150828
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
★
依存関係 ある、ない・・
/ hato
引用
かれある故にこれあり
これなき故にかれなし
ある、ない
ここを深めていくことができる人生は、有り難いと思います。
No.7764 - 2022/08/11(Thu) 11:25:25
☆
Re: 依存関係 ある、ない・・
/ hato
引用
ubik0101さん(とhato)のホームページは、もともとyahooのgeocities(ジオシティーズ)が運営していたサイトでしたが、数年か前に、geocitiesそのものがなくなるため、別の、xrea(エクスリア)という会社の管理サイトにそっくり移しました。
ですが最近、geocitiesの有志さんたちなのでしょうか、幾つかのgeocitiesサイトページを残す作業をしてくれたようで、「覚醒」などを検索しますと、geocitiesと、現在のxreaと2件出てきます。ありがとうございます。(非意味のページはxreaにて更新していけそうです。)
熱い夏ですね。
列島がうだっておりますが、こちらコロナに留意しつつ元気にしてます。皆様ご自愛ください。
No.7765 - 2022/08/11(Thu) 11:28:51
★
改行
/ のり
引用
ふ〜、年度決算が締まりました。
コメント群がちょっと長くなりましたので章を変えようとしましたが良く分かりませんので新たになっちゃいました。
ウビさんhatoさん剣道等覚えていてくださったのですね。ありがとうございます。それで怪我してギプスのテレワーク生活です。今週、抜糸したのですが家に帰ったら血が噴き出していて焦りました〜。
レストラン、いいですね!
おとぎの国の森の奥のお菓子のカフェのようです。ランチも安くて美味しそうです。
あのボリュームで¥500-赤字にならないのでしょうか。
hotoさんが毎日のようにアップされているブログも素敵です。果てしない素直さが滲みでてます。
望んで生まれてきた?輪廻とかでしょうか?あまり考えた事がありません。
ウビさんが言われる、世界が自分だ、も良く分かりません。のり、に没入すると全てが大自然の活動、全てが大自然となります。それで全ては自分となるのでしょうか?
そういえば、あんなにもがいていた大疑団が十数年前からか、ありません。
この掲示板を訪れて久しぶりに色々考えています。
尽十方世界是一顆明珠
この大自然を抜け出た無限の空間から見た景色でしょうか。
戦争も人が目覚めるための手段なのでしょうか?
ニュースを見るのが辛いです。
No.7750 - 2022/04/09(Sat) 17:54:22
☆
Re: 改行
/ ubik0101
引用
この世界は苦痛に満ちて美しく 人は皆、望んで生まれて来たのを忘れてしまう・・・これは高校生の頃、自分が考えたわけではなく、ほんとに天から降ってきたような言葉で、そんなことはこの一度だけのことです。
この世界で自分を誤魔化さずに生きるという決意のようなことなのだと思います。輪廻とか、現象界、魂、主体、そんなことに結びつける必要がないのです。自分とは何?というのも、もしかして人類全員が受け取るというか、死が怖い。とかもなにかから突きつけられた問題のように思います。
そいうのを無視してることもできるのも世界の凄さですが、死が怖くないというのも馬鹿馬鹿しい、そいうことを自分のこととして真摯に受け止め認識すること、馬鹿まじめにやったそんな人生だったのでしょう。
世界は私だ。という意見には、不快を感じるほど、断固、反対です。たとえば自動車が自分だった、そいうことは、だから、何だと言うんだ?それって個別のことだろ?世界ではないだろ?なんです。といって、世界と別のことが自分だ、というのもないです。世界と一体でも別でもない・・・あれこれ体験として、経緯するだけのことです。そして経緯だけがあるというわけではないです。
この訳のわからない世界で、私は表現者になる。そんなことを言ったバイオリン弾きがいますが、、、店は、ほんとうに本気で、お金に依存しない社会を創ろうとしてるのです。貧乏人が金持ちにボランティアしてるとか言われますが、馬鹿やってるのですが、そうとも思ってない、です。
とりとめなく話したくなりますが、高校の同級生が、自衛隊に行って、三島事件の報告書を読んだそうです。ある隊員は、背中を刀で切られて重傷を負ったけど、竹刀で打たれた感覚しかなかったとか、戦車の砲弾の軌跡が美しいとか、日本には核があるとか、言ってましたが、
No.7751 - 2022/04/09(Sat) 21:54:33
☆
Re: 改行
/ のり
引用
えっ〜そうなんですか!?
