☆6月某日(日)。自治会の草取り作業。 「そりゃ雨も降りゃぁ草も伸びるし、秋の終わりにゃ知らぬ間に枯れてるし。だで、やらんでもいいら、んな事」。だがしかし、そう思っていても今期の自治会組長たる私が欠席できるわけもなく。 晴天のサンデー・モーニングはゴキゲンなお日様からの陽光を浴びつつ、草取りに勤(いそ)しんだ。4月〜5月と2ヶ月間にわたる幾たびかの各戸訪問により、我がブロックの住民みなさま方のそれぞれの人柄も掴(つか)めてきた、なんとなくだけど。 そん中にひとり、クセモノのおやじがいるんだ「あん?お前なに様?」っつーいわゆる上から目線で応対をしてきやがる。ヒマラヤ山脈の頂上からしゃべってくる彼奴に対し、このボクは日本武道館や東京ドームの売店で販売してるようなオペラ・グラスを装着して応対すんのさ「ヤッホー!なに言ってんだかよく聞こえましぇーん!」って。握りコブシのまんまで。その時、あなたがふらっと現れたとして。ぼくとジャンケン大会をするならば。パーを出したあなたは確実に勝利するのでしょう、このぼくに。 ヒマラヤ野郎(以下ヒマラ野郎)はその日の草取りん時も、そんな態度だったのさ。きぃ。 いつか、あのヒマラ野郎をギャフンさせてやりたい。クールにやれればいいけど。できるかな。ヒマラ野郎め。
☆6月某日(土)。浜松ズート・ホーン・ロロへライブ観戦。 出演は浜松フォノシックスのGt.&Vo.担当フクちゃん、静岡ベアフット・ジプシーのDr.担当くまさん、東京スランキーサイドのGt.&Vo.担当ナベジさん。3人がギターでの弾き語り。 いやぁ〜3者3様、10人10色、100人のギター弾きに100通りのジョニーBグッド、とはこの事だ。サイコーな楽しいひと夜だった。フクちゃんはRCサクセションの名曲『多摩蘭坂』を演った。フクちゃんがRCの曲を演るのってソロ・バンド問わず浜松ではおそらく初めてじゃないかな。そんな気がします。 聴きながらぼくの脳裏にある銀幕のカーテン、そこに映し出されたのは、ぼくらが初めて出会った時に鮎川誠、忌野清志郎、その他たくさんのロックンロール・バンドの会話で盛り上がったあの夜の風景だったのさ。 そして、この日はロロが開店されて6周年となる日の前日だった。店長:ダイスケ、キルヒヘアと並ぶ最高の空間をありがとー!
☆6月某日(火)。浜松キルヒヘアへライブ観戦。 出演はFLORIANS、GIPSYLIPLY、BEATSEEKER、M.O.T.O. 。 米国のパンク・バンド:M.O.T.O.のジャパン・ツアー浜松公演。平日なのにたくさんの方々が集まった。おそらく筋金入りのロック・バカだろう。たぶん、いや、確実にそうだろう。だって、演奏した出演バンドも、DJも、そして主催したフクちゃんも、ぜーんぶ筋金入りのロック・バカだったから。火曜日のこの日、キルヒヘアのバカ密度はギネス級だったはず。バカがバカを呼ぶのさ。バカな国民がバカな政治家を選ぶみたいに・・・。か。 全バンド、サイコーなライブだった。
☆6月某日(日)。お父ちゃんの3回忌法要が執り行われた。 もう2年か、という気がするし、まだ2年か、という気もする。だってぼくらは日々、いろんな事を感じたり、思ったり、あのヒマラ野郎の事を考えたり、そんな事しながら生きてるもんね。そして、時計の針は正確に正午の時報を鳴らすし、LPレコードは1分間に33回転するし、4年おきにスポーツ界の世界的イベントは繰り広げられるもんね。そりゃぁ、もう2年かもしんないし、まだ2年かもしんない。 そんな事を思いながら和尚様の読経をお聞きしていたら、和尚様がこちらを振り向き、3回忌法要の施主であるぼくの顔を見ながら「それではご焼香をお願いします」と言われた。 焼香後、席に戻る。焼香台からはゆらゆらと白いけむり。寺院のお堂内には淡いお香の香り。和尚様は読経を続けておられる。まるで80年代後半からスタートしたボブ・ディランのツアータイトル『ネバー・エンディング・ツアー』のように。そんな空間だった。
写真は6月某日のもの。 気がつくと飼い猫:ミックが食卓上にたたずんでいた。にゃあとも言わず。 やがて、家内がなにやらゴソゴソしだした。 スマート・フォンを取り出しミックの横に自分の頭部をすり寄せている。 「ああ、これが、かの有名な自撮りってやつか」と、いまだにガラケー使用中のぼくは思った。 おもしろい写真だったんで転送をお願いしたの。 なんか、ふたりの顔が似てる気がします。
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No.1322 - 2017/06/18(Sun) 20:22:49
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