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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

謹賀新年 / ubik0101&hato

新年明けましておめでとうございます。

2023年も邁進していかれますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

No.7791 - 2023/01/01(Sun) 23:48:06
ご案内 / ubik0101&hato

掲示板、ホームページと、初めて読まれる方には、疑問も生じるかも知れません。質問、問いかけがありましたら、どうぞお気軽にコメントください。いつも有難うございます。

No.7790 - 2022/11/08(Tue) 22:44:15
お久しぶりでございます / 勘太郎
お元気な様子は拝見しておりました。

単刀直入です。
勘太郎は胸の奥から見聞きしている、勘太郎です。

特定のものなく、あるもないもない。

覚醒でも自我でもなんでもよいです。この勘太郎と今しばらくの年月、お付きあい頂いて、その後の事は知りません。

体験が無いながら、勘太郎はこれ以外にはあり得ず。
印可証明は不要。勘太郎がこれでなかったら、勘太郎とは別のものです。勘太郎と別のものなら、勘太郎には不要です。最近こんなふうに感じております。

これからは、むずかしいお話はどけておいて、季節の話題などいたしたいと思います。

No.7766 - 2022/08/28(Sun) 17:18:33

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
その胸の奥から見聞きしてる。として、
それは事実ですか?
事実だとして、なぜそう感じられるか理解できますか?

これは、意識とは何か。ということです。

すこし個人的なことですが、こちらの経緯を話してみます。

その日に考えたことを総て書こうと決めて、20年間ほど、夜中に起きて数時間、ノートを書いていました。なんで華々しいことは何もなく、基礎研究しか出来ないのに続ける?自分でも訳もわからず、憤りを感じたこともあります。

それで今思えば、自分がどう機能するかを研究してたのだと思います。自分がどう機能するのか、自分で、自分を研究するのです。それが意識の機能です。意識なしに、これはできないでしょう?

ふつう人は、自分で自分のことを知ろうとする意識の機能が強く働き過ぎ、あるいは自覚がなく意識に振り回され、その奴隷となって、自分が何をやってるか判らないでいることがあるようです。ここで、思考がない自分に気がつくという道も起こったりします。こんなことは日常であることです。

No.7767 - 2022/08/29(Mon) 15:08:47

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
また、たとえば、なにかを誰かに向かって批判的に判断することもあるかも知れません。そこで、その言葉を自分に向かって言うのです。あるいは、偉い人は指図する、けど指図するから偉いというわけではない不可逆・・・この日常で、意識の機能として、自分を学ぶのです。これは自己責任から逃げないとか、きりがないですが・・・これはその人の探求に必要なだけ必要です。

ふつうは、時間差、空間差をもって、意識する、見ることが起きるのです。しかしその意識の機能によって見ることが出来る、対象、内容は、おおむねですが事実、真実ではないことを見てるのです。誰かが、なにかを意識したり、思考したり、対象にしたりすると、そのことは、本物ではないです。幻想を見てるのです。判断してるのです。

そこで大事なのは、意識の対象になってること。思考の内容ではないです。楽しいとか、苦しいとか、思考、概念、哲学、真理、虚偽・・・なんであれ知覚できること、これらは意識内容、対象です。幻想です。そうでなく大事は、なにかを思考、感情、してる、それ、主体、中心、これ、が、どんなことか?ということです。

その中心は、その思考内容によって、思考するという行為によって、それを逆にたどって、垣間見られることもあり、示されないこともあり、そいうことは絶妙に配合されて機能し、そのことも学ぶことができます。その中心が幻影ということもあります。探求の日常で起こることです。

No.7768 - 2022/08/29(Mon) 15:11:51

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
それから、それを学ぶこと。それはそれができるようにできてるのです。

それは、ほんとうに。その誰かが24時間のうち24時間かけてすることです。要約したり、結果だけを得ることはできないです。

ともかく、

>勘太郎は胸の奥から見聞きしている、勘太郎です。

と、その胸の奥の勘太郎が、そう言ってるのでしょうか?また、それは誰に向かって言ってるのでしょう?

なにか勘太郎を感じてるなら、その感じてるのは何?という疑問が常に生じるはずです。

ここは微細に見ることが望ましいと思います。

ここからA=Aの話になったりしますが、自我は、A=Aができないようにできてるのです。

No.7769 - 2022/08/29(Mon) 15:13:35

Re: お久しぶりでございます / hato

ここはいつも、ちょっとむずかしい。けど、やっぱりここは、自己を知りたい人の場所です。

・・ふと立ち止まり、所業、その自身を、見止める。「これはなに?」。たとえば欲望を、欺瞞を、嘘、その所為の大もとであるところを、見止め(失い)、見止め(失い)・・一歩、・・それだけで、自己と世界は開示してくれます。真摯、素直であろうと努力できる、それを助けてる、なんて奇跡の世界なのでしょう。

