024/11/10(Sun) 20:39:44
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
引用
なんでもいいですが、ここでこんな文章を読んで、さて、それを対象にすると、対象にしてる自分が生じるかもしれません。そうだ。にしても、いいえ、にしても、つまり、
なにかに対応してる自分。なんか書に、友人に、ニュースに、噂話に、応じて、ぽっと生じてるだけの自分。たとえば運転してて渋滞だ。赤信号だ。するとそこで、
急いでるのに邪魔されて不快を感じる、そして急いで走るというとくに快ではないけど、それを快だとして不快を打ち消すことを求める自分を捏造していないだろうか。いい天気です。
あるいは嵐です。なんでもいいですが、それに対応する。誰かに怒ったらそこで、正しい自分を捏造してないだろうか。愚かな誰かを見ると、ありもしない賢い自分を捏造してないだろうか。
その自分が正しいという理由はいくらでも捏造で得きる。同じことを何回でも繰り返す、気がつけ気がつけ、そんな自分だということに気がつけと。
No.7869 - 2024/11/13(Wed) 20:18:28
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
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あくまで例え話だけど、昔あったテープレコダーのように。磁気に接近した鉄粉が、磁気を帯びるように、その都度その都度、上書き着磁されてしまいます。すると、まだあるのか知らないけど、何も録音されてないテープを
そこでは必要とするかもしれません。磁石には鉄が中心にあるように、心とか、精神とか、魂とか。ほんとの自分とか。そいうのが設定されると、その上に、あらゆる幻のような事象に接触して。幻のように、ぽっと生じる、
あれやこれやを経験したり、しなかったりの自分が生じるのではないだろか。上書きされてそれは消えてしまうのだけど、消えない無くならないなにか基礎、基底として設定されてはないだろうか。着磁、上書きされるためにはバイアスが必要、
No.7870 - 2024/11/13(Wed) 21:22:50
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
引用
そのバイアスがかかってることに気つかない。それは、たとえば、高い自己評価。でなくてどうして、何かを論破しようとしたり、判断、非難、賛同、噂話、傲慢、卑下、嘘、事実・・・そんなことで争えるだろうか。傲慢であって、
その傲慢に気がつかない・・・非難しながらその非難してることに気がつかない・・・噂話しててその噂話してることに気がつかない・・・愚かとは、自分でしてるのに何をしてるのか分からないこと・・・それに気がつけ、その行動が言葉が思考が、訴えてる。
No.7871 - 2024/11/13(Wed) 21:26:52
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
なんであれ何かを対象にすると、それを対象にしてる自分が生じる、というモードで話してるここで、では実際、誰かは、あるいは木や花や世界は、対象だろうか?過去は、記憶は、対象だろうか?
いや、断じて、世界は、誰かは、思考は、過去は、記憶は・・・なんであれ知覚でき得ることも、できないことも、対象ではない。対象に出来得ない。けど、たぶん、もしかして、自分で自分を見る人は、心、精神、魂の人は、
他のだれかから見ることとして自分を見る人は、ほかの誰かも、小説も、宗教も、哲学も、政治も、言葉も、記憶も、なんであれ、自分のしてることが分からず、愚かで、自覚なく、対象かも知れません。ところで、
No.7872 - 2024/11/13(Wed) 21:37:45
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
さて、朝になります。世界は自然な透明光に溢れています。ここで、たとえばその透明光に溢れる空間に、赤、が見えるでしょうか。青、が見えるでしょうか。
いいえ。見えないです。ある、から、見えないのです。もし、なんであれ、透明光から赤を削除したら、透明光は透明光ではなくなります。あるからないです。
ないからある、です。自己は自己には見えない。あるから、ない・・・ないからある。と言ってもいいです。自我は見える、あるからない・・・ないからある。と言ってもいいです。
No.7873 - 2024/11/17(Sun) 07:30:09
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
たとえば怒ったとします。その状況は、誰かであれ、政治であれ、世界であれ、対象が設定されます。そして、対象を対象にしてる私、自分、俺、僕が設定されます。
そこですでに怒りを正当化する理由がなんと呼ぼうと、その私、に組み込まれています。たとえば犬が自分を守るために怒り吠えるように、その自分を守りたいということもあるでしょう。
笑って誤魔化すように怒って誤魔化すもあるでしょう。愚かさを叱咤激励することもあるでしょう。そのように何か対象と、対象にしてるにしてるその自分があることを正当化する理由をつくります。
