THE SLICKS BBS

ライブ告知です。

「やらまいかミュージックフェスティバルinはままつ」にThe Whoのトリビュート・バンド、The Who族にてギターで出演。
10月12日(土) 浜松forceにて18時前後からの予定。
入場無料。
(THE SLICKSの出演はございません)











鮎川誠にまつわる話 / 淳吉郎
3月18日は1月29日に逝去された鮎川誠さんの四十九日でした。
彼を乗っけたロケットがちょうど今頃、天国に到着したんじゃないでしょうか。
そして、シーナさんや松本康さん、ウィルコ・ジョンソンさんを始めとするたくさんのロック仲間に対し「おーう! 元気にしとっと?」って、あの笑顔で再会の喜びをわかちあっていることでしょう。
好運にもわたしは鮎川さんとおつき合いをさせてもらうことができました。
たいせつな思い出ですが、なかでも特に印象的な出来事をみなさんにもお伝えしたく、ペンを取った次第。

1988年2月、シナロケが浜松でライブを演った。
おそらく初めての浜松ライブだと思います。
場所は西武デパート8階にあるシティ・エイトというお店。
メジャー・バンドのライブにおいて、ギター弾きがピックを客席に投げるシーンをよく見かける。
その日、鮎川さんもピックを客席に向かって投げた。
そして、それはわたしのところに飛んできた。のです。
終演後に彼と会話ができるチャンスに恵まれ、わたしはこう言います。
「鮎川さんがさっき投げたピックがぼくのところに飛んできました」
そう言いながらフェンダー製の白いおにぎり型ピックを彼に差し出す、まるで手に入れたばっかりの宝物を自慢する子供みたいに。
「うん、それあげるよ」彼は真面目な顔でこう言ったんだ。
もちろん、もらえることはわかっている、だけども彼のこの言葉と表情。
うわー、なんて真摯なひとなのだろう。
これが初めて鮎川さんと会話した時の印象です。

2004年6月、シナロケが浜松でライブを演った。
おそらく2回目の浜松ライブだと思う。
場所はその2か月後に閉店が決まっていたポルカ・ドット・スリムというお店。
主催者は浜松のロックンロール・バンド、THE SLICKSの淳吉郎ことわたくしでございます。
当日の午後三時過ぎ、浜松駅まで鮎川夫妻のお出迎えにおもむき、ポルカまでは先輩ロック仲間が運転するワン・ボックス・カーにておふたりをお連れいたしました。
ザザ・シティという百貨店前の交差点で信号待ち。
ザザ・シティがあるのは前述した西武デパートがあった場所、即座にわたしは彼に話しかける。
「鮎川さん、このデパートの場所は以前、西武百貨店だったんですけど、シナロケは16年前にそこの8階にあったライブハウスでライブ演ってるんですよ」
「へぇ、ここで演ったと?」
「演ったと」つられて博多弁をリピートしている淳吉郎氏。
「その日、シナロケは『ブルースの気分』を演ったんです。連れがこっそりウォークマンでライブを隠し録りしていて、その時の『ブルースの気分』がめっちゃくちゃカッコよくて、ぼくはそれを耳コピしました」
その夜、通常めったには演奏されない『ブルースの気分』が演奏されたのさ、リクエストしていないのに。

2008年5月、シナロケが浜松でライブを演った。
場所はメスカリン・ドライブというお店。
デビュー30周年であり、新作アルバム「JAPANIK」のレコ発ツアーにて浜松へ。
前座のTHE ROARSとTHE SLICKSが終わり、シナロケ登場。
新作収録曲と往年の代表曲を織り交ぜての本編ライブが終わり、アンコールにてステージに再登場。
数曲後、鮎川さんが言う「友達を紹介します。スリックス、ジュンキチローっ!」
あわてて控室に駆け込み、自分のギターをケースから取り出すとチューニングもせずにステージにのぼった、まるでロックンロール・ハイスクールの校長先生から「職員室に来なさい!」と呼び出しをくらった生徒のように。
アンコールの打ち合わせなんてもちろんないから、当然どの曲を演るのかも知らない。
でも「JAPANIK」には『ジョニー・B・グッド』が収録されているから、おそらくそれだよな、と思っていた。
だがしかし、わたしがギター・ケーブルをアンプに差し込むやいなや「アイ・キャン・ゲッノー!」と彼が叫び『サティスファクション』が始まった。始まってしまった。
予想だにしない展開にびっくりしながら「でも、やっぱそうだいね。だって、いっつもあなたは【ロックは一発勝負やからね】って言ってるもん」って心のなかで言いました。
その後の間奏部分で彼の視線を感じたので、そちらに顔を向けると彼のブラック・レスポール・カスタムから短いギター・フレーズが飛び出してきた。
呼応するかのようにわたしのワインレッド・レスポール・カスタムからも短いギター・フレーズが飛び出してきて、そのやり取りは幾度か続いた。
あの瞬間、もしかして、鮎川さんとわたしはギターで会話していたのでしょうか。
会話できていたのならうれしいです。

