おはようございます。 ぬまさんより、頼まれましたので再掲します。
No.32368
皆さん、こんにちは。 克子です。
掲示板では長い期間、「大きな違いを超えたさらなる共鳴・エネルギー的融合」の前段階としてのバトルが続きました。 それは飯沼とBさんだけのことではなく、皆さんがた・悠々塾というつながりの場においても「大きな違いを超えたさらなる共鳴・エネルギー的融合」に向けて、必要なことでした。
地上の私と飯沼が受信した「地上人類の歩み」からの抜粋を再度、後ほど掲載していただきますが、以下に集約された部分はまさにその通りであり、間違いない事実・真実であると、今は霊界に生きる私として断言いたします。
「さらに言うならば、これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。」
「なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。」
ここで示されていることは、皆さんとは無関係なことなどではありません。 まさに皆さん自身に向けられているのです。
皆さんの考えや気持ちがどうであろうとも、この悠々塾という場につながったことは皆さん自身の魂の意志であり、皆さんの魂が志願して「地上人類の霊性進化」の雛型成就を担っているのです。 この機会にそのことをしっかりと受け止めていただきたいのです。
1,まず、上の「」内の文章を読んで、どう思ったか(どう考えたか)を書いてください。 そして、自分は感情(自分なりの気持ち)を軸に生きている段階であるかどうか?
2,自分や周囲で何か喜びではないことが起きた時、あなたはどういう意識・想念で、どういう言動をとっているのか、自己点検してみましょう。
(以下は例として、) 誰かのせいにして、自分の落ち度や至らなさを認めまいとしていないか? 自分に非や落ち度があると分かれば、自分の気持ちがどうであっても真摯に謝ることができているか? 誰かに対して怒りや憤りを持って、その「場」のエネルギーをさらに陰りに向かわせてはいないか? (その「場」を共有している自分の想念や言動が、その場に大きく作用することは言うまでもありません)
その「場」の状態を喜びに向かわせる意識・想念で、それに基づく言動をとっているか? その「場」を喜びに向かわせることとは逆の意識・想念で言動してはいないか? 調和に向けてのアドバイスや意見を伝えるのではなく、陰口にしかならないことを言って、その「場」の陰りを増幅させてはいないか? (エネルギーですから、形にして伝えなくても、その「場」のエネルギーに大きく作用するのは当然です)
3,(自分の周囲で)陰りを増幅させる人が見せている様子と同じものが、自分にもあるかないか? あるとすれば、それはどのようなことか? (例えば、自分の非を認めずに人のせいにする。相手の言うことを受け止めず・理解しようとせず、自分の言い分ばかり押し通す。すぐに感情的になって、冷静な話ができなくなる。等々)
地上に生きてればさまざまな出来事に遭遇し、あるいは見聞きします。 人間関係も実にさまざまです。 そこでは気持ちを陰らせることもありますし、陰りとまではいかなくても喜びではない感情を抱くこともあるものです。
4,自分に根深く残っている陰り・喜びでない感情、あるいは何かの折に抱く陰り・喜びではない感情は、どのようなものか? そして、それをどのように解消・昇華していくのか?
これは今回のバトルを皆さんがたの学びの機会にしていただくためのものですが、今回の件に限定するのではなく、「感情・気持ち」というものについてもっと広く深く自分を見て、進むべき方向を自分の中で確立させてください。
設問に沿って、それ以外のことも、」「どう思われるか」に囚われることなく、ありのままのあなたの回答をお願いいたします。 できれば数日中に、遅くても1週間以内程度で、しっかりと書いていただけますように。
15/04/2022(金) 14:54:25
No.32369
「地上人類の歩み」からの抜粋です。
P249から さらに言うならば、これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。
人として生きる、ということは、霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成されるということである。ということは、それぞれ(個々)の魂も、それを融合させている大いなる魂にも、喜びへ向けて進むことを妨げるものがないということになる。
この地球という物質の世界に人類が歩みを進めたのは、霊界での喜びを物質という世界にも顕現させるためであり、心の喜び(霊界)と物質(地上界)とを融合させるためであった。かげりが生じず、喜びが循環するということは、その目的を達成したということになるのである。それによって地球霊界は大いなる意志を顕現できた、ということになる。
P307から なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。
ひとりでも多くの人と手を携えて、と伝えました。輝く心で輝く物の世界に生きられるよう、それがひとりでも多くなるために、私どもはあなた方のお役に立ちたいのです。
心と心とでつながって共に生きることこそ、本当に幸せなのだということを、本当は皆、知っているのです。勇気をもって自らの心を表現していってください。多くの人が知りながらそうできずにいるからこそ、さきがけとなる者が必要なのです。あなたが、その一人となってくださることを私どもは希望します。そして、そう意志し、そう行動し始めてくれた者たちに対して、霊界側は導きと援助を惜しみません。いついかなる時も共にあって、地上で働く者と共に、共通の目的(地上人類の霊性進化)のために力を尽くします。なぜならそれが私どもの喜びであり、生きる目的だからなのです。
新たな気づきを得、歩みを進めようとしているあなたが、常に希望を胸にしながら生きてくださるように、その心とからだと魂とで希望に向かって進んでくださいますように、その力の源は、あなた方自身の心にあるのだと重ねて伝え、この通信を終わるものとします。
15/04/2022(金) 15:01:38
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16/04/2022(土) 05:56:24
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