このようにして、世界、現実、人生、空想、思想、学問、科学、嘘、なんと呼ぼうと、それに縛り付けられます。まるで蔦や藤が縺れて絡みつくように自分を縛ります。葛藤、と呼ばれます。
そのようにして人は世界に縛り付けられ、縛り付けられてるとの自覚もなく、その自分をガードする、自分を騙す勝手な因果をつくり縛り付けられます。たとえば・・・ルーツ、先祖、子孫、アトランティス、プレアデス、事実、
空想、神、仏、輪廻・・・この世界、あの世界、なんであれ・・・その自分は自己以外のことに依存します。それは怒りだけではないです・・・嫉みでも、偽善でも、傲慢でも、卑下でも、
娯楽でも、喜びでも、不安も安心も、絶望も希望も、名前も、年齢も、性別も、戦争も、平和も、善悪も、部分も全体も・・・ありとあらゆることが、そのような勝手な因果な自分をつくりそれを正当化する理由の媒介になります。
No.7874 - 2024/11/19(Tue) 21:08:54
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
どすればいい?そのことから、そのことを学ぶのです。その私、俺、自分、僕。それがそうだという構造を観察するのです。もし自分が自己評価が高いから、そんなことをしてると分かったら、それを左右する必要はないです。傲慢な人が謙る必要はないです。
私は傲慢だった。それを心から、精神から、魂から、認識するのです。でないと、謙るにしても、悔やむにしても、気晴らししたり、そのことから逃げるにしても、ほかのことを意図するにしても、また対象と対象にする私がつくられます。
つまりは何をしても、心ここにあらず、精神ここにあらず、魂ここにあらず・・・自分が実に何をしてるか、言ってるか、思考してるか、自分で分からない・・・これはいわゆる悪い意味での思考、行動の、話の、領域です。
それを何十年、一生の間続けても、何もなりません。嫁いだり娶ったり、裕福になったり、貧しくなったり、怒ったり、喜んだり、健康だったり、病気になったり・・・それについての行動、思考、発言・・・自分のためにならない葛藤に巻き込まれ続けてるだけです。
No.7875 - 2024/11/27(Wed) 07:38:27
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
この僕、私、俺、自分が、自分のしてることが自分で分からない?こんなこと聞くと誰も嘲笑うかもしれません。そのくらい愚かなことに気がつかないほど愚かなこと、それに気がつくこと。そするためには努力は必要かもしれませんが、出来ます。
No.7876 - 2024/11/27(Wed) 07:39:42
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
ちょっと繰り返しますが・・・自分が傲慢だと気がついたら、謙る必要はないです。欲が強いと気がついたら、弱くなろうとする必要はないです。激しい気性と気がついたら、柔らかくなろうとする必要はないです。
愚かだと気がついたら賢くなろうとする必要はないです。そいう自分に気がつくだけ、が大事です。そのことと反対のこと、類似のこと、無関係なことを求めるのは、総て逃避です。自己責任の放棄です。そしてることには、気がつくでしょう。
そしてたとえば、傲慢だ。としても、謙虚だとしても、バイアスとして自己評価が高いてことに気がつかないでしょうか。公平だにしても、不公平だにしても、どっちでもない。にしても、自己評価が高い、あるいは愚かだ。自分は自我だ。に気がつかないでしょうか。
あるとき威張ったら、威張ってない平常通りのときも、威張ってる自分だと気がつかないでしょうか。ドッジボールで相手がボールを持ったら背を向けて逃げない、相手に向き合う。それだけです。自己責任から逃げないということでもあります。気がついたら自然に世界が人生が働くようになります。
No.7877 - 2024/11/27(Wed) 09:55:19
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
理解することは得ることより、失うことに似ています。分光された赤を認識する。それから総ての色が、赤が、青が、黄があって自然の透明光になるように、理解によって透明になるのです。非対象です。つまり総てがあるから透明光・・・見えなくても、なくなることは、なにもないです。このように
その人の行動、思考、発言は。事象は。世界は。人生は、ちょっとした触媒として機能するだけです。これは一人でやらねばなりません。が、一人も、みんなも、断片も、全体もないのです。ま説明としては、その、その一人一人が総てやればいいのです。
ならば、断片も、全体もないです。あまりに起きる事象に気をとられてるなら、そのその自分が問題だ。です。誰かからいい人だと思われたいなら、その自分が誰でもなく、いい人になればいい・・・です。赤が見えたら、その補色が見えるように、そ言えるだけです。
No.7878 - 2024/11/27(Wed) 10:01:57
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Re: 非対象
/ hato
引用
静岡に父がきました。もう、いい歳を、ちょい越えたくらいのいい歳・・のお父さん。ちょっとふしぎなことがあっても、元気でいてくれるなら、やっぱり嬉しいものです。
さとり、覚醒、成長・・それも断片に過ぎない・・と思うなら、その人自身が断片かも知れません。