2016年10月、シナロケが浜松でライブを演った。
場所はG-SIDEというお店。
前座のD.F.とTHE SLICKSが終わり、シナロケが登場。
爆音が響く中、わたしはステージを観ずに少し離れた物販スペースで見守り番をしていた。
すると、知り合いの女のコ、彼女は百戦錬磨たるライブ観戦歴をお持ちのロック・フリークなのだが、その彼女が駆け込んできた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「いや、ジュンキチさん、わたし初めてシナロケ観たんですけど、鮎川さんのギターがスゴ過ぎて、どうかなっちゃいそうです。だから、ちょっと離れたところから聴いていたいんです」
ライブ慣れした(特にパンクが多い)彼女でも鮎川さんのギターは「そんな気」にさせてしまうらしい。

その翌日は三重県松阪市でのライブでした。
わたしは松阪まで同行するため、ホテルのチェックアウト時間の少し前からロビーにてメンバー3人をお待ちした。
まず、ドラムスの川嶋さんがご登場、数分後ベースの奈良さんがご登場、そして数分後に鮎川さん。
エレベーターの真向かいがホテル受付けとなっているのだが、エレベーターの扉が開くなり鮎川さんは正面の受付嬢にこう言いました。
「どうもありがとね」
ニッポンを代表するロックンローラーの彼ですが、その人間性の一部分をわたしがしっかりと目撃できた瞬間です。

実はおんなじその週末、アメリカ・カリフォルニア州でディラン、ポール、ストーンズ、フー、ニール・ヤング等が出演するとんでもない野外フェスがハママツ・マツサカと同時進行していたんだ。
浜松駅新幹線乗り場のロビーにてコーヒーを飲みながら出発時間までくつろぐシナロケ3人が目の前にいる。
鮎川さんが奈良さんと川嶋さんに話す。
「カリフォルニアで今、演ってるやろ」
「はい、演ってますね」と奈良さん。
「ストーンズが『カム・トゥゲザー』のカバー演ったんよ」
「えーっ!? ホントですか?」と川嶋さん。
「うん、それでストーンズのカバー、これがサイコーでね……」
まるで軽音楽部の部室で、キャッチしたばかりの情報を仲間に伝えているような空間。
おそらく、鮎川さんは前夜の打ち上げ後にホテルへ戻ってから、ツアー中も持参しているノート・パソコンで動画サイトを検索していたと思われます。

わたしたちギター弾きは自分の好みに一致する音が出るアンプを選びます。
鮎川さんがマーシャル・アンプを使っていることを知った日から、わたしはマーシャル愛好家。
最初に買ったのは40ワットのちっちゃいやつ。
良いんだけど、ライブでの使用を続けているうちに物足りなくなり、そのアンプの同シリーズ兄貴格である75ワットを購入。
兄貴はそこそこギンギンにイケるぐらいの兄貴風を吹かしていたけど、でもやっぱ、物足りなかった。
なぜなら、【レスポール・カスタムでマーシャル直結、フルテン】という諸要素を満たしているのに、彼とおんなじ音が出ていないからです、わたしからは。
悩みに悩み、東京で観たライブの打ち上げ時に直接、お話をした。
「鮎川さん、ぼく、マーシャルのコンボを使ってるんですけど、イマイチなので鮎川さんとおんなじセパレートにしようか迷っているんです」
彼は吸っているタバコの今にも崩れ落ちそうな灰を、テーブルにあるちっちゃな灰皿に用心深く落としながら、こう言った。
「うん、音は大切よ」

