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記事No.1232に関するスレッドです

すべてはタイミング / 淳吉郎
☆いろんな事があった一年だった。

☆2月にシーナさんが亡くなった。
いっつも横にいてくれる人が突然いなくなるなんて。かなしいを通り越した気持ちの日々が続いたんだ。不思議にも涙が流れなかった。
そして、それを現実としてやっと受け入れる時が来た。5月に鮎川さんのバースデイ・ライブを下北沢で観たんだ。3人でシーナ&ロケッツだった。鮎川さんやベースの奈良さんがシーナの唄を唄ってた。
「あ、シーナは本当にいないんだ。だけどシナロケは続くんだ」
そう思った。

☆7月に実父が亡くなった。
いっつも横にいてくれる人が突然いなくなるなんて。闘病の末なんで覚悟もしてたし。だから不思議と涙が流れなかった。
それよりも感心したのが気丈にふるまう母や死後の様々な手続きをこなしたのが長男のボクじゃなくって次男の我が弟。家内もいろいろとサポートしてくれた。
「あ、お父ちゃんは本当にいないんだ。だけど中村家は続くんだ」
そう思った。

☆実は親父が死んだ翌週に企画イベントがあった。
俺はTHE WHOのニッポン語カバーバンド;恋のピンチヒッターズで出演。
その頃、親父の死去は誰にも知らせなかったけどバンド・メンバーのBa.キラちゃんやDr.ナリちゃんにはお伝えした。おふたりの心こもったサポートもあり本番もサイコーな演奏になった。ありがとう。

☆12月26日は浜松ビスケット・タイムにライブ観戦。キラちゃん、ナリちゃんがそれぞれ弾き語りで演奏。
キラちゃんはレパートリーであるサンハウスの『デス・レター・ブルース』を今回はニッポン語で演奏。わおっ!って思った。後日、インターネット上の彼の投稿ではそのニッポン語、即興で唄ったらしい。またしても「わおっ!」
ナリちゃんは今回、キーボードの方を連れての演奏。ナリちゃんの詞の世界に見事にマッチした鍵盤で素晴らしいコンビだった。ふたり以上になった瞬間からバンドです。ボクらバンドマンみんなが憧れる瞬間“バンド・マジック”が確かにそこにあったんだ。

☆12月某日、フクちゃんからメールあり。2月13日に行われる自身のバンド、フォノシックスの自主企画第2弾への出演依頼。
熟考の末、12月末にTHE SLICKSでの出演をご連絡。
ちょうど依頼を受けた頃、12月6日に静岡でヘルプ・ギターとしてライブしたバンドのドラマーにTHE WHOの映画“THE KIDS ARE ALRIGHT”をダビングして渡そうとしてたんだ。だって彼のドラミングはキースぽかったしね。そんでダメもと
「2月13日にライブあるんだけど叩かない?」
「あ、いいっすね〜」
「ベース知ってる?」
「昔の連れに連絡してみまっすよ〜」
すべてはタイミング。
2月14日はシーナが今年、亡くなられた日。1周忌の前日にライブ。
すべてはタイミング。

☆BAD MOON RISING 2
2/13(土) 浜松キルヒヘア
O/S 19:00/19:30 2000円+1d 500円
出演;
PHONOSICS
BABY IT’S YOU(東京)
THE HIPS(岐阜)
THE SLICKS

レコード係;
TAKUMIX(SUNSET BARIQUANDS)
淳吉郎(THE SLICKS)

☆THE SLICKSの今回の出演に関して活動再開と捉えてくださるのはうれしいです。
ですが、できれば今回は「このメンバーでのザ・スリックスって思って頂ければ」そんな感じです。

B.G.M.「SHEENA & THE ROKKETS/太陽のバカンス」

写真は西暦2004年6月30日に浜松ポルカ・ドット・スリムで行われたシーナ&ロケッツ・ライブでの打上げ写真。左からシーナさん、鮎川さん、ボクちゃん、そして友達であり最大のライバル、盟友:フクちゃん。このサイコーなショットの撮影はティーン・エイジャー時代からの旧友;荒ちゃん。

No.1232 - 2015/12/31(Thu) 02:05:50