No.7879 - 2024/11/27(Wed) 22:46:31
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Re: 非対象
/ ubik0101
引用
>1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
>──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
なんでもいいですが、怒りが起こったでも、喜んだでも、思考したでも、怒らなかったでも、分離も全体も・・・葛藤です。この世界に・・・つまりは自己以外のことに依拠し、その怒り、喜び、思考、怒らなかった・・・が生じています。それに巻き込まれず、
それからそれを学んで理解するのです。怒る自分、それを可能にする理由。喜ぶ自分、それを可能にする理由。心配する自分。それを可能にする自分。傲慢な自分それを可能にする理由。自己責任から逃げる自分、思考する自分、思考しない自分・・・その理由は隠蔽されて
なければ機能しません。見ればいのです。明るみに出せばいいのです。とても高ビーな誰かがいました。そして高ビーな自分だということにさえ気がついていません。でも、その行動、発言、思考に現れるのです。自分で自分の発言は、
行動は、思考は、見えるのです。誰かに指図したら誰かに指図したと分かるでしょう。それで分からないのは、その裏の、隠れた理由に支配されてるからかもしれません。たとえば、自分は家系がいい、郵便貯金がある、男である、女である、生まれた身体を間違った、病気である、
健康である。年少である、年長である、同年代である・・・なんでも理由になり得ます。この私を見て頂戴。承認要求。なんであれそれは総て。その人がそうしようとして、自分で自分に隠して自分を騙して、そうしてるのです。なので見れば終わりです。
それと理由のない特別感、万能観、たぶん誰でも子供の頃は、そいうのに支配されるでしょう。それをそのままに保存したかもしれません。簡単です。見るだけです。でも、誰かのことを言っては駄目。誰かに言われても駄目。そんなことは永遠の葛藤です。
自分のことは自分で見る、それだけで済みます。簡単です。自分で自分の機能を学ぶことができます。意識は意識の機能を学ぶことができます。それが、この世界であれ、かの世界であれ、事実であれ、空想であれ、そこに縛り付けれれる。葛藤を、縺れた糸を観察して解くのです。
No.7880 - 2024/12/02(Mon) 07:46:15
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
引用
たとえば過去も未来も今も、この世もかの世も、自己以外の事態です。葛藤です。では、自己に依拠するなら、どのように感じるでしょう。それは、虚無です。これだけです。これがこれを感じてみようと試みると・・・そこは。ない。虚無です。説明としては、
これがこれの根拠なので、これを感じることができない。あるからないです。ないからあるです。ここにあって。名前に年齢も性別もないです。そいえば、ディズニーランドという白黒のテレビ番組で子供の頃、見たことがありましたが、古代インドの
なにか世界観・・・とても馬鹿馬鹿しい話として番組では紹介してましたが・・・地球は六頭の象が支えてる、それを大亀が支えてる。その下は、なにもないのだ・・・象とは知覚とか感情とか意識のことでしょう。亀とは、自己・・・それを支えるのは何もない・・・虚無。それは他のどんなことでもない、という意味です。ほとんど書を読みませんが、
No.7881 - 2024/12/02(Mon) 08:04:00
☆
Re: 非対象
/ ubik0101
引用
・・・そのことについて言われてる言葉。検索してみました、
ヨハネによる福音書 3:8
>風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
『無門関』第1則
>趙州和尚(じょうしゅうおしょう)、因(ちな)みに僧(そう)問(とう)、狗子(くし)に還(かえって)仏性(ぶっしょう)有(あり)や、也(また)無(なし)や。州(しゅう)云(いわく)、無(む)。
六祖壇経
>菩提は本より樹無し、
>明鏡も亦た台に非ず。
>本来無一物(むいちもつ)
>何(いず)れの処にか塵埃有らん。
No.7882 - 2024/12/03(Tue) 08:06:33
☆
ついでに、
/ ubik0101
引用
たしかに、時間は認識できません。つまり過去、未来、今は認識できません。そこに配置された物語と物語の関係で、時間は想定されるだけです。そして空間は認識できません。遠くも近くも左右も認識できません。
ただ家や山や人・・・との物と物の関係で空間が認知されるような気がするだけです。そして物語、家や木、花、は、何が何だか分かりません。また私が見るためには私との距離が必要です。まったく距離がなくなったら世界は消えます。
でなくても時間そのことに空間そのことに焦点を合わせて見ることはできません。ここ。は、認識できるとするなら、仮定されたほかのどこかから設定された空想上の地点です。今も同様です。
そして全体は認識できません。さらに自己は認識できません。認識できない繋がりで・・・今、ここ、全体・・・が、なにか過去、未来、分離・・・そんなこととより優れている?