人は「わたしが、なにかをしてる、」と当然に思います。身体、精神、なにか神的精神は確たるものとされて、そのような自分が先ず、ある、と疑いようなく思います。

けれど逆です。実際は、なにかをした(衝動)(行)、ことから、世界と人が生じる(識)(色)(感覚器官)(受)(感情)(意識)(判断)人と世界は(有)と(死)、・・・無明より発した依存関係は概ね、その、ある(ない)、に片寄ります。縁起の順環といわれます。

ここに本来的には、人に繊細、微妙、精妙な事柄である、了解故の体験は、不可避です。結果にのみ性急なとき、それは欲望です。一歩、一歩。振り返り、

 これは?

No.7770 - 2022/08/29(Mon) 15:15:05

Re: お久しぶりでございます / hato

季節の話題・・この夏はずっと家と庭で過ごしました。何度か近場の海山川。森、清流、広い広い田畑と空。初めてのタマムシ、一緒に、碧いカワセミを見ました。

No.7771 - 2022/08/29(Mon) 15:23:34

Re: お久しぶりでございます / hato

森の中の清流でした。

No.7772 - 2022/08/29(Mon) 15:25:22

Re: お久しぶりでございます / hato

海もちっと行けました。

No.7773 - 2022/08/29(Mon) 15:27:55

Re: お久しぶりでございます / hato

田圃も、元気です。

No.7774 - 2022/08/29(Mon) 15:29:32

Re: お久しぶりでございます / 勘太郎
> その胸の奥から見聞きしてる。として、
> それは事実ですか?
> 事実だとして、なぜそう感じられるか理解できますか?
> 勘太郎の眼があるから。手で見てる、足で見ているとも言えます。
> これは、意識とは何か。ということです。
>意識が勘太郎です。勘太郎は普遍である感覚機械です。多分アインシュタインもこの意識もこれ以外にない感じています。
> すこし個人的なことですが、こちらの経緯を話してみます。
>
> その日に考えたことを総て書こうと決めて、20年間ほど、夜中に起きて数時間、ノートを書いていました。なんで華々しいことは何もなく、基礎研究しか出来ないのに続ける?自分でも訳もわからず、憤りを感じたこともあります。
>
> それで今思えば、自分がどう機能するかを研究してたのだと思います。自分がどう機能するのか、自分で、自分を研究するのです。それが意識の機能です。意識なしに、これはできないでしょう?
>
> ふつう人は、自分で自分のことを知ろうとする意識の機能が強く働き過ぎ、あるいは自覚がなく意識に振り回され、その奴隷となって、自分が何をやってるか判らないでいることがあるようです。ここで、思考がない自分に気がつくという道も起こったりします。こんなことは日常であることです。

意識は普段は自分をいしきしていません。1日の中で1時間もないです。

打ち方を忘れてしまいました。これで試しにエンターします。

No.7775 - 2022/08/29(Mon) 19:33:40

Re: お久しぶりでございます / 勘太郎
れ、主体、中心、これ、が、どんなことか?ということです。

これが勘太郎です。勘太郎は体を持たず、心を持たずすべて受け身です。仏教では鏡に喩えられますがなににも傷つきませんし、攻撃はしませんが、無限の包容力により、すべてを受け入れてしまいます。これが勘太郎です。それとか意識と云うと、漠然としてしてしまうので、勘太郎と名付けました。

肉体を持つ勘太郎は本物の勘太郎のモニターとレーダーとキーボードでしょうか?と言っても別の勘太郎が居るのではありません。意識が勘太郎として現れいるとの表現が合っているかもしれません。キリスト教の三位一体ってこれに近い事をさしているのかと思います。

マインドフルネスってこの事をいうのではないか?と思っています。

No.7776 - 2022/08/29(Mon) 20:11:43

Re: お久しぶりでございます / 勘太郎
人は「わたしが、なにかをしてる、」と当然に思います。

私が畳になった」とか言います。「私は対象だ」でしょうか
勘太郎には私という感覚がないのです。
主体無しに、なにかしている、あるいはそういうことが起こるという感覚です。

私の自我が学習して、そういう感覚だとかんじるのでしょう。

話題を変えます。
視界って面白いです。理性的には視界は180度の半円なのですが、感覚的には360度完全な球で内側から球全体を見ているのですが、視点が無い、球の中に首を突っ込んで眺めているような感覚です。不思議な感じがして面白いです。死角がなく球の内面全体を眺めているのです。これは絵に描けないのです。魚眼レンズならこうみえるのですかね?

