☆☆ 愛は時空を超えて 207 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。 こちらこそ、お世話になっています。
飯)先日の定例会の翌朝、目が覚めたらインスピレーションが吹き出したような感じだった。 眠っている間にそちらからのレクチャーを受けたように思うけど?
克)はい。 その日に限らず、あなたが眠っている間にこちらに来て、さまざまに学んで帰ることが多いのですよ。 でも、あの日は特に強く印象に残ったようですね。 定例会のエネルギーの影響もありました。
飯)目が覚めた時、僕らが担う雛型成就(地上界の制約を超えて奇跡のような喜びを現実化するエネルギー的風穴を開けること)も、いよいよ最終章に差し掛かっていると確信した。
自分の損得・自分の都合・自分の気持ちを優先する段階を卒業して、自分や相手や誰かを含む皆の健やかなる喜びをベースにする生き方に向けて、僕らはずっと学びを続けてきた。
もちろんまだ誰もが完全にそういう生き方に切り替わっているわけではないが、方向性としてのエネルギーはしっかり共鳴してきている。 それは生身の人間にとって、決して容易いことではなかった。
「今まで通りの自分」のままでは、さまざまなトラブルや不調和が喜びに変わりにくいことは分かっていても、今までの自分を切り替えることには大きな抵抗感もあり、膨大なエネルギーを要し、いろんな意味で難しいことでもあった。 それは決して過去形になったわけではなく、現在進行中のチャレンジだ。
「エネルギー場が変われば、現実も変わる。そのエネルギー場につながっている人たちは、もちろん自分を含めて今までは想像もできなかったような幸せがもたらされる」ということを前面に出し始めたのは、比較的最近のことだ。 それまでの年月は、「(自分の)陰りを光に」という、向上進化の自浄努力がメインだった。
それは地上的自我の囚われから自分自身を解き放つ喜びではあるが、実際には躓きながら重い課題を越える修行のようでもあった。 目の前にぶら下げられた安易なエサに釣られるわけではなく、自分の陰りや不十分さと向き合い、自分の陰りを光に変えようとしてきた人たちだけが仲間として残った。 まだまだ道半ばの人が多いにしても、エネルギー的にはまさに光の戦士たちの共鳴場が確立している。
霊性進化の道には終わりはなく、地上を離れてからも永遠に続く、魂の喜びの道だ。 光の霊界においてはそれが当たり前のことではあるが、「今だけ、カネだけ、自分だけ」といわれる今の地上界で、想念も言動も金銭物質も含んで意識的に霊性進化の学びを進めようとする人は少ない。 そういう人間が集い、感情レベルでも仲良く、エネルギーを自然に共鳴させているグループはほとんどない。 その希少なグループ・共鳴場が、まさに悠々塾なのだ。
まだまだではあるが、もうすぐのところにまで漕ぎつけることができた。 よって、課題は課題として取り組みながら、霊性進化の道筋の中で、奇跡のような地上的喜びを当たり前のように現実化していく段階に移行する。
それが、「自分の喜びと相手や誰かや皆の喜びと重ねて、欲求レベルのエネルギーを爆発させる」こと。 喜びを求めるにあたって、最も地上的な欲求のエネルギーと、皆の喜びを願い求めるという地上における最も高次の喜びを融合させることによって、その場は地上でありながらすでに霊界と同様のエネルギー場になる。 つまり、意識が(ストレートに)現実化するのだ。
霊界では、意識と現実は融合・一体化している。 意識が現実を造るということは、事実であり真実であり、普遍の法則である。 「意識が現実を造る」と心の全部で信じていれば(つまり潜在意識にまで刷り込んでいれば)、さらに意識は現実化しやすくなる。 半信半疑であれば、潜在意識には疑念として刷り込まれ、顕在意識でいくら信じようとしても、クリアに現実化しにくくなってしまう。
地上的喜びを現実化するところから学びを始めても、皆の喜びを希求する霊性進化には進みにくく、「自分の喜び(我よし)」に留まってしまう人が多くなる。 つまり「我よし」だ。
自分の喜びと相手や誰かを含む皆の喜びを同調的に重ねることによってこそ、ストレートに現実化するのだ。 自分というエネルギー場(個)は皆というエネルギー場(全体)に含まれているわけだから、個と全体が喜びに向かう波動でポジティブに同調していればこそ、ノイズの発生も少なく、地上次元でのさまざまな波動(意識・エネルギー)に干渉・介入・妨害されることも少なくなって、結果的に自他の喜びがスムーズに現実化しやすくなる。
よって悠々塾では、霊性進化・地上的自我からの脱却・解放というテーマの実践から始めることになった。 自分や周囲の人の重篤な病が奇跡的治癒に至った者でも、ついていけなくなって離れた者も多い。 地上的自我に埋没したままの「今まで通り」の方が楽に思えたのだ。 「招かれる者は多い。しかし、選ばれる者は少ない」というが、自分自身が意識の軸や生き方をどう選ぶかだ。 つまり、今、悠々塾に積極的につながっている人たちは、方向性において、まさに光の戦士であるのだ。
「皆の喜び」を求める意識・エネルギーが方向性を規定する照準であるとすれば、欲求のエネルギーは具体的な地上的喜びをゲット・現実化するための、いわば実弾である。
