おはようございます。 ぬまさんより、頼まれましたので再掲します。
No.32368
皆さん、こんにちは。 克子です。
掲示板では長い期間、「大きな違いを超えたさらなる共鳴・エネルギー的融合」の前段階としてのバトルが続きました。 それは飯沼とBさんだけのことではなく、皆さんがた・悠々塾というつながりの場においても「大きな違いを超えたさらなる共鳴・エネルギー的融合」に向けて、必要なことでした。
地上の私と飯沼が受信した「地上人類の歩み」からの抜粋を再度、後ほど掲載していただきますが、以下に集約された部分はまさにその通りであり、間違いない事実・真実であると、今は霊界に生きる私として断言いたします。
「さらに言うならば、これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。」
「なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。」
ここで示されていることは、皆さんとは無関係なことなどではありません。 まさに皆さん自身に向けられているのです。
皆さんの考えや気持ちがどうであろうとも、この悠々塾という場につながったことは皆さん自身の魂の意志であり、皆さんの魂が志願して「地上人類の霊性進化」の雛型成就を担っているのです。 この機会にそのことをしっかりと受け止めていただきたいのです。
1,まず、上の「」内の文章を読んで、どう思ったか(どう考えたか)を書いてください。 そして、自分は感情(自分なりの気持ち)を軸に生きている段階であるかどうか?
2,自分や周囲で何か喜びではないことが起きた時、あなたはどういう意識・想念で、どういう言動をとっているのか、自己点検してみましょう。
(以下は例として、) 誰かのせいにして、自分の落ち度や至らなさを認めまいとしていないか? 自分に非や落ち度があると分かれば、自分の気持ちがどうであっても真摯に謝ることができているか? 誰かに対して怒りや憤りを持って、その「場」のエネルギーをさらに陰りに向かわせてはいないか? (その「場」を共有している自分の想念や言動が、その場に大きく作用することは言うまでもありません)
その「場」の状態を喜びに向かわせる意識・想念で、それに基づく言動をとっているか? その「場」を喜びに向かわせることとは逆の意識・想念で言動してはいないか? 調和に向けてのアドバイスや意見を伝えるのではなく、陰口にしかならないことを言って、その「場」の陰りを増幅させてはいないか? (エネルギーですから、形にして伝えなくても、その「場」のエネルギーに大きく作用するのは当然です)
3,(自分の周囲で)陰りを増幅させる人が見せている様子と同じものが、自分にもあるかないか? あるとすれば、それはどのようなことか? (例えば、自分の非を認めずに人のせいにする。相手の言うことを受け止めず・理解しようとせず、自分の言い分ばかり押し通す。すぐに感情的になって、冷静な話ができなくなる。等々)
地上に生きてればさまざまな出来事に遭遇し、あるいは見聞きします。 人間関係も実にさまざまです。 そこでは気持ちを陰らせることもありますし、陰りとまではいかなくても喜びではない感情を抱くこともあるものです。
4,自分に根深く残っている陰り・喜びでない感情、あるいは何かの折に抱く陰り・喜びではない感情は、どのようなものか? そして、それをどのように解消・昇華していくのか?