No.7777 - 2022/08/29(Mon) 20:32:25

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
そうならば、胸の奥、ではないでしょう。
No.7778 - 2022/08/29(Mon) 23:45:52

Re: お久しぶりでございます / hato

>勘太郎には私という感覚がないのです。
>主体無しに、なにかしている、あるいはそういうことが起こるという感覚です。


そうですね、実際、自我としても、常にわたしが、わたしが、・・と考えてるわけではないでしょうね。そういうことではないのです。問題は、形式です。


>勘太郎は胸の奥から見聞きしている、勘太郎です。

内奥から見聞してる、なにかが、勘太郎、と自らお話しです。先んじて確たるなにかがあるわけです。そこに、なにがいるのでしょう?

No.7779 - 2022/08/30(Tue) 00:17:24

Re: それなら、胸の奥ではないでしょう。 / 勘太郎
胸の奥というか、胸の辺りです。これが勘太郎が私を無しに、できていないところでしょう。
勘太郎は視界と云う球の内面に張り付いている厚さを持たない平面な肉体です。

No.7780 - 2022/08/30(Tue) 19:00:16

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
・・・たとえば360度の視界。それは、見る、聞く、歩く、とかいう日常から・・・抽象?表象?逆算されて、仮定された、勘太郎、かもしれません。(つまり主が、仮定されたものを、主と思い違ってる)。

それは主体ではないので、仮定されたので、視点はなく、何も出来ないし、受けるだけでしょう。

このように仮定と主とに分裂することによって、そのようでないはずの、仮につくられた、勘太郎、と中心、本体、主体が現れ・・・そのためには時間、空間の差が必要で、そのようにして、自分の行動、思考、言葉を認識できるように仕組んでる・・・それが意識の機能なのではないでしょうか。

ところで、

その、勘太郎、をつくってるなにかは、完全に自覚できないのでは?

それで、説明としても実感としても・・・見る自分は自覚できないので、ない。見られる自分(勘太郎)は虚構と判ってるなので、ない・・・見る自分も、見られる自分もない、です。

No.7781 - 2022/08/30(Tue) 19:49:22

Re: お久しぶりでございます / hato

人が表層の自分と内奥の自己、という主体、客体と分かれ、それをよしとしてしまうと、都合に依って、行ったり来たりするのでしょう。都度一方に逃げることになり、自身というところを、きちんと詰めることができないと思います。

有り様を見止め(失い)いくと、起こしている前提が掘り起こされ・・

No.7782 - 2022/08/30(Tue) 21:16:30

頭がグルグル回ってしまいました / 勘太郎

性急に書いたものは、書くたびに内容がバラバラです。

No.7783 - 2022/08/31(Wed) 18:48:31

Re: 主体はあるでしょうか? / 勘太郎
主体なんてとあるんですか、と言いたいところです。

ubik0101さんもhatoさんも私の中の意識の中に居ます。行ったり来たりはできません。スポットライトの当て方で出たり去ったりします。
禅僧が〇を書く意味は、みんな私の中の出来事といいたいのではないでしょうか。

掘れば掘るほど無尽蔵になんでも出てきます。

見止めとは別の言葉で言うとなんというのでしょう。初めての言葉です。変換もすぐでますから、
一般的な単語なのでしょうけれど。意味は見て途中でやめるとあります。

No.7784 - 2022/09/01(Thu) 04:05:26

Re: お久しぶりでございます / ubik0101
なにか勘太郎さんに
起こったなら、
養生するのがいいかもしれません。

そうなら以下は、蛇足です。

>主体なんてとあるんですか、と言いたいところです。

眼は眼を見れない、というのは、眼がないのではないです。主体は主体を見れない、です。それは主体でなくては言えないです。ここでは、あるはあるにあるきって、ない、とも言います。

>ubik0101さんもhatoさんも私の中の意識の中に居ます。行ったり来たりはできません。スポットライトの当て方で出たり去ったりします。
>禅僧が〇を書く意味は、みんな私の中の出来事といいたいのではないでしょうか。


勘太郎という主体がないので、みんな勘太郎の中の出来事って意味でしょうか。その勘太郎さんは、私(ubik0101)の意識の中にいる、は、ありませんか?では、誰にしても、みんな、私の意識のなかにいる、ではないでしょう。

勘太郎さんの中にいるのは、勘太郎さんにとっての、ubik0101なのでしょう。

>掘れば掘るほど無尽蔵になんでも出てきます。

では掘ってないことは、どうなってます?感じられることが総てで、感じられないことはない、ではないでしょう。

No.7785 - 2022/09/01(Thu) 08:42:57

Re: お久しぶりでございます / hato

見止める。辞書にあるのですね。認める、・・見止める、です。ここでいう見止めることは、見て、気付くことによって、その衝動から起こる有象無象が瞬き捨てられる、・・ことでもあります。