> あの体験・・・風景が自分だ。向こうから歩いて来る知らない誰かが自分だ・・・自分て透明なんだ。この世界の裏打ちは自分だ。
って世界は自分だ、じゃなかったのですね。
なんか近い感覚になったことはあるような気がします。最近、もの忘れがヒドクて昔の感覚はどんどん忘れて行きます。のり、は大自然の活動の一部だとは感じています。
お金に依存しない社会。温かい人間関係で作られた社会ができたらいいです!そんなにお金がなくても温かい人間関係が幸せの要素かと思います。
昔誰かが、道徳とは温かい気持ちだ、と言ってました。幸せとは温かい人間関係、ではないでしょうか。
確かにライオンがガゼルの赤ちゃんを食べちゃったりしますが、戦争はちょっと違う気がします。
> のりさんの言う、無限空間てどんなことだろう。瞑想しようとするのですが、どうすればいいか、手がかりもないです。
ただ目を閉じているだけです。目を閉じるだけで無限の空間があるじゃないですか。そしてあの体験をしてからは目を開けていても無限の空間だけがあります。
No.7752 - 2022/04/10(Sun) 17:40:51
☆
Re: 改行
/ ubik0101
引用
それは、のりさん自身が、無限の清らかな空間だからかな、と思いました。自分を指さしてみましたが、胸がわくわく、する感覚が起こるだけです。そうか、そう機能するのか、です。また、そいう指が見えるだけです。自分がないとかあるとか言っても、そう感じるときだけです。そう意図してはできないです。
ところで誰であれ、敵でも仲間でも、まったく知らない誰かとも、酸素や炭素、身体を構成してる物質は共用というか、交換可能です。ウクライナもロシアも、同じ空気を吸い、同じ水を飲み、おなじ武器を使ってるかもしれません。そして、世界はそのような共用、交換可能な、物質、見る聞く知覚、怒り喜び感情、あれこれ思考で構成されてると見ています。
そんな人が死んだら、その構成要素は使い回しされる。そして輪廻する主体があるとして、その主体は、ない。つまり、ない、が、ない、に輪廻する、と睨んでいます。これは、輪廻には、意味がないのです。そして、総ては一つとか、世界は私だ。とかは、この世界の構成要素の範疇でしかないです。それは自分としてはでしょうが、そんなことは悟りとかは、呼べないのです。
ほとんどビデオや書を見ませんが、自分がないと言ってるとしても、ない、の意味を聞いたことがありません。この世界と、実在/神・・・そいうことを分ける必要もなくなりましたが、そこで、ないはないで、また私は、ある。ゆえに、あるにありきって・・・知覚は差の認識・・・知覚できないので、ない。自分は自分を自覚できない・・・とかを学びました。自分はない、これが諸悪の根源でも、理解でもあり、です。
たとえば弱肉強食は、逆から見れば自己犠牲で、学ぶことでは、同じことだ。うーん。変かもしれませんが、そう思う経緯をたどってきました。戦争、平和・・・世界は、そんなことを、強盗も、略奪も、奉仕も、愚かさも、賢明さも、生も死も黙って許してるほど、優しいのです。とんでもないです。
ときに店のお客さんが、余剰米だと言って、30キロの玄米、海で採ってきたといって大量の若布、タケノコ、なす、花、いろいろもらえることがあります。こんな仕事してると、そんな人が現れるのでしょう。
No.7753 - 2022/04/11(Mon) 12:03:36
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Re: 改行
/ hato
引用
> あの体験をしてからは目を開けていても無限の空間だけがあります。
10年か前の頃から感じてました。のりさんの体験は、のりさんが潔白で美しい、そのものなのでしょうね。なんと清々しい、といつも思うのです。
ブログ、見て下さりありがとうございます。果てしない素直さ、・・そうぅ、やっぱりばかなんですよ、👀。ごめんなさぃ。🙇
> 尽十方世界是一顆明珠
>この大自然を抜け出た無限の空間から見た景色でしょうか。
静岡に来てからいつだったか、ubik0101さんが書いてくれた、どなたか僧の偈です。
自分はそのように、壮大な映像を視覚的に見ることはありませんが、
ただどうしても、どうしょうもなく見逃せない、智なくして世界はあり得ない、起こり得ない、隈なく澄み澄み行き届いてる、明知がそこここに充満していることを、人は知る。「知り得ない、ことを知る。」ではないでしょうか。それは意識に届くとき、その人として。その言葉として。刹那に起こる、との感じではないでしょうか。言葉として表現してから、自ずから知れること、学ぶことが多くあると思います。
>戦争も人が目覚めるための手段なのでしょうか?
痛いほど伝わります。戦争という名の暴虐は、きっとこれまでも、目に映らなくてもあったことでしょう。いつもどこかにあった所業なのでしょう。それを見たら、人は、これは、どうするのでしょう。核やさらなる武器を持つことを決めたり、傷ついた人を癒そうと医療に携わったり、爭いに率先して加わわったり、いや、自分は争いから手を引くと決め、そのためにできることを考えたり、或いはまた。人や自分を傷める性質を、自ら解消しょう、自分を理解しょう、或いはまた。平和を生きよう、どうしても、そうしょうと決める。・・ことから、始まる、かも知れません。
山椒の小木。この香り、あり得ない至高の香りと思います。一緒に散歩していた山道で芽をみつけ、大事に持って帰り、ubik0101さんが暫く植木鉢で育ててから、庭に植え替えてくれました。竹を切って根鉢押さえ。土が崩れないようにさしたそうです。独創的芸術的な、オブジェになりました。
No.7754 - 2022/04/11(Mon) 23:55:44
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Re: 改行
/ のり
引用
あ〜、指に神経がいっては難しいです。
これはゴミ箱、あれは電灯、これは何?と指の示す先に神経を向けてますと自分の身体をズドンと突き抜けその先の空間に行くかもしれません。
ただの遊びです。
のりが無限で清々しい訳ではないです。
のりは世界はそのような共用、交換可能な、物質、見る聞く知覚、怒り喜び感情、あれこれ思考で構成されてるモノです。
その奥の、のりが映し出されている無限の空間が本体と感じています。誰でも同じと思います。
指に何の感覚もないので指が触るものの感触が分るのではないでしょうか。
暴虐は、きっとこれまでも、目に映らなくてもあったことでしょう。いつもどこかにあった所業なのでしょう。
あっ、そうですね。目立たなかっただけでいつでも理不尽はどこかにあったのですね。やっぱりこの大自然、世界は活動を促し、刺激を促して覚醒に導いているのかもしれません。
怪我をしてから4週間です、コロナ陽性の3倍もギプス隔離生活です。ひゃ〜。
自然に融けている生活、いいですね〜!