とかいう意見があるかもしれません。でも、問題はそこじゃない・・・時空の、世界のことじゃない・・・その、その自分。そのことです。人。が、どうなのか、ということです。これは状態でも、有様でも、境地、境涯でもないです。
No.7883 - 2024/12/21(Sat) 20:54:30
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
末那識と阿頼耶識の関係
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
No.7886 - 2025/01/02(Thu) 06:11:46
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
そいえばヤフー掲示板で見かけたゴウさん。薬山弘道大師の言う、不思慮底を思慮せよ。を、あなたは(自分)は何?とか解してました・・・おお。て感じでしたが・・・そのゴウさんが誰かに、今ここ、てどいうこと?
て質問してました。(自分)と距離がない、てことです。過去や未来は距離があると、意識の機能で問題、葛藤が起きるってことです。それと、今ここは、分離がないとか、既知でない未知とかいうことでしょうが・・・既知も・・・未知です。
No.7887 - 2025/01/07(Tue) 13:49:55
★
続
/ ubik0101
引用
たぶんですが、おそらくですが、証明できませんが・・・自分で感じる自分は・・・自分という感じが自分にあるということは・・・自分が勝手に空想してる世間から見た自分。履歴、職歴、病歴、年齢、
性別、名前・・・過去、未来、今・・・ありもしない空想の因果。事実の因果。そいうのが映ってる幻のようなことかもしれません。そしてまた年齢を重ねても変わらない、なにか普遍の心、精神、魂。
そんなのが映る・・・ありたい自分が見えてるのかもしれません。そんな役を、自分で感じる自分が担当してるのかもしれません。あんまり証明にはなりませんが、
この自分で感じる自分。というのがない・・・一人ある、この日常は。ほかの誰かから見た自分、世間・・・過去、未来、今・・・心、精神、魂。そいうのが、まったくないです。
No.7865 - 2024/09/28(Sat) 22:33:04
★
まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
雨が降っています。
こう思考しても、思考しなくても。
雨が降っています。
No.7849 - 2024/08/27(Tue) 21:36:08
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
そう思考しなくても、
そう、なことを、そう、思考してるだけです。
No.7850 - 2024/08/27(Tue) 21:37:39
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
なんでもいいですが、たとえば、
うどんがなぜ
うどんの味なのか・・・見えるがなぜ見えるか、
怒りががなぜ怒りか、思考ががなぜ思考か・・・
意識がなぜ意識か、つまり
これはなぜこれか、なにも知らない・・・ここは、
縁起の順観と逆観の分水嶺です。
No.7851 - 2024/08/31(Sat) 06:13:44
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
たぶん仏陀に、
縁起はなぜ縁起?と聞いたら
きっと面白いだろう。
No.7852 - 2024/08/31(Sat) 06:26:42
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
これはこれでなくていいのにこれ、です、
No.7853 - 2024/08/31(Sat) 06:27:37
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ hato
引用
晴れのごちそうぶどう、・・てなんて素敵なんでしょう。
やっぱ、これです。
No.7854 - 2024/08/31(Sat) 21:40:10
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
なんでもいいのですが・・・こんなことは生まれて初めてのことだ。とか、聞いたり言ったり、することがあるかもしれません。そんなとき、ちょっと恥ずかしいような、気まずいような気がしないでしょうか?
だって、生まれるということが、世界ということが、気まずいというようなことが、いったい何なのか、知りもしないのです。知ってることが何なのか、知らないということが何なのか、知らないのです。
たとえば見知らぬ惑星に一人で投げ出され、その自分もなんであるか、まったく知らない。これは何なんだ。なのに・・・なんでもいいですが・・・小学校に行ったら、女先生だった。友達100人できるかな。
No.7855 - 2024/09/03(Tue) 15:06:57
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
なんだか経験して、知ってること知ってると思い込んでることを結びつけて意味づけし、わかったような気になって、それに絡みつかれて気がつかないでるかもしれません。葛藤、と呼ぶそうです。
No.7856 - 2024/09/03(Tue) 15:08:05
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
ここで・・・なにも知らない。がいいことだ、とか言いたいのではありません。ぽっと生まれた感じで、なにも知らないが、当然でないでしょうか。そしてその自分についても、なにも知らない。怒ることもあるでしょう。