少し違いますが、放置しているところに災害が起こりやすいといわれます。人の、自身でよく精査されていないところ(明らめてないところ、)は、放っておかれると、見て見て、と騒ぐ・・一般的に、自我の有り様とはそんな感じです。

人はあらゆる総てが、十全であって、変な言い方ですが、落ち着くことができる、・・ようなものですが、(微妙な言い方になりますが、)、集積された無明、そこから発した(逆転した)形態は、片寄らざるを得ないために(無意識にも苦、)有り様が突出する、・・それは必要があるからです。

これを見て。が表現されている、それはまさに、その意識の有り様、がそのことです。それを見止めることができます。


>スポットライトの当て方で出たり去ったりします。


スポットを当ててるその自体、を、振り返ります。

No.7786 - 2022/09/01(Thu) 12:41:27

Re: あるに、ありきって ない。 / 勘太郎
を理解できたような気がします。

禅では 魚が、水の中にあって、水を求める。とかいいます。

見止めるの意味が腑に落ちました。
 認めると消える。 下世話な経験では、勉強では暗記が先で理解が後の方が学習が進む場合が多いです。 食べ物・知識の消化でしょうか。栄養となって食べ物・知識は消え去る。

スポット当ててるその自体、を、振り返ります。
これは大変判り易い説明です。
それがあるにありきってない、主体です。私のいうところの勘太郎です。

人はあらゆる総てが、十全であって、変な言い方ですが、落ち着くことができる。
 これを禅では雪は落ちるべきところに落ちる」とかいう意味でしょう。こちらも禅の言葉より具体的です。

私も白内障の手術をして3月。遠くに視点を合わせたので、急に老眼になって不自由な毎日です。視界は狭まるので、トンネルの出口から外を眺めているような感覚です。困ったもですが、車の運転は気持ち良いです。遠くまではっきり見えるので、うんてんが楽しいです。

No.7787 - 2022/09/01(Thu) 15:35:38

Re: お久しぶりでございます / hato

うーんと、ちょっちあれれ〜? もありなりけど、

勘太郎さんがそれでよさそうなら、

ま、いっか。(..)(..)、のところです。

腑に落ちたことがあって、とてもよかった。

まだ、まだ、これから。

元気でいきましょうね!

言わなければならないことは、人は人として、(表現として難しいところですが、)予め十全ではない、ということだと思います。ですがここは、個人の信条によりますね。人はもともと悟ってる、愛のもとにひとつだ、真理を探す必要ない・・等々、意見はあるでしょうね。
それでも、奮起して、その趣向、自体を見止めて進むこともできる、ということだと思います。

勘太郎さん、いつも、ありがとうございます。

けど、ここでお喋りしすぎは、お互いのためによくなさそう〜です。😭

もう十分、書かれてますから。

年賀状で、またご挨拶させて頂きますね。

(運転、気を付けて楽しんでください。ubik0101&hato)

No.7788 - 2022/09/01(Thu) 21:10:48

Re: 精進いたします / 勘太郎
 長い間 おつきあいいただきありがとうございました。
よくはわかりませんけれども、精進いたします。

No.7789 - 2022/09/02(Fri) 17:36:33
依存関係 ある、ない・・ / hato

かれある故にこれあり
これなき故にかれなし

ある、ない

ここを深めていくことができる人生は、有り難いと思います。

No.7764 - 2022/08/11(Thu) 11:25:25

Re: 依存関係 ある、ない・・ / hato

ubik0101さん(とhato)のホームページは、もともとyahooのgeocities(ジオシティーズ)が運営していたサイトでしたが、数年か前に、geocitiesそのものがなくなるため、別の、xrea(エクスリア)という会社の管理サイトにそっくり移しました。

ですが最近、geocitiesの有志さんたちなのでしょうか、幾つかのgeocitiesサイトページを残す作業をしてくれたようで、「覚醒」などを検索しますと、geocitiesと、現在のxreaと2件出てきます。ありがとうございます。(非意味のページはxreaにて更新していけそうです。)


熱い夏ですね。

列島がうだっておりますが、こちらコロナに留意しつつ元気にしてます。皆様ご自愛ください。

No.7765 - 2022/08/11(Thu) 11:28:51
改行 / のり
ふ〜、年度決算が締まりました。
コメント群がちょっと長くなりましたので章を変えようとしましたが良く分かりませんので新たになっちゃいました。
 ウビさんhatoさん剣道等覚えていてくださったのですね。ありがとうございます。それで怪我してギプスのテレワーク生活です。今週、抜糸したのですが家に帰ったら血が噴き出していて焦りました〜。
 レストラン、いいですね!
おとぎの国の森の奥のお菓子のカフェのようです。ランチも安くて美味しそうです。
あのボリュームで¥500-赤字にならないのでしょうか。
hotoさんが毎日のようにアップされているブログも素敵です。果てしない素直さが滲みでてます。

