大人ともなると「今日行くところはご無沙汰してるで、手ぶらじゃいけないら」とか「引越ししたし、昔から『向こう三軒両隣』って言うから挨拶兼ねてなんか渡そう」なんつって、手土産持参で訪問することがあったりする。
先日、「なにやらガタガタ物音がするな」と思ったら、隣家に足場が組まれていた。 「はて、工事? それとも壁の塗り替え?」と思っていたところ、ピンポンと呼び鈴。 玄関を開けると70歳越えと思われる老女が立っている。 「こんにちは」 「こんにちは」 「あの今度、おとなりの壁を塗り替えますのでご挨拶に伺いました」 「そうなんですね。足場が組まれてたので何かなと思ってました」 「はい。これご挨拶代わりですが」 「あ、それはどうもご丁寧に」 老女はペンキ屋の奥様なのだろう、と想像する。
名刺と洗剤を頂戴した。 玄関を閉め名刺を見る、なるほど〇〇〇ペンキとレタリングされた文字で印字されている。 だがしかし、見てて「あれ?」と思った。 浜松市は西暦2005年に政令指定都市となりました。 それに伴い、町や村という呼び名のひとつ上に〇〇区という呼び名ができた。 世田谷区代沢とか博多区堅粕という感じといえば伝わりやすいか。 なんと、その名刺は区表記がない旧住所時代の名刺にボールペンで「浜松市〇区」と書き加えてあったのだ。 名刺を作り変えずに15年間、使い続けているのか、すばらしい、と思った。 ちいさい名刺の紙だって貴重な資源として無駄にしていない。 わたしたちは日頃の生活において、利益性を優先させたり、体裁を気にすることがなんと多いのでしょう。 地元の老ペンキ屋から、まさかこんなことを教えられるとは。
やがて家内が「ジュンちゃん!!!」と世界中に存する!マークを我が家に集めたかのような声でぼくの名を呼んだ。 「はい、ジュンです」ぼくは冷静だ。 「ペンキ屋さんがくれたこの洗剤、詰め替え用だに!!!」 「なぬ? つまり、それは旅先でレンタカー・ショップへ行ったのに自動車じゃなくって、ハンドルだけくれたってことだね」やはりぼくは冷静だ。 なるほど、確認すると本体をくれずに詰め替え用をくれている。 答えは簡単さ。 この世はすべてが出会いという縁で成り立っている。 だから、本体を買いにゆけばいいだけの話さ。 金は天下の回り物、という言い伝えもあるし。 でも、金がある奴ほど金を回さないんだよな、ったく。 地元の老ペンキ屋から、まさかこんなことまで教えられるとは。
洗剤名を紙に記し、探す。 しかし、スーパーマーケット、ドラッグ・ストアー、ホームセンターのどこにも見当たらない。 発見できないたびに「この世はすべてが出会いという縁で成り立っているのですよ、ジュンくん」わたしの脳裏で老ペンキ屋が乾いたクチビルでそう語る。 「そういえばストーンズが初めてチェス・レコードのスタジオに行った時、マディ・ウォーターズが壁のペンキを塗っていたという逸話があったな。もしかして彼は俺のマディかもしんない」そんなことを考えていると、探していること自体が苦でもなんでもなく、むしろ喜びに感じてきたのはどうしてだろう。
通信販売で買うとか、検索するとか、それをしたくはなかった。 だって、発見したい、その場で俺だけのガッツポーズを決めたい、そんな気持ちだったんだ。 「でも……」と思った。 15年モノの手書き変更名刺を思い出したのさ。 「実はメーカー廃番になっていたりして。15年前に廃番になった時に在庫一斉処分でお店が叩き売りしてて、それをまとめ買いしちゃってて、しかも老夫婦だから詰め替え用なんつー平成の概念はないのかもしれんし。そうさ、きっとマディは悪気もなく、今もそれを挨拶代わりの手土産で各戸に配布してるに違いない。うん」
さきほど、検索をしました。 メーカー廃番には幸運にもなっていない模様。ふぅ。 探し続けるけど、いざとなったら、現在使用中の洗剤容器が空になったら、それを洗って補充すればいいだけの話なのだ。 だって俺はみんなと違って、マディから詰め替え用洗剤をもらった男なのさ。
B.G.M.「THE BEST OF MUDDY WATERS/MUDDY WATERS」 執筆中に聴きたくなってしまった。ちなみにその前はボ・ガンボスを4枚続けて聴いていました。
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No.1528 - 2020/03/10(Tue) 00:13:05
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