これは今回のバトルを皆さんがたの学びの機会にしていただくためのものですが、今回の件に限定するのではなく、「感情・気持ち」というものについてもっと広く深く自分を見て、進むべき方向を自分の中で確立させてください。
設問に沿って、それ以外のことも、」「どう思われるか」に囚われることなく、ありのままのあなたの回答をお願いいたします。 できれば数日中に、遅くても1週間以内程度で、しっかりと書いていただけますように。
15/04/2022(金) 14:54:25
No.32369
「地上人類の歩み」からの抜粋です。
P249から さらに言うならば、これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。
人として生きる、ということは、霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成されるということである。ということは、それぞれ(個々)の魂も、それを融合させている大いなる魂にも、喜びへ向けて進むことを妨げるものがないということになる。
この地球という物質の世界に人類が歩みを進めたのは、霊界での喜びを物質という世界にも顕現させるためであり、心の喜び(霊界)と物質(地上界)とを融合させるためであった。かげりが生じず、喜びが循環するということは、その目的を達成したということになるのである。それによって地球霊界は大いなる意志を顕現できた、ということになる。
P307から なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。
ひとりでも多くの人と手を携えて、と伝えました。輝く心で輝く物の世界に生きられるよう、それがひとりでも多くなるために、私どもはあなた方のお役に立ちたいのです。
心と心とでつながって共に生きることこそ、本当に幸せなのだということを、本当は皆、知っているのです。勇気をもって自らの心を表現していってください。多くの人が知りながらそうできずにいるからこそ、さきがけとなる者が必要なのです。あなたが、その一人となってくださることを私どもは希望します。そして、そう意志し、そう行動し始めてくれた者たちに対して、霊界側は導きと援助を惜しみません。いついかなる時も共にあって、地上で働く者と共に、共通の目的(地上人類の霊性進化)のために力を尽くします。なぜならそれが私どもの喜びであり、生きる目的だからなのです。
新たな気づきを得、歩みを進めようとしているあなたが、常に希望を胸にしながら生きてくださるように、その心とからだと魂とで希望に向かって進んでくださいますように、その力の源は、あなた方自身の心にあるのだと重ねて伝え、この通信を終わるものとします。
15/04/2022(金) 15:01:38 |
16/04/2022(土) 05:56:24
No.32375 のものも |
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1「感情を意識の中心として生きてきた時代はまもなく終わり、人としてのと言う個人的な感情を含みながらも、それを超えた全体を意識する生き方」
ずっと悠々塾でやってきたことだと思います。 調和な生き方だと思います。
2 喜びでないことが起きたとき、 悲しい出来事には、まだまだ一喜一憂してしまう私だけど
怒りの出来事には、コントロール、冷静とは違った
意識、想念の使い方が、だいぶ大人の考え方に なりつつあります
3 もともと言い分を押し通すことは、あまりないと思いますが、やはり自分が正しいと思ってしまうことに関しては、もっと相手側に寄り添えるようになろうと思います
4 不安はあります。この場に繋がって解消したいと思う |
16/04/2022(土) 06:43:52
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No.32376 飯沼正晴 |
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のものも、ありがとう 昨夜、ホープさんとBさんも投稿してくれています。 |
16/04/2022(土) 06:48:17
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No.32377 飯沼正晴 |
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3,の設問が分かりにくいですかね?
伝わってきていた感じでは、自分の周囲に心を陰らせがち(問題を起こすことが多くなるでしょう)な人だいれば、その人と自分が同じような陰りを持っているか、いないかを点検してみる。 特に家族では陰りの共鳴・増幅している場合が多いようです。 自分の意識・エネルギーを切り替えることで、その場に属している誰かもその影響を受けていく。 陰りと言っても、過剰な状態になる(怒りや激しさなど)ばかりではなく、もっといろいろありますね。 その人の「気になる喜びではない様子・癖・傾向」という感じで、見たらいいかもしれません。 |
16/04/2022(土) 07:56:08
