[ 掲示板に戻る ]

記事No.43136に関するスレッドです


No.43136 さき  
10月10日、金曜日 引用
メモとして書きます
Sちゃんのことを思いだして過去ログを見ていたら、自分が書いてたことがでてきました。

>どんなかげりにも大元には喜び、幸せを求める気持ちがある

ドキッとしてメモしました。2022年6月頃です。
当時の天地悠々を読んでいたら刺激を受けたのでメモとリンクしておきます。
うまくつながってないですが、、ズレてたらすみません、
今起こっている事態は必要だからこそもたらされている。
重たい幽界のエネルギー覆われてしまっているこの地上界に、風穴をあけるためのシナリオ。
そのために必要なエネルギーを獲得する。
というか、自分がやる!という本気が必要なんだと思う。

みんな幸せになりたかった
>自分の喜びの願望とは欲求であり、人間はそれが叶わないときに心を陰らせて歪み始める場合が多い・・
そこで同じ地上の人間が、陰りや闇の元が喜びの願望であることを知り、陰りや闇を否定することなく、慈しみの眼差しで捉え、精一杯の愛念で包み込むことによって、陰りを光に変えていくことを促すエネルギーを注いでいただきたいのです。<

無条件の感謝と祝福
迷える子羊であり、神の子でもある私たち。
だからこそ届けられるエネルギーがある。

人としてやさしく、ただしくを、現実化するための欲求のエネルギーを使うこと。高めること。
この場のエネルギーに共鳴しながら、自分のエネルギー高めたいです。
自分の欲求のエネルギーを使いたいです。
かげってる場合じゃない。私も幸せになりたい。

のも夫さん、のもちゃんに、エネルギー送ります。

みんなすこやかに、しあわせになった。
みんななおった、ぜんぶなおった。


◆2022年1月定例会に向けてのメッセージ
https://www2.rocketbbs.com/622/bbs.cgi?word=30638&mode=find&id=yuyub
見る角度によっては膨大な陰りが蓄積されている地上界ですが、見方を変えればそれをはるかに上回る喜びの願望・欲求のエネルギーが蓄積されているのです。
そしてやはり、地上的な喜びを現実化するには、地上的喜びへの欲求のエネルギーが不可欠です。
地上的な欲求のエネルギーと普遍次元の喜びのエネルギー(愛)が融合してこそ、地上的制約を超えた健やかなる喜びが現実化するのです。
すなわち奇跡の喜びが当たり前になって、地上界はみんな健やかに、幸せに生きる世界へと進化していくのです。


◆2022年5月定例会に向けてのメッセージ
https://www2.rocketbbs.com/622/bbs.cgi?word=33046&mode=find&id=yuyub
「意志と欲求のエネルギーの統合・融合」にチャレンジする


◆愛は時空を超えて 207
https://www2.rocketbbs.com/622/bbs.cgi?word=33468&mode=find&id=yuyub
・・・悠々塾では、霊性進化・地上的自我からの脱却・解放というテーマの実践から始めることになった。
自分や周囲の人の重篤な病が奇跡的治癒に至った者でも、ついていけなくなって離れた者も多い。
地上的自我に埋没したままの「今まで通り」の方が楽に思えたのだ。
「招かれる者は多い。しかし、選ばれる者は少ない」というが、自分自身が意識の軸や生き方をどう選ぶかだ。
つまり、今、悠々塾に積極的につながっている人たちは、方向性において、まさに光の戦士であるのだ。

「皆の喜び」を求める意識・エネルギーが方向性を規定する照準であるとすれば、欲求のエネルギーは具体的な地上的喜びをゲット・現実化するための、いわば実弾である。

長年の学びによって、あるいは仲間たちとのつながりの喜びによって、もう方向性・照準に大きな狂いが生じる恐れがなくなった者たちであればこそ、欲求という「実弾」を「神の実弾」として使うことが許されるのだ。