No.7755 - 2022/04/16(Sat) 17:23:03
☆
Re: 改行
/ ubik0101
引用
その、無限の空間は、その無限の空間に映し出されるのでしょうか?
で、結局ですが、
わたしは、ある(アートマン/真我)と、アナートマン(真我否定)は矛盾しないです。誤解を招きたくないのであんまり話題にしたくないのですが、ふつうに言われる自我とも無我とも矛盾しない。です。
すこし個人的なことですが経緯を説明します。
あの体験で何が起きたのか?6,7年かかりましたが、文字が緑色のブラウン管のワープロを使って、圧縮された情報を総て解読しました(超古代の日記です)。思うのですが体験の解読は誠にて、何にも頼らず、ひっそりと、ただ自力でないと困難が増すと思います。
それがすむと、そんなことも完全に忘れてしまって、滑ったり転んだりの普通の貧乏生活していました。そんな
No.7756 - 2022/04/18(Mon) 19:23:01
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Re: 改行
/ ubik0101
引用
あるとき木造アパートに、1人はとても美人でしたが、2人の若い女性キリスト者が訪ねてきて、玄関で立ち話しました。それで、あ、自分にも体験があった、と驚き思い出して、どうしてか、
も一度、体験を解読しようと思いました。液晶画面の文字がグレイの親指シフトのワープロで、それも6,7年かかったと思いますが、以前のとは全然違う文章でしたが、それが出来たのです。考えたというわけではなく、自動的に展開されることを見ればいいだけでした。(このホームページの原文です)。なくなっても失われることは何もなかったのです。
たぶん西新宿の、うどん屋で渡辺さんは、無我ってことがあるんだ。と言いましたが、それはそうなんですが、この日常、無我も自我も真我もない・・・なんの変哲もない、0の自分から始めればいいのです。そいえば、自分の探求は、哲学や宗教を学んだわけではなく、仕事や遊びの日常からしか始まらなかったのです。
それで書き終えるとまた、ふつうの日常です。それを書いた親指シフトのワープロが故障してしまって、時に、どんなことを書いたんだろう?読んでみたいとは思うことがありました。
No.7757 - 2022/04/18(Mon) 19:23:46
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Re: 改行
/ ubik0101
引用
それから数年・・・ふと、部屋の隅に立てかけてあったその埃の積もったワープロのスイッチを入れたら、起動し・・・フロッピーに移し、そのとき持ってたMacで読むことができました。それが終わるとそのワープロは二度と起動しなくなりました。
それでいくつかの偶然が繋がり、ホームページをつくりました。掲示板でいろんな出会いがあり、そいうことがなければ、これほど生きてはなかっただろうし、人生の物語としては、ずいぶん違うことになっていたと思います。
ともかく、そこで、自我も無我もない、この特になにもない明るい透明な世界は神秘なんです。この因果が壊滅した世界・・・物質、知覚、感情、思考は、こうでなくていいのにこうなんです。不思議に満ちてるのです。世界はこの瞬間に始まってるのです。人は世界の始原にいるのです。
いろいろ考えられますが・・・善い人が善いことをするも、あるのですが、善いことをする人が善い人になるのです。悪いことをする人が悪い人になるのです。自覚できない何もないスクリーンに映る自分の言葉、行動、思考・・・それで人は自らの絵を描く、自分の思う通りの人になるのです。どこまでも自分を騙さない、これだけでよいのです。そしてそんなことも忘れていくのです。
No.7758 - 2022/04/18(Mon) 19:25:08
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Re: 改行
/ ubik0101
引用
たとえば世界は透明なら、それにありきります。真我を捕まえて、ちょっとした不整合があるなら、それをどうこうしようとするのではなく、その自分の有様を認めるだけです。するとそれだけで、さらに世界は見せてくれるのです。テトリスの下の段が揃うと、その段が消えて、違うブロックが降ってくるような、あくまで譬えですが、そんなことです。これは振り返れば自我の段でも同じでした。ただそれは、いろんな問題が重なって黒、それを解いて削っていくことでした。
なにか仕事を完成させます。それは仕事を失うということです。でも、なくなることは何もないです。そうでなく、より多くの能力、報酬を得ることになります。この世界、日常に埋没しきっていいのです。愚かである自我が、知に転換されてるとも言えます。
話を戻します。
たとえばですが《その奥の、のりが映し出されている無限の空間が本体と感じています。誰でも同じと思います。》その無限の空間・・・なぜ、これはこれ?
