THE SLICKS BBS

ライブ告知です。

「やらまいかミュージックフェスティバルinはままつ」にThe Whoのトリビュート・バンド、The Who族にてギターで出演。
10月12日(土) 浜松forceにて18時前後からの予定。
入場無料。
(THE SLICKSの出演はございません)











橋渡しにまつわる話 / 淳吉郎
よく晴れた日曜日の午後、安物の紙パック1.8リットル入り甲類焼酎を買うため、近所のスーパーマーケットを訪れた。
駐車場にクルマを駐めると前方右手に黄色いスクーターがいるのに気づく。
そいつはメーカー車種を当方が知る由もない最近のデザインだった。
初対面なのにその流線型のボディから発せられるナニかから「こいつはタダモノではない」と悟った次第。

【ひとを見た目で判断するな】ってのは、権力者などからの偏見に対する平民の反抗の声のひとつ。
だがしかし、案外とひとがひとを見た目で判断したことが当たっている場合が多い気もします。
音楽を演ってるひとってのは「音楽を演ってる感」がどうにもこうにも漂って(ただよって)しまうように。
「あなた、もしかしてバンド演ってません?」「え? 演ってますけど……」「やっぱりねー」みたいな。

クルマから降りたわたしは黄色いスクーターに向かって歩を進めた。
そこに着くやいなやエンブレムを見ると、そいつは最新型のベスパだった。
「やっぱ、そうじゃんか」つってAC/DCのアンガス・ヤングさん(以後、敬称略)のようにわたしは激しく首肯。だだだだだだだっ アンガぁスっ!
親から子へ。子から孫へ。ひとと同じように、ロックンロールとおんなじように、バイクも先代、先々代の血を引き継いでゆくってことか。

いつだったか、ストーンズのキース・リチャーズさん(以後、敬称略)が自分のバンドのことを問われ、こう言っていた。
「おれたちは上の世代から引き継いだ音楽を下の世代へつなげる橋渡しみたいな役目さ」
ぼくの心のなかにあるロックンロール手帳の何ページ目かに太文字で記された瞬間さ。
一般的には荒くれ者のイメージが強いキースだが、その言葉を発している時の彼の表情、それはまるで【真摯(しんし)】という言葉をそのまま具現化したようなものだった。もうサイコー。

5月某日、ストーンズの新作が発表された。
1977年に行われた小さなクラブでのライブ盤である。
「どうして45年前のライブなの? 彼ら生まれてもいないじゃん」そんな声が聞こえてくる。
そりゃそうさ、だって今は世界中にいろんな《ストーンズ》が存在する時代だから。
どうやら世界中のザ・ローリング・ストーンズ・ファンが今回のアルバムに心をときめかせているらしい、みんないい歳こいて。ね。

アルバムを聴いた。
「やっぱ、そうじゃんか!!!」つって、またしてもわたしはAC/DCのアンガスのように激しく首肯。ちなみに今回はびっくらマーク『!』3個付き。
3個付いてるのには理由があります。
・ヒット曲オンパレードではなく、ロン・ウッドさん(以後、敬称略)が3代目ギター弾きとしてバンドに加入してアルバムを発表した翌年だからこそのセットリスト。
・キースが言っていた「上の世代」の音楽、そのカバー曲を随所で何曲も披露している。
・驚いたことに1977年から数年後に発売されるアルバムの中の楽曲をこの時点ですでに演っている。うん、やっぱりバンドは新曲が命だと思う。

『上の世代から引き継いだ音楽を下の世代へつなげる橋渡し』
これを口からのカッコつけたデマカセではなく、このライブ盤でストーンズは証明している。
あ、そうか、これがホントの「ロン(論)より証拠」ってやつか。
セットリストも曲順がたいへんすばらしー。

B.G.M.「ザ・ローリング・ストーンズ/ライヴ・アット・エル・モカンボ」
サンハウス・鬼平さん監修の麦焼酎「鬼っち」をサンハウスのグラスで飲みながら、ストーンズを聴いている。

No.1629 - 2022/05/27(Fri) 00:09:42
チャリ2ケツ少年たちにまつわる話 / 淳吉郎
はっきりとした年月は覚えていないのだが、80年代末期から90年代初期ぐらいの頃、週末・昼頃に音楽番組が存在していた。
司会者は泉谷しげるさん。
プリンセス・プリンセスがゲストで出演したとき、彼がプリプリの5人にこう言ったのを昨日のことのように覚えている。
「ポップであることが非常に重要なんだよ。ポップスじゃないぜ。ポップね」
ぼくの心のなかにある『ロックンロール帳面』の何ページ目かに、太字でしっかりと記された瞬間です。