 望んで生まれてきた?輪廻とかでしょうか?あまり考えた事がありません。
ウビさんが言われる、世界が自分だ、も良く分かりません。のり、に没入すると全てが大自然の活動、全てが大自然となります。それで全ては自分となるのでしょうか?
 そういえば、あんなにもがいていた大疑団が十数年前からか、ありません。
この掲示板を訪れて久しぶりに色々考えています。
 尽十方世界是一顆明珠
この大自然を抜け出た無限の空間から見た景色でしょうか。
戦争も人が目覚めるための手段なのでしょうか?
ニュースを見るのが辛いです。

No.7750 - 2022/04/09(Sat) 17:54:22

Re: 改行 / ubik0101
この世界は苦痛に満ちて美しく 人は皆、望んで生まれて来たのを忘れてしまう・・・これは高校生の頃、自分が考えたわけではなく、ほんとに天から降ってきたような言葉で、そんなことはこの一度だけのことです。

この世界で自分を誤魔化さずに生きるという決意のようなことなのだと思います。輪廻とか、現象界、魂、主体、そんなことに結びつける必要がないのです。自分とは何?というのも、もしかして人類全員が受け取るというか、死が怖い。とかもなにかから突きつけられた問題のように思います。

そいうのを無視してることもできるのも世界の凄さですが、死が怖くないというのも馬鹿馬鹿しい、そいうことを自分のこととして真摯に受け止め認識すること、馬鹿まじめにやったそんな人生だったのでしょう。

世界は私だ。という意見には、不快を感じるほど、断固、反対です。たとえば自動車が自分だった、そいうことは、だから、何だと言うんだ?それって個別のことだろ?世界ではないだろ?なんです。といって、世界と別のことが自分だ、というのもないです。世界と一体でも別でもない・・・あれこれ体験として、経緯するだけのことです。そして経緯だけがあるというわけではないです。

この訳のわからない世界で、私は表現者になる。そんなことを言ったバイオリン弾きがいますが、、、店は、ほんとうに本気で、お金に依存しない社会を創ろうとしてるのです。貧乏人が金持ちにボランティアしてるとか言われますが、馬鹿やってるのですが、そうとも思ってない、です。

とりとめなく話したくなりますが、高校の同級生が、自衛隊に行って、三島事件の報告書を読んだそうです。ある隊員は、背中を刀で切られて重傷を負ったけど、竹刀で打たれた感覚しかなかったとか、戦車の砲弾の軌跡が美しいとか、日本には核があるとか、言ってましたが、

No.7751 - 2022/04/09(Sat) 21:54:33

Re: 改行 / のり
えっ〜そうなんですか!?
> あの体験・・・風景が自分だ。向こうから歩いて来る知らない誰かが自分だ・・・自分て透明なんだ。この世界の裏打ちは自分だ。
って世界は自分だ、じゃなかったのですね。
なんか近い感覚になったことはあるような気がします。最近、もの忘れがヒドクて昔の感覚はどんどん忘れて行きます。のり、は大自然の活動の一部だとは感じています。

お金に依存しない社会。温かい人間関係で作られた社会ができたらいいです!そんなにお金がなくても温かい人間関係が幸せの要素かと思います。
昔誰かが、道徳とは温かい気持ちだ、と言ってました。幸せとは温かい人間関係、ではないでしょうか。

確かにライオンがガゼルの赤ちゃんを食べちゃったりしますが、戦争はちょっと違う気がします。

> のりさんの言う、無限空間てどんなことだろう。瞑想しようとするのですが、どうすればいいか、手がかりもないです。
ただ目を閉じているだけです。目を閉じるだけで無限の空間があるじゃないですか。そしてあの体験をしてからは目を開けていても無限の空間だけがあります。

No.7752 - 2022/04/10(Sun) 17:40:51

Re: 改行 / ubik0101
それは、のりさん自身が、無限の清らかな空間だからかな、と思いました。自分を指さしてみましたが、胸がわくわく、する感覚が起こるだけです。そうか、そう機能するのか、です。また、そいう指が見えるだけです。自分がないとかあるとか言っても、そう感じるときだけです。そう意図してはできないです。

ところで誰であれ、敵でも仲間でも、まったく知らない誰かとも、酸素や炭素、身体を構成してる物質は共用というか、交換可能です。ウクライナもロシアも、同じ空気を吸い、同じ水を飲み、おなじ武器を使ってるかもしれません。そして、世界はそのような共用、交換可能な、物質、見る聞く知覚、怒り喜び感情、あれこれ思考で構成されてると見ています。

そんな人が死んだら、その構成要素は使い回しされる。そして輪廻する主体があるとして、その主体は、ない。つまり、ない、が、ない、に輪廻する、と睨んでいます。これは、輪廻には、意味がないのです。そして、総ては一つとか、世界は私だ。とかは、この世界の構成要素の範疇でしかないです。それは自分としてはでしょうが、そんなことは悟りとかは、呼べないのです。

