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記事No.1303に関するスレッドです

2月なんて / 淳吉郎
りりりりん。
電話が鳴った。画面を見ると未登録の電話番号。受話器を耳に当てると「あ、こんにちは」と男性の声。京都でバンドをやってると彼は言った。「あ、その人なんだ」と思った。
数日前に福岡に住む友人の女性から「彼にジュンちゃんの番号教えてもよい?」「もちろん」というメールのやりとりをしていたからだ。

彼女の勧めもあり、すでに彼がギターを弾いてるバンドの音源を聴いていた。
その感想も含めいろんな話をした。だってビックリしたんだ、彼のバンドに。「こんなバンドが今現在のニッポンに存在してるんだ」って。
ニッポン語のロックンロール。そして彼を含むふたりのギターが弾くプレイ・スタイルとそのアンサンブル。
「ロックを演ってるひとはロック語をしゃべるからね」って鮎川さんが言っていた。
うん、たしかにその日のぼくらふたりはロック語でしゃべってた、と思う。会ったこともなく、しかも電話での初会話なのに。
そんな人と俺は出会ったのさ。

数か月後、彼のバンドのワンマン・ライブを観に京都へ行った。彼には知らせずに。
初めてライブを観た。その時点でのバンドはもうひとりのギターが抜けていて彼のギター1本だった。
重厚な音とフレーズ、繊細な音とフレーズ、彼はひとりで弾き分けていた。弾きまくってんじゃない。弾き分けてるんだ。それこそ、まさに、ロックンロールのギター。そう思う。
「ちくしょう!カッコいいぜ!」そうさ、俺は確かにくやしかったんだ。
多くの方々と会話してる打上げ時に彼の肩をたたき「お疲れ様でした。ぼく、浜松のジュンちゃん」「おおっー!来てくれたのー!ありがとーっ!」って、ハグ。キリン・ラガーの瓶ビールを飲みながらいろんな話をしたんだ、もちろんロック語で。

その年の終わりにぼくの街:浜松へ彼のバンドがやってきた。
彼のバンドを初めて観るたくさんのお客さん、やっぱり、うなってた「すげー」って。イベント終了後に打上げ。その後に極少人数で3次会。彼のそれまでのバンドマン人生のあれこれを聞くことができた夜だった。

りりりりん。
電話が鳴った。「うっす、ジュンちゃん」って彼。数日前にやった浜松でのライブへのお礼の電話だった。「やっぱ飲んでるら」「うん、まあね」だって。いろんな話をしたけど内容は覚えてない。でも、ぼくが覚えてるのは酔っ払っちゃっててロレツが不確かな彼だった。不確かなビートで、彼と俺はロック語でしゃべってたのさ。おそらくね。
でも、いいじゃん。

★★★★★★

2月下旬、彼が急逝された、という知らせを3月になってからの先日に聞いた。
「えっ?」「どうして?」「うそだろ?」。
多くの彼の友達もインターネット上でそれぞれのお気持ちをコメントされてた。ぼくは、ただただ愕然としていた。

2年前の2月中旬に大切なロックンロール仲間の悲報を聞いたばかりなのに。
2月なんて無くなってしまえばいい。ほんとに無くなってしまえばいいのに。
そんな気持ちです。

今も飲んでるけど、ゴメンな、イトちゃん、突然すぎて《献杯》なんて言葉も出ないよ。

B.G.M.「スキマノザラシ/風の歌」
♪いつもの調子でやっておくれよ いつもの調子でやっておくれよ♪

3枚目のスキマノザラシのアルバムをずっと待ってるのに。
でも、かなわない夢が、もしかして、この世には存在するのかもしんない・・・くやしい。

No.1303 - 2017/03/04(Sat) 22:27:59