地上の生命たちに共通する「喜びの現実化の原動力」である欲求のエネルギーを全開にして、霊性(愛や真実)と融合させてこそ、自分や相手や誰かを含む皆の健やかなる喜びが地上的制約を超えた奇跡のように現実化し、新たなる喜びの地上界の幕が開くのだ。


◆おまけ:自己点検のための宿題
https://www2.rocketbbs.com/622/bbs.cgi?word=32368&mode=find&id=yuyub
「これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。」
「なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というものをどうしても手放すことのできない者(自分の物、自分の気持ち)は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。」

☆「感情・気持ち」というものについてもっと広く深く自分を見て、進むべき方向を自分の中で確立するための<宿題>

10/10/2025(金) 08:11:05


No.43137  さき
Re: 10月10日、金曜日 引用
今日の仕事が終わってから篠山に行きます。
明日は来れる方で自然農の畑作業をします。
よろしくお願いします。

土さん、野菜さん、草さんに会うのが楽しみです
リフレッシュしたいです!

10/10/2025(金) 08:51:33

No.43138  飯沼正晴
Re: 10月10日、金曜日 引用
さきさん、書き込みありがとう!

今の時期に、いろいろと参考になりました。
ただ、ちょっと思ったのだけど、さきさんは何かあれば昔の社会党のように「左翼バネ」というよりも「原則バネ」のようなものが働くのかもしれませんね。
それはそれで大事なことではありますが、もっと自由に解放していけば新しい世界が開けるような気もします。
。。。。。。

以下は数日前のグループラインからの転載です。

何事につけても、違和感や反感や否定的な思いがあれば、その場のエネルギーは調和的な喜びにはなりません。

病や症状や不快な出来事などに対して、違和感や反感や否定的な思いを抱くのは、人間の感情としたらむしろ当然のことですが、それでは癒やせない人や出来事があるのです。
というよりも、それは癒しではなく、「糺す・直す」ということになります。
無条件の祝福と感謝のエネルギーにはなりません。

自分にとって不都合なことも受け入れ難いことも、全ては向上進化の喜びに向けてもたらされている。
いずれは向上進化の喜びとして、それらのことを昇華できる。

それが摂理なのだから、今の自分には受け入れ難くても、神心になって無条件の祝福と感謝のエネルギーにつながって、そのエネルギーを惜しみなく注いでいく。

その人やその場にそういうエネルギーが十分に注ぎ込まれたら、その人やその場の現実は必ず喜びに切り替わっていくはずです。

もちろん、今の状態を切り替えるためにという自分の都合・自分の感情が動機になっていたら、それは神心ではなく人間心であるのですが。

10/10/2025(金) 09:33:20

No.43139  飯沼正晴
Re: 10月10日、金曜日 引用
以下は昨夜、つながった世界についてのメモです。

もたらされる全てのことは、さらなる向上進化の喜びという摂理に包摂されている。
であれば、全てをその範疇で捉えること、さらなる向上進化の喜びを軸にして捉えることで、もたらされる全てのことの意味が満たされる。

病も症状もトラブルも悩みも、全てが向上進化の喜びに組み込まれている。
それらは過去世のカルマの発現ではあるが、カルマ解消こそが今の地上の人間の向上進化の課題でもある。

病やトラブルを否定するのではなく、そこから逃れようとするのでもなく、それらを向上進化の喜びとして捉え、そこに無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注ぎ込むことで、病やトラブルが存在する意味が解消・昇華する。

病もトラブルも生身の人間にとっては決して喜びではないが、その人の魂の向上進化にとって必要であるからもたらされている。
偶然ではなく、全ては必然であるのだ。

例えば不治といわれる病に苦しみ、そのまま地上を離れたとしても、死後にその病がもたらされた意味を教えられ、病に感謝することになるはずだ。
病に心が囚われたままでは本来の霊界には戻れない。
必要があればしばらくの休眠期間を経て、やはり病の意味を知って、病に感謝して霊界に戻るはずだ。