2017年10月、シナロケが浜松でライブを演った。
場所はザザ・シティという百貨店にあるフリー野外スペース。
全国から出演者が集まる入場無料の某野外イベントのゲストとして最後に出演。
わたしは最前列でシナロケ3人の登場を今や遅しと待っていた。
そして、どうしようもなく気になることが眼前にあった。
ギター・アンプがそれまでアマチュアが使っていたアンプのまんまであり、しかもマーシャルではないのだ。
えっ!? ホント? うそでしょ? だって今からシナロケだら? おいっ! 主催者っ!

おおきな歓声とともにシナロケが登場する。
手早くセッティングを済ましライブがスタート。
一曲目は『バットマンのテーマ』だった。
音が鳴った瞬間、わたしはわたしの耳を疑った「えっ?」って。
なぜなら、3人の音はわたしがこれまで幾度も観てきたライブの音とまーったくおんなじだったから。
リハーサルもしていない野外の完全なる一発勝負にて、おんなじなのさ、シナロケは。
そして彼、マーシャルじゃないのにマーシャルの音です。
夢か誠か、まさしく誠のあの爆裂ギター音が目の前で鳴っている。

「うん、音は大切よ」
でっかいマーシャル・アンプを購入しようか迷っていたあの時のわたしの問いに対し、彼は「やっぱり、でっかいマーシャルにするべきだよ」とは言わなかった。
この日の野外ライブにおける彼の演奏を体験して、その言葉の意味がわかった、ような気がした。
そして、それは弟子と師匠の会話と伝え聞く《禅問答》にとーっても似ている《ロックンロール問答》だったのでは、と思っています。

鮎川誠さんは神様ではなく、ましてや仏様でもなく、今でもリアルなロックンローラーなのです、俺にとって。

写真:2008年5月24日、浜松メスカリン・ドライブにて。
撮影はハママツがニッポン中に誇るサイコーなロック・ショップ:MUMBLESのオーナー、潤ちゃん。

No.1643 - 2023/03/19(Sun) 01:04:42
ロックンロール遊覧船にまつわる話 / 淳吉郎
音楽や映画や絵画や本、そんな表現媒体が好きです。
わたしがカッコいいと思う表現には得てして「空間」が存在している、ことが多い。
「間(ま)」だとか「立体感」だとか「三次元」だとか「現在過去未来を超越している」だとか、そんな感じであって、そこには酸素や二酸化炭素やヘリウム・ガスなんかは存在していないんだ。
あるのは「響き」だけなのです。

目が覚めると、そこは座席だった。
車体と呼ぶべきか、車両と呼ぶべきか、はたまた機体と呼ぶべきか、その奇妙な「空間」はゆらゆらと揺れている。
ただただ、ゆれているんだ。
「ここはどこなんだろう。いや、なんなんだろう」少年はそう思いました。

気づくと音楽が流れている。
音楽好きな彼はついつい耳を澄(す)ましながら思う。
「そうか、この響きがゆらゆらさせてたんだ」
ちなみに彼の最近のマイブームはパンクと呼ばれる荒っぽいミュージックです。
だがしかし、両隣に設置してあるスピーカーから流れ出ているのは、それではなかった。
荒っぽさの具合いならパンクの二分の一ほど、スピードの具合いならパンクの三分の一ほど、だった。

「うわぁ、なんだこの音楽。でも、なかなかいいじゃん」
ふと、思う。
「これはおそらく運転手さんの選曲に違いない、ラジオのDJのようにさ」
少年は『関係者以外立ち入り禁止』と記されている乗務員扉の小窓から中を見やる。
運転手はサングラスを掛け、オールバックの髪型、そして細身で背が高い男。
着ているのは黒いレザー・ジャケットのようだ。
「あのひとと話をしてみたい」そう思ったが彼は座席に戻る。
だって、そこは『関係者以外立ち入り禁止』なのだから。
彼はいまいち勇気が足りないタイプなのです。

