小学生時代、ブラスバンド部に所属していた。 その影響もあったか、浜松市内の社会人交響楽団や社会人吹奏楽団、そして高校の吹奏楽部の定期演奏会等を聴きに行っていた。 演奏会本編の後に拍手が鳴りやまず、もう一回演奏が始まる……そう、アンコールと呼ばれるおまけコーナーもその頃、知りました。
ある日、アンコールを求める観客の拍手喝采の真っ最中に「ぶあばーっ!」と大きな声をあげるおじさんの存在に気づいた。 隣の母親に訊く。 「ねえ、おかあさん。あのおじさんなんて言ってるの?」 「ああ、あれね、ブラボーって言ってるのよ。サイコーって意味よ」 わたしが初めてブラボーって言葉に触れた瞬間です。
世界が20世紀から21世紀に変わるころ、浜松市内でふたつのバンドがほぼ同時期に活動を始めたという。 同世代であり、音楽の嗜好性や指向性や志向性が似ているということもあり、ふたつのバンドは親交を深めるようになったらしい。 スポーツ選手が鍛えるためにグラウンドや体育館やプールを使用するように、バンドも練習場が必要です。 50年代や60年代や70年代のバンドはメンバーの家で練習したり、ガレージなどで音を出していたと聞く。 いいなあ。カッコいいなあ。
だがしかし、80年代以降は多くのバンドが賃金制の練習スタジオというスペースを使って練習するようになった。 そのふたつのバンドは、それぞれ浜松市内の違うスタジオで練習していたそうな。 そしてある時、偶然にも彼らがおんなじスタジオを使うことになったんだってさ。曜日も時間も違うけど。 その日、先に入った一方のバンドのボーカリストはスタジオ内の白板にこう記した。 「ビバ! スリックス!」 別の日、そのスタジオに入ったもう一方のバンドのギター兼ボーカルの男はその白板の言葉に気づくとこう記した。 「ブラボー! プレハブ!」
11月某日。4年に一度のサッカーの祭典が始まった。 ニッポンが初戦を行う場所は「悲劇」と呼ばれた29年前の試合とおんなじ場所である、と同時に対戦相手が今回の優勝候補と目(もく)されるチームであることも相まって、「悲劇から奇跡へ」などなどの言葉がネット上や様々なマスコミ媒体から発せられていた。 結果、ニッポンは勝利し「奇跡」を達成した。 チームのベテラン選手は「ブラボー!」と連呼したという。 別の試合でも格上の強豪相手に勝利した。 だがしかし、残念ながら決勝トーナメントでは惜敗してしまった。 でも、今回の大会、自称:にわかサポーターの筆頭格であるわたしですが、大きな声で言います。 ブラボーっ! ニッポンっ!
B.G.M.「FACES/MAYBE I’M AMAZED」 1971年発表、FACESのセカンド・アルバム『LONG PLAYER』のA面5曲目に収録。 ポール・マッカートニーの楽曲だけど、フェイセズにバッチリはまってます。 サイコー過ぎてブラボー! かつブラボー過ぎてサイコー!
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No.1639 - 2022/12/07(Wed) 00:35:50
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