19日(金)の午前、デイズド・アンド・コンフューズド(目がくらむような混乱)な業務を無理矢理終了させると帰路についた。午後半休。夜7時からポール・ウェラー(以下ポー)が大阪でライブ。鮎川さんとポーは双璧の存在、ぼくにとって。まるで東西の両横綱。んで、まーったく休場しない横綱なのさ。ふたりは初土俵以降、ずーっと演り続けてる。午後1時55分浜松発のこだま653号に飛び乗った(実際にはふつうに乗車)。サッポロ黒ラベル片手に(実際には旅行バッグと緑茶割りと柿の種も持参)。定刻に列車が西に向かって動き出した。
10メートル動いた瞬間「わっ!大阪にいるポーに10メーター近づいたに!」って隣の家内に向かって叫んだ。「あ、そうだね、ジュンちゃん」。次の停車は豊橋駅。駅に着いた瞬間「ミオさ(家内の名)!ポーに40キロ近づいたに!」「よかったね、ジュンちゃん」。西の横綱にジリジリとすり足で近づく俺のこの感情の高ぶりに対し、家内は微笑で応対。冷静な立行司(たてぎょうじ)みたいに。15時50分、新大阪駅に到着「ミオさ!ポーとおんなじ空気、吸ってるに!」「ホントだね、よかったね、ジュンちゃん」立行司はこうあるべきだと言うぐらい、やっぱし彼女は微笑かつ冷静、だったんだ。
ライブ会場へ行く前に1軒だけ中古レコード屋に寄った。初めておとずれる店。90パーセント以上がアナログ盤。ロックだけに限らないオールジャンルの品揃え。でも、店主のこだわりをしっかり感じる。こーゆー店が好き。【60年代ブリティッシュ・ビート】ってコーナーが目に入ったんで直行。店主、すぐに反応「ぼくの基本はそっからやねん」「そうなんですか。いや、お顔がそうゆう顔、されてますよ」「あ、ほんま?」おやじさん、ちょっとうれしそう。ほかのコーナーからも数枚チョイスしお支払い。「また来ます」と言ってライブハウスに向かった。
会場はなんばHatchというライブハウス。初めて行ったけどライブハウスというよりはコンサート・ホールって感じ。お客さんの多くが30代〜50代半ばの人々。パーカーを着用してるような、いわゆるモッズ・ファッションの人もいれば普通の冬着の人まで。それぞれの人々の中にそれぞれのポール・ウェラーが存在してるんだろう、きっと。俺にとっては西の横綱であるように。19時過ぎに客電が落ちた。「ポール!」「ウェラー!」という歓声。ポーを含め6人のメンバーがステージに登場した。さぁ!ガチンコ勝負が始まるぜ!
結果的に2時間以上のライブだった。ザ・ジャム時代の曲からザ・スタイル・カウンシル時代、そしてソロになってからの時代でも新旧取り混ぜた選曲。しかもオールタイム・ベストだけではないという。いいね。これまで数回、ポーのライブを観たことがあるんだけど、今回は(その時点での)最新作からの選曲が今までのライブ以上に多かった気がする。すごくいいね。ライブを通して感じたのは「彼が今もMODかどうか」という事よりも「全楽曲の響き方が英国ロックそのものだった」って事だった。つまり、彼のガチンコ横綱相撲でターゲット・マークみたいな丸い土俵からぼくは一気に寄り切られちゃったのさ。
翌日は午前11時53分新大阪発のこだま654号で帰宅。ちょっと早く駅に着いたんで時間つぶしに駅構内のカフェ・バーで飲酒。ポーの今回のジャパン・ツアー日程を知らなかったんで家内にスマートフォンで調査してもらった。どうも大阪が初日だったらしい。「え?・・・次が今日の横浜?・・・って事はのぞみ号でポーは横浜へ行くって事か・・・うぉーーーっ!ミオさ!ヤバいぞ!この時間帯、ポーと駅構内で遭遇できるかもしんないぜ!いや、絶対に会える!よし!行くぞ!ミオさ!マジック持ってる?え?ボールペンならある?よし!ボールペンでもかまわねぇ!サインもらうぞ!レッツだゴー!」「ジュンちゃん、よかったね。でもちょっと待ってて、まだビール残ってるで」やっぱし彼女は微笑かつ冷静だったのさ。
カフェバーから飛び出ると(実際には歩み出て)駅構内を行きかう人々をすみずみまで観察した。関西最大の都市、大阪。幾人もの長身の外国人が歩いてる。そいつらを見るたびに「あっ!ポー様!」なんてな風にポール・ウェラーに見えてしまってドキドキしてた俺がいたって事はここでは伏せておこうと思う。
B.G.M.「ジョニ・ミッチェル/ドッグ・イート・ドッグ」
写真は中古盤屋で買ったレコードのうちの1枚。「ザ・ハニカムズ/(same)」 やっと見つけた。渋い!の一語に尽きるかな。ビート系じゃない高音のぺらっぺらなギターも素晴らしい。
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No.1364 - 2018/01/21(Sun) 22:36:45
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