THE SLICKS BBS
ライブ告知です。
「やらまいかミュージックフェスティバルinはままつ」にThe Whoのトリビュート・バンド、The Who族にてギターで出演。
10月12日(土) 浜松forceにて18時前後からの予定。
入場無料。
(THE SLICKSの出演はございません)
★ 分類と天国への階段にまつわる話 / 淳吉郎 | |
人類を無理やりふたつに分類するとして。 生活しているのは赤道の北側か南側か。とか。 利き腕は左か右か。とか。 ロック・ミュージックにグッとくるか、なーんにもこないか。とか。 いろいろな分け方があります。
住んでいるのがどこであろうとも、利き腕がどちらであろうとも、流れてくる激しいビートにノレようがノレまいが、それは大した問題ではなく、どちらでもオッケー。 生きて、生活できているだけで充分な気がする。 生きていることそれ自体がすっごくラッキーなことだし、生きているからこそ**だってできる。**の部分はみなさまの随意でどうぞ。 3月というのは特にこんな気持ちになります。
ロックにグッとくるひとのなかでこんな分け方がある。 レッド・ツェッペリンにグッとくるか、なーんにもこないか。 長いロックの歴史のなか、満天の星空のごとくバンドがあるけど、ビートルズ、クラッシュ、ダムド、キンクス、ピストルズ、ストーンズ、フーなどではなく、ここはツェッペリンなのさ。 プロ・インディー・アマチュアミュージシャン問わず、またリスナーとしてロックにかかわっている方々も含め、ツェッペリンにグッとこないひとがけっこういることにある時、気づいたんだ。 「へぇ〜」つって塀(へい)のそばで屁(へ)を垂れたガキんちょのような声をわたしはあげたのさ。 なぜならわたしはツェッペリンが大好きだから。
高校生の頃からレコードで聴き続けていたとあるバンドの音源をあらためてCDにてクルマのカーステで聴いてみると、「こんな音が鳴っていたんだ」みたいな新たな発見があることに今更ながら気づいた2月某日。 基本的にレコードで持っている音源はCD購入しないんだけど、同じころネットでツェッペリンのスタジオ音源全9枚を収録したCDボックスの存在を知った、おまけに4曲の未発表曲も収録というじゃないか。 ぼくの右手は「意識と無意識」「ここにいるべきか向かうべきか」「闘うか逃げるか」なんつー、標高数百メートルに及ぶ【選択の垣根】を軽々と飛び越えると、購入ボタンをプッシュしていた。あちゃあ。
人類を無理やりふたつに分類する件については下記の分け方もある。 手前勝手な理由のもとに武器を使ってひとや生き物を殺める(あやめる)ことができるか、できないか。 武器を使ってひとや生き物を殺めるなんてことがオッケーであるはずはない。 2月某日、戦争が始まってしまった、そして一か月が経過した今も続いている。 かの国の大統領、彼は自分の戦闘指示がひとや生き物を殺め、ひとびとからこれまで**していた日常の生活を奪っていることをどう感じているのだろう。 どう考えてもあなたは『天国への階段』を買うことはできないはず。
B.G.M.「LED ZEPPELIN/CODA」 1982年発表、ツェッペリンのラスト・アルバム。ボックスではこのアルバムにボーナス・トラックとして未発表曲4曲が追加収録。 ロックの分類というかジャンルで呼ぶところの「パンク」「モッズ」というロックが大好きです。 今回、ツェッペリンの全アルバムを聴きなおしながら、あらためて思ったことは、彼らはブルースを始めとする世界各国のルーツ・ミュージックを下敷きにしたオリジナルをたくさん作っているバンドだったんだってこと。 ブルース関連の楽曲に至っては完全に「ブルース曲調」をぶっ壊して自分たちの楽曲にしているのもある。 うん、つまり、俺の中で彼らレッド・ツェッペリンはパンクやモッドの要素が詰まったバンドだったってことに気づいた次第。
☆★☆★☆★☆★☆★ ザ・スリックス、次のライブです。 みなさまのご来場お待ちしております。 よろしくお願いします。
4/2(土) 浜松G-SIDE STIR YOUR SOUL VO.1 \1400(+1D) open 18:00 -BAND- The good time rollers 南シナ会 Zん FUN CLUB THE SLICKS
-DJ- 喝!凡 (松本 隆ONLY)
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No.1626 - 2022/03/28(Mon) 00:48:27
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★ 飛び出す絵本にまつわる話 / 淳吉郎 | |
通称なのだろうか、飛び出す絵本という書物がある。 読みながらページをめくっていくと、突如ぶぉーんと絵柄が立ち上がってくるあれです。 幼少のころ、ともだちの家で初めてそれに出くわしたときは衝撃だった。 書物というX軸Y軸2次元・物体が、いきなりプラスZ軸の3次元になるのだから。 わたしに限らず、世界中のちびっこたちはみんな、それを体験した瞬間「なんだこりゃぁ」つって腰を抜かす。、 んで、あれを発明した人はその光景を見ながら草葉の陰でニヤリと笑う。