クラシック・ミュージックっつーのは、得(え)てして難解な音楽と思われがち。
小学校や中学校の音楽授業における「レコード鑑賞」での先生の説明の仕方が原因かも。
そもそも先生自体がいろんなジャンルの音楽に興味を持っているのかってことがポイントだったりして。
昨年より投稿文で幾たびか記しているマイブームのベートーベン、それは現在も継続中。
ピアノ・ソナタであれ、バイオリン協奏曲であれ、交響曲であれ、荒々しさ(ワイルドネス)とやさしさ・細やかさ(テンダネス)が1曲の中に共存している。
まるでチャリンコのふたり乗りのように。
もしくはパンチのある辛さのなかに、マイルドなフレーバーもあるカレーライスみたいに。
そして、なによりも強力なのは、彼の楽曲から放たれるメロディーのポップさです。
チャリ・2ケツ少年たちの一方のTシャツがスヌーピー柄で、もう片方がミッキーマウスな感じ。か。

数あるベートーベンの楽曲のなかでも多くのひとが知っているのは♪ジャジャジャ ジャぁ〜ん♪交響曲第5番「運命」でしょう。
音楽を含め絵画・文学・映画・落語などなど、どんな表現フィールドでも作品にはタイトルが付いている。
その「タイトル」を確認したわたしたちは作品を聴く、観る、読むその寸前まで想像力のカプセルをひとつ飲み込んでイメージをすることができる。

だがしかし、実はベートーベンに限らずクラシックでは、「運命」のように曲名が付いてる場合より、第〇番つって番号で呼ばれるだけで曲名が付いていないことの方が圧倒的に多い。
曲名が付いてる作品はいわゆる「名曲」として認識されている気がするし、それこそ音楽の授業でも採用されることが多いような気がするんだけど、そこんとこ実際はどうなんでしょ。
そして、なによりもクラシック音楽を作成していた当時のすべての作曲家の方々が、「とあるイメージを抱いて」作ったはずの自作曲に対し、タイトルを付けたかったのかどうかを知りたいのです。
そう言った瞬間、
「なーに、くだらねーこと、つぶやいてんだー、バーカ。とっととスリックスの新曲作れよー」
チャリ・2ケツ少年たちがクネクネと蛇行しながら、ドクター・マーチンを履いて徒歩するわたしを追い抜いていったゴールデン・ウィーク。

写真:ベートーベンは9つの交響曲を作っています。
4月某日、ようやく全部の音源がそろいました。
単体で1枚だったり、複数で1枚だったり、結果としてダブってしまったり、ダブっていても指揮者や楽団が違っているから別物とも言えるし。
はぁー、こーやって大人を悩ませるクラシックは、いたってポップだー(笑)

No.1628 - 2022/05/03(Tue) 18:52:03
確率とミラクルにまつわる話 / 淳吉郎
「誕生日が自分とおんなじ有名人は誰だろう」
どんなひとでも、そんな興味を抱いたことがあるでしょう。
そして街角(まちかど)インタビューにて、4月に入社したばっかりな地元放送局の新人女子アナウンサーからその質問を受けたのなら「わたしは○○さんと誕生日がおんなじでーす」と、あなたは胸を張って即答する。ら。

もし、その有名人が大好きなひとであったならば、これはある意味においてミラクルとも言えるし「自分は選ばれたんだ」なんつって自意識過剰になっちゃったりして。
だがしかし、世の中には「ミラクルなんて信じないぜ」っつー冷静沈着な現実派も存在するわけで。
彼に言わせれば「単なる365ぶんの1の確率っすから。366人集まれば最低ひとりはおんなじ誕生日のひとがいますから」。

ぼくのバンド、ザ・スリックスのライブは年間数回。
おまけにこの状況下、ここ2年間はホントに減った。
そんな中、4月2日は浜松G-SIDEでライブを演りました。
集まってくれたみなさん、ありがとうございました。
正直なところ、直前までライブを演るかどうかわたしの気持ちは逡巡(しゅんじゅん)した。
いわゆる淳逡巡、じゅんしゅんじゅん、である。
ひらがなにすると極めて平和なニュアンスだが、わたしは悩んだのさ。
そしてぼくたち、ザ・スリックスはマスクを着用して演奏することにした。