舌が無味でなければ、どうして味わえるだろう。なぜ舌は無味、なぜ味がある。なぜ、これはこれ。甘いは、なぜ、甘い?
舌が無味ということは、味がないのではなく、光の三原色で話したように、赤とか青とかの特定の光がないということは闇だと言うことではなく、総ての味があるから特定の味がない無味。透明。この世界は意味にあふれてるので無意味、なのです。
これがあの体験での中道です。総てが活動してるので、どんな両極端にも中間にも止まれないということです。勢いよく回転してる独楽は止まって見える、ともいえるのです。でも、なぜ、それはそれ。
私は、何も知らないのです。
No.7759 - 2022/04/18(Mon) 19:26:36
☆
Re: 改行
/ ubik0101
引用
ほかの人のことは知りませんが・・・なにも知らない、ここからしか始まりようがなかった、です。
なんだか思い出しましたが、のりさんの言う空間・・・人空、法空を通じての真我かな、と何年か前の掲示板で話したような気がします。またアートマンとブラフマンの話をした時、ちょっと正確な言葉は忘れましたが、のりさんは、巡回、したと言った記憶があります。
この世界の目的があるとして、人を解脱させることではないでしょうか。
No.7760 - 2022/04/18(Mon) 19:28:32
☆
Re: 改行
/ hato
引用
>のりが無限で清々しい訳ではないです。のりは世界はそのような共用、交換可能な、・・
ううん。
誰でもない、のりさんが、それを見ているのです。なにか奥に潜んでいるものが本体、ということない、のりさんが、のりさんです。のりさんの、体験であり経験て思います。
>指に何の感覚もないので指が触るものの感触が分るのではないでしょうか。
なぜ、それはそのようにあるのでしょう。人はそれを、知っている、でしょうか。
ここで、すこし話しが逸れますが、思いついて、のりさんのことではないかも知れませんが、
道の探求者が、覚醒体験する!感覚する!と修行したりするかも知れません。けど、そうだとしたなら、すこし大変かも知れません。
なぜなら「それ、そのこと、それ自身、」は、感覚に与しない。・・というより、五感が処理でき得ないこと、・・それ自身、は本来、この身体が吹っ飛んでしまうようなことだからです。別の言葉でいえば、人にとってそれは、意識の余地がない、ということでもあります。その体験と理解は、感覚することとは違います。
ubik0101さんの覚醒体験が、身体と精神に異常を来たさず、丁寧に段階的に、稀にみる完璧さにあって起きていたとしたら、それまでの人生での日常を、これ以上なく丁寧に見て、生きて、書いて理解していくという、期せずして入念な準備がされた、ことに尽きると思います。石橋を叩いて叩き割る寸前かの如く、緻密に周到に準備、期せずしてとは、その不思議故に。
個人的な体験は、理解されることで超個的、普遍になる、との意味に於いて、ここに於いて初めて、人は誰も同じ、と言えるのです。
体験と境地を直ちに捨て去り、その日常。この、日常。なら、すでに理解への道ではないでしょうか。体験を理解することは実は、どの地点からでも到する可能性を秘めており、幾度も思い起こす必要なく、
体験と理解、双方への鍵は、その人の総てでこの日常生きる、こと、だけです。
日常逃避せず。夢や境地に安住しないことは、意外と大事というより、そのすべてです。
体験と理解への鍵のもうひとつは、言葉、です。
そして普通は、普遍に通じる、ふつうになります。
>自然に融けている生活・・・
冬枯れだった庭はたった一日で、みどりの庭に変身しました。
No.7761 - 2022/04/18(Mon) 19:56:53
☆
Re: 改行
/ のり
引用
ウビさんは緻密に丁寧に紐解かれたのですね。
なるほどとしか言いようがないです。
あの頃考えていた色々な言葉も忘れてきました。
中道。無限の透明な空間も大自然の活動も両方あっての中道。なるほどです。
私の場合、一瞬で意識の枠が爆発して無限大になりましたのでこれを紐解くのは難しいです。その後の体験も歩いている時に、スゥ〜と何かが取れてそのモノになったりしていました。元々緻密さがなく大雑把なので何度も体験を重ねて行くうちにそのモノに体感して、なっていくという感じが近いです。
暫くすると感覚が意識の枠を作って戻ったりしてました。空即是色でしょうか。
今日も夕焼けが綺麗です。
No.7762 - 2022/05/04(Wed) 18:12:54
☆
Re: 改行
/ ubik0101&hato
引用
>暫くすると感覚が意識の枠を作って戻ったりしてました。空即是色でしょうか。
よく、わかるようです。
夕焼け、いいですね。
のりさんのような人が、いてくれるだけで宝もの、な世界なんです。
私たちはそう思ってます。
自分(hato)の体験も、瞬間的に突発的に起こりましたが、忘れさられていても、その自体は時を得て必ず、理解させずにはおかないという、理解せずには終わらせない、という、
その道のりが、これまでの人生です。
のりさん全開で、素晴らしい人生。十分に邁進ください。
きっと、のりさんの、言葉になります。
HPでもブログでも、ときにはお言葉を書いてください。「1ページでも、こちらリンクしますので、よかったらお知らせください、」と申しております。
そのうち、お会いできますように。☺☺
いつかの静岡は大東の海から。鳳凰のような雲でした。
No.7763 - 2022/05/04(Wed) 23:05:48
★
(No Subject)
/ のり
引用
遡りましたら、ペンネームは、のり、でした〜。
ユビさんから私の質問が載ってました。
私の質問はあまり進展していないようです。
ウビさんの言う世界は私には大自然、それを司るのが神、真我は大自然を映し出す無限の空間。40歳ぐらいで体験したそれ。
無音故に音を映し、無感覚故に感覚を映す限りなく静かで清らかな空間です。
2年前にカミさんがハリネズミを飼い始めました。
限りなくマイペースで可愛いです。🦔
No.7737 - 2022/03/26(Sat) 14:23:48
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Re:
/ ubik0101&hato
引用
凄っ、伝説の、のりのりの、のりさんだ。(嬉)。そうですね、もしかして、身体とこの意識は大自然の活動態とか、それを映し出す無限の空間とか・・・瞑想したことないので勝手に無茶言いますが・・・自分を証明したいってこと?