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No.32378 のものも |
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そうですか! 3の設問のこと、付け足します
確かに、父と似たような陰りが私もあると思います 周りが恵まれているせいか 損をしたとか、 そんな思い方は、私にもあると思います
私の方も、そんなような思い方から 解消しなければですね そして、父に良い影響を与えたいです |
16/04/2022(土) 08:21:35
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No.32379 のものも |
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だから、3から4の設問にも繋がりますね〜
確かに、おいしくない仕事は損をさせられる気持ちがあるので 私が変わらないといけないのだなぁと思います。 |
16/04/2022(土) 08:47:22
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No.32381 飯沼正晴 |
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出かける前に一言。
自分語りにならないためにも、やはり設問に沿って真摯に自分を振り返り、書いていった方がいいと思いますよ。 |
16/04/2022(土) 09:12:57
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No.32383 みんと |
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1、今までの学びから叩き込まれていることもあり、当然のことと納得してます。(自分が出来ているかどうかは別にして)
2,喜びでないことが起きた時は、なるべく最善の策を考え言動していくように努めてます。が上手くいかない時は、これも今の自分にとっての計らいだと思い練習問題として取り組んでるつもりです。 なかなかクリアできない時もありますが、そういう時ほど自分中心の言動が多いように思います。
3、自分にも同じものがある時があります。 自分が攻撃されたとき、否定されたとき、無視されたときなど。無視がいちばんしんどいです。 自分が間違っていたり、相手の尊厳を傷つけるような言動をとったりしたときなどは素直に謝ります。
4、3と重なりますが、否定や無視など。 自分の気持ちを相手に伝えることですが、やはり感情的になりますます陰りを増幅することがあります。 そういう時は、ひとまず深呼吸して自分を落ち着かせ、冷静になるよう努めます。 そして喜びの着地ができるようにと自分に言い聞かせてます。
バタバタと書きました。また思いついたら書き込みます。 |
16/04/2022(土) 11:04:07
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No.32384 みさお |
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1 この様な宿題をやる時期が来たと思った。 最近バトル後から、自分を考えていた。 少し前まで感情的であった。 自分を考えていたからか、感情を軸に生きる事が少し薄くなった。 そして楽にもなった。 でも、まだまだ一喜一憂してしまう
2 身近な人の病気等は、自分も頑張らないとと思いながらも気落ちしてしまう。
喜びでない事を見たり聞いたりすると、疲れがでる事がある。 以前妹と色々あった時期に、道筋としての事を伝えるつもりが話すと嫌な言葉を言っていた。 調和に向けてでなく、相手にわかるべしという態度をとった。 自分は間違えていないと思っていた。 相手の間違えを正さなければと思っていた。
3 何かスイッチが入ると、とても怒りだす人がいる。 こちらも、とても疲れるが自分にも同じ様なところがあると思う。 自分が言われた、されたと思うところ そして人にどう思われているかを気にするところ 自分を過剰に守っていたと思う。
4 すぐに人と自分を比べてしまう。 人にはあり、自分にはないと思ってしまう。 自分が否定されている気持ちになってしまう。
どう昇華するかは難しいが 自分はどうだったかを点検した。 感情ではなく、自分の心を広げよう、柔らかくありたいと思った。 人の気持ちをわかるようにしようと思った。 ここは、まだ途中で難しい又書き足しします。 |
16/04/2022(土) 14:56:18
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No.32385 ゆみっぺ |
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1 「」内の文章を読んでどう思ったか、考えたか
自分の小さい枠にとらわれるな、 自分もそれ以外も同じで全体の中の どの部分を表現しているのか?という 違いなのか?と感じた。