個々の病やトラブルの原因・意味はさまざまであるが、やはり全てが「向上進化の喜び」に包括されるはず。
なぜならば、それこそが摂理であるのだから。
そして、無条件の祝福と感謝の心を広げ、それを言動で表現していくことが地上人類の霊性進化であり、摂理に沿うことであるのだ。

話は変わるが、野菜に害虫が発生した時、農薬で駆除するのが慣行農法・近代農法では当たり前。
でも自然農のIさんは、いわゆる害虫にも感謝の心を向けている。
野菜の害虫や病気は、畑の環境が不調和であるから発生するものだという認識があれば、害虫や野菜は畑がそういう不調和な状態にあることを教えてくれる、ありがたい存在ということになる。
畑や野菜にはもちろんのこと、害虫や病気にも心からの感謝・祝福のエネルギーを注ぐことで、畑の調和が回復して害虫や病気が去っていくことが多いという。

人間の病やトラブルも同じこと。
個々の病やトラブルの意味はさまざまでも、病者さん本人にはもちろんのこと、病巣やガン細胞や病原菌にも無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注ぎ、トラブルそのものやトラブルの相手に、理屈抜きで無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注いでいく。

つまり自分の都合や自分の気持ちを軸にして心を動かし言動する段階を卒業して、全ての存在に対して無条件の祝福と感謝の心でつながっていく。
それがその「場」のエネルギーの軸になれば、病もトラブルも存在する意味がなくなって、今の常識でいえば奇跡の治癒・奇跡の和解になるはずだ。

それでもその人がその時期に地上を離れることになっていれば、それは人間にはどうしようもないことだが、私たちは死の意味を知っているのだ。

ただし、自分に都合の良い結果を引き寄せるために、そういう心・エネルギーを注ぐというのは本末転倒であり、結果は動機に規定されたものにしかならない。
病や症状を否定する思い、死を否定する思いに基づいていれば、その「場」のエネルギーも現実も、今まで通りの地上的制約の中でのものになる。

もたらされる一切を否定せず、一切と対立せず、全てを受け入れた上でお互いの向上進化を喜びとして、ただただ無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注ぎ続ける。
私たちよりもはるかに神に近い方々が、一切を否定せずに、おそらくは向上進化の喜びの中で無条件の祝福と感謝の心を注いでくださっているように。


演劇のシナリオにも悪役や困った役が登場することも珍しくありません。
舞台では他の共演者がその悪役に迷惑をかけられたりして、困った存在として存在しているわけですが、そういうシナリオを描く立場の人からすれば悪役も困った存在の役もそのお芝居のテーマや展開に必要だからこそ登場させているわけです。

舞台ではその悪役が共演者から毛嫌いされる芝居が展開するとしても、シナリオを書いた人は悪役さんも他の出演者も同じように必要な存在であるはずです。
そしてそういう悪役にどういう心を向けて、どのように関わるのかが、その芝居の質・レベルでもあるのでしょう。
勧善懲悪や異端・異質な存在の否定・排除は幼稚な気がします。
。。。。。

昨夜、布団の中でこんなことを考えていました。
旅に出る頃から、いやもっとずっと前から意識にあったことですが、今の時期にリアリティをもって意識が動いています。
昨夜、意識をめぐらせていた時はもっとすっきりした認識になって、メモにしてもようやく文章にできるかなと思ったのですが、書き始めるとまだまだな感じです。

でも、「明日掲示板に書こう」と思ったとたんに、もの凄い落下の感覚があって、しかもそれが一瞬ではなくもう少し長く続いて、思わずシーツを握りしめていました。
感覚からすれば、ビルの10階から落下するような感じでした。
どういう意味なのでしょうね。

10/10/2025(金) 11:42:37


- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

Rocket Board Type-X Rocket BBS