ティーン・エイジャーの頃にレコードで感動していたバンドのライブ、もしくはライブ映像を数年後にようやく体験した時もおんなじだった。 「うわぁ〜本物だ〜。ジャケットと顔が一緒だ〜」つってぼくは3次元空間に放り込まれた。気がした。 なぜなら、足が地に着いていないから。 つまり、浮き足だっているってわけ。 動画サイト等を利用し、容易にライブを体験した気分になれる現代は便利だと思う。 だがしかし、簡単に手に入れてしまわないほうがいいってことが、この世の中にはたくさんある。 風船と違って、「想像」ってのはどんなにプクプクふくらませても破裂することがないのです。
1980年代初頭からアイドル、タレント、俳優、そしてミュージシャンが本を出版するようになった。 もちろんゴースト・ライターという存在はみなさまご承知のとおり。 レコードやブラウン管の向こう側の存在だった「その人」が執筆する、それはとっても異次元な出来事だった。 先ほど申し上げた「2次元が3次元に……」の逆で、立体映像が平らな書面になってしまうのだから。 わたしの個人的な見解として「憧れの存在の秘密を知りたくない」ってのがあります。 だから、そのような出版物であんましバラさないでほしいんだ。 「謎は謎のまま」そんなことが幾つかでもあれば、それこそ人生はワンダーランド。
2月10日、マーシーこと真島昌利さんが『ロックンロール・レコーダー』という本を出版しました。 歌詞におけるマーシーの作風を知る人は、彼がどれほどの文学青年なのかを想像することが、おそらくできる。 曲調におけるマーシーの作風を知る人は、彼がどれほどの音楽青年なのかを想像することが、おそらくできる。あ、ロック青年ではありません、音楽青年です。 その彼がついに本を出版。さ。 その報を受けた時のわたしは飲酒をしていたことも相(あい)まって、感動のあまり愛猫ミックと秘技:ネコじゃネコじゃ踊りを乱舞してしまった次第。 もちろん、本は浜松で一番カッコいい本屋さん、浜松市浜北区に存するフェイバリット・ブックスLに注文した。
2月某日、フェイバリット・ブックスLから帰宅したわたしは購入したばっかりの本を部屋で開く。 「ぶぉーん」巨大な音が鳴り響いた。そんな気がしておもわず本を閉じてしまった。 数秒後、我にかえったぼくは落ち着き払った態度で、ふたたび本を開く。 「なんだこりゃぁ!」 瞬時にわたしの脳内銀幕スクリーンで幼少の記憶がリバイバル上映。 様々なレコードとの出会いとその興奮、それを独特な比喩表現で色づけしたマーシーのそれはまさしく「飛び出す絵本」のようだったんだ。
B.G.M.「沖縄の歌/V.A.」 新たなマイ・ブームが生まれました。
☆★☆★☆★☆★☆★ ザ・スリックス、次のライブです。
4/2(土) 浜松G-SIDE STIR YOUR SOUL VO.1 \1400(+1D) open 18:00 -BAND- The good time rollers 南シナ会 Zん FUN CLUB THE SLICKS
-DJ- 喝!凡 (松本 隆ONLY)
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No.1625 - 2022/02/23(Wed) 00:40:59
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★ 出会いにまつわる話 / 淳吉郎 | |
それが、ひとやペットなどの「生き物」であれ、バイクやギターなどの「物体」であれ、音楽や書物などの「表現物」であれ、どんなモノにも出会いがあります。 そして、ひとびとは共通の話題における「初めての出会い」について語り合う。 いつでもそこには、きっかけがあるから。 たとえば「おれはアナーキーでロックに目覚めたったい」「わいはRCやで」って、ロック出会い話をしていくうちに、初対面のふたりは友達になったりする。 もちろんその逆もあって「こいつ、ちょっと違うな」って、それっきりなこともあります。 うなぎと梅干に代表される「食い合わせ」ってやつに、それはちょっと似ている。
1月某日、ぼくと家内、共通の友人であるバンドマン・ウーマン・カップルが我が家に来てくれた。 ふたりはどうやら結婚するらしく、その報告のための来訪だったんだ。 言い換えればつまりこの日、中村家はハッピーハウスだったってことさ。 ♪キミをビスケットにしてしまう、わたしはサンドイッチになってしまう♪ってシーナが唄ってる。 その日めでたく、俺たち4人のバンドマン・ウーマンは、ありきたりのモノを販売しているコンビニエンスなんかには存在しない、いや存在すらできないスペシャルなサンドイッチ・ビスケットになってしまった。 まったくもってサイコー!