自分は、思いっきり自分の感情ベースだと 思う。まだまだ、自分の感情を軸にしている 段階だと思う。
二つ目の「」 手放すことの出来ない自分ごと 弾け散ったら、個としての自分は存在出来ない ということで合ってますか?前にそんな記載が あったような? 今の段階で、病気や事故で亡くなった人で 霊界に行っている人は、当然、自分なりの 感情にとらわれていないから、弾け散ることは ない?が合っていれば、 何かそっちの方が良いなぁと思ってしまう。 自分の意思で覚えてないけど、先発隊として 志願したのだ!と、しっかりと受け止めて! という克子さんの言葉を受け止めんか!と 自分に対して、アホったれーと思います。 続きは、また後で書き込みします。 |
16/04/2022(土) 18:55:26
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No.32386 きんもくせい |
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1 「」を読んで、いつまでも自分の感情に捉われている場合じゃないな、と思いました。 自分の感情でいっぱいいっぱいの私でしたが、自分で言うのも何ですが、ずいぶんと薄くなっている気はしています。 自分にも気持ちがあるように相手にも気持ちがあること。 相手がそうなってしまうことにも、その背景が分かれば、そこに気持ちを向けて考えようとすること。 背景が分からなくても、何かあるんだろうなと思ったり。 そうすると自分もそれなりに冷静でいられる気がします。 あとは、もっと大変な人たちがいることを思えば、自分の気持ちなんて、すごくちっぽけなんだと思います。
2 喜びでないことが起きた時 まずは、ここで学んできた 絶対安心大丈夫!何があっても大丈夫! いずれは喜びに着地する! を腹に据えて気持ちを落ち着かせます。
そして、少しでも皆が安心できるように調和できるように言葉をかけたり、励ましたり、手伝えることがあれば手伝うようにしているつもりです。
3 相手の言うことを受け止めず、理解しようとせず。ってのは特に母に感じてきました。 良かれと思って言ったことも、母がこれ以上傷つかないように守りたくて言ったことも ただただ、うるさい!としか扱われない。 今となっては、母も否定に極端に弱く ストレス耐性も実は弱く傷つきやすく ただ優しくしてほしいだけの人だったんだと思います。 あれこれのアドバイスより、ただただ優しくしてもらいたい。それだけなんだな。と。 生い立ちや結婚してからも寂しい思いをしながらいっぱいいっぱいの中で頑張ってきた母を思えば、受け入れることができるようになったかなと。 弱っていくばかりの母に、もうかつての気持ちは薄らいでいます。 とは言え、時にはイラっとすることもあり 常に優しく穏やかには、もう少し時間がかかりそうです。
そして、実は母と似たようなところは私にもあると思います。 悠々塾に繋がったおかげで、何とかやってこれたんです。 私の場合は、自分のことを分かってほしい。分かってくれるはず。 とことん分かり合って、心で深く繋がりたい。 それが強かった。 それが叶わないとなると、これ以上傷つきたくないから予防線というのか あえて強気な言動をしてしまったり 時には相手を否定するようなことまで言ってしまう。 ってなところがあったと思います。 そんな私のエネルギーが邪魔して(母を否定するようなことは言ってないのですが)母も素直になれなかったのかもしれない。と 今となって、思います。 夫にも、自分の寂しさから、予防線として上に書いたようなことも言ってたと思います。 そのくせ、自分を分かってほしい気持ちは捨てきれず、相手に期待するばかりの 矛盾した自分なりな私も居たと思います。
4 かなり根深かった私の感情。 それは、3に書いたこととダブりますが 自分の気持ちを分かってもらえてない。 否定されてる。 と思った時だったと思います。 でも、今はかなり楽になっています。 それは、ややこしくなっていく一方の両親と向き合わざる負えなくなったり 夫と、とことん向き合ってきたおかげです。 かなりの時間はかかりましたが 全てのことが計らいだったのだと理解できるようになりました。 それもこれも、飯沼さんはじめ ここで繋がった皆さんのお力添えがあったからこそ。 そして、学ばせていただいてるからこそ。 その全てのおかげだと思います。 喜びでない感情は誰のせいでもなく 自分が作り出してる。 家族はじめ出会う人、出会う出来事 全てに意味があって 出会うべくして出会うのだと知ったから。 そこには、自分では知る由もないカルマもあったり、自分の今世の課題であったりするわけだから。 そうであるなら、自分は 自分の気持ちを超えて、陰りを増殖させず喜びに向かうしかないのだと。 そして、何より皆も自分も幸せにがいいに決まってるし、そうしたいから。 そうなるように意識して過ごしていきます。 |
16/04/2022(土) 19:34:46
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No.32387 和也&久美 |