目が覚めると、そこはベッドだった。
少年は寝ぼけマナコでひとりごちる。
「あ〜、ちきしょー、夢だったのか。おもしろい夢だったのに」
気づくと右手がナニかを握っている。
開いた右手にはネーム・プレートがあり、そこにはこう記されていました。
【ロックンロール遊覧船 船長:鮎川誠】

身長180センチメートルの遊覧船長は今日も身長160センチメートルの少年の前を歩いています。
おっきい背中だから、どうやら少年はこれからも迷うことなく、その道を追い続けることができるのでしょう。


1970年代、ニッポン語でロックを演ることに対し論争があったと聞きます。
そして、当時の我が国における『関係者以外立ち入り禁止』という洋楽至上主義に対し、堅い扉を開け放つ活動をしたたくさんの気鋭ミュージシャンのうちのひとりが鮎川さんだったと思います。

No.1642 - 2023/02/01(Wed) 23:03:21
スケートにまつわる話 / 淳吉郎
「来年のことを言えば鬼が笑う」と申します。
ですから、昨年のことをふりかえると鬼は泣いてしまうのでしょう、おそらく、きっと。

新聞購読をしているのだが、日々の生活リズム……出社時間が早く、帰宅時間が遅いおかげで週末にまとめ読み、1週間から2週間分を。
しっかりとではなく、第一面の右側に列挙されている目玉ニュースのうち気になった記事をさらっと、です、残念ながら。
昨年10月23日(日)の新聞の目玉ニュースのひとつがこれだった『小平奈緒 有終のV』。
「あ、小平ってあのスピード・スケートの方だら。滑っている時の写真がいっつも眼が釣りあがってて、まるで怒っているような女性だよね。でも、有終ってなによ? 引退ってこと?」

わたしはその記事を読んだ。
彼女がその日(10月22日)をラスト・レースに選んだ理由、これまでの数々の記録、そして彼女が発したたくさんの言葉、その語録をわたしは知った……知ってしまった。
「なんなんだ、このひと。氷上の500mを滑走する36秒から38秒のあいだに『唯一無二の自己表現をしたい』だなんて。だって、俺たちはその5倍にあたる3分前後の楽曲に対して『どうやって自己表現をしようか』って、もがいているだに。そもそも、ぼくらは音楽だから『表現』ってカッコつけて言ってるけど、彼女はスポーツだら。なんなんだ、このひと」
上記を含む彼女の数々の言葉に「哲学」を感じたのです。
彼女のファンになりました。

昨年7月31日の投稿にて、おんなじスケート界のスーパースター、羽生結弦さんについて「ファンになった」とわたしは記しています。
昨年12月初旬、その彼が今年の2月下旬に東京ドームにてワンマンショーを開催するというニュースを新聞で知った。
「東京ドームでスケート? しかも今回は自分でストーリーを書いて、それをこれまで自分を支えてくれたみなさんに贈り物として届けたいだって? なんなんだ、このひと」
彼もまた自分のスケートに対し『表現』という言語を使っていた。
「よし、彼の東京ドーム公演を観るしかないら」そう決断したのさ。

『GIFT』と名付けられた彼の東京ドーム・ライブのチケットを取るべくネット検索。
そしてぼくは途方に暮れてしまった。
なぜなら、彼のライブは電子チケット・オンリーだったからです。
それはスマート・フォンでなければゲットできないチケット、だがしかし、ぼくはガラケー所有。
「今年はついに俺さまもスマホ・デビューするしかないのか……羽生ライブのために」とひとりごちた12月某日。

ガラケー所有のまんま年を越えたわたしは現在もスマホ転換に関してお悩み中。
ありゃ? こんな苦渋の執筆をしているわたしにどこかから声が聞こえてきます。
「ははは、やめとけやめとけジュンキチロー、おまえにはスマホは似合わねえ、ガラケーで充分だよ。羽生ライブは永遠にお預けだな。ははは」
ああ、そうなんだ、昨年のことを言ってるぼくに対し、どうやら鬼さまは泣くんじゃなくって笑っておられるようで。
いやいや、鬼だけでなく、世界中に笑いがあふれる一年でありますように。