ほとんどビデオや書を見ませんが、自分がないと言ってるとしても、ない、の意味を聞いたことがありません。この世界と、実在/神・・・そいうことを分ける必要もなくなりましたが、そこで、ないはないで、また私は、ある。ゆえに、あるにありきって・・・知覚は差の認識・・・知覚できないので、ない。自分は自分を自覚できない・・・とかを学びました。自分はない、これが諸悪の根源でも、理解でもあり、です。

たとえば弱肉強食は、逆から見れば自己犠牲で、学ぶことでは、同じことだ。うーん。変かもしれませんが、そう思う経緯をたどってきました。戦争、平和・・・世界は、そんなことを、強盗も、略奪も、奉仕も、愚かさも、賢明さも、生も死も黙って許してるほど、優しいのです。とんでもないです。

ときに店のお客さんが、余剰米だと言って、30キロの玄米、海で採ってきたといって大量の若布、タケノコ、なす、花、いろいろもらえることがあります。こんな仕事してると、そんな人が現れるのでしょう。

No.7753 - 2022/04/11(Mon) 12:03:36

Re: 改行 / hato

> あの体験をしてからは目を開けていても無限の空間だけがあります。

10年か前の頃から感じてました。のりさんの体験は、のりさんが潔白で美しい、そのものなのでしょうね。なんと清々しい、といつも思うのです。

ブログ、見て下さりありがとうございます。果てしない素直さ、・・そうぅ、やっぱりばかなんですよ、👀。ごめんなさぃ。🙇


> 尽十方世界是一顆明珠
>この大自然を抜け出た無限の空間から見た景色でしょうか。


静岡に来てからいつだったか、ubik0101さんが書いてくれた、どなたか僧の偈です。
自分はそのように、壮大な映像を視覚的に見ることはありませんが、

ただどうしても、どうしょうもなく見逃せない、智なくして世界はあり得ない、起こり得ない、隈なく澄み澄み行き届いてる、明知がそこここに充満していることを、人は知る。「知り得ない、ことを知る。」ではないでしょうか。それは意識に届くとき、その人として。その言葉として。刹那に起こる、との感じではないでしょうか。言葉として表現してから、自ずから知れること、学ぶことが多くあると思います。


>戦争も人が目覚めるための手段なのでしょうか?

痛いほど伝わります。戦争という名の暴虐は、きっとこれまでも、目に映らなくてもあったことでしょう。いつもどこかにあった所業なのでしょう。それを見たら、人は、これは、どうするのでしょう。核やさらなる武器を持つことを決めたり、傷ついた人を癒そうと医療に携わったり、爭いに率先して加わわったり、いや、自分は争いから手を引くと決め、そのためにできることを考えたり、或いはまた。人や自分を傷める性質を、自ら解消しょう、自分を理解しょう、或いはまた。平和を生きよう、どうしても、そうしょうと決める。・・ことから、始まる、かも知れません。


山椒の小木。この香り、あり得ない至高の香りと思います。一緒に散歩していた山道で芽をみつけ、大事に持って帰り、ubik0101さんが暫く植木鉢で育ててから、庭に植え替えてくれました。竹を切って根鉢押さえ。土が崩れないようにさしたそうです。独創的芸術的な、オブジェになりました。

No.7754 - 2022/04/11(Mon) 23:55:44

Re: 改行 / のり
あ〜、指に神経がいっては難しいです。
これはゴミ箱、あれは電灯、これは何?と指の示す先に神経を向けてますと自分の身体をズドンと突き抜けその先の空間に行くかもしれません。
ただの遊びです。

のりが無限で清々しい訳ではないです。
のりは世界はそのような共用、交換可能な、物質、見る聞く知覚、怒り喜び感情、あれこれ思考で構成されてるモノです。
その奥の、のりが映し出されている無限の空間が本体と感じています。誰でも同じと思います。
指に何の感覚もないので指が触るものの感触が分るのではないでしょうか。

暴虐は、きっとこれまでも、目に映らなくてもあったことでしょう。いつもどこかにあった所業なのでしょう。
あっ、そうですね。目立たなかっただけでいつでも理不尽はどこかにあったのですね。やっぱりこの大自然、世界は活動を促し、刺激を促して覚醒に導いているのかもしれません。

怪我をしてから4週間です、コロナ陽性の3倍もギプス隔離生活です。ひゃ〜。
自然に融けている生活、いいですね〜!

No.7755 - 2022/04/16(Sat) 17:23:03

Re: 改行 / ubik0101
その、無限の空間は、その無限の空間に映し出されるのでしょうか?