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1について 関わる人たちの調和を目指しますが、関わる狭い人たちの範囲のことであって、より広い世界にまではなかなか意識が向いていないです。 地上界全体を意識した行動までは、なかなかできていないです。 感情にはあまり左右されない方だとは思いますが、完全に払拭するのは難しいです。
2について なるべく皆がより良い方向に向かうよう意識はしますが、○×では結論づけられないことがほとんどなので、総合点を意識している感じですが、人によって配点(価値観)が違うので、何が本当に良いのか分からない場合が多いです。
3について あまりないようには思います。 「自分の考えは受け入れてもらえないもの」の方が、自分の中ではどちらかというとベースになっているので。
4について 人に対する怖さがあって、まず初めは警戒心から入ってしまいます。 実際に人と関わることで少しずつ和らぐこともありますが、逆に怖い様子を見たりした場合には、言っていることの正しい・間違っているかは関係なく警戒心が強化されてしまい、かえって解消が難しくなってしまいます。 それに加え、人に嫌われているとまでは思いませんが、自分が関わると迷惑だろうと思ってしまいます。 長年の刷り込みで自動的にそう反応してしまうようになっているので、人との関わりの中に少しでも喜びを見つけて、嬉しいこととして受け止めることを繰り返していけば解消されないかなと思いました。
Uさんの退院本当に嬉しいです。 無事にここまで来られましたね。 こういう喜びの出来事が、これからあちこちで増えてくると思います。
和也
1,自分なりの気持ちから解放されたいと思いました。 全体にとって(相手にとって)どうしていくのが良いのかを考えて言動していくようにしていますが、まだまだ自分なりの気持ちを軸に生きている段階だと思います。
2,喜びでないことが起きた時、自分に非がなくて、どうしても理不尽に感じる時は、相手の状況や気持ちを考えるようにすると気持ちが収まるし、みんなが喜びに向かうように言動できる気がします。 それでも、あまりに理不尽に感じる時は、怒りや怖さが沸いて来ますが、どうしてそのようになるのか様子を見るようにして、自分にできることをしていきます。
自分に非があると分かった時は、素直に謝りますが、身内などには心から謝れない時もありました。 「自分もしんどかった。あなたのことで、すごく傷ついたし、すごく頑張って来たのに。」という気持ちがあって、「相手の方が悪い」の見方になって、心から謝れなかったと思います。
3,身内と同じような陰りがあると思います。 以前より良くなったと思いますが、しんどくなると感情的になったり、「相手のせい」にしてしまったりします。 そして、自分に自信が持てず、悲観的になりやすく、絶望的になりやすいです。
4,自分は嫌われている。 人が怖い。 大事にされない。
小さい頃からの心の傷からの陰りですが、悠々塾のみなさんや多くの人たちと関わっていく中で、少しずつ和らいできていると思います。 自分が歪んでいたりすると、真実が見えなくなってしまうので、いつも自分を点検しつつ、進んで行きたいです。
遅くなりましたが、 Bさん、お元気そうで嬉しいです! Uさん、来週退院なんですね。 ほんとにびっくりで、嬉しいです。 でも、痩せているとのこと、これからは一人暮らしで大変ですね。 完治に向けて、エネルギーを送ります。 気持ちはとても明るいって、嬉しいですね。 Uさん、すごいです! 今度は喜びの舞台ですね。
恵美子さんの言われている「闇の中にあっても、一筋の光があれば、それは希望になる、光をたやしてはいけない」・・・胸に響きました。 どんな時も光を見つけていくことが大切なんだなと、このところつくづく感じています。 恵美子さん、ゆっくり休んでくださいね。
やすこさん、カレーのオッチャン、良かったですね! やすこさん劇場、私も大ファンです。 父のことも、ありがとう! 父とは色々ありましたが、とても優しい人だったと思います。 それから、ずっと、ずーっと前ですが(笑)、すごく励ましてくれてありがとう! やすこさん、いつも全力で頑張っていて、時には自身のことも労って休めてあげてね。
さいこさん、私も絶対大丈夫!と思います。 お兄さんのこと、よく知りませんが、私も姉と色々あったんで、「良い方向に向かいますように」って思います。
のものもさん、繋がってる人たち、幸せにできたらって、優しいね。
きんもくせいさんの >異質な物を融合って >身近な所でいくらでもあると思います。
ほんとに身近な所でいくらでもあって、異質な物を融合することの大切さを実感しています。 なかなか難しくて、腹が立ったり、怖くなったり、最後は我慢してしまったり・・・。 私も飯沼さんとBさんにしっかり繋がって融合していけるように、喜びに向かえるように、心を使っていきたいです。 飯沼さんとBさんをみなさんと包み込むようなイメージで融合しながら、異質だと思われるところにエネルギーを送ったりしています。
そして、どんな時も大きな愛で見守られているから、自分もみんなも信じて最善を尽くしていれば、みんな何があっても大丈夫!!って思ってます。
