[ 掲示板に戻る ]

記事No.1206に関するスレッドです

考える人の話。 / 淳吉郎
☆とある休日。朝から雨が降っていた。が、梅雨の中休みみたいに午後3時過ぎから青空が広がった。
「よし!チャンス!」つってヌメッた庭から雑草除去。我が家(借家)の広大な庭にはドクダミが緑々と茂ってるんだ。
ドクダミって草は放っておくとそのうちにカワイイ、ちっちゃな白い花を咲かせる。それに関しては古今東西、いろんな方々がコメントを述べられているようだ。「一輪挿しもなかなかイケるぜ」みたいな。我が家のそれもちょうど花が咲き終えた頃だったんで「おつかれさんなとこ悪いけど抜きますよー」って気持ちで除去した。

☆一時間弱の作業で一面の緑地が無となった。見た目にすっきり。達成感と爽快感。か。
えっ?俺はさっきまで「おつかれさんなとこ悪いけど・・・」って善人ぶってたぜ。
もしかしたらヒトって生き物は“武器を持った時”と“武器をぶっ放した瞬間”で性格や性質が変わっちゃう生き物かもしんない。そう思ったんだ。
決まり事を簡単に変えない方がいい時もあると思う。
浜松市指定可燃物袋の大サイズ4袋分を集積場へ移動した午後4時過ぎ。

☆6月21日(日)は浜松ズート・ホーン・ロロで近藤等則さんのライブ。
ボク自身が音楽に目覚めたのは1980年代前半。その頃からいろんなマスコミ媒体で『近藤等則』『IMA』という名前を見聞きしてた。固有名詞として知っていたんだ。
そんな方がロロでライブを演るって。WOWっ!コンビニエンス・ストアの半分くらいなスペースのロロでライブ。ボク自身もここ数年でジャズ・ミュージックに楽しく触れる事ができるようになった。すべてはタイミング。そう思います。

☆近藤さんのライブはおしゃべりから始まった。20分間くらいか。そして打ち込み音にあわせてトランペット。数曲後、またおしゃべり、そして演奏。
彼のライブを観ながらいろいろ考えた。19世紀の有名な彫像物『考える人』みたいにコブシを口の辺りに当てて。
でも答えは出なかった。実は俺はさっきまでドクダミを庭で抜いてたんだ。近藤さんのトランペットの音と指に付着したドクダミの匂いが共存してたのさ。

☆ライブ後に感じたのは、ライブはやっぱ人間力、キャラクターが出るなあ、って事。
彼のおしゃべりはその後に演る曲を踏まえての内容だったような気がしたし。
ボク自身はそんな彼のショーを楽しんだ。
80年代に知った固有名詞がボクの中でリアルな音楽家として存在した日だったんだ。

☆その夜の帰宅後、購入したばっかりの彼の新作、近藤さん史上初めてと言うスタンダード集を聴いた。
いろいろ思いをめぐらした。近藤さんは“ルーティン”っつー意識をどう捉えてるんだろう。とか。
俺も楽器を演ってる。ギターを弾いてる。1曲の中で決まったフレーズを弾いたり、コード進行の中で気の向くままに弾いたり。してる。
俺にとって、それはルーティン・ワークの内壁と外壁をスリスリしてる感じなんだ。自由だけど魂が解放されてない気が最近してるんで。近藤さんはどうなんだろう。

B.G.M.「近藤等則/あなたは恋を知らない」
写真は当日一緒にライブを楽しんだ音楽仲間のOさんが撮ってくれたもの。近藤さんとわたし。
自分とおんなじような小柄な体格の方でした。
背が低い、そんな方でもすばらしい音楽や表現をされてる、その時点で俺にとっては大リスペクトな存在になってしまうんだ。

No.1206 - 2015/06/22(Mon) 23:29:30