出演順にZん、THE SLICKS、FUN CLUB、南シナ会、The good time rollers。
この日、全5バンドの演奏スタイルはジャンルとしておんなじではなかった。
だけどが、なにかしらの接点をすべてのバンドにぼくは感じたし、ライブもサイコーだった。
おそらくそれが主催のグッタイムローラーズ・こうきくんの狙いだったのではないかと思っている。
こうきくん、誘ってくれてありがとうございました。

ちなみにこの日、4月2日は清志郎の誕生日だったから俺は彼のTシャツ着用で演奏。
そーいえば、前回ライブの12月18日はキース・リチャーズの誕生日だった。
そーいえば、前年2月14日のライブは実父の誕生日でありシーナの命日だった。
あ、いやいや、ぼくは「選ばれたバンドだ」なんつーコーマンちきな自意識を、これっぽちも持っていないですし、ましてや「365ぶんの1の確率ですから」なんつー冷静さも持ちあわせておりません。
信じているのは、ロックンロールを始めとするすべての音楽が持っている「これってミラクルじゃないか」って思わせてくれるパワーかな。

B.G.M.「忌野清志郎/世間知らず」
土曜日のサービス休日〇勤から夜9時前に帰宅後、我が家B.G.M.は知らぬ間に清志郎祭りとなった。
うん、俺は永遠のサタデーナイトを希望する。
写真はライブ時の着用Tシャツと今週末B.G.M.の数々。

No.1627 - 2022/04/10(Sun) 02:26:45
分類と天国への階段にまつわる話 / 淳吉郎
人類を無理やりふたつに分類するとして。
生活しているのは赤道の北側か南側か。とか。
利き腕は左か右か。とか。
ロック・ミュージックにグッとくるか、なーんにもこないか。とか。
いろいろな分け方があります。

住んでいるのがどこであろうとも、利き腕がどちらであろうとも、流れてくる激しいビートにノレようがノレまいが、それは大した問題ではなく、どちらでもオッケー。
生きて、生活できているだけで充分な気がする。
生きていることそれ自体がすっごくラッキーなことだし、生きているからこそ**だってできる。**の部分はみなさまの随意でどうぞ。
3月というのは特にこんな気持ちになります。

ロックにグッとくるひとのなかでこんな分け方がある。
レッド・ツェッペリンにグッとくるか、なーんにもこないか。
長いロックの歴史のなか、満天の星空のごとくバンドがあるけど、ビートルズ、クラッシュ、ダムド、キンクス、ピストルズ、ストーンズ、フーなどではなく、ここはツェッペリンなのさ。
プロ・インディー・アマチュアミュージシャン問わず、またリスナーとしてロックにかかわっている方々も含め、ツェッペリンにグッとこないひとがけっこういることにある時、気づいたんだ。
「へぇ〜」つって塀(へい)のそばで屁(へ)を垂れたガキんちょのような声をわたしはあげたのさ。
なぜならわたしはツェッペリンが大好きだから。

高校生の頃からレコードで聴き続けていたとあるバンドの音源をあらためてCDにてクルマのカーステで聴いてみると、「こんな音が鳴っていたんだ」みたいな新たな発見があることに今更ながら気づいた2月某日。
基本的にレコードで持っている音源はCD購入しないんだけど、同じころネットでツェッペリンのスタジオ音源全9枚を収録したCDボックスの存在を知った、おまけに4曲の未発表曲も収録というじゃないか。
ぼくの右手は「意識と無意識」「ここにいるべきか向かうべきか」「闘うか逃げるか」なんつー、標高数百メートルに及ぶ【選択の垣根】を軽々と飛び越えると、購入ボタンをプッシュしていた。あちゃあ。

人類を無理やりふたつに分類する件については下記の分け方もある。
手前勝手な理由のもとに武器を使ってひとや生き物を殺める(あやめる)ことができるか、できないか。
武器を使ってひとや生き物を殺めるなんてことがオッケーであるはずはない。
2月某日、戦争が始まってしまった、そして一か月が経過した今も続いている。
かの国の大統領、彼は自分の戦闘指示がひとや生き物を殺め、ひとびとからこれまで**していた日常の生活を奪っていることをどう感じているのだろう。
どう考えてもあなたは『天国への階段』を買うことはできないはず。