久美 |
16/04/2022(土) 21:22:35
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No.32388 ホープ |
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訂正です。設問3:において、よくよく考えてみると思慮が足りませんでした。
>特に家族では陰りの共鳴・増幅している場合が多いようです。
先の投稿では主に対外的な人に対してでした。 実に家族であるが故の難しさは半端ではありません。 これに関しては殆ど出来てはおりません。本当にまだまだです。 どんなに自分を振り返り反省しながら学んだことを軸に心から語っても通じなく返ってくる反応に対し情けなさと腹立たしさを条件反射的に感じてしまう自分があります。 少しでも改善しようと今迄に何度も試みたのですが卒業できません。 外部の人との事は何とか収められますが、常の身近にあり顔を合わせている間柄の家族という関係は逃げようがありません。 多くの場合の家族関係というカルマの設定をつくづく思います。 それだけカルマ解消というものは容易ではないのでしょう。
>その人の「気になる喜びではない様子・癖・傾向」という感じで、見たらいいかもしれません。 正にその通りであると思います。
前に霊書で”家族関係は霊的生活における初歩トレーニング”というのがありましたが、そう見ると今の自分の水準を推し量られます。 しかしながら、そういう今の自分を褒め喜んで進んで行くつもりです。 |
16/04/2022(土) 21:35:16
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No.32389 ゆみっぺ |
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続きです。
2 最近、主に職場で、頑張っている つもりでも、努力していないと否定的に 見られているし、言われる。 逆の立場だったら、同じことが あなた、言えますか?と怒りが湧いてきて 払拭出来ません。 納得出来ず、意見を言うとヒステリックに なり、明らかに不機嫌な顔つき、態度を されるので、聞き流すことにしました。 ペアで仕事している人も同じように感じ ていて、不満や怒りの共鳴状態が かなり強いと思います。
3 同じようなところはあるとは思います。 結局、わかって欲しいという部分が 強いのかもしれません。
4 結局、理解してもらえないし、 もう良いです、何も言わないと言いつつ 家族には言ってる気もしますが、 職場では、味方はいないと思いました。 相手にも気持ちがあり、相手なりに やっているのかもしれませんが、 自分が期待しているものとは違う。 どうしてそんなに不親切なのか?と 思いますが、自分はそうしないように 今までも対応してきたところはあると 思います。 どう解消したら良いか、わかりません。 |
16/04/2022(土) 21:47:41
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No.32390 ホープ |
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Bさん、声かけて頂き有難うございました!
> なんちゅう奴だと思われたでしょう。 とんでもありませんよ。Bさんは小生にとって眩しい存在です。 |
16/04/2022(土) 21:49:44
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No.32391 みやっち |
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1.>>これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。>> 正直に言って、とても厳しい世界だと思いました。 自分というものを手放すことが今の自分に本当にできるだろうか。 反面、すごく楽しみなところもあります。 >>自分というところからの開放。>> >>霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成される>> >>心と心とでつながって共に生きる>> 新しい世界はなんて幸せなんだろうと思います。 自分は感情(自分なりの気持ち)を軸にして生きてはいないがところどころ状況に応じてまだまだ自分なりの感情がでる場合があると思う。
2.自分の場合だと非があれば認めて、謝罪すると思う。 非がなくてもすれ違い、勘違いがあるとわかれば謝罪すると思う。 喜びでない状態にはなるべくなりたくない。 周囲の場合はまずなるべく同調出来るならしてあげるが同調出来ないなら聞くだけか、あまりに自分なりすぎれば反論することになる。 1番は仲直り出来ればいいが無理そうなら少しでも不調和が和らぐかどうかで判断すると思う。 まったく何をやっても無駄そうであれば判断が早く無関心になってしまうかもしれません。