悲しむこともあるでしょう。思考することも、しないこともあるでしょう。感情がなぜ、感情か、思考がなぜ思考か、そしてる自分がなぜ自分か、なにも知らない。です。繰り返します。
♪もーいくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて・・・あーそうなんだ。夜になったら布団で寝てるな。いまはまだ正月ではない。時間がたつと、正月がくるんだ。餅なんかも食べる・・・不思議・・・雨が降ると天気が悪い。
No.7857 - 2024/09/03(Tue) 15:12:05
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
風邪をひくと熱が出る。薬を飲むと熱が下がる。親から怒られたら厭だ。厭だから、いい子になろう。厭だから自分を守ろう。厭だから離れよう。貧乏だと苦労するから厭でも勉強しよう。好きだから勉強しよう。
なんだか訳のわからないことだけど、なんかとなんかには、因果関係があるようだ。誕生日、記念日も祝うから祝いの日になるんだ。それが嬉しいと想うから嬉しい・・・物理的?な因果、予めの判断による空想の心理的な因果、勘違いな因果がありそうです。
No.7858 - 2024/09/03(Tue) 15:15:11
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
みんな知ったかぶりです。なにも知りようがない・・・だけど何かと何かに関連づけられたことは、知る。わかったような気がする。それが事実の、また空想の因果でも。世界を学ぶような気がする。だとしても、
なんでもいいのですが、ある歌手が「死ぬときは死ぬから、笑顔で生きたいよね」と言ったそうです。死ぬときは死ぬから、(未来に起こるであろう仮の原因)、世界をくまなく旅しよう(望ましい結果)。死ぬときは死ぬから、
一生学ぼう。遊んで暮らそう。知らない誰かのためにも、働こう。死ぬときは死ぬから・・・原因も結果も、なんでもあるでしょう。雨が降ったら天気が悪い・・・因果をつくれば、知った気になる。そんな運動が起こってるのです。
No.7859 - 2024/09/10(Tue) 18:43:18
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
そんな心理的な、空想の、あるいは事実、現実の原因があって何か分かったような気になったとして。そのような仕方で、仮に世界の総てを知ったつもりでも、その自分は知らない。
まあ、金持ちになって余裕の生活をしても、貧しくて心配な生活をしても、余裕がなぜ、余裕か、心配がなぜ心配か、塩の味がなぜ塩の味か、これはなぜこれか、誰が知ってる?適当な因果をつくって説明して自分を騙すとしても、
人生の何が解決されたというのでしょう?それで、内側と外側とか、身体と心とか・・・そのあたりから始めるならもうアウトで、なにもなく、なにも知らないから始めるのが好ましいです。
でもなにか知ってることからしか始められないなら、その自分の思考、発言、行動の隠れた前提を探る。何でもいいですが、いつまでも噂話するそいう自分の状態は、どいうこと。悔やんだり妬んだりするその自分の状態は、どいうこと。
なんだか知ることが出来得るとして・・・そいうことを思考、話す、行動する、その、自分の有様。嘘を言っても、事実を言っても、勘違いしても・・・死ぬときは死ぬから、ああだこうだ・・・学ぶことが出来得るのは、
No.7860 - 2024/09/10(Tue) 18:46:00
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
そしてる、その自分の状態です。自分で自分を知ろうとする、これが意識の機能です。また意識が意識の機能を学ぶのです。意識は対象、内容がなければ機能しない。空間、時間の差がなければ機能しない。
たとえば仮の自分を設定して、それは眼の奥、胸の奥に想定して、それが死んでも死なない自分。ほんとうの自分だと思うかもしれません。このように、自我を真我と思うようです。
そならば、それを見てる自分はなんだろう。偽の自分?ならそれが、真の自分を見るとしてそれは妥当?こんな奇妙な状態は、その自分が虚構だと理解するまで、続くようです。
No.7861 - 2024/09/10(Tue) 18:48:12
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
なんであれ、結局、なにか日常は、自分を知ろうとすることです。若くても年齢を重ねても、グーグルの口コミを書いても読んでも、知人と仲良くしても、喧嘩しても、公共の活動しても、何か誰かに話しても話さないでも
世界の情勢を鑑みても、憤慨しても、喜んでも、運動しても、感情が動かなくても、事実の思考をしても、しなくても・・・自分を知ろうとしてもしなくても、ふざけても真摯でも、なんであれ、自分はどんな状態か?と探ってるのです。
No.7862 - 2024/09/17(Tue) 06:23:08
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
また何か・・・なんでもいいですが、私はない、また私はある。私は魂。とか、こんなことを聞いたとします。そしてその後のあるときまた、私はない、とかあるとか魂とか、思い出したり聞いたとします。すると、あ、それ知ってると、
あれがあれで、それがそれだと架空の因果をつくって、思考を展開して、知ったかぶりで自分を騙すとしても。また、何でもいいですが・・・なにも知らない。と聞いて、そりゃ、かなり変。馬鹿?と感じるとしても。そうだ。
たしかに私も何も知らない。また興味が無い、と感じるにしても、結局。その、その自分の状態を、その自分が分かるようにそう思ってるだけです。そしてそのことそいう事実、どんなことであれ日常が、私は何?という問いかけです。
No.7863 - 2024/09/17(Tue) 06:27:36
☆
Re: まあ、あれですよ.
