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記事No.1712に関するスレッドです

6月30日にまつわる話 / 淳吉郎
「思い出だけが きらめくようじゃ しらけた人になりそうだ」
そう唄ったのはブルーハーツ時代最終期の真島昌利さんです。
どーゆーわけかわかりませんが、わたしもおんなじ感覚。
過去を振り返ることにはあんまし興味がありませぬ。
でも、本日は6月30日なんで、ちょっぴり振り返ってみます。

20年前となる2004年6月30日にシーナ&ロケッツが浜松でライブを演った。
場所は浜松市役所南側に存したライブ・バー、ポルカ・ドット・スリムにて。
当日の午後3時過ぎに当時ザ・スリックスのベース担当サトシくんと一緒に浜松駅新幹線改札口前で鮎川夫妻のお出迎え。
新幹線が到着し、やがて黒づくめの出立(いでたち)にサングラスを掛けたおふたりが改札口向こう側の階段上に現れた。
その瞬間、サトシが言った「カッケー!」
そうです、シナロケで育っていない20代後半の彼でも感じてしまうおふたりの「カッコよさ」がこの時点で立証された次第。

シナロケの浜松ライブを待ち焦がれていてくれたたくさんのお客さん、そしてフクちゃんを始めとする当時のたくさんのバンド関連の友達のご協力のおかげでライブは大成功。
打ち上げは、そのままポルカで。
鮎川さんに対しいろんな会話や質問があるなか、フクちゃんがこう言った。
「あのぉ、鮎川さん、ジュンちゃんとぼくはストーンズのカバーバンドを演ってるんです、ザ・ローリング・ミストーンズっていう……」
彼が言い終わらないうちに鮎川さんがこう言う「うん、俺も演っとっとよ、ハート・オブ・ストーンっちゅう」
そりゃあ、天下の鮎川さんがストーンズのカバーバンド経験がないわけないことはみーんな知ってます(笑)
だがしかし、彼はぼくらふたりに対抗するように「俺も演ってる」って言ったんだ、まるで隣町にいる年上のロック兄ちゃんみたいに。

ポルカ・ドット・スリムは控室がないお店だったんだけど、さすがにそれはまずいら、ってことでライブ当日はおんなじビルの4階にある空室を控室として使用させていただきました。
上述したとおり、当時のたくさんのバンド関連の友達のお力をお借りして単なる空き部屋だった場所をロックや映画関連のポスターを張り巡らしたり、シーナさんの着替えスペースも作ったりしてカッコいい控室にした。
んで、打ち上げが終わってシナロケのみなさんがお帰りになる時、鮎川さんがこう言った。
「控室にボブ・ディランのポスターあったと」
「はい」
「あれ、俺が今まで見たことないポスターやね」
「そうですか。あれぼくのポスターなので、良かったら差し上げます」
「おーう、ありがとう」

翌日の午前中、ホテルへ行ってお見送り。
ホテルのチェックアウト時間、10時を大幅に超えた時間におふたりがホテル・ロビーに現れた。
「おーう、ありがとね、昨日は」と鮎川さん。
「ありがとね、サイコーやったよ。でもちょっと暑かったよね」なんて、シーナさんがハスキーな声で可愛(かわい)く笑う。
チェックアウトを済ませるやいなや、ホテルのおばさんが走ってきた。
「あのぉ、ポスターを忘れてますぅ」
「おおおー、ありがとね」と鮎川さん。
そう、それはぼくがプレゼントしたディランのポスターだったんだ。

その年の後半に発売された雑誌にて鮎川家3姉妹を含む鮎川家特集記事が組まれたのです。
その中に掲載された数枚の写真の中にディランのポスターがしっかりと映っていて俺は「わおっ」っち言った。
数日後、東京まで観に行ったシナロケのライブの打ち上げで鮎川さんはぼくを見つけるとこう言った。
「ジュンキチローにもらったディランのポスター、雑誌の撮影で使わせてもらったよ」
うん、鮎川さんはそんなひとなんです。

2004年6月30日。
あの日から、なんか俺んなかで「特別なスイッチ」が入った気がしてます。
そして幸運なことに、それは現在も続いているんだ。

☆★☆★☆★☆★☆★
ザ・スリックスの次のライブです。

2024/7/27 (土) 浜松TEHOM
HIT A TARGET vol.12
O/S 18:00/18:30
2000円+1d 500円

【出演】
RANGSTEEN
WHIZZ
the 1970
THE SLICKS
【DJ】
tadaz

写真左は当時の友人ライバル・バンド、プレハブでギターを弾いていた一平休撮影のツーショット・写真でございます。
写真右は雑誌「SWITCH」2004年10月号の37ページ。シーナとルーシーのあいだでディランがギター弾いてます。

No.1712 - 2024/06/30(Sun) 20:19:19