新郎の彼はミュージシャンでありながら画家でもある。 現在の彼のなかでは「写実」という画風が非常なポイントであるらしく。 写実というのは、「実物そっくりに描く」手法です。 詳細を訊くと、とある写実画家に出会ったことが衝撃だったらしい。 「そのひとの絵はどんな感じ?」 「いやぁー、もうカッコいいんですっ!」 ライブハウスで会う時の彼はいつでも温厚だけど、今回は上記のとおりビックリ・マーク付きだった! つられて俺もビックリ・マークした次第。
絵画表現における写実、それを音楽表現で言うならば完全コピーということではなかろうか。 10年以上前にスモール・フェイセズ・カバー・バンドのライブを観たことがある。 そのバンド、レコード音源そっくりという点において、非の打ちどころない完成度だった。 だがしかし、俺にとっては「お上手ね」というだけで、おもしろいライブではなく、当然「カッコいい」なんて言葉は出てこなかったんだ、心酔するスモール・フェイセズの楽曲なのに。 「カッコいい」とか「美しい」って言葉と、「上手」「綺麗」って言葉は似て非なるもの。
写実なんだけどカッコいい、しかも彼秘蔵のビックリ・マーク付き、という表現に「いったいどんな絵なんだろう」と興味を持った。 と同時に、あるロックンロール・ナンバーの歌詞が頭に浮かんだ、ふわっと。ね。 「それってさあ、ハイロウズの『14才』の歌詞で、リアルよりリアリティってあるじゃんね、そんな感じが思い浮かんだんだけど、たった今」 「いやジュンさん、ぼくもまったくおんなじで彼の絵を見てその歌詞のことを思ったんです」 「うわーすごーい、たった一行で話がまとまったー」大きな瞳を所有する新婦の彼女は、それをさらに大きくクリクリさせながら笑った。
ぼくのマイブーム、ベートーベンの話をしながらピアノソナタ『月光』のレコードを廻す。 「あ、この曲いいですよねー」 そう言う彼女を見ると、その大きな瞳がさらに巨大化していて、それはまるでゲゲゲの鬼太郎のお父さん:目玉おやじがふたりいるみたいだったんだ。 どうやら彼女が好きなバンドの野外ライブにて『月光』が登場曲に使用されたらしく、その曲に感動した彼女はベートーベンのCD音源を探したんだって。 もうもうもう、サイコー過ぎる。
ふたりが帰路についたあと、ぼくと家内はふたりの出会いからご結婚するに至ったストーリーを思い返しながら「サイコーな夫婦がまた生まれたね」つって、ちょっと濃いめの赤ワインでカキンと乾杯した。
B.G.M.「ラリー・ウィリアムス/ヒアズ・ラリー・ウィリアムス」 レコード盤の帯には「R&B・ロッカー、ラリー・ウィリアムスの絶頂期を知るベストLP」って記されている。まったくもって同意。
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No.1624 - 2022/02/14(Mon) 01:11:31
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★ コスパにまつわる話 / 淳吉郎 | |
初めてレコード盤を買ったのは10歳の頃だったか。 1枚600円のシングル盤。 それ以降、お小遣いを工面してシングル盤を買うようになった。 初めてLPレコード盤、つまりアルバムを買ったのは、その一年後ぐらい。 1枚2500円した百恵ちゃんのアルバムに収録されているシングル曲は『いい日旅立ち』だけだったことにぼくはズブンと意気消沈してしまった。 「おいらの『プレイバック・パート・ツー』『絶体絶命』『謝肉祭』は未収録?」って。 そんな事を思いつつ、ひとつの謎も生まれた。 「このアルバムは12曲入りで2500円だら。つまり1曲換算208.3円。だがしかし、シングル盤は2曲入りで600円だから1曲換算300円だに。なんなんだ、この格差は。シングル盤ってのはコスパに問題ありだと思うんすけど」
1月某日、ザ・クロマニヨンズのシングル盤を購入した。 そのバンドは2021年8月から2022年1月までに渡り、毎月シングル盤を発表する企画の真っ最中で今回がその最終回。 おまけに6枚目のシングル盤発売日に、そのシングルおよびそれまでのシングル盤5枚の収録曲全12曲を網羅したアルバムも発表したからそれも購入。 シングル盤は1枚1320円なので1曲あたり660円、アルバムは3500円だから1曲あたり292円弱。 ん〜すごい格差、というか俺が高校生だったらシングル盤をすべて購入したかな。もしかしてアルバムが出るまで六か月のあいだ我慢したかも。 嬉々として毎月シングル盤を買い続けたわたしが言うのもへんだが、今回の彼らの姿勢はどうなんだろうと思います、ティーンエイジャー・ファンも多いバンドだけに。 あ、でも今回のアルバム自体は作品としてめちゃくちゃ好き。うん、サイコー!