こちらは、5年前にいきなり料理人になって、お客さんに料理を作ったり、庭にザクロの苗を植えたりの・・・自己証明が必要ない日常です。自己証明が必要ないとは、あっ、なんか言おうと思ったのだけど忘れた。世界と自分が一体とか分離とか、その奥に自分があるとかないとか、そんなの吹っ飛んでる。
どうでもいい話ですが、また聞きですが、石原慎太郎が、死んだら虚無だ。と言ってたそうです。そして死ぬ直前、一週間、恐怖してたそうです。
これは知覚と意識が接着してるのではないでしょうか。それが、見える聞こえる、ある、と、そでない、虚無との対立を捏造し、その自分は見える聞こえる、ある側にいて、その対立が、空想の虚無を恐れるのではないでしょうか、
それで、意識してなくても、心臓は動いてる。その知覚と意識が接着してない、とくに鼓動とかは見えないけど生きてる。この見えないところに気をやると、死の恐怖は起きないようです。知覚と意識が接着する必要がない、とくに分離でもない、
こちらの経緯では、神は、なぜ、神。大自然は、なぜ、大自然。嬉しいは、なぜ、嬉しい。恐怖は、なぜ、恐怖。甘いは、なぜ、甘い?
ubik0101
うびさん、て、あぁ懐かしい!あの頃の皆さんを思い出します。
いいなぁ。のりさん、無事にいてよかった!嬉しいです。
そう〜、世界中がきっと、進化しょう!成長しょう!と、
なにかしらしてる、て思います。
けど〜・・
ふつうが一番むつかしい、・・でしょうね?
それは、その、そんな、ふつうは、
凡庸でも、つまらない、でもない、
普遍が通る、普通、です。
たしかに、あまりにふつうですと、
これといって面白くもないというか、
人の目にも止まらないというか、
残せるなにものもないというか、
空の気らしくのれんに腕押しというか・・
あたり前すぎて、生きてる実感がない気がする・・
かも知れません。
けど、成長とか、目覚めるとか。
眼耳鼻舌 身 意 ・・は機能し、
それだけが、だけというわけでもない、
とくに感覚に与しない、
不可思議な、なにかです。
hato
すこし前の休日、夕方の2時間程度か、
久しぶりの海です。
No.7738 - 2022/03/26(Sat) 21:32:08
☆
Re:
/ ubik0101&hato
引用
近くに寄ってきてなにか啄む、礒ヒヨドリです。
No.7739 - 2022/03/26(Sat) 21:34:02
☆
Re: こんにちは。
/ のり
引用
そうそう、のりのり、のりさんと言われてましたので、のりのりかと思いました。
すみません、ウビさんもユビさんと間違えました。ubikがユビキタスと自分で刷り込んでいました〜。レストラン始めたのでしょうか?ウビさんは器用そうですね。
相変わらずウビさんの文章はなかなか入ってきません。hatoさんは分かりやすく暖かい文章でファンです。
自分を証明したいってこと?
