西暦1980年のある日、13歳だったぼくの網膜に写り、鼓膜に響いたのは5人組のバンドだった。 強烈なインパクト、そして、その第一印象でぼくは幸せになった。 だって、“ロックンロールの扉”が開かれたんだぜ、ぎいぃって言う音も無いまんまで。 密(ひそ)かに、そして確かに開かれました。
当時の雑誌や数少ないテレビ出演映像で特に目立っていたのがリズム・ギター弾きの金髪の男。 金髪だから目立ってるっていうのもあったけど、それ以上に目立つ原因はよくしゃべる、という事。 多くのバンドの場合、インタビュー等で話すのはヴォーカル担当だったり、曲作りもするいわゆるリーダーである事が多いと思う。 だがしかし、そのバンドではリズム・ギター担当の彼がスポークス・マンだった。 バンドが発表する曲調や歌詞やステージ・パフォーマンス、そして彼が語る言葉でそのバンドはイメージを確立したのかもしれないと思っています。
およそ4年ぐらい前だったか、友人:タカヤ君がご自分の企画でTHE JACKSというバンドを浜松に招聘してくれた。 そのバンドで唄とギターを演ってるのが金髪の男だった。 その時は東日本大震災のまだ2年後だったし“放射能”というモノに対する国民全員の意識が高かった頃。 ライブ中のMCで彼いわく「どうせ、放射能でみんなヘンになっちゃうし、楽しくやろうぜ〜」そんな意味合いのことを言っていたと記憶している。 “ブラックユーモア”がそこにあったんだ。 彼は昔となーんにも変わってなかったのさ。 ぼくはうれしかった。
先ほど訃報を知らされた。 彼が亡くなった、と。
中学生時代にアナーキー好きの友達同士で言い合ってた呼び名で彼にお伝えします。 マリ、ありがとね。 あなたのバンドのおかげで、ぼくのロックンロールの扉は開かれました。 そして、それは今も開かれっぱなしだに、幸運なことにね。 やすらかにお眠りください。
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No.1319 - 2017/06/06(Tue) 21:36:17
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