「秘伝のタレを使用した〇〇」なんてなキャッチ・コピーで一般人の購買欲を誘(いざな)おうとする食品メーカーや菓子メーカー。 だがしかし、われわれは結果論で生活してるんで。 つまりは「美味いかどうか」ってことであり、「このクルマには我が社の技術の結晶が詰まっております」って力説されても、そのクルマが「カッコいいかどうか」もしくは「俺が求める走りができるかどうか」ってことであり。
自作曲や自作画で表現を試みるひとたちがいる。 んで、わたしはその大木(たいぼく)の末端になんとかぶら下がっているギター弾き。 上述したメーカーの方々同様、われわれも自作曲作成にあたり様々な手段で完成に近づけます。 器財を駆使した「宅録」という手段を用いて自部屋でバンド・サウンドを構築したり、ギター1本の弾き語り音源をメンバーに渡したり、深夜なのにメンバーに電話して「新曲できたで聴いてや」つって受話器で披露したり。 そしてわれわれ音楽好きは、その「新曲」がライブや音源で演奏された時点でカッコいいかどうか、ってところで生きている。 つまり、そこにはコスパなんて言葉が存在するわけがないのさ。
1月某日、ワタナベマモルの最新アルバム「PRIVATE TAPES 1995-1998」を購入した。 マモルさんが1995年から1998年にかけて発表した4本にわたる宅録カセット音源を2枚組のCDにまとめたもの。 古今東西から響いてくるグッド・ロックンロール・ミュージックのエッセンスが詰まった曲調、そこに日々の生活の中で感じたことがらを、時にはユーモアも混ぜながら、彼の言葉で唄ってるのが氏のスタイル。 わたしはそこに非常なシンパシー(共感)を感じるのです。 だから今回の作品には制作した90年代中盤以降という時期や宅録という録音方法など、すべての面でものすごく興味があった。 そして、その音源を聴き終えたぼくはこう唸った「やっぱ、すげぇ」。 つまり、ワタナベマモルが演ってるのはコスト・パフォーマンスではなく、ロックンロール・パフォーマンスってことさ。もうサイコー!