/ ubik0101
引用
そう見ると、泳ぐ魚にとっての水のように、飛ぶ鳥にとっての空気のように、そでないことなどないくらい、当然、なことなので、見逃されてるかも知れません。
そこで、若くても年を重ねても変わらない、自分で感じる自分という感じ・・・それは一応の基準として機能する、そいうのがコロコロ変わったりするなら、なにか学ぶ、理解する基準が変わるので、それは
確実な理解とはならないので、仮にも立てられた主体ではないでしょうか。さらに。なにか行動する、発言する、思考する・・・そのことは、自分で自分を知ろうとする機能ですが、それは、
そのことによって、自分で自分をつくってる。ということでもあります。それが影響なくスムーズに出来るように。そのなにか認識できないけど、手に届かないけど、そんな普遍の心とか、精神とか、魂とか、仮設されるようです。
No.7864 - 2024/09/17(Tue) 06:48:07
★
名称と形態3
/ ubik0101
引用
>ブッダの言葉 (スッタニパータ) 第四
>【11、争 闘】
>874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。
では、ありのままに想う者の想いとは、どんな思いのことでしょう。たとえば、a=aの思考、因果関係による思考。科学的、数学的な思考。事実そであることの、思考。などではないかと思われるかもしれません。でも、なぜ、ありのまま思う者でないことが推奨されるのでしょう。
そして、誤って思う者の、思いとはどんな思いでしょう。たとえばあくまで簡略な説明ですが、雨が降ってる。は。言葉にならない状況を言葉にしてるだけです。雨が降ってる。それだけです。でも、それだけでなく、雨が降ってる、天気が悪い。なら、
思考上では・・・雨が降ってる、でも、おおむね農家は喜ぶ。を排除してる。なので雨が降ってる天気が悪いは、そ思うその人の状態が前提にされてる。なにか前提が先にある思考は、その自分勝手な、正確ではない思考かもしれません。
また、ありもしない原因から結果を想定する。あるいは結果から、ありもしない原因を想定する。愚かな人はこんな状態で、その自分が愚かなことを自分に知らせるために愚かな思考をするのですが・・・愚かであることにも気が付ない愚かかもしれません。
No.7836 - 2024/06/21(Fri) 21:22:59
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
なんであれ、その人なりの意見があるでしょう。ありのままに思うこと、誤って思うこと・・・それはなんだかの基準で定義されたり・・・定義、根拠なく、ありのまま、誤ってると主張されたりするかもしれませんが・・・それは、どうでもいいのです。
たとえば技術的な思考、科学的な思考、数学などの公式だって。雨が降ってる。だって、この私の意見だ、この私が知ってる、誰かは知らない、とかであれば、誤った思考と違いはありません。そのような思考によって、その自分がつくられる。それは問題だ。です。
なぜか?それは思考する自分がある。自分で感じる自分があるからです。それは、その私が私でないから私を感じるのではないでしょうか。完全に私が私なら私を私が感じるのは変なのです。
No.7837 - 2024/06/21(Fri) 21:31:23
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
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なんであれ思考によって、その自分がつくられてるということは、私の原因が、私ではない、ということです。また、思考は単なる知覚です。星や、月や、花や、風のように、単に見えることです。どんな思考であれ、ならば、なんの問題も無いです。
なんでもいいですが、自分から見た神から見た、自分から見た親から見た、自分から見た友人から、ほかの誰かから見たとして空想される自分。世間から見た自分。自分から見た世間。自分で見る自分。自分から見られる自分。どっちが自分?たとえば魂があると考えてるその自分は何?
これらはなんであれ、その自分が自分ではないのです。それでいいならそれでいいのが世界の凄いところです。自我のまま一生を終えたいというなら、その人の自己責任。その人のことはその人に完全に任されています。
No.7838 - 2024/06/21(Fri) 21:38:39
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
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まあ世間には、思考が自分だ。という思考もあるようです。もしかしてです、思考は知覚できます。思考してる自分は知覚も、認識も、自覚もできません。それで知覚できる思考が自分だと想う、感じることができるのではないでしょうか?
ちょい実験してみましょう。リラックスし椅子に座ったりしながら、気に入った音楽を聴いてみましょう。眼を閉じてもいいです。その時、自分で、どこか気を回して、たとえば背中を感じてみます。感じてるのはそこだけです。そこで、たとえば、腹、胃や肝臓あたり・・・足、
つまり自分が感じてない身体のところ、それに気をつけます。つまり自分の身体が感じられない、そこに注意します。そこで聞こえてる音楽が、自分の身体ではないですか?