B.G.M.「LED ZEPPELIN/CODA」
1982年発表、ツェッペリンのラスト・アルバム。ボックスではこのアルバムにボーナス・トラックとして未発表曲4曲が追加収録。
ロックの分類というかジャンルで呼ぶところの「パンク」「モッズ」というロックが大好きです。
今回、ツェッペリンの全アルバムを聴きなおしながら、あらためて思ったことは、彼らはブルースを始めとする世界各国のルーツ・ミュージックを下敷きにしたオリジナルをたくさん作っているバンドだったんだってこと。
ブルース関連の楽曲に至っては完全に「ブルース曲調」をぶっ壊して自分たちの楽曲にしているのもある。
うん、つまり、俺の中で彼らレッド・ツェッペリンはパンクやモッドの要素が詰まったバンドだったってことに気づいた次第。

☆★☆★☆★☆★☆★
ザ・スリックス、次のライブです。
みなさまのご来場お待ちしております。
よろしくお願いします。

4/2(土) 浜松G-SIDE
STIR YOUR SOUL VO.1
\1400(+1D)
open 18:00
-BAND-
The good time rollers
南シナ会
Zん
FUN CLUB
THE SLICKS

-DJ-
喝!凡 (松本 隆ONLY)

No.1626 - 2022/03/28(Mon) 00:48:27
飛び出す絵本にまつわる話 / 淳吉郎
通称なのだろうか、飛び出す絵本という書物がある。
読みながらページをめくっていくと、突如ぶぉーんと絵柄が立ち上がってくるあれです。
幼少のころ、ともだちの家で初めてそれに出くわしたときは衝撃だった。
書物というX軸Y軸2次元・物体が、いきなりプラスZ軸の3次元になるのだから。
わたしに限らず、世界中のちびっこたちはみんな、それを体験した瞬間「なんだこりゃぁ」つって腰を抜かす。、
んで、あれを発明した人はその光景を見ながら草葉の陰でニヤリと笑う。

ティーン・エイジャーの頃にレコードで感動していたバンドのライブ、もしくはライブ映像を数年後にようやく体験した時もおんなじだった。
「うわぁ〜本物だ〜。ジャケットと顔が一緒だ〜」つってぼくは3次元空間に放り込まれた。気がした。
なぜなら、足が地に着いていないから。
つまり、浮き足だっているってわけ。
動画サイト等を利用し、容易にライブを体験した気分になれる現代は便利だと思う。
だがしかし、簡単に手に入れてしまわないほうがいいってことが、この世の中にはたくさんある。
風船と違って、「想像」ってのはどんなにプクプクふくらませても破裂することがないのです。

1980年代初頭からアイドル、タレント、俳優、そしてミュージシャンが本を出版するようになった。
もちろんゴースト・ライターという存在はみなさまご承知のとおり。
レコードやブラウン管の向こう側の存在だった「その人」が執筆する、それはとっても異次元な出来事だった。
先ほど申し上げた「2次元が3次元に……」の逆で、立体映像が平らな書面になってしまうのだから。
わたしの個人的な見解として「憧れの存在の秘密を知りたくない」ってのがあります。
だから、そのような出版物であんましバラさないでほしいんだ。
「謎は謎のまま」そんなことが幾つかでもあれば、それこそ人生はワンダーランド。

2月10日、マーシーこと真島昌利さんが『ロックンロール・レコーダー』という本を出版しました。
歌詞におけるマーシーの作風を知る人は、彼がどれほどの文学青年なのかを想像することが、おそらくできる。
曲調におけるマーシーの作風を知る人は、彼がどれほどの音楽青年なのかを想像することが、おそらくできる。あ、ロック青年ではありません、音楽青年です。
その彼がついに本を出版。さ。
その報を受けた時のわたしは飲酒をしていたことも相(あい)まって、感動のあまり愛猫ミックと秘技:ネコじゃネコじゃ踊りを乱舞してしまった次第。
もちろん、本は浜松で一番カッコいい本屋さん、浜松市浜北区に存するフェイバリット・ブックスLに注文した。

2月某日、フェイバリット・ブックスLから帰宅したわたしは購入したばっかりの本を部屋で開く。
「ぶぉーん」巨大な音が鳴り響いた。そんな気がしておもわず本を閉じてしまった。
数秒後、我にかえったぼくは落ち着き払った態度で、ふたたび本を開く。
「なんだこりゃぁ!」
瞬時にわたしの脳内銀幕スクリーンで幼少の記憶がリバイバル上映。
様々なレコードとの出会いとその興奮、それを独特な比喩表現で色づけしたマーシーのそれはまさしく「飛び出す絵本」のようだったんだ。