う〜ん、誰が何を誰に証明?良く分かりませんが探求は続いているようです。進化しょう!成長しょう!と。
20回ぐらいの大悟体験(自分で思ってるだけです)後ここ五年くらいはなくなりました。ただ無限の空間には瞬時に入れるようになりました。のり、と無限空間出入り自由です。虚無ではないです。本当に静まり返った清らかで涼しくて暖かい空間、天国みたいに思ってます。
いつか渡辺さんと話をしていてお互いにいつから死が怖くなくなったかなんて話もしました。私の場合あの体験からです。(暫く渡辺さんの勉強会に出たり呑んだり弟子みたいな時期もありました。禅問答がまどろっしくて止めてしまいました)
のりは死が怖い様です。足を手術してもギャアギャア騒いでました。
今はこの状態を消化、整理している段階です。もう十年も続いてます。進化しょう!成長しょう!と。
No.7740 - 2022/03/27(Sun) 15:08:05
☆
Re:
/ のり
引用
hatoさんお久しぶりですね。
好雪片々不落、が暫く工事中で続くのかと思っていましたが止められたのでしょうか?hatoさんの文章を楽しみにしていました。
そういえば息子が新聞記者だのアナウンサーになりたいだのと言っていた時に、普通でいいじゃん普通で、と言ったら普通ってなんだよ!と言われました〜。
あまりにふつうですと、大自然は刺激を求めるようです。のりは退屈すると刺激を求めるようです。刺激がないと存在が確認できないようです。
指で壁をなぞるとザラザラとかスベスベとか感じます。それは指に何もないからと思います。
花の香りカレーの臭いそれは鼻に何も臭いがないからだと思います。何も無いがあるから感覚が映るのだと思います。自分とは何も無いと思います。
No.7741 - 2022/03/27(Sun) 15:31:11
☆
Re:
/ hato
引用
のりさん。うっ💦。
ほんとにのりさんだ。
嬉しくて泣いちゃいそうです。😭💦💦
好雪片々、ありがとうございます。なんと有り難いお言葉でしょう。そう、もう少し、時間がいりそうなんですよ。たとえば、「いいわるい、でない善いを」。まったき善とは、どうしてそう?なのか、なぜ、そうなのか。人は、じっくり生きてみる必要がありそうです。
そのうち手作りで編集して、先ずはパパのを本にしょ。と思ってるのですが、今年5年目となる自分たちの仕事を、もう少し、なんとかしたいところです。まわりの皆さんや、一昨年前から神奈川の母が同居して助けてくれますが、強個性的3人生活。これがまた、佳きなりに喧々で、猫3匹鳥2羽金ちゃん3尾メダカ・・がまみれており、なんか忙しい田舎生活。とっても疲れる、田舎生活。ま、人生とは生活とは、大変〜なもんですなぁ。。
新聞記者にアナウンサー!息子さん、お元気そうですね?とてもよかったです。なんでも、やってみればいいのでは?ふつうてなんだ!って?。ほんとですよね、笑。なにがふつうかしらと。でもこれは簡単。「自分に嘘をつかずできる仕事をみつける、」て、世間と社会にまみれますと、むつかしいんでしょう。でも、嘘をつかないとできない仕事と人生
ですと、普遍は通らなさそう〜な、気がしますよ。👀
誰もがなかなかモラトリアムを抜けられないのは、自分が嘘をつかずにどう生きていけるのか、理解するまでに時間がかかる、と言えるのではないでしょうか。そもそも、「自分を知らないその自分で、なぜ自分に嘘をついてるかがわかるのか?」ということに深い場所で気付く、きっかけになったら素晴らしいのでしょう。ここからでもいろいろ学べそうです。
のりさん。自分とはなにも無い。
そしてきっと
それだけ、・・ということでもないでしょうね。
今日仕事を終えて、ubik0101さんと空を見上げて、わ〜!てなりました。なんてきれい。
No.7742 - 2022/03/27(Sun) 23:24:49
☆
Re:
/ ubik0101
引用
誰が何を誰に証明?とは、自分が自分の存在、また不在とかを自分に証明、する必要がない、という意味です。
たとえば風景を見ることができるのは、その風景ではない自分が見てる。知覚とは差の認識。その自分は何?と言っても、自分は自分に差がないので、その自分はまったく完全に知覚できない。です。ここで、
なにか訳のわからない自分がいるとして、風景を知覚してると感じますが・・・でも実際はそうじゃない・・・私が予めあって、なにか知覚するのではなく、なにか知覚してるから、時間を遡って、その知覚してる主体が設定される。です。
あの体験で見たのは、こんな仕組みです。見てる主体は虚構で、時間によってつくられた虚構で、その中心は、ない、ということです。そして、これを見たのは何か?そのそのことがそのことを見たでも、真我が見た。でもいいのですが、それは、そのようにそれが起こった、です。のりさんの言うように、《これ、この身体とこの意識は大自然の活動態との認識です。その認識もそれ、活動態の感じです》もありと感じます。
そしてこのことは神との関係にあってあります。長い間、その神(その神の定義は私の創り主ということです)を疑うことがありませんでした。けど神との距離が神の概念・・・距離がなくなると・・・神の概念もなくなりました。神が消えました。神は絶対で疑い得ませんが、いつか、神を疑ってみたら、神は自分で自分を感じるための自分の投影と言えなくもないです。