3.喜びではない感情。 環境に恵まれている人が何か不満や愚痴を言っていても受け入れずらいかもしれません。 逆に環境に恵まれていない人に対しては過度に想い入れてしまうかもしれません。 あと自分とあまりにも違いすぎる人はどうしていいかわからない。 結果として本質を見れていない。
4.恵まれた環境下でも人それぞれに想いはあり、一概にまとめて受け入れずらいのはよくない感情かなと思います。 環境に恵まれていようがいまいが関係なくフラットに物事を見ていく必要性を感じます。 あと外面で人を判断しがち。 知り合いは疑いずらい傾向にあるように思う。 もっと内面や本質をみる。 広い視野をもち、意識・気持ちを柔軟にしていき心を開いて人と関わっていく事が大事だと思います。 |
16/04/2022(土) 22:45:32
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No.32392 ぽんた |
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1 自分を手放す、個人的な感情を超えた自分、というのが今ひとつ掴めない自分。 どんな成りたい自分にも、自分としての感情が含まれている気がする。 でも、明るく喜びに満ちた自分と比べて、 陰りを負った自分の感情は、どんなものでも重くて生き苦しい。 それを抱えていては幸せに着地することなどできないことはもうよく理解したので、 そこは迷うことなく手放す方の選択を、ひとつひとつ進めて行きたい。
2 自分に喜びでないことが起きた時、 怒り取り乱す、というよりも、黙って殻に閉じこもる傾向。 暴力的に感じる状況への悲しみに耐えて、刺激から自分を守るために遮断する。 だからまわりに陰りを撒き散らすことはないけれど、 調和や相互理解に向かっての行動が遅れがち。切り替えが悪く後を引く。 誰かのせいにしたり、陰口も言わない。 言いたいことは言うし、きちんと謝ることもできる。 悲しみを怒りに転化しないは、昔からの信条。
3 幸いにして、家族の中で同じ陰りを増幅させあっている相手はいないと思う。 兄とは、何が好きか嫌いかとか何が正しいか悪いかとかといった感情の位置が違う。 違うことが腹立たしいと言うのではなく、 相手が何を考えているのか見当がつかずさっぱりわからなくて戸惑う、 お互いがとてもわかりにくい存在。 自分と似ていない相手を、どう受け入れるのかが問われている気がする。
4 無力感、厭世観。 おかげさまで、以前と比べるとだいぶマシになりました。 |
16/04/2022(土) 22:55:17
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No.32393 オレンジ |
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1 全体を意識する範囲、全体の為にどうするかという面では広くなりつつあると思います。が、自分の感情優先にすることもありまだまだ不安定ではあると思います。 時と場合で自分を優先しています
2 自分に関しての喜びではない事は日増しに減ってきています。自分に関して喜びではないことがあった時、なるべるお互いにとっての喜びに着地できるような考え方、言動はしています。
今回のバトルについてはバトルが激しくなるにつれ、自分の感情としてバトルそのものが嫌だという感情を増幅させてしまったと思います。もめ事があると感情優先でその場から逃げたくなります。 その状況や人の心や考えを深く理解しようとしないところがあるかもわかりません。
内容によってはそれはあなたが超えるべきこと解決することでしょうと、取り合おうとしないところがあります。 または時には陰口にしかならないことも言って流していることもあるようなあと思います。 そんな時は自分の言葉や想念で翳りを増幅させているという意識はありません。
その時の状況や内容や相手によっては喜びの方向へ行く為の意見やアドバイスをしたり一緒になって考えることもあります。
3 感情のぶつかりあいが嫌な為その場では自分の感情を出さなで我慢すると思います。 一人で解決する癖が付いている為、時には意見を求めるけど悩みを人に言わないところがあります。
わかってもらいたいとか、理解してほしいとかの感情が薄いようにも思います。なので自分で考え込んでしまうこともあります。 その時は自分がわからないだけで、翳りのエネルギーをまき散らしているかもわかりません。
4 関わる人の翳りを感じた時に特に悩むような気がします。自分も人の翳りにぐらぐらと影響されている段階です。 私に対してどういう気持ちだったのか、何でその人が翳っていたのかわからないことが多いです。感受性もあるかと思います。
以前の自分は何となくその時の人の翳りの気持ちが察しできたように思いますが、だんだんとそれがわからなくなると関わることが面倒で心を話したり理解しようとしなくなったりします。
それでも不調和状態は避けたいので自分が悪い時は謝るし、調和に向けて解決しようと考えると思います。 |
17/04/2022(日) 06:03:26
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