B.G.M.「沖縄の歌/V.A.」
新たなマイ・ブームが生まれました。

☆★☆★☆★☆★☆★
ザ・スリックス、次のライブです。

4/2(土) 浜松G-SIDE
STIR YOUR SOUL VO.1
\1400(+1D)
open 18:00
-BAND-
The good time rollers
南シナ会
Zん
FUN CLUB
THE SLICKS

-DJ-
喝!凡 (松本 隆ONLY)

No.1625 - 2022/02/23(Wed) 00:40:59
出会いにまつわる話 / 淳吉郎
それが、ひとやペットなどの「生き物」であれ、バイクやギターなどの「物体」であれ、音楽や書物などの「表現物」であれ、どんなモノにも出会いがあります。
そして、ひとびとは共通の話題における「初めての出会い」について語り合う。
いつでもそこには、きっかけがあるから。
たとえば「おれはアナーキーでロックに目覚めたったい」「わいはRCやで」って、ロック出会い話をしていくうちに、初対面のふたりは友達になったりする。
もちろんその逆もあって「こいつ、ちょっと違うな」って、それっきりなこともあります。
うなぎと梅干に代表される「食い合わせ」ってやつに、それはちょっと似ている。

1月某日、ぼくと家内、共通の友人であるバンドマン・ウーマン・カップルが我が家に来てくれた。
ふたりはどうやら結婚するらしく、その報告のための来訪だったんだ。
言い換えればつまりこの日、中村家はハッピーハウスだったってことさ。
♪キミをビスケットにしてしまう、わたしはサンドイッチになってしまう♪ってシーナが唄ってる。
その日めでたく、俺たち4人のバンドマン・ウーマンは、ありきたりのモノを販売しているコンビニエンスなんかには存在しない、いや存在すらできないスペシャルなサンドイッチ・ビスケットになってしまった。
まったくもってサイコー!

新郎の彼はミュージシャンでありながら画家でもある。
現在の彼のなかでは「写実」という画風が非常なポイントであるらしく。
写実というのは、「実物そっくりに描く」手法です。
詳細を訊くと、とある写実画家に出会ったことが衝撃だったらしい。
「そのひとの絵はどんな感じ?」
「いやぁー、もうカッコいいんですっ!」
ライブハウスで会う時の彼はいつでも温厚だけど、今回は上記のとおりビックリ・マーク付きだった! つられて俺もビックリ・マークした次第。

絵画表現における写実、それを音楽表現で言うならば完全コピーということではなかろうか。
10年以上前にスモール・フェイセズ・カバー・バンドのライブを観たことがある。
そのバンド、レコード音源そっくりという点において、非の打ちどころない完成度だった。
だがしかし、俺にとっては「お上手ね」というだけで、おもしろいライブではなく、当然「カッコいい」なんて言葉は出てこなかったんだ、心酔するスモール・フェイセズの楽曲なのに。
「カッコいい」とか「美しい」って言葉と、「上手」「綺麗」って言葉は似て非なるもの。

写実なんだけどカッコいい、しかも彼秘蔵のビックリ・マーク付き、という表現に「いったいどんな絵なんだろう」と興味を持った。
と同時に、あるロックンロール・ナンバーの歌詞が頭に浮かんだ、ふわっと。ね。
「それってさあ、ハイロウズの『14才』の歌詞で、リアルよりリアリティってあるじゃんね、そんな感じが思い浮かんだんだけど、たった今」
「いやジュンさん、ぼくもまったくおんなじで彼の絵を見てその歌詞のことを思ったんです」
「うわーすごーい、たった一行で話がまとまったー」大きな瞳を所有する新婦の彼女は、それをさらに大きくクリクリさせながら笑った。

ぼくのマイブーム、ベートーベンの話をしながらピアノソナタ『月光』のレコードを廻す。
「あ、この曲いいですよねー」
そう言う彼女を見ると、その大きな瞳がさらに巨大化していて、それはまるでゲゲゲの鬼太郎のお父さん:目玉おやじがふたりいるみたいだったんだ。
どうやら彼女が好きなバンドの野外ライブにて『月光』が登場曲に使用されたらしく、その曲に感動した彼女はベートーベンのCD音源を探したんだって。
もうもうもう、サイコー過ぎる。

ふたりが帰路についたあと、ぼくと家内はふたりの出会いからご結婚するに至ったストーリーを思い返しながら「サイコーな夫婦がまた生まれたね」つって、ちょっと濃いめの赤ワインでカキンと乾杯した。