つまり、知覚できること、ここでは音楽を、意識?自分?は拠り所にして身体とみなすのです。これ、うまくいくと、自分が感じられない自分、について、自分て、透明だ。に気がつくことがあるかもしれません。
No.7839 - 2024/06/25(Tue) 10:03:05
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
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つまり、思考が自分だ、あるいは思考の束が自分だ、とは。自分を知覚でき得ない自分が知覚できる思考を自分だと想うのかもしれません。でも、もし思考が自分とするなら、行動も、話すことも、その束とかが自分ではないでしょうか?
なぜ思考だけ?それは意識が自分だという前提があってのことではないでしょうか。思考が自分だ。は、そのフィールドとして仮定された意識。それが自分だ。でなければ成り立たないのでは?意識とは単に、自分で自分を知ろうとする機能では?
繰り返します。思考によって、その思考する自分がつくられます。そんな、自分は思考だ。という段階?状態?もあるのですが、それはその自分が、思考、言葉に育ててもらってる自我の状態です。思考を使うのではない、使われてる。
そこでは、自分が何を思考してるかも判らず、思考させられています。それと、思考が自分なら、行動だって、話すことだって、自分と考えなくては、ならないのでは?自分がなにを行動してるか話してるか、わからないこともわからないでは困ったものでは?その思考、思考の束、言動の束の中心は、ない、のでは?
No.7840 - 2024/06/25(Tue) 10:13:39
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
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そのように思考させられてる、行動させられてる、話させられてる・・・それが問題なのは、させられてるのに、それを自分で能動的に行ってると勘違いするところにもあります。といって、なにも受動的である必要はないです。
これは世界が手取り足取りして、その人にその自分を学ばせようとしてるのです。またこの思考は私がした、あの行動は私がした、その話をしたのは私だ。また私の思考、私の行動、私の話・・・その私は、その自分を自分で見よう、
知ろうとする意識の機能が設定した、時空の歪みで可能になる、自分で感じることができる私でしかないです。また自由意志の問題もあります。そこにずっといたいのでなければ、こいうことを探ることが、扉になります。そのことから、そのことを学ぶのです。
No.7841 - 2024/06/29(Sat) 20:18:48
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
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ところで風景が自分だ。向こうから歩いてきた知らない誰かが自分だ。という体験は、この自分は自覚でき得ない、それで自覚できる対象が、自分だ、と感じるのかもしれません。
つまり自覚できない、これ、が自覚できないとして現れず、意識されず、現前されず、という方法?で、そこはかとなく、これ、を示唆してるのかもしれません。
No.7842 - 2024/06/29(Sat) 20:20:07
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
そいえばですが、身体が自分だ。と言う人が、実際にいました。そこで、知覚できることは、見る聞くも、感情も、思考も・・・これでない、これでない、これでない、とやって行けば、
必然。真我を見つけることになるかもしれません。それでいいならそれでいいのが、世界の凄い特質です。そうですね。私には、年齢も、性別も、名前もない・・・ただそれだけです。
No.7843 - 2024/07/01(Mon) 20:29:11
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
そして、思考がないことは問題だ。です。想いなき者とは、説明としてですが・・・なにかそのことにかかわらない者、かかわらないので、そのことに思いがない、ことに気がつく者。たとえばですが、
どこか過去でも未来でも外国でも宇宙でも・・・知らない誰かが生まれて、なんかして、なんかしなくて、その一生を終えたけど、知るよしもなく・・・意識の範疇にないこと。に気がつく者。
あるいは。知らない誰かにとっては、この私は知らない誰か。とくに自分を重視することなく、承認要求のない人。なんであれ、見る聞くが、喜怒、感情が、思考が、こう、でなくていいのに、こう。なにも知らない日常。
あるいは、赤信号で止まる。青信号で進む。それで、空想の因果によって、その空想をする、空想の自分をつくる必要がない。事実の因果によっても、自分をつくる必要がない・・・です。
それは実際、思考が・・・あってもなくても、因果があっても、なくても・・・そのことによって自分がつくられない。自分で感じる自分がない。です。してること、考えてること、話してること。それそのこと、が、それそのこと。です。
No.7844 - 2024/07/08(Mon) 13:45:15
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
このように、自分がない者の、どうしてそれが問題なのでしょう。仏教では、自分がない、ということは、大事だと想います。しかし、それは問題だ、です。しかし、この、ない、ということは、どいうことでしょう?