で、結局ですが、

わたしは、ある(アートマン/真我)と、アナートマン(真我否定)は矛盾しないです。誤解を招きたくないのであんまり話題にしたくないのですが、ふつうに言われる自我とも無我とも矛盾しない。です。

すこし個人的なことですが経緯を説明します。

あの体験で何が起きたのか?6,7年かかりましたが、文字が緑色のブラウン管のワープロを使って、圧縮された情報を総て解読しました(超古代の日記です)。思うのですが体験の解読は誠にて、何にも頼らず、ひっそりと、ただ自力でないと困難が増すと思います。

それがすむと、そんなことも完全に忘れてしまって、滑ったり転んだりの普通の貧乏生活していました。そんな

No.7756 - 2022/04/18(Mon) 19:23:01

Re: 改行 / ubik0101
あるとき木造アパートに、1人はとても美人でしたが、2人の若い女性キリスト者が訪ねてきて、玄関で立ち話しました。それで、あ、自分にも体験があった、と驚き思い出して、どうしてか、

も一度、体験を解読しようと思いました。液晶画面の文字がグレイの親指シフトのワープロで、それも6,7年かかったと思いますが、以前のとは全然違う文章でしたが、それが出来たのです。考えたというわけではなく、自動的に展開されることを見ればいいだけでした。(このホームページの原文です)。なくなっても失われることは何もなかったのです。

たぶん西新宿の、うどん屋で渡辺さんは、無我ってことがあるんだ。と言いましたが、それはそうなんですが、この日常、無我も自我も真我もない・・・なんの変哲もない、0の自分から始めればいいのです。そいえば、自分の探求は、哲学や宗教を学んだわけではなく、仕事や遊びの日常からしか始まらなかったのです。

それで書き終えるとまた、ふつうの日常です。それを書いた親指シフトのワープロが故障してしまって、時に、どんなことを書いたんだろう?読んでみたいとは思うことがありました。

No.7757 - 2022/04/18(Mon) 19:23:46

Re: 改行 / ubik0101
それから数年・・・ふと、部屋の隅に立てかけてあったその埃の積もったワープロのスイッチを入れたら、起動し・・・フロッピーに移し、そのとき持ってたMacで読むことができました。それが終わるとそのワープロは二度と起動しなくなりました。

それでいくつかの偶然が繋がり、ホームページをつくりました。掲示板でいろんな出会いがあり、そいうことがなければ、これほど生きてはなかっただろうし、人生の物語としては、ずいぶん違うことになっていたと思います。

ともかく、そこで、自我も無我もない、この特になにもない明るい透明な世界は神秘なんです。この因果が壊滅した世界・・・物質、知覚、感情、思考は、こうでなくていいのにこうなんです。不思議に満ちてるのです。世界はこの瞬間に始まってるのです。人は世界の始原にいるのです。

いろいろ考えられますが・・・善い人が善いことをするも、あるのですが、善いことをする人が善い人になるのです。悪いことをする人が悪い人になるのです。自覚できない何もないスクリーンに映る自分の言葉、行動、思考・・・それで人は自らの絵を描く、自分の思う通りの人になるのです。どこまでも自分を騙さない、これだけでよいのです。そしてそんなことも忘れていくのです。

No.7758 - 2022/04/18(Mon) 19:25:08

Re: 改行 / ubik0101
たとえば世界は透明なら、それにありきります。真我を捕まえて、ちょっとした不整合があるなら、それをどうこうしようとするのではなく、その自分の有様を認めるだけです。するとそれだけで、さらに世界は見せてくれるのです。テトリスの下の段が揃うと、その段が消えて、違うブロックが降ってくるような、あくまで譬えですが、そんなことです。これは振り返れば自我の段でも同じでした。ただそれは、いろんな問題が重なって黒、それを解いて削っていくことでした。

なにか仕事を完成させます。それは仕事を失うということです。でも、なくなることは何もないです。そうでなく、より多くの能力、報酬を得ることになります。この世界、日常に埋没しきっていいのです。愚かである自我が、知に転換されてるとも言えます。


話を戻します。

たとえばですが《その奥の、のりが映し出されている無限の空間が本体と感じています。誰でも同じと思います。》その無限の空間・・・なぜ、これはこれ?

舌が無味でなければ、どうして味わえるだろう。なぜ舌は無味、なぜ味がある。なぜ、これはこれ。甘いは、なぜ、甘い?