B.G.M.「ラリー・ウィリアムス/ヒアズ・ラリー・ウィリアムス」
レコード盤の帯には「R&B・ロッカー、ラリー・ウィリアムスの絶頂期を知るベストLP」って記されている。まったくもって同意。

No.1624 - 2022/02/14(Mon) 01:11:31
コスパにまつわる話 / 淳吉郎
初めてレコード盤を買ったのは10歳の頃だったか。
1枚600円のシングル盤。
それ以降、お小遣いを工面してシングル盤を買うようになった。
初めてLPレコード盤、つまりアルバムを買ったのは、その一年後ぐらい。
1枚2500円した百恵ちゃんのアルバムに収録されているシングル曲は『いい日旅立ち』だけだったことにぼくはズブンと意気消沈してしまった。
「おいらの『プレイバック・パート・ツー』『絶体絶命』『謝肉祭』は未収録?」って。
そんな事を思いつつ、ひとつの謎も生まれた。
「このアルバムは12曲入りで2500円だら。つまり1曲換算208.3円。だがしかし、シングル盤は2曲入りで600円だから1曲換算300円だに。なんなんだ、この格差は。シングル盤ってのはコスパに問題ありだと思うんすけど」

1月某日、ザ・クロマニヨンズのシングル盤を購入した。
そのバンドは2021年8月から2022年1月までに渡り、毎月シングル盤を発表する企画の真っ最中で今回がその最終回。
おまけに6枚目のシングル盤発売日に、そのシングルおよびそれまでのシングル盤5枚の収録曲全12曲を網羅したアルバムも発表したからそれも購入。
シングル盤は1枚1320円なので1曲あたり660円、アルバムは3500円だから1曲あたり292円弱。
ん〜すごい格差、というか俺が高校生だったらシングル盤をすべて購入したかな。もしかしてアルバムが出るまで六か月のあいだ我慢したかも。
嬉々として毎月シングル盤を買い続けたわたしが言うのもへんだが、今回の彼らの姿勢はどうなんだろうと思います、ティーンエイジャー・ファンも多いバンドだけに。
あ、でも今回のアルバム自体は作品としてめちゃくちゃ好き。うん、サイコー!

「秘伝のタレを使用した〇〇」なんてなキャッチ・コピーで一般人の購買欲を誘(いざな)おうとする食品メーカーや菓子メーカー。
だがしかし、われわれは結果論で生活してるんで。
つまりは「美味いかどうか」ってことであり、「このクルマには我が社の技術の結晶が詰まっております」って力説されても、そのクルマが「カッコいいかどうか」もしくは「俺が求める走りができるかどうか」ってことであり。

自作曲や自作画で表現を試みるひとたちがいる。
んで、わたしはその大木(たいぼく)の末端になんとかぶら下がっているギター弾き。
上述したメーカーの方々同様、われわれも自作曲作成にあたり様々な手段で完成に近づけます。
器財を駆使した「宅録」という手段を用いて自部屋でバンド・サウンドを構築したり、ギター1本の弾き語り音源をメンバーに渡したり、深夜なのにメンバーに電話して「新曲できたで聴いてや」つって受話器で披露したり。
そしてわれわれ音楽好きは、その「新曲」がライブや音源で演奏された時点でカッコいいかどうか、ってところで生きている。
つまり、そこにはコスパなんて言葉が存在するわけがないのさ。

1月某日、ワタナベマモルの最新アルバム「PRIVATE TAPES 1995-1998」を購入した。
マモルさんが1995年から1998年にかけて発表した4本にわたる宅録カセット音源を2枚組のCDにまとめたもの。
古今東西から響いてくるグッド・ロックンロール・ミュージックのエッセンスが詰まった曲調、そこに日々の生活の中で感じたことがらを、時にはユーモアも混ぜながら、彼の言葉で唄ってるのが氏のスタイル。
わたしはそこに非常なシンパシー(共感)を感じるのです。
だから今回の作品には制作した90年代中盤以降という時期や宅録という録音方法など、すべての面でものすごく興味があった。
そして、その音源を聴き終えたぼくはこう唸った「やっぱ、すげぇ」。
つまり、ワタナベマモルが演ってるのはコスト・パフォーマンスではなく、ロックンロール・パフォーマンスってことさ。もうサイコー!

B.G.M.「ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61」
昨年からのマイブーム継続中〜。

No.1623 - 2022/01/31(Mon) 00:05:35
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