B.G.M.「ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61」 昨年からのマイブーム継続中〜。
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No.1623 - 2022/01/31(Mon) 00:05:35
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★ 自分へのごほうびにまつわる話 / 淳吉郎 | |
いつからだろう、とっておきのナニかを購入する際「自分へのごほうび」という理由づけ? あるいは言い訳? をするようになったのは。 わたし個人的には、その言葉はちょっと馴染めないので、実は使ったことはありません。 なぜなら、購入資金(お小遣い)を含む様々なタイミングが運よく一致したから「欲しいものを買うことができた」と、捉えているから。
12月某日、帽子を購入した。 キャスケット・タイプの帽子を30年近く愛用してきたので、そろそろ別のタイプにしようかな、というのが理由。 まちがっても冬の特別手当が口座に入金され、半年間に渡る激務を耐え忍んだぼくちゃんへのごほうび、ではありませんので。 浜松繁華街に存する老舗帽子店で購入したそれをその場で被ったおいらは、スキップしながら帰宅した。 そのまま鏡の前に立つ。 「なんか、これ被った俺って、リリー・フランキーさんみたいじゃん」
12月某日、国営放送でベートーベンの交響曲第九番「合唱つき」を堪能。 聴くだけだったら所有するレコードでもよかったのだが「大晦日だし、テレビで見りゃぁ、ある意味ライブ感覚でいいかもねー」なんつって閲覧した次第。 フィルハーモニーと合唱団の演奏はもとよりマエストロの手の振り方、各演奏者の表情や仕草、そして着てる衣装のチェックまでノリノリで鑑賞……ってか、それって俺がライブハウスでやってることとおんなじじゃーん。 テレビで見る第九もレコードとおなじくカッコよかった。 いつか、生演奏を観てみたいです。
1月某日、実家にて中村家全4人集結。 食事を終えるとお母ちゃんが言う「鮎川さんのバンドの番組、録ってあるで見る?」 「おーう! 観る観る!」 二日続けて国営放送。 画面の向こう側で、俺が先日購入した帽子とおんなじ形状のものを被ったヤツがいる。 そう、誰あろうリリー・フランキーさんが司会をしている「カバーズ」という番組さ。 シナロケは「ユー・メイ・ドリーム」と「レモンティー」を披露。 国営放送の音楽番組なのに鮎川さんのマーシャルからは、いつもの「キィー」っつーハウリング音が鳴っていることに、「だよねー」つってわたしはついつい首肯。 そして、演奏後のリリーさんとのトーク・シーンにおいても、自分よりも若い共演者たちに対する彼の気づかいや態度、それはやっぱりいつもの鮎川誠だった。もうサイコー。
1月某日、浜松市内のジーンズ・ショップでGパンを買った。 通常、Gパンを買うときは古着屋を利用するのだが、今回は新品を購入。 はき続けていたリーバイス505がボロボロに破けたから買ったのが理由。 まちがっても年末調整還付金が口座に入金され、1年間に渡る激務を耐え忍んだぼくちゃんへのごほうびではありませんので、あしからず。 しかし、値札を見てビツクリした。 なぜなら、1万円越えというお値段だったからだ。 ぼくが20代のころは、たしか6500円ぐらいだったはず、リーバイスは。 しかも今回の505は以前より生地も安っぽいし、色もいわゆる『深み』が感じられず、品(ひん)があるとは言えないものだった。 だけどそれは1万円越え。1万6千円っつーメーカーもあったぐらいさ。 おいおい、Gパン・メーカーならではの「こだわり」ってのは無くなっちまったのかい。 おいらはベートーベン、もしくはボブ・ディランみたいな顔つきで店をあとにした。
今年の目標はふたつあります。 ひとつは上記のおふたり、ベートーベンとボブ・ディランをにらめっこさせたい、アップップぅ〜。 仮に実現したとして、「しかめっツラなふたりのどっちが先に笑うんだろう?」だなんて考えながら、ふたりの対決を見ている真っ最中に「もう感無量!」つってぼくは無重力状態でフワフワと上空に舞い上がっちまうんだ。 つまり、なんだかんだで対決結果を見定めることができないってオチなんだろう、おそらく、きっと。 ひとつはぼくのバンド、ザ・スリックスでカッコいい曲を発表していきたい。 バンドでサイコーな曲を演れることが自分へのサイコーなごほうびだからさ。 きゃぁー! ジュンキチローさん、言っちまったなぁ〜。
B.G.M.「愛の余韻/ジャニス・イアン」 1976年発表のアルバム。名曲ぞろい。もうサイコー。
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No.1622 - 2022/01/13(Thu) 00:57:28
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★ 某日日記 / 淳吉郎 | |
76年ごとに近づく星や、4年ごとに開催されるスポーツの祭典等、この世の中には周期的な事象がいくつかあります。 そのひとつである車検のために12月某日土曜日、マイカーをディーラーに持ち込んだ。 担当者と打ち合わせをして、代車を受け取る際、彼はこう言いながらキーを手渡す。 「CDプレーヤー、付いてますので」 「マジすか」つってわたしは心のなかで小さくちいさくガッツポーズ。 実はその一週間前「代車はオーディオ機能積載車にしてほしい」と店側に伝えた際、「積載車の台数はごく少数なので確約できない」との返答だったからだ。