B.G.M.「THE CARDIGANS/CARNIVAL」
スウェーデンのバンド、ザ・カーディガンズの1995年発表のセカンド・アルバム「LIFE」のA面1曲目に収録。
この投稿文の執筆に当たり「久しぶりに聴いてみるか」って何気なく選んだ1枚だけど、撮影の際にジャケットの女性、ボーカルのニーナさんがスケート靴を履いていることに初めて気づいた次第。
こーゆー偶然、というか不思議なタイミングでぼくらはみんな生きている、のかもね。

No.1641 - 2023/01/15(Sun) 23:50:35
とんでもなくぶっ飛んでるバンドにまつわる話 / 淳吉郎
たとえば好きな映画であれ、好きな酒であれ、好きなバイクであれ、嗜好が自分とおんなじだったり、似ていたりするひとに出会った時というのは、心強いものです。
仲間を見つけたというか、援軍を得たというか、「よし、俺はまちがっていなかった」みたいな、そんな感じ。
もちろん好きなバンドやミュージシャンの時もそうであり。
ロンドンのとある駅にてチャック・ベリーとマディのレコードを抱えてたミックに、キースが声を掛けたところからストーンズが始まったというエピソードもあります。

80年代の中頃だったか、某音楽雑誌にてそのキースのインタビューを読んだことがある。
「最近のお気に入りは誰ですか?」
インタビュアーの問いかけに対しキースはこう答えた。
「うん、最近はジョーン・ジェットがいいな。あとAC/DCもいいぜ」
カキーンっ!
まるで大谷選手が特大ホームランを放った瞬間のフル・スウィング・バットから響く音のようなものが、わたしの脳内スタジアムに響きわたりました。
「おいっ! キース、俺と一緒だぜ!」

90年代の初め頃だったか、当時働いていた会社に同世代の若者が途中入社しました。
わたしは安価英国車の代表格であるミニという自動車に乗っていたのですが、彼もミニに乗っていた、しかもかなり改造してあるやつ。
「おーいいねー、かなり改造してあるじゃん」
「いえいえ。あ、ナカムラさんはストーンズ好きなんですか?」
「好きだけど、なんでわかるよ?」
「だって、ナカムラさんのミニのルーム・ミラーにベロ・マークの札(ふだ)が引っ掛けてあるじゃないですか」
「あ、だよねー(笑) んで、キミはナニ聴くの?」
「ぼくAC/DCが大好きなんですよ」
「おー! 俺も大好き。ところでキミはAC/DCをヘヴィメタだと思う?」
「いやいや、AC/DCはロックンロール・ブギ―です!」
「おいっ! キミ、俺と一緒だぜ!」

11月中旬より、AC/DC熱が再沸騰中。バチバチ。
所有するレコードを聴いたり、ユーチューブを拝見したり。
そして、気づくとギターを手に取ってユーチューブ映像に合わせて弾いている自分がそこにいた!
リード・ギターのアンガス・ヤングはもちろんだけど、兄貴であるリズム・ギターのマルコム・ヤングがカッコいいことを再認識。
はい、自動的に「スリックスでこんな楽曲ができるだろうか? ニッポン語で、スリーピースで演れるだろうか? うーん、演ってみたい」という発想になるんですね、これが。
受け身で(?)保守的で(?)引っ込み思案なぼく(?)は、いつもこーやってナニかに導かれっぱなしなのさ。

この文章を2022年に読んでくれたみなさん、一年間ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
この文章を2023年に読んでくれたみなさん、昨年はありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。

B.G.M.「AC/DC / IT’S A LONG WAY TO THE TOP(IF YOU WANNA ROCK’N’ ROLL)」
左:1975年発表、オーストラリアでのセカンド・アルバム「T.N.T」および右:1976年発表、世界各国でのデビュー・アルバム「HIGH VOLTAGE」のA面1曲目に収録。
この曲の間奏でスコットランド音楽でよく使われるバグパイプみたいな音色のフレーズが飛び出してくる。
バンドはオーストラリア出身と広く認識されてるけど、マルコム・アンガス兄弟はスコットランド、グラスゴーの出身らしく、納得した次第。
でも、こんなこと(エレキ以外の音色の使用)は、ぼくが知る限りこの曲だけなんじゃないかな。
ワン・パターンとかマンネリって言葉が太刀打ちできないところで、このバンドは音を鳴らしてると思います。
あきらかに、とんでもなくぶっ飛んでるバンド。