このように思考すると、このように思考する自分が創られ・・・自分はないと、あるいは、ある(真我)は、あるにありきって、ないと感じると。自分の根っこは完全にないと感じると、そのような自分が創られ・・・その自分は知覚不能ですが、これは自分にとってはですが、成長と呼べないことはないです。あるいはもう何かを行動、発言、思考しても、自分で自分を創ることがない、これは結構、面白いです。なんであれ、
この日常で、自分を騙さない、自分をごまかさない、ということが大事なんです。それだけです。こいうことが、静かな岡の片田舎で、その自分を感じようともする必要がない、自分の証明を求めない、ふつうの生活です。瞑想がないというより、出来ないので、この日常しかないので・・・まだなにか言い切れてない気がしますが、
まだ渡辺さん、ブログとかやってるのかも知りませんが、ビデオ、長時間なので、何回か見ようとしても根気が続かず、途中でやめてしまっていました。これだけは言いたい、という5分くらいのビデオなら100本あってもいいと思うのです。
18席ほどの小さなカフェです。
No.7743 - 2022/03/28(Mon) 06:42:12
☆
Re:
/ のり
引用
ごめんなさい。
平日はちょっと滞ります。
No.7744 - 2022/03/29(Tue) 00:02:03
☆
感覚
/ のり
引用
> のりさん。自分とはなにも無い。
>
> そしてきっと
>
> それだけ、・・ということでもないでしょうね。
>
hatoさん
感覚って実は感覚があるのではなくて、何も無いがあるんだと思います。そのなにも無い。
です。
あの静まり返った、果てしなく清らかでぼんやり明るい夜明けのような無限の空間です。
>なんか忙しい田舎生活
いいですね。程よく忙しいのが良いです。私は引退年齢なのですが何もしないと呆けてしまいそうで少しは仕事を続けたいなと思ってます。のり、は結構やる事を見つけたい人です。
しかしどうして神様はコロナとか戦争とか起こすのでしょう。成長せよ、進化せよ、という事なのでしょうかね。
No.7745 - 2022/03/29(Tue) 18:53:59
☆
Re:
/ ubik0101
引用
ここで投稿していいか、わかりませんが、、掟破りで、
のりさんの言う、無限空間てどんなことだろう。瞑想しようとするのですが、どうすればいいか、手がかりもないです。もしかして、世界の意味の始まる以前?んーと、譬えですが自動車は工場でできて、いずれ廃車になるけど、その間に、橋を渡ったり、世界一周したりする。人は生まれて死んで、その中、子供をつくったり、ご飯を食べたり・・・そのなんかできる自動車とか人生のベースの基本の自己の姿?とか思うのですが、
それと意識って、液晶画面のバックライトのような、色のない白色(透明)の明るさ、それなしに何も見えない明るさ、と感じるのですが、
たとえば、いろんな絵の具、青とか、黄とか、赤とか、色を混ぜると黒になります。でも、光の青、緑、赤を混ぜると透明(白色)です。前者は自我、後者は真我の特性。そんな感じなんでしょうか、その、ない、には、総ての色彩が含まれてるから、ない(透明)、そんなことに思えます。
No.7746 - 2022/03/29(Tue) 20:12:23
☆
Re:
/ のり
引用
カ、カ、カフェ!?
ウビさん、凄いですね〜!ドラマみたいです。
私と年齢それほど変わらないと思いますが私にはこれから新しい事を始める勇気はもうないです(泣)。自然の流れなのでしょうか。
> これは知覚と意識が接着してるのではないでしょうか。
う〜ん、ちょっと接着の意味が分かりませんが、イメージでは意識とは知覚が作りだした幻想の感じです。この心体を守るために作られた幻想です。
> 誰が何を誰に証明?とは、自分が自分の存在、また不在とかを自分に証明、する必要がない、という意味です。
これもそうは考えた事はないです。でもそうなのかもしれません。ただ探求心が動きます。
hatoさんに
> それだけ、・・ということでもないでしょうね。
と言われますと、おっ、この先にまだ何かあるのか、何があるんだろう?と探求してしまいます。もう十年ぐらい昔のような大きな変化は無いですが続けています。
> あの体験で見たのは、こんな仕組みです。見てる主体は虚構で、時間によってつくられた虚構で、その中心は、ない、ということです。
→これ、同じ感じがします。私の場合虚構でなく無限の空間と言っています。あの時意識が膨らんで爆発してそこにあった空間。言葉では表現できませんので無限の空間と呼んでいます。
>そのなんかできる自動車とか人生のベースの基本の自己の姿?とか思うのですが、
はい、自動車とか人生とかの個々というよりこの世、大自然を映しだす全てのベースです。
色の組み合わせは良く分かりません。
もしかしてhatoさん、息子が大病したの覚えていてくださったのでしょうか。
No.7747 - 2022/03/30(Wed) 11:37:22
☆
Re:
/ ubik0101&hato
引用
たぶん小学生?中学生のころ、剣道を習ったことがあります。親に買ってもらったとかの記憶はないのですが、竹刀を持ってて、先の方は皮?で包まれて、糸がつか(鯨の皮だということでしたが)のほうに伸びてて、なんでこうなんだろう?とか思って見てました。
それで長崎の消防署に、習いに行ってたのです。あるとき、6級?を取れると、面を付けて稽古させてやると言われて、子供心にも自意識を捨てて、試験に臨みました。受かったのは自分だけでした。その日は何もいわれません。次に行った時も、何も言われません。なんだかとてもがっかりして、それから行かなかった。