たった二日間の代車生活なのに、そこまでしてCDを聴きたいのか、とみなさんはお思いでしょう。 しょうがないじゃん、だってその夜はTHE SLICKSのライブなのさ。 ライブ当日、開催場所までの道中ではTHE JAMを始めとする大好きな音楽を聴くしきたりになっているんだ。 クルマがガソリンで走るように、わたしはグッド・ミュージックで生きている。 午後2時前、お借りした軽自動車にマーシャル・ヘッド・アンプとギブソン・レスポール・カスタムを積み込むと、その日のライブ会場である浜松G-SIDEへとクルマを発車させた、ピストルズの編集盤「フロッギング・ア・デッドホース」をセットして。
年末のお忙しい中、そして若干、落ち着いたといってもこの状況下の中、ライブに来てくれたみなさん、ありがとうございました。大感謝です。 全5バンド出演のこの日、平均年齢45歳のぼくらスリックス以外の4バンドの平均年齢は、おそらく25歳ぐらいだったと思う。 各バンドのライブを観て、ぼくは「若さが持つ計り知れぬパワー」を叩きつけられた、気がした。 計り知れない……つまりあいつらには希望しかないってことさ。きぃー! そして、その日の俺自身がどうだったかっつーと、いわゆるタイバン意識丸出しだったわけで(笑) えー? それって、ぼくも若いってことじゃん? なんて思った次第(笑) 刺激のある楽しい一日だった。 誘ってくれたザ・ジェイソン・ブルーレイのショウくん、ありがとうございました。
B.G.M.「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番『皇帝』/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」 ベートーヴェンのマイ・ブーム継続中。主旋律を部分部分で巧みに取り入れているこの曲もサイコーにカッコいい。
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No.1621 - 2021/12/26(Sun) 23:00:11
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★ 《冬のひまわり》?C / 淳吉郎 | |
?Bより
クリスマス・イヴがやってきた。 その日のディナーは悦子の希望で鴨鍋(かもなべ)となった。高齢のカップルならいざ知らず、二十代前半のカップルがクリスマスに鴨鍋である。 その提案に誠二はこう言った。 「普通ならクリスマスは七面鳥だけど、それは無理としても最低でチキンでしょ?」 カモン・ナウ・ベイビーという洋楽における常套句がある。それは「ねぇねぇ、ちょっとキミさあ」という意味だ。発音したり唄ったりすると「カモナベー」となる。 「と、いうことなの」 説明し終えた悦子に対し、「へぇーそうなんだ」誠二は自販機のように言葉を返した。 ねぇねぇ、ちょっとキミさあ、ユーモアのセンスをもうすこしお願いできるかしら。 悦子は心のなかでそう言った。口にしてもよかったけれども、言わなかった。言っても、のれんになんとやらだと思ったからだ。
「あーうまかった」 「でしょ。鴨鍋だーいすき」 街なかにあるとはいえ、十二月二十四日の和食亭は客もまばらだった。そこで鴨鍋を食べ終えたふたりは、コイン・パーキングへと歩いている。 街路樹に巻き付けられたイルミネーションが静かに灯る。アーケード街のスピーカーからはジョン・レノンの『ハッピー・クリスマス』が流れている。いんちき臭いインスト・ヴァージョンだ。無言のまま歩くふたり。 自分の車に着くと誠二はダッシュボードから花を取り出した。 「メリー・クリスマス、エッコ。はい、冬のひまわり」 それは加藤からもらったひまわりの造花だった。 「ははは、おそらくそう来ると思ってたよ。でもありがと」 わかったような口ぶりだが悦子はまんざらでもなさそうだ。 「なーんてね」 そう言いながら誠二は車の後部トランクを開けると、A2サイズのキャンソン・ボードを取り出した。 コイン・パーキングの照明がボードを照らす。 そこには薄青の背景に二輪の大きなひまわりらしき花が描かれていた。それを眺めながら悦子が言う。 「なんなのこれ? もしかしてひまわり? でも、花びらが描かれてないじゃない」 悦子が言ったとおり、その絵には黄色い花びらが抜け落ちていた。あるのは太い二本の茎と数枚の葉っぱ、そしていがぐり頭のごとく褐色(かっしょく)な、まあるい部分のみだ。 誠二はコートの右ポケットに手を突っ込む。右手を開くとそこには黄色の絵の具チューブがあった。キャップを外(はず)し、歯みがき粉を歯ブラシの先へ乗せるように、チューブを板面へ押しつける。ふたつの弧を描(えが)きながら、黄色く大きな花びらをいがぐり頭へ一枚いちまいと足してゆく。
塗られたばかりの絵の具の匂いとともに二輪のひまわりが今、花ひらいた。 それが、誠二のビギナーズ・ラックだったのかは、まだ誰も知らない。
おしまい みなさん、よいクリスマスを
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No.1620 - 2021/12/24(Fri) 00:16:11
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