No.1640 - 2022/12/31(Sat) 16:19:36
ブラボーにまつわる話 / 淳吉郎
小学生時代、ブラスバンド部に所属していた。
その影響もあったか、浜松市内の社会人交響楽団や社会人吹奏楽団、そして高校の吹奏楽部の定期演奏会等を聴きに行っていた。
演奏会本編の後に拍手が鳴りやまず、もう一回演奏が始まる……そう、アンコールと呼ばれるおまけコーナーもその頃、知りました。

ある日、アンコールを求める観客の拍手喝采の真っ最中に「ぶあばーっ!」と大きな声をあげるおじさんの存在に気づいた。
隣の母親に訊く。
「ねえ、おかあさん。あのおじさんなんて言ってるの?」
「ああ、あれね、ブラボーって言ってるのよ。サイコーって意味よ」
わたしが初めてブラボーって言葉に触れた瞬間です。

世界が20世紀から21世紀に変わるころ、浜松市内でふたつのバンドがほぼ同時期に活動を始めたという。
同世代であり、音楽の嗜好性や指向性や志向性が似ているということもあり、ふたつのバンドは親交を深めるようになったらしい。
スポーツ選手が鍛えるためにグラウンドや体育館やプールを使用するように、バンドも練習場が必要です。
50年代や60年代や70年代のバンドはメンバーの家で練習したり、ガレージなどで音を出していたと聞く。
いいなあ。カッコいいなあ。

だがしかし、80年代以降は多くのバンドが賃金制の練習スタジオというスペースを使って練習するようになった。
そのふたつのバンドは、それぞれ浜松市内の違うスタジオで練習していたそうな。
そしてある時、偶然にも彼らがおんなじスタジオを使うことになったんだってさ。曜日も時間も違うけど。
その日、先に入った一方のバンドのボーカリストはスタジオ内の白板にこう記した。
「ビバ! スリックス!」
別の日、そのスタジオに入ったもう一方のバンドのギター兼ボーカルの男はその白板の言葉に気づくとこう記した。
「ブラボー! プレハブ!」

11月某日。4年に一度のサッカーの祭典が始まった。
ニッポンが初戦を行う場所は「悲劇」と呼ばれた29年前の試合とおんなじ場所である、と同時に対戦相手が今回の優勝候補と目(もく)されるチームであることも相まって、「悲劇から奇跡へ」などなどの言葉がネット上や様々なマスコミ媒体から発せられていた。
結果、ニッポンは勝利し「奇跡」を達成した。
チームのベテラン選手は「ブラボー!」と連呼したという。
別の試合でも格上の強豪相手に勝利した。
だがしかし、残念ながら決勝トーナメントでは惜敗してしまった。
でも、今回の大会、自称:にわかサポーターの筆頭格であるわたしですが、大きな声で言います。
ブラボーっ! ニッポンっ!

B.G.M.「FACES/MAYBE I’M AMAZED」
1971年発表、FACESのセカンド・アルバム『LONG PLAYER』のA面5曲目に収録。
ポール・マッカートニーの楽曲だけど、フェイセズにバッチリはまってます。
サイコー過ぎてブラボー! かつブラボー過ぎてサイコー!

No.1639 - 2022/12/07(Wed) 00:35:50
With WHIZZにまつわる話 / 淳吉郎
11月12日は浜松テホムでライブを演った。
来てくれたみなさん、ありがとうございました。
誘ってくれたWHIZZのフクちゃん、犬ちゃん、どうもありがとう。ウィズと一緒にコンサート。大感謝です。
共演のThe 1970、Abe and The Shitsのみなさん、おつかれさまでした。ありがとう。

今年、開店したテホムでスリックスは初めてのライブだった。
いいお店だと思う。
客席との段差がないフラット・ステージ。アンプはマイクを通さない生音勝負。これはどちらも、プレイヤーとしてのぼくを若いころから鍛えてくれたスタイルなのです。
どんなお店でもライブ前は血が騒ぐけど、このスタイルのお店では我が血がそれこそ「血相を変えて」暴れまくるんだ。ギャイーン。