どなたか・・・ない・・・を定義してみてもらえないでしょうか?私は、仏教者でもなく、研究者でもなく、間違い過不足があるかもしれません。
たぶんですが、私はあるでも、私はないでも、中道ではないということかもしれません。いかなる体験のことではなく、この普通の日常にあって、中道ということ。
No.7845 - 2024/07/08(Mon) 13:54:58
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
ついでに言うと・・・たとえばカルマとか・・・それは眼も眩む複雑な因果から生じた問題ではなく、単に、自己責任から、逃げるということです。自己責任から逃げる人は。真実にも誠にも無関係な人生です。
No.7846 - 2024/07/08(Mon) 13:57:36
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
ちょい復習します。大事なことです。なぜ人は執着するか?執着とは何?それは誰かが、生まれ育った土地、文化、人間関係、社会制度に接触して・・・損得、快不快、好き嫌いによって判断し・・・
それに捕らわれること・・・それはまず自分が先立ってあって何かに執着すると、その自分が前提にされていますが・・・ではないです。まったく逆です。そんな環境、生活・・・見たこと聞いたこと、
思考したこと、話したこと・・・あるいは住んでる家、自分のまた誰かの自動車、庭、記憶、友人、家族、犬、猫、映画、音楽、技術、文化、風光・・・あれこれで、その自分がつくられる。ということです。なのでその自分の原因から、その結果の自分は離れ難いのです。
もし20年生きたら20年、100年生きたら100年、それに気がつくチャンスは、毎日のようにあります。この執着の仕組みを理解すること、たぶんそれだけが、執着の解決です。
No.7847 - 2024/07/11(Thu) 20:47:14
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Re: 名称と形態3
/ ubik0101
引用
そして想いを消滅したとは、思考が完成されたので、その思考を探る必要も無い。たとえばですが、ジグソーパズルが完成されたら、もうパズルとしての動きは停止されます。光の三原色を重ねると、透明になります。そのように消滅します。
なんだか世界には意味が無いという思考がありますが、たとえば事象から意味を剥ぎ取った意味が無い、ではなく・・・世界は総ての意味に溢れてるので、コンプリートされてるので、個別の特定の意味がない、です。
その体験としては、私はあるです。でもこの日常。たとえば自由意志があるとかないとかもなく、なんの問題もなく、たとえば世界はこのように雨が降っても晴れても風が吹いても止んでも、因果もなく展開されてる。
なんでもいいですが、善と悪の両極端がないのではなく、傲慢と卑下の両極端があるからその中間があるのではなく、総てが機能してるから、その中間もない者。なんであれ、あるでも、ないでもなく、中間でもなく・・・自分があるでもないでも、ない者。それも問題だ。です。
繰り返します。意識とは、自分が自分を知ろうとする機能です。それを自己と見做す誰かはいるかもしれません。それは自己ではないです。人の意識が完全に機能すると、意識に依存しなくてすむようになります。正しい思考、誤った思考、思考のない、思考が消滅した。とは意識・無意識の範疇です。
この、ありのままに想う、誤って想う、想いなき、想いを消滅した者・・・でもない者・・・その思考してる私を感じる。あるいは、思考してもしなくても私はない。私はあるでのないでもない、でない、その者・・・形態がコンプリート、機能のしようがないということです。
もっと巻単に言うと・・・思考があってもなくても・・・それに依存しない者。つまり意識・無意識の範疇にない者。それは総ての状況を経緯し、それを得るわけでも、それを失うわけでもない者。形態の機能が起こりようがない、です。
No.7848 - 2024/07/15(Mon) 19:18:34
★
(No Subject)
/ hato
引用
さてこちら、なんともあれこれ詰め込み満載の初夏で、加齢も相まってちょっとついていけてない・・ような日々です。身体と精神という道具を大切にして、出来るところを頑張っていこう!と言ってます。
そんな5月のとある日。なんと、懐かしい一読者さんが、ふいに、(本当にふいに、)静岡に立ち寄ってくれました。思えば、・・ええ!?、15年も前!??(驚けます!!)。神奈川の小さなアパートに、愛車を飛ばしてご遠方から、会いに来て下さったのでした。遠方ったって、ほんとの遠方ですよ。こちら逆バージョンで行ってみたいけど、うう〜ん、スキルが・・足りませんもんねね、
天竜川沿いを三人で走り、遠州空っ風が吹く汽水域へ。とってもサプラ〜イズな、素敵な一日半でした。
No.7833 - 2024/06/18(Tue) 00:52:01
☆
Re:
/ hato
引用
その後はラインを駆使して、ときどき、様子を伝えあったりしています。ありがとうございました。☺☺
No.7834 - 2024/06/18(Tue) 00:52:17
☆
Re:
/ hato
引用
本当に様々な様相の世界です。生きているのが、不思議なくらいなんでしょう。縄張り争い、あらゆる欲の張り合いのなかで、それでも、この成長を妨げられないと。そんなわけにはいかないよと。それくらいの意気で進む、ことなんだろう。
No.7835 - 2024/06/18(Tue) 18:35:25
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