長年の学びによって、あるいは仲間たちとのつながりの喜びによって、もう方向性・照準に大きな狂いが生じる恐れがなくなった者たちであればこそ、欲求という「実弾」を「神の実弾」として使うことが許されるのだ。
地上の生命たちに共通する「喜びの現実化の原動力」である欲求のエネルギーを全開にして、霊性(愛や真実)と融合させてこそ、自分や相手や誰かを含む皆の健やかなる喜びが地上的制約を超えた奇跡のように現実化し、新たなる喜びの地上界の幕が開くのだ。
言葉にして紐解けばこういう感じなんだけど、どうでしょうか? 素粒子についてもレクチャーしてもらったようだけど、それはまだちゃんと言葉にできそうにない。 分かってはいるのに言葉にできないという、モヤモヤした感じが残っている。
克)はい。 凡そにおいて、こういう感じでよろしいと思いますよ。
つまりは、名もなき微生物から全人類に至るまで、もちろん自分や相手や誰かを含んで、皆が健やかなる喜びの中で生きていける、共生の喜びの地上界に向けてのエネルギー的風穴を開け、奇跡のような喜びを当たり前に現実化していく働きを実地に移していく段階に入るということです。
そのためにもまず、自分自身の「からだ」を腸内細菌たちや常在菌たちとの共生場にしていくこともとても重要です。 なぜならば、自分の「からだ」は狭い意味では人類、広い意味では地球に生息する生命体を一つの全体として、その一部・個ということです。
個であると同時に、細胞やミトコンドリアや腸内細菌や常在細菌たちにとって「人体」は全体になっているのです。 自分自身の「からだ」を構成している最も小さき生命たちとの喜びの共生場にすることが、「自分や皆の奇跡のような喜びの現実化」にいかに重要であるか、分かっていただきたいのです。 特に腸内細菌たちとの喜びの共生は、あらゆる意味において重要不可欠といえるほどのことです。
自分の周囲の人たちの気持ちを慮り、諍いや不調和や寂しい思いをしている人がいれば、自分にできることをしてあげていくことも大事です。 「どちらの気持ちも分かるから」ということでの傍観や放置も、やはり自分としての役割を果たすことへの怠慢です。 諍いや不調和の理由・原因を辿るのは、喜びの場に戻すためのものであり、理由や原因がどうであってもその場を喜びの場(関係性)にすることが最大の目的です。
自分なりの理由で気持ちを離すことはまさに自分の役割の放棄であり、そういう自分が作ったエネルギー場でどういうことが現実化していくのか、すでに十分にご存じのはずです。
自分の損得・自分の都合・自分の気持ちで、誰かを苦しくさせることにならないか、嫌な思いをさせることにならないかを真摯に点検するのは当然のことです。
だからといって消極的になっては元も子もありません。 お伝えしているように、欲求のエネルギーには理性は含まれず、誰がなんと言おうとも欲した喜びを実現することだけを強く思うのです。
自分の喜びと相手や誰かや皆の喜びを重ねる意識を持っていれば、自分の欲求に偏り過ぎていることに気づかせてもらえる機会は計らわれます。 それが欲求の現実化の前か後かは分かりませんが、その意識があれば必ずそういう機会は計らわれるのです。 その時に素直に不十分さを認めて、修正や埋め合わせをすればよろしいのです。
失敗を恐れることや、自分の不十分さで自分を動けなくするよりも、そのほうがよほど健やかなことですし、自他の喜びを現実化できるのです。
飯)分かりました。
克)最後にもう一つお伝えしておきます。 仲間の皆さんの中でも、このプロジェクトへの参画や自分自身を喜びベースに切り替えていくことについて、積極的になれない人もいます。 ある意味から言えば、それは「今まで通りの自分であり続けようとする欲求が強いから」でもあります。
地上の私を思い返せば、「慣れ親しんできた自分に留まることの方が楽に思える」というのも、よく分かります。 しかし、私の場合、あの時期に地上を離れることがシナリオであったとしても、別のラインから見れば「今まで通りの自分」を手放せなかったからあのような病を得て、治癒に至らず地上を離れた」ともいえるのです。
今回のプロジェクトのスタッフとして「招かれた」人たちは、実はそれぞれの魂の意志によって志願した人たちです。 いつまでも「今まで通りの自分」に留まろうとしていたら、大事なものを失うことにもなりかねません。 これは脅しなどではなく、これもまた法則の中でのことなのです。
悠々塾の働きが質的にも大きく進捗しようとしている今、仲間の皆さんがたが本気になって自らのエネルギー場を「健やかなる喜びベース」に切り替えてくださいますよう、重ねてお願いいたします。 もちろん、いかなる状況にあっても喜びを見いだしながら、喜びの中で。
飯)分かりました。 いつも、ありがとう!
克)いいえ、こちらこそ、あなたや皆さんがたにありがとう、です。 今回は特に、純粋な欲求のエネルギーの凄まじさを目の当たりに見せてくださったBさんに、栄誉ある「主演女優賞」ですね!
(2022・6・1)
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28/06/2022(火) 00:17:43
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