そしてその日はスリックスとして今年2回目のライブであり、今年はこれで終わり。
一年間のライブ回数としては今までで一番少なかったかな。
まあ、さまざまな理由があるのだけれども。
でも、ライブが決まって、その日に向けてスタジオ入って、くねくねと粘土細工のようにバンドを固める……というか練り上げていく、あの感じがとっても好きです。
そこに新曲があれば、なおさらサイコーさ。

この日のテホムでも新曲を演ったんだけど、一回演ったらそれはもう過去の曲ってぼくは考える。
最近は次の新曲のイメージを脳内にあるスケッチ・ブックに4Bの鉛筆でデッサンしてます。
曲のイメージというのは絵を描く時のモデルみたいなものかな。
今回のモデルがねぇ、じっとしていなくて、ちょろちょろポーズを変えやがるからデッサンしづらいったらありゃしない(笑)
落ち着きのない曲になるかも、です。

それではみなさん、ちょっと早いけど、来年もザ・スリックスをよろしくお願いします。

B.G.M.「WHIZZ/GIRL FRIEND」
もうサイコーっ! フクちゃん、犬ちゃん、7インチ発売おめでとう!

写真:友達や気になるひとのアナログ・シングル盤を買うのって、うれしいけど不思議な気持ち。初めて聴く時はちょっぴりドキドキするし。
そう、わたしにとって45回転のレコードって、遊園地のジェット・コースターとおんなじくらいスリリングなんだ。

No.1638 - 2022/11/30(Wed) 00:59:08
鉄砲にまつわる話 / 淳吉郎
「ねぇ、パパ」
「どうした?」
「こっち向いて」
「ん?」
「発射ぁ―っ!」
「うわっ! つめてぇー! なんだお前、水鉄砲か?」
「そうだよ、佐藤くんに貸してもらった」
「ったく、サトーはロクなもんをお前に貸さんな」
「ねぇ、パパ」
「どうした?」
「パパみたいな大人になれば、本物の鉄砲を撃つことができるの?」
「いやいや、できないできない」
「え? だってアメリカでは本物の鉄砲を使えるって佐藤くんが言ってたよ」
「ったく、サトーはロクなことをお前に教えんな。そもそもここはニッポンだら」
「だよね……でも、ぼくが大人になったらアメリカ行って、本物の鉄砲を撃ってみたい」
「ふうん。でもアメリカなんか行かなくても鉄砲を撃つことはできるよ」
「ほんと?」
「うん。ただし、的(まと)は人間でも動物でもないんだな、これが」
「???」
「マシンガン・ギターっていう鉄砲がこの世にはあってな。ロックンロールが大好きなひとのハートを狙い撃ちするんだ」
「ギターから弾丸が飛び出るって、なんか漫画みたいでスゴくない?」
「あはは、うん、確かに漫画みたいだな。でもホントの話だぜ。だってパパはそのひとのライブに行ってこの眼で確かめたんだから」
「すげっ! なんていうひと?」
「ウィルコ・ジョンソンっていうイギリス人さ」
「アメリカ人じゃなくってイギリス人なんだ? ぼくもいつか会えるかな?」
「もちろん。おまえがロックンロールを好きになれば会えるはず。だって、ウィルコは今でもパパの心のなかで生きてるんだから」

B.G.M.「WILKO JOHNSON/窓からはい出せ」
1980年発表のウィルコのソロ・アルバム『ICE ON THE MOTORWAY』のA面5曲目に収録されているボブ・ディランのカバー曲。
世界中の多くのひとがディランのあらゆる楽曲をそれぞれのアレンジでカバーしています。すばらしい。
ぼくの声質はしゃがれ声やダミ声、ましてや青空を突き抜けるような端麗な声でもない、残念ながら。
だがしかし、ウィルコのこのカバーを初めて聴いた時「すげぇーっ! カッコいいーっ!」って唸り声でも叫び声でもない声をぼくは発してしまった。らしい。
そう、その声はまるで、線の細い音色のテレキャスターをカール・コードを使ってフェンダー・アンプに直結でつないでいるくせに、暴力的にやさしく響くウィルコのギターのように……だったのかな? だったらいいのに。

No.1636 - 2022/11/25(Fri) 00:02:55
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