舌が無味ということは、味がないのではなく、光の三原色で話したように、赤とか青とかの特定の光がないということは闇だと言うことではなく、総ての味があるから特定の味がない無味。透明。この世界は意味にあふれてるので無意味、なのです。

これがあの体験での中道です。総てが活動してるので、どんな両極端にも中間にも止まれないということです。勢いよく回転してる独楽は止まって見える、ともいえるのです。でも、なぜ、それはそれ。

私は、何も知らないのです。

No.7759 - 2022/04/18(Mon) 19:26:36

Re: 改行 / ubik0101
ほかの人のことは知りませんが・・・なにも知らない、ここからしか始まりようがなかった、です。

なんだか思い出しましたが、のりさんの言う空間・・・人空、法空を通じての真我かな、と何年か前の掲示板で話したような気がします。またアートマンとブラフマンの話をした時、ちょっと正確な言葉は忘れましたが、のりさんは、巡回、したと言った記憶があります。

この世界の目的があるとして、人を解脱させることではないでしょうか。

No.7760 - 2022/04/18(Mon) 19:28:32

Re: 改行 / hato

>のりが無限で清々しい訳ではないです。のりは世界はそのような共用、交換可能な、・・

ううん。

誰でもない、のりさんが、それを見ているのです。なにか奥に潜んでいるものが本体、ということない、のりさんが、のりさんです。のりさんの、体験であり経験て思います。

>指に何の感覚もないので指が触るものの感触が分るのではないでしょうか。

なぜ、それはそのようにあるのでしょう。人はそれを、知っている、でしょうか。


ここで、すこし話しが逸れますが、思いついて、のりさんのことではないかも知れませんが、

道の探求者が、覚醒体験する!感覚する!と修行したりするかも知れません。けど、そうだとしたなら、すこし大変かも知れません。

なぜなら「それ、そのこと、それ自身、」は、感覚に与しない。・・というより、五感が処理でき得ないこと、・・それ自身、は本来、この身体が吹っ飛んでしまうようなことだからです。別の言葉でいえば、人にとってそれは、意識の余地がない、ということでもあります。その体験と理解は、感覚することとは違います。

ubik0101さんの覚醒体験が、身体と精神に異常を来たさず、丁寧に段階的に、稀にみる完璧さにあって起きていたとしたら、それまでの人生での日常を、これ以上なく丁寧に見て、生きて、書いて理解していくという、期せずして入念な準備がされた、ことに尽きると思います。石橋を叩いて叩き割る寸前かの如く、緻密に周到に準備、期せずしてとは、その不思議故に。

個人的な体験は、理解されることで超個的、普遍になる、との意味に於いて、ここに於いて初めて、人は誰も同じ、と言えるのです。

体験と境地を直ちに捨て去り、その日常。この、日常。なら、すでに理解への道ではないでしょうか。体験を理解することは実は、どの地点からでも到する可能性を秘めており、幾度も思い起こす必要なく、

体験と理解、双方への鍵は、その人の総てでこの日常生きる、こと、だけです。

日常逃避せず。夢や境地に安住しないことは、意外と大事というより、そのすべてです。

体験と理解への鍵のもうひとつは、言葉、です。

そして普通は、普遍に通じる、ふつうになります。

>自然に融けている生活・・・

冬枯れだった庭はたった一日で、みどりの庭に変身しました。

No.7761 - 2022/04/18(Mon) 19:56:53

Re: 改行 / のり
ウビさんは緻密に丁寧に紐解かれたのですね。
なるほどとしか言いようがないです。
あの頃考えていた色々な言葉も忘れてきました。
中道。無限の透明な空間も大自然の活動も両方あっての中道。なるほどです。
 私の場合、一瞬で意識の枠が爆発して無限大になりましたのでこれを紐解くのは難しいです。その後の体験も歩いている時に、スゥ〜と何かが取れてそのモノになったりしていました。元々緻密さがなく大雑把なので何度も体験を重ねて行くうちにそのモノに体感して、なっていくという感じが近いです。
暫くすると感覚が意識の枠を作って戻ったりしてました。空即是色でしょうか。
 今日も夕焼けが綺麗です。

No.7762 - 2022/05/04(Wed) 18:12:54

Re: 改行 / ubik0101&hato

>暫くすると感覚が意識の枠を作って戻ったりしてました。空即是色でしょうか。


よく、わかるようです。

夕焼け、いいですね。

のりさんのような人が、いてくれるだけで宝もの、な世界なんです。
私たちはそう思ってます。


自分(hato)の体験も、瞬間的に突発的に起こりましたが、忘れさられていても、その自体は時を得て必ず、理解させずにはおかないという、理解せずには終わらせない、という、
その道のりが、これまでの人生です。

のりさん全開で、素晴らしい人生。十分に邁進ください。
きっと、のりさんの、言葉になります。
HPでもブログでも、ときにはお言葉を書いてください。「1ページでも、こちらリンクしますので、よかったらお知らせください、」と申しております。

そのうち、お会いできますように。☺☺

いつかの静岡は大東の海から。鳳凰のような雲でした。

No.7763 - 2022/05/04(Wed) 23:05:48
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