ずっと前ですが、ゴミをゴミ箱に投げて、あ、これは自分が投げたんじゃない、と思ったのですが、のりさんに、自分が投げたんだ。と指摘されて、しばらくして、意識は遅れるんだ。と思いました。ふつうの生活では、思考しても、意識はないようです。その意味では、意識(心)は幻想です。ここで言ってる意識とは、見たり聞いたできてそのことが判る、仕組みのことです。
そいえば、この世界には望んで生まれて来たようです。渡辺さんもそんなこと言って、ここに戻るつもりだと言ってました。でも、私はここに来るつもりではないです。この世の仕組みがどうであれ、知覚、意識、感情、思考・・これはこうでなくていいのにこう・・・解脱、青は藍よりでで藍より濃い、とか。それでも、
あの体験・・・意識と無意識の接続・・・その後、なにも起こらないだろうと思ってたのですが・・・風景が自分だ。向こうから歩いて来る知らない誰かが自分だ(なんか千尋の谷に張られたロープを渡るような感覚がありましたが)・・・自分て透明なんだ。この世界の裏打ちは自分だ。自分には名前も年齢も性別もないとか、こんなことは悟りというほどのことではないのですが・・・自分が、こうであることを、こうと見るだけで・・・経緯します。のりさんは、怪物といえば聞こえは悪い、瞑想の達人なのでしょう。
ubik0101
というわけで、よしっ、解脱。いってみょう! 、いやっ、このままっ!これでいい!、・・人はさまざまではないでしょうか。☺ もちろん、パパも自分も、のりさんのお話覚えていました。なので、お元気そうで、ほんとに、安心したのでした。のりさんより、うちのパパのほうがずうぅっと年長かな?とは思いますが、hatoちゃんと一緒になったので、ほかにどうしょうもなく、働くおじさんになったのです。というわけで「のりさん、カフェのブログとかお知らせしたいので、よろしかったらメールください、」とパパも申しております。
midorinoharappaアットマークrx.tnc.ne.jp
アットマークは半角の@でお願いいたします。
hato
No.7748 - 2022/03/30(Wed) 23:57:47
☆
Re:
/ hato
引用
尽十方世界是一顆明珠
混沌、カオスなのか。尚、宇宙、世界、森羅万象に貫かれる明知とは。虚空に遍く満ちる智とは一体?。
人は、どこまでいくのでしょう。
No.7749 - 2022/04/04(Mon) 23:14:21
★
お久しぶりです。
/ のりのり
引用
ユビさんhatoさん
こんにちは。お久しぶりです。お元気のようでなによりです。
こちらは長い間に癌になったり沈んだり上がったりいろいろでした。今は稽古で右足親指の腱断裂でギプスで固められ大人しくしております。
あれから瞑想は進み、これ、この身体とこの意識は大自然の活動態との認識です。その認識もそれ、活動態の感じです。本体はその活動を写し出す無限の空間です。20数年前にそれになったそれです。瞑想ではそれになれるのにそれで居続ける事ができません。徹底が困難です。
最近はそんな毎日です。
そういえば右手人差し指を自分の鼻に向け、これは何?と問うと無限の背後を感じるという遊びを昔やってました。
では、
No.7736 - 2022/03/26(Sat) 13:54:31
★
(No Subject)
/ 咆哮
引用
パン粉サーモン食いたい!
No.7733 - 2022/03/04(Fri) 20:31:43
☆
Re:
/ 咆哮
引用
誤作動 フォース 訳わからん
No.7734 - 2022/03/04(Fri) 20:32:38
☆
Re:
/ ubik0101&hato
引用
おお、咆哮さんだ。。気になっていたんだ。咆哮さんの体験について言わなくちゃ、ということがあったんだ。
この掲示板のNo.7242 - 2020/03/23(Mon) 06:56:49の投稿です。
★ Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
まだ、数を数えるのに、自分の指を折って数えてた頃です。たぶん幼稚園とか、小学一年生。ある午後、外で遊んでると、誰かが花いちもんめ、しようと言い出したのでしょう。近所のお姉さんたちの後について、行きました。
なんとなく全員で6人てことは分かってたのですが、どうも変なのです。指を折って何回数えても、5人しかいないのです。そこで疑問で一杯になりながら歩いて着いたところは、レンゲが一面に咲いている田んぼでした。
そこでなにか、なぜか、実際には眼は前を見いたまま、自分で自分の背後を左、右と振り返ったのです。そのとき、風景が、スリットカメラで撮ったように流れるように歪んで見えました。
そしてその自分の背後。そこはなんだか空洞、大きな洞窟の前に立ってるような、不気味さ?恐怖?物凄さ?を感じました。それで、ああこれを1と数えて、見えてる人の数に足せばいいんだ。
この感じは忘れられない。もう間違えない・・・そ思いました。自分の背後は空虚、なにも根拠がない・・・それは自分だから・・・勘太郎さんの話で、こんなことを思い出しました。さて。
なんです。
ubik0101
咆哮さんだ!
よかったです。お元気そうです。
hato
No.7735 - 2022/03